戦国ちょっといい話49 ..
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219:人間七七四年
21/05/21 22:45:19.09 ZuSEJof4.net
まとめの武田信玄・勝頼、徳川家康のカテゴリ見たけど意外や多分まだ出てないと思われる逸話だったので
信玄の門松と家康の門松with歌合戦
三方ヶ原の戦いで武田信玄率いる甲州軍に大敗を喫した徳川・織田連合軍。
この戦いで例の味噌の件や茶屋の婆に食い逃げ犯扱いされた上に追われて
銭の徴収を受けるなどの様々な屈辱的逸話を残した徳川家康であるが、
合戦後10日ほどして年が明け、先日戦ったばかりの武田信玄から家康宛てに門松と一首の句が届けられた。句の内容は
まつかれて たけたぐひなき あしたかな
(松枯れて 竹類いなき   明日かな)
松(平)は滅亡、竹(武田)は類ないまでに栄える未来が待ってるぜ!ざまぁ
m9(^Д^)プギャーwwwwww(意訳)
という挑発のお手紙と贈り物であった。
これを聞いた家康の家臣の反応は憤る者、不安に駆られる者、先日の復讐を誓う者など様々であったという。
そんな家臣達の様子を見た家康は慌てることなく周囲の者に筆を持って来させると、信玄の句に濁点を付けたし書き直した。
まつかれで たけだくびなき あしたかな
(松枯れで 武田首なき 明日かな)
 
松(平)は枯れず、武田(信玄)の首はなくなり 明日には滅ぶだろう!ざまぁ
m9(^Д^)プギャーwwwwww(意訳)
という変句であった。家康がこの句を詠むと、家臣達は歓声を上げ先日の敗戦への復讐を心新たに誓ったという。
それを見た家康は信玄が贈った門松を信玄の首に見立てて斜めに切り落とさせると先に詠んだ句と併せて信玄に贈り返したという。
これ以後、浜松や家康に縁のある地域では門松の竹を寸胴ではなく斜めに切るようになったとさ。
加藤友康『年中行事大辞典』
実は既出だったらすまん。個人的には勉強になった。


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