ロスト・スペラー 11 at MITEMITE
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350:創る名無しに見る名無し
15/08/06 20:04:33.96 GVzlS3CP.net
バーティフューラーは酔った振りをして、ラビゾーに撓垂れ掛かったが、彼は簡単に演技を見抜いた。

 「そんな酔っ払う程、飲んでなかったでしょう」

それでもバーティフューラーは頼ったラビゾーの腕を放さなかったが、面白くなさそうに唇を尖らせる。

 「何で判るの?」

 「以前、本当に酔っ払ってた時がありましたよね?
  嗅いだ方も酔ってしまう位の、凄いアルコールの臭いをさせて」

バーティフューラーは仄り上気した顔を、見る見る真っ赤にした。

 「そ、そんな事あったかしら?」

 「あれに較べると、大分理性的なので、そんなに酔っ払ってないだろうと……」

バーティフューラーは大きな溜め息を吐いて、ラビゾーの腕を放す。

 「……分かったわよ、これで良いんでしょう?」

不機嫌な様子の彼女に、ラビゾーは苦笑いで応えた。

 「済みません」

 「謝るって事は、何が悪いか解ってるんだ?」

 「ええ……。
  僕は半端者です。
  今は未だ―」

又も萎縮けられては堪らないと、バーティフューラーは彼の言葉を遮る。

 「それ以上、言わなくて良いから」

2人共、気不味くなって、無言の帰り道。
三日月と冬の星が照らす中、バーティフューラーの顔は、注意しなければ判らない様な、
淡い微笑を湛えていた。

351:創る名無しに見る名無し
15/08/07 19:42:52.50 3qs0fuyv.net
「助けに来たよ、『お姫様<フュルスティン>』」

「どうして、ここに?」

「美女を助けるのは、美男の務めだからさ」

「巫山戯ないで」

「はぁ、『先輩が必死放(こ)いて、頼み込んだから』。これで良い? 早く俺の手に掴まりなよ、
 足止めしてる先輩が保(も)たない」

「待って、彼を置いて行くの?」

「俺は先輩を信頼してる。君は?」

「……解った。アタシの次は、彼を助けて。早く」

「言われなくても」

352:創る名無しに見る名無し
15/08/07 19:43:41.97 3qs0fuyv.net
「あ、向こうを御覧。カターナ海上警察のボートだ。安心して、先輩は助かるよ」

「良かった……」

「……あの時は聞けなかったんだけど、先輩とは……どんな関係?」

「友達以上、恋人未満。そんな感じ」

「浅(あっさ)り言い切ったね。驚いた。―なら、俺にも可能性はある訳だ」

「無いわ」

「即答!? 傷付くなぁ……。何で? 俺の方が頼りになるし、若いし、格好良いし、顔も良いし、
 背も高いよ?」

「だから何?」

「何って……。他に男に求める事があるのかい?」

「優しさ、誠実さ、安定感」

「……それは……なぁ、先輩には敵わないかも……? だけど、こう言う緊急事態で、
 先輩は当てにならないよ? 先輩、魔法が下手だからね」

「アナタが彼の何を知ってるの?」

「おっとっと、怒らせちゃったかな? でも、事実だ。俺と先輩は数年来の付き合いだから。
 先輩の事なら大体知ってるよ」

353:創る名無しに見る名無し
15/08/07 19:54:10.37 3qs0fuyv.net
「はい、御到着。……好い加減、機嫌を直してくれよ。先輩も無事に救助されて、帰って来るんだし。
 君を助けたのは俺なんだから、真面目な話、感謝して欲しい」

「アナタと彼と、立場が逆だったら、同じ事が出来た?」

「ああ、出来るよ。先輩だったら、俺を助けてくれる。だから、俺も君を助けに行ったん―……あ、
 いや、先輩の頼みじゃなくても、君なら助けに行ったよ?」

「……アナタ、本心からアタシが好きで、声を掛けて来たの? それとも、彼と一緒だったから、
 アタシに声を掛けたの?」

「えっ、何を言って……? 好きって言うか、君を『良い』と思って、声を掛けたんだけど?」

「へーェ、本当かしら? 何と無く、後者の様な気がするわ。数年来の付き合いって、
 どんな関係なの?」

「は? 先輩は先輩だ! 幾ら先輩の彼女候補でも、侮辱は許さない!」

「それはアナタへの侮辱? それとも彼への侮辱?」

「どっちもだ!! 他人には解らないだろうが、俺は先輩を尊敬している!」

「…………御免なさい。失礼な態度でした。救助して頂き、有り難う御座いました」

「な、何だい、急に……? 敬語にならなくても良いって……」

「彼が心配なので、迎えに行きます」

「あっ、待って! あぁ、あーあ……」

354:創る名無しに見る名無し
15/08/08 18:45:18.96 XqZTQaLd.net
何事も無く迎えた3日目。
ラビゾーとバーティフューラーは、カターナ湾に浮かぶ小島「ビシャル・カタン島」へ向かう、
遊覧船「スーリャ号」に乗っていた。
青天の下、甲板に出て潮風を受け、眩しそうに目を細めるバーティフューラー。
一方、ラビゾーは船酔いで蹲っていた。
バーティフューラーは風に翻るフレアード・スカートを押さえ、屈み込んでラビゾーに話し掛ける。

 「こんなに良い眺めなのに、勿体無いわね」

 「あぁ、全く……情け無い限りです……」

ラビゾーは重い頭を上げて、自嘲気味に零す。
日差しがスカートを透かして、バーティフューラーの脚線美を浮き上がらせていたが、
それを喜べる気分では無かった。

 「お得意の共通魔法で、何とかならないの?」

 「得意と言う訳では……。
  それに、馬車酔いを治す魔法は知っていますが、船酔いを治す魔法は知りません」

船酔いを治す魔法は、船に関わりの無い生活圏の者には、馴染みが薄い。
船上で海の波に揺られる経験は、ラビゾーには無かった。

 「馬車酔いと船酔いが別って、中々不便なのね」

 「乗り物酔い全般を治す魔法もあるんですよ。
  でも、手間が掛かる上に、僕には難しいので……」

そんな事を話している内に、船はビシャル・カタン島に着く。

355:創る名無しに見る名無し
15/08/08 19:19:40.25 XqZTQaLd.net
カターナ湾は第六魔法都市カターナと、周辺の都市の沿岸部を含む、浅く広い湾である。
コターナ島を始めとした、幾つかの近海小島群が内海を形成しており、その内側は基本的には、
人間の領域である。
偶に海獣の群れの侵入を許すが……。
ビシャル・カタン島は、近海小島群の内の一で、数十人の住民が居る。
遠海の小島群の住民とは異なり、特に文明から隔絶した生活をしている訳ではなく、
生活様式はカターナ地方の一般的な物と変わり無い。
船から降りたラビゾーは、バーティフューラーに言った。

 「遊覧船はカターナ湾を一周します。
  次の便は1角後。
  それまで島を散策しましょう」

 「この島には名所とかあるの?」

 「……えー、灯台を兼ねた展望台があります。
  近海を一望するのも良いかと」

ラビゾーの反応から、他に大した物は無いのだなと、バーティフューラーは察して、
期待の失せた顔になる。

 「取り敢えず、行ってみましょう」

2人は島内の展望台へと向かった。

356:創る名無しに見る名無し
15/08/08 19:20:42.30 XqZTQaLd.net
島内では徒歩以外に移動手段が無く、バーティフューラーは直ぐに歩き疲れる。
そんな彼女を見て、ラビゾーは1枚のスカーフを差し出した。

