【情報統制】「戦後」縛る占領体制(1) GHQの『洗脳工作』 検閲で日本人改造 [11/28] at SEIJINEWSPLUS
[2ch|▼Menu]
81:あなたの1票は無駄になりました@\(^o^)/
16/12/03 06:28:47.27 ONLx0CYz0.net
西尾幹二のインターネット日録
URLリンク(nishiokanji.com)
<戦時中の米国の対日行為>
 以下は本で知った話です。戦時中米国のグラフ雑誌の表紙に、少女が前線の兵士に手紙を書く場面が
写されていますが、そこに前線の兵士から送られた、死んだ日本兵の"しゃれこうべ"が置かれていたの
です。これは戦時中日本で報道され、"鬼畜米英"のフローガンの原点になったらしいが、こんなことの
報道は勿論占領期間中は厳禁されています。ですから、今の日本人には戦時中の"鬼畜米英"のスローガン
は、人道的な米軍の実態とはかけ離れた、日本の軍国主義の宣伝に国民が嫌々従ったものと理解されて
いるのです。日本の民間人の集団自決が日本軍の命令によるものであるかのように伝えられ、自決せず
とも"人道的な"米軍に助けられたと言う風に思われているようです。でもグラフ雑誌でアメリカ人の本性
を知っていた戦時中の日本人は本当に"鬼畜米英"と思っていたはずです。
 戦争中には、聯合国による戦争犯罪行為もかなりあったことは、インバール作戦などの戦記にも負傷
した日本軍将兵にガソリンをかけて焼き殺した光景が遠くから見えたとの記述に残されていたと記憶します。
その最大の残虐行為は非戦闘員に対する原子爆弾による無差別殺傷です。
<原爆被害写真>
 検閲、言論統制が厳格に守られたのは広島・長崎の原子爆弾の被害写真でした。小学校時代5年生の時、
サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年ですが、我々は初めて、アサヒグラフで原子爆弾の凄惨な
写真に戦慄したのです。
 これは占領期間中は絶対に報道されませんでした。仮にポツダム宣言による報道、言論の自由が確保
されていれば、戦後直ぐにこの写真は公表されていた筈です。その場合に果たして、聯合国が極東軍事裁判
が「平和に対する罪」「人道に対する罪」で日本の指導者だけを裁くことが出来たでしょうか。原爆被害写真
が公表されるのは「閉ざされた言語空間」の中で日本人が、占領軍が与える材料と統制、管理の結果、
米国が望むような戦争観、米国観を日本人が抱くように出来上がってからのことなのです。つまり、
原爆被害写真を見ても、日本人は、米国には無害化されていたのです。

GHQ焚書図書開封 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2008/06)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
GHQ焚書図書開封〈2〉 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2008/12)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
GHQ焚書図書開封3 [単行本]
西尾幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2009/10/31)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2010/7/27)
URLリンク(www.amazon.co.jp)


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

173日前に更新/49 KB
担当:undef