【悲報】日本、パクリだった…研究者「元々古代中国では新羅のことを日本と言っていました」 [902666507] at POVERTY
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1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
21/04/20 02:37:33.20 U3KwDekv0.net BE:902666507-2BP(1500)
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日本と唐·新羅の連合軍が戦った白村江の戦い(663年)の後,唐側の使者として665年に来日したことが「日本書紀」に記される百済人、祢軍(でいぐん)の
墓誌が中国で見つかった。
その中にある「日本」の文字が、「最古の国号」として注目されるが、事はそう単純ではないようだ。
(文化部早川保夫)
発見した中国·吉林大の王連龍副教授は、2月に明治大(東京)で開かれたシンポジウムで、拓本や実物の写真を披露した。氏によると、墓誌は縦横59cm厚さ10cm。
個人の所蔵で、出土地は不明。祢軍は613年に百済で生まれ、660年の百済滅亡時に唐へ投降、678年に没したことなど、その生涯が、文学的な修辞を凝らした884字の漢文でつづられている。
中国·洛陽大に保管される祢寔進(しょくしん・672年没)の墓誌との比較から、祢軍は祢寔進の兄であることが判明。王氏は「文字の書法や内容などから、偽造や模刻ではない」と断言する。
2人の墓誌に埋葬地として記される中国·西安の家族墓から2年前、寔進の子と孫の墓誌も出土している。
祢軍の墓誌で注目されるのは、「于時日本餘噍 ・・・」(□は欠損)の部分。□桑」は筆画などから,日本の異称
でもある「扶桑」とされる。
東野治之·奈良大教授(日本古代史)は「『日本』は中国から見て日の出るところを意味し、新羅を指して使われることも珍しくない」「『扶桑』も、東方の神木や東の仮想国を指す用語としても使われていた」と反論。
その上で該当部分を「『日本 』は百済の残党の活動,『風谷・・・』は高句麗が唐の侵攻に備える様子を記しているのでは」と考える。
中国·鄭州大の葛継勇副教授も「『日本』と『風谷』『扶桑』と『盤桃』は対句で、ともに東方を指す言葉。抵抗する百済の残党のことを指している」 として、国号説には否定的だ。
墓誌には、祢軍が日本に派遣されたことを述べているとみられる部分もあるが、そこには「日本」の語を用いていない。他国の名がないのも疑問だとの声もあり、国号か否かについては慎重な議論が求められる。
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