中国侵略の戦争で行った罪悪の数々 at HISTORY2
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1:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/12 15:29:09.04 NuitfNy00.net
 
夕暮頃、三三五五に中隊の間を潜り、そこで人員の点呼がされ、十名近くの戦死者と十数
名の負傷者が明らかにされた。機関銃小隊長の田●中尉は負傷後、再び弾に当たって死ん
だ。指揮班長の川●曹長も、衛生兵の宮●も、誰々……も、死んだと認定された。私の
小隊では七名のうち、原●上等兵が頭を打ち抜かれて死んだ。伝令の高●一等兵は、胸部
を貫通され、私は大腿部を盲貫で負傷した。中隊長は、中隊長室に入り込んだまま、うつ
伏せて死んだように動かない。
その晩、曲周県域は八路軍に襲撃された。残って動ける者は城門の周りを右往左往して、
どうにか夜明けまで持ちこたえた。翌朝、八路軍が引き上げた後、邯鄲の旅団司令部から
一個大隊の討伐隊を乗せたトラックと、数輌の救急車が応援にきた。私はその日、邯鄲の
患者収容所に送られ、さらに石家荘の陸軍病院に送られた。
それから数日後、てっきり戦死したと思って、死亡証書まで書かれた衛生兵の宮●一等兵
が、八路軍からきれいに傷の手当てを受けて、担架に乗せられ中隊の分屯隊、邱県に送り
返されてきた。これを見て中隊ではびっくりした。急きょ、曲周県域にかけつけた大隊長
の中●中佐は、八の字の鬚を逆立てて、顔を真っ赤にして地だんだ踏んだ。
「無敵皇軍が山砲をとられ、擲弾筒をとられ、それに捕虜になった大不忠者まで出した。
まことに不面目至極だ!」と、怒鳴り散らした。そして傷で寝たきりの衛生兵宮●を軍法
会議に送るといい、「こんな者に治療する必要は無いっ」と軍医に怒鳴っていた。
その後、病院で寝ている宮●と会ったとき、彼は「むしろ弾に当たって死んだほうがどれ
だけ良かったか」と泣きながらため息をついていた。

私は今、右腿にある皮膚をひきつったような醜い傷跡を見つめると、この日の思いがまざ
まざと日に浮かぶ。無敵皇軍の連戦連勝のいつわりが、そして侵略した不正義の軍隊の
破れる姿がよみがえってくる。
第二次世界大戦で「精鋭」を誇った日本軍が、劣等な兵器をもって闘った八路軍に敗れ、
朝鮮戦場で細菌や毒ガス、ガソリン弾まで動員した聯合軍が敗れ、越南ではフランス侵略軍
が敗れた。戦争の勝敗は兵器の優劣や多寡でなく、自己の神聖な郷土を守る強い力である
ことを人民の勝利は立証している。不正義は正義の前に必ず打ち破られる。
私は再び、皮膚に消すことのできないこの醜い傷跡を見る時、中国侵略の戦争で行った
罪悪の数々が思い出され、そして若き日の精魂を、誤れる目標に捧げたことに、悔恨と
口惜しさがこみ上げてくるのである。


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