【疑問】スレ立てるまでもない質問16【戦国時代】 at SENGOKU
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200:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
武家屋敷は徳川から貸し与えられている形式だが寺社は自己所有だったのかね

201:人間七七四年
22/08/25 21:12:44.05 srAxS9YQ.net
>>196
大消費地の近くに農地貰えたのならそんなに悪い話でもないような
まあ現代の子孫がそのまま土地継承してたらウハウハかもな

202:人間七七四年
22/08/25 21:34:08.84 jX+k6w/M.net
>>198
そういう名士がいまもいるんじゃとちょっと検索したが、のちに引っ越してきた人しか引っ掛からなかったよ
土地の名士を記した史料を武者小路が保管してるみたいだから、それ見れば少しは分かるかもね

203:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>199
名士ってのは、庄屋とか村方三役ぐらいの子孫で、単なる土地もちのことじゃないだろ

204:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
豊臣恩顧の大名達は関ヶ原で東軍についた時にはもう豊臣を裏切るつもりだったのでしょうか?

205:人間七七四年
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東軍も豊臣軍です。関ヶ原戦役は豊臣政権内の権力争いの内戦でしかないので

206:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>194
逆に公地公民制が成功してたら
赤化に成功してただろうな

207:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>202
名目上はそうですが秀吉死後の家康の行動は豊臣から天下を奪取しようとしているとしか思えない

208:人間七七四年
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>>204
それは結果的に家康が江戸幕府を開いたところから来る思い込みにすぎない。
同時代史料をきちんと見れば関ケ原まで家康は豊臣家を終始尊重している。

209:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>203
そもそも公地公民制度を徹底したことは一度もない件
制度スタートの時点ですら、一部の皇族や高位貴族の土地私有を公認していたしな

210:人間七七四年



211:[ここ壊れてます] .net



212:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>207
そうやって決めつけて対立煽ろうとしているのが一番害悪

213:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
少なくとも質問スレは自分の印象を押し付ける場ではない

214:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
戦国オタクや史学の中ではともかく腹黒家康は創作の世界ではまだまだ主流なんでこの程度のレスで排除しようとするのはまだ過剰反応かなと

215:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>207
でもどっちかというとサタンよりかサターンに近くね、農本主義だし

216:人間七七四年
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この前やってた番組で家康が豊臣を滅ぼして天下を狙ってたかのように語られてたけどいつまで狸ジジイ路線続けるんやろな

217:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>210
しかしなあ、
こういう場は強制でも不可抗力でもなくて自ら能動的に「好んで」足を踏み入れるところだろう?
ましてや創作について語りたいんなら他に然るべき板もスレもある筈だ。
わざわざここへ来たからには歴史と云う土俵で議論したいんだろうし、
ならば最低限の基礎知識は予め得てから来るのが作法ってもんじゃなかろうか。
 

218:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
この板も創作と史実の区別がついてない奴等だらけだろ

219:人間七七四年
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>>214
スレによって全然違うよね

220:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
でもまあ、どう答えてほしいのかバレバレな質問はちょっとなあ

221:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
まったくもって同意

222:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
大谷吉継配下の湯浅五助は紀伊の湯浅氏の流れだと思っていたんですが
美濃の加治田衆にも湯浅氏がいるのを見かけました

織田家・豊臣家の勢力範囲的にも美濃の湯浅氏の出のような印象を受けますが
出自をご存知の方いっらっしゃいましたらお願いします

223:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>218
ネットサーフィンしたら関東浪人とあったのでソースを調べてみた
慶長年中卜斎記に「此五助は関東浪人馬乗にて刑部少馬屋別当小身なる者其上新参者三十余(歳)なる者なり」とある
馬屋の別当で湯浅という姓も付されずもともとが武士身分だったのかも怪しいが、直前に「五助と申す侍」とは記述がある
常日頃から首を隠せという逸話は卜斎記にも載っているので大谷から信頼はされていたようだが、もとは中間かなんかだったのかもしれない

以上、慶長年中卜斎記を信じればという話なんですけどね

224:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
ちなみに藤堂が約束守って家康が感心したみたいな話は卜斎記には載っていないし、五助が誰に討ち取られたかもない
全文読んだわけじゃないけど

225:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
卜斎記からの引用ありがとうございます
引用してもらった箇所に湯浅という文字がなかったのでもしかして苗字から不確かなのか?
と思ってしまいましたが、調べた限り湯浅という苗字で問題ないみたいですね

関東浪人というのは見逃していました
関東で湯浅氏というのがピンときていなかったんですが、埼玉の苗字辞典見たところ
鉢形城のあたりに湯浅氏がいたようなのでこの流れかな?という気はしてきました
小田原征伐で大谷はあの辺りにいましたし
この湯浅氏がどこから来たかまでは辿れなそうですが
諱の隆貞から丹波湯浅氏の貞との関連を指摘している人も見かけました

226:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>220
藤堂高刑が首の在り処を徳川家康に教えなかった話は「平尾氏箚記」が出典のようですが
どういった書物なのかわかりませんでした

五助が大谷吉継の首を埋めた話は常山紀談とのことでしたが

227:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>222
国会図書館のアーカイブで湯浅五助を検索すると昭和初期の津藩藤堂礼賛本らしきものが出てきて、そこに記された『平尾留書』だといくつかヒットする
高山公(高虎)実録に引用されているのが確認され、高虎が織田信澄の配下にいた頃の事蹟に触れているから、平尾ってのは藤堂家臣なんじゃないの

と思って分限帳を見ても平尾姓はないなあ

228:人間七七四年
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>>221
いろんな分限帳なんか見てると分かるけど、名字から探るのはよほど記録が残っていないと難しいよ
たとえば藤堂家の分限帳にもけっこうな大身の湯浅姓がいるし、長曽我部までいる

卜斎記は割と成立が古いからひとまず信じてみるとして、関東浪人の馬乗りといわれると西上野の人間だったのかなと連想したくなる
武蔵の埼玉より

229:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>224
それはそうかも知れませんね
鉢形城は北武蔵で川を越えればすぐ上野でもあり西上野の住人という可能性はあるかと思います
自分の書き方が悪かったのか誤解があるみたいですが、参考にしたサイトでは
「鉢形城士、かち衆、上野国住人」の旨がありました

