【歴史】素顔の特攻隊(3)絶望 迫る死、苦悩し続けた at EDITORIALPLUS
[2ch|▼Menu]
1:岸海式スアリ ★
18/08/17 00:23:11.03 CAP_USER9.net
 1945(昭和20)年3月23日。姫路海軍航空隊で編成した特攻隊「白鷺隊」は鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)を飛び立ち、宇佐飛行場(大分県宇佐市)へ向かった。
そこから鹿児島県鹿屋市の串良基地へ。米軍の艦船が押し寄せる沖縄の海へ出撃していく。
 白鷺隊の最初の特攻は4月6日。3人乗りの艦上攻撃機14機が出撃し、13機の39人が散った。
隊員の一人、桑原敬一さん(92)=横浜市=にとってそれは、自分の順番が近づいていることを意味していた。
 串良の町で海軍飛行予科練習生(予科練)の同期4、5人と酒を飲んでいた時のこと。ある同期生に基地へ戻るように呼ぶ声が拡声器から聞こえた。
店を出てトラックの荷台に乗った同期生は青ざめた顔で「俺、まだ死にたくないよ。桑原、代わってくれよ」とつぶやいた。
冗談だと分かっても、返す言葉が見つからなかった。
 翌朝、彼は寂しげな笑みを浮かべて飛び立ち、二度と帰らなかった。
 いつ自分が指名されるのか。迫り来る死を前に夜も眠れず、苦悩は続いた。
絶望感の中で、岩手県の母と姉、妹や弟のことばかり考えた。神も仏もない、としか思えなかった。
 串良基地の宿舎では向かいの部屋に一般の攻撃隊員たちもいる。
攻撃があった日には、生き残った者たちが酒を飲んで暴れ、戦友たちの死を悔しがった。
それを見ながら、桑原さんは同期生と言葉を交わした。
 「いいなあ、少しでも帰る見込みがあるんだから。俺たちは帰って来ちゃいけない立場だ。なあ、悲しいなあ」
 ついに桑原さんにも出撃の日が訪れる。
5月4日早朝。九七式艦上攻撃機に800キロ爆弾を積み、串良基地を飛び立った。
 「自分が特攻に行くことによって、国のため、家族のためになる。必死に自分を納得させようとしていた」
桑原敬一さんの予科練同期の戦没者名簿。チェックをした跡が残る=横浜市
URLリンク(i.kobe-np.co.jp)
白鷺隊の特攻で使われた姫路海軍航空隊の九七式艦上攻撃機=鶉野飛行場(上谷昭夫さん提供)
URLリンク(i.kobe-np.co.jp)
続きはリンク先で
URLリンク(www.kobe-np.co.jp)
2018/8/16 05:30

2:名無しさん@お腹いっぱい。 [CN]
18/08/17 02:51:19.74 RKJC8rInO.net
3人乗りに律儀に3人乗せたの?

3:名無しさん@お腹いっぱい。 [US]
18/08/17 03:01:34.82 DV+Zn+7i0.net
> 13機の39人が散った
乗せたんだな
機長以外は爆弾や魚雷の操作だろうか


最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2083日前に更新/2468 Bytes
担当:undef