武田勝頼 part36 ..
[2ch|▼Menu]
2:人間七七四年
21/10/06 09:41:37.07 2GNhP0VG.net
勝頼は果たして生き残れたのか…
信玄の負債を押し付けられた哀れな男だが

3:人間七七四年
21/10/06 10:27:05.62 7LYpZ6qz.net
>>2
毛利元就「甘ったれるな!」
織田信長「俺はもっと小さい勢力からのし上がったんだよ」
徳川家康「120万石、3万、優秀な家臣団に恵まれて負債? 甘えるんじゃねえ!」

4:人間七七四年
21/10/06 10:46:36.16 GWdtyMsZ.net
親ガチャ論、流行ってるからなーw

5:人間七七四年
21/10/06 12:53:51.69 /HAUA0ss.net
すべてを捨ててノブに仕官すれば・・・

6:人間七七四年
21/10/06 13:04:29.29 RsrH1thO.net
>>1
スレ建て乙。
てか前スレは一日で結構なレスをしときながらスレは建てないのか…

7:人間七七四年
21/10/06 13:17:17.06 K2KJfVm/.net
信長は初期から熱田、津島抑えてた強豪だから比較にならん

8:人間七七四年
21/10/06 13:37:16.03 51o3Q8gu.net
代替わり直後に武田を継いだ諏訪です仲良くしてくださいと言っておけば

9:人間七七四年
21/10/06 13:38:19.25 nXEo301s.net
なろう系よろしく生まれ変わって成り代わるなら、
信長、勝頼どっちがいい。
相続するなり身内と殺し合うか
精強三万の軍団を争いなく相続したが宿敵が勢力倍以上か

10:人間七七四年
21/10/06 14:16:19.08 6KIOptA1.net
相続するなり身内と殺し合うとか嘘つくの止めような
すぐに殺し合いなんかしてません

11:人間七七四年
21/10/06 14:29:06.33 0a0iDvkt.net
どっちも罰ゲームだな

12:人間七七四年
21/10/06 14:30:15.26 2GNhP0VG.net
信長は信長でまず織田家握るところから大変だし
勝頼は一門衆が使い道大変なうえに外交に問題がある。

13:人間七七四年
21/10/06 16:03:19.59 7LYpZ6qz.net
>>7
熱田や津島抑えてたからまるで無敵みたいな考えは辞めた方がよくない?
その代わりに晩年の信秀が今川に負けるわ、尾張国内で反乱はおこるわでめちゃくちゃだったやん

14:人間七七四年
21/10/06 16:09:49.74 d4+3PzGl.net
勝頼の最期ってホント切ない。
てか最後の最後で裏切りやがるのが佞臣じゃなくて一門衆っていう(甲陽軍鑑で佞臣扱いされてる連中は最期まで共にしたと言う)

15:人間七七四年
21/10/06 17:51:31.06 /t3+WoOs.net
>>8
もう少し石高が低ければそれも出来ただろうけど半端に石高が高いから無理。
信長時代は従っていたけど後に秀吉と対決寸前までいった家康のように
中途半端に石高が高いとなかなか土下座は厳しい

16:人間七七四年
21/10/06 17:52:42.01 ZCnwnPLg.net
そういえば小牧の頃の徳川の石高はだいたい武田に匹敵か

17:人間七七四年
21/10/06 17:52:56.57 0t938NER.net
>>13
初めから尾張国内最強だから別に

18:人間七七四年
21/10/06 18:37:46.30 0wi0Atcl.net
徳川時代になってから家康の外孫池田宮内少輔忠雄と高家衆議長宮原弾正少弼義久から摂津で出家した武田勝親甲府帰還の嘆願が出され、受理されたものの、勝親は摂津に留まった、
103歳の生涯を終えたのは、1682年、五代将軍綱吉の治世。

19:人間七七四年
21/10/06 19:12:03.98 7LYpZ6qz.net
>>17
ホントに尾張最強かあの当時の信長?
清洲には織田本家筋の信友がいたし、犬山の信清は味方に入るかどうか微妙
東南部は今川に寝返ったし、末森の信勝も味方といえるかは微妙だし
本家筋の信友の支配権って大したことなかったのか?

20:人間七七四年
21/10/06 19:12:44.81 rgFxoswk.net
>>14
つうても少数ながら自分の為に4んでくれる家臣と共に
滝川の大軍に突っ込んで斬り4にしたみたいだから
本人は結構満足して4んでいったかもね
妻子を道連れにしたのは痛恨の極みだったと思うが

21:人間七七四年
21/10/06 19:19:03.13 rgFxoswk.net
>>19
ノブが尾張筆頭勢力に躍り出たのは道三の支援を引き出してからだろ
んで村木砦で今川を撃退した事で斯波義統の支持を得て国衆を味方につけた
信友が守護殺害なんて暴挙に及んだのもそれが不満だったんだろ
信秀が4んでいよいよ俺の時代キタ━━(゚∀゚)━━!!と思ったら梯子外されたんだから
この後、道三が4ぬまで不穏な動きはあったもののノブに表立って逆らう勢力は出ていないと思う

22:人間七七四年
21/10/06 19:29:46.84 7LYpZ6qz.net
>>21
村木の戦いって勝ちなのか?
織田側もかなり被害出たみたいだし、東南部奪還したわけでもないし

23:人間七七四年
21/10/06 19:40:46.56 okkbAO/G.net
>>17
頭悪そう

24:人間七七四年
21/10/06 20:16:33.34 EBArTBGi.net
家康を怒らせるよりも、
信長を怒らせた方が怖いよねと教えてくれる

25:人間七七四年
21/10/06 20:21:17.36 ZCnwnPLg.net
家康は無闇に命は取らないね

26:人間七七四年
21/10/06 20:25:16.86 OlnXFYH9.net
>>25
恨みがある奴には家康も執拗だがな

27:人間七七四年
21/10/06 20:35:31.26 EBArTBGi.net
家康「クッソ…信玄の奴約束破りやがった!こうなりゃ戦争だ!」
信長「クッソ…信玄の奴約束破りやがった!こうなりゃ戦争だ!」