 「これを巻いて下さい。
  首でも、腕でも、どこでも良いので」

 「何これ?」

小首を傾げて問うバーティフューラーに、ラビゾーは答える。

 「不思議なスカーフです。
  身に着けていると、激しい運動をしても疲労しません」

共通魔法使いのラビゾーが、「不思議な」と形容した事に、バーティフューラーは疑念を抱いた。

 「『不思議な』って……共通魔法の気配は感じないけど……。
  偽物を掴まされたんじゃないの?」

 「いえ、本物です。
  旧い魔法使いの織り師に貰った物ですから」

 「そんな伝手があるんだ」

感心するバーティフューラーに、ラビゾーは改めて言う。

 「とにかく、これを持っていれば、疲れない筈ですよ」

 「くれるの?」

 「いえ、後で返して下さい。
  予備とか無いので」

バーティフューラーは少し残念がったが、スカーフの効果は本物だった。
彼女は疲労しないばかりか、足が痛む事も無かった。

357:創る名無しに見る名無し
15/08/08 19:21:59.02 XqZTQaLd.net
展望台に着いた2人は、広い海を眺める。
北東を見れば、弧を描いて水平線まで続く近海小島群。
北から南西に掛けて、カターナ湾と唯一大陸。
南と東の方面は、全て外洋で、他には何も見えない。

 「途方も無いわ……。
  人間って小さいのね……」

水平線を見詰めて、息を漏らすバーティフューラーに、ラビゾーは呼び掛ける。

 「あ、向こうを見て下さい!
  島鯨ですよ!」

ラビゾーが指した遠洋には、遥か上空3通まで潮を吹く黒い陸地があった。
魔法大戦以降、広がった母星の海は、巨大化した生物の縄張りになっている。
島鯨は名の通り、島の如き巨大さを持ち、体長は優に1通を超える。
人間と殆ど接触しない為に、生態は謎に包まれているが、優れた魔法資質を持つ個体もあると言う。

 「唯一大陸は星の全表面積の20分の1しかありません。
  それが陸地の殆どを占めているので、他は全部海と言っても良いでしょう。
  島鯨は何通もある体で、一地方と同じ位の縄張りを持って、群れで生活していると言います」

 「本当に、人間は小さな生き物なのね……」

バーティフューラーは溜め息を吐くばかりである。

358:創る名無しに見る名無し
15/08/09 18:39:45.56 8futO/Xp.net
展望台から再び港に戻る頃には、次の便の寄港時間が近付いていた。
ラビゾーとバーティフューラーは、港に近い喫茶店で時間を潰すと、遊覧船に乗り込み、
次の島へと向かう。
マタ・アイル島は湧水の滝、ティムル島は港自体が名所、アルナブ島はナツキウサギ、
ドグン・カラング島は珊瑚石の断崖。
一通り見て回ると、もう夕方になっている。
最後に寄る島はコターナ島。
近海小島群の中では、最大の島である。
島の半分はカターナ海洋調査会社の所有地であり、一部の海岸をリゾート・ビーチとして、
有料で開放している。
夕方は海で泳ぐ事は出来ないが、コターナの島民が観光客向けに、伝統の歌と踊りを披露する。
軽快な太鼓と、よく響く歌声に誘われて、ラビゾーとバーティフューラーが海岸へ行くと、
丁度ビーチ・バーで島民がダンスを披露している所であった。
若い男女の踊り子が、砂浜から観光客をダンスに誘っている。
誘われて踊りに行く者の中には、コバルトゥスの姿もあった。
ラビゾーとバーティフューラーは、踊る者達を横目に、ビーチに入ってバーの席に着く。

359:創る名無しに見る名無し
15/08/09 18:42:35.16 8futO/Xp.net
バーティフューラーはソーダ・カクテルを頼んで、暫く踊る者達を眺めていたが、
やがて思い立った様に、独り踊りの輪の中へ入って行く。

 「一寸、踊ってくるわね」

夕刻の赤の中、彼女のダンスに、誰もが目を奪われた。
巧みな足運び、艶かしい腰捌き、撓やかな腕の伸び。

 (そう言えば、『色欲の踊り子<ラスト・ダンサー>』だったな……。
  舞踊魔法使いか……)

踊るバーティフューラーを眺めて、ラビゾーは今更ながらに思った。
周囲の者を魅了しつつ、彼女はラビゾーを挑発する様に流し目を送る。
ラビゾーはバーティフューラーを美しいとは感じる物の、それ以上は深く考えない。
彼は頭を振って、強引に思考を止め、俯き加減になる。
魔法のスカーフを巻いているバーティフューラーは、疲れを見せずに、最後まで踊り切って、
ラビゾーの居るテーブルに戻って来た。

 「はぁ、久々に良い汗を掻いたわ」

爽やかな笑顔で、彼女は言う。
数点の間を置いて、次の音楽が始まる。

360:創る名無しに見る名無し
15/08/09 18:45:35.14 8futO/Xp.net
それから間も無く、コバルトゥスが2人の居るテーブルに来た。
彼は片手をテーブルに突いて、ラビゾーに背を向け、バーティフューラーに話し掛ける。

 「こんな所で会えるなんて、運命的だな。
  一緒に踊らない?」

コバルトゥスは遊覧船には乗っていなかったので、尾行していた訳ではないだろうが、
妙な縁がある物だと、ラビゾーは内心呆れた。
声を掛けられたバーティフューラーは、ラビゾーを見詰めて、止めて欲しそうにしていたが、
その気配を察して、コバルトゥスは牽制する様に彼を一瞥する。
「解っているだろうな?」と言う目。
ラビゾーはコバルトゥスとの約束を思い出して、一瞬焦り、目を見開いた。
コバルトゥスは彼を嘲る様な笑みを浮かべて、視線を切る。
ここで約束を破る勇気は、ラビゾーには無かった。

 (……好きにすれば良い)

内心で彼は全てを諦め、目を伏せて、悲し気に俯いた。
バーティフューラーはラビゾーに失望して、当て付けに聞こえよがしに溜め息を吐くと、
コバルトゥスの誘いに乗って、皆の前で踊りに行く。

 「良いわ、行きましょう」

彼女の手を引くコバルトゥスの笑みは、勝ち誇った物に変わっていた。

361:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:16:29.37 haMI4kaU.net
コバルトゥスとバーティフューラーのダンスは、華麗の一言。
美男と美女が手を取り合って、丸で舞台演劇の一場面の様に、幻想的な舞を披露する。
優美な2人のダンスを見ていると、ラビゾーは自分が惨めに感じられ、虚しさが込み上げて、
普段は飲まない強い酒を、ウェイターに頼んだ。
自棄酒の積もりだったが、幾ら呷っても気分は良くならず、胸に靄々が溜まるだけ。
コバルトゥスとバーティフューラーを、ギャラリーが口笛や手拍子で囃し立てるのが、
耳障りで堪らなかった。
投げ遣りに、彼自身もギャラリーに紛れて、下手な指笛で合いの手を入れていると、
幾らか気分が落ち着いて来る。
繰り返している内に、ラビゾーは酔いが回って段々楽しくなり、浮かれた気分で、
相槌を打ちながら音楽に聞き入っていた。

362:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:18:10.84 haMI4kaU.net
一方、コバルトゥスとバーティフューラーは、踊りながら2人だけの会話をする。

