【疑問】スレ立てるま ..
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325:人間七七四年
22/10/19 22:46:35.45 .net
最果ての地の貴族といえば時折、信長の野望に出演する浪岡北畠さんでしょ
何を考えてわざわざ青森県で貴族やってたのか

326:人間七七四年
22/10/20 07:13:22.63 RUzBdjgu.net
東北を南朝方で染めるために頑張ってたんじゃん

327:人間七七四年
22/10/20 07:19:09.30 BBjf/bxb.net
そうでなくて。どうして戦国時代になっても京都に帰らなかったのかが不思議

328:人間七七四年
22/10/20 07:40:19.82 RUzBdjgu.net
貴族としてやっていく基盤もなくなった京都に戻る必要があるのかな
官位も北朝方に占められているし戻らない他の南朝方の貴族もいたんじゃないのかな

329:人間七七四年
22/10/20 07:52:31.88 GjV6qETi.net
>>321
南北合一の際、吉野から戻った貴族の大多数は貴族として生きていく枠が存在しなくて、オワターと記録されてるしな
戻らないで生活できるなら京都に戻らない方がましだったはず

330:人間七七四年
22/10/20 11:58:48.55 LNNIQ9


331:Jr.net



332:人間七七四年
22/10/20 17:25:12.46 s0WfoooH.net
名目だけの存在だったから。伊勢北畠氏だけは実態があったが結局は守護を兼任した。

333:人間七七四年
22/10/20 18:27:27.29 GjV6qETi.net
伊勢の守護って土岐だろ、早くに滅んだけど。

334:人間七七四年
22/10/21 07:10:25.24 t6qo5YID.net
>>322
その没落した貴族はその後どうなるの?

335:人間七七四年
22/10/21 08:53:30.00 s1ImtvT1.net
没落貴族はどこかで断絶じゃないの
男子で代々家を継承していくにはそれなりの経済力もいるから

336:人間七七四年
22/10/21 12:07:29.18 UYNTcsBL.net
後南朝はなぜフェードアウトしたのか

337:人間七七四年
22/10/21 15:25:29.47 g1TxsXHa.net
King of 没落貴族は
松殿さん
で間違いない

338:人間七七四年
22/10/22 06:47:06.59 O/7bsmzY.net
普段はウィキとかしか読まない者なんですがオススメの本が知りたいです
まず手始めに戦国時代の年表をまとめている本を読もうと思っていますが可能な限り細かく書いてあるものがいいです
値段は問いません

339:人間七七四年
22/10/22 10:34:46.40 455dfKmx.net
>>330
すでに新本は手に入らなくて古本だけだが、クロニック戦国全史 なんかはどうかな?

340:人間七七四年
22/10/22 11:18:16.32 O/7bsmzY.net
>>331
こういうのが欲しかったんです
ありがとうございます
ひとまず買ってみてからまた何かあったら質問させて頂くかもしれませんのでその時は何卒宜しくお願いします

341:人間七七四年
22/10/22 23:58:54.49 zmFF/nZm.net
>>326
大内のように理解のある武家を頼って下向したんじゃねえの。何だかんだで大名や有力者は
朝廷から賜る叙任官位や上位貴族から買える系図を求めていたしその橋渡し役に没落貴族は丁度いい

342:人間七七四年
22/10/25 11:47:10.95 pkHr+vGb.net
武田信玄の正室、三条夫人(三条の方)についての質問です。
日本史上の女性は○○院と呼ばれ固有名詞として扱われていることが多いですが、その由来は戒名(院号?)かと思います。
三条夫人(三条の方)もキチンと戒名が伝わっているのに、円光院という呼び名が一切使われず
取ってつけたように、生家の名字+αで呼ばれているのは何故なのでしょうか?

そこまで深い理由はなく、三条夫人で一般的に広まってしまったから、というだけの話でしょうか?
何かご存じの方がいらっしゃいましたら、お教え頂ければと思います。

343:人間七七四年
22/10/25 13:38:31.83 sUzNGRHc.net
新田次郎の小説「武田信玄」の影響だろ
一般的に武田信玄を語る場合はこれがベースな事が多い
ちなみに家康なら山岡荘八とかだろ

344:人間七七四年
22/10/28 23:45:57.37 u16A3Qpr.net
当時の呼び方>法名戒名>実家の名字 なんでは?

345:人間七七四年
22/10/29 00:12:44.99 pqgf7/LO.net
なにが?

346:人間七七四年
22/10/29 00:37:42.35 1eimikTy.net
>>336
教科書に乗ってる人名の相当数が、当時の呼び名では呼ばれていないわけだが

347:人間七七四年
22/10/29 01:54:18.47 eSLLmyut.net
>>338
例えば武将や大名ならば、
同時代の呼称に係わらず現代の学術水準ではどう表記するかという慣例が確立されている。
女人についてはそれが必ずしも確立されていないことが呼称に於ける混乱や恣意性を許してしまっている。
 

348:人間七七四年
22/10/29 07:43:40.67 FbwQj3/N.net
>>336が急に話を変えて来てるんだが何の話がしたいのか??
なにが?

349:人間七七四年
22/10/29 08:21:07.08 OhwaXefH.net
女性の呼称でしょ?
日数は経ってるけど、すぐ前にその話があがってるでしょ

350:人間七七四年
22/10/29 08:42:23.98 1eimikTy.net
当時の呼び名は史料には残ってなくて不明
てひとが大多数
当時の呼び名がわかる人は例外的

351:人間七七四年
22/10/30 10:50:03.83 fqguTdqc.net
武田信玄 晴信 だろ
上杉謙信 輝虎 だろ
松平春嶽 慶永 だろ
 

352:人間七七四年
22/10/30 11:18:05.96 jTqrdxuN.net
例えば
「陶隆房」が「陶晴賢」に改名したことを知らず
更にその「陶晴賢」本人が死んだあとも
それでも「陶隆房」としか記憶してない人もいただろうな

353:人間七七四年
22/10/30 11:22:53.30 M4oum/Q+.net
>>343
それは呼び名じゃなくて実名(ジツミョウ)で、呼び名として使われることはない。
公文書でのサイン用とかで使うぐらいだが、当時の大名が書く文書の大多数は私文書で公文書じゃないんだよな

354:人間七七四年
22/10/30 12:09:22.18 Lc40o85F.net
書状とか読めないまでも興味すらないんかい?

355:人間七七四年
22/10/30 12:36:14.94 JvtIC3qG.net
鎌倉時代は小四郎とか生誕順の~郎だらけだったみたいけど
いつ頃から官職自称が始まったんでしょうか?
室町時代初期は既に官職呼び?