勝頼「家康!引き分け!引き分けで手を打とうじゃないか!」
家康「引き分け?まぁ武田が手を引くってなら」
信長「家康クン?今こそ武田を根切りにする好機だって解ってる?解ってるなら降伏なんか認めないで皆殺しにしないとダメだよ?」
信長の方がキレてるから面白ヤバい。信玄はマジで噛み付いちゃイカン奴に噛み付いちゃイカンタイミングで噛み付いたんだなって。

28:人間七七四年
21/10/06 20:48:38.36 i+KAD5qq.net
病死しちゃったから仕方ない
情勢は武田優勢だったから、寿命の問題

29:人間七七四年
21/10/06 20:49:41.30 rgFxoswk.net
ノブ『勝頼、君は良い義息だったが君の御父上がいけないのだよ』

30:人間七七四年
21/10/06 21:00:56.47 5JVhM7I+.net
>>17
熱田と津島持ってるからね
初めから目チート

31:人間七七四年
21/10/06 21:34:53.77 3lFjI3NC.net
>>2
長篠でわざわざ設楽行って敗北したのも、織田徳川に加えて御館で北条敵にしたのも勝頼で信玄関係ないやん。
むしろ、長篠までの勝頼の織田徳川への勝利は、信玄が整えた戦略的状況と戦力国力に多く助けられてるでしょ。

32:人間七七四年
21/10/06 21:41:24.87 3lFjI3NC.net
>>27
信玄にしてみれば家康が上杉と同盟して織田も参加させて
武田包囲網作ろうとしてるのを武田が織田に抗議しても、織田が放置なんだから
織田は徳川寄りと思うでしょ。
だったら包囲される前に包囲網勢力と組んで織田徳川と戦おうと思うのは
当時の武将としては普通でしょ。

33:人間七七四年
21/10/06 21:47:53.58 EBArTBGi.net
>>31
そもそも長篠ってなんで起こった?
っていうと信玄が家康と信長に喧嘩売ったからなんだよなぁ…
信玄の戦略ミスが呼んだ負戦みたいなもん。

34:人間七七四年
21/10/06 21:50:18.22 TdiZlnyT.net
武田宛の外交文書はほとんど全滅してるから外交については不明点多いし、武田が送った文書だけで判定している面が強いね
例えば駿河攻めの際に武田は徳川を織田の傘下と考えていた節があるけど、それってもともと織田がそういう説明をしていた可能性がある
その後再三、武田は織田に徳川について文句言ってるけど織田が一つ一つ何て返答したのか分かれば面白いね

35:人間七七四年
21/10/06 21:51:14.44 TdiZlnyT.net
>>33
なんか典型的な親ガチャ脳だなあ

36:人間七七四年
21/10/06 21:54:22.00 3lFjI3NC.net
>>33
長篠までの勝頼の織田徳川への勝利も信玄が整えた戦略的状況や戦力国力を基にしてるのに、
敗北した時だけそんな事言われても。
長篠は重臣達も反対してたように設楽に行かないで守ってるなり、さっさと撤収するなり、やりようはいくつもあったでしょ。
なんで勝頼がわざわざ設楽行って敗北した事まで信玄のせいなのかな。
信玄はいなくなった後まで勝頼の合戦差配まで責任もたなきゃいけない、っていうのは無理ないかな。

37:人間七七四年
21/10/06 21:55:40.70 6S6ileWE.net
来月の月刊歴史人は武田家特集たからな

38:人間七七四年
21/10/06 22:00:43.07 EBArTBGi.net
そもそも徳川の行動を織田がどうこう言える筈がない。
信長の上洛要請書だと家康は北畠大納言殿の次、徳川三河守殿なんだぞ(しかも三河と遠江の支配者)
更に足利幕府からは左京大夫(管領の盟友である守護大名・四職が貰える)に任命されてる。単なる家臣の筈がない。少なくとも幕府と信長はそうは扱えないわな。
徳川は織田から独立した勢力なんだから信長だってかなり気を遣わないとならん相手だし、精々一言忠告する程度。万が一徳川に反旗を翻されたらクソ面倒な事になるから。
だから信玄はそもそも、頼る相手を間違ってる。
信長が誠実な人間だったからまじめに上杉との和睦を仲介してくれたけど、
ちょっと悪意がある奴だったら報酬や手付金を要求して出させるだけ出させてからポイとかやられてるぞ。

39:人間七七四年
21/10/06 22:01:23.44 srK1Bc2t.net
武田滅亡の原因にされるのはともかく、個々のミスまでは信玄の責任じゃねーわな。

40:人間七七四年
21/10/06 22:03:32.64 yIipm6/0.net
>>15
勝頼が武田を継いだ時点での石高は織田に次いで全国で2位なわけだからな。
そりゃ簡単に頭を下げられるわけないわな。

41:人間七七四年
21/10/06 22:07:56.47 3lFjI3NC.net
>>38
信玄だって織田と本願寺の和睦を仲介してたはずだし、武田と上杉の和睦だけ恩着せがましく書くのはどうかと思うよ。
信長だって当時は京都に上ったばっかりで包囲網勢力と戦ってる状況で、東の同盟勢力の和睦仲介するのは普通だと思うけど。
武田にとっては、徳川は織田の配下という認識だし、徳川が上杉と同盟して織田も参加させて
武田包囲網を作ろうとしてるのを、武田が織田に抗議してるんだから、はっきり織田が徳川に武田包囲網には参加しませんと拒絶の意思を示せばいいだけだろに。
それをしないで放置してるなら、武田が警戒して包囲網勢力と同盟して織田徳川と戦おうとするのは、
当時の武将としては普通でしょ。

