■□■天皇制は百害あって一利なし 6■□■ at SEIJI
[2ch|▼Menu]
42:旧きものへの畏敬の念
14/08/02 14:20:25.70 aLi+U+Hv
 
 (>>32の続き)

・・・ルソーもホッブスもマルクスもヒトラーもレーニンも皆この点で共通している。亡命先でも、いつも祖国や亡命国の文明社会の「改造」「変革」「革命」の手段を思考し、実行の機を窺う野蛮な人間であった。

第二点の、「(古来より受け継がれてきた智)見」と道徳/自由との関係については、バークは次のように述べている。バーク曰く、

「我々は神を怖れます。畏敬の眼で王を見上げます。議会に対しては愛着の、判事たちに対しては服従の、聖職者に対しては崇敬の、貴族に対しては尊敬の、眼を上げます。

なぜでしょうか(?)。心の中でそうした観念を前にする時、そのように心を動かされるのが自然だからです。

それ(=これらの「(智)見」)以外の感情は、嘘偽りであって、精神を腐敗させ、根本的道徳を失い、我々を道理に適った自由に不向きにさせるからです。」(『フランス革命の省察』、みすず書房、2009年、110頁)

「火急に際しても(智)見は即座に適用できます。それは、予め精神を確固たる智恵と美徳の道筋に従わせておきます。そして、(火急の場合の)決定の瞬間に人を懐疑や謎や不決断で躊躇させたまま放り出すことはしません。

(古来より受け継がれてきた智)見とは人の美徳をしてその習慣たらしめるもの、脈絡のない行為の連続には終わらせないものなのです。
正しい「(智)見」(=神への畏怖、国王への畏敬等の偏見)を通して、彼の服従行為(=「偏見」の対象である神や王への服従行為=義務/美徳)は天性の一部となるのです。」

「(智)見」なくして道徳および道徳を伴う自由は存在できない。
また、「(古来より受け継がれてきた智)見」は常に、自分の「物事の考え方の判断基準」を智恵と美徳に置くことを習慣とさせるので、緊急時でも、自分の判断や決断に疑いや謎を抱いくことが無いので、決断に躊躇しない。

つまり、日本国に当てはめて要約すると、バークの(実証した)「(智)見」(と等価である)、日本の神々や仏などへの畏怖の念、天皇・皇室への畏敬の念、国会等議会への愛着の念、裁判官(の判決)への服従の念、
神官・・・などの聖職者への崇敬の念を抱くことによって、正しい道徳を伴う自由を享受することができる。
 


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

3812日前に更新/255 KB
担当:undef