 「凄いね。
  これだけ踊って、未だ息が切れないなんて」

 「そう言うアナタも」

 「―所謂、外道魔法使いなのか?」

 「そう言うアナタも」

ダンスの最中、バーティフューラーがラビゾーを一瞬だけ顧みると、コバルトゥスは目敏く見咎めた。
彼はバーティフューラーを抱き留めて、耳元で囁く。

 「目を逸らさないで欲しいな。
  目の前に俺が居るのに、他の男に気を取られるのは、気分好くない」

バーティフューラーが小さく笑うと、コバルトゥスはダンスを続けて、彼女に問う。

 「何が良くて、先輩と付き合ってるの?」

 「そう言うアナタも」

同じ言葉ばかり返され、コバルトゥスは僅かに眉を顰めた。
バーティフューラーは又も小さく笑う。

 「屹度(きっと)、アナタと同じ理由」

コバルトゥスは目を丸くして、息を呑んだ後、やれやれと力無く笑った。

363:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:21:12.84 haMI4kaU.net
彼はバーティフューラーに言う。

 「先輩は良い人だと思う。
  良い人過ぎて、心配になる位だ」

 「そうね。
  優柔不断で、煮え切らなくて、少し頼り無い」

バーティフューラーが相槌を打つと、コバルトゥスは自然に反論していた。

 「でも、困った時は本気で助けてくれる。
  だから、俺は先輩を尊敬してる」

ラビゾーを庇う積もりは無かったのにと、彼は複雑な気分になって、口を一文字に結ぶ。

 「……そんな所が好きだって?」

コバルトゥスが尋ねると、バーティフューラーは恥じらう様に小さく頷いた。
彼女の心を奪うのは、今は無理だろうと、コバルトゥスは諦める。
好い男は引き際が肝心なのだ。
音楽が終わる前に、彼はダンスの途中で急に足を止めると、両肩を竦めて見せ、
バーティフューラーを解放した。
バーティフューラーは特に驚きも無く、コバルトゥスに優しい笑みを投げ掛けた後、
ラビゾーの元へ戻る。

 (先輩には勿体無いけど、俺の手にも余りそうだ……)

彼女の背を見送りつつ、コバルトゥスは暫く立ち尽くしていた。

364:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:25:54.21 haMI4kaU.net
バーティフューラーは再びラビゾーの居るテーブルに帰って来る。
ラビゾーは吃驚した顔で、彼女を見詰めていた。

 「どうしたんです?
  途中で止めちゃって」

バーティフューラーは何度目か知れない溜め息を吐いて、彼に言う。

 「踊りましょう、ラヴィゾール。
  アナタじゃないと、駄目みたい」

 「でも、僕……踊りは空っ切りで」

 「関係無いわ。
  何も考えなくて良い。
  動く儘に体を委ねて」

及び腰のラビゾーの手を、バーティフューラーは強引に牽いた。
酔いが回っているラビゾーは、強く抵抗出来ずに、皆の前に引っ張り出される。
バーティフューラーは手取り足取り、ラビゾーに踊りを教授した。

 「さあ、アタシの手を取って。
  力強く、確りと」

 「こうですか?」

 「次は、腰に手を回して、胸を寄せて。
  抱き止めて、支える様に」

 「こう?」

 「あぁ、腰が引けてるわ。
  恥ずかしがっていると、逆に見っ度も無いわよ。
  堂々と『男性自身』を主張して」

バーティフューラーはラビゾーの腰を叩いて、ぐっと引き寄せる。
判断力と同時に羞恥心も鈍っているラビゾーは、彼女に言われるが儘、体を密着させる。
音楽に乗って、体が自然と動く感覚を、ラビゾーは味わった。
それだけバーティフューラーのリードが上手いのか、自分の体が自分の物ではない様。

365:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:27:45.88 haMI4kaU.net
バーティフューラーはラビゾーの耳元で囁く。

 「今日、今この瞬間だけ、アタシはアナタの物」

ラビゾーは怪訝な顔で、バーティフューラーの瞳を覗き込んだ。
彼女は続ける。

 「自慢して良いのよ?
  誰もが羨む女を、自分の物にする栄誉を上げる。
  見せ付けましょう」

しかし、ラビゾーは静かに目を伏せた。
バーティフューラーは切ない声で問い掛ける。

 「アナタの望む物は何?
  全部、アナタが悪いのよ。
  好みを演じようにも、アナタは嫌がるし……。
  アタシに『出来る女』みたいな、変な幻想持ってるし……。
  どうしたら良いのか、アタシには全然……」

 「僕の心を映そうとしても、それは上手く行かない筈ですよ。
  僕は何も望める立場ではありません。
  だから、何も望まれない事を、望んでいるんです」

微酔いでラビゾーは不思議な覚醒をしていた。

 「……コバルトゥスは気に入りませんでしたか?」

虚を突かれたバーティフューラーは目を瞬かせ、その後に眉を顰めた。

 「アタシに彼を宛てがおうとしたの?」

366:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:29:16.75 haMI4kaU.net
ラビゾーは複雑な面持ちで答える。

 「貴女がコバルトゥスを選ぶなら、今の僕には止められません」

 「馬鹿ね。
  余計な気を回さなくても、アタシの好い人は、アタシが決めるわ」

バーティフューラーは呆れ笑う。
音楽は止み、ダンスは終了の時間。

 「アンタは何時も俯いて、自分の事ばかり。
  少しもアタシを見てくれない」

 「済みません」

 「又、そうやって。
  でも、良いわ、許して上げる」

辺りが真っ暗になる前に、2人は連れ立ってビーチを去り、船に乗って大陸へ。
夜掛かった空には満天の星。
交わす言葉は無くとも、2人は妙に心地が好く、互いに寄り添って、星を数えていた。

367:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:33:12.40 haMI4kaU.net
明くる朝には、2人はティナー市へと帰還する。
唯一大陸の1週間は5日。
3泊4日の滞在は十分に長い。
その間、2人の進展具合は、三歩進んで二歩退がる所か、全く前進せずに半歩後退した風だったが、
バーティフューラーは概ね満足していた。
一方のラビゾーは、自責の念を一層強めて、更にバーティフューラーに引け目を感じる様になった。
これもバーティフューラーの計算の内。
致命的な毒は知らぬ間に回っている物。
彼女はラビゾーの心理を知り尽くしている。

368:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:33:20.72 bgyHg6n2.net
いい話だなー!

369:創る名無しに見る名無し
15/08/10 22:34:51.11 haMI4kaU.net
来週の月曜まで休みます。

370:創る名無しに見る名無し
15/08/17 19:39:38.10 1lbNcBz4.net
帰って来ました。

371:創る名無しに見る名無し
15/08/17 19:42:04.79 1lbNcBz4.net
楽器の心


第三魔法都市エグゼラ スワト地区にて


エグゼラと言えば、厳しい寒さ、逞しい住民、強い酒。
次いで、雪と氷、巨大な動物、狩猟民、暴力沙汰、酔っ払い、実利主義、不作。
他地方民が抱く、一般的なエグゼラ市民のイメージは、余り良くない。
何かと腕力で物事を解決しようとし、芸術や文化を解さず、野蛮、野暮である。
そんな印象を持たれている。
強ち間違いと言う訳ではないが、全員が全員、そうではない。
そのエグゼラ地方の一般的な家庭に、フィオルの演奏家を志す少年が居た。
フィオルとは『擦弦楽器<ストリング・インストゥルメント>』の一で、長さ2足程の小さな弓で絃を弾く、
『瓢箪<コロキータ>』型の楽器(※1)である。
コロキータを由来とする、手で絃を弾く「コロック」と言う小楽器もあるが、今は措こう。
この少年はエグゼラ地方民の父と、ブリンガー地方民の母の間に生まれた、
所謂「エグゼリンガル」(※2)と呼ばれる人種である。
エグゼラ地方でエグゼリンガルは珍しくないが、典型的なエグゼラ市民である彼の父は、
息子が楽器に興味を示した事を、初めは快く思わなかった。
蛮勇を是とするエグゼラ地方で、男子が芸術に興味を持つのは、女々しいと言う風潮があるのだ。
絵画や音楽は本業の片手間に趣味で嗜む物。
それを生業にする等、以ての外と、父は断固反対した。
しかし、母の強力な応援と庇護の下、少年は音楽の道を歩む事が出来た。