42:人間七七四年
21/10/06 22:08:37.27 TdiZlnyT.net
>>38
全体的に賛同できない
信長は将軍家をほぼ手足のごとく動かせる=少なくとも将軍家は徳川に命じることができる
そして駿河攻めは将軍家と織田と武田の共同作戦であり互いに詳細な契約を交わしている
なのに織田は徳川について命令できないから関係がないというのは苦しい言い訳
実際、織田は武田と徳川に互いに仲良くするよう仲介はしていたと思うよ

43:人間七七四年
21/10/06 22:45:12.53 EBArTBGi.net
長篠の戦い自体はもうどうしようも無い。
甲陽軍鑑だと馬場は完全に長坂に言い負かされてたりするけど、それぐらい詰んでる状況。
信長の描いた絵図が完璧だった。勝てる戦を落としたなら問題だが負けるべくして負けた。勝頼の将器が三英傑クラスじゃないと無傷で帰れなかったろう。
それよか問題なのは、足利幕府を再興させ得るほどの力を持つ織田信長を最悪の形で敵に回した信玄の判断よ。
織田徳川を敵に回して、息子よ織田をこえろさおか無茶苦茶言ってもね…

44:人間七七四年
21/10/06 22:51:43.08 3lFjI3NC.net
>>43
別に言い負かされてないでしょ。
単に長坂が勝頼の意を組んで決戦論派だっただけで、かなり強引な論理で反論してただけで、
守ってればいい、もしくは撤収すればいい、という馬場達の論旨を論破できてないやん。
信長だって勝頼が設楽まで来ないで守ってたなら、勝ちようがなかったろうに。
その足利幕府と信長は敵対して、勝頼時代には足利義昭は反信長勢力として活動中じゃん。
>>41とかに書いたように、武田にしてみれば黙って織田徳川上杉に包囲される義理もないし、包囲網勢力と組んで戦っただけだと思うよ。

45:人間七七四年
21/10/06 23:10:42.30 OlnXFYH9.net
>>28
寿命の問題
53まで生きて寿命とか

46:人間七七四年
21/10/06 23:14:41.71 3lFjI3NC.net
>>45
横からだけど当時はそれ以上に生きた武将も多いやん。

47:人間七七四年
21/10/06 23:16:20.32 EBArTBGi.net
>>44
長坂の言ってる事は次の一言に集約される
「信長程の大将がただ引くであろうか」
実際これはその通りで、信長はこの戦に数万(甲陽軍鑑では十万)の軍勢を動員してる。織田は大国だけど、だからといって戦果ゼロで終わらせるつもりは無いと分かる。
つまり「織田が消極的なら」という前提は全て無視しないといけない。
そして長坂は「信長が押し攻めて来たらどうするのか?」と聞いたところ馬場は「その時は決戦する」と言ってみれば墓穴を掘った。
だから当時武田に分かっている情報のみで考えればむしろ長坂の方が正常な意見なんだな。
個人的には百戦錬磨の馬場がこんなトンチンカンな事を言うとは思えない。むしろ、馬場が決戦派で長坂が撤退論だった可能性の方が高いと思う(長坂は織田から偽情報を流されており織田の士気が低いと思っていた筈だから)

48:人間七七四年
21/10/06 23:18:37.37 TdiZlnyT.net
>>47
馬場はそもそも撤退論者
決戦するなら突撃するよりはせめて守りを固めた方がマシと言ったに過ぎない

49:人間七七四年
21/10/06 23:32:09.57 3lFjI3NC.net
>>47
なんか変な事書いてるように思うけど、
馬場は守りを固めてもし織田勢が攻めてきたら迎撃して戦う、みたいな論で
長坂は自身達から攻めてって戦う、という感じの論で
織田がそんなに軍勢が多いなら自身達で攻めて戦ってもしょうがないだろうに。
実際に敗北したし、長坂の言ってる事の方が矛盾してるだろうに。
馬場の言ってる事はまったく矛盾してなくて、
地形を利用して守り固めて対峙に持ち込んで、織田勢が攻めてきたら迎撃する、というだけの話で、
多くの軍勢を持ってて守りを固めてる織田徳川勢に自身達から攻めてって戦う、というよりは
よっぽど無理のない話だと思うけど。

50:人間七七四年
21/10/06 23:43:00.51 3lFjI3NC.net
>>47
ついでに、信長側だって設楽から長篠までの道が険しくて進むに進めなくて、
設楽に陣地を作って守っていたんだし、勝頼が設楽まで行かないで長篠周辺の地形を利用して守ってれば、
織田が強引に攻めてきても撃退しやすかったろうし、馬場の言ってる事は無理がないと思うよ。

51:人間七七四年
21/10/06 23:57:43.07 OlnXFYH9.net
信玄はあとどれだけ寿命があったなら、信長と家康を滅ぼせたのかな? 1年か?

