日本マクドナルド元CEO・原田泳幸です。今、全てをお話します… [399583221] at POVERTY
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1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
20/10/20 23:23:22.98 fOWv7Hqs0●.net BE:399583221-PLT(13072)
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マクドナルド改革の“唯一の失敗”…再建の立役者がいま明かす
今や、世界を代表する企業であるアップル。実は、同社は1990年代創業以来最大の経営危機が襲っていました。その時代に、アップルコンピュータ日本法人の代表取締役社長に就任したのが原田泳幸氏です。
彼はその手腕を高く評価され、2004年には日本マクドナルドホールディングスのCEOとして同社の改革を行ったことはあまりにも有名でしょう。そんな原田氏ですが、11年間にわたるマクドナルド改革の結果、業績不振により退任したと言われています。
現在もなお経営の一線で活躍しているように見える原田氏ですが、彼はなぜマクドナルドを退任したのでしょうか。ニュースで盛んに報じられていた「業績不振による退任」は本当だったのでしょうか。
あれから5年経った現在―。原田氏は「今だからこそ、真実を語ろう」と、当時の改革から退任の真相まで重い口を開きました。
原田:当時のマクドナルドは、値段を上げたり下げたりして、ブランド毀損していました。
馬渕:でもマクドナルドには、ポテンシャルの高さを感じておられた?
原田:そうです。ポテンシャルが高いにもかかわらず、間違った方向に行っているなと、横から見て思っていたんですよ。業績不振のときはどうもカレーライスまで出したらしいんですよ。
アメリカの本社との面談で、私に期待する仕事を伺ったときに私はできると思った。それで即答したわけです。
馬渕:具体的には創業者の藤田田氏の経営戦略からなにを変えましたか?
原田:一口で言えば、グローバルカンパニーではなかったところを変えました。当時のマクドナルドはあまりにも“日本流”に走っていたのです。
馬渕:具体的にどんなことをグローバル化したのでしょうか。
原田:例えばハンバーガー大学の人材教育のカリキュラム。世界に素晴らしいカリキュラムがあるのに、これが日本独自のカリキュラムだったんですよ。
それから、サービス改善の指針としてROIP(=レストラン・オペレーション・インプルーヴメント・プロセス)というものがあり、これを導入しました。簡単に言うと、スタッフの動き方を世界各国のマクドナルドと合わせました。
馬渕:それから毎年改革を実行された、と。
原田:就任1年目は品質、サービス、クリーンネスの3つだけを徹底しました。そこだけを徹底してから、注文を受けてからできたてを提供する「メイドフォー・ユー」を始めました。それで2年目は客数を伸ばすために100円マックを始めました。これだけで客数が12.4%伸びました。
馬渕:外食産業で12.4%の伸びは珍しいです。
原田:それだけ伸びしろがあったんですよ。次は配送・ロジスティクスの改革です。海外から日本に着くまでの物流であるアウトバウンドと、国内の物流であるインバウンドを一気通貫にしました。
日本だけが、国内の物流企業に依頼しており、非効率だったのでそれをやめました。ほかにも、日本のスタッフが世界のスタッフと繋がり、ノウハウを迅速に共有できる体制を整えました。
ここから、原田氏の就任当時もっとも「大きな改革」と言われたフランチャイズ事業の大幅なシフトへと移ります。当時、7割が直営、3割がフランチャイズだったマクドナルドは、3割を直営・7割をフランチャイズ(以下、FC)にまで引き上げる目標を掲げました。
原田:直営店を減らせば人件費や店舗投資など、マクドナルド本体の経費負担は大幅に圧縮できます。地域的に直営とFCが混在する状況を改善しなければなりませんでした。
もちろん、FCはよいところもあった。新卒でマクドナルドに入社し、経験を積み選ばれた人間がFCで独立できる。これは良いことなんです。
馬渕:では、何が問題だったのしょうか。
原田:多数のフランチャイズ店舗と直営店が同じ商圏に混在していたのです。これは経営効率的にとても効率が悪い。私は、商圏をマッピングして、店舗が被らないようにしたのです。
そこで1オーナーに10店舗以上運営してもらい、フランチャイズのオーナー数を460社から200社まで減らしました。
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