アバロン甲冑バトルSCA、現野連、暗黒学園その四 at BUDOU
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[前50を表示]
200:某研究者
17/05/17 11:43:05.10 rptwtmHo0.net
URLリンク(photozou.jp)
此れは武田信玄の肖像画と言うが
鎧の脇前部に耳糸が何故か有るが
こんな位置に耳糸の有る鎧は見ないが
URLリンク(upload.wikimedia.org)
上の細川澄元が装備している胴丸の脇部の継ぎ目部分には耳糸が有るが
武田信玄の肖像画の物より後部に有るが
URLリンク(best-times.jp)
上の武田勝頼の最上胴の脇前部には丁番が有るが
この部分の側面に耳糸を装備した物を
武田信玄の肖像画の鎧は表現している可能性も有るだろうし
肖像画の鎧は最上胴の可能性も有るのかだが

201:某研究者
17/05/17 12:19:52.24 rptwtmHo0.net
URLリンク(upload.wikimedia.org)
上の益田元祥の鎧は恐らく1580年以降の物だろうが
只の本小札胴丸なのかだが
兜を良く見ると吹返部分に金色の縁が有るから
吹返は鉄板札なのかだが
この部分が板金製なら
兜のシコロも切付札等の板札の可能性も有るだろうし
鎧も同様の板札性の可能性も有るかも知れぬが
この時点でもこんな大袖は有ったのかだが
実際は装備されていない可能性も有るのかだが
籠手も上腕部に迄篠が有るが
こうした物は現存していないが果たして現実に有るのかだが

202:某研究者
17/05/17 13:31:19.65 rptwtmHo0.net
>>201
URLリンク(photozou.jp)
上の武田信玄の肖像画の兜の吹返には
金色の縁は無いが
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
上の其れ以前に書かれた大内義興・細川澄元の兜の吹返とは形状が違うし
金色の縁の有る益田元祥の兜の物と似ているから
板金製の物の可能性は無いのかだが
この様な形状の吹返の現物と言うのは今の所見ないが

203:某研究者
17/05/17 13:46:44.29 rptwtmHo0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)(Paolo_Uccello,_London)_01.jpg
上の1438−1440年成立のサンロマーノの戦いの絵では騎兵は盾を装備していないが
此れ以降に書かれた絵でも盾を装備している例はフロワサール年代記等でも多いが
同時期以降の左肩当の巨大なイタリア式甲冑は盾を装備していないと言う可能性も有るのかだが
左肩当の小さいドイツ式甲冑は依然盾は一部には装備されたと言う可能性も有るのかだが
1440時点では胴体が動作可能な胸甲が使用されていたと言う事なのかだが

204:某研究者
17/05/17 14:37:50.73 rptwtmHo0.net
URLリンク(armourinart.com)
1440年台の伊の騎兵でも首が鎖の例が有るのかだが
左にはBarbuteが有るが
此れは40年以前にも有ると言う事なのかだが
URLリンク(armourinart.com)
この次期には盾は無く
イタリア式甲冑の場合脚先も鎖である事が多いのかだが

205:某研究者
17/05/17 15:02:01.12 rptwtmHo0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)(Paolo_Uccello,_London)_01.jpg
上のサンロマーノの戦いの絵で中央で指揮をしている
ニッコロ・ダ・トレンティーノは鎖をプレートアーマーの上に着ている様に見えるが
プレートアーマーの下には鎖は無く綿入れが有ると言う事なのかだが
こんな事をすれば鎖にランスが引っかかって落馬する危険は無いのかだが
指揮官はランスチャージはこの時点ではやらないのかだが
甲冑の着心地を考えて
鎖をプレートの下から外し上に装備した可能性も有るのかだが

206:某研究者
17/05/17 22:16:20.79 nYRq1lfX0.net
URLリンク(gallica.bnf.fr)
中央左の騎兵の兜にも翼の様な物が有るが
此れは翼を模した物なのかだが
現実の兜には此れは有るのかどうかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右端の兵のヘルメットの構造が良く分からないが
広い鼻当てが有るのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右の騎士の尖った膝側面装甲は攻撃は意図しているのかだが
短いブーツが脛当の下に装備される例も有るのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右の騎兵の兜の鼻当ても大きいが
ギリシャ時代の物を模した現実には無い物の可能性も有るのかだが
左下の歩兵は大型の盾を肩に装備して両手で槍を使用しているが
こうした事は現実に行われたのかだが
マケドニア兵やイフィクラテスのファランクス兵が
同程度のサイズの盾を肩に装備していたと言う事なのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
中央左の兵のポールアームはトルコの使用する様な刃の長い斧なのかだが
此れを騎士が馬上で使用する例は有ったのかだが

207:某研究者
17/05/18 16:50:55.02 0JWyA3tV0.net
URLリンク(pbs.twimg.com)
上のドラマの幸村の物の様な前の折り返されている陣羽織は 
江戸期の物と言う意見も有るだろうが 
URLリンク(www.e-kama.net)
上の秀吉の物は1587年には有るのかだが
正面部の布が相当剥がれているから16世紀の古い物なのかだが
URLリンク(twitter.com)
16世紀の物と言う左の秀吉・右の小幡信貞の陣羽織も前は折り返されるが
果たして16世紀の物なのかだが
秀吉の物は生地は可成り古い物の様にも見えるが
URLリンク(pbs.twimg.com)
上のドラマの幸村の陣羽織の襟は 
URLリンク(373kai.blog26.fc2.com)
上の秀吉の物だったと言う南部信直の陣羽織を参考としているのかだが 
これも正面部は折り返されているタイプの陣羽織だが