52:人間七七四年
21/10/07 00:18:33.78 ISiCFkV/.net
長篠で守備戦なんて有り得ない。
織田徳川は大軍な事を前提にすると籠城出来るのは
@長篠攻めで本陣を敷いた医王寺山
A長篠城を監視する鳶ヶ巣山
B長篠城
この3つ。
まず医王寺山は不可能。ここからだと長篠城に来る織田徳川軍を防げない。
鳶ヶ巣山も不可能。ここは長篠城が観れるってだけで選ばれたところで防御力に難がある。
もっと悪いのはここは徳川の支配する別所街道が通っているので大軍行軍も可能。しかも川に挟まれていて逃げ場もない。
一番良いのは長篠城だけどその為には長篠城を無傷で落とさないといけない。これも不可能。
奥平が火を放つかもしれない。また、長篠城を力攻めにすれば織田徳川軍が突っ込んでくる。
つまり時間が厳しい。とても無理。
最悪なのは織田徳川軍は大軍なので二つ三つに分けて武田軍の総力より多そうってこと。
つまり兵力を分ければ各個撃破の危険性大。
一箇所に集中しないといけないが、街道が3つもあって絞りきれない。
籠城なんかするより撤退した方がマシだけど、これは大損害が出る。勝頼版砥石崩れを見ることになろう。

53:人間七七四年
21/10/07 00:20:48.26 Bc6rt4L0.net
>>52
無駄に長いよ
甲陽軍鑑なら撤退が上策で追撃なんてしてこないという内容なんだからそれで話は終わりだ

54:人間七七四年
21/10/07 00:22:43.62 jUjtI84q.net
>>41
織田は徳川にちゃんと言ったかもしれんぞ。
言ったところで武田がそれを信じるかと、言われたところで徳川の動きが止まるかは別問題だが。

55:人間七七四年
21/10/07 00:28:01.11 HBmJwnEp.net
>>52
ありえないったって、信長側の信長公記でさえ、
勝頼が設楽に来ないで、川を前にして鳶ケ巣山に勝頼が登って守ってれば、
どっちも勝つ事ができなかったろう、みたいに書いてるのに、
現代人の君が勝手にあり得ないとかいったってしょうがないでしょ。
馬場も同じように長篠周辺の地形を利用して守ってく作戦だし、
そもそも信長だって設楽から長篠までの道が険しくて、設楽に陣地作って守ってたのに、君が同時代の人の判断や記述をあり得ないとかいったってしょうがないよ。

56:人間七七四年
21/10/07 00:31:14.87 HBmJwnEp.net
>>54
少なくとも、織田側にも徳川側にもそんな記述とか資料とかないんじゃ?

57:人間七七四年
21/10/07 00:33:34.82 nsbYMl1R.net
馬場が言う通り徹底防御したとして、持久戦になったら物量勝負になる
織田徳川はホームグラウンドに対し、武田は敵地
それと馬場の策は軍艦では確か、長篠城を多少の犠牲を覚悟して無理押しして落とした上で、織田徳川と対峙だったはず
となると、15000とただでさえ少ない兵力がさらに減り、織田徳川に対峙できる必要兵力に満たなくなる恐れが出てくるのでは?
岩屋城ですら決死の覚悟して抵抗し、島津に3000近い死傷者出してる。長篠城が抵抗して仮に同じくらい出て12000になると、対峙できるかどうかかなり微妙にならないか?

58:人間七七四年
21/10/07 00:38:37.76 Bc6rt4L0.net
そもそもちゃんと甲陽軍鑑読んでないんだよ
第一に、馬場は撤退を提言したが、長坂達の面子が立たないという発言で却下
追撃されるからという理由ではないし、設楽が原から川を渡って追撃するには道も狭い
第二に、馬場はそれならせめて川を渡って突撃するよりは長篠城を力攻めで落として長篠城に勝頼を入れて長期戦に持ち込む
万が一織田が攻めてきたら川を盾にして迎え撃つ(長坂の織田がただでは退かないという発言はここの話)
これは力攻めは割に合わないとする勝頼の意向で却下
別に甲陽軍鑑が史実と言ってるわけではなくて、引用内容自体が間違ってんだから論外

59:人間七七四年
21/10/07 00:42:58.13 HBmJwnEp.net
>>57
長篠城は既に武田に攻められまくってボロボロだったはずだから、
そこまで抵抗できたか微妙だと思うけど。
ホームったって、長篠周辺の地形を利用して武田が守ってて、
織田は険路を移動してわざわざ攻めていかないといけないんじゃ、ホームも何もないと思う。
そもそも、織田だってわざわざ険路移動して守ってる武田を攻めて長篠城救援するのが厳しいと思ったからこそ、
設楽で陣地作って守ってたんだろうし、信長さえ躊躇うような事を無理にやれというのも。
東美濃攻防で山県勢が6千くらいの軍勢で険路を利用して織田主力を防いでるように、
険路を陣地作って守ってる相手を強引に攻めて勝利するのは厳しいと思うよ。

60:人間七七四年
21/10/07 00:50:17.61 HBmJwnEp.net
信長側からすると設楽から長篠までは険路を移動して、その入り口付近とかに妨害の軍勢を置かれてたら
突破は厳しいと思うし、仮にそれをやっても川を前にして陣地作って守ってる武田勢主力を相手に戦って
長篠城救援をしないといけない、という状況で、普通だったら厳しいと思うでしょ。
信長が無理に攻めないで設楽で陣地を作って守ったのは自然だと思うよ。

61:人間七七四年
21/10/07 01:07:25.46 nsbYMl1R.net
>>59
攻められてボロボロの城を放置して織田徳川と対峙とか武田狂ってるな
そんな城さっさと落としたら良いだろうに

62:人間七七四年
21/10/07 01:21:23.30 HBmJwnEp.net
>>61
でも最後の力攻めやったら損害がそれなりに多くなりそうだから、
そのまま包囲して降伏を待つ、っていう話でしょ。
馬場はまず長篠城を攻略してから長篠城に勝頼と旗本を入れて、
主力は川を前にして織田徳川を迎撃しよう、みたいな事を言ったようだけど。
どっちみち、織田も武田が設楽に来ないんじゃ、険路を移動して武田の妨害を突破して、
さらに川を前にして陣地を作って待っている武田勢を攻略して長篠城を救援する、
なんていう事しないと長篠城を救援できないので、武田は設楽に行かないで守ってればよかった、っていう話になると思う。

