鬼和尚の仏教勉強会  ..
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313:名無しを整える。
18/03/26 23:00:41.79 T+PFFqHL.net
>>312
>見たものを主体として認識する記憶が次々に生じているだけなのじゃ。
それ自体が自分を認識する仕組みを働かせているのじゃ。
その過程を詳細に見れば自我を見るチャンスにもなるのじゃ。
マハラジが「あなた」と言ってるのは、真我あるいは「気づき」のことであり、だからあなたは書かれている絵を見てるだけということになるのでありましょうか?
絵を描くという行為をなしている者は誰かと問うことは、無意味であり、その描かれていることに気付いている者こそが真我であり、あなただと言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

314:名無しを整える。
18/03/27 10:15:06.60 qDbM9cwy.net
>>310
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】
(つづき)
 質問者 私が樹や、顔や、夕日を見るとき、その絵は完全です。
 私が目を閉じるとイメージはぼんやりして、かすんだ状
 態です。もし私のマインドが絵を投影するならば、なぜ
 愛らしい花を見るために目を開いていなければならず、
 目を閉じたときははっきり見えないのでしょう?
 マハラジ
 なぜならあなたの外側のほうが内なる目より優れているからだ。
 あなたの目はいつも外側へと向いている。
 あなたが霊的世界を見ることを学ぶにつれて、それが身体の目で
 見るよりもより色鮮やかで、完全なことを知るだろう。
 もちろん、いくらかの訓練が必要だ。
 だが、なぜ議論するのだろう?
 あなたが、絵はそれを描いた画家から生まれたと想像するからだ。
 あなたはいつも理由や原因を探している。
 因果関係はマインドのなかにだけ存在する。
 記憶が継続性という幻想を与え、繰り返しが因果関係の概念をつ
 くり出すのだ。
 ものごとが繰り返し一緒に起こるとき、私たちはそこに因果関係
 を見出そうとする傾向がある。
 それは精神的習慣をつくり出す。
 しかし、その習慣は必要なものではないのだ。
 質問者 あなたは世界が神によってつくられたと言ったばかりで
 す。
 マハラジ
 言語はマインドによって、マインドのためにつくられたひとつの
 手段だということを覚えておきなさい。
 ひとたび、あなたが原因を認めるならば、神が究極の原因であり、
 世界はその結果となる。
 それらは異なるものだが、分離してはいない。
 質問者 人びとは神を見ることについて語っています。
 マハラジ
 あなたは世界を見るとき、神を見ている。
 世界を離れて、神を見るということはない。
 世界を超えて神を見るということは、神となることだ。
 あなたは光によって世界を見る。
 その光が神であり、それが「私は在る」という小さな閃光だ。
 一見とても小さく見えるが、それは知ることと愛することという
 行為のはじまりと、終わりなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

315:名無しを整える。
18/03/27 11:49:51.13 qDbM9cwy.net
>>314
>あなたが霊的世界を見ることを学ぶにつれて、それが身体の目で
 見るよりもより色鮮やかで、完全なことを知るだろう。
 もちろん、いくらかの訓練が必要だ。
←霊的な世界を見ることを学ぶとはどういうことでありましょうか?
後半は不幸ニ一元のわかりやすい説明でありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

316:名無しを整える。
18/03/27 13:13:42.61 qDbM9cwy.net
>>315
訂正
不幸ニ一元 → 不ニ一元

317:鬼和尚
18/03/27 23:14:16.27 8Dm6IMPt.net
>>313 そのようなものじゃ。
 幻想なのじゃ。
 気づいている者はないのじゃ。
 そこに主体も真我もないのじゃ。
 主体無くして全ては起こるのじゃ。
>>315 感覚を制して外の刺激をみないようにするのじゃ。
 そして自分の本心だけを観ることなのじゃ。
 それが全てなのじゃ。

318:名無しを整える。
18/03/27 23:58:09.30 qDbM9cwy.net
>>317
鬼和尚、ありがとうであります。
真我が主体といった場合、主体はないと同義だと思うのでありますが、そのような言い方は間違いでありましょうか?
> 感覚を制して外の刺激をみないようにするのじゃ。
←制感の法でありますね。
ところで、「霊的な世界」と言うのがピント来ないのでありますが、どのように理解すれば良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