※1:要するにバイオリンの類。
※2:(exeRa+bRingar)=exeRingar、エグゼラとブリンガーを結ぶ「エグゼンリグ街道」から。

372:創る名無しに見る名無し
15/08/17 19:48:22.19 1lbNcBz4.net
コンテストで優秀な成績を収める事で、少年は自分が音楽の道を歩む事を、父親に認めさせた。
やるからには徹底的にと言う事で、少年の父は彼の為に、中古ではあるが上等なフィオルを、
買い与えた。
それは曰く付きの一品で、音色は素晴らしいが、演奏者を虜にしてしまう妖しい魅力を備えており、
この音色を味わうと他のフィオルは手に付かないと店主に忠告されたが、それだけ良い物ならば、
息子も喜ぶだろうと、少年の父は迷わず購入した。
骨身に沁みなければ、注意や警告に耳を貸さないのも、エグゼラ地方民の性質である。
そのフィオルの名は「フランベス」。
板材の模様が、燃え盛る炎に見える事から、そう名付けられたと言う。
フランベスを手にした少年は、取り憑かれた様に、演奏の練習に励んだ。
時には、寝食を忘れる程。
少年の演奏は練習時間に比例して上達し、その技術は専門家をも凌ぐと言われた。
自分が買い与えたフィオルに息子が夢中になる事を、最初の内は喜んでいた少年の父だったが、
その一心不乱振りに、やがて恐怖と不安に駆られる様になった。
少年の父はフランベスの様な中古品ではなく、倍以上の値段の新品を買い与えたが、
少年は手に馴染んだフランベスを放そうとしなかった。

373:創る名無しに見る名無し
15/08/17 19:53:12.22 1lbNcBz4.net
少年は「フィオルの練習の為」と言って、自室に引き篭もり勝ちになった。
部屋からはフィオルの素晴らしい音楽が聞こえて来るのだが、それは誰も曲名を知らない物だった。
翌朝、母親は少年に尋ねる。

 「昨夜演奏してた音楽、あれ何て言う曲?」

 「知らない。
  フランベスを持つと、勝手に演奏してるんだ」

 「大丈夫なの?」

 「何で?
  何とも無いよ」

本当に何とも無い訳がない。
少年の顔色は優れず、日に日に窶れて行く様だった。
連日、夜遅くまでフィオルの練習をしているのだ。
健康に影響を及ぼすのは当然と言える。
しかし、当人は無自覚なのか、平然としている。
両親は不気味に思い、どうにか少年にフランベスを手放させようとしたが、それは叶わなかった。
少年はフランベスを肌身離さず持ち歩く様になっていた。
それでも何とか隙を見て、捨てたり隠したりしてみたが、如何にしてか、誰も知らぬ間に、
少年の元に戻って来る。

374:創る名無しに見る名無し
15/08/18 19:38:40.57 SW2kKg0u.net
これは徒事ではないと、両親は魔導師会に通報すると決心した。
フランベスなる怪しいフィオルは、呪術的な効果を持つ、危険な魔法道具だと判断したのだ。
少年がフランベスを手にしてから、2箇月目の事であった。
何も知らぬ少年は、その日も夜遅くまでフランベスを弾いていた。
フランベスが奏でる音は、聞く者を虜にする、妖しい響きを持っている。
少年は自ら紡ぎ出す音楽の美しさに陶酔していた。
丸で、生まれる前から知っている様に、フランベスが手に馴染む。
1曲弾き終え、夢現で目を開けた少年の前には、1人の見知らぬ別の少年が立っていた。
2人は背丈も年齢も、然程変わらない。
不意の侵入者に、フランベスを持った少年は驚愕する。

 「誰だ!?
  どこから入って来た!?」

 「先(さっき)から居たんだけど、君が演奏に夢中で気付かなかっただけじゃない?」

生意気な事を言う奴だと、少年は侵入者を警戒した。

 「何の用?」

 「君じゃなくてフランベスに用があるんだ」

物盗りかと思い、少年は敵意を露にフランベスを体の後ろに隠す。

 「これは僕の物だ!
  お前には渡さないぞ!」

375:創る名無しに見る名無し
15/08/18 19:39:53.55 SW2kKg0u.net
侵入者は余り気にしていない様子で、少年を睨み、話を続ける。

 「一体、何を企んでいる?
  何が狙いなんだ?」

 「お前こそ、何を企んでいるんだ!?」

 「親が泣くぞ」

 「親!?
  ……って、お前は何なんだよ!?」

一々答える少年に、侵入者は眉を顰めて苦笑した。

 「君には聞いてないから、少し黙ってて。
  言っただろう?
  僕は『フランベス』に用があるんだ」

 「訳解んないよ!」

高い声を上げる少年に、侵入者は呆れた様に溜め息を吐く。

 「君が持っているフィオルは、普通の楽器じゃない。
  『魔楽器<マジック・インストゥルメント>』なんだ」

 「魔楽器!?
  ……お前は何なんだよ?」

 「僕は魔楽器演奏家にして調律師。
  詰まり、魔楽器の専門家さ」

376:創る名無しに見る名無し
15/08/18 19:44:56.47 SW2kKg0u.net
少年は魔楽器演奏家と聞いて、少し納得した。
それと同時に、気になる事があって尋ねる。

 「外道魔法使い?」

 「そう言う事になるな。
  後、君が持ってる魔楽器も、外道魔法の魔法道具だからね。
  持っていると、魔導師会に逮捕されるかもよ?」

 「何で魔導師会が?」

 「君の御両親が通報する」

 「余計な事を!」

そう言われても、少年はフランベスを手放す積もりは無かった。
何故なら―フランベスを弾いている間は、耳底を通じて脳に伝わり響く快感があるのだ。
丸で麻薬の様に、少年はフランベスの音色の虜になっていた。
躊躇う少年に、魔楽器演奏家は告げる。

 「そんなにフランベスが良いの?
  真面に調律されていないフィオルばかり使っていると、普通のフィオルが弾けなくなるよ。
  君は音調の狂いにも気付いていないだろう。
  魔楽器の音色は、本物じゃないんだ。
  魔力を帯びて、直接人の心に作用する、偽物の音楽だよ」

 「偽物?」

 「ああ。
  その証拠に、僕の音楽を聞かせよう」

魔楽器演奏家は懐から徐に石笛を取り出すと、静かに吹奏を始めた。

377:創る名無しに見る名無し
15/08/18 19:46:36.41 SW2kKg0u.net
心が澄み渡る様な、清々しい音色に、少年は恍惚として聴き入っていた。
所が、魔楽器演奏家は途中で吹奏を止めてしまう。
それは気分好く眠っていたのに起こされた様な、お気に入りの番組を見ているのに止められた様な、
酷い不快感があった。
どうして止めたのかと、恨めしそうに少年が目を向けると、魔楽器演奏家は言った。

