戦国ちょっといい話49 ..
234:人間七七四年
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ある時上杉輝虎(謙信)公が、侍大将、或いは心安き侍衆を召し寄せて茶の会をなされ、その後に仰せに成った
「信玄、氏康、信長の三将は、坂東に於いて名のある大将である、この三人の政道、或いは軍の執行は
同じ色であろうか、またはそれぞれ、色々違っているか、何れも思う所、一人づつ申すように。」
これに対し、甘粕近江(景持)がこのように申し上げた
「私のような者が推参ではありますが、朝暮にこの三将について推量し、また私が相模牢人、甲州牢人、
尾張牢人に政道の道々を相尋ね申した所、三将三色であると考えます。」
輝虎公はこれを聞かれ
「三色であるという謂れは如何に」と尋ねられた
「智・策・武の三略と言われるものが、軍法の眼目であると承っております。
であればこの三将には一略ずつ得られた道が有ります。」
「その一略ずつ得ているとはどういうことか。」
「北条氏康公は、智略十分にして策五分、武三分の大将であります。
また武田信玄公は、策略十分にして、智略は五分です。武については信玄公と打ち合いを
したことが一度もない故、計りかねます。ただし承り及んでいる限りでは、氏康公と
同程度だと思われます。
しかしながら織田信長公については、弱敵とばかり迫合をしているので、委細については
述べ難いと考えます。」と申し上げた。
輝虎曰く、
「然らば、三将それぞれ、ニ略に叶い、一略が欠けていると見えるが、如何か」
「尤も、御諚の通りであります。推参ではありますが私が申し上げた意趣は、屋形様(謙信)は
これらを合わせて、智策武の略を分別なされる事が尤もであるという事です。
智略は氏康公、策略は信長公、武略は信玄公の、この三将の要を御胸中に納められる事こそ、
尤もであると考えます。」と申し上げた。
輝虎公聞かれて、打ちうなずき、何れへも酒を下された。
(謙信家記)
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