独り言 十八言目
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650:のほほん名無しさん 20/03/15 05:53:34.31 .net 読み返すといつも暴力が良いか悪いか悩んで 私の心は止まってしまう・・・。 特に小さな子にされたことなら、良いか悪いか決めるのは その子だという感じがしてしまう 配慮か何かが私にはありすぎる その子自体の言葉がないと、 その子がより辛いのは別のことかも知れないし・・と憂慮してしまう 多分、子供の私が見てしまったことも、心的外傷なのだろう 辛かった?という自分への問いかけも、まだわからずずっと考え込んじゃう。 いつか必ず辛かったと言えるようになる 私はそれを信じる いつか、誰になんと思われようと、主観で外傷記憶を認識できる時が来るはず 外傷記憶を捉えようとすると、大きな支配存在の力が圧倒的にやって来るのが恐ろしい 651:のほほん名無しさん 20/03/15 06:21:10 .net 慈愛ある者に神に栄光あれ! そして小さき何の意味もない私に何の使役もさせないでほしい 私はもう十分に、ただ一人の道を歩く者を手本にして、 ただ一人で歩いてきた。 良き想いのある者に栄光あれ! その者達と私は似通っていない。私は山にこもるべきこもりたい存在にすぎない。 ただ一本の木のことを知っていれば他に何もいらない。 長いこと人の世を脱出しようと子供時代あがいてきて、 やっと何の知も力もない素朴な民のようになることができた。 思えば、他の誰よりも、資格のない私が、子供期に渡ってずっと使役されてきたのが 今では不思議に思える。特に子を使役するときには、本分は何か、 本当の望み、したいこと、心にあるものは何か、と何度もたずねて 本人の自由意志に任せるべきだと思う。そうでないとただ思いのままに使役させられる、 慈愛ない私のような人間が出来上がる。良き想いのある者に任せなければ駄目だ。 子供期の柔らかいときに、そうすべきと叩き込んでは、単純なだけの子に 使役を任せることになる。単純なだけの私のような子は、草木や花や小石や雲と遊ぶのが本分で、 人のために尽くす輝く心があるわけではない。私は今も、木の芽と 遊びたいときに、自分が木の芽である時に、他者のために頑張って励んでないので 罪悪感を抱くことがある・・・罪悪感を抱かなければならない木の芽や草の芽なんて悲しいことだ・・・ 私は草の芽、その辺の小道でのびのび伸びるだけの草の芽。
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