同時期に上杉と武田の北関東での文書に湯浅姓の士の名前も見えます
尾張徳川に仕えたという五助の子孫の情報がよくわからないため流れは見えず妄想ですが
とりあえず紀伊の湯浅氏ではないだろうという確信はもてました

230:人間七七四年
22/09/02 00:48:57.00 uIV+ICK/.net
>>225
埼玉苗字辞典見てみました
群馬にも湯浅がいるし鉢形のは湯浅五郎助なんだね
これはWikipedia情報ですが、足利氏支流の桃井氏から群馬県榛東(しんとう)村に源姓湯浅氏が分立してるそうで
にしても五助は推測ですが、湯浅の傍流の人だったんじゃないだろうか
とはいえ、寛政諸家譜で子孫が源姓名乗っていたらほぼここの出と考えていいのでは
蛇足ですが、あの関孝和の外祖父が高崎藩士の湯浅姓だったという論文がありました
もしかしたらあの天才に五助の血が少し流れてるかもしれませんね

231:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>226
>足利氏支流の桃井氏から群馬県榛東(しんとう)村に源姓湯浅氏
ありがとうございます、なるほどそういう

慶長年中記の関東浪人が間違いなければ、という前提ですが
鉢形の五郎助にしろ、大谷にも仕えたという五助の子・十郎左衛門が次に仕えたのが
武蔵岩槻藩だというのも関東への地縁を感じますね

232:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
下総千葉の支流にも湯浅氏がいるけどね
紀伊湯浅氏の養子に入った千葉一族の子が下総の熊野社領の地頭として戻ってきたのが始まり
実際に養子に入ったかも五助と関係あるかも不明だけど

233:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>216
それ君の思い込みじゃないの

234:人間七七四年
22/09/02 18:32:10.48 Qfjkm4ej.net
>>216
わかるわ~

235:人間七七四年
22/09/03 07:55:57.14 26E3UDWd.net
関ヶ原の戦いで豊臣は何故何もしなかったんですか?

236:人間七七四年
22/09/03 08:28:05.50 n5rEXVz7.net
>>231
東軍も豊臣だよ

237:人間七七四年
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>>232
それは知っているんですが何故大規模な戦いが起きているのにも関わらず止めなかったんですか?

238:人間七七四年
22/09/03 11:57:34.63 5eTZs4uB.net
止めれる実力が無いから。

239:人間七七四年
22/09/03 12:16:10.95 n5rEXVz7.net
>>233
止められなかったのではなく
西軍の反乱を東軍(豊臣)が鎮圧、
つまり止めたのではないだろうか

240:人間七七四年
22/09/04 12:53:53.59 PHQzdIqI.net
ここは知恵袋ですか

241:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
筋道から考えても上杉討伐を決める段階で毛利も宇喜多も異論があるなら表立って家康に意見すれば良かったんや
意見しないのか出来ないのかは置いといて上杉討伐の前段階で徳川を糾弾して決起するのは明らかに反乱やからね

242:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>195
亀だがそれは墾田永年私財法から数百年後に発展した荘園制度をはしょりすぎでないか?

243:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
大貴族、寺社、国司の所有地だった荘園に多くの農民が入り込み時代が下る毎になかには自身の土地を荘園に寄進し
武力から護ってもらう者まで現れ、荘園の所有者が武士に移行しそれが領国に進化したと聞いたことがある。

官憲を当てに出来なかった秀吉以前の時代は土地を護る手段は自衛と自力救済しかなかったから
武力を有する有力者に土地を寄進することでその庇護下に入るのは自然だと思われる

244:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
それは研究が浅かった時代の古い理解ではないかな

それと、もともとは武力よりも法律や行政のほうが深刻な脅威だったから、荘園の寄進先は大抵の場合、武士ではないよ

245:人間七七四年
22/09/08 22:57:34.90 NqIkQXGm.net
墾田永年私財法で開拓地が自分の土地になっても、税がかかるのは変わらないから、
形式的に貴族や寺社の荘園ってことにして、税金よりは安い地代を貴族に支払うのが
寄進制度の趣旨。 貴族や寺社から税を取り立てる権威が国にないため。
この荘園に住み着いた、家職を武芸としている下級貴族が、地元の有力者と
結びついたのが武士の始まり。
有力者の荘園であっても、土地の管理人だったはずの武士から貴族寺社に
送られる地代が滞るようになったのが戦国の世。
鎌倉・室町までは武士が地代を納めない場合、幕府が間に入って納めさせている。

246:人間七七四年
22/09/09 00:34:42.66 eYIG3+13.net
荘園制度は太閤検地により消滅する前の中世時代の根幹部分だけど教育現場じゃ触りしかやらないんだよな。
桶狭間や長篠なんてどうでもいいくらい重要で武士の台頭、貴族の没落といった日本史の根本なのに。

247:人間七七四年
22/09/09 20:42:39.29 BqFjAl/o.net
>>241
せめて中公新書の『荘園』くらい読もうや

248:人間七七四年
22/09/10 10:43:47.44 /LS5wQu/.net
始まりが荘園で次に領地、そこから規模が大きくなり領国。でもって最終的には幕藩体制に繋がっていったのか

249:人間七七四年
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夜鷹と婚姻する物好きは居たのですか?

250:人間七七四年
22/09/13 00:59:13.18 RGeaQvhw.net
夜鷹は江戸時代なので板違いですね

251:人間七七四年
22/09/13 02:10:50.33 w6dSgJY0.net
戦国時代の娼婦は何と言ってたのですか?

252:人間七七四年
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一般的には遊女じゃないか。

253:人間七七四年
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八つ墓村の落ち武者狩りの方には元ネタになるような史実はあったのかしら?

254:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
どこにでもありそう

255:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
主人公は亀井維矩の子孫


256:ニいう設定なのか 知らんかった



257:人間七七四年
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いしいひさいちの漫画「忍者無芸帖」で
戦場から戦死者を拾ってきて肥料として埋める農民が出てきましたが

そういうことは実際にあった?

258:人間七七四年
22/09/17 11:04:11.91 K05SM7/I.net
無いよ。
敵味方区別なくちゃんと供養するのが日本の慣習

259:人間七七四年
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狼や熊に人間の味を覚えさせない。という現実的な理由もあったそうだね。

260:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
狼どころか、犬ですら人を食ってたんだよな

261:人間七七四年
22/09/17 16:03:34.02 lWxyU4Db.net
犬すら狼に先祖返りする程だったんだな

262:人間七七四年
22/09/17 16:09:40.19 CFwLLN4j.net
平安時代、平安京では行倒れ死体を路端の側溝に捨てていて、野犬が人の死体を食べるのが常だったと伝えられる
生きてる人を襲って食べていたわけではないようなので、狼のようになったわけではない

263:人間七七四年
22/09/17 16:43:51.48 rEkUucRk.net
犬猫飼ってた人が孤独死後に食われてたなんてニュースたまにあるよね

264:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
まあ、その場合は飼い犬は餓えて仕方なく飼い主を食ってることが多いだろうから、少し状況は違うような

犬にとっては、共食いみたいな状態だろうしな

265:人間七七四年
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江戸時代は害獣対策に農具として鉄砲が大量に所有されていたけど戦国時代以前はどうしてたんだろう?
熊、猪は弓矢じゃまず仕留められないといし

266:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
戦国時代までは灌漑や治水が十分に進んでなかったから、野獣が山を降りてくることは少なかったし

てか、その頃までは農具も領主が貸し出してて農民個人では所持してないよ

種籾の管理だって領主の仕事で、農民は種籾を借りて利稲(利息)を払ってたし

267:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
灌漑や治水が未発達と野獣が山を降りて来ないの因果関係は何ですか?

268:人間七七四年
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>>261
なんでこういう知ったかぶりさんが湧くんだろうな

269:人間七七四年
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>>260
鉄砲は認可制じゃなかったか?
あと農具扱いで大量保有というのもよくわからんのやけど

270:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
そこはどうでもいいです。
知りたかったのは鉄砲が普及する前はどうやって害獣対策をしていたかなのです

271:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>265
農具とかで追い払ってたんじゃね?


(国名)守はなれると凄いんですか?
また入る国名は適当に選ばれるんでしょうか

272:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>260
これも地域によりけりじゃないの?

273:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>265
たいていの村は周囲に空堀巡らしてなかったっけ

274:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
村内を堀と柵で囲う自衛しかないだろう。
あと場合によっては集落の内側には入れない牢人の住居(たて穴式住居)を
集落の外側に配置し万が一の時の盾としたらしい

275:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>269
牢人については、秀吉の頃の法令で牢人を剃村内に住まわせるなと命令された以後のことかもしれない

276:人間七七四年
22/09/18 15:45:25.08 4nGwVlvD.net
大抵はあの類人猿が後始末しまくってるな

277:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>260
熊も猪も旧石器時代から狩りの獲物ですが、何か

278:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>272
具体的な捕り方を言わないと駄目じゃないか?

279:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>273
大人数で囲む。槍で遠ざける。弓矢で射込む。毒矢も良き。後は落とし穴。

280:人間七七四年
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>>274
狩猟採集の時代なら分かるが農耕で生計を立てていた中世の農民にそんな時間と装備があったのか疑問

281:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>275
中世の村は武装集団で、村と村の間で武士の介在もなく戦争したりしてるぞ
農業一辺倒の平和的な


282:村など存在しない



283:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>275
中世の「村」という政治単位について詳しく学ぶことを奨める。
 

284:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
スレ的に言えば大坂夏の陣でも徳川に逆らって敵対した村もあるぐらいだいな

285:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
そういえば武田信吉だったか弟たち(頼宣、頼房)だったか確定してないけど、水戸に入部間もない頃に一揆を起こして殲滅された村があるとか

言い伝えでは税を二重取りされそうになったので2度目に訪れた役人を偽者だと断じてぶち殺したんだそうな
徳川家のほうでは入部間もない頃なので放っておいては示しがつかないということから討伐が決まったとか

税を二重取りしようとした上に殲滅と聞くとまるで徳川家が鬼のように思えるけども、実ははじめに税を徴収していった役人というのは偽物で次に徴収に現れたのが本物の徳川家の役人だったとか

これが本当なのかどうかはわからないけど、血なまぐさい地名や言い伝えが残っている生瀬のお話

ちなみに秋田に移る佐竹義宣から和田昭為に夏年貢を取れとお手紙が届いていたとかなんとか

286:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>279
幕末の藩士同士が族滅しまくる惨状の原点か

287:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
戦国時代、村に住んでいた牢人達は兵役や賦役を代行することで口に糊をしていたと聞きますが
戦や賦役がない平時はどうやって凌いでいたのでしょうか?

288:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>281
戦国時代には、小競り合いすらない完全に平和な年なんてないので、近隣の小競り合いにでも参加するのでは

289:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>279
戦国時代なら前の領主と新しい領主への二重取りなんて無理だったし、やろうとしたら軍事的抵抗にあって領主の方が追い出されるので、戦国時代が終わる時期特有の事件かもね

もちろん、出ていく領主が急いで年貢をとっておこうなんてのも、戦国時代には普通は無理だったからね

290:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>281
一応は水利の不便な下田を村から与えられて麦、粟、稗、蕎麦といった畑作をやったり
駆除した害獣をバラして小銭を得たり、季節によっては狩猟採集を行い何とか暮らしていたらしいね。

291:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>282
小競り合いくらいじゃ飯なんて出ないんじゃね?というか近隣の村々と年に何回も揉めるとかそうないかと

292:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
知らないけど適当に答えてみるスレ。になってるな

293:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
大名や領主からの軍役が村に何人、年間何日までって規定で、それなりにかかってくるんだから、
そこに村を代表して参加するかわりに村から一定の金か食料(要するに米)を出すわけでな

小競り合いは毎年やるのが戦国時代クオリティ

そして、小競り合いでの出陣先でなにがしかの略奪をして生活費にあてようと皆が考えるのが戦国時代クオリティ

294:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>266
これ分かる人いますか?

295:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>288
自称された官位について
スレリンク(sengoku板)

296:人間七七四年
22/09/23 01:23:53.89 L41gKR/Z.net
三大不人気官位(○○守)ってなんだっけ? あと一つが思い出せん
日向守(明智)
伊予守(木曽)

297:人間七七四年
22/09/23 01:33:24.17 aS86ccCw.net
>>290
河内守(佐村)

298:人間七七四年
22/09/23 13:03:25.54 QbAJkBGG.net
>>287
略奪。ランボウ取りはどういう物がよくその対象になったんですか?

299:人間七七四年
22/09/24 06:23:32.77 FKXSEr24.net
言うまでもないでしょ
威張ってた殿様だろうがお公家様だろうが
没落すりゃ乱妨取りされるだけの存在に成り下がるし

300:人間七七四年
22/09/24 06:25:32.73 FKXSEr24.net
そして勝ち戦で乱妨取りしてた雑兵も
負け戦になったら逆の立場だろ

301:人間七七四年
22/09/24 06:49:49.69 FKXSEr24.net
そして乱妨取りにかまけて大将首が取られた戦もあったなwwwy
確か桶狭(ry

302:人間七七四年
22/09/24 14:37:30.28 te6Ryz4I.net
乱妨取りには人材の採用みたいな側面もあったしな一概には語れないしなあ。
大坂の陣で伊達家に捕らえられるも文官として登用された人物もいたし

303:人間七七四年
22/09/24 17:41:52.61 7JGoPkYk.net
大阪の陣で乱妨取りされた村は絶対に徳川に恭順しないと拒絶したから徳川が乱妨取りを止める理由が無くなった

304:人間七七四年
22/09/24 19:58:47.89 43i9MOVL.net
乱妨取りされた武将「今は何も話す気になれぬ」
伊達政宗 → 登用
乱妨取りされた武将「斬るがよい」
伊達政宗 → 登用
乱妨取りされた武将「斬るがよい」
伊達政宗 → 斬首
乱妨取りされた武将「顔に一匹の止まった虫さえ今は奇妙にいとおしい。ぐえっ」
こんな感じだったのかもね。

305:人間七七四年
22/09/24 22:06:21.65 4sFhVE5B.net
>>298
信忠スレでも下らねえ前時代なこと書いてるな
こっちもつまらねえし
だいたい武将を乱取りって、基本のキの字も理解してねえな
阿波蜂須賀藩が大坂の陣で捕らえた人間の帳面、大坂濫妨人之帳でも読めば?
URLリンク(base1.nijl.ac.jp)
捕らえた人間(預り)や捕まえられた濫妨人の生国、捕まえた場所や身分なんかが書いてあるだろ?武将なんかいるか?
こいつは濫妨の実態を表す史料としてよく扱われるし、真田信繁配下の鉄砲衆女房や草履取りも濫妨人になっていたことでも紹介される
丸島氏の簡単な論考が『国文研ニューズ』の2016年ナンバー44summerででも検索すればPDFが出てくるだろ
記憶では藤木氏が詳述してたと思うが

306:人間七七四年
22/09/24 22:17:58.94 4sFhVE5B.net
リンク先無駄だったな
収蔵歴史アーカイブズデータベースでググって、そこから大坂濫妨人之帳で検索して見てくれな

307:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
この時代の貴族の食事はどういう感じだったのでしょう?
奈良時代から平安時代は山盛りの白米に全国津々浦々から献上された
塩漬けの珍味ばかりで糖尿病や高血圧に苦しんでいたらしきですが
戦国時代でも相変わらずそういった不健康な食事だったとか。

308:人間七七四年
22/10/17 09:51:43.61 1wZ7c+rD.net
荘園が軒並み反逆したり略奪されたので白米供給途絶
応仁の乱で解るように首都崩壊しまくり
どう考えなくても庶民より(ry

309:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
貴族たちが仲間同士持ち回りで食事に招待して食事会にすることで、大量調理にして節約しようとしたって話もある

のだが、ホントに節約になってたのかと疑問に思う

あと、都を離れて領地の荘園に滞在して食費を荘園経費にした(憶測)り、親族の家やら領地やら寺に行って養ってもらったり。

310:人間七七四年
[ここ壊れてます] .net
>>301
平安時代でも中堅貴族ぐらいになると食べ物が足りない人が多く、飽食は最上位の一部貴族だけ

少なくとも道長や清盛あたりは食い過ぎによる糖尿だったっぽ


311:「が、 食い過ぎになるほど食ってたのがどの範囲までだったのかは不明 国司として任地に下ってた受領は、たしか太かった気がする



312:人間七七四年
22/10/17 21:25:13.35 ez8RGFY5.net
>>304
芥川の『芋粥』か。

313:人間七七四年
22/10/18 06:28:01.87 gNynRaXd.net
内陸の人間は海の魚が手軽じゃないから色々と大変そうよな

314:人間七七四年
22/10/18 09:49:50.74 UVdyu7XD.net
甲信、美濃、上野辺りは昆虫色や犬が盛んだった

315:人間七七四年
22/10/18 11:19:16.69 zqFFbu9b.net
山口に逃げてきた公家は天国のような思いだったろうな
大寧寺の変以降は逆に地獄と化したけど

316:人間七七四年
22/10/19 07:07:45.03 9eL3k93f.net
貴族を迎え入れていたのって織田と今川、大内、朝倉くらいだっけ?

317:人間七七四年
22/10/19 08:10:11.11 2Y/kxtgL.net
普通の一般的な地方領主は貴族の受け入れなんぞにメリットが無いからな

318:人間七七四年
22/10/19 08:23:14.83 kiSHlBdg.net
>>309
織田って受け入れてたっけ?