208:某研究者
17/05/19 11:24:05.35 HhUtNkiN0.net
URLリンク(matunagaryoutarou666.blogspot.jp)
左端の騎兵の兜にも翼の様な板が有るのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右端の兵の鼻当も幅広だが
視界はどうなのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
左の騎兵には胸の中央に円盤状の物が装備されているが
此れは印等の騎兵に有る同種の物を模したのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
中央左の騎兵のバイザーは妙に前に出ている様な気もするが
絵の癖なのかどうかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
左下の兵の装備する様な鎧は
現実に有ったのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
スパイク付きのグレイブも左に有るが
こうした物は騎士は使うのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
左上の鋸は船破壊用なのかだが
左下の熊手も船戦用なのかだが
鈎付きのポールアックス等で代用される事は有るのかだが

209:某研究者
17/05/19 12:23:47.77 dyzOjLN/0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の様に騎士に馬鎧が大量に装備されている例は
15世紀の絵では見ないが
ランツクネヒトやスイス傭兵相手のパイク対策で装備された物なのかだが
ブルゴーニュ軍が15世紀にもスイスのパイク兵対策で
馬鎧を大量に装備していた可能性は有るのかだが
馬鎧を装備してもパイクを持つ歩兵の陣形を砲撃で崩さないと
中々突撃は成功しないと言う事なのかだが
マリニャーノではスイス歩兵に対し
仏の砲撃後の側面からの騎兵突撃は成功している訳だろうか
ゴシック甲冑の馬鎧はスイス傭兵のパイク対策であるなら
此れはブルゴーニュ騎兵が主に使用した可能性も有るのかだが

210:某研究者
17/05/19 12:57:00.89 dyzOjLN/0.net
サレットが16世紀に廃れたのはパイク対策の可能性は無いのかだろうし
鍔の部分にパイクを下から突き込まれて
落馬する危険等が有った故の可能性も有るのかだが
ブルゴーニュ戦争では未だブルゴーニュ騎士はサレットは
使用していたと言う事なのかだが

211:某研究者
17/05/19 14:03:35.15 dyzOjLN/0.net
日本の騎馬武者の馬の厚総は弓対策と言う事なのかだが
此れを装備しない馬も多いが
鎖の馬鎧が太平記や明徳記に有るが
此れは弓対策では無く打物対策の為の物なのかだが
戦国期の皮の馬鎧は弓対策と言う事なのかだが
大阪冬の陣図にも此れは書かれているし
弓と言うより鉄砲のかすり傷の様な物を止める為の物の可能性も有るのかだが
URLリンク(photozou.jp)
上の様な装備位置では鉄砲対策では無く打物対策の様にも見えるが
果たしてどうなのかだが
URLリンク(pbs.twimg.com)
銃が出る前の時代の二人武者絵の恐らく皮製の馬鎧は
弓対策の可能性も有るのかだが
URLリンク(mogamiyoshiaki.jp)
上の最上屏風の原本は1631年には書かれていると言う事なのかだが
URLリンク(samidare.jp)
此れにほぼフル装備の馬鎧が出て来るが
現実の大阪の陣でも使用された可能性も有るのかだが
URLリンク(www.yvc.or.jp)
馬面の登場は上の18世紀の長谷堂合戦図迄無いが
戦国期では使用されていない可能性も有るのかだが

212:某研究者
17/05/19 15:57:16.78 dyzOjLN/0.net
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
>「信長公記」によると、天文16年(1547)に信長が三河・吉良大浜で初陣したとき、信長の軍装は、紅筋の頭巾を被り、新調黒絵の羽織、乗馬には面、平頸、胴に革、金紙の馬鎧をきせたとあります。
1547年に馬面は使用されているのかだが
実戦では外されていた可能性も有るのかどうかだが
URLリンク(kitakan-navi.jp)
>戦国時代に使用されていたとされる馬鎧(よろい)の展示が27日、中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」で始まり、来館者の関心を集めている。
>馬鎧は、馬に装着させていた鎧で、乾燥させた革に漆を塗るなどして作られている。重さは10キロ程度。仮面は、相手を威嚇するために着けていたという。
URLリンク(burari2161.fc2web.com)
>馬鎧 戦国時代
此れは果たして戦国期の物なのかだが
塗装は可成り劣化はしている訳だろうか

URLリンク(ameblo.jp)
>なぜ戦国時代、本物の鉄の甲冑は『カシャカシャ』音が立たなかったのか?
>カシャカシャいうと、敵に自分の居場所がわかってしまうからです。
>夜襲や隠密行動などとれやしない。
>ではどうやって音を消していたかというと、
>草摺や袖など、金属部分が触れ合うところの裏に布を張っていました。
>こうすることによって、音を消すことができるんですね。
>『カシャカシャ』ではなく、『ペタペタ』いうカンジです。
横方向に草摺同士が当たった場合音は出ないのかだが
そう強く当たる例は無いのかだが
鎖の音も幾らかは有るだろうし
具足も光の反射迄は抑えていない訳だろうか

213:名無しさん@一本勝ち
17/05/19 21:51:03.15 aODsRuZ30.net
V卿とS卿を比較するよりS卿と佐藤を比較した方がフェアに思えるのだが?
V卿とS卿とでは元々の骨格も背丈も違うが、S卿と佐藤なら同じ背丈なので比較に向いていると思う

