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523:考える名無しさん
18/01/28 08:19:12.89 0.net
後、彼の妻もバト・ミツワー(女性の成人式)の儀式を受けた[14]。
パトナムはハーバード大学の人気教師であった。また両親の影響を受けて
政治活動にも積極的で、1960年代から1970年代前半まで公民権運動擁護と
アメリカのベトナム派兵への反対のために積極的に発言した[13]。
1963年にはマサチューセッツ工科大学に初めて教授陣と学生が共同で運営する
反戦のための委員会を組織した。デイヴィッド・ハルバースタムのベトナム戦争報道に
憤激したこともある。パトナムは、アメリカ軍が枯葉剤を散布したことが
ベトコンから南ベトナムの農民を「守る」ことになったとハルバースタムが主張していると
思ったのである。
また、1965年のハーバード大学への移籍以降も、キャンパス内で抗議運動を
呼びかけたり、マルクス主義についてのセミナーを開いたりするなどの活動を行った。
ハーバード大学の学生が組織した「民主主義社会実現をめざす学生たち」の
運動の顧問を務め、また1968年には進歩労働党(PLP)の党員になった[12]。
1968年以降はPLPの活動を中心に政治と関わることになる。
ハーバード大学哲学部はこうした活動を問題視し1971年にパトナムを譴責することを
試みたが、他の2つの学部から譴責に十分な理由がないことを批判された[15]。
しかし、1972年以降はパトナムはPLPとの絆を断つことになった[16]。
1997年にはボストンのArlington Street Churchで開催された元徴兵忌避活動家たちの
集会の席上で、みずからのPLPへの参加が誤りだったと述べた。
彼によれば、当初彼は、PLPが協力関係の形成を約束しており、軍隊の内部から
組織化を始めようとしていたことに感銘を受けたのだという[13]。


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