319:人間七七四年
22/10/19 10:54:46.23 fqstqb/a.net
短期的な下向レベルならあいつら何処にでも行くからな

320:人間七七四年
22/10/19 13:41:06.24 E5tBB+II.net
信秀は朝廷と貴族に工面し色々と働きかけてたな。
下剋上で成り上がった織田としては幕府への工作より貴族の方がやり易かったのだろ。

321:人間七七四年
22/10/19 13:48:19.26 R3zbRBgV.net
土佐に土着した一条教房、カッコウいい

322:人間七七四年
22/10/19 18:51:38.59 2Y/kxtgL.net
土佐中村は現代でも日本の最果て感が強いのにわざわざ行くのは深い理由があったと思う

323:人間七七四年
22/10/19 19:39:19.45 LlvlG4/h.net
>>314
一条家の領地荘園が大規模にまとまってる重要な場所のひとつで、そのなかでも特に年貢が滞ってたとこなので、
自ら乗り込んで年貢を集めようとしたらしい
しかし、実の親から、土佐までいくなら家督は召し上げるといわれ、弟を養子にして家督を譲らされた上で土佐にいった
前関白が入植した荘園なんて、他の地域ですらも、ほとんどないぞ
大坂南東部の日根野荘に九条政基が入植したが、十年ちょいで京都に戻ってるしな

324:人間七七四年
22/10/19 21:32:18.21 .net
youは何しに土佐へ?
ポツンと一軒家を建てに来ました
こういうノリだろ

325:人間七七四年
22/10/19 22:46:35.45 .net
最果ての地の貴族といえば時折、信長の野望に出演する浪岡北畠さんでしょ
何を考えてわざわざ青森県で貴族やってたのか

326:人間七七四年
22/10/20 07:13:22.63 RUzBdjgu.net
東北を南朝方で染めるために頑張ってたんじゃん

327:人間七七四年
22/10/20 07:19:09.30 BBjf/bxb.net
そうでなくて。どうして戦国時代になっても京都に帰らなかったのかが不思議

328:人間七七四年
22/10/20 07:40:19.82 RUzBdjgu.net
貴族としてやっていく基盤もなくなった京都に戻る必要があるのかな
官位も北朝方に占められているし戻らない他の南朝方の貴族もいたんじゃないのかな

329:人間七七四年
22/10/20 07:52:31.88 GjV6qETi.net
>>321
南北合一の際、吉野から戻った貴族の大多数は貴族として生きていく枠が存在しなくて、オワターと記録されてるしな
戻らないで生活できるなら京都に戻らない方がましだったはず

330:人間七七四年
22/10/20 11:58:48.55 LNNIQ9


331:Jr.net



332:人間七七四年
22/10/20 17:25:12.46 s0WfoooH.net
名目だけの存在だったから。伊勢北畠氏だけは実態があったが結局は守護を兼任した。

333:人間七七四年
22/10/20 18:27:27.29 GjV6qETi.net
伊勢の守護って土岐だろ、早くに滅んだけど。

334:人間七七四年
22/10/21 07:10:25.24 t6qo5YID.net
>>322
その没落した貴族はその後どうなるの?

335:人間七七四年
22/10/21 08:53:30.00 s1ImtvT1.net
没落貴族はどこかで断絶じゃないの
男子で代々家を継承していくにはそれなりの経済力もいるから

336:人間七七四年
22/10/21 12:07:29.18 UYNTcsBL.net
後南朝はなぜフェードアウトしたのか

337:人間七七四年
22/10/21 15:25:29.47 g1TxsXHa.net
King of 没落貴族は
松殿さん
で間違いない

338:人間七七四年
22/10/22 06:47:06.59 O/7bsmzY.net
普段はウィキとかしか読まない者なんですがオススメの本が知りたいです
まず手始めに戦国時代の年表をまとめている本を読もうと思っていますが可能な限り細かく書いてあるものがいいです
値段は問いません

339:人間七七四年
22/10/22 10:34:46.40 455dfKmx.net
>>330
すでに新本は手に入らなくて古本だけだが、クロニック戦国全史 なんかはどうかな?

340:人間七七四年
22/10/22 11:18:16.32 O/7bsmzY.net
>>331
こういうのが欲しかったんです
ありがとうございます
ひとまず買ってみてからまた何かあったら質問させて頂くかもしれませんのでその時は何卒宜しくお願いします

341:人間七七四年
22/10/22 23:58:54.49 zmFF/nZm.net
>>326
大内のように理解のある武家を頼って下向したんじゃねえの。何だかんだで大名や有力者は
朝廷から賜る叙任官位や上位貴族から買える系図を求めていたしその橋渡し役に没落貴族は丁度いい

342:人間七七四年
22/10/25 11:47:10.95 pkHr+vGb.net
武田信玄の正室、三条夫人(三条の方)についての質問です。
日本史上の女性は○○院と呼ばれ固有名詞として扱われていることが多いですが、その由来は戒名(院号?)かと思います。
三条夫人(三条の方)もキチンと戒名が伝わっているのに、円光院という呼び名が一切使われず
取ってつけたように、生家の名字+αで呼ばれているのは何故なのでしょうか?

そこまで深い理由はなく、三条夫人で一般的に広まってしまったから、というだけの話でしょうか?
何かご存じの方がいらっしゃいましたら、お教え頂ければと思います。

343:人間七七四年
22/10/25 13:38:31.83 sUzNGRHc.net
新田次郎の小説「武田信玄」の影響だろ
一般的に武田信玄を語る場合はこれがベースな事が多い
ちなみに家康なら山岡荘八とかだろ

344:人間七七四年
22/10/28 23:45:57.37 u16A3Qpr.net
当時の呼び方>法名戒名>実家の名字 なんでは?

345:人間七七四年
22/10/29 00:12:44.99 pqgf7/LO.net
なにが?