63:人間七七四年
21/10/07 02:31:16.12 IQ/ptwG7.net
>>60
後詰が間に合いそうな場合、攻め手側は基本的に殿を置いて撤退するか
後詰と決戦するかの二択になる。武田が撤退しないなら、織田は適した場所に
陣地を作るのは当然
何故か撤退も決戦もしないようなら、織田は城を救援すればいいだけ
長篠までの道は大軍で移動み不適なのは確かだけど、武田軍は
滝沢川(寒狭川)より西にまともに兵は置けない(背水の陣になる)
また川を前にするといっても、織田は長篠城の近くからなら城からの援護が
あるので安全に渡河でき、城の救援はそれで間に合う
後、あなたの案は主張すればするほど、長篠の戦いに参戦した武田諸将が
馬鹿だと言ってることになるのでやめた方がいいよ

64:人間七七四年
21/10/07 04:04:18.03 ZyBmnmOP.net
>>59
長篠城がボロボロだって出典は何?
細川宛の書状には長篠城は堅固に守られていて
後詰がきて守りの覚悟もついたと書いてるけど

65:人間七七四年
21/10/07 06:54:04.85 d3JLAcVt.net
正確にはボロボロじゃなくて鉄砲によっての「穴だらけ」だな。
いずれにせよ修復するのも諦めざるを得ず要所なのに廃城となった

66:人間七七四年
21/10/07 06:58:08.71 ZyBmnmOP.net
>>62
だから出典は?
廃城の理由の出典も合わせてね

67:人間七七四年
21/10/07 07:02:28.56 ZyBmnmOP.net
ちなみに野田城は水の手がぶっ壊されるくらい修復困難になってるのに修復された
勝頼の時には大野田城を仮にしたくらいに

68:人間七七四年
21/10/07 07:04:21.24 ZyBmnmOP.net
>>66の宛先は62じゃなく>>65だった

69:人間七七四年
21/10/07 07:22:59.66 E6HeJ/Nt.net
信玄の「負の遺産」は織田・徳川と全面戦争したまま死んだという大戦略レベル
勝頼自身の誤りは長篠での無理な突撃という局地的軍事戦略(あるいは戦術)レベル
どちらもある。後知恵的には、織田を潰さないと武田家は存続できないという判断は
間違っていないが、それだと開戦が遅すぎるし、家康だけでも殺しておかなかった
不徹底ぶりはやはり「負の遺産」。
>>64
兵糧庫が焼失していたから、ボロボロと表現しておかしくはない。ただし、後詰が
近くまで来ていると知った長篠城兵は玉砕寸前でも降伏しないだろうけど。

70:人間七七四年
21/10/07 07:30:49.03 ISiCFkV/.net
だから甲陽軍鑑の馬場の発言はおかしい。
常識的に考えれば、数万の兵を連れた信長が黙って長篠城が攻められるのを見ている筈がないからね。
絶対に潰しに来る。撤退が上策?信長が追撃してくれば恐らく殿に四千と指揮官数人は置かないと逃げきれない。これは川中島決戦の死者数に匹敵する。
長篠城を攻めようにも、別所街道を守らないと武田軍は退路を絶たれてしまう=死だからかなり難しい。
15000で二週間掛けて落とせない城を数時間以内に落として逃げろ、って話でまず不可能よ。

71:人間七七四年
21/10/07 07:31:50.08 ZyBmnmOP.net
>>69
兵糧庫消失や落城寸前みたいに書かれてるの三河物語でしょ?
手紙では堅固に守られていて守りの覚悟もされてると書かれてるし
信長も焦った雰囲気も無しに岡崎から牛窪城までのっそり動いて設楽原で陣城作り始める余裕っぷりだからね

72:人間七七四年
21/10/07 07:41:56.57 ZyBmnmOP.net
そもそも長篠城は天然の川を水堀と見立てた城だから水堀に損傷や致命的な欠陥がない限り、上屋なんて修復は容易
大坂の陣で水堀を埋められたら野戦しなくちゃならんほどにね
城は上屋で守るもんじゃない

73:人間七七四年
21/10/07 07:43:09.47 SVCKdSdt.net
「戦術の失敗は戦略で補うことが可能だが、戦略の失敗は戦術で補うことはできない」
というからね。長篠より御館、勝頼より信玄が武田滅亡の原因と言われるのも当然。
まぁ御館も割と詰んでるんだけどね。

74:人間七七四年
21/10/07 07:52:37.20 ISiCFkV/.net
長篠城は川に囲まれてるってのもあるが、
鉄砲500丁って装備も大きい。
一の丸だけになったみたいだけど、これによって面積辺りの投射量は増してるから防衛力は寧ろ上がった事になる。
しかも鉄砲の使い難い悪天候時は川が荒れて防衛力が変わらないっていう。
長篠城が廃城になったのは、長篠が拡張に向かない事もあるんだろうけど長篠合戦以後この辺りの武田勢力が撤退してるのも関係ある気がする。

75:人間七七四年
21/10/07 08:04:10.52 F1U85XWY.net
>>22
村木砦の戦いは、水野氏を織田寄りにつなぎ止め、知多半島を今川に制圧させない
戦略目的を達したんだから、軍事作戦としては成功。
>>32
信玄にしたら、駿河で北条相手に苦戦してる時に遠江で勢力を広げたうえに氏真と
講和した家康が気に食わなかったんだろうけど、北遠江や奥三河、大井川西岸に
侵入・調略して徳川を上杉との同盟に追いやったのは自業自得。

