宇宙の終焉はあるのか? at SKY
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298:名無しSUN
[ここ壊れてます] .net
座標原点が無い、つまり〈ここ〉からが無いから〈ここ〉までは無い
つまり無限で終焉もまたない
自然は無矛盾で理解可能だが、規定は否定だから決定不能となる
決定不能は対象が無矛盾、つまり理解可能だからこそ
解らないということが解るわけだし

ビッグバン仮説は
対象が宇宙非宇宙を想定して矛盾してしまう
エネルギー保存則の否定
光速度一定の原理がその存在を否定する絶対座標を前提とする

つまり科学を否定するありえない仮説

299:名無しSUN
[ここ壊れてます] .net
今世紀中には否定され消滅する天動説的宇宙論

座標原点、静止が存在するという宇宙論なんてナイナイ

300:名無しSUN
22/10/28 17:23:13.75 ctrzorHQ.net
生物の進化により人類が自意識を獲得してしまったのは本当に不幸だと思う
死の恐怖を和らげるために神が生み出されたのは必然だ

301:名無しSUN
22/11/03 09:50:55.78 5Asu6UlL.net
新約聖書学はイエスはキリストではないことを証明し思想的には対立する可能性を示した
ブルトマンは学問と信仰は別と声明した
不完全性定理の結論に呆然としたヒルベルトはそれでも受け入れた
共産主義を推進しようと学として展開した学者は共産主義実現は甚だ困難、事実上無理と結論した
物理学の結論は多くの人を絶望に陥れるのではと予想している
ちなみにある唯物論者は国家は不滅で人間が死から免れない限り宗教は不滅と述べている
まあそうなんだろうな
人は死にたくたい w

302:名無しSUN
22/11/03 10:00:02.71 5Asu6UlL.net
自然、非自然という否定関係の想定→対象が矛盾する→理解不能
というか理解不能だから根本的に科学が成立しない
終始存在説はその理解すら不能です
認識が成立しないのだから

303:名無しSUN
22/12/25 14:11:37.76 1zKpUVqy.net
エネルギー保存則無視すんな

生まれる→物理状態の遷移
死ぬ  →物理状態の遷移

物理として何も生まれないし無くならない

なのに宇宙は生まれたり終焉を迎えると科学者は言う

ないないない、有り得ない www

304:名無しSUN
22/12/25 14:18:29.27 1zKpUVqy.net
認識には存在しても静止、生死は存在しない
科学は見たものがそのままの自然ではないことをその歴史で示してきた

それが何を意味するのか考えてもいいかと

科学者は哲学を軽視する
その実粗末な哲学に囚われている

ある学者の言葉

305:名無しSUN
23/01/06 08:41:23.50 me5DVqMW.net
ビッグバンはなかったし過去も未来も永遠で、ただ状態が変化し続けているだけということ?
それにしても人間や動物の意識がただの物質から生まれているということは本当に不思議だよな

306:名無しSUN
23/01/10 18:33:16.01 w5k0s4n+.net
自然は運動するエネルギーの濃淡で親和反発の過程で様々な濃淡が生成する過程として在るという理解
この物理状態に成るなぜこうなるのかは解らない
何故何故は無限に遡及され終点は無い
この物理状態成ると何故かは解らないが自己言及可能な物理状態に成る
物理としては何も無くならない生まれないが意識は誕生し無くなることから物理ではないことが解る
ケーキという物理状態は遷移して無くなるが物理そのものは生死は無い

307:名無しSUN
23/01/10 18:44:55.01 w5k0s4n+.net
というか・・・
わたしとある物理状態を規定する
わたしは誕生、つまり物理状態の遷移だが今まで同一であることは無い
この今も静止していることは無いから
規定は否定
対象をその否定で規定すると決定不能になる
哲学で言う矛盾
クレタ人の逆説、二律背反、運動定義は否定で規定するから
であってではない、ということ
ウイルスが生物非生物と分類困難なのは分類するから
決定不能もまた
宇宙と規定しても同一であることはない
同一であることはないが同一で規定する
光速度一定の原理は絶対座標、つまり運動を静止で規定することを示す
そして静止が存在しないことにより無矛盾であることを示す
規定が分類し難いことなどの困難を作る
規定こそが問題ということです