356:人間七七四年
22/10/30 13:50:45.91 Lc40o85F.net
官職自称が当たり前になったのは室町時代やね
官職呼びはもとは公家の文化で初期の武士はしてなかったが鎌倉時代を経るうちに
金で買えたり関東じゃなんちゃって官職名の東百官が当たり前だったり先祖が貰ってたら子孫の自分も名乗っていいだろとかグダってった

357:人間七七四年
22/10/30 14:03:50.36 Lc40o85F.net
>>345
一応言っときますが私文書でも差出人署名は普通は実名(諱)です。

358:人間七七四年
22/10/30 14:32:37.52 JvtIC3qG.net
>>348
ありがとうです

359:人間七七四年
22/10/30 18:25:47.07 azrVygi8.net
現代の一般的な呼び方がどういった経緯でそうなったかというのが元々の話だろ
一般的呼称がなぜ厩戸皇子じゃなく聖徳太子なのかがわからないアホも多い

360:人間七七四年
22/10/30 19:02:35.61 oGNelEVl.net
大名が家臣・領民・他大名に出す書状が私文書🤣

361:人間七七四年
22/10/30 19:16:20.69 22K28vFW.net
戦国時代の公文書っなんだ?御判御教書?御内書?幕府奉行人連署状は?大名の制札は?朱印状は?黒印状は?起請文は?神仏への願文は?寄進状は?

362:人間七七四年
22/10/30 19:28:01.18 bhlH22EJ.net
>>348
グダグダだったけど、没落した公家を迎え入れて箔を着けたりと差別化の努力ははしてた模様

363:人間七七四年
22/10/30 22:15:15.57 v351f34/.net
>>353
幕府や朝廷との公式な遣り取りの文書が公文書。
その遣り取りによって統治権力の正当性を保証された戦国大名は公権力と云って云えないこともないが、割合としては少数派。
他の多くは暴力を以て在地に実効支配を敷く私的権力だから、彼等が領国や他大名に向けて発行する文書は私文書ということになる。
 

364:人間七七四年
22/10/30 23:15:48.42 M4oum/Q+.net
公文書にはそれぞれの文書の種類に応じた書式があり、それにのっとっていない文書は朝廷や幕府からの発行でも私文書になる

大名が家臣や同盟相手等に出す文書はまず間違いなく私文書
文書というよりもむしろ手紙に近


365:いことさえ多い



366:人間七七四年
22/10/31 21:12:01.81 qwOqEhJj.net
>>355-356
あ・た・お・か
書式wwwwww
則っていなければ私文書wwwwwwwww
見てみてえ
書式に則っていない朝廷・幕府の私文書www

367:人間七七四年
22/11/01 17:12:29.29 2oSL/DA6.net
母乳って乳母があげるんですか?
実母も子を産んでるので母乳が出ると思うんですがあげたりしないんでしょうか

368:人間七七四年
22/11/01 18:35:16.06 sZXPqr6v.net
基本的に上流階級では乳母がやるもので実母はやりません。
身分差が大きく叩き上げが多い戦国時代の武士のどこまでが上流階級かはケースによるかと思いますが

369:人間七七四年
22/11/01 19:41:20.09 sZXPqr6v.net
例えばケースによるもっとも端的な例は下層から関白まで成り上がった秀吉で
秀吉が淀君にあてた手紙で「拾に乳をよく飲ませてください、滞りなく養育するように。貴方も良く乳が出るようにめしをよく食べるようにして下さい。」と実母の淀君の母乳で秀頼を育てさせていたのが分かります。
関白ですらこうなので叩き上げが多い豊臣徳川大名なんかもケースに拠る面はあるかと思います

370:人間七七四年
22/11/01 22:20:19.98 JuGRQQD7.net
>>360
淀殿が母乳で育てていたのは
秀吉が当初、参籠による秀頼の受胎&生誕に冷淡だった影響では?

371:人間七七四年
22/11/01 22:56:30.91 sZXPqr6v.net
興味ないです

372:人間七七四年
22/11/01 23:23:19.73 JuGRQQD7.net
興味がないのは構わないけど
せめて淀君はやめてほしい

373:人間七七四年
22/11/03 00:38:08.43 7eKNcDEj.net
大名って江戸城玄関から?は1人ぽっちだったの?
お目見え程度でも年寄りの御三家斬れね?

10万石毎にお供連れられるとか
親類大名同士で固まるのかな?

374:人間七七四年
22/11/03 00:45:51.63 KDGlMKOW.net
>>364
「規範」「法度」と云う名の共同幻想。
いやしくも歴史系のスレに書くんなら共同幻想の何たるかぐらいは理解してから出直して来い。
 

375:人間七七四年
22/11/03 07:07:20.93 nbMN6z3b.net
当時の庶民や下級武士は今と比べても健康的な食生活と聞きますが
具体的にどう健康的だったのでしょうか?
白米や酒は庶民にとっては高価だった以外でお願いします

376:人間七七四年
22/11/03 08:16:57.40 y2dj7W6f.net
砂糖を取らなかったとか?
醤油も流通してなかったから塩分も控えめ?
秀吉は母親が弟妹を母乳で育ててたの見てたんだな

377:人間七七四年
22/11/03 08:27:09.48 vbBPZWaU.net
>>366
どこで聞いたの?

378:人間七七四年
22/11/03 09:36:33.07 gnJBla69.net
間違いなく今より健康的じゃないだろ

379:人間七七四年
22/11/03 10:46:27.81 7eKNcDEj.net
・2次救急の病院
・食料を3倍にする魔法
があってもダメな根拠出せるの?

>>365
300諸侯はお前みたいに、
修学旅行ぼっち
修学旅行ぼっちじゃ無いからwww

380:人間七七四年
22/11/03 11:03:26.89 T8fUaLeb.net
値段の張る塩を控えた食事。高タンパク質、低脂肪の昆虫食。あと摂食する野菜の種類が現代人より多かったとか。

381:人間七七四年
22/11/03 11:36:21.89 6NdXokbj.net
ここは戦国時代板である

382:人間七七四年
22/11/03 11:54:03.31 j6j495aV.net
戦国時代の食生活なんて
下手すりゃ共食いするレベルだろ

383:人間七七四年
22/11/03 12:44:16.06 z3nsbInV.net
>>366
食生活の健康度を決定的に下げてしまう栄養失調に、常にさらされてますからねー
戦国時代には、武士でも下っぱは健康ではなか


384:ったと思います 上の方はともかく、下っぱはわりと病気による早死にも珍しくないでしょ?



