なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史 at LIVEPLUS
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1:きつねうどん ★
18/04/23 21:06:32.20 CAP_USER.net
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都道府県別「人口日本一」の移り変わり。かつて、広島や新潟、石川が「人口日本一」だった時代があった
 日本の人口は2017年10月1日時点で1億2670万人ほど。都道府県の人口1位はもちろん東京都で、1372.4万人。最下位となる47位は鳥取県で、56.5万人。その差は約24倍にもなります。
 現在ではあまりにも当たり前の東京の人口1位。しかし、かつては東京が人口1位ではなかった時代が続いたことは、あまり知られていません。
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現在は東京が1372万人、ぶっちぎり
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逆に人口ワーストは山陰と四国、北陸の県。
 元来日本はここまで東京一極集中ではなく、その地方に応じた産業が活発で、今より地方が元気な時代がありました。
 人口の統計がはじまった1872年から見てみると、実は東京ではなく、意外な都道府県がトップに立っていることが分かります。そんな思わぬ再発見の多い「歴代人口ランキング」(※)を見ていきましょう。
※:採用する人口データは、1872〜83年までは本籍人口。1884〜1907年までは乙種現住人口。それ以降は統計局の国勢調査・人口調査らを参考にしています。国勢調査以前の統計は若干精度に欠けるとされますが、ご了承ください。
統計開始後、最初の1位は広島県!(1872年)
 廃藩置県が行われた後、本格的な人口統計がはじまった1872年。当時の本籍人口はおよそ3311万人でした。人口1位は、江戸時代から行政首都であった東京……かと思いきや、実は広島(廣島)県で、91万9047人でした。2位は山口県で、82万7536人。当時の東京府は77万9361人と3位だったのです。
 なぜ広島なのか。それは江戸時代から瀬戸内海航路沿いの拠点として知られ、近畿地方で消費される綿や日用品、食品などの一大生産基地となり栄えていたからです。街単位でも江戸・大坂・京都・名古屋・金沢に次ぐ大都市として君臨していました。
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146年前の人口は、現在の4分の1強だった。写真は1872年に開業した横浜駅の様子 (Wikimediaより)
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広島は1894年に臨時帝国議会が開催され、臨時首都の様相を呈したことも (広島市HPより)
江戸期から家康の力で繁栄した、愛知県が日本一(1873年)
 その翌年1873年。早くも1位は愛知県に入れ替わり、人口は121万7444人。廃藩置県後、尾張(知多郡を除く)は名古屋県、三河と尾張の知多郡は額田県と分かれていたのですが、1872年4月に名古屋県は愛知県となり、同年11月に額田県を廃して愛知県の管轄に移し、統合したことで日本一の人口県が生まれたのです。
 なぜ愛知が栄えたか。それは江戸・大阪につぐ城下町として地元出身の徳川家康が「6万人の街を丸ごと移転させる」など、過剰ともいえるほどの情熱を持って城下町づくりを行い、木曽の山林(御用林)も特別に与えたから。これにより財政が安定し、現在まで続く繁栄の基盤になりました。
 ちなみにこのときの2位が白川県。現在の熊本県で、八代県を吸収したことで、95万389人という当時の巨大人口県になりました。3位は広島県で92万5962人。東京はさらに順位が後退し、5位でした。
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当時の名古屋城は、一時的に金鯱がなかった。その金鯱はウイーン万博に出展され、帰国後、日本全国で公開された
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1873年時点での人口ベスト10。地図は現在のものを使用。(ビジュアル版 日本 歴史地図,カルチャーランド著,メイツ出版より)


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