319:名無しを整える。
18/03/28 06:49:06.47 K+m1lQCS.net
>>314
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】(つづき)
 質問者 神を見るために世界を見なければならないのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外どうするというのだろうか?
 世界がなければ神もない。
 質問者 何が残るのでしょう?
 マハラジ
 あなたが純粋な存在として残る。
 質問者 そして世界と神が何になるのですか?
 マハラジ
 純粋な存在(アヴィヤクタ)になる。
 質問者 それは偉大な広がり(パラマカーシュ)と同じなのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そう呼んでもいい。
 言葉は問題ではない。
 言葉では表現不可能だからだ。
 完全な否定によってのみ表現できるのだ。
 質問者 どうすれば世界を神としてみることができるのでしょう
 か? それはどういう意味なのでしょうか?
 マハラジ
 それは暗室に入っていくようなものだ。
 あなたには何も見えない。
 あなたは触れるかも知れないが、色彩も輪郭も、何も見えない。
 そこで窓が開き、部屋は光で溢れ、満たされ、色彩と形態が現れ
 だす。
 光を与えたのは窓だ。
 だが窓が光の源なのではない。
 太陽が源なのだ。
 同じように、物質は暗室のようなものだ。
 意識が窓だ。
 感覚と知覚によって物質はあふれだす。
 そして物質と光の両方の源である至高なるものが太陽なのだ。
 窓は開いているかも、閉じているかもしれない。
 太陽はいつも輝いている。
 太陽は部屋に完全な変化をもたらしたが、太陽は変化しない。
 しかし、これらすべても小さな「私は在る」にとっては大きな意
 味を持たない。
 「私は在る」なしには何も存在できないからだ。
 すべての知識は「私は在る」に関わる。
 この「私は在る」についての誤った考えが束縛へと導き、正しい
 考えは自由と幸福をもたらすのだ。
 質問者 「私は在る」と「そこに在る」は同じでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」は内側を、「そこに在る」は外側を意味する。
 ともに存在(ビーング)の感覚に基づいている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

320:名無しを整える。
18/03/28 06:59:10.96 K+m1lQCS.net
>>319
>物質は暗室のようなものだ。
 意識が窓だ。
 感覚と知覚によって物質はあふれだす。
 そして物質と光の両方の源である至高なるものが太陽なのだ。
 窓は開いているかも、閉じているかもしれない。
 太陽はいつも輝いている。
 太陽は部屋に完全な変化をもたらしたが、太陽は変化しない。
 しかし、これらすべても小さな「私は在る」にとっては大きな意
 味を持たない。
 「私は在る」なしには何も存在できないからだ。
 すべての知識は「私は在る」に関わる。
 この「私は在る」についての誤った考えが束縛へと導き、正しい
 考えは自由と幸福をもたらすのだ。
(´・(∀)・`)つ
わぁァァァかりやすいたとえばなしであります!

321:鬼和尚
18/03/28 23:48:15.09 UTPqa4s1.net
>>318 それはマハラジの教えでは私は在るということを追求する世界なのじゃ。
 今まで世間で金勘定などをしていた者には全く別の世界になるのじゃ。
 世間の法則とは別の法がある心の世界なのじゃ。

322:鬼和尚
18/03/28 23:51:03.85 UTPqa4s1.net
真我という言葉を使えばそこにまた観念が従って起こるものじゃ。
修行中に幻想を見てそれが真我だとおもってやめてしまうものもいるじゃろう。
本当はアートマンは真我と訳すべきでもないのじゃ。
真の我など存在せず、アートマンはそれを追求する法でもないからのう。

323:名無しを整える。
18/03/28 23:55:35.77 K+m1lQCS.net
>>321
鬼和尚、ありがとうであります。
霊とか魂とかの世界の話しとは無関係に、単なる非日常的な、心の世界と理解しておけばよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

324:名無しを整える。
18/03/29 00:22:10.11 6mXXLGid.net
>>322
鬼和尚ありがとうであります。アートマンが主体と言う言い方は間違いだとわかりました。
二元性を越えたアートマンの適切な訳語はないもんでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