385:人間七七四年
22/11/03 12:47:46.08 7eKNcDEj.net
>>366 を
量じゃなくて質
量じゃなくて質を聞いてると読解できない特アでさえ
江戸城中ほどでは、御三家もぼっち>>364
だなんて暴論には異論ないのかよw
関ケ原以前まで敵なんてザラなんだから、
爺ちゃん同じ同士くらいでグループ作るだろうに、、、

386:人間七七四年
22/11/03 12:56:56.62 0rjCqncI.net
ID:7eKNcDEj
キモ

387:人間七七四年
22/11/03 13:35:47.15 whAXE5VT.net
戦国時代って庶民も武士も肉体労働だろうに米と漬物だけで足りるのか

388:人間七七四年
22/11/03 13:45:37.52 z3nsbInV.net
いや、主食は麦だろ
麦の収穫前の春ごろがいちばん餓死が多かったようだぞ

389:人間七七四年
22/11/03 14:38:08.64 7eKNcDEj.net
そんな生きる≒充分な運動に
栄養豊富な玄米&納豆を腹8分目まで3食とか
令和の途上国民でも完敗の「質」だわなw

水や食料の争いが無くなりゃ
ビワみたいなビタミン類の量だけ人口増えるわ

390:人間七七四年
22/11/03 14:58:01.82 7eKNcDEj.net
>食生活の健康度を決定的に下げてしまう栄養失調に、常にさらされてますからねー

それは昭和まで腸に居た寄生虫の仕業とも♪
駆逐して太るわ、免疫が過剰反応してアレルギー出るわで大変w

糞便だけは早々に肥料だって気付けたが
収穫した米から、食いにくさと一緒に栄養捨てたのが白米。
飢饉で仕方なく食べたのが、栄養豊富な雑穀米で、
捨ててた大トロが高級品になったんだっけw

391:人間七七四年
22/11/03 15:10:53.72 gnJBla69.net
NGしとこう

392:人間七七四年
22/11/03 15:46:23.44 7eKNcDEj.net
↑異論すら出せない馬鹿がよくする
必死の抵抗≒見えないフリの表明で、
やっと量じゃなくて質の話だと認識できたのが分かるなw

393:人間七七四年
22/11/03 17:44:26.22 iwIMMKya.net
>>381
勝手にしとけ
何をNGにするかなんて
各々自分で決めるだろ

394:人間七七四年
22/11/03 20:26:43.91 i8I30kRP.net
>>368
庶民にも江戸患いのような生活習慣病が出始めたのは江戸時代からなので。

>>374
栄養失調はその通りだけど、知りたいのは生活習慣病や食生活が
原因での病気は庶民はあまりなかったようなので何を食っていたのか

395:人間七七四年
22/11/03 21:57:18.82 gnJBla69.net
>生活習慣病や食生活が原因での病気は庶民はあまりなかったようなので

まずこれがなんのこっちゃなんでソースは何ですかね?もしその通りに書いてあったならただのクソなんで忘れればいいですよ。

396:人間七七四年
22/11/03 22:11:22.95 gnJBla69.net
玄米を中心に補助に麦蕎麦雑穀などの穀物を大量に
それにその時取れる野菜と野の物と少量の魚などの動物タンパクを鍋にぶっこんで
味付けは塩だけで煮た雑炊が庶民の当時の基本的な食事と言われています。
冬の野菜系は漬物だけ。娯楽は飲酒ぐらい

玄米が完全食に近いからどうにかなってたけど現代から見れば非常に偏った食生活なんで理屈上は生活習慣病も比じゃなかったでしょ。
高脂質や喫煙などの現代型の生活習慣病がないというならだからなんだという話です。

397:人間七七四年
22/11/03 22:39:43.42 SzUbaxJ9.net
>>366
戦国時代と限定するなんなら、
当時は「小氷期」の寒冷化と恒常的戦争状態(より正確には前者が後者を生んだ)で飢餓・飢饉が常態だぞ。
庶民は生命維持そのものが至上命題。
健康云々以前の問題だ。
 

398:人間七七四年
22/11/04 00:34:14.87 5rI0NlHM.net
麦でパン・うどん作れる技術持ってったら戦国時代で天下取れるな

399:人間七七四年
22/11/04 01:27:51.00 7Qa/F5pA.net
>>388
「米が無ければ麦を食べれば良いじゃない?」…ってマリー・アントワネットかよ。
「貧乏人は麦を喰え。」…って池田勇人かってえの。

喰う麦があるような状態を「飢饉」とは云わない、我が国の言語では。
 

400:人間七七四年
22/11/04 06:57:39.01 OCJpTVrn.net
健康的な食事がなにを指すかだが栄養バランスで考えたら現代のほうが圧倒的に良いに決まっている
現代は個人の嗜好の問題で偏食してるのをいくらなんでも過去と比べるのは違うと思うよ

401:人間七七四年
22/11/04 07:14:26.00 OCJpTVrn.net
食のテーマは世界史(地理)で勉強するのが面白い
日本は飢餓など無縁な環境やと思えるけどやっぱり人口密度が高いのが悪かったんかな

402:人間七七四年
22/11/04 07:34:33.69 OnaEhC/T.net
むかしは生産環境が悪くて現代より収穫領が大幅に少なかったから、飢餓と無縁の土地なんて世界中のどこにもない
特に穀物系は、普通に現代の2割程度が基本で少ないからね

403:人間七七四年
22/11/04 07:53:55.41 /78Za7Uf.net
100年前まで米の北限が新潟だったわけだしね

404:北限が最大人口かよw
22/11/04 09:52:55.70 APC9QHnl.net
農機や生産技術的に
農機や生産技術的に量への疑問じゃない常識が通用しないばかりか
ダメ押しまであるのに「量を言出す」特ア思考にマトモな議論はムリか、、、w


>>366 今と比べても健康的
>>366 今と比べても健康的な食生活

405:人間七七四年
22/11/04 20:17:45.08 1Rby3wds.net
15世紀頃中国から大鋸と台鉋が伝来し大きくて平らな板をそれまでより短時間で製作できるようになった
そのおかげで板の上で生地をのばした切麺である蕎麦切りやうどんが普及するようになった
という説がある

406:人間七七四年
22/11/04 20:36:57.04 OnaEhC/T.net
>>393
山形とか秋田とか東北地方でもピンポイントながら水田稲作してたでしょ、古墳時代でも。

面じゃなく点だけど。

407:人間七七四年
22/11/04 20:39:24.63 OnaEhC/T.net
>>395
大きな板を容易には作れなかった時代には、木の板は安価には入手できなかったから、庶民住宅の主流は竪穴式住居だったんだよな
鎌倉時代後半ぐらいまでの話。

408:人間七七四年
22/11/04 20:56:41.11 YTV6K1lN.net
湿度の低い東北地方では戦国時代まで竪穴式住居が使われていたけどな

409:人間七七四年
22/11/04 21:25:21.04 LCNQPdK4.net
島原の時に原城にこもった一揆は半地下の建物を作って利用してたそうだけど、それも竪穴式だとか

