【週刊新潮コラム】上海万博:日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国−櫻井よしこ[11/20] at NEWS4PLUS
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1:はらぺこφ ★
10/11/20 19:59:19
 中国の次なる飛躍への踏み台ともなる上海万博は、10月31日、6ヵ月間に7307万人、大阪万博の
6422万人を超える万博史上最大入場者数を記録して終了した。中国政府は、万博は大成功だったと
自賛し、「改革開放政策を進める自信と決意を強固に、平和発展と開放を両立させる道を歩み、世界
各国と連携を深める」と発表した。だが中国の威信をかけて「成功」させた万博で、中国の異質さを
象徴するような事件が起きていた。10月15日深夜、新潟県長岡市が持ち込んだ山古志村の錦鯉が毒殺
処分されたのだ。

 錦鯉を展示した高野国列氏が詳細を語った。氏は42歳、山古志村で60年の経験をもつ父に学び、約20
年間、錦鯉を養殖、現在、長岡市錦鯉養殖組合(以下組合)の青年部長だ。

 「上海万博では生き物は展示出来ないそうですが、例外的に認められ、錦鯉を展示することになりま
した。今年5月頃、長岡市から話があって、準備に入りました。鯉は日本に持ち帰れないという条件で
したが、展示終了時点で中国の公共の施設か業者に贈ろうと、皆で決めました。経済的には大出費です
が、山古志と日本を代表するのですから、立派な美しい鯉を5匹選びました」

 いまは長岡市と合併した山古志村は、山古志牛の産地であると共に錦鯉発祥の地としても知られてい
る。6年前の中越大地震のとき、底が割れて水が技けた池で多くの錦鯉が死んだ。人々はわが子を死な
せてしまったように悲しみ、残された鯉を大切に育て、錦鯉養殖の伝統を守った。

 その大切な鯉を中国に搬入したのが10月12日だった。日本側代表団は、組合の5名と『月刊錦鯉』の
記者1名の6名だった。リーダーは野上養鯉場の野上久人氏である。一行は12日深夜に作業を開始、翌
朝5時すぎには日本館催事場に水槽を完成させ、鯉を放ち、午後3時の開会式典後、一般公開した。野
上氏が語る。

■「病気があるため殺す」

 「中には食べられるかと尋ねる中国人もいましたが、美しい鯉に、皆、感嘆の声をあげていました。
催事場はテニスコートー面分程しかなく、そこに15日午後8時までの2日半足らずで2万6000人が
来て、身動き出来ないほどでした」 押すな押すなの2日半が過ぎ、15日の午後8時に展示が終わった。
深夜までに片づけ、次に展示する京都の人々に明け渡さなければならなりそのとき、事件は起きた。
「中国人数人が突然入ってきて、我々以外全員を外に出し、バタバタッと水槽を取り囲みました。物々
しい雰囲気の中で鯉を指して、『病気があるため殺す」と言ったのです。私は思わず言いました。「病
気なんかない。入国のときにきちんと検疫を受け、中国側も認めたでしょう』と。

 しかし、いくら言っても、『病気だ』の一点張りです」と、高野氏。 押し問答する内に全員、感情
が高ぶり、高野氏が言葉を荒らげた。 「『ふざけるな、何年もかわいがって、作り上げてきた鯉を
(殺すなんて)、人道的じやねえ』と言ってしまいました」と高野氏。 激しく言い募る氏を、仲間た
ちが止めた。「もう止せ」と言いながら、1人はボロボロと涙を流した。そのときだ、中国側が突然、
水槽にドボドボドボと液体を注ぎ込んだのは。 「途端に鯉が痙攣し始めました。もう助けようがあり
ませんでした」と高野氏。悔しさと悲しさと屈辱で呆然とし、氏はその後、何をどうしたのかよく覚え
ていないという。 錦鯉を上海万博で世界の人々に見て貰いたいと考え、生き物は搬入不可のルールに
例外を設けるよう尽力したのは長岡市長の森民夫氏だった。

 氏は、錦鯉は「長岡市、ひいては日本の宝」であり、「泳ぐ宝石」だと語る。中国人に素晴らしさを
知ってもらい、鯉の販路拡大に弾みをつけたいと願っている。

 鯉の一大産地の新潟は錦鯉の80%を欧米諸国やタイ、マレーシア、インドネシア、台湾などに輸出す
る。中国への直接の販路は築かれていないが、台湾、香港経由で輸出されてきた。森氏は、5匹の鯉は
かわいそうだが、輸出の道筋をつける意味で、上海での展示は意味があったと語る。

>>2に続きます

週刊新潮 2010/11/25号(11/18発売)
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