【台湾】日本語と似た言葉「ニホンゴ」を話す村で今も中高年中心に母語 日本が台湾を統治した時代に生まれた言葉[08/01] at NEWS4PLUS
[2ch|▼Menu]
1:しじみ ★
18/08/03 03:31:16.38 CAP_USER.net
台湾北東部・宜蘭(ぎらん)県の寒渓(かんけい)、澳花(おうか)、東岳(とうがく)、金洋(きんよう)の4村では、日本語と似た言葉「ニホンゴ」が、今も中高年を中心に母語として話されている。
現地で調査を続けてきた言語学者によると、日本が台湾を統治した時代に、先住民の言語が日本語に接触することで生まれた新しい言語という。
 東岳村には、主に先住民タイヤル族とセデック族が住む。海に近く、駅前には特産のトビウオの像が建つ。
ニホンゴを研究している大阪大の真田信治・名誉教授(72)=接触言語学=と、その教え子である東華大(台湾東部花蓮(かれん)県)の簡月真(かんげつしん)准教授(47)=同=が村民に聞き取り調査をした。
 「ここに四つのカバンがあります。『どのカバンが私のカバンですか』は、どう言いますか」。簡氏が、村に住む薩美玉(さつびぎょく)さん(71)に中国語で尋ねた。すると、薩さんはニホンゴで「ドコノ、カバンガワシノ?」と答えた。
この言葉では、女性も一人称は「ワシ」。日本語の「どの」は「ドコノ」。真田、簡の両氏はこうした調査を続け、ニホンゴの語彙(ごい)や文法の特徴などを論文で発表してきた。
 2種以上の言語が接触し合って新言語が生まれ、次の世代では母語として使われる。これは「クレオール語」と呼ばれる。クレオールは「植民地生まれ」を意味するフランス語。
この「ニホンゴ」のように、元の言語の使い手がうまく聞き取れない新言語になっている点が特徴だ。
真田、簡の両氏は宜蘭県のニホンゴを「宜蘭クレオール」と名付けた。
 ニホンゴが生まれた背景には、日本による先住民統治政策の影響が考えられる。日本は台湾を領有後、山間部にいた先住民の統治を進め、平地近くへ強制的に集団移住させる政策を進めた。
台湾総督府が編集した「台湾統治概要」によると、移住者は1941年末時点で4万人あまり。東岳村などの4村には、別の土地からタイヤル族やセデック族が移された。
一方で、日本政府は日本語教育を徹底した。その結果、タイヤル語、セデック語、日本語という三つの言語が交錯するようになった。
 「タイヤル族とセデック族は言語が異なり、意思疎通が難しかった。そこで日本語が共通語として使われるようになり、二つの言語と混ざり合って『宜蘭クレオール』になり、次の世代に引き継がれた」
 簡氏はこう解説する。
 4村の人口は計約3200人。だが中国語教育を受ける若い世代はこの言葉を話さない。ニホンゴには文字もなく、このままでは消滅する。「植民地統治はあってはならないが新言語が生まれたという事実を、歴史に記す必要がある」
 真田氏はこう力を込める。簡氏も「4村の人々が巧みに、タイヤル語の重要な要素を残した新しい言葉を生みだしたという事実を決して無視してはいけない」と強調した。
■「クレオール語」世界に100種 公用語も
 「クレオール語」は世界各地で100以上が報告されている。かつて欧米諸国が植民地化した中南米やアフリカ大陸の国々に多く、長く偏見にさらされてきた。だが各国が独立した後は、一部が公用語として認められた。さらに言語の融合が独自の文化を生み出し、再評価が進んでいる。
 世界的にみれば、現地の言語が、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、英語などと接触して生まれたものが多い。フランスの海外領土や旧植民地の多くでは仏語系クレオール語が現在も使われている。フランス文化・通信省の推計で、話者は計約1000万人。
カリブ海の島国ハイチやインド洋の島国モーリシャスなどでは住民の大多数がクレオール語を話す。
 仏語と西アフリカの言語のクレオール語であるハイチ語は1961年、ハイチの二つ目の公用語となった。パプアニューギニアや中央アフリカ共和国などのクレオール語も公用語だ。
 欧米を中心に言語学研究が急速に進んだことも、再評価の動きを後押しした。
 続きはソースで
URLリンク(cdn.mainichi.jp)
URLリンク(cdn.mainichi.jp)
毎日新聞
URLリンク(mainichi.jp)


レスを読む
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2092日前に更新/35 KB
担当:undef