410:人間七七四年
22/11/04 22:40:40.95 jAlaY/9h.net
>>391 >>392
印度の経済学者アマルティア・セン氏に拠れば、
飢餓の最初の契機は自然条件であるにせよ、飢餓を拡大再生産して恒常化させる主因は食糧の絶対量不足よりも寧ろその分配システムの不在又は不全であると云う。
藤木久志氏や黒田基樹氏も拠るこの説に鑑みれば戦国時代などは正にその典型であるし、
また如何なる時代の如何なる統治体制であれこの危険から無縁ではあり得ない。

411:人間七七四年
22/11/05 02:10:10.67 RvXealv3.net
>>400
戦国時代だと、どの階層の人もみな窮乏してて、誰も裕福な生活をできないイメージ
貴族も武士も質素倹約を余儀隠されてるじゃん

412:人間七七四年
22/11/05 09:41:48.34 /iEatJKL.net
室町時代から戦国時代は二毛作や鉄器の普及でそれまでより食糧の大量生産が可能になったんだけどな。
それによって余剰人口が発生し、それまでとは比較にならないほど商業や工業、土木建築技術が発展した。

413:人間七七四年
22/11/05 10:25:55.14 4/dCQSd4.net
室町時代半ばごろから気候の寒冷化で穀物生産が激減してるので、それを補うために二毛作が必要になったのでしょ

生産は増えてない、どころか飢饉連発の時代です
特に戦国時代になると、毎年毎年、全国のどこかで飢饉が起こっていたことが判明しています

414:人間七七四年
22/11/05 12:10:01.31 Wc6zTDRs.net
耕作により富の集中や税徴収の問題が出てきてから飢餓の問題が深刻化しだしたんや
日本の場合は食料供給量に対しての人口が多すぎるからだろ
古今東西の食料問題は政治から来てるのが大部分

415:人間七七四年
22/11/05 12:27:24.92 U+zylQSo.net
曲解特ア
曲解特アに、御三家でもぼっち>>365 に成りそうな重陰キャしか居ねーwww

416:人間七七四年
22/11/05 12:33:32.31 QyYlX39p.net
因果律、物事の原因と結果を構造的に考えろ。

気候寒冷化とプレート活動活発化に起因する恒常的飢饉に対して機能不全に陥った室町型統治システム。
それに取って代わるべき統治/分配システムはどうあるべきか。
その次代に向けたtry&errorの運動を「戦国時代」と呼ぶんだよ。
 

417:人間七七四年
22/11/05 12:34:11.95 4/dCQSd4.net
>>404
基本的に、食料事情の許す範囲でしか人口は増えない
人口が多いのは、相応に食料があるからや

その上で、気候変動によって生産量が上下変動する

増えるときはいいけど、大きく減るときは餓死多発するわけやで

418:人間七七四年
22/11/05 12:44:52.63 +/87Qwdm.net
戦国時代って実はどんどん人口増えてってるでな

419:人間七七四年
22/11/05 13:01:21.12 2cIHE3DJ.net
>>406
ミクロばっかり見すぎなんだよな、この国の史学は
戦後の行き過ぎたマルクス史観への反動なんだろうが

420:人間七七四年
22/11/05 13:30:04.46 4/dCQSd4.net
>>408
マトモに人口を推定できるのは平安時代のあとは秀吉時代まで、長く開いている

そして、古墳時代から平安時代までの時期や秀吉時代から江戸時代半ばまえごろ(おおよそ元禄の頃)までの時期とくらべ、平安から秀吉時代までの期間の増加度は低い

戦国時代が人口の減少期だから増えてないのだと思う

421:人間七七四年
22/11/05 13:39:43.58 +/87Qwdm.net
室町時代を通じて1.5倍の人口増でしょ。江戸前期でさらに倍以上になるけど

422:人間七七四年
22/11/05 14:35:26.17 wo20ehpO.net
二期作、牛馬耕、堆肥の使用が全国的に普及したのが室町時代以降で、それにより食糧生産量の増加と効率化が進んだ。

423:人間七七四年
22/11/05 15:50:04.53 YPuImTAe.net
でも庶民(農民)は雑穀の雑炊やろう

424:人間七七四年
22/11/05 15:54:57.26 +/87Qwdm.net
庶民も玄米メイン

425:人間七七四年
22/11/05 16:24:52.12 4/dCQSd4.net
>>411
秀吉の頃の人口は室町初期じゃなくて平安時代の1.5倍ぐらいしかないぞ

426:人間七七四年
22/11/05 19:11:05.39 +/87Qwdm.net



427:もういいよ



428:人間七七四年
22/11/06 00:13:51.66 R8rQ1bMs.net
>>413
日本の農民は基本的に米をメインに作ってるわけでな
メインに作ってるものを人口の8割を占める層が食わないんなら、
どうやって残り2割だけで食いつくすんだよ、って話。

429:人間七七四年
22/11/06 03:53:04.04 ULgsvlIV.net
鎌倉時代で人口が減少して室町時代から増え始める
夏場に天候不順で秋に収穫できないと冬に麦などを平安や鎌倉時代で栽培したけど、室町時代初期から西日本はそれが普通になってくる
稲作も早生 晩生 中生と同じ村でも収穫時期をずらしたり病気などで稲が全く取れないようなことがないようにしている

430:人間七七四年
22/11/06 08:40:07.07 WR2BfnSD.net
>>417
なわけねー
半分以上は畑

431:人間七七四年
22/11/06 08:42:08.99 WR2BfnSD.net
江戸初期の武蔵田圃帳に水田・畠の作付面積が記されてる

432:人間七七四年
22/11/06 12:02:35.07 7Bkge80G.net
>>418
室町時代半ばごろには大飢饉が起きるなどして、飢饉連発時代に入ってるぞ
天候不順の年が多くて収穫がかなり悪いことが多くなり、人口は減ってるはず
まあ統計もなにもないので、減った証拠もないのだが、もちろん増えた証拠などなにもないわけでな

433:人間七七四年
22/11/06 12:52:27.73 d2MasKPc.net
度々、起こる飢饉を乗り越えるために作期をずらしたり、二期作、牛馬耕、堆肥の使用が全国的に広く普及したんだろ。
それが食糧生産の増加と著しい効率化に繋がった。そしてそれに伴い余剰人口が発生し商工業の発展、
これまでとは比較にならない土木建築技術の誕生に結び付いた

434:人間七七四年
22/11/06 19:20:31.59 qM9a7XfP.net
>>422
実際に生産が向上したのは戦国時代が終わってから
技術の進歩した現代でも気候に恵まれないと生産半減しかねないのは90年代の冷夏の年によく分かっただろ
天気には勝てないんだよ