346:人間七七四年
22/10/29 00:37:42.35 1eimikTy.net
>>336
教科書に乗ってる人名の相当数が、当時の呼び名では呼ばれていないわけだが

347:人間七七四年
22/10/29 01:54:18.47 eSLLmyut.net
>>338
例えば武将や大名ならば、
同時代の呼称に係わらず現代の学術水準ではどう表記するかという慣例が確立されている。
女人についてはそれが必ずしも確立されていないことが呼称に於ける混乱や恣意性を許してしまっている。
 

348:人間七七四年
22/10/29 07:43:40.67 FbwQj3/N.net
>>336が急に話を変えて来てるんだが何の話がしたいのか??
なにが?

349:人間七七四年
22/10/29 08:21:07.08 OhwaXefH.net
女性の呼称でしょ?
日数は経ってるけど、すぐ前にその話があがってるでしょ

350:人間七七四年
22/10/29 08:42:23.98 1eimikTy.net
当時の呼び名は史料には残ってなくて不明
てひとが大多数
当時の呼び名がわかる人は例外的

351:人間七七四年
22/10/30 10:50:03.83 fqguTdqc.net
武田信玄 晴信 だろ
上杉謙信 輝虎 だろ
松平春嶽 慶永 だろ
 

352:人間七七四年
22/10/30 11:18:05.96 jTqrdxuN.net
例えば
「陶隆房」が「陶晴賢」に改名したことを知らず
更にその「陶晴賢」本人が死んだあとも
それでも「陶隆房」としか記憶してない人もいただろうな

353:人間七七四年
22/10/30 11:22:53.30 M4oum/Q+.net
>>343
それは呼び名じゃなくて実名(ジツミョウ)で、呼び名として使われることはない。
公文書でのサイン用とかで使うぐらいだが、当時の大名が書く文書の大多数は私文書で公文書じゃないんだよな

354:人間七七四年
22/10/30 12:09:22.18 Lc40o85F.net
書状とか読めないまでも興味すらないんかい?

355:人間七七四年
22/10/30 12:36:14.94 JvtIC3qG.net
鎌倉時代は小四郎とか生誕順の~郎だらけだったみたいけど
いつ頃から官職自称が始まったんでしょうか?
室町時代初期は既に官職呼び?

356:人間七七四年
22/10/30 13:50:45.91 Lc40o85F.net
官職自称が当たり前になったのは室町時代やね
官職呼びはもとは公家の文化で初期の武士はしてなかったが鎌倉時代を経るうちに
金で買えたり関東じゃなんちゃって官職名の東百官が当たり前だったり先祖が貰ってたら子孫の自分も名乗っていいだろとかグダってった

357:人間七七四年
22/10/30 14:03:50.36 Lc40o85F.net
>>345
一応言っときますが私文書でも差出人署名は普通は実名(諱)です。

358:人間七七四年
22/10/30 14:32:37.52 JvtIC3qG.net
>>348
ありがとうです

359:人間七七四年
22/10/30 18:25:47.07 azrVygi8.net
現代の一般的な呼び方がどういった経緯でそうなったかというのが元々の話だろ
一般的呼称がなぜ厩戸皇子じゃなく聖徳太子なのかがわからないアホも多い

360:人間七七四年
22/10/30 19:02:35.61 oGNelEVl.net
大名が家臣・領民・他大名に出す書状が私文書🤣

361:人間七七四年
22/10/30 19:16:20.69 22K28vFW.net
戦国時代の公文書っなんだ?御判御教書?御内書?幕府奉行人連署状は?大名の制札は?朱印状は?黒印状は?起請文は?神仏への願文は?寄進状は?

362:人間七七四年
22/10/30 19:28:01.18 bhlH22EJ.net
>>348
グダグダだったけど、没落した公家を迎え入れて箔を着けたりと差別化の努力ははしてた模様

363:人間七七四年
22/10/30 22:15:15.57 v351f34/.net
>>353
幕府や朝廷との公式な遣り取りの文書が公文書。
その遣り取りによって統治権力の正当性を保証された戦国大名は公権力と云って云えないこともないが、割合としては少数派。
他の多くは暴力を以て在地に実効支配を敷く私的権力だから、彼等が領国や他大名に向けて発行する文書は私文書ということになる。
 

364:人間七七四年
22/10/30 23:15:48.42 M4oum/Q+.net
公文書にはそれぞれの文書の種類に応じた書式があり、それにのっとっていない文書は朝廷や幕府からの発行でも私文書になる

大名が家臣や同盟相手等に出す文書はまず間違いなく私文書
文書というよりもむしろ手紙に近


365:いことさえ多い



366:人間七七四年
22/10/31 21:12:01.81 qwOqEhJj.net
>>355-356
あ・た・お・か
書式wwwwww
則っていなければ私文書wwwwwwwww
見てみてえ
書式に則っていない朝廷・幕府の私文書www

367:人間七七四年
22/11/01 17:12:29.29 2oSL/DA6.net
母乳って乳母があげるんですか?
実母も子を産んでるので母乳が出ると思うんですがあげたりしないんでしょうか

368:人間七七四年
22/11/01 18:35:16.06 sZXPqr6v.net
基本的に上流階級では乳母がやるもので実母はやりません。
身分差が大きく叩き上げが多い戦国時代の武士のどこまでが上流階級かはケースによるかと思いますが

369:人間七七四年
22/11/01 19:41:20.09 sZXPqr6v.net
例えばケースによるもっとも端的な例は下層から関白まで成り上がった秀吉で
秀吉が淀君にあてた手紙で「拾に乳をよく飲ませてください、滞りなく養育するように。貴方も良く乳が出るようにめしをよく食べるようにして下さい。」と実母の淀君の母乳で秀頼を育てさせていたのが分かります。
関白ですらこうなので叩き上げが多い豊臣徳川大名なんかもケースに拠る面はあるかと思います

370:人間七七四年
22/11/01 22:20:19.98 JuGRQQD7.net
>>360
淀殿が母乳で育てていたのは
秀吉が当初、参籠による秀頼の受胎&生誕に冷淡だった影響では?

