【ポーランド】知られざる親日国。なぜポーランドの人々は日本に感謝し続けるのか at NEWS5PLUS
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1:七つの海の@jibsail007 ★
17/02/22 23:15:52.49 CAP_USER.net
MAG2NEWS 文責:伊勢雅臣 2017.02.14配信
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【まえがき】
日本人にとって、決して馴染み深い国とは言えないポーランド。しかし、先日掲載し多くの反響をいただいた記事「多くのポーランド人が日本に救われた。
知られざる1920年の感動秘話」でもお伝えしたように、両国間には人道を通じた絆が存在しています。
今回の無料メルマガ『Japan on the Globe−国際派日本人養成講座』では、さらに両国をつなぐ知られざる深い善意と友好の歴史を振り返っています。
【概要】日本・ポーランド友好小史
冬の最中にポーランドの古都クラクフに来ている。ホテルの窓から見ると、うっすらと雪化粧した街並みを見おろすように歴代ポーランド王の居城だった
ヴァヴェル城がそびえている。
ポーランドは日本からはなじみの薄い国で、一般の人はせいぜいショパンやキューリー夫人くらいしか知らないだろう。
しかし両国の間には善意と友好の歴史が100年もの間、人知らぬ地下水脈のように流れている。
弊誌142号「多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話」では、20世紀初頭にシベリアで困窮していた
ポーランド人孤児765名を帝国陸軍と日本赤十字社が救出し、母国ポーランドに送り届けた事。
その返礼として、75年後に阪神大震災の孤児たちがポーランドに招かれて歓待を受けた佳話を紹介した。
しかし、両国の交流はそれ以外にも脈々と続けられている。今回は両国をつなぐ深い善意と友好の歴史を辿ってみよう。
【トピック@】「日本とポーランドが手を携えてロシアと闘おう」
ポーランドは18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、独立を失った。その後、粘り強く独立運動が続けられたが、
彼らに勇気を与えたのが日露戦争だった。
後にポーランド独立の英雄として敬愛されるヨゼフ・ピウスツキは1904(明治37)年7月、日露戦争の最中に日本を訪れ、
明治政府に対して日本とポーランドが手を携えてロシアと闘おうと呼びかた。
ポーランドがシベリア鉄道の破壊やロシア軍に徴発されているポーランド兵の脱走・投降工作をする代わりに、
日本は独立運動への支援を行う、という具体的な提案だった。
この時にもう一人の独立運動の指導者で穏健派のドモスキも来日して、ピウスツキの提案は非現実的だと日本政府に進言した。
結局、日本政府はピウスツキの提案のうち、最後のポーランド人捕虜に対する好意的な取り扱いだけを採用することにして、
松山にポーランド人捕虜のための収容所を作り、特別に厚遇した。捕虜の正確な数は判っていないが、
一説には数千人の規模に達したという。
日本海海戦で日本がバルチック艦隊を破った時には、ポーランド人捕虜全員が万歳を叫んだ。
(つづく)


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