308:名無しSUN
23/01/10 18:46:44.04 w5k0s4n+.net
>>305
終始で規定するが終始は存在しない
自然が存在する理由は無い

309:名無しSUN
23/01/10 19:03:43.73 w5k0s4n+.net
認識器官には静止、生死、無という自然に存在しないものが存在する
エネルギーの濃淡の淡は認識器官には像として生成されない
自然は一だが認識器官には多として像は生成される
物理状態である淡は像として生成されず無で生成される
座標原点は多として生成される像の抽象
四次元が存在したら否定されている静止である三次元が無限に存在することとなる
有を無で規定する
此処、今と指示しても飛び去る
つまり直接運動は捉えられないから量で理解する
微分積分の〇に限りなく近いが〇ではないという定義となる
有を無で規定するから測定しても近似値でしかない

見た通りの自然ではない、また近似値は必然
=では認識できないというのがわたしの理解です

静止は運動の一形態、生死は物理の状態、つまり形態で否定関係では無い
差異を否定で規定しているということです
あなたもわたしも金属では無いが物理としては差異の状態であり否定関係では無い
規定を理解することもまた科学は必要だとわたしは考えています

310:名無しSUN
23/01/10 19:09:05.16 w5k0s4n+.net
>>305
自然は理由も無くただ在るだけだと理解しています
何故存在するかは実は問えない
また何故この物理状態に成るとこうなるのかは実は解らない
ただそうなるだけだということです

311:名無しSUN
23/01/10 19:51:53.77 w5k0s4n+.net
絶対座標は存在しないから終始は存在しない
始まりは終わり、終わりは始まり
わたしが生まれるということはある物理状態の終わりでもある
わたしが死ぬということはある物理状態の始まり
物理としては何も無くならないし生まれない
ただ物理状態が遷移するだけ
同一で規定するが同一であることは無い
わたしであってわたしではない

規定、このことを理解しなければならない

終始で規定するが終始は存在しない
ビッグバン仮説は自然を終始で理解するが自然には終始が存在しないということを理解していない
天動説は地球が静止していると仮定して観測するのであるが静止は存在しないことを理解していない
ビッグバン仮説は天動説の末裔
みたものそのままが自然では無いことが科学の歴史

312:名無しSUN
23/01/10 22:12:18.24 w5k0s4n+.net
今は独立して存在するわけではない
それは自然の存在形態である運動の抽象
運動は物理、自然と切り離せるわけではない
次元一般は自然の抽象
自然は運動するエネルギーの濃淡、〈一〉であり〈多〉ではないが認識器官は全てを反映しないから〈多〉として像を生成する
その抽象が次元
あくまでも認識器官に反映した自然の像であり、自然そのままでは無い
認識器官に生成される静止、生死、無は自然には存在しない

313:名無しSUN
23/01/11 08:52:01.80 VMbdY3iE.net
水爆開発した科学者は科学は突き進むだけで使うか使わないかは科学者が判断することでは無いと語ったとかテレビで紹介していた
新約聖書学、数学、マルクス主義、それぞ゜れの学は学者の思想というか期待を裏切る結果になる
いや、物理学は人間の願望を粉砕するのではと思ってしまう
新約、数学はドイツで出した結論に呆然とする
マルクス主義も否定的結論を導く結果を出した学者は
彼の論文を基にして展開した政治学の弟子の結果にブツブツと独り言を述べるだけだった
物理学の結論に人間はどう対応するのか

314:名無しSUN
23/01/13 15:40:07.31 1nYB/9XP.net
ゼノンの逆説は自然が多ならばこういうことになます
自然は〈一〉ですという論旨
これは数で規定するが存在しないということ
光速度一定の原理は絶対座標、点、0次元は存在しないことを示す
また静止は存在せず運動が自然の存在形態、つまり無矛盾ということ
運動を前提に否定関係は導けないから、自然は運動するエネルギーの濃淡ということになる
ディラックの海は、真空がエネルギーの基底状態であることを示す
つまり無は文字通り存在しない
自然は〈一〉であり〈多〉ではない
認識器官に静止、生死、無は存在するが自然には存在しない
濃淡の淡を認識器官は像として生成できず自然は多として像を生成する
その抽象が次元
0次元は存在しないし点を無限に集めても、幅が無い1次元を無限に集めても
厚みが無い二次元を無限に集めても・・・
静止している三次元を無限に集めても運動するわけではない
四次元が存在するならば静止している三次元が無限に存在することに成る
否定は規定、有を無で規定するから、直接運動は捉えられず量とし捉えるしかない
時間は規定であり、存在しない
次元は、数は認識の問題であり、自然には存在しない