371:人間七七四年
22/11/01 22:56:30.91 sZXPqr6v.net
興味ないです

372:人間七七四年
22/11/01 23:23:19.73 JuGRQQD7.net
興味がないのは構わないけど
せめて淀君はやめてほしい

373:人間七七四年
22/11/03 00:38:08.43 7eKNcDEj.net
大名って江戸城玄関から?は1人ぽっちだったの?
お目見え程度でも年寄りの御三家斬れね?

10万石毎にお供連れられるとか
親類大名同士で固まるのかな?

374:人間七七四年
22/11/03 00:45:51.63 KDGlMKOW.net
>>364
「規範」「法度」と云う名の共同幻想。
いやしくも歴史系のスレに書くんなら共同幻想の何たるかぐらいは理解してから出直して来い。
 

375:人間七七四年
22/11/03 07:07:20.93 nbMN6z3b.net
当時の庶民や下級武士は今と比べても健康的な食生活と聞きますが
具体的にどう健康的だったのでしょうか?
白米や酒は庶民にとっては高価だった以外でお願いします

376:人間七七四年
22/11/03 08:16:57.40 y2dj7W6f.net
砂糖を取らなかったとか?
醤油も流通してなかったから塩分も控えめ?
秀吉は母親が弟妹を母乳で育ててたの見てたんだな

377:人間七七四年
22/11/03 08:27:09.48 vbBPZWaU.net
>>366
どこで聞いたの?

378:人間七七四年
22/11/03 09:36:33.07 gnJBla69.net
間違いなく今より健康的じゃないだろ

379:人間七七四年
22/11/03 10:46:27.81 7eKNcDEj.net
・2次救急の病院
・食料を3倍にする魔法
があってもダメな根拠出せるの?

>>365
300諸侯はお前みたいに、
修学旅行ぼっち
修学旅行ぼっちじゃ無いからwww

380:人間七七四年
22/11/03 11:03:26.89 T8fUaLeb.net
値段の張る塩を控えた食事。高タンパク質、低脂肪の昆虫食。あと摂食する野菜の種類が現代人より多かったとか。

381:人間七七四年
22/11/03 11:36:21.89 6NdXokbj.net
ここは戦国時代板である

382:人間七七四年
22/11/03 11:54:03.31 j6j495aV.net
戦国時代の食生活なんて
下手すりゃ共食いするレベルだろ

383:人間七七四年
22/11/03 12:44:16.06 z3nsbInV.net
>>366
食生活の健康度を決定的に下げてしまう栄養失調に、常にさらされてますからねー
戦国時代には、武士でも下っぱは健康ではなか


384:ったと思います 上の方はともかく、下っぱはわりと病気による早死にも珍しくないでしょ?



385:人間七七四年
22/11/03 12:47:46.08 7eKNcDEj.net
>>366 を
量じゃなくて質
量じゃなくて質を聞いてると読解できない特アでさえ
江戸城中ほどでは、御三家もぼっち>>364
だなんて暴論には異論ないのかよw
関ケ原以前まで敵なんてザラなんだから、
爺ちゃん同じ同士くらいでグループ作るだろうに、、、

386:人間七七四年
22/11/03 12:56:56.62 0rjCqncI.net
ID:7eKNcDEj
キモ

387:人間七七四年
22/11/03 13:35:47.15 whAXE5VT.net
戦国時代って庶民も武士も肉体労働だろうに米と漬物だけで足りるのか

388:人間七七四年
22/11/03 13:45:37.52 z3nsbInV.net
いや、主食は麦だろ
麦の収穫前の春ごろがいちばん餓死が多かったようだぞ

389:人間七七四年
22/11/03 14:38:08.64 7eKNcDEj.net
そんな生きる≒充分な運動に
栄養豊富な玄米&納豆を腹8分目まで3食とか
令和の途上国民でも完敗の「質」だわなw

水や食料の争いが無くなりゃ
ビワみたいなビタミン類の量だけ人口増えるわ

390:人間七七四年
22/11/03 14:58:01.82 7eKNcDEj.net
>食生活の健康度を決定的に下げてしまう栄養失調に、常にさらされてますからねー

それは昭和まで腸に居た寄生虫の仕業とも♪
駆逐して太るわ、免疫が過剰反応してアレルギー出るわで大変w

糞便だけは早々に肥料だって気付けたが
収穫した米から、食いにくさと一緒に栄養捨てたのが白米。
飢饉で仕方なく食べたのが、栄養豊富な雑穀米で、
捨ててた大トロが高級品になったんだっけw

391:人間七七四年
22/11/03 15:10:53.72 gnJBla69.net
NGしとこう

392:人間七七四年
22/11/03 15:46:23.44 7eKNcDEj.net
↑異論すら出せない馬鹿がよくする
必死の抵抗≒見えないフリの表明で、
やっと量じゃなくて質の話だと認識できたのが分かるなw

393:人間七七四年
22/11/03 17:44:26.22 iwIMMKya.net
>>381
勝手にしとけ
何をNGにするかなんて
各々自分で決めるだろ

394:人間七七四年
22/11/03 20:26:43.91 i8I30kRP.net
>>368
庶民にも江戸患いのような生活習慣病が出始めたのは江戸時代からなので。

>>374
栄養失調はその通りだけど、知りたいのは生活習慣病や食生活が
原因での病気は庶民はあまりなかったようなので何を食っていたのか

395:人間七七四年
22/11/03 21:57:18.82 gnJBla69.net
>生活習慣病や食生活が原因での病気は庶民はあまりなかったようなので

まずこれがなんのこっちゃなんでソースは何ですかね?もしその通りに書いてあったならただのクソなんで忘れればいいですよ。

396:人間七七四年
22/11/03 22:11:22.95 gnJBla69.net
玄米を中心に補助に麦蕎麦雑穀などの穀物を大量に
それにその時取れる野菜と野の物と少量の魚などの動物タンパクを鍋にぶっこんで
味付けは塩だけで煮た雑炊が庶民の当時の基本的な食事と言われています。
冬の野菜系は漬物だけ。娯楽は飲酒ぐらい