76:人間七七四年
21/10/07 08:07:12.18 swBz0HDY.net
>>74
長篠城から6、7kmくらい豊川沿いに移転した新城城も川を背にした城だからね
江戸時代も新城陣屋になって交通の要所になってるから長篠城なんて守り以外に発展性もないからね
長篠城は道が狭く信長が援軍に来にくいから信長家康から移転しろと命令があった可能性のが高い
家康が遠江の見付に城を築こうとしたら見付は援軍しにくいから引間のが良いと信長の提案があったと当代記にも書いてあるし

77:人間七七四年
21/10/07 08:14:45.61 F1U85XWY.net
>>74
写真で見ても、現地に行っても、ちょっとした谷川だし、当時は鳥居が
潜水で脱出できたほど水量もあった。同じく日本が川である二俣城に比べて
川幅は超狭いけどその分、迂闊に対岸にいたら鉄砲で狙撃される距離。

78:人間七七四年
21/10/07 08:15:07.66 Bc6rt4L0.net
>>70
あんたが甲陽軍鑑一切引用しなければ良い話

79:人間七七四年
21/10/07 08:26:45.17 ISiCFkV/.net
>>77
しかも時期がなぁ。梅雨真っ盛りで下手すると現地は晴れでも川は増水って可能性もあるし。
そんな中、鉄砲が使用可能な天候だったのだから信長・家康の強運っぷりよ。
確かに設楽原周辺は沼地が多くて、武田軍が行軍可能なのは晴れてる時だけっていう読みはあったろうけど…

80:人間七七四年
21/10/07 08:39:11.36 F1U85XWY.net
創作で見たことがある「地元の古老によるとそろそろ梅雨明け」「計算通り」なんて
場面は流石になかったとは思うけど、雨量によっては鉄砲が完全使用不能ではないし
地面がぬかるんだら武田軍の突撃のモメントは失われるしね。織田・徳川の槍隊が
無力というわけでもないし。

81:人間七七四年
21/10/07 08:59:28.54 ISiCFkV/.net
この時もし大雨が降っていたら、
「あの泥土を掻き分けて追撃するのは時間が掛かる!今のうちに逃げちゃいましょう!」
とかいって武田が逃げてた可能性もあるしなぁ。
雨上がりで土埃が立たないから兵力を観測させず
適度な湿度で工事が簡単になり馬防柵を設置、
行軍に支障は無いから武田も打って出る、
そして決戦は晴れで鉄砲使いたい放題。
なんだいこの舞台設定は。全部が全部、信長有利家康有利…

82:人間七七四年
21/10/07 09:47:35.84 SVCKdSdt.net
奥平は妻子殺されて自分も殺されると思って徹底抗戦。城兵も降伏すれば武田に殺されるか織田徳川に殺されるかのDEAD or DEADだから降伏しない。
勝頼の失態は軽々しく長篠城攻めなんてしちゃった事なんだけどまぁどうしようもないわな。

83:人間七七四年
21/10/07 09:54:43.07 TlAgblmx.net
>>73
桶狭間合戦というのがあってな

84:人間七七四年
21/10/07 10:08:42.72 vdoAbwWV.net
>>14
最後まで付き従ったのはみんな名のある武将=所領持ちで、こんなにたくさんが主君に殉じたのは、実は珍しかったりする
なんで家中に支持層がいたのは確か

85:人間七七四年
21/10/07 10:53:24.43 4rpHvGK9.net
長坂釣閑は最後まで従ってない説の方が有力だけどね

86:人間七七四年
21/10/07 11:05:11.42 sVpkPsqX.net
跡部だっけ?逃げようとして土屋に撃たれた逸話があるの

87:人間七七四年
21/10/07 11:10:05.68 SVCKdSdt.net
甲陽軍鑑、三河物語だとそう書いてあるハズ。

88:人間七七四年
21/10/07 12:40:08.09 WJw2LDNA.net


89:>>>34 徳川と独自に外交してるわけだし織田家の家臣って考えてるってことは無いだろう。 従属国ぐらいには思っていたかもしれないが。 軍鑑だと今川と一緒に三河攻めようと提案してるが家康を織田家臣と考えてるなら、 同盟国の織田攻めようと提案してることになるし。 織田の先手扱いは、織田を持ち上げてるだけか、織田を巻き込むための方便だと思う。 >>38 徳川の外交行動を完全に制限するなんて不可能だしな、 徳川が軍事行動にまで出てればもっと具体的な行動に出れたかもしれないが。 武田上杉の和睦も仲介以外に72年春には信忠松姫婚姻のため吉日調べさせてるし。 信玄の信長への書状じゃ家康の言うこと信じるなだけど、 婚姻の妨害と武田包囲網の形成を止めること要請していたなら 家康の目論見は失敗していて、織田は武田信用して武田よりの行動しているってなる。 >>42 >そして駿河攻めは将軍家と織田と武田の共同作戦 具体的になんて史料? >>54 織田の当時の行動から考えるなら言ったと考える方が妥当だろうな。 何も言わずに武田と婚姻して武田上杉の和睦斡旋とかだとむしろ織田の徳川への裏切りみたいになる。 >>65 当時の壁がどれぐらいの厚さかわからないが、弾が貫通するようじゃ壁の意味ないので、 穴だらけはそれだけ攻撃が激しかったというだけのことでは? 防御施設としての機能失ってるような壁が崩れるような穴ってわけじゃないと思う。



90:人間七七四年
21/10/07 12:44:46.64 WJw2LDNA.net
>>75
>北遠江や奥三河、大井川西岸に侵入・調略
71年遠江侵攻あった説取っても1570年に家康が謙信と通じてるから
それらの行動と家康の行動なら家康の方が先。

91:人間七七四年
21/10/07 12:55:00.21 XV3pmNxD.net
>>88
駿河攻め直前の信長から上杉への書状に将軍家のため織田と武田は駿河攻めのための詳細な契約を交わしたと書いてある
徳川と武田は独自に交渉しているというが、織田に全部報告が行っている
秋山の件、掛川開城の件で揉めた時、全てそう

