パリの街角がおっぱい ..
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84:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
21/10/24 15:56:57.30 /CfHmPmnK.net
@kabutoyama_taro
ああこれは、フェミニストであるかどうか(あるいはフェミニズムの主張を理解できるかどうか)を測る、実に的確な「踏み絵」 twitter.com/minaduki__jin/…
これ↓
@minaduki__jin
「女性の太ももを性的欲望の対象とすべきものとして表現した写真」を公共の場に掲げてはいけない理由は、
「女性の太ももが公共の場に相応しくないから」などではなく、「その表現によって、女性が公共の場で安心して太ももを晒せなくなるから」だ。
乳房でも尻でもうなじでも同じだ。
7:08 - 2018年9月13日
URLリンク(twitter.com)
社虫太郎
@kabutoyama_taro
返信先: @kabutoyama_taro
つまりフェミニズムの主張は、このようにあられもない格好をしつつ「セクハラはやめろ」と主張するような、ある種のリジッドな"論理学"に立つ者には矛盾としか感じられない形式を有する、と。
これを何ら矛盾とは感じないことが「わかる」ということだし、またその逆も。 pic.twitter.com/MF4mYihgud
それを矛盾だと感じるような、ある種のリジッドな"論理学"に立っていると、こうなる。
(フェミニズムの主張は)「えっちなのはいけないとおもいます」だと思うような連中も全く同じ。 pic.twitter.com/1udwvMR0UG
再びわかる人にはわかるであろう言い方をすれば、それを矛盾と感じてしまうようなある種のリジッドな"論理学"に陥っている認知のありようを、「ジェンダー論的非定型発達」と呼んでもいいような気がする。
矛盾と感じてしまう者に矛盾でないと嫌でもわからせる・叩き込むためには、逆説的ではあるが、矛盾する(と彼らが感じる)メッセージとメタメッセージとを同時に呈示することが最も有効である。
その意味で上のスラットウォークは、運動または啓発の戦術・方法論として極めて優れていると思う。
対して言語中心のSNSでは、矛盾したメッセージを「同時に」示すことが難しい。
むろん個々の人の主張を継時的に見れば時と場合に応じて両側を自由に行き来しているのだが、偶々ぶつかるその瞬間はどうしても一方の側になってしまう。
こうした限界をどう克服していくかは結構な難問だと常々思う。
彼ら"ジェンダー論的非定型発達者"がしばしば「(ラディカル)フェミニストは性嫌悪の道徳主義者である」と決め付けたりリベフェミを「真のフェミニスト」と見なしたりするのは、
彼らが覚えるこうした矛盾による認知的不協和の心的負荷から逃れるための防衛機制に過ぎない。つまり単なる「否認」。
だとすれば重要かつ有効なのは、彼らと「議論」することなどではなく、矛盾する(と彼らが感じる)メッセージとメタメッセージとをできうる限り同時に発し、彼らを認知的不協和の阿鼻叫喚へと叩き落すことではないか。 twitter.com/kabutoyama_tar…
22:11 - 2018年9月14日
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