214:某研究者
17/05/20 12:20:23.41 G/528SzD0.net
鎖の佩楯は弓は止まるのかだろうし
此れは銃の時代の物かと思ったが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(photozou.jp)
カルタ鉄や菱筏繋の佩楯なら銃の時代以前も有るだろうが
此れは鎖部分に矢が飛び込む率は低いのかだが
URLリンク(kokuho-japan.alexis.jp)
URLリンク(blog-imgs-35.fc2.com)
鎖・格子鎖の物は弓が極度に減った
銃の時代の物と言う事なのかだが
格子鎖の物は腿を槍で深く貫通されれば
致命傷に成る危険は無いのかだが
越中以外では果たして何処迄使われたのかだが

215:某研究者
17/05/20 13:44:58.01 G/528SzD0.net
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
本多忠勝の佩楯も越中流の格子鎖使用の物なのかだが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
肖像画では皮の佩楯らしき物が装備されるし
上の具足は本物では無いと言う意見も有るだろうか
鎖の佩楯も篠付きの格子鎖でも皮より軽量では必ずしも無いだろうし
斬る攻撃以外の防護は皮に劣ると言う事は無いのかだが
戦国時代後期で斬る攻撃等殆ど腿に受けるのかだが
鍵槍や十文字槍も斬るのでは無く太刀打での打撃が主体と言う事なのかだが
武将の佩楯で鎖或いは格子鎖の物は井伊直政・細川忠興の他には
URLリンク(joukamatikankou.blog.so-net.ne.jp)
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
URLリンク(rr.img.naver.jp)
URLリンク(sazaby.c.blog.so-net.ne.jp)
URLリンク(senjp.com)
URLリンク(rekijin.com)
黒田長政・官兵衛・森可成・森長可・榊原康政・秀吉の物等も有るが
全体としては皮の方が多いのかだが
URLリンク(articleimage.nicoblomaga.jp)
URLリンク(img01.otemo-yan.net)
上の清正の佩楯はカルタ鉄なのかだが
同種の物は他には見ない訳だが

216:某研究者
17/05/20 14:27:13.78 G/528SzD0.net
URLリンク(digitalmuseum.rekibun.or.jp)
江戸期の綿入れの様な冬用具足下着等も有るが
戦国期にこの様な物は有るのかだが
URLリンク(www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp)
戦闘用の鉄製陣笠においても鉄板を6−16と幾枚か重ねて縦に数個の鋲止めし、その直径は30p強が普通である。
高さは低く、20-25pくらいと平たいのが特徴だ。鉄板の厚さは1mmくらいと薄く、刀、槍、その他打撃武器にはあまり効果はない。
現存するものに戦国期のものは少ないので、江戸期にこのように軽いものになったのかもしれない。
無論、直撃する鉄砲玉には無力である。
材質的に鉄以外では皮革を乾かし漆掛けした品は意外に頑丈であり、
刀、槍、打撃武器に対しては鉄より強いと考えられる。
錆びず、軽量で価格的にもこの材質が最も高価になったと考えられる。
いずれも内側は綿入れ(藁のものもある)の棒状クッションで、紐を4点で支え、Uの字に下し、
下には顎下で、止め戻して、横に顎にまわした結びとする。
直径がやや大きい32-6pくらいのものが存在するが、それらは
「鉄砲隊の陣笠」と言われる。広いつばで火縄を守るためだ。
火縄と火皿を濡らさないために首をかしげ、陣笠で雨水からかばった。
練皮の陣笠の方が1mmの鉄製より
果たして衝撃には強いのかだが

217:某研究者
17/05/20 17:40:01.35 G/528SzD0.net
下馬戦闘を必ずしもしない
東国の具足の草摺は鉄が多い可能性は無いのかだが
伊達政宗の具足の草摺も鉄の様だし
伊達家武将の五枚胴の草摺も基本的にそうだろうが
URLリンク(jp.pinterest.com)
URLリンク(blog-imgs-77.fc2.com)
上の相馬篤胤や前田慶次の具足の草摺も縁が折り返されているから
恐らく鉄だろうか
URLリンク(www.pref.yamagata.jp)
上の直江兼続の具足の草摺は切付札だが
切付札は前書いた様に基本的に板金の裏地が有ると言う事だっただろうか

218:某研究者
17/05/20 20:05:35.00 G/528SzD0.net
giftstotheearth.com/wp-content/uploads/2014/06/5_05.jpg
上の黒田長政の具足の揺糸も此処迄昔は長いのかだが
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
上の肖像画を見ると
揺糸は帯の下に僅かに出る程度だろうか
URLリンク(ja.wikipedia.org)
幕末の上の具足も揺糸は短いが
この辺りが実戦期の物と同様の物なのかだが
URLリンク(livedoor.4.blogimg.jp)
URLリンク(livedoor.4.blogimg.jp)
URLリンク(livedoor.4.blogimg.jp)
URLリンク(livedoor.4.blogimg.jp)
上の幕末・明治の具足も
揺糸が異様に長い訳では無いと言う事だろうか
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
上の黒田二十四騎・野口一成の絵の揺糸は別段長いのかだろうし
黒田長政の肖像画と異なり
帯がこの位置に何故か無いと言う事では無いのかだが
打刀を差さない古い形式の細い帯を使用している可能性も有るのかだが
URLリンク(pbs.twimg.com)
上の野口一成の具足の揺糸の長さは
実戦使用時の物と同じなのかだが

219:某研究者
17/05/21 09:54:36.45 Rgc7jjk10.net
URLリンク(gallica.bnf.fr)
中央左の騎兵の兜にも翼の様な物が有るが
此れは翼を模した物なのかだが
現実の兜には此れは有るのかどうかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右端の兵のヘルメットの構造が良く分からないが
広い鼻当てが有るのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右の騎士の尖った膝側面装甲は攻撃は意図しているのかだが
短いブーツが脛当の下に装備される例も有るのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
右の騎兵の兜の鼻当ても大きいが
ギリシャ時代の物を模した現実には無い物の可能性も有るのかだが
左下の歩兵は大型の盾を肩に装備して両手で槍を使用しているが
こうした事は現実に行われたのかだが
マケドニア兵やイフィクラテスのファランクス兵が
同程度のサイズの盾を肩に装備していたと言う事なのかだが
URLリンク(gallica.bnf.fr)
中央左の兵のポールアームはトルコの使用する様な刃の長い斧なのかだが
此れを騎士が馬上で使用する例は有ったのかだが