325:名無しを整える。
18/03/29 05:54:43.83 6mXXLGid.net
>>319
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】(つづき)
 
( マハラジ
 「私は在る」は内側を、「そこに在る」は外側を意味する。
 ともに存在(ビーング)の感覚に基づいている。)
 質問者 それは実存(イグジスタンス)の体験と同じなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 実存することとは、あるもの、ある感情、ある思い、ある概念と
 いった何かとして在ることを意味している。
 すべての実存は、ある特定のものだ。
 すべての存在はほかのあらゆる存在を互いに受け入れるという意
 味で、存在だけが普遍的なものと言える。
 実存は対立するが、存在に対立はありえない。
 実存とは何かになること、生まれ、死に、また生まれるという変
 化を意味する。
 一方、存在には平和と静寂があるのだ。
 質問者 もし私が世界をつくり出したなら、どうしてこのような
 間違ったものになってしまったのでしょうか?
 マハラジ
 誰もが皆、その人自身の世界に生きている。
 すべての世界が同じように良いわけでも悪いわけでもない。
 質問者 何が違いを決定するのでしょうか?
 マハラジ
 世界を投影するマインドが、それ自身のやり方で色づけするのだ。
 あなたがある人に出会うとき、彼は見知らぬ人だ。
 彼と結婚すれば、彼はあなた自身のものとなる。
 喧嘩をすれば、彼はあなたの敵になる。
 彼があなたにとって何であるかを決定するのは、あなたのマイン
 ドの姿勢によるのだ。
 質問者 私の世界が主観的なものだということは理解できます。
 それはつまり幻想でもあるということなのでしょうか?
 マハラジ
 主観的であるかぎり、それは幻想だ。実在は客観性の内にある。
 質問者 客観性とはどういう意味でしょうか? あなたは世界が
 主観的なものだと言いました。今、あなたは客観性につ
 いて語っています。すべては主観的ではないのでしょう
 か?
 マハラジ
 すべては主観的だ。しかし、実在は客観的だ。
 質問者 どういう意味でしょうか?
 マハラジ
 それは記憶や期待、欲望や恐れ、好き嫌いといった選択に依存し
 ない。
 すべてはあるがままとして見られるのだ。
 質問者 それはあなたが第四の状態(トゥリーヤ)と呼ぶものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたの好きなように呼ぶがいい。
 それは確固とし、一定で、変化せず、はじまりも終わりもない。
 つねに新しく、つねに新鮮だ。
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 欲望もおそれもない状態があなたをそこへ連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

326:さとりクン
18/03/29 15:58:48.47 29PESKBw.net
おれ悟ったんだけどwww、何か相談ある?
あと、ブログよろしく!
URLリンク(blog.livedoor.jp)

327:名無しを整える。
18/03/29 16:41:39.52 WrS6ekJW.net
隔離スレ?ここ

328:鬼和尚
18/03/29 23:14:34.66 C0LX4vkj.net
>>323 そうじゃ。
>>324 訳さなくても良いのじゃ。
 無理に訳すならば無現法なのじゃ。
 無によってのみ現される方法なのじゃ。
 

329:名無しを整える。
18/03/29 23:44:46.83 6mXXLGid.net
>>328
鬼和尚、ありがとうであります。
無現法でありますか。意味を表す訳語としてぴったりでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