 「解るかい?
  魔力を乗せれば、誰でも同じ様な事が出来てしまう。
  魔導機と同じなのさ。
  良い音楽なんかじゃないし、演奏が優れている訳でもない。
  詰まる所、フランベスの音色とは、そう言う物なんだ。
  自分の才能を信じるなら、フランベスを手放した方が良い。
  そいつは君の音楽の才能を腐らせる」

そうまで言われても、少年は未だフランベスに心を引かれていた。
魔楽器演奏家は眉間に皺を寄せ、悩まし気な表情をする。

 「1つ訊くけど、君はフランベスを演奏する時、例えば技術や技巧に就いて、考えた事がある?」

 「え……?」

 「何と無く弾いて、何と無く良い音がするとしか、思わなかっただろう。
  フィオルと言う楽器は、そんな簡単な物じゃないよ。
  弓の滑らせ方、絃を押さえる指の運び、それ等を意識した事があるかい?
  君はフランベスを弾いていたんじゃない。
  フランベスに弾かされていたんだ。
  それが証拠に、真面なフィオルでは満足な音が出せなかっただろう」

心当たりがあったので、少年は大いに焦った。
フランベスの音色は知らぬ裡に、彼の感覚を狂わせていたのだ。

378:創る名無しに見る名無し
15/08/19 20:06:24.91 kUxJqcnU.net
魔楽器演奏家は少年に向かって言う。

 「思う様な音が出せないのを、楽器の所為にしていては、永久に一人前にはなれない。
  さあ、フランベスを渡してくれ」

少年は彼の言う事は正しいと感じていたし、フランベスを持ち続けるのは良くないと思い始めていた。
しかし、どうしてもフランベスを惜しまずには居られない。
エグゼラ地方民は基本的に、物を捨てられない貧乏性だが、それとは別。
フランベスの持つ妖しい魅力だ。

 「……解った、もうフランベスは使わないよ。
  だから、帰ってくれ。
  お前に渡す必要は無いよな?」

魔楽器演奏家は鋭い目付きで、少年を睨む。

 「信用出来ない。
  君は行き詰まるとフランベスを懐かしみ、必ず手にするだろう。
  そして、再び虜になる」

 「そんな事は―」

 「ある!」

予言の様に断じられて、少年は反発するより、その通りかも知れないと弱気になった。

379:創る名無しに見る名無し
15/08/19 20:07:06.45 kUxJqcnU.net
だが、少年は動けない。
フランベスを手放したくない気持ちと、この儘では良くないと言う思いが、鬩ぎ合っている。
葛藤の末に、彼は魔楽器演奏家に頼んだ。

 「ぼ、僕には決められない……。
  そんなにフランベスを捨てさせたいなら、奪ってくれ……」

魔楽器演奏家は少年を嘲笑ったり、軽蔑したりしなかった。

 「解った」

短く答えると、彼は少年に近付き、フランベスを手にした。
少年の手は固くフランベスを握り締めており、とても手放す意思がある様には見えないが、
全ては魔楽器の妖しい魅力の所為なのだ。
心の弱い只の少年が、それに打ち克つのは、難しい事。
魔楽器演奏家は少年の指を解こうとしたが、フィオルの弓が彼の腕を弾いた。

 「何をする!?」

打たれた様な痛みに、魔楽器演奏家は手を引いて、驚愕の表情で少年を睨むが、
その本人も当惑していた。

 「ちっ、違……、僕じゃない!
  手が勝手に……!」

 「フランベス!!」

魔楽器演奏家の怒りは、少年ではなく、フランベスに向けられた。
フランベスが少年を操っているのだ。

380:創る名無しに見る名無し
15/08/19 20:08:17.74 kUxJqcnU.net
少年はフィオルの弓を刺突剣の様に構えて、魔楽器演奏家を牽制する。
勝手に体が動く事に、少年は恐怖していた。

 「た、助けて……!」

魔楽器演奏家は小さく頷くと、少年の攻撃を掻い潜って、フィオルを掴む。
所が、その瞬間、少年は激痛に呻いた。

 「痛っ!」

魔楽器演奏家は反射的に、フランベスを放す。
丸で楽器と感覚が繋がっている様。
理不尽な現象に、少年は益々恐怖する。

 「ど、どうなって……?」

混乱する少年の口が、勝手に動く。

 「魔楽器演奏家トヤラ、貴様ハ何者ダ……」

自らの物とは全く違う、低く嗄れた声。
少年は内心では酷く狂乱したが、体が付いて来ない。
叫び声を上げる事も、震えて逃げ出す事も出来ない。
魔楽器演奏家は改めて問う。

 「何を企んでいる?
  フランベス!」

381:創る名無しに見る名無し
15/08/19 20:11:41.45 kUxJqcnU.net
フランベスは少年の体を、完全に乗っ取っている。

 「コレマデ私ハ、長ク、暗イ、封印サレタ日々ヲ過ゴシテ来タ。
  然シ、長年耐エテ来タ甲斐ガ有ッタ。
  今、私ハ漸ク、コウシテ才有ル者ト巡リ逢エタ。
  私ハ再ビ、日ノ目ヲ見タイノダ。
  大舞台ニ立チ、喝采ヲ浴ビル。
  ソレコソガ望ミ、私ノ存在理由!
  何人ニモ邪魔ハサセナイ!」

少年にはフランベスの執念と熱望が伝わった。
それは本心からの純粋な願いだった。
悪意や害意は無いのだ。
だが、魔楽器演奏家は膠も無く切り捨てる。

 「お前の様な老い耄れには無理な話だ。
  年寄りの冷や水だよ。
  身の程を知れ!」

 「ナ、何ダト……!」

 「板材が腐って、音の良し悪しも聴き分けられなくなっているのか?
  お前の体では最早、聴衆を満足させる音楽を奏でる事は出来ないんだ。
  魔力で誤魔化した音は聴くに堪えない。
  ミューショースが草葉の陰で泣いているぞ」

そこまで言わなくても良いじゃないかと、少年はフランベスの肩を持ちたくなった。
魔楽器演奏家は尚も厳しい言葉を投げ掛ける。

 「お情けで評価して貰えるなら、苦労は無い!
  幾ら見てくれを整えた所で、お前が古臭い時代遅れの一品と言う事実は変わらないんだ。
  大人しく現実を受け容れろ!」

 「黙レッ、ソンナ事ハ無イ!
  私ハ未ダ―」

 「だったら、楽器らしく僕と音楽で勝負してみるかい?
  それで負けたら、潔く諦めるんだな!」

 「望ム所ダ!」

明らかな魔楽器演奏家の挑発に、フランベスは旨々(まんま)と乗せられた。
余りに迂闊で、少年も心配になる程だったが、フランベスは自信に満ちている。

382:創る名無しに見る名無し
15/08/20 19:52:51.69 vDwxk5hr.net
魔楽器演奏家は石笛を咥え、フランベスは少年を操って自らの絃に弓を添える。
2人の演奏する曲は、別々の物。
傍で聞かされている少年は、不協和音に悩まされた。
数点もしない内に、徐々に少年の手の運びが鈍って来る。
それは少年の意思による物ではない。

 「ヒ、卑怯ナ……!
  ソレハ魔力ヲ封ジル楽曲……」

フランベスが苦しんでいるのが、少年には分かった。
魔楽器演奏家は魔封じの音楽で、フランベスを封印しようとしているのだ。
卑怯臭いと少年は思ったが、体の自由を奪われた儘では困るので、勝負の行方を見守った。
やがて、フランベスは少年の体を動かせなくなる。
入れ替わる様に、自由を手に入れた少年は、静かにフランベスを下ろした。
魔楽器演奏家は、一曲を完璧に奏で終えるまで、石笛を離さなかった。
それはフランベスに確実な止めを刺そうとしている様だった。
演奏し切った魔楽器演奏家は、緩(ゆっく)りと石笛を口から離し、目を開けると、少年に尋ねる。