220:某研究者
17/05/21 12:02:51.13 +UTk2Nt/0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
古い写真でも上の様に揺糸が長い例も有るが
余り多くは無い様に見えるが
此れでは佩楯の上に草摺が被るので
実戦で使用する長さでは無いと言う事なのかだが
URLリンク(photozou.jp)
上の様な揺糸の下を守る為の腰鎖も有るが
装備例は何処迄有るのかだが
URLリンク(blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp)
伝・竹中半兵衛の具足の揺糸には鎖が有っただろうか
具足の下に鎖帷子が装備される例も有るが
重量が5kg程度は有ったかも知れぬし
下馬戦闘主体の西国では何処迄装備されたのかだが

221:某研究者
17/05/21 21:58:02.09 +UTk2Nt/0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
草摺に腰鎖が付いたタイプも有るが
此れの鎖の長さは揺糸に合っているのかだが

222:某研究者
17/05/22 15:06:21.85 MX4oScar0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
上は戦国期の当世具足の上に帯を置くタイプの揺糸より
やや短いと言う可能性も有るのかだが

223:某研究者
17/05/22 18:44:11.77 6XYgWLhK0.net
URLリンク(www.chiba-muse.or.jp)
一方で南北朝期でも反りの余り無い大薙刀は存在するが
果たして此れが多かったのかどうかだが
URLリンク(matunagaryoutarou666.blogspot.jp)
>刃長91.2センチメートル、茎長1メートル、全長205.2センチメートルにも及ぶ大薙刀である。
慶長16年(1611年)にこんな物が未だ作られて
大阪の陣で実戦使用されていた可能性も有るのかだが

URLリンク(www.jauce.com)
桃山期だと刀身50cm程度のこの辺りの物が
標準の可能性も有るのかどうかだが
URLリンク(page.auctions.yahoo.co.jp)
URLリンク(page.auctions.yahoo.co.jp)
URLリンク(kendoinfo.jugem.jp)
40cm以下と短い室町期の物も有るが此れは
本物なのかだが
URLリンク(www.sanobi.or.jp)
鎌倉期でも40cm台の短い薙刀も有るが
こうした物は少数なのかだが

224:某研究者
17/05/22 18:55:25.76 MX4oScar0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
3/4鎧では腰後部が板金で防護されていない例も有るが
URLリンク(jp.pinterest.com)
URLリンク(jp.pinterest.com)
板金が有る例も有るが
歩兵用ではパイクマン鎧同様に覆われていない可能性も有るのかだが
半身でパイクやハルバード・剣で戦う場合
この部分を突かれてやられた例も多いのかだが

225:某研究者
17/05/22 19:19:55.73 MX4oScar0.net
15世紀の歩兵用鎧も
URLリンク(s-media-cache-ak0.pinimg.com)
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の様なブリガンダインは腰の下端部迄鉄小札は無いのかだが
長い物も有ったかも知れないが

226:某研究者
17/05/22 20:43:18.30 Qym+o0Vx0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
上は腰下部迄板金で防護する
ブリガンダインなのかだが
こうした物の装備率はどうなのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
上では騎兵が歩兵に対して両手持ちで槍を使用しているが
ハルバードやパイクに何処迄対抗出来たのかだが

227:某研究者
17/05/23 17:53:14.02 JLIibPYE0.net
URLリンク(www.dreamstime.com)
此れは江戸期の具足なのかだが
籠手の肩部には妙に板札が多いが
戦国期にこうした物は有ったのかだろうし
此れの上に袖等は装備されるのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
17世紀初期の 
蝙蝠の前立等も有るのかだが 
戦国期には果たして有るのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
下向きの羽根の脇立の付く
17世紀初期の兜等も有るのかだが
jp.pinterest.com/pin/343610646560180237/
此れは甲虫形兜の様だが角は後方に有るのかだが
側面部のディテールは何なのかだが
鍬形形兜等は有るのかどうかだが

228:某研究者
17/05/23 19:17:54.56 JLIibPYE0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
卒塔婆の脇立等も有るのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
この鯰尾形兜の脇立は
鯰の鰭を模している可能性も有るのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
こうした亀甲金の袖が
16世紀に有るのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
此れは16世紀の兜と有るが
構造は西欧の閉鎖式兜の影響は有るのかだが

229:名無しさん@一本勝ち
17/05/23 22:47:57.53 EOSmxn4J0.net
ここはスレタイを某研日記帳に変えたほうがいいな。

230:名無しさん@一本勝ち
17/05/24 01:22:55.08 Lr1pzQfO0.net
西洋剣術スレあるあるやな

231:名無しさん@一本勝ち
17/05/24 03:30:57.32 DkSxnB8x0.net
この人スレタイも1も読まずによくやるよね
自分でスレ作ってやればいいのに