収穫が伸びない時期だからこそ農兵、雑兵が増える
生産が伸びたら分業が発達して農民を動員することはなくなる
気候が悪くて生産が落ち込む時期には統一国家が破綻しやすく分裂時代になりやすい
というのが世界的傾向で、戦国時代も同様だっただけ

435:人間七七四年
22/11/06 20:45:39.03 teMCWa+Q.net
逆だよ
余裕がなければ武士だけで戦うよ

436:人間七七四年
22/11/06 20:50:50.05 PXKLNUe0.net
仮に--あくまでも、仮に--「戦国時代には生産が増えた」説が正しかったとしても、
>>400に記した如くその分配システムが壊滅していれば飢饉は続いて行く。
その飢饉が更なる戦争の動機を創出して--と云う「飢餓と暴力の循環的拡大再生産」は世界史普遍の原理で、
本邦の戦国時代もその典型的な実例の一つに過ぎない。
そこに本邦個有の特殊性を見出そうとする試みはあまり有意義なものとは思われない。
 

437:人間七七四年
22/11/06 20:51:56.21 qNPIxl1I.net
質問ではなく自分の考えを押し付けたいだけみたいなので相手にしなくてよいのでは

438:人間七七四年
22/11/06 20:52:57.24 TDcF6UqY.net
因果関係が逆。
農業の生産力が上がり余剰労働力が生まれたから百姓(軍役衆)を兵として長期間の動員する事が可能になった。
ちなみに生産力の低かった平安時代、鎌倉時代は戦国時代より圧倒的に動員されていた兵は少なかった

439:人間七七四年
22/11/06 20:53:50.49 qNPIxl1I.net
つか他のスレで「例え話」とか呼ばれてる基地外か

440:人間七七四年
22/11/06 20:54:24.57 PXKLNUe0.net
>>424
違う。
「喰う為」にこそ戦争は遂行される。
戦国時代の軍兵の過半は飢民だ。
飢えたる者が飢えたる者から略奪する為に戦う。
上杉謙信の関東戦争など馬鹿馬鹿しいまでに解り易い。

441:人間七七四年
22/11/06 20:57:24.10 /GlWoDHx.net
藤木史観はちょっとイデオロギー色が強すぎる

442:人間七七四年
22/11/06 21:21:31.69 ydx1Jo9U.net
迷惑な話だよな
冬の間関東にあぶれ者連れてきて飲み食いして春に帰っていく

443:人間七七四年
22/11/06 22:50:54.45 g/4SusI0.net
まあ戦争ばっかやってた武田信虎が嫌われたのがは国内の内戦であり攻められた防衛戦だからで
同じく戦争ばかりだった信玄が称賛されたのはそれが外征であり、兵士たちは外で略奪しまくって国民が潤ったからだと
だから甲斐の外、特に北信濃や上野に同時代史料における信玄や武田家の評価ってもうクソミソよ

444:人間七七四年
22/11/07 07:22:09.53 0Q8Qn8sY.net
正保年間(1644〜47)の武蔵田圃帳
上練馬村 田219石 畑923石
下練馬村 田292石 畑933石
上石神井村 田102石 畑355石
下石神井村 田110石 畑264石
8割米作るとかないない

445:人間七七四年
22/11/07 07:29:53.55 0xZ8mMBj.net
>>433
単位面責あたりの石高が水田の何分の1か、低いはずの畑の方が石高が多いってことは、それだけ面責が何倍も広いってことだよな
耕地の大半が畑で水田は一割ぐらいか、もっと少ない感じかな

446:人間七七四年
22/11/07 07:31:48.29 0xZ8mMBj.net
あと、屋敷地は上田(じょうでん)扱いで登録されて課税されてるはずだから、それも水田として登録されてると考えると、もう少し実際の水田は少ないのかなあ?

447:人間七七四年
22/11/07 08:30:57.60 NatuFWGl.net
一応、江戸には米がある(集まる)から野菜を作るって面もあるらしいが

448:人間七七四年
22/11/07 10:07:30.89 1shxk197.net
>>433
武蔵野台地のド真ん中の高燥地。
地上の顕在水源と云っては石神井川、三宝寺池、その他小支流ぐらい。
地元近くだから解るが、そりゃそうなるよ、と。
この地域では無視できないオカボ(陸稲)も畠に計上されてるんだろうし。
 
多摩川や隅田川に近い村のデータだとまた比率も変わるんじゃないか?
まあ、それでも「八割」米ってぇのは無いだろうが。
 

449:人間七七四年
22/11/07 10:50:42.42 sEc/60HS.net
江戸時代以前の関東は資源がなく米を上方に送って売りさばき
必要な鉄やら鉄砲を購入してたらしいが。

450:人間七七四年
22/11/07 12:19:33.67 EXbyGMLs.net
その米を作れる土地が関東平野には少ししかなかったんだよなあ
あまりにも少なすぎたから、関東の武士は共存が難しくて殺しあいが激しかった、
近畿の平家が一族で協力しあうことで全体の収入のパイを増やす方向だったのと逆に関東の源氏は限られたパイを奪い合うしかないから源氏どうしで殺しあいを続けたとの説が、まあ平安末や鎌倉時代だが、
指摘されてたりするな

広域的な領主があらわれないと大規模な治水感慨はできない地形なので、戦国時代末ごろまで状況がかわってないはず

451:人間七七四年
22/11/07 17:26:25.20 9DeoguU/.net
>>439
関東の準広域的な治水は古河公方に於いて確認される。
時期としては多分


452:アれが一番早い。 次いで小田原北條氏。 利根川の堤防工事や小田原早川上水が知られている。 前者については沿川の関係諸村のみならず領国全体に広く薄く負担を求めた。 広域一元直轄統治の利点を活かした事業形態と云える。 正に斯くの如き施策を可能ならしむる権力体こそが災害や飢饉に喘ぐ時代の要請だった。



453:人間七七四年
22/11/07 23:47:23.28 nH4l/cdc.net
横から
関東平野を他の平野と同じ定規で考えるのって危険な気がするわ
関東平野でいい土地を例え面ではなく点と捉えても、他の平野と同じくらいの農地の
土地があったと考えられるんじゃないの?それぐらい大きさ違くない?

454:人間七七四年
22/11/08 00:56:26.73 rLauRbkw.net
関東ローム層があるから
関東平野は稲作向いてなかったんじゃないの?
ちなさっき見たヤツ
URLリンク(hist-geo.jp)

455:人間七七四年
22/11/08 01:10:04.47 WvWTRdiW.net
北条の利根川の堤防って、下手したら江戸時代に作られたとかいわれてるやつ?