 「大丈夫だったかい?」

 「あ、うん……」

少年は腑に落ちない物を抱えて、小声で頷いた。

383:創る名無しに見る名無し
15/08/20 19:54:02.46 vDwxk5hr.net
彼は胸中の蟠りを、魔楽器演奏家に打つける。

 「何で音楽で勝負して上げなかったの?」

 「フランベスを弾いて御覧。
  そうすれば判る」

魔楽器演奏家に言われ、少年は改めてフランベスを弾いてみた。
……本の小さな、しかし、確かな違和感が感じ取れる。
響きが悪く、低目に暈けて、湿気た様な音色。
少年は落胆して、弾くのを止めた。
それは全く魔法が解けた様だった。

 「何の補助も無いフランベスでは、それが限界なんだ。
  最初からフランベスは、真面な音楽で勝負する気なんて無かったんだよ」

続けて魔楽器演奏家は、フランベスを見詰める少年に問い掛ける。

 「未だフランベスが惜しいと思うかい?」

 「別に……」

 「僕に渡してくれるね?」

 「良いよ。
  でも、どうするの?」

 「魔力を失ったフランベスは、普通の古いフィオルになった。
  供養してやるさ」

少年は漸くフランベスを魔楽器演奏家に手渡した。

384:創る名無しに見る名無し
15/08/20 19:57:55.68 vDwxk5hr.net
去り際に、魔楽器演奏家は少年に伝える。

 「暫くは、思う様な音楽が奏でられず、苦労するかも知れない。
  心に直接作用する魔法は、麻薬の様な物だから、フランベスを懐かしむ事もあるだろう。
  それを克服する方法は唯一つ、『信じる事』だ。
  『純粋な音楽は心を操る魔法に優る』と」

少年が頷くと、彼は頷き返して、更に一言付け加える。

 「おっと、僕の事は皆には内緒にしてくれ。
  『フランベスは無くなった』。
  良いね?」

再び少年が頷くと、彼も再び頷き返す。

 「良い子だ。
  大業は一日にして成らず、大器は故に晩成なり。
  精進するんだよ」

魔楽器演奏家は窓から外に出た。
少年は去り行く姿を見送ろうとしたが、どこにも彼の姿は無かった。
翌朝から、少年はフランベスを手に入れる前の、普段通りの生活を送った。
あれだけ口煩く「フランベスを手放せ」と繰り返していた両親は、嘘の様に触れなくなっていた。
少年は疑問に思い、それと無く両親に尋ねた。

 「パパ、フランベスって覚えてる?」

 「何だい、それは?
  ママ、何か知ってる?」

 「私に聞かれても困るわ……。
  人の名前?」

何を惚けているのか、2人共フランベスを知らないと言う。
少年は納得行かない気持ちだったが、「フランベスは無くなった」のだと自分に言い聞かせて、
変わらぬ日々を過ごした。
そうしている内に、数年後には少年の記憶からも、フランベスの事は完全に消えた。

385:創る名無しに見る名無し
15/08/21 19:48:05.91 NI1s1wde.net
闘病


第一魔法都市グラマー タラバーラ地区 ヴァイデャ・マハナ・グルートの診療所にて


事象の魔法使いヴァイデャ・マハナ・グルートの、薄暗い地下の診療所には、特殊な治療室がある。
結界の様に4本の支柱に縄を張って、正方形を描く……。
そう、それは『拳闘陣<ボクサー・リング>』。
リングの上に立っているのは、拳闘士とは思えない、運動着姿の小柄で華奢な少女。
彼女と相対するは、全く同じ容貌だが、全身が邪霊の様に青黒い少女。
これは闘病の様子なのだ。
リングの外では、少女の母親が祈る様にして、闘いを見詰めている。
ヴァイデャは少女に叱咤激励の言葉を掛ける。

 「どうした、病気を克服するんじゃなかったのか!?
  そんな逃げ腰で、奴を倒せると、幸せを掴めると思っているのか!!」

どうして自分が、こんな事をしなければならないのかと、少女は泣きたくなった。
大人しく、心優しい彼女は、拳闘等と言う野蛮な行為を忌避していた。

386:創る名無しに見る名無し
15/08/21 19:53:54.38 NI1s1wde.net
この少女、何と膠原病に冒されている。
共通魔法による治療は、怪我や細菌、病毒には強く、幾らかの精神病にも対応しているが、
治療が難しい物もある。
例えば、自己免疫疾患、遺伝子病、重度の精神障害、強力な呪詛……。
これ等には医療魔導師でも、治療が困難、乃至、不可能な物が多い。
娘の将来を案じた母親は、死に物狂いで病気の治療法を探した。
その結果、事象の魔法使いヴァイデャの元に辿り着いたのである。
ヴァイデャは『象魔法<エルフィール>』によって、少女の「膠原病」に容を与え、取り出して、
彼女から分離させた。
しかし、それだけでは完治したとは言えない。
これを自身の手で打ち倒す事によって、少女は初めて宿病を克服出来るのだ。
……だが、病魔は手強かった。
膠原病は少女と同じ外見ながら、その動きは機敏で、拳は重かった。
ヴァイデャの象魔法では、重い病気程、強い病魔となるのだ。
分離している間だけは、少女は健康体と変わらないが、負ければ再び病苦に苛まれる事になる。
病魔との闘いから逃げる事は出来ない。
どこへ逃げようとも、病魔は主を追い続ける。

387:創る名無しに見る名無し
15/08/21 20:00:46.50 NI1s1wde.net
少女の闘病生活は過酷な物だった。
病身が故に、平時は肉体を鍛える事も儘ならないが、病魔との拳闘には勝利しなくてはならないのだ。
象魔法による拳闘では、肉体的な損傷を負う事は無いが、殴られれば痛いし、動けば疲労する。
病魔に叩き伸めされた後の病苦は、何倍にも感じられる。
初めて病魔に敗北を喫した少女は、余りの苦しさに泣いて再戦を嫌がったが、母親に叱責されて、
何度もリングに上がらされた。
嫌々でも闘いを繰り返す内に、少女は自然と病魔に対抗出来る様になったが、未だ勝利には遠い。
膠原病の一撃は重く、それを恐れて、踏み込めないでいるのだ。
その内に、軽打を浴びて体力を奪われ、凹々に叩かれる。
次第に少女は、「こんなに苦しいのなら静かに死にたい」とさえ、思う様になっていた。
病に打ち克つには、何より精神が強くなければ駄目なのだ。

388:創る名無しに見る名無し
15/08/22 20:17:08.09 L/DuaQeh.net
少女は膠原病に、何度目か知れない敗北を叩き付けられる。
痛みと疲労で立ち上がる事が出来ない彼女に、膠原病は青黒い体を重ねて、沁み込む様に、
緩やかに溶け込む。

 「ギャッ、ギャアッ、アグググ……」

少女は白目を剥いて泡を吹き、言葉にならない声を発した。
拳闘で疲弊した所を、更に膠原病の激痛が襲う、生き地獄。
病苦を拒むより、早く楽になりたいと思って、彼女は失神する。
ヴァイデャは眉を顰めて、少女の母親に告げた。

