【産経/コラム】正論:筑波大大学院教授・古田博司 論語ブームとギョーザ事件〜儒教倫理とは無縁の人々[03/10]
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1:力士 ◆RiKiCQzWKY @力士庶Oφ ★
08/03/10 04:24:54
【正論】筑波大大学院教授・古田博司 論語ブームとギョーザ事件
■「毒食」にも反省しない非道徳中国
≪3度目の日本式読みかえ≫
今日、社会道徳のゆるみを引きしめるべく社会的地位と評価のある方々が、多く中国の『論語』を取り上げ、
その著書はベストセラーになるとともに、大いに世の木鐸(ぼくたく)となっている。だが一方、現代の中国に
目を転じれば、アメリカに鉛入りのおもちゃを売り、パナマに毒入り歯磨き粉を送り、今度は毒入り餃子で
日本人を震撼(しんかん)させた、「日に3度反省しない」非道徳的な中国像があり、前者との間のギャップは
容易には埋まらないのではないだろうか。
物事には変わる部分と変わらない部分があるので、まず変わる方からいえば、『論語』というのは、紀元前の
孔子とその教団の教えであり、21世紀の日本に直接もってくるには絶対的な無理がある。
古代エジプトのミイラをよみがえらせる呪文(じゅもん)のようなものが、日本独自の読みかえであり、この
読みかえ技術を江戸時代の私塾や藩校で1度やり、2度目は明治の19世紀末から国民国家形成のための
道徳の基礎固めに用いた。
つまり今回は3度目だと思った方がよいだろう。これらに共通する点は、「礼」の脱落であり、その技術を「士道」
とか「武士道」というのである。
変わらない部分は、紀元前から今に至るまで、中国人の存在証明は現実の血族のなかだけにあったという事実
である。血族内では仁愛にあふれ、孝行の気持ちは日本人の想像を絶するほど強い。祖先供養と親への孝養は、
養うという点で死と生の境を超えている。血族内では世代ごとにしっかりと序列化され、礼(マナー)が守られる。
≪中国的には立派な人だが≫
紀元前の人、孔子の偉かったところは、この家族内の道徳を外の社会にまで及ぼそうとしたことなのであり、
古代の中国人は身内が死ぬと悲しみで哭(な)きながら踊ったのだが、孔子は愛弟子(まなでし)が死んでも
哭いて踊ってしまう人であった。しかし日本では、身内が死ねば人前では涙をこらえるのが礼儀であるから、
中国の「礼」は脱落することになる。
孔子はこのように中国的に立派な人であったが、その生涯は不遇であり、自己の血族を重視する各国の権力者
にはとうてい受け入れられず、流浪の果てに故郷に帰り、晩年は弟子の教育と古典の整理に没頭した。
つまり孔子は中国の歴史的個性に敗れた人なのであり、そのために孔子を批判する伝統的中国人はいつの
時代にもいた。
いわく、それほどの賢者がなぜ執政できなかったのか、それほどの聖人がなぜ王者になれなかったのか。
近世に入ると、孫文は「中国には宗族(男子単系血族)あって、国族(国民意識)なし」と批判し、毛沢東はこれを
乗り越えようとしたが、結局は血族同士を戦わせることになり、全土を流血の「文化大革命」へと導いてしまった。
朝鮮も中世以来、同じく宗族社会である。北朝鮮の金日成は、まったくこの伝統に屈して世襲をえらび、その
息子は1982年に国家理念である「主体思想」の主体を人民から父親に入れ替えてしまった。
≪儒教倫理とは無縁の人々≫
中華文明圏の歴史は、男子によって血脈を伝えねばならない宗族の歴史なのであり、はっきり言えば、
宗族エゴイズムの歴史である。自己の宗族以外の者には基本的に何をしてもよいのであり、ひどいことを
しても反省などはしないのが原則であろう。日本に協調し近代化の道を歩もうとした汪兆銘の墓は、
売国奴という名の下に戦後爆破され、日韓協約に同意した韓国の5人の大臣の墓も暴かれ平地にされた。
そしてこの歴史的個性の延長上に、今日の中国の反省しない「毒食」流布もある。(つづく)
(MSN産経 2008.3.10 02:31)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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