456:人間七七四年
22/11/08 19:07:51.43 6E5n+qcx.net
信康切腹が信長のせいというのは本当ですか?

457:人間七七四年
22/11/08 19:23:29.68 Zke1ykxa.net
決定的な史料は無いので正確なところは分かりませんが現在は『家忠日記』等の記述から親子対立説が優勢のようです。

458:人間七七四年
22/11/08 21:17:12.21 PK3+LnIo.net
正室の瀬名姫も一緒に殺害してますから単なる親子不和でなく
岡崎衆と浜松衆の対立の果てという見方もありますね

459:人間七七四年
22/11/08 21:21:10.07 FPzNtI2k.net
>>443
どうだろうか。
北條の書状が残っている案件だから疑問の余地は無い筈だが。
もっとも事の性質上、何回も修築や拡大があって然るべきものだから徳川の世に同箇所の事業が為されていても不思議は無い。
 

460:人間七七四年
22/11/08 22:45:27.49 K79JikVD.net
歴代将軍家もそうだけど、断絶もしてない御家騒動が
どうなって詳細不明なのか不可解だよな。

勝者に都合良い歴史くらいは残るだろと

461:人間七七四年
22/11/09 00:54:27.64 y8hUhX1G.net
持氏までの鎌倉公方は広域権力として機能していたから
15世紀までは大規模な土木工事(灌漑)をやる技術がなかっだけだな

462:人間七七四年
22/11/09 01:42:53.05 mQVqMqg2.net
>>449
広域的な治水のためには、相応の財源も必要だろ
室町幕府は財政能力は低かった、鎌倉公方は京都の幕府以上に資金力が低かったように思うが?

463:人間七七四年
22/11/09 06:57:15.27 7Lu1K9PY.net
まあこの時代の米の多くは水稲でなく陸稲だからそこまで大規模な灌漑施設は使わなかったんだろう

464:人間七七四年
22/11/09 07:15:47.60 mQVqMqg2.net
関東平野みたいなとこは分からんが、たいていの地域は陸稲主体じゃないぞ
縄文時代じゃないんだから
そもそも、稲の栽培は陸稲からではなく水筒から始まってて、栽培種としては陸稲の方が新しいんだぞ

465:人間七七四年
22/11/09 07:38:07.04 0CGHUCO1.net
>>449
技術は勿論だが、
鎌倉府(室町式)の複線/複層型統治システムと戦国大名の一元統治システムでは広域権力の意味が全く違う。
大規模土木工事や広域農政は前者では不可能。
そもそもその発想さえ無かったろう。
 

466:人間七七四年
22/11/09 07:41:20.18 kzKRo3kW.net
>>449
鎌倉府は訴訟を扱う機能、警察機能のための一定の常備軍
以上の機能はなかったんじゃないの
そもそも足利公方家の領地は各所に点在しているものの
動員力を担保するな大きなものはない

後は足利という門地の高さでヒエラルキーを形成していたけど
禅秀の乱のようなことを起こされると、実地に領国を持っている
有力守護と大差ないのが明らかになってしまっていた

467:人間七七四年
22/11/09 16:19:56.51 XaBnqUNa.net
江戸幕府が六波羅探題や鎌倉府のような「幕府と同列の権限をもたせた出先機関」を作らなかったのは
やっぱりそれらの失敗からですか?

468:人間七七四年
22/11/09 17:54:26.81 T9DT7/ye.net
長崎奉行や京都所司代などより職務に適した機関を置いたんじゃないの

469:人間七七四年
22/11/09 18:42:45.20 mQVqMqg2.net
そりゃあ、前代よりも高速緊密に連絡を取れる街道整備を進めたので、最大の出先機関である京都所司代と大坂城代の権限が六波羅探題や鎌倉府よりも小さいのではないかな?

六波羅探題が南北二人に権限を分けていたり鎌倉府が鎌倉公方と関東管領で牽制しあったり(鎌倉公方より関東管領の方が幕府よりだった)してたのと、京都所司代と大阪城代の役割り分担とは似てるような気もしなくはない

470:人間七七四年
22/11/09 18:46:57.72 mQVqMqg2.net
>>456
いちおう、鎌倉時代の鎮西探題やら、室町時代には九州探題中国探題奥州探題出羽探題などいろんな出先機関はあった

471:人間七七四年
22/11/09 19:51:54.08 lczpbjt5.net
>>455
恐らく、江戸幕府や東京行政が天皇制のそれであることが
日本の安定を図ってると本気で自分は考えてる。
今だに全国にある雰囲気「西より発生した歴史」において
東に行政機関を置くことで統一性や日本人を安定させてる。
別の言い方で、関東のアンデンティティを犠牲にして東京行政を
全国集合体と認識を無意識に国民が共有してると思う。
だから今後首都をズレせば分断時代が来ると割と本気で思ってるw

472:人間七七四年
22/11/09 22:22:02.67 WnG25QfJ.net
中国が人権を尊重し、経済で篭絡すれば
日本省になるほうが早そうだけどなw

473:人間七七四年
22/11/10 08:00:21.13 RTJlEwrO.net
今の20代30代に世代交代したら一気にまともになるのか
共産党中枢にいるようなのは20代30代でも習近平と変わらないのか

474:人間七七四年
22/11/10 08:43:58.08 8219y1H5.net
>>461
まともになるわけない
中国はずっと同じ
世代交代でまともになるなら
とっくにまともになってないと

475:人間七七四年
22/11/10 11:56:09.58 ocgvuLAP.net
オカシイ基準(中共)の監視社会で
表層的な民度はぶち上げみたいな状況らしくて
どうなったのか類似例あるなら教えて欲しいけどな。

476:人間七七四年
22/11/10 12:31:47.02 32iFWOEh.net
ニホンゴ デ ドウゾ

477:人間七七四年
22/11/10 13:52:15.29 9+017io2.net
すれ違いすぎる。だからこいつらは嫌われる

478:人間七七四年
22/11/10 14:22:38.78 8219y1H5.net
>>460
なるわけねーだろ
どんだけ中国を評価してんだよ
あ、逆に日本を下げてんのか

479:人間七七四年
22/11/10 15:08:25.19 ocgvuLAP.net
宗教フリーの戦争放棄という超絶国
だなんて「気分」より、人権とか尊重される平均年収千万で
中国本土から色々吸上げる特区民として生きたい国民のが多いだろ。
無職には理解できないだろうがw

480:人間七七四年
22/11/10 15:11:01.98 NPcOd67A.net
>>466
いや、たぶんだが、前者のような事態は起こり得ない、中国の民主化なんて天と地が引っくり返るような出来事だぞ、と言ってるのではないか?