 「―これ以上、お子さんに無理をさせない方が良いと思います」

少女の母親は目を剥いて、ヴァイデャに詰め寄る。

 「では、娘は死ぬより他に無いと仰るのですか!?」

 「苦難に立ち向かうより、早く楽になりたい、この場から逃げ出したいと言う思いが、
  強い様に見受けられます。
  彼女の意識が変わらない内は、何度やっても同じ結果になるでしょう。
  徒に苦しみを増すだけです」

 「では、意識を変えるには……?」

 「流石に、それは私の領分から外れます。
  但、言える事は……。
  彼女には、『勝ちたい』と言う覇気や執念が感じられません。
  闘う事、それ自体が嫌なのでしょう」

少女の母親は俯いて、黙ってしまった。

389:創る名無しに見る名無し
15/08/22 20:19:19.71 L/DuaQeh.net
翌日から、少女と母親はヴァイデャの診療所に来なくなった。
治療を諦めたのかと、ヴァイデャは少し残念に思う物の、それは当人の決断なのだからと、
特に気に病みはしない。
一方その頃、少女と母親は真剣に話し合っていた。
病床の少女に、母親は問い掛ける。

 「病気、治したくないの……?」

少女は外方を向いて、小さく頷いた。

 「どうして?
  早く治さないと、もっと痛くなっちゃうよ?」

母親の疑問は尤もである。
何時までも寛解期が続けば良いのだが、病状の進行に伴って、その周期は次第に短くなる。
痛みが治まらなくなれば、終末期だ。

 「もう良いよ……。
  私の病気、治らない物」

少女は投げ遣りに言うと、布団を被って耳を塞いだ。
本当に治らなくて良い訳は無い。
唯、今の苦しみより、闘病の苦しみが勝っている。

390:創る名無しに見る名無し
15/08/22 20:24:42.97 L/DuaQeh.net
それから塞ぎ込んでばかりの少女を、母親は拳闘の試合に誘った。
グラマー地方では、格闘技の類は流行っていないが、全く無い訳ではない。
原始的な喧嘩に過ぎないと蔑まれても、細々と続けられている。
少女は全く乗り気ではなかったが、膠原病を患っている事で、母親に負い目を持っていたので、
渋々付いて行った。
場所は区民体育館。
そこで彼女が目にした物は、3身平方のリング上で、拳を打ち付け合う、勇ましい女達。
女性の拳闘試合である。
彼女達は流れる汗を拭いもせず、容赦無く相手の顔や腹に拳を叩き込む。
ヒュンヒュンと拳が空を切る音と、バシバシと響く殴打の音が、少女には恐ろしくて堪らなかった。
だが、それ以上に、怯まず立ち向かう勇姿と、華麗な動きに惹かれた。
グラマー地方の閉鎖的な拳闘試合では、独特の戦法が流行している。
姿勢を低くして、距離を測りながら静かに躙り寄り、数発の応酬の後、再び距離を取る。
体を揺らしたり、リズムを取ったりしない。
それは丸で野良猫の喧嘩の様に。
ラウンドは無く、倒れたら負け、膝を突いても負け、背を向けて逃げても負け、
打ち合わず退き続けても負け、支柱やロープに縋っても負け。
厳しい条件の中で勝負する女拳闘士に、少女は自分を重ね、どちらが殴打されても、
我が身が打たれた様に痛みを思い出し、顔を背けたくなるも、試合から目を離さない―否、
離せない。
少女は両の拳を固く握り、耐え忍びながらも、食い入る様に、闘いを凝視していた。

391:創る名無しに見る名無し
15/08/23 18:51:20.36 uH1yuzUf.net
彼女達の様な強さがあれば、自分も病魔に克てるかも知れないと、少女は思った。
第一魔法都市グラマーは、共通魔法使いの聖地である。
故に、腕力で物事を解決する様な、乱暴さ、野蛮さを忌避する者が殆どだ。
武術も含めて、「相手を殴打する闘い」は流行らない。
護身術として、『回避術<アヴォイダンス>』が受け容れられる程度である。
更に、男女の別が明確な為、女性が腕力を競う事は、最も愚かとされる。
その中にあって、蔑まれ、色物扱いされながらも、拳闘に身を投じる逞しい女性に、少女は感動し、
憧れを抱いた。
母親の思惑は、試合を観戦させる事で、少しでも学べる所があれば良いと言う程度だったのだが、
予想以上に少女は拳闘士に興味を持った。
試合後に、少女は母親に尋ねる。

 「あの人達と、お話出来る?」

 「どうしたの?」

母親は尋ね返したが、少女は上手く自分の心情を言葉に出来ず、俯いた。
何か心境に変化があったのだろうかと、母親は期待を持って、了承する。

 「お話出来るか、頼んでみるね。
  控え室に行ってみようか?」

少女と母親は、連れ立って選手に会いに行った。

392:創る名無しに見る名無し
15/08/23 18:52:43.15 uH1yuzUf.net
グラマー地方では『拳闘<ボクシング>』はマイナー競技である。
大きな会場は借りられないので、個別の控え室等と言う物は無い。
体育館の更衣室が、控え室代わりだ。
少女と母親が「関係者以外立入禁止」と書かれた立て看板の脇を抜けて、更衣室の前を通ると、
体育館の職員が慌てて止めた。

 「一寸、駄目ですよ!
  立入禁止の看板が、そこにあったでしょう?
  見えなかったんですか?」

母親は必死な様子で懇願する。

 「娘が選手に会いたいと言うんです。
  どうか願いを叶えてやって下さい」

 「そう言われても、困ります……」

職員と母親が言い合っていると、女子更衣室のドアが開いて、試合に出ていた選手の1人が現れた。

393:創る名無しに見る名無し
15/08/23 18:53:26.11 uH1yuzUf.net
少女と母親の視線は、彼女に集中する。
拳闘の選手は当惑した様子で、目を瞬かせながら、職員に尋ねた。

 「この人達は?」

 「多分、ファンの方だと……。
  選手に会わせてくれと言っていますが……」

職員が困り顔で答えると、『女拳闘士<ボクサリン>』は快く頷いた。

 「ああ、何だ、そんな事?
  構わないよ、別に」

彼女は母娘に向き直って言う。

 「グラマー地方のファンは貴重だからね」

女性同士の拳闘は、興行として成立する程の隆盛は無い。
男性の拳闘も全く盛り上がっているとは言えないが、女性の場合は輪を掛けて酷いのだ。
お堅いグラマー地方では、性を見世物として売りにする事も、試合を賭けの対象とする事も、
出来ない為に、観客は少なく、選手共々他地方から引っ張って来なければ成り立たない程。
選手の大半は本業を別に持ち、趣味や副業で、拳闘をしている。
当人達にとっては、拳闘を広める為の、慈善活動の様な物だ。
そんな状況だから、将来を担う若いファンの存在は有り難い。