232:某研究者
17/05/24 11:31:31.86 3DNTQR380.net
まあ現実の甲冑構造を反映した
ルールを考慮するには現実の物のデーターを得る必要も有ると言う事だろうし
現実の甲冑のデザインを試合用の物に利用したいと言う者も居ると言う事だろうか
URLリンク(archive.fo)
>鉢形・八王子城兵士の関東五枚胴
此れも平地の多い関東の具足であるから
乗馬戦闘を考慮してからか草摺は鉄製であり揺糸に鎖迄有るが
乗馬戦闘重視の東国の具足でも揺糸の前後に鎖が有るとは
限るのかだろうし
具足の下に鎖が有るとは限らぬ可能性も有るのかだが
遅く共1590年段階では揺糸は胴固定の為に
一応以前の胴丸よりは長く成っていると言う事なのかだが
下馬戦闘重視の西国が此れを考案したと言う事なのかどうかだが
URLリンク(bunka.nii.ac.jp)
上の1590年には存在すると言う
秀吉の具足の揺糸は胴・草摺の間に隙間は有るとしても
可成り短い様にも見えるが
1615年段階では此れよりはやや長く成った可能性も有るのかだが

233:某研究者
17/05/24 11:51:33.43 3DNTQR380.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
上を見ると秀吉の1590には存在した具足は
胴と草摺の間の隙間はほぼ無い様にも見えるが
長い打刀を差さない古い形式の細い帯を此処に巻くタイプなのか
或いは隙間は元は無く糸が草摺の重量で伸びた可能性も有るのかだが
1590段階では細い帯しか無いと言う訳では無く
秀吉の様な偉い人間は長い打刀では無く太刀を使用しているから
太刀を吊るす細い帯を使用する故に
草摺と胴の間の隙間は小さいと言う可能性も有るのかだが
或いは此れは胴迄皮伊予札の鎧であるから
草摺と胴の間の隙間が小さく共
太い帯を此処に巻いても胴は固定出来たと言う可能性も有るのかだが

234:某研究者
17/05/24 12:04:06.48 3DNTQR380.net
>>233
秀吉の具足に巻かれた帯は
URLリンク(photozou.jp)
上の武田信玄の肖像画に有る様な物かも知れぬし
下端部の水色の帯は太刀を吊るす為の物だろうから
これを狭い胴と草摺の間に巻いた可能性も有るのかだが
URLリンク(upload.wikimedia.org)
上の恐らく1580年以降に書かれた益田元祥の肖像画にも
同様の帯は有る訳だろうか

235:某研究者
17/05/24 12:15:30.07 3DNTQR380.net
URLリンク(upload.wikimedia.org)
関ケ原合戦以後に書かれた上の本多忠勝の肖像画では
太い帯の下に細い帯は無く
太刀は太い帯から吊るされていると言う事なのかだが
1590年段階でも太刀を装備しない兵はこうした太い帯しか
装備していないと言う事なのかだが
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
上の黒田長政の肖像画だと茶の太い帯の下に細い帯が有る様にも見えるが
此処から太刀は吊るされていない訳だろうか

236:某研究者
17/05/24 13:20:12.53 3DNTQR380.net
乗馬戦闘重視の東国の具足の脛当も
重量の有る板金の筒脛当が多いと言う事は有るのかだが
URLリンク(www.db-ichiba.jp)
上の直江兼続の2つの具足の佩楯は筒脛当であるし
上杉景勝の篠脛当も割に重量の有る物だろうが
URLリンク(samidare.jp)
上の前田慶次の具足も筒脛当が有るが
URLリンク(www.city.sendai.jp)
URLリンク(www.sendai-c.ed.jp)
上の伊達政宗の具足も2つ共筒脛当装備であるし
URLリンク(shigezane.info)
URLリンク(www.sankei.com)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
伊達家の伊達成実や片倉重長・白石宗実の脛当も
筒脛当だろうが
URLリンク(www.pref.yamagata.jp)
東国でも上の上杉景勝の具足の様に篠脛当を使用する例も有るが
此れは西国の影響が出ていると言う事なのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
西国の武将の物も立花宗茂の具足の脛当は筒脛当であるし
他の西国武将も一部そうだろうが
指揮官は下馬戦闘は余り行わない故の可能性も有るのかだが

237:某研究者
17/05/24 14:16:01.13 3DNTQR380.net
他の伊達家家臣では
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
留守政景の具足も筒脛当装備だが
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
石川昭光の脛当は大部分は板金だが
上部は亀甲金だが
胴に鎬が有ると言う事は戦国末期或いはそれ以降の物なのかだが
伊達家の下位の騎馬武者も同様の筒脛当装備の可能性も有るのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
一方で東国の相馬義胤の具足の脛当は筒脛当では無いが
此れは古い物なのかだが
鎖に隙間は無い訳だろうか
URLリンク(okibun.jp)
上の前田慶次の脛当は筒形式では無いが
篠・亀甲金だけで鎖は使用されていないと言う事なのかだが

238:某研究者
17/05/24 15:11:34.37 3DNTQR380.net
URLリンク(kotobank.jp)
鎖帷子
>鎖着籠(くさりきごめ)ともいう。室町末期の発生と推測される防具の一種で、出行の際や陣中において非常に備えて衣中に着用し、
>あるいは戦闘時に甲冑(かっちゅう)の下に着籠め、ときには甲冑の上に着用して防護力を強化した。
>『室町殿日記』『奥羽永慶(えいけい)軍記』『義光物語』などの記事にみえる。
>鎖襦袢(じゅばん),鎖着込みなどとも。細かい鎖をつづり合わせて,短衣にとじつけた護身用の衣。
>鎖の組み方によって一重鎖,二重鎖,総鎖,南蛮鎖などの名称がある。
>日本では中世から用いられ,《太平記》にも記述がある。
太平記の鎖帷子と言うのは
URLリンク(tangmianlaoren.blog.fc2.com)
>鎖帷子の上に、太い縅毛で荒目におどした鎧を重ねて、
鎧の下に装備されるタイプなのかだが
此れは戦国期迄残ったのかだが
西国では下馬戦闘に伴う軽量化の為に廃れた可能性も有るのかだが
下馬戦闘をしない指揮官は装備していた可能性も有るのかだが
胸部・肩を部分的に鎖等で覆う満智羅は恐らく西国発祥の物だろうし
此れは指揮官には装備されていたのかだが
下馬戦闘をする一般の騎馬武者には果たして有るのかだが