481:人間七七四年
22/11/10 16:08:19.41 gGDhglNU.net
>>460-468
スレチ

482:人間七七四年
22/11/10 16:59:06.17 8219y1H5.net
なるほど
その考えに反対すると
無職扱いされるから
誰も反論出来ないわけか
考えたな

483:人間七七四年
22/11/11 11:47:42.24 8+iYOChR.net
最近多い昭和ノスタルジー番組見てると
つい数十年前までは、中国と変わらん野蛮さだったんだから
欧州みたいな憧れの国になるのは時間の問題で、

年内にもロシアのマネして台湾侵攻して、
大失敗 → 社会主義壊滅とかなけりゃ
高齢化跳返すだけの根拠なんて円安くらいだから
中国全土から富を吸う日本省になるほうが豊かってだけだわ。

中国会社の、平均勤続年数が伸び続けてる東京支社で
年収千万の仕事なら、誰でも飛びつくw

484:人間七七四年
22/11/11 11:54:23.22 V3HyoDBi.net
>>471
> つい数十年前までは、中国と変わらん野蛮さだった

どんな反日プロパガンダ番組を見たんだよ…。
 

485:人間七七四年
22/11/11 14:13:34.47 Q5Nrf+mV.net
チャンコロの奴婢がなんか落書きしてるぞ
おまけに春秋戦国ネタですら無いし

486:人間七七四年
22/11/11 14:49:26.93 8+iYOChR.net
電車から大小便垂流してた国が、
技術パクって先端化した中国に勝てる要素なんてもう
もてなし くらいしか残ってないだろ?

年寄りの切捨て
日本 → できず
中国と信長 → バッサリ行きそう

487:人間七七四年
22/11/11 15:30:17.86 EUz2svvn.net
>>474
電車から流してたって、いつの話なんだよ


と思ったが、特急車両とかの車内トイレは線路に垂れ流しでタンクにためて回収してるのは新幹線だけだったっけ、
それを改善してから何年になるのか知らないが

488:人間七七四年
22/11/11 18:26:26.78 Um+7/ZdS.net
信玄が死ぬときに自分が死んだ事はしばらく隠せって言ったの本当ですか?

489:人間七七四年
22/11/11 18:47:09.21 Fp36AEbF.net
直接の史料はありませんが信玄の死後も信玄の名で書状が出されたり葬式が3年後だったりするので事実だった可能性が高いです

490:人間七七四年
22/11/11 19:29:50.76 y33IGtxB.net
>>474
中国大好きなんだね
かわいそうに
中国に移住したら?

491:人間七七四年
22/11/11 19:39:08.57 Um+7/ZdS.net
>>477
ありがとうございます!
本人が言ったか周りが勝手にそうしたのか分かりませんが本当に隠してたんですね

492:人間七七四年
22/11/11 19:53:45.27 iJ8qennQ.net
>>479
そして、いちばん隠したかった相手、敵対者である織田には即ばれしてて、同盟相手だけが騙されてた件

493:人間七七四年
22/11/12 13:39:58.35 NjU2PCKV.net
>>478
俺は遣隋使~江戸期まで?の立ち位置に戻る話をしてるだけで、
人権軽視の野蛮
人権軽視の野蛮国が好きとかねーからwww

494:人間七七四年
22/11/12 17:26:17.36 6AFBO48k.net
>>481
お前はどの文章に絡んだんだ?
どの質問に関わってるんだ?
反射的にそれに乗っかった奴もただただガッカリだよ
人間が考えるって事象の質を下げ


495:骰s為だ



496:人間七七四年
22/11/12 20:53:48.26 qms6dXfL.net
アメリカ人が人権意識高いかっつたら疑問だけどな
国民個人でみたら多分中国人のが高いだろ
国家のシステムが属人的でどうしようもない国だからワンチャン・トップ次第で変わる可能性もある

497:人間七七四年
22/11/12 21:10:40.47 NjU2PCKV.net
・見かけた超美人を3人連続で強姦   どころか
・尻すら触ったワケでも無く
・法定されてる死刑実行って地味な仕事だよね

だなんて失言で閣僚のクビが飛ぶ国では
そんな1チャンすら望めない ( ´△`)

498:人間七七四年
22/11/12 23:08:17.91 lOveTGFX.net
スレ違いどころか板違いとは…

499:人間七七四年
22/11/12 23:13:34.11 ZUWYNlt3.net
NGしとけ。ただの荒らしだ

500:人間七七四年
22/11/12 23:15:30.45 SPQMSaFf.net
安倍官邸スタッフなよれば件の法相は菅義偉なら即切りしてたレベルの失言らしいが

501:人間七七四年
22/11/13 00:09:12.54 //VDfjuD.net
>>454
室町型統治システムの典型である鎌倉公方から急速に地域権力=戦国大名への転身をやってのけた足利成氏期の古河権力はもっと評価されて良い。
現在の不当な低評価は軍記物の影響か、それとも司馬シンドロームか。
 

502:人間七七四年
22/11/13 08:54:20.88 QVTwmRyk.net
>>484
失言でもなんでもない
マスコミと偏向報道を
真に受ける視聴者が阿保

503:人間七七四年
22/11/13 10:17:30.41 ZLkxa3n4.net
鎌倉府は広域権力だから軍事行動に東国中(含陸奥)からも動員してるんだぞ

504:人間七七四年
22/11/13 10:57:14.75 GOuMG94s.net
>>489
非の打ち所がない偉人って居るのかな?

謙信は酒で身を滅ぼした。

505:人間七七四年
22/11/13 11:10:47.74 G8RfyXIx.net
と言うか
義元のグランパが頃されず
伊勢新九郎が脱サラしてなければ
古河公方も強大化出来たかもな

506:人間七七四年
22/11/13 11:24:03.76 //VDfjuD.net
>>490
それはあくまで「制度」=共同幻想としてそうなっていただけ。
統治権力としての実体、即ち暴力による在地の実効支配を実現していたわけでは全くない。
 
古河権力は元々鎌倉公方の御料地が集中していた地域に在所も移して(移ることを余儀なくされて)事実上の直轄一円支配を遂げた。
また周囲地域も簗田、千葉、野田等の直臣で固めて実体的な勢力圏を形成した。

両者は全く性質の異なる権力体だ。
そして後者の如き大規模の領域権力を戦国大名と云う。
 

507:人間七七四年
22/11/13 11:37:25.03 //VDfjuD.net
>>492
どうだろうか。
山内も扇谷も領域権力化して己の利害次第でドライに動く状況になっていたから、利根川左岸全域というのが古河の上限かもしれない。
その上に小弓という存在もあった。
旧型の権力だが国府台段階では里見や真里谷を糾合できていたわけで、房総で領域権力化した可能性はある。
 
ifにあんまり意味があるとは思われないが、
敢えて「伊勢宗瑞の来なかった関東」を妄想すると、
利根川左岸:古河
利根川右岸:山内
房総:小弓または里見
という鼎立状況の蓋然性が高かったように見える。
 