92:人間七七四年
21/10/07 14:09:31.50 LyGoI9xY.net
>>89
全部家康のせいにされるんだな結局
信玄の悪行は全て相手の責任になる
諏訪→勝手に山内上杉と和睦したから
長尾→北信の国衆を調略したから(証拠なし、北信御三家成敗)
今川→上杉と組んで武田を潰そうとしたから
北条→今川徳川上杉と組んで武田を潰そうとしたから
徳川→上杉と手を組んだから
織田→東美濃岩村に勝手に手を出したから
これらの前にまず武田は何もしてないのかと言いたい

93:人間七七四年
21/10/07 14:46:54.12 4rpHvGK9.net
>>91
お互い大義名分や正義を主張し合ってるだけ
どっちが悪いとかナンセンス

94:人間七七四年
21/10/07 15:02:24.64 nsbYMl1R.net
>>92
先にどちらが手を出すはかなり重要だがねえ

95:人間七七四年
21/10/07 16:09:19.08 3KdpGgOX.net
とどのつまり信玄に問題あったんだろう。
恨まれ方が尋常じゃないし。

96:人間七七四年
21/10/07 16:53:52.32 j924acJy.net
だからこそ、信玄時代の外交政策をかなぐり捨て、領土割譲を覚悟し、さらには場合によっては勝頼自ら死を命じられるリスクを賭して、甲信上は挙げて織田信長に朝貢をせねばならないのである。

97:人間七七四年
21/10/07 18:12:06.20 HBmJwnEp.net
>>94
そんな事いったら信長なんか同時代からも後世からも悪評満載だろうに。
信長の和睦詐欺とか許したはずの過去の事を蒸し返して粛清とか、
無神経なのかわざとなのか知らないが、同盟勢力が敵対するような行動をするとか、数多いだろうに。

98:人間七七四年
21/10/07 18:18:50.39 HBmJwnEp.net
>>93 >>91
先に手を出したかどうかでいうなら、
諏訪はもう勝手に山之内上杉と和睦しちゃってるし、
長尾は武田と敵対していた北信濃豪族衆に味方して、自身から武田領土に攻め込んでる。
今川は上杉と同盟して武田を包囲しようとしたし、
北条は武田から味方するように求められても、それを拒否して敵対して駿河に攻め込んだんだから、
それを文句言われても、としか。
織田徳川関係については、徳川が上杉と同盟しただけじゃなくて、それに織田を参加させて武田を包囲しようとして、
武田が織田に抗議をしても、織田が放置してたので、そのまま包囲されるわけにもいかないので、
包囲網勢力と組んで織田徳川と戦う事にしただけのような。
何も云々と言ったって、当時の戦略的な決定権


99:は武田にだけあったわけじゃないし、 他の勢力だって普通に自身の勢力の為に動いてて、それが武田の利益や戦略とかち合う事も多々あって 戦う事になった、というだけに思うけど。



100:人間七七四年
21/10/07 18:21:01.61 XM7HrF67.net
その通りどっちが悪いとかではない
信玄が家康や信長より劣ってたってだけのことだ

101:人間七七四年
21/10/07 18:30:57.69 4rpHvGK9.net
>>93
なんで重要なんだ?
どちらが先に手出したかがそんな影響あったか?

102:人間七七四年
21/10/07 18:34:59.84 HBmJwnEp.net
>>73
その戦略の優位を長篠で敗北して失ったのが勝頼じゃないかな。
>>64
兵糧庫も焼失してたと思ったし、確か鉄砲で損傷だらけになってたはずだよ。
外部にいる信長がどうやってそんな詳しく城の様子がわかるのかと。
>>63
で、険路が厳しくて長篠まで行けなかったのが信長だったと思うけど。
>(背水の陣になる)
いや、主力を川の所において、一部を険路の入り口においておけばいいだろうに。
そうすれば、普通に険路を越えていく織田勢を妨害できて、
それを突破しても今度は川を前にした武田勢が相手になる、という事になるよ。
>城からの援護が
もともと500人くらいしか城兵がいないのが長篠城で、武田との戦いで損害も結構受けてたはずなのに、
川を前にして織田と対峙してる武田勢に対して、織田勢をどうやって援護すんの。距離的にも人員的にも厳しいと思うけど。
実際に重臣達は勝頼に反対してたそうなので、そんな話にはならないと思うよ。
>>66
レス番号間違ってない?三河物語だと、長篠城がいろいろ厳しくて、鳥居を派遣したみたいに
書いてあったと思うけど。
>>69
さすがに兵糧がなくなったら、人間として降伏しかなくないかな。

103:人間七七四年
21/10/07 18:41:54.34 HBmJwnEp.net
>>70
貴方がそう書いたって、実際に信長は険路を移動して長篠城を救援してくのが厳しかったので、
設楽で陣地作って動かなかったんだと思うよ。
さらに武田勢が川を前にして陣地作ってたら、織田は険路の妨害を突破してさらにそれを攻略するのは厳しいと思うよ。
>>71
>>100にも書いたけど信長は外部にいるのに、そんなに詳しいと思えないけど。
細川に向かって景気のいい事言ったんでしょ。
険路移動できなくて、設楽で陣地作って待ってるしかできなかった、というのが実情じゃないかな。
>>74
それを守る人員がもうかなり損害受けてなかったかな。もともと500人しかいなくて、
それまでの戦いで結構損害受けてたと思うけど。
>>75
秋山勢の動きに関しては、もともと武田が家康と共同して遠江掛川を攻める予定があって、
秋山勢の動きもそれに連動したもので、まだ今川勢力と思った勢力と戦ったら徳川方だった、みたいな話だと思うけどどうかな。

