対立の傷癒えず 名護市長選、国策で家族も分断 at LIVEPLUS
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1:きつねうどん ★
18/02/14 18:13:16.17 CAP_USER.net
 沖縄県名護市は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設という国策を巡り反対派と容認派に二分されてきた。2月4日に投開票された今回の市長選も双方が激しく対立した。家族や友人関係も分断された選挙戦の傷は今も癒えない。
 「国策の名の下で、市民は20年以上にわたり分断され対立し、翻弄(ほんろう)された」。市長選で移設反対を訴えて敗れた稲嶺進氏は2月7日の退任式で指摘した。「なぜこんなに小さな名護市の市民が国策の判断を求められるのか。日常の生活にまで入り込んでくるのは、市民にとって本当につらいことだと思う。いつまで続くのかと思うと心が痛む」
 そして「子どもたちの未来のためにも新基地建設は許してはならないとの思いは全く変わらない」と言い残し、市庁舎を後にした。
 その姿を見送る大勢の人たちの中に大学4年具志堅秀明(ぐしけん・ひであき)さん(24)もいた。地元が引き裂かれる現状に「選挙のたびに家族でもめる。本当に悔しい」と口にする。
 稲嶺氏を応援した具志堅さんは親と見解が分かれた。「親は『基地問題は争点ではない。市長が何をしても解決しない』の一点張りで議論にならなかった」と振り返る。「一番大事にしたい」と思う家族とぎくしゃくしたまま。自宅に足が向かない。
 名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では移設への抗議活動が続く。4日の開票から一夜明けた5日、ゲート前に駆け付けた無職崎浜茂(さきはま・しげる)さん(69)は稲嶺氏の敗北に「悔しい」と落胆しながらも「反対運動を絶やすわけにはいかない」と力を込めた。
 1996年の日米両政府の普天間返還合意を受け、移設先に浮上した名護市の市長選は98年以降、移設の是非が争点となった。移設容認派が3勝した後、辺野古移設に反対する稲嶺氏が市長を2期8年務めた。今回の市長選は、市議として辺野古移設を推進する立場で活動してきた渡具知武豊(とぐち・たけとよ)氏が当選した。選挙戦では移設の是非は明言しなかった。
 辺野古の集落でスーパーを営む許田正儀(きょだ・まさよし)さん(68)は渡具知氏を支持した。もう工事は止まらないと考えるためだ。「市長選のたびに知り合いと仲が悪くなる。ようやく忘れたころに、また市長選でぶり返す。振り回されっぱなし。基地がある限り、ずっと続くと思う」と諦めの表情を見せた。
 稲嶺氏から渡具知氏支持に変えたというタクシー運転手の男性(65)は「基地はできるんでしょ。(稲嶺市政の)8年間で何も変わらなかった。『基地の話はもう飽きた』という人も多い」と話す。
 新市長となった渡具知氏は8日、初登庁し市長の椅子に座った。市民の分断については「ずっと尾を引いている。どういった努力をすれば分断がなくなるのか、かなり難しい」との認識を示し「全ての人に分かってもらうことはできないにしろ、私の考えを丁寧に説明していくことが必要だと思う」と慎重に言葉を選んだ。(共同通信=那覇支局・星野桂一郎)
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