508:人間七七四年
22/11/13 12:49:21.79 QlN8hIcf.net
>>490
もともと、東北には斯波の分家である奥州探題大崎氏、出羽探題最上氏らをおいて大きな軍事拠点としていたが、のちに鎌倉公方の分家として篠川公方や稲村公方が設置されたことで両探題は幕府から重視されなくなっていたんだが、鎌倉公方と戦うことを幕府が決定したことにともなって篠川稲村にかわって両探題を重視する政策を取っている

だからといって両公方が消滅したわけではないが。

しかも、両公方のうち片方、篠川の方は鎌倉公方でなく幕府についているし、他方の稲村の方は早期に地盤を失って東北地方の武士達との取り次ぎ、連絡役しかできなくなっているようだ

だから、古河公方が動員できる東北の武士は少ないはず

むしろ、両探題を経由して幕府が東北の武士を動員しようとした
のだが、斯波義敏の方は家老の甲斐と争うことに注力して非協力だったし次の義廉は非血縁者なせいか分家と交流できなくて、いずれも両探題の協力を得られていないわけだが。

509:人間七七四年
22/11/13 12:54:00.10 QlN8hIcf.net
>>494
たしか里見とか真里谷とかは古河公方の代に入植させて設立された新しい家で旧来型じゃない新しい材地支配をしてるはず

510:人間七七四年
22/11/13 13:12:41.89 //VDfjuD.net
>>496
両家についてはその通り。
それは理解している。
小弓義明は房総に固有の地盤を持たず彼等に養われつつ名分を与える存在、という意味で旧型と表現した。
 

511:人間七七四年
22/11/13 18:48:05.31 1h6Hlce0.net
戦国武将も大夫成りしたら立烏帽子にしたんだろうか
というか通称以外に何が変わったんだろうか

512:人間七七四年
22/11/13 19:01:21.11 pD7AtyPS.net
>>493
いや、454もそうなんだけど、それが重要だと思うんだが
特に後者の共同幻想こそが大切だと。性質の異なる権力体注目するなら
小さい点(民衆などが)が誰に従うかの争いではなく、例え前時代の名残
としても制度に従い、従う上層を決めるってのが大きい面の支配になる俺は思う。
戦国と似たり被る所があるが鎌倉府は結局脱却せず終わる。
正直、定義だけで言えば後北条氏も里見氏も脱却せず鎌倉府の「国衆」と見る事もできると
考えている。(横から)

513:人間七七四年
22/11/13 23:21:16.92 ewxjlYx5.net
里見と真里谷に統治機構としての新しさなんてないわ

514:人間七七四年
22/11/14 00:31:00.49 cIXFA6ZB.net
統治機構が分かるほどの史料が残ってない

515:人間七七四年
22/11/14 00:51:21.78 JfbP0R0n.net
>>500
そういう脊髄反射の発声だけじゃ議論にもならない。
論拠を示して論理的に書いてくれ。
 

516:人間七七四年
22/11/14 01:42:56.40 jy+YMEzc.net
里見
農政、商業・流通政策等の面において記録に残るような
他地域にはない独自政策が
里見10代のうち記録が十分にある4代目以降で見られない
強いて上げるなら房総水軍による海賊行為で商船を拉致してるのが
他地域では見られない活動
って煽ってるわけじゃなく、千葉県民なんだけど
誰か里見のいいとこ教えてД

517:人間七七四年
22/11/14 10:09:01.67 cIXFA6ZB.net
実は日本最大級の海賊大名なんじゃとかかっこいいやん。いくさクソ強いし

518:人間七七四年
22/11/14 19:40:53.30 4Cw04v2X.net
やっぱり海賊なことが(唯一のw)売りでしょうかね
関東の小規模な田舎勢力だから大軍勢の用兵に長けているはずもなく
鉄砲などの先進武器の入手も後追いで
ひたすら山城の奪い合いでエイエイやってる小競り合いが
得意だったのでしょうか

源氏の名門という誇りが日常の武芸の鍛錬の
モチベーションになってたかもしれませんね

でも北条の農政とか上方の集団鉄砲戦術とか
先進的な里見の武器ってほしいなあ
いやまあ田舎大名でいいけどさ・・
せめて里見流そ操船術みたいな秘技あったらいいのに
どうでもよくてスマン

519:人間七七四年
22/11/14 22:14:51.07 v/3nwops.net
東京湾を挟んで武蔵の沿岸地帯を襲撃して、一部は里見に税の半分を治めるくらいになってるし
なんどか鎌倉を襲撃したりもしている

520:人間七七四年
22/11/14 22:20:55.23 lK2aB9h1.net
安東水軍みたいに海外との交易といったロマンが里見水軍にないのがなあ。

521:人間七七四年
22/11/15 00:27:34.20 FhBuf2k6.net
>>504 >>506
永禄以来、北條水軍を向こうに回した武総海戦はやや里見優勢で推移したが、
天正二年に於ける北條の関宿制圧以後は海戦も北條優勢へと逆転、
頼みの水軍でも利を失った里見は為す術も無いまま天正五年の屈伏(房相一和)に至る。
その後は沼尻合戦や天正壬午ノ乱等の遠方の戦争にまで北條への援軍提供を強要されて苦しんだ。
 
ロマンを壊して申し訳ないが、
後期里見の軌跡を俯瞰すると「時代の権力統合運動に淘汰された小国の一事例」という評価に落ち着く。
比較的遅い時期まで独立性を保てたのは、里見プロパーの要因ではなくて主に越後上杉(一時は甲斐武田)との連携という外因によるものだろう。
 

522:人間七七四年
22/11/15 01:34:42.75 VvosbTdi.net
千葉県民自ら下げといてなんだけど擁護してみると
安房里見初代は全く地盤のなかった房総の南端から出発して
初代か二代目までには安房一国を掌中に収めた
これは英雄的な事業と言っていいんじゃない?
まあ辺境の小国安房だけども

その後も数十年の間に上総を掌握、北は武蔵や下総
得意の水軍で相模にも度々侵入するウザさ
一応南関東天下分け目の国府台合戦の一方の主役でもある
まあ後世の評価からは、大阪桐蔭に挑む鳥取代表程度の決戦だけども

上杉とは規模は対等ではなかったにしても
従っているわけではなく対等な外交関係
寄らば大樹の関東八屋形みたいな言われようは違うと思う
まあ結局北条に屈するわけだけども、
秀吉政権下の家康くらいの地位は得たよね

でも大河の主役になるには圧倒的に魅力が不足
やはり必殺技になる瓜がほしい・・


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