239:某研究者
17/05/24 15:14:51.27 3DNTQR380.net
URLリンク(cubeaki.dip.jp)
>彼の甥に所大夫房快舜と言うとんでもない無頼僧がいました。また中間に悪八郎と言うミツクチ(兎唇)の大力自慢がいました。
>それ以外に犬獅子と名付けた、不思議な犬を一匹飼っていました。この二人の者と一匹は闇夜になれば、帽子兜(眉庇のない兜)と言う粗末な兜をかぶり、
>鎖帷子を着て足軽に扮して出かけたりします。
太平記時代に足軽等居るのかと思ったが
URLリンク(kotobank.jp)
>平安末期の《平家物語》や南北朝期の《太平記》に散見する足軽は,戦いに先立ち敵方の市中に放火してまわる〈足かる共〉や,犬を使い暗闇に働き,
>夜半に“歩立(かちだち)”で敵城に忍び入る〈足軽ノ兵〉など,いずれも戦場の裏面で放火・忍びなど敵背のかく乱工作に従うゲリラ集団として描かれている。
>中世において出現した軽装歩兵の呼称で、戦国時代以後組織化され、近世になって武士の最下層に位置づけられた身分。中世では、疾足(しっそく/はやあし)ともよばれた。
>『平家物語』『太平記』などには、敵方を攪乱(かくらん)するための兵として描かれている。南北朝内乱期に活躍した野伏(のぶし)の系譜を引くともいわれる。
と有るから存在はしているのかだが
雑魚歩兵も絵巻と異なり帽子兜・鎖を装備した兵が多かったのかどうかだが
URLリンク(twitter.com)
上の春日権現験記絵の柔軟に見える胴だけの鎧は鎖帷子の可能性も有るだろうが
引っかかりや加熱を防ぐ為等に布に包まれたタイプなのかだが
鎖帷子のコストは鉄伊予札の鎧より果たして低いのかだが
この時点では当時の佩楯の様なカルタ金製の鎧は有るのかだが

240:某研究者
17/05/24 16:42:11.82 3DNTQR380.net
URLリンク(kotobank.jp)
>犬を使い暗闇に働き,
>夜半に“歩立(かちだち)”で敵城に忍び入る〈足軽ノ兵〉など,
こうした忍者的な足軽も
音を発さない事を考慮して布に包まれた鎖や
布に包まれた鎖のシコロの有る様な帽子兜を装備していた可能性も有るのかだが
革包・錦包胴も音を発さない可能性は有るだろうが
こうした任務には使われたのかだが
URLリンク(tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com)
上の様な城は兎も角
URLリンク(tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com)
上の様な盾を並べた様な城なら
夜間の侵入は割に容易なのかだが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>応仁の乱時、東軍の足軽(疾足)300余人が宇治神社を参詣する姿を人々が目撃したものとして、「手には長矛・強弓を持ち、頭には金色の兜や竹の皮の笠、赤毛など派手な被り物をかぶり、
>冬だというのに平気で肌をあらわにしていた」という[10]。一方で、雲泉太極の『碧山日録』には、「東陣に精兵の徒300人あり、足軽と号す。甲(かぶと)を擐せず、矛をとらず、
>ただ一剣をもって敵軍に突入す」と記され、兵装に統一性がなかった事がわかる。
変わり兜を装備した様な足軽等も果たして居たのかだが
300の刀だけを持つ足軽等と言うのは
大太刀を装備していた可能性は無いと言う事なのかだが

241:名無しさん@一本勝ち
17/05/24 20:41:48.85 MPT0VHfh0.net
今年は世界大会行くようだが日本人の巨人ファイターは行ってないのかな?
写真にそれっぽい人が見えない。

242:某研究者
17/05/25 12:04:55.02 V7TqhpNr0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
胸部にカルタ金の有る馬鎧等も有るが
戦国期には有ったのかだが
カルタ金も弓より槍を幾らか止める事を考慮した物なのかだが
全体がカルタ金の物は有ったのかどうかだが
胸部だけでも鉄板札製の物等は有るのかどうかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
打眉が4つも有る兜も有るのかだが
4つ有るとすれば意図は何なのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
この面頬は狐頬なのかだが
此れが具足とセットに成っている物は他に有るのかだが

243:某研究者
17/05/25 17:33:12.63 V7TqhpNr0.net
URLリンク(www.mudec.it)
上の様に胴前部を恐らく防護していない馬鎧は
付属されている様な厚総が装備されると見て良いのかだが
URLリンク(photozou.jp)
上の大阪冬の陣図に有る胴正面の防護されない馬鎧に似ているが
後部は違う訳だろうか
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の様な胴下部が防護されない馬鎧も
厚総が組み合わされていた可能性も有るのかだが
西欧の馬鎧もこの辺りから下は防護されぬ例も有り
短い厚総も多いから何共言えぬだろうか
URLリンク(pbs.twimg.com)
上の二人武者絵に有る物と似た
URLリンク(jp.pinterest.com)
首は防護されない馬鎧も有るが
やや異なる物だろうか

