【日韓】 高句麗は東アジアの‘地中海帝国’〜日本は古代高句麗領土だった★2[10/16] at NEWS4PLUS
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1:蚯蚓φ ★
07/10/13 08:37:24

言語学的に周辺国に大きな影響力… 宗教・農耕分野の単語が伝播の証拠

<京郷新聞>高句麗帝国と日本列島は東海を地中海として一つの言語圏を成したように見える。
(中略=ローマの文化が周辺に伝わる様子を言語学的に説明)

日本列島は古代高句麗領土

このようにローマ帝国の文化内容を表現する単語がたびたび世界の遠い辺方に借用された。韓国人の
起源を捜す踏査ツアーが終わる頃、私の目に古朝鮮(Ancient Korea)と高句麗の支配領域はローマ帝国
のそれと、より一層そっくりに見えた。私たちはすでに踏査の前に古代日本語が高句麗語とまったく
同じだ、という事実を確認したので、これはさらに真実であるように見えた。

このため、私たちはBC400年あたりかそれよりもっと早く、日本列島が古代高句麗領土だったと言って
も構わないだろう。もしそうだったら、ローマ帝国が地中海の北方と南方へ領土を拡張して行ったの
と同じく、またイ・ヒョング教授も提示しているように、私たちは大陸高句麗(continental Koguryo)
と列島高句麗(insular Koguryo)の間にある東海(日本海)を高句麗の東地中海(East Mediterranean
Sea)、そして大陸高句麗の西南方にある渤海のみを高句麗の西地中海(West Mediterranean Sea)、
あるいは古朝鮮の地中海(Mediterranean Sea)と呼ぶことができるだろう。

それで、今回の踏査の結果、私たちは古代ローマがヨーロッパの地中海帝国だったのと同じく、高句
麗が東アジアの地中海帝国だったと見るようになった。高句麗の影響力は当時、古代韓国人たちが周
辺の満州-ツングース族より、もっと発展していた多くの分野の中の一つの宗教と農耕分野にも存在し
ていた。この高句麗帝国から借用して来た一番明白な単語は、仏教の核心単語だ。すなわち‘仏puch-
(Bud dha)’と‘お寺(チョル)<チュルcr<tir(Buddhist temple)’だ。仏の列島高句麗語(すなわち
古代日本語)形態は韓国語接尾辞*-kiが-keに変わった‘ほとけhot-o-ke’だ。大陸では古代女真語
(Old Jurchen)形態が*puc-i-kiと記録されているし、これは後に満洲語でfuc-i-hiに変わった。
したがって韓国語接尾辞*-kiが-ki(訳注:keの間違いか)と-hiの形態で残るようになったのだ。

ハワイ大学のアレクサンダー・ボビン(Alexander Vovin)教授は次のように言っている。「仏教はAD
538〜552年の間に日本に伝わった。私たちはAD926年、渤海が滅亡する前に、すでに仏教が女真族領土
に存在していたことが分かっている。仏教が高句麗と渤海、両国で盛んだったから、一部の古代韓国
語の語源は、さらにもっともらしく見える。」ローマ帝国でキリスト教が広がって行ったのと同じく、
大陸と列島の高句麗領土に韓国人僧侶たちによって仏教がすべての高句麗帝国に広がって行ったのだ。

農業分野では3個の明らかな借用語がある。一番目は‘根ppur-i’だ。中期韓国語‘プルフィpur-hui’
は満洲語ful-eheに捜すことができるし、この満洲語は古代韓国語‘*pul-eke(root)’から来たの
だ。二番目は‘根菜mu-u’だ。中期韓国語‘大根muzu(radish)’は女真語‘niaju-z-)’よりはむしろ
古朝鮮語形態である*bur-を保存されているのだ。三番目は‘味噌麹micu(soybeanmalt)’だ。満洲語
形態は同じ意味を持ったmisu-nで、日本語形態は‘味噌mis-o(soybean paste)’だ。これは日本人
僧侶、吉田兼好(1317〜1331)が書いた随筆「徒然草」に最初に記録されている。

>>2-5 のあたりに続く

清水紀佳(シミズ・キヨシ)順天郷大招聘教授、極東大兼任教授・言語学

ソース:京郷新聞ニュースメイカー745号(韓国語)高句麗は東アジア‘地中海帝国’
URLリンク(newsmaker.khan.co.kr)

関連スレ:
【日韓】日韓研究者の共同研究「日本語は「列島韓語」に分類される」[07/08]
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