【おっぱい鎧の】■大 ..
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13:人間七七四年
21/04/26 20:37:42.01 AyvmTSqI.net
山岸素夫『日本甲冑論集』(1991年 つくばね舎)の175ページに
大山祇神社の紺糸裾素懸威胴丸(鶴姫の鎧とされている)に関する著者の見解が載っている。
山岸素夫は甲冑研究の大家山上八郎の弟子で日本中を回り中世近世の甲冑を詳しく調べている。長くなるが以下に該当文を紹介する。
大山祇神社蔵紺糸威胴丸は、細か札を用いた精緻な作りで、胸廻りを大きく張らせ、発手を引き締め、
脇板は談山神社蔵素懸紫糸威腹巻の脇板と同様の異式とし、草摺を十一間に分割して室町末期頃の特徴を顕著に示す。
胸廻りが誇張すること、発手が引き締まり腰細となることは徒立戦が盛んに行われた室町末期の特色である。
しかるに、大山祇神社では、これを女性用の胴丸と唱え、大祝安用の娘鶴姫の所用との伝来を作り上げた。
これが確実な記録に基づくものでないことは、三島安精著『海と女と鎧』の中で
「大山祇神社宝物館にたくさんある鎧の中に、一風変わった紺糸威胴丸一領が目についた
(中略)めずらしい鎧だ。これは女性でなければ着られない代物だ。
(中略)その鎧は鶴姫の着用したものであろうと考えるようになった」と記していることによって明らかである。
要するに胸廻りが張り、発手が引き締まっていることをもって女性用と考え、『大祝家記』にみえる鶴姫に結び付けたのである。
確かにこの胴丸は胸廻りの誇張は著しいが、これは徒立戦の盛んな時代の特徴と考えるべきである。
胸廻りの誇張をもって女性用としたならば、室町末期頃の腹巻などは総て女性用となってしまう。
筆者は大鎧・腹巻・当世具足などを女性に着用させたが、男性用の甲冑が少しの違和感もなく女性に着用できた。
したがって、大山祇神社蔵紺糸威胴丸は室町末期の特色顕著なものと理解すべきである。
華美な色々威の流行した時代に若い女性の甲冑として作るならば、数色を用いた華やかな色々威にするであろう。
ちなみに、女性用の甲冑は江戸時代の婚礼調度の中に稀に見られるようである。


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