244:某研究者
17/05/25 21:01:17.59 V7TqhpNr0.net
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
上の様な籠手の大きな溝の入る瓢は
刀を可成り受ける事は可能だったのかだが
そう大きい物でも無いし技術が無いと受け難いと言う事は無いのかだが 
URLリンク(page.auctions.yahoo.co.jp)
上の様な膨らんだ大きな篠の有る籠手はどうなのかだが
双方共戦国期には同様の物は有るのかだが

245:某研究者
17/05/25 21:12:53.40 V7TqhpNr0.net
URLリンク(wing-auctions.c.yimg.jp)
上の様な一本だけ膨らんだ篠の入る籠手も有るが
此れも刀は受けられたのかだが
URLリンク(articleimage.nicoblomaga.jp)
上の加藤清正の籠手は類似の篠が入ると言う事なのかだが
敵の刀を受ける事を考慮していたのかどうかだが

246:某研究者
17/05/25 21:19:23.25 GZE3sTJX0.net
世界大会が全くネットの話題に出ないのは何かの力が働いているのか?

247:某研究者
17/05/25 21:21:10.90 V7TqhpNr0.net
URLリンク(www.youtube.com)
上の12:40辺りからやや膨らんだ籠手の篠を刀で打撃しているが
此れでは刀をまともに受ければやられるだろうが
鎬の入る物なら曲がり難く成り此れよりはやや耐えられたのかだが
膨らんだ瓢・膨らむ或いは鎬の入る大型の篠なら可成り止まる可能性は有るのかだが

248:某研究者
17/05/25 21:34:44.43 V7TqhpNr0.net
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
>野口一成は自分の屋敷に兵法家を招くと、具足櫃の中からある物を取り出してみせた。
>左手に嵌める、頑丈な鋼鉄の篭手だった。無数の太刀疵痕が残っている。
>野口一成>>楯の代用として、特に念入りに筋金を入れさせた。俺の戦場流儀は、いつもこうだった。
等と有るが
筋金と言うのは可成り膨らんだ篠の事なのかだが
URLリンク(pbs.twimg.com)
上の野口一成の具足の籠手は篠は無く小さな筏が入るが
此れの上に更に膨らんだ篠の付いた
半籠手の様な物が装備されていた可能性は有るのかだが

249:某研究者
17/05/25 22:03:27.57 V7TqhpNr0.net
URLリンク(www.gaido.jp)
井伊直政の籠手にも溝入りの瓢が有るが
刀を受けるにはやや小さいのかどうかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の具足は確か森長可の物だろうが
此れも溝入りの瓢が有るだろうか
URLリンク(jp.pinterest.com)
前田慶次の籠手も膨らんだ瓢の様な物が有るが
刀は受けられる物なのかだが

250:某研究者
17/05/25 22:30:41.69 V7TqhpNr0.net
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
瓢籠手も実際に装着すると左の様に成るのかだが
このサイズでは何処迄刀を受けられるのかだが
余り膨らんでいない下部も有ると言う事だろうか

251:某研究者
17/05/26 11:35:40.75 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸幕府の精鋭歩兵・小十人の貸具足は
佩楯が有るが脛当は無いが
戦国期の精鋭歩兵の貸具足とは異なると言う事なのかだが
URLリンク(webarchives.tnm.jp)
雑兵物語だと徒侍の具足にも手甲は無いが
URLリンク(jp.pinterest.com)
URLリンク(xn--ebr22o040c.com)
手甲の有る貸具足も有るが
親指部分は無い例も多いだろうか
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の様に袖の有る貸具足と言うのもほぼ無いのかだが
URLリンク(www.tennants.co.uk)
縦矧五枚胴形式の貸具足も有るが
コストはどうなのかだが

252:某研究者
17/05/26 12:08:35.17 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の伊達政宗の具足の籠手の篠は鎬が有るのかだが
刀を受ける事は何処迄考慮しているのかだが
同様の鎬が有る武将用の具足は他に見ないが
脛当の篠は割に鎬が有るかも知れぬが
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の馬鎧も胴前部は保護されぬタイプだが
厚総は付属していないが
装備はされて居たと言う事なのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
この部分に上の様な形で
カルタ金や皮札等の別パーツの装甲が施された可能性は有るのかだが
URLリンク(www.moshtaghkhorasani.com)
上の16世紀のトルコ騎兵の馬鎧は銃を止める事は考慮していないだろうし
騎兵の弓或いは
槍を持たぬイェニチェリの様な歩兵の刀を
止める程度の物の可能性も有るのかだが
西欧軍歩兵のパイクを止める事迄は考えているのかだが

253:某研究者
17/05/26 15:15:09.40 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
この二重に成っている亀甲草摺は満智羅とセットに成っていると言う事は
甲冑の通常の草摺の下に装備して隙間を埋める為の物なのかだが
戦国期に同様の物は果たして有るのかだが
正面部分しか無い様に見えるから
半身で槍や刀を使う場合何処迄役に立つのかだが

254:某研究者
17/05/26 16:58:59.27 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
URLリンク(jp.pinterest.com)
上の足軽胴は揺糸の長さを見る限り
古い物と言う事なのかだが
URLリンク(jp.pinterest.com)
此れは揺糸が短いが
初期の桶側胴なのかだが
胴と草摺の隙間も
URLリンク(upload.wikimedia.org)
上の様に刀を天神差しとすれば
鞘で可成り埋まるかも知れぬし
槍や薙刀で左を前にして戦う場合はこの部分は正面と成る訳だろうが
鞘に刀が入る場合槍での貫通は困難だろうか
上の絵だと帯は現実よりやや上の位置に有る様に見えるし
絵では天神差しをしているとは限らない訳だろうが
少なく共馬上では此れが基本と言う事だっただろうか

