「原稿を間に合わせなきゃ…!」月刊少年マガジンの新人漫画家、寝る間を惜しんで働き…突然死亡😇 享年23歳 [902666507] at POVERTY
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1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
20/10/14 03:22:56.31 gL0FtPjM0.net BE:902666507-2BP(1500)
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今年8月、月刊少年マガジンに「キミオアライブ」を連載中だった漫画家、恵口公生さんが23歳で亡くなった。
「夢ノート」にたくさんの夢を書き連ねた高校生の男子生徒がユーチューバーになり、同級生を巻き込んで夢を実現していくストーリー。
初回、巻頭カラーの冒頭、主人公がこうつぶやいている。
「ぼくは・・・・まだ やりたいことが・・・・」。
恵口さんとはいったい、どんな人だったんだろう。ツイッターで彼女の追悼アカウントをつくった遺族をたずねた。
<話を聞いたのは、父(56)、母(56)、姉(26)。
まず、9月下旬から始まったツイッターの追悼アカウントを、なぜ作ろうと思ったのか聞いた>
姉:訃報(ふほう)が出た時の反響はすごくて、「恵口公生」が、一時、ヤフーの検索ランキングでは1位になった。
しかし、作品がこれ以上進んでいくわけではない。どんなにファンだった人もいずれは忘れていく。
震災もそうですが、風化は絶対にある。妹の作品を色んな人に大事にしてほしいと思うから、ツイッターの中だけでも、こういう子がいた、
がんばったという「生きた証し」を残したいと思った。
母:私は、何かやってないと、感情を保てないと思ったから。ぽっかり穴があいて。
姉:生きていた時は、性別も年齢も公表していなかったけど、
私たちが書き込んだことで女の子だとわかった人がほとんどだと思う。
妹が油絵で描いた自画像も載せたし。
母:あれは理想の自分だと思うな。元気ではつらつとして歩いている。
<フォロワーは、2週間ほどで3千人を超えた。家族は「コメントを見て、気持ちが和らぐ」と話した>
<「絵に対するこだわりが強かった」という恵口さん。原稿がぎりぎりまで描き直し、寝る間も惜しんで作品に向き合う妥協を許さない人だった>
父:絵に対するこだわりが強かった。順調な時でも、原稿はぎりぎりで、一個一個丁寧に描いて、何回も描き直して。妥協は一切しなかった。
私が「とりあえず出しちゃいな」って言ってもできない。それがいいとことでもあるんですが。
母:漫画一本で、脇目も振らず。全く遊んでいない。少しでも時間があると「眠りたい」って。
<コロナ禍が単行本デビューと重なったが、売れることよりも連載の原稿が間に合わなくなることを気にしていた。孤独な作業を一人で背負うストイックな生活だった>
姉:若い新人作家がいきなり連載を描くのは輝かしいように見えるけど、「キミオアライブ」は、本当に苦労しながら描いていました。
母:最初は実家の部屋で描いていたが、昨年の11月号から連載が始まり、機材も使うので手狭になり、徒歩10分のところでアパートを借りました。
単行本の第1巻が、4月に発売されました。最初の1カ月が大事だった。
それが、コロナ禍で本屋が次々と休業して、売り上げが伸びませんでした。
<8月17日、仕事場から病院に運ばれ、19日に亡くなった>
母:このままでは連載が打ち切りになるかもしれないと、ツイッターで発信した4コマ漫画などで人気が出て、巻き返しの単行本第2巻が出たばかりでした。

URLリンク(news.yahoo.co.jp)


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