スペクトル楽派は at CONTEMPORARY
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37: ◆30rKs56MaE
06/02/08 09:56:36 Vlk/48uz
だってネタ振りと言ったら自分の身の回りのことくらいしかネタに出来ないでしょ。
他人の様式を指して批判することはなるべくしたくない。
田中カレンはネオクラシック、と断定しているがそのことについて切り捨てるような
否定は書いていないので、念のため。
まあたしかに、全体の様式が云々と言われても、響きの上で聴くと
どうしてもスペクトル楽派というレッテルで考えたくなってしまう作曲家というのは
日本人にも外国人にも少なからずいる。
夏田さんの芥川委嘱作「重力波」は、一聴衆として途中のホルンの倍音グリッサンドが
どうしてもグリゼーの音響空間のエピローグそっくりに聞こえたと言わざるを得ないし、
IRCAMスレにかつて書いた2004年度ガウデアムスのサンポ・ハーパメキの曲中で
一部の倍音グリッサンドのシャワーのような下降もその気が見られる。
(むしろ漠然と捉えるとリゲティのヴァイオリン協奏曲に近い響きとも捉えられるかもしれない)
どちらも管弦楽法に関してはものすごい筆力なのだろうが、結果として出てくる音が
似てしまっては、一聴衆として「ああそれはあの曲そっくりだろー」と思わざるを得ない。

これはどの時代にも言えることで、影響力の強い作曲家の周辺にはどうしても
その手の「にやりとさせられる(好意的)」または「つっこみをいれたくなる(反抗的)」箇所が出てくるもの。
例えばファリャのピアノ協奏曲「スペインの庭の夜」では第2楽章で突如全オケが
「ファソミ♭ーファソラソファーミ♭ーファー」という全音音階の和音になる部分があって、
どうしてもそこで「ドビュッシーのパクリじゃねーか」と突っ込みたくなる。
もっと凄いのはラロの「イス(イース)の王」序曲でラーファーーミーミ♭ーなんてメロディが
唐突に出てくるところは、ちょwwwおまwwwそれトリスタンwwww


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