【兵庫】いつから高級住宅地? 「西の芦屋、東の田園調布」 at EDITORIALPLUS
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1:まいどアリ ★
18/06/24 19:39:50.37 CAP_USER9.net
日本一の高級住宅地といっても過言ではない兵庫県芦屋市。
「西の芦屋、東の田園調布」と並び称されるほど、その名は全国区だ。
ところで、いつから芦屋が高級住宅地として知られるようになったのか。
その鍵を握る記述を、1921(大正10)年の「武庫郡誌」の中に見つけた。
「古来農を以て業とし、人情素朴にして、概ね手織木綿を着け、麦飯野菜を常食とせしに(中略)
 土着者都人士の風を真似漸く華美を好むの気風を生じ(中略)麦飯は遂に米飯と化するに至り(中略)全然純農時代の趣を失ひ」
現代語に訳せば、
「昔から農家が多くて素朴で、木綿を身に着けて麦飯や野菜を食べていたのに、
 都人のまねをして華美を好む気風が生まれ、麦飯も米飯に変わってしまった。農村時代の趣は失われた」とでもなろうか。
華美を好み、労働を嫌がり、義理を軽んじるようになった、との記述もみられる。
当時の精道村(現芦屋市)の人々の気風を書いたものだが、どんどん暮らしが豊かになっていくことへのやっかみもあったのか。
武庫郡教育会という公の機関がまとめた書物が、これほどまでにこき下ろすのも珍しい。
明治時代までは農村だった。
それが、大阪や神戸の郊外に住宅地が求められるようになり、土地の整理が進んで田畑が売れ、人々の暮らしぶりもぐんと豊かになった。
「武庫郡誌の記述から、大正時代には高級住宅地として既に認知されていたことが分かる」。
芦屋市教育委員会生涯学習課の竹村忠洋さん(46)はそう指摘する。
その武庫郡誌の発行から間もなく100年。
洗練されて豊かな「芦屋ブランド」は、人々の絶え間ない努力によって受け継がれ、その名を全国にとどろかせている。
写真:芦屋市六麓荘町から阪神間の緑豊かな住宅街を望む
URLリンク(www.kobe-np.co.jp)
以下ソース:神戸新聞 2018/6/24 09:45
URLリンク(www.kobe-np.co.jp)


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