「アンネの日記」、封印された「下ネタ」ジョーク明らかに at LIVEPLUS
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1:きつねうどん ★
18/05/16 20:59:22.06 CAP_USER.net
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ナチス・ドイツから逃れようと隠れ家で生活していたユダヤ人少女による「アンネの日記」で、これまで公表されていなかった2ページ分の内容が15日、明らかにされた。当時13歳のアンネ・フランクさんは、セックスについて思ったことや、性的なジョークを書き綴っていた。
アンネさんはオランダ・アムステルダムの隠れ家で潜伏生活を始めて間もない1942年9月28日、性的ないわゆる「下ネタ」ジョークを4つ、書き記していた。
色々な内容を書いては線を引いて消していたページで、「駄目になったこのページを使って、『下ネタ・ジョーク』を書くことにする」とアンネさんは書いた。ジョークのほかに、性教育について数十行にわたり書き、自分が誰かにセックスについて説明する羽目になったら何と言うかを想像してみている。売春婦についても言及している。日記の別の箇所には、売春婦というものについて父親から教わったと書かれている。
アンネさんはこうした内容を書いたこのページに、茶色い紙を上からのりで貼り付けていた。内容を家族の目に触れないようにするためだったとみられる。
画像解析技術の発達によって、研究者はついに隠された文字が読めるようになり、今回の発表につながった。
アンネさんが家族と隠れていたアムステルダムの家は現在、「アンネ・フランクの家」として博物館になっている。同博物館はツイッターで、「アンネ・フランク・ハウスはホイヘンス研究所とオランダ戦争資料研究所と共同で、赤いチェック柄表紙の最初のアンネの日記から、のりで紙が貼られていた2ページに隠されていた内容を、本日明らかにしました。新技術のおかげで、伏せられていたページの文章が解読できるようになりました」と書いた。
博物館のロナルド・レオポルドさんは、「アンネ・フランクは性的なことについて、屈託なく書いている。思春期の子供らしく、性に関心があるのが分かる」と話す。
博物館と協力し、2016年に新しく撮影した写真から隠された内容を解析した先端社会研究所NIOD(オランダ戦争資料研究所)は、日記の写真と共に、「アンネ・フランクの日記から、新しい2ページが見つかった!」とツイートした。
NIODのフランク・ファン・フレー所長は、「見つかった文章を読む人は誰しも、にっこりしてしまうはずだ」と話した。「アンネが書きとめた『下ネタ』ジョークは、思春期の子供たちの間の定番だ。アンネは才能豊かな少女だったが、何より普通の女の子だったことが分かる」。
アンネさんが日記に書いたジョークのひとつは、「ドイツ軍の女の子たちが何のためにオランダにいるか分かる? 兵士のマットレスとして」というものだった。
博物館によると、アンネさんはほかでもセックスについて書いている。隠れ家で暮らす他の人たちが口にしたジョークに言及したり、自分自身の生理や性行動について書いたりしているという。
アンネさん本人が明らかに秘密にしておきたかった内容を公表することについて、博物館はアンネさんの日記に対する学術的な関心の高さを判断理由に挙げた。「アンネの日記」は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」に登録されている。
博物館はさらに、内容を公表しても「アンネのイメージは変わらない」と指摘。「アンネはホロコーストの象徴として、長年をかけて世界的に知られるようになった。その分、アンネという女の子の姿は、見えにくくなっていた。隠されていた文章の封印を(文字通り)解いたことで、好奇心旺盛で、色々な意味で早熟だった10代の少女が、あらためて前面に戻ってきた」と博物館は説明している。
アンネさんは1942年7月5日、父親の会社社屋の「後ろの家」で生活し始めた。13歳の誕生日に日記帳をもらった約1カ月後のことだった。
家族や、親しいファン・ペルス一家との共同生活は、1944年8月にナチスに発見されるまで続いた。2年も続いた潜伏生活が発覚してしまった正確な理由は、いまだに分かっていない。
アンネさんは1945年、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。家族で唯一生き残った父オットーさんが1947年、娘の日記を出版した。
(英語記事 Anne Frank's 'dirty jokes' found in hidden diary pages)
URLリンク(www.bbc.com)


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