330:名無しを整える。
18/03/30 07:26:45.34 i2L/hZlQ.net
>>325
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】
 質問者 あなたは、実在はひとつだと言います。単一性、統一性は個人の属
 性です。それでは、実在とは宇宙をその身体とした個人なのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたが何を言おうと、それは真実でもあり偽りでもある。
 マインドを超えたところに言葉が届くことはできないのだ。
 質問者 私はただ理解しようとしているだけです。あなたは個人、観照者、
 そして至高なるもの(ヴィアクティ、ヴィアクタ、アヴィアクタ)
 に関して語りました。純粋な覚醒(プラジニャー)の光は、観照者
(ジーヴァートマ)のなかの「私は在る」、マインド(アンタカラ
 ナ)を照らす意識(チェタナ)、身体(デーハ)に生気を与える生
 命(プラーナ)に焦点を合わせています。これらすべては言葉で表
 現するかぎりはいいでしょう。しかし、私のなかで観照者から個人
 を区別し、至高なるものから観照者を区別しようとすると、混乱し
 てしまうのです。
 マハラジ
 個人はけっして主体ではありえない。
 あなたは個人を見ることはできるが、あなたは個人ではない。
 あなたはつねに至高なるものであり、その至高なるものが、ある与えられた
 時間と空間において観照者として現れたのだ。
 その観照者が至高なるものの純粋な覚醒と、個人の多様な意識の間に橋を渡
 すのだ。
 質問者 私が自分を見るとき、この身体をどう使うかについて、私のなかで
 何人かの異なった個人が互いに争いあっているのを見いだします。
 マハラジ
 それらはマインドの多様な性癖(サンスカーラ)に相当するのだ。
 質問者 私は彼らの間に平和をもたらすことができるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 彼らはまったく反駁(はんばく)しあっているのだ。
 彼らをただの思考と感情の習慣、記憶と衝動として、あるがままに見なさい。
 質問者 それでも、彼らは皆「私は在る」と言うのです。
 マハラジ
 なぜなら、あなたは彼らと自分自身を自己同一視するからだ。
 ひとたび、何であれあなたの前に現れたものは自分自身ではありえず、「私
 は在る」と言うことはできないと認識すれば、あなたはすべての「個人」た
 ちと彼らの要求から自由になる。
 「私は在る」という感覚はあなた自身のものだ。
 それを手放すことはできない。
 しかし、あなたはそれを「私は若い、私は裕福だ」というように何にでも分
 け与えることができる。
 ただ、そのような自己同一化は明らかに偽りであり、束縛となる原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

331:鬼和尚
18/03/30 22:16:59.27 9cR9sWdy.net
観念は常に分かれているものじゃ。
欲や恐れから矛盾した働きを繰り広げるのみなのじゃ。
観念が無ければ全ては統一され安らぎが在るのじゃ。

332:名無しを整える。
18/03/31 07:41:40.46 bW8049nq.net
>>330
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)
 質問者 今、私には私が個人ではなく、個人のなかに反映されたとき、それ
 に存在の感覚を与えるものだと理解できました。では、至高なるも
 のについてはどうでしょう? どのようにして私自身を至高なるも
 のとして知るのでしょうか?
 マハラジ
 意識の源は、意識のなかの対象物ではありえない。
 源を知るということは、源として在るということだ。
 あなたが個人ではなく純粋で静かなる観照者であり、恐れのない気づきが真
 の存在だと悟ったとき、あなたは実在となる。
 それが源であり、無尽蔵の可能性だ。
 質問者 源はたくさんあるのでしょうか、それとも、ひとつがすべてのため
 にあるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがそれをどの側から、どう見るかによる。
 世界のなかの対象物はたくさんあるが、それを見る目はひとつだ。
 高次のものは低次のものにとってつねにひとつとして現れ、高次のものにと
 って低次のものは多数として現れる。
 質問者 形や名前はみな同じひとつの神のものなのでしょうか?
 マハラジ
 これもまた、あなたがどう見るかにかかってくる。
 言語上のレベルでは、すべてが相対的だ。
 絶対性は体験されるものであって、討論すべきことではない。
 質問者 どのようにして絶対性は体験されるのでしょうか?
 マハラジ
 それは対象物として認識したり、記憶のなかに蓄えられたりするものではな
 い。
 それは現在のなかに、むしろ感覚的なものとしてある。
 それは「何であるか」というより、「どう在るか」に近い。
 それは質のなか、価値のなかにあり、すべての源としてすべてのなかに存在
 しているのだ。
 質問者 もしそれが源なら、なぜ、そしてどのようにしてそれ自身を現すの
 でしょうか?
 マハラジ
 それは意識に誕生を与えるのだ。
 それ以外のすべては意識のなかにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

333:鬼和尚
18/04/01 00:06:27.96 D2ut5DoZ.net
全ては意識なのじゃ。
そこにはもはや観る者と観られるものはないのじゃ。
自他の区別も無くただあるがままにあるのみなのじゃ。
知識としてではなく感じることでのみ了承されるのじゃ。


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