255:某研究者
17/05/26 18:15:51.93 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(twitter.com)
左は加藤清正・右は石田三成の貸具足と有るが
揺糸が可成り短いから本物の可能性も有るのかだが
大阪の陣辺り迄は騎馬武者の揺糸も含めこの程度の長さの可能性も有るのかだが

256:某研究者
17/05/26 18:56:55.50 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(kazusa.jpn.org)
上の大阪夏の陣図の刀の差し方は天神差しにも似ているが
刀はやや下の位置に有るのかだが
太刀よりは上に刀が有るから天神差しを表現している可能性も有るのかどうかだが
大阪冬の陣図では太刀の位置に刀が有り
URLリンク(photozou.jp)
関ケ原合戦図(津軽屏風)では通常の打刀の差し方に成っている訳だろうか
URLリンク(www.yvc.or.jp)
上の長谷堂合戦図では
URLリンク(photozou.jp)
上の様な天神差しをしている様に見える例が多いが
太刀も多い訳だが
18世紀の絵だから過去の合戦を反映しているのかどうかだが

257:某研究者
17/05/26 21:36:01.66 ZQm9/7zN0.net
URLリンク(www.youtube.com)
上の尾張管流槍術の動画の6:58辺りから
十文字槍の先端の有る様な管槍を使用しているが
此れは古い型にも有るのかだが
前書いた様に鍵付きの管槍なら現存しているが
鍵付き十文字槍は有るのかだが

258:某研究者
17/05/27 15:03:28.86 UUuQ/odI0.net
URLリンク(twitter.com)
下の足軽胴も揺糸が短いが 
島原の乱で此れが使用されたと言うなら
当時の当世具足の揺糸も同程度の長さなのかだが 
URLリンク(webarchives.tnm.jp)
左の雑兵物語に有る物と同一の足軽胴と言うが 
上は短いタイプの可能性も有るのかだが
URLリンク(twitter.com)
左の加藤嘉明家中の足軽胴も揺糸が短いし1630年台迄の物なのかだが 
右の足軽胴の揺糸は妙に長いが
此れは後補であると言うし実戦は何処迄想定している長さなのかだが

259:某研究者
17/05/27 17:37:13.81 UUuQ/odI0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
ギザームとスコーピオンでは何れが有用なのかだが
敵を引っ掛ける機能はギザームの方が上に見えるが
こちらの方が後の時代でも使用されていると言う事なのかだが
騎士がギザームは何処迄使用したのかだが
ハルバードより構造が複雑だが
優秀な兵が使用しているとは限らぬと言う事なのかだが

260:名無しさん@一本勝ち
17/05/27 21:53:07.91 RlUdZZcH0.net
>246 某研のなりすましか?
世界大会の話題なんて公式アカウントと関係者がツイートするくらいで話題にもなっていないぞ?
バケツやバイルのツイートがRTされる数の方が多いぞ? ざっと動画を見たが、子供の喧嘩みたいだし面白くない。 来年は日本チームが消滅すると思えるくらいショボかった。

261:名無しさん@一本勝ち
17/05/27 22:03:37.88 RlUdZZcH0.net
日本チームは惨敗したので、以後は観光案内をお楽しみ下さいwww
URLリンク(twitter.com)

262:名無しさん@一本勝ち
17/05/27 23:42:37.22 px3oKNwX0.net
S卿のブログで罵ってた奴も一回戦敗退か。

263:某研究者
17/05/28 10:57:25.93 eaNPAbG00.net
URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp)
>天神差し(てんじんざし)というのは、甲冑を着て馬に乗る場合、刀を普通通りに刃を上にして「へ」形で差していると、
>揺れた時に鞘の鐺(こじり)が馬に当たり馬が落ち着かなくなるので、太刀のように刃を下にしてひねった帯(∞のようなかたち)の輪に通して固定します。
>これを天神差しと呼び、鉄砲隊などもしゃがんで撃つのでこのようにします。
槍足軽も騎兵阻止の為の槍衾を組む際はしゃがむ訳なら
この際は少なく共天神差しなのかだが
槍衾を組まない攻城戦では天神差しでは無いと言う事なのかだが
長谷堂合戦図の様に騎馬武者は下馬時も
天神差しと言う可能性も有るのかだが

264:名無しさん@一本勝ち
17/05/28 20:11:01.69 HT9rF1QB0.net
誰かサムライファイターの技を解説してくれ。少しは参考にしたい。

265:某研究者
17/05/29 14:45:12.23 5ZkJSqLR0.net
URLリンク(jp.pinterest.com)
この翼の有るカタルーニャ騎士の兜と言うのは
果たして現実に使われたのかだろうし
絵画に有る物に過ぎぬ可能性も有るのかだが

266:名無しさん@一本勝ち
17/05/29 20:26:51.59 5Sv5be3D0.net
>246
某研のなりすましとは新しいなお前!
もしかして246と264は同一人物なのか?

267:某研究者
17/05/29 21:38:02.17 gEyxHaFQ0.net
これは楽しい。みんなで冒険になろう。

268:名無しさん@一本勝ち
17/05/29 23:47:06.46 GjiiadIS0.net
一人が走って敵を引きつけようとしたのか転倒して自爆してる
URLリンク(twitter.com)
あくまで力技で負けたと見苦しい言い訳をしているけれども貴様の騎士道精神は何処へいった??
URLリンク(twitter.com)
数年前は参加国数が少なかったので入賞できたが、今年のように参加国が増えてくると
キヨピー程度の腕では表彰台に行けない事が証明された、キヨピーが表彰台に立てる日は永遠に無い
URLリンク(twitter.com)


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