【フリーメーソン】ユ ..
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6:3分でわかるフリーメーソン@転載は禁止
14/07/30 11:46:54.59 7iLXHWFQ0
近代的フリーメーソンは1717年にイギリスで誕生した。
その後続々と世界各国にメーソンが誕生していったが、イギリスでは貴族階級を中心とした結社として、
国力膨張・他民族操作の方針がとられていった。(中略)イギリスに遅れること数年〜十数年で、
フランス、スペイン、オランダ、ポルトガルにもメーソンが誕生している。これらは争ってアジアに侵略してきた。

メーソンのアジア侵略で、一番わかりやすい例が、イギリスのインド支配だろう。
*以下、イギリスのインド支配、幕末の日本への戦略及び明治維新時のメーソンの失敗についての記述を載せます。

明治新政府は、長い鎖国の期間に日本が「文明的に」立ち後れてしまったことを痛感し近代化の使命に燃え、
欧米の科学技術、学問、思想をどんどん取り入れていった。それこそじつはフリーメーソンの罠であったのだ。
当時の日本の指導者たち、とくに学会や知識人、文化人といわれる人たちの間に、フリーメーソンの教義が浸透していった。
もちろんそこには、メーソン側からの見えざる手が働いていたのである。とくに、政財界のトップに立っていた
西園寺公望などは、こうしたフリーメーソンの攻勢にまったく無知で、ひたすら親米、親英の態度をとりつづけた。

しかし、日本の指導者たち全員が、このメーソンの動きに気づかなかったわけではない。
時がたつにつれ、フリーメーソンの陰謀を恐怖しだす人々も現れてくる。
(中略)大正末期から昭和初頭にかけて、フリーメーソンの陰謀に気づいた人物たちは何人かいた。
しかし彼らは、それぞれの分野で孤立しており、対抗する勢力を持たないでいた。
それぞれは独自の活動を通して、メーソンの秘教的知識から日本を守ろうとしてきた。
そうした人物の中に、宗教家の出口王仁三郎、軍人の石原莞爾、思想家の北一輝などがいた。
だが残念ながら、彼らはそれぞれの分野でフリーメーソンの包囲網にあい、壊滅してしまったのである。


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