394:創る名無しに見る名無し
15/08/24 19:48:31.75 dIYgtkMn.net
女拳闘士は母娘に尋ねる。

 「―で、誰のファンなんだい?
  剛拳のディレハ?
  不死身のフェキア?
  瞬影のハーフワ?
  それとも、このアタシ、閃火のフォルダ?」

大仰な渾名は、マイナー競技を少しでも盛り上げる為の工夫である。
少女と母親は互いに顔を見合わせた。
母親は少女の背を押して、小声で囁く。

 「ほら、お話したいんでしょう?」

少女は小さく頷き、女拳闘士フォルダの前に進み出た。
そして、捩々(もじもじ)と俯いて時間を掛けた後、小さな声で尋ねる。

 「……どうしたら、皆さんの様に、強くなれるんですか?」

フォルダは意外そうな顔をして、少女を見詰める。
如何にも気弱で、消極そうな少女の様子に、それと無く背景を察したフォルダは、力強く答えた。

 「とにかく、体を鍛えるしか無いね」

395:創る名無しに見る名無し
15/08/24 19:53:04.51 dIYgtkMn.net
しかし、少女は不服そうに、重ねて問う。

 「体を鍛えれば、闘いが怖くなくなりますか?」

 「怖く……?
  あー、成る程、そう言う事ね……。
  鍛えるって言うか……、そうだねェ……」

フォルダは悩んだ末に、少女に言う。

 「一寸、そこに立ってて。
  今から、キミの顔に向けて拳を突き出すけど、当てないから安心して、動かないで」

横で心配そうな顔の母親と職員に気付いたフォルダは、念を押した。

 「絶対に当てませんから」

約1歩の距離から、フォルダは少女の顔に向かって、腰を入れたストレートを放つ。
少女は迫り来る拳圧に、堪らず両目を瞑り、顔を逸らして両手を翳し、防御の姿勢を取った。
フォルダは宣言通りに寸止めし、拳を解いて下ろす。

 「……怖かった?」

彼女に問われた少女は、大きく頷いた。
フォルダも頷き返す。

 「そりゃあ、怖いよね。
  でも、目を閉じてしまっちゃ駄目だ。
  相手の動きを確り見て、頭を使って考えないと、次の攻撃を捌く事も、反撃する事も出来ない」

彼女に諭された少女は、その通りだと思いながらも、改めて尋ねた。

 「どうすれば怖くなくなりますか?
  生まれ付きの性格ですか?」

396:創る名無しに見る名無し
15/08/24 19:58:24.43 dIYgtkMn.net
深刻な少女の悩みを吹き飛ばす様に、フォルダは豪快に笑う。

 「アッハッハ、生まれ付きで怖さを感じないなら、そっちの方が怖いよ!
  叩かれたら痛い、痛いのは怖い、当たり前さ。
  そこを堪えて、前を向かないと、勝負は始まらない」

 「我慢するしか無いんですか?」

 「んー、上手く言えないけど、『慣れ』かな……?
  頭ん中で、何度もイメージするんだ。
  こう来たら、こう捌くって具合に。
  そんで、行き成り本番は怖いから、何回も練習する。
  初めは緩っくり、段々早くして、動きを体に覚え込ませる。
  後は実戦で判って来る。
  これは耐えられる、これは避けないと行けない、そう言う判断が出来る様になる」

彼女は動きを交えながら、少女に解説した。
未だ不安そうな顔をする少女を、フォルダは優しく諭す。

 「強くなるのに、近道は無いんだよ。
  実を言うと、アタシも昔は弱かったんだ。
  体も食も細かったし、拳闘なんて野蛮な事は考えられなかったよ」

 「……じゃあ、どうして拳闘士に?」

 「強くなりたかったんだ。
  今のキミみたいに。
  弱い自分は嫌いでね」

少女は女拳闘士フォルダに、親近感を持った。
それと同時に、自分も彼女の様に強くなれるかも知れないと、希望を持った。
一方でフォルダも少女に、過去の自分を重ねて、同情していた。

397:創る名無しに見る名無し
15/08/25 19:57:55.25 kaEnbzFj.net
フォルダとの出会いで、闘志を取り戻した少女は、再びヴァイデャの象魔法による治療を受ける。
決意を新たにした所で、そう簡単に勝てる程、膠原病は易しくはなかったが、少女の戦い振りには、
変化が見られた。
姿勢を低くし、ファイティング・ポーズを取って、敵の攻撃を恐れながらも、隙を窺い、
反撃しようと言う意思がある。
そして、少女は初めて、膠原病に一撃を食らわせた。
弱々しく、強打とも痛打とも言えないが、とにかく手を伸ばし、自分と同じ顔をした膠原病の顔に、
「当てた」のだ。
少女は自分でも驚いた顔をして、少し笑った。

 「油断するな!」

透かさずヴァイデャは注意したが、遅かった。
膠原病は少女に強烈な反撃と、怒涛の追撃を加える。
それは感情を持たない筈の「膠原病」が、激怒している様だった。
少女は凹々に打たれて、結局その儘、負けてしまう。
しかし、無意味な敗北ではない。
確かに、明日に繋がる敗北だった。
例によって、膠原病との再融合の際は、激痛に喘ぎ、失神する少女だったが、
その顔は笑っている様だった。

398:創る名無しに見る名無し
15/08/25 20:00:19.87 kaEnbzFj.net
翌週、少女は母親と隣地区のハンダッハまで、拳闘の試合を見に行った。
そこで彼女は、閃火のフォルダと剛拳のディレハの闘いを目にする。
剛拳のディレハは、渾名のイメージ通りに、平均的な女性を大きく上回る体格の持ち主で、
同じ女拳闘士のフォルダと比較しても、一回り大きい。
腕力でもリーチでもディレハが上なので、フォルダは苦戦を強いられる。
少女は固唾を飲んで、フォルダの闘いを見守った。
ディレハの攻撃を掻い潜り、フォルダは鋭い一撃で、彼女の顎を叩く。
体の大きなディレハが、白目を剥いて、浮ら付いた。
ここで追撃すれば勝てる。
そう誰もが思い、フォルダも止めの一撃を狙って仕掛けた。
所が、ディレハは一瞬で正気に返ると、踏み止まってフォルダに反撃する。
ディレハの拳がフォルダの側頭部を正確に捉える。

 「あっ!!」

少女は思わず悲鳴に似た声を上げた。
フォルダはガードが間に合わず、辛うじて踏み止まるも、足は蹣跚めいて、目の焦点が合っていない。
そこへディレハの追撃が飛んで来る。
顔面へのストレート。
フォルダは今度こそ防御した物の、踏ん張りが利かずに、吹き飛ばされる様に後ろへ倒れる。
勝負あり。
審判が試合を止めに入り、終戦の鐘が消魂しく3度鳴る。

399:創る名無しに見る名無し
15/08/25 20:01:57.99 kaEnbzFj.net
試合後、少女は更衣室へフォルダの見舞いに行った。
フォルダは椅子に座って片頬を押さえた状態で、力の無い微笑を少女に向ける。

 「情け無い所を見せちゃったかな……?
  勝てると思って、油断したよ」

ディレハに殴られた顔の側面が、痛々しく赤く腫れている。
心配そうな顔の少女を見て、フォルダは明るく振る舞った。

 「大丈夫、大丈夫。
  回復魔法で元に戻るからさ。
  しっかし、久し振りに真面に良いのを貰っちまった……」

一呼吸置いて、フォルダは少女の顔を覗き込む。

 「何と無くだけど、キミ、雰囲気が変わったね。
  少し元気になった?」

少女は頷いた。

 「そりゃ良かった。
  来週も来てくれる?
  今度は勝つ所を見せるよ」

強気に言うフォルダに、少女は問い掛ける。

 「でも、どうやって……?
  あの人、強そう……」

 「確かに、ディレハは強い。
  体の造りが違うからね。
  羨まし過ぎて憎い位、ディレハは恵まれてる。
  だけど―だからって、勝てない訳じゃない。
  今日だって、油断しなければ行けたと思う。
  地力で劣るから、早く止めを刺そうと、焦ったのが悪かったんだ。
  負けたら負けたで、課題や反省点を見付けて、次に活かす。
  勝てないって諦めたら、負け犬だよ」

拳を握って、再起を誓うフォルダに、少女は勇気を貰った気がした。


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