西尾幹二「怪文書ばらまきなどが起きた『つくる会』分裂騒動で一番許せないのは安倍晋三。こいつが中心人物」 [965031448] at POVERTY
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1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
19/01/26 16:35:48.86 KSpRI3gKa.net BE:965031448-PLT(12000)
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論壇の長老・西尾幹二が明かす“つくる会騒動” 「朝生で助けてくれた西部邁と決別した理由」 | 文春オンライン
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(一部抜粋)
―1996年12月に「つくる会」は“日本に誇りが持てる教科書づくり”を目的として発足します。
初期の主なメンバーには伊藤隆、藤岡信勝、小林よしのり、西部邁、坂本多加雄、高橋史朗などの各氏。
会長は西尾さんでした。しかし、会はその後、幹部の対立と分裂を繰り返してしまいます。
今、振り返ってどのようなことを思われますか。

 2002年に西部と小林が会を去った原因は、私たち幹部の対立に他なりません。
もっと言えば、みんな「西尾憎し」だったのかもしれない。『国民の歴史』がベストセラーになったことが
口惜しかったのでしょう。この前、西部が死んで、つくる会メンバーだった八木(秀次)が追悼の文章を
書いていたのを読んだんです。すると、2001年の紛争の時期に、西部と八木ががっちり手を組んで
いたことがわかった。当時私はそんなことになってるとは知らなかった。
(略)
 2006年に八木が脱会した分裂紛争というのは、さらに我慢しようもないものだった。私はこのとき
名誉会長になっていたから、会の人事には関与していなかった。ところがその間に、私の知らない
理事がどんどん入ってきたんです。これはいくらなんでもと考えて、他にも理由があって、
事務局長を更迭する決断をしたのですが、これが紛争の原因でした。
反乱を起こしたこの事務局長は旧生長の家、現在の日本会議系の人間で、
「つくる会」はそこの人たちで埋められそうな勢いだった。私が会長を辞め、名誉会長という名で
半腰になった頃から、「つくる会」は日本会議に乗っ取られるのではないかという形勢になった。
(略)
―結果、紛争は泥沼化してしまいましたね。
 メンバーの藤岡信勝の名誉を毀損する怪文書事件なるものが起き、藤岡は名誉毀損裁判で敗訴するものの、
八木グループがそのデタラメな文書をばらまいたこと自体は裁判で証明され……。
昨日まで仲間として、有志としてやってきた者たちがなんでこんな卑劣なことまでしたのかと。
でも、私が一番許せなかったのは、そしてこの紛争の中心人物は安倍晋三ですよ。
それは、この騒動のそもそもが旧生長の家、現在の日本会議に端を発していることからもお分かりでしょう?


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