315:名無しSUN
23/01/14 06:54:23.30 d7TaBdhv.net
繰り返すけど
対象を存在として前提する
対象が無矛盾ならば存在という前提が成立する
面倒なのは存在という前提は対象が無矛盾だから決定不能、つまり矛盾ということになる
存在と規定するからこそ
運動が存在すると規定する
しかし存在とは否定、この場合は静止
今、此処に存在するのだが、今、此処、という有は指示すると飛び去る
有を無で規定するから
宇宙が存在する、宇宙は同一であることは無いが同一の宇宙と規定する
わたしという存在もまた
存在もまた同一ということ
此処に在るが、此処は運動している
運動を否定で規定している
此処に在るのだが、在るとは静止
つまり否定で規定するから、存在すると同時に存在しないことと定義しなければならない
決定不能なのだが対象が無矛盾でそれを否定で規定するから
光速度一定の原理は規定は存在しないということを示すことにより自然が無矛盾であることを証明する
規定は理解するから必要である
それは存在しないのだということ
ウイルスは生物非生物と分類困難な対象
それは物理状態を否定関係で規定するからであり、物理状態の差異を否定関係で規定することから出来するのであり、規定自身が規定困難な対象を産むだけで、なんら対象である自然の問題では無い
決定不能、矛盾とは規定が否定だからであり、なんら自然の問題では無い

316:名無しSUN
23/01/16 12:58:08.80 yHSH56PL.net
科学は未だ基本が確定していない
だからこそ個々の理解は徹底的には否定できる段階じゃないのかも
いろいろあっても良いのだから、自由にやろうよ
わたしは自然の無矛盾な理解と理解とは何かを追究したい
超ヒモ理論もビッグバン仮説も認識する自然がそのままの自然という天動説の誤謬から逃れていないとわたしは理解している
「ここ」からなど無い
「ここ」までもまた無い
終わりは始まり、始まりは終わり
矛盾は規定するから
光速度一定の原理は自然における絶対座標、つまり始まりを否定している
ならば自然は無限で永遠ということではないだろうか
終始で規定するが終始は存在しないということかと

317:名無しSUN
23/01/16 18:22:56.95 yHSH56PL.net
だからさ、数式で観測問題は解決しないよね
重力概念も未だ未解決

いろいろ考えなおした方が良いんじゃないかなと横目で見る立場から思えるんだ

光速度一定の原理が何を示すのかはまったくの放棄状態

基本に還った方が良いんじゃないかなと思うんだ
ファイアアーベントは専門家の過ちを素人が正すことは良くあることと語る
それはともかく納得できる自然観を構築して欲しい
素人には何が何やら

318:名無しSUN
23/01/17 21:26:02.03 9TiShGPg.net
古代ギリシャはいろいろ面白い考え方が花開いたようだ
地動説も進化論もそうだし、フロイト心理学の祖型もあるとか
でコペルニクスとか典型に古代ギリシャに還ったりする
パルメニデス、ピタゴラスとかもあるし
数の定義である大きさが無いというのはパルメニデスの弟子ゼノンが師の自然観擁護で展開したことから
で飛ぶ矢は飛んでいないという逆説が生まれたりする
万物は流転するとか、もういろいろ
ルクレティウスのは古代ギリシャのエピクロスの祖述であり、著作が失われたから重宝されている
快楽主義という批判はキリスト教と対立するから貼られたレッテルとか
個人的にはエピクロスはパルメニデスりが認識の相対化可能にする地点にいるのに比べて本質的ではないように思える
ある地点まではとても有効な視点ではあるが
現代に必要なのはパルメニデスとスピノザだと考えている
クレタ人の逆説が対象と規定の関係の本質を示しているというのがわたしの理解


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