玄米が完全食に近いからどうにかなってたけど現代から見れば非常に偏った食生活なんで理屈上は生活習慣病も比じゃなかったでしょ。
高脂質や喫煙などの現代型の生活習慣病がないというならだからなんだという話です。

397:人間七七四年
22/11/03 22:39:43.42 SzUbaxJ9.net
>>366
戦国時代と限定するなんなら、
当時は「小氷期」の寒冷化と恒常的戦争状態(より正確には前者が後者を生んだ)で飢餓・飢饉が常態だぞ。
庶民は生命維持そのものが至上命題。
健康云々以前の問題だ。
 

398:人間七七四年
22/11/04 00:34:14.87 5rI0NlHM.net
麦でパン・うどん作れる技術持ってったら戦国時代で天下取れるな

399:人間七七四年
22/11/04 01:27:51.00 7Qa/F5pA.net
>>388
「米が無ければ麦を食べれば良いじゃない?」…ってマリー・アントワネットかよ。
「貧乏人は麦を喰え。」…って池田勇人かってえの。

喰う麦があるような状態を「飢饉」とは云わない、我が国の言語では。
 

400:人間七七四年
22/11/04 06:57:39.01 OCJpTVrn.net
健康的な食事がなにを指すかだが栄養バランスで考えたら現代のほうが圧倒的に良いに決まっている
現代は個人の嗜好の問題で偏食してるのをいくらなんでも過去と比べるのは違うと思うよ

401:人間七七四年
22/11/04 07:14:26.00 OCJpTVrn.net
食のテーマは世界史(地理)で勉強するのが面白い
日本は飢餓など無縁な環境やと思えるけどやっぱり人口密度が高いのが悪かったんかな

402:人間七七四年
22/11/04 07:34:33.69 OnaEhC/T.net
むかしは生産環境が悪くて現代より収穫領が大幅に少なかったから、飢餓と無縁の土地なんて世界中のどこにもない
特に穀物系は、普通に現代の2割程度が基本で少ないからね

403:人間七七四年
22/11/04 07:53:55.41 /78Za7Uf.net
100年前まで米の北限が新潟だったわけだしね

404:北限が最大人口かよw
22/11/04 09:52:55.70 APC9QHnl.net
農機や生産技術的に
農機や生産技術的に量への疑問じゃない常識が通用しないばかりか
ダメ押しまであるのに「量を言出す」特ア思考にマトモな議論はムリか、、、w


>>366 今と比べても健康的
>>366 今と比べても健康的な食生活

405:人間七七四年
22/11/04 20:17:45.08 1Rby3wds.net
15世紀頃中国から大鋸と台鉋が伝来し大きくて平らな板をそれまでより短時間で製作できるようになった
そのおかげで板の上で生地をのばした切麺である蕎麦切りやうどんが普及するようになった
という説がある

406:人間七七四年
22/11/04 20:36:57.04 OnaEhC/T.net
>>393
山形とか秋田とか東北地方でもピンポイントながら水田稲作してたでしょ、古墳時代でも。

面じゃなく点だけど。

407:人間七七四年
22/11/04 20:39:24.63 OnaEhC/T.net
>>395
大きな板を容易には作れなかった時代には、木の板は安価には入手できなかったから、庶民住宅の主流は竪穴式住居だったんだよな
鎌倉時代後半ぐらいまでの話。

408:人間七七四年
22/11/04 20:56:41.11 YTV6K1lN.net
湿度の低い東北地方では戦国時代まで竪穴式住居が使われていたけどな

409:人間七七四年
22/11/04 21:25:21.04 LCNQPdK4.net
島原の時に原城にこもった一揆は半地下の建物を作って利用してたそうだけど、それも竪穴式だとか

410:人間七七四年
22/11/04 22:40:40.95 jAlaY/9h.net
>>391 >>392
印度の経済学者アマルティア・セン氏に拠れば、
飢餓の最初の契機は自然条件であるにせよ、飢餓を拡大再生産して恒常化させる主因は食糧の絶対量不足よりも寧ろその分配システムの不在又は不全であると云う。
藤木久志氏や黒田基樹氏も拠るこの説に鑑みれば戦国時代などは正にその典型であるし、
また如何なる時代の如何なる統治体制であれこの危険から無縁ではあり得ない。

411:人間七七四年
22/11/05 02:10:10.67 RvXealv3.net
>>400
戦国時代だと、どの階層の人もみな窮乏してて、誰も裕福な生活をできないイメージ
貴族も武士も質素倹約を余儀隠されてるじゃん

412:人間七七四年
22/11/05 09:41:48.34 /iEatJKL.net
室町時代から戦国時代は二毛作や鉄器の普及でそれまでより食糧の大量生産が可能になったんだけどな。
それによって余剰人口が発生し、それまでとは比較にならないほど商業や工業、土木建築技術が発展した。

413:人間七七四年
22/11/05 10:25:55.14 4/dCQSd4.net
室町時代半ばごろから気候の寒冷化で穀物生産が激減してるので、それを補うために二毛作が必要になったのでしょ

生産は増えてない、どころか飢饉連発の時代です
特に戦国時代になると、毎年毎年、全国のどこかで飢饉が起こっていたことが判明しています

414:人間七七四年
22/11/05 12:10:01.31 Wc6zTDRs.net
耕作により富の集中や税徴収の問題が出てきてから飢餓の問題が深刻化しだしたんや
日本の場合は食料供給量に対しての人口が多すぎるからだろ
古今東西の食料問題は政治から来てるのが大部分

415:人間七七四年
22/11/05 12:27:24.92 U+zylQSo.net
曲解特ア
曲解特アに、御三家でもぼっち>>365 に成りそうな重陰キャしか居ねーwww

416:人間七七四年
22/11/05 12:33:32.31 QyYlX39p.net
因果律、物事の原因と結果を構造的に考えろ。

気候寒冷化とプレート活動活発化に起因する恒常的飢饉に対して機能不全に陥った室町型統治システム。
それに取って代わるべき統治/分配システムはどうあるべきか。
その次代に向けたtry&errorの運動を「戦国時代」と呼ぶんだよ。
 


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