【松下電器】「絶対不可能」と言われた「パナソニック100周年」新聞広告の舞台裏 松下幸之助が今ここにいれば何をしたか at EDITORIALPLUS
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18/06/20 12:09:55.12 CAP_USER9.net
パナソニックミュージアム「ものづくりイズム館」に並ぶキャラクター、ナショナル坊や。1950年代から長年活躍した
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図=AERA 2018年6月18日号より
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 パナソニックは3月9日、全国紙や地方紙、業界紙を含めた全60紙の朝刊に、47都道府県すべて違う異色の新聞広告を一挙に掲載した。その舞台裏と反響を追った。
 地域と密着しながら歩んできた歴史を、「感謝」を伝える物語として展開する。ほぼ1年前に企画がスタートした時点で、スタッフ全員の頭の中にあったのは「もし、松下幸之助が今ここにいれば、節目の年に何をしたか」との問題意識だ。これを突き詰めた結果が、こうした広告展開となって実を結んだ。
 幸之助が100周年を迎えたなら、日本全国にいる顧客一人ひとりに感謝の手紙を送ろうとしたに違いない。それならせめて世帯ごとに届けられる新聞広告で思いを伝えたい。この発想を起点として練られた案が、47の都道府県ごとに組み立てられたオリジナルな広告だったのだ。
■「志は買うけど不可能」
 基本方針こそ早い段階でまとまったものの、その実現可能性には最後まで「?」がついて回った。本当に都道府県ごとに異なるバージョンの新聞広告を制作できるのか。企業宣伝室から出されたアイデアに対する社内の反応は「志は買うけれども実際には絶対不可能。やれるもんならやってみろとまで言われました」と、企業宣伝室の山崎晋吾さんは振り返る。
 パナソニックぐらいの規模の企業ともなれば、それまでの社史編纂で集められた膨大な資料が残されている。幸之助が残したことばを元に、グループ会社のPHP研究所が何冊もの書籍を発刊してもいる。全国各地の支社や営業所、工場には、その地を訪れた際に幸之助が発したことばやエピソードなどが数多く記録されているだろう。
 それでも、広告制作のプロであれば「こんな企画を1年足らずで47もそろえるのは絶対に無理です」と断念したに違いない。
 なぜなら仮に格好のエピソードが見つかったとしても、それを表現するのにふさわしい過去のビジュアルを探し出すのは至難の業となるからだ。
 10人ほどのプロジェクトメンバーが全国各地の支店を訪ねるなど資料探しに奔走した。そして最終的には47のエピソードと、47の写真をきっちりそろえた。
 もちろん、すべての写真が文章にフィットしているかといえば、そう言い切れない部分もある。けれども最善を尽くして制作された異色の広告は、掲載後に想定外の反響を生んだ。
 企業宣伝室がもっとも気を配ったのが、写真に写り込んでいる人物。徹底的な調査を尽くし、特定できる相手に対しては可能な限り事前に承認を得た。
 例えば東京都編に使われた写真は、浅草寺の雷門である。パナソニックと、いったいどのような関係があるのか。
 見出しの〈昭和35年、浅草の象徴との浅からぬ縁。〉と写真に引き込まれて本文を読んでみると……。雷門が慶応元(1865)年の火事で焼け落ちたこと、それ以来、約100年間も本格的な再建がされなかったこと、大僧正の求めに応じて松下幸之助が現在の雷門を寄進したことなどが記されている。
 エピソードと写真がそろい、浅草寺に事前に連絡して許可も取った。けれども、写真に写っている当時の住職がいまどうしているのか、最後まで誰にもわからなかった。
 だが広告が掲載された後、パナソニック企業宣伝室室長の相川貴之さんに電話が入った。かけてきたのは件の住職の息子さんである。朝刊を開き、父親が大写しになっているのを見て驚いた。平成元(1989)年に亡くなった父親と新聞で思いもよらぬ再会をでき、いたく感動した。そんな気持ちが伝えられた。
>>2以降に続く
2018.6.18 11:30AERA
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