104:人間七七四年
21/10/07 18:42:30.99 xwlR4IHX.net
>>100
兵糧庫の消失で陥落寸前が三河物語
信長が信康を切腹させただの色々改竄されてる
鳥居自体も援軍要請するまでもなく信長が後詰めに既に来ているのに援軍要請しに行ったと過大評価な書かれ方してる

105:人間七七四年
21/10/07 18:45:37.39 HBmJwnEp.net
>>82
兵糧無かったら降伏しかないよ。
>>88
単に、織田と交渉しつつ今川を攻めようという話になった時、
徳川は織田の同盟国だか、従属国だか、家臣だか、みたいな印象を受けた時、
織田側がそういっただけじゃないかな。
でも、織田にも徳川にもそんな事を言った資料なくない?
三河物語だといろいろ厳しくて鳥居派遣した、って感じの話じゃなかったっけ。

106:人間七七四年
21/10/07 18:46:48.71 HBmJwnEp.net
>>102
過大じゃなくて、必要だから鳥居が派遣されたんでしょ。
鳥居が派遣されたのは事実のようだし、そこは否定してもしょうがないでしょ。

107:人間七七四年
21/10/07 18:49:33.08 WcKYsdTN.net
>>101
>>100にも書いたけど信長は外部にいるのに、そんなに詳しいと思えないけど。
>細川に向かって景気のいい事言ったんでしょ。
景気のいいこと?
実際に信長の行動は岡崎から牛窪までゆっくりで陣城を作り始めてると書いてるけど?

108:人間七七四年
21/10/07 18:55:32.17 yPZofqyC.net
>>104
信長が信康切腹させただの徳川史観で脚色されてるのが三河物語
一次史料でそれは完全に否定されてたのが分かったからね
一次史料には長篠城は堅固に守られてると書かれてるのから三河物語の長篠や鳥居も脚色されてる可能性がある
それと長篠城の上屋の損傷で廃城になった出典は?

109:人間七七四年
21/10/07 18:56:25.96 XM7HrF67.net
準備万端。武田は根切りにしてやるンだわ
みたいな手紙を藤孝に送ってるな

110:人間七七四年
21/10/07 19:02:31.67 9C8XSwHr.net
信長の険路厳しいとかは言葉半分に聞いてた方が良いよ。
長篠城周辺の地形は信長はよーくご存知。
だから険しいなんてのは分かってた。
まぁ尤も、街道を使えば楽勝なんだけどね。
わざわざ険しい道を行かせたのは、武田軍に
「信長が攻めてこないのは行軍出来ないから」
と思わせるため。
信長の計画だと要塞化した設楽原で武田軍を根切りにするんだから、武田軍に設楽原まで来てもらうための芝居。

111:人間七七四年
21/10/07 19:17:55.61 k3I2wl50.net
>>55
太田牛一は信長の作戦参謀じゃないからどっちが勝つかという判断はできないよ。
仮定文だから史実の結果と比べて、鳶ノ巣山にいれば、史実のような悲惨な優劣が付かなかったのに勝頼馬鹿だなぁ
のニュアンスかと。

112:人間七七四年
21/10/07 19:21:42.64 KmK8VYWT.net
鈴木金七の話もあるし、長篠城に余力があったのは確かではあるんだろう。
だとしたら信長の余裕も頷ける。
まぁこの時点ではもう武田軍には長篠城を落せないんだが。

113:人間七七四年
21/10/07 19:22:51.43 tiXXVw6k.net
甲陽軍鑑否定したら後に残るのは馬鹿丸出しの勝頼の書状と用意周到な信長の書状だけだからね
あとは全部妄想にしかならない

114:人間七七四年
21/10/07 19:23:37.68 KmK8VYWT.net
そもそも太田は別に武田軍の軍事アドバイザーでも無いしね(織田軍のアドバイザーですらない筈だし)
鳶ヶ巣山は徳川の支配する別所街道にあってここは大軍も進んでくるから常識で考えればここに籠城はできないだろう。

115:人間七七四年
21/10/07 19:24:33.70 tiXXVw6k.net
あのあたりの別所街道は大軍が行軍した記録ありません

116:人間七七四年
21/10/07 19:28:21.59 tiXXVw6k.net
>>110
長篠城落とせないならさっさと撤退しろって話
出陣の目的が織田が近畿に向かってる隙を見た吉田城攻略なのに、それ断念して長篠城攻略に変更して織田が帰ってきたら今度は城を背後にして決戦と後手後手に回ってる

117:人間七七四年
21/10/07 19:29:23.97 jYsVM0mv.net
岩村の件はまた別として
史料は単に残っていないって可能性あるけど、
織田の婚姻の準備や上杉との和睦斡旋と言う事実から、
織田は同盟違反と言えるほどの対応はしていない、は確定でいいんじゃないか?
むしろ武田よりの動きしているし。

118:人間七七四年
21/10/07 19:29:42.51 KmK8VYWT.net
>>100
信玄の犯した戦略の失敗はもう勝頼にはどうしようもできん。
織田信長・徳川家康という巨人を敵に回したのは最悪だったね。
で、長篠城付近には大軍を展開する場所が殆どない。その上、別所街道も守らないといけないから尚更難しい。

119:人間七七四年
21/10/07 19:30:46.89 KmK8VYWT.net
>>114
信長が設楽原に着いた時点で不可能。
長篠城まで4キロしかないから地獄の底まで追いかけてくるぞ。

120:人間七七四年
21/10/07 19:32:53.67 tiXXVw6k.net
>>117
当代記だと長篠城最後に攻撃したのは信長が設楽原に着くより前だし、あそこを追撃できるかどうかもあなたの妄想でしかない


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

17日前に更新/504 KB
担当:undef