武田勝頼について Par ..
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331:人間七七四年
18/09/27 15:36:50.78 GOBc5eik.net
>>325
>でもどっかで似たような事態にはなったんちゃうかな
>後継ぎの能力を越えた敵を遺した信玄の責任は大きいと思うけどな
どっかで似たような事態になると言いながら
信玄で同盟切れなくても信玄の時代から同盟していた北条との手切れをやらかした勝頼が
織田と同盟が永遠にきれないという御都合主義は笑える

332:人間七七四年
18/09/27 16:14:51.25 aWfrlWhV.net
いや勝頼は別に単体でただ突っ込んでいったわけじゃないんだがな
天正3年の出兵時には、信長は高屋城攻めに行ってる
その隙を突いた・・というか信長はこのまま本


333:闔寫Uめまで予告してたので本願寺から目を逸らす目的があった 実際信長は高屋城降伏のあと東に反転して本願寺は戦を回避 でも長篠の戦いで武田が惨敗したことで秋には1度信長と和睦してる 勝頼としても前年、長島の全滅を救えなかった負い目はあっただろう



334:人間七七四年
18/09/27 16:36:25.50 9AX3VIO8.net
信長は高天神城を奪われた帰りの駄賃に長島全滅させたんじゃなかったっけ?

335:人間七七四年
18/09/27 17:01:19.44 NcCmjS9i.net
>>328
越中一向一揆も結果として利用して使い潰したみたいな形になったからなー

336:人間七七四年
18/09/27 17:29:22.52 GOBc5eik.net
>>328
一次史料の勝頼の書状によると長篠の後詰めに信長本隊が来ていたを知っていたし
勝頼は完全に家康どころか信長も舐めまくってたのは確定しているんで
長篠時点の織田との国力差や兵力差を勝頼は把握していて、
信長が強大だと勝頼は認識して戦略をちゃんと立てていたなら
信長本隊が後詰めで到着したら普通は退くからな
実際は信長本隊を舐めまくって勝頼からわざわざ設楽原まで進軍している
勝頼はただの脳筋イノシシだよw
同じ一次史料の信玄の書状にも勝頼は思慮が足りないと言われてるし

337:人間七七四年
18/09/27 19:43:25.76 9AX3VIO8.net
どんどん事業を拡大し巨大コンツェルンを創りあげては
知障の息子や娘に跡を継がる韓国の財閥群みたいだな。
戦国時代の後継者育成って本当に大事業だわ。

338:人間七七四年
18/09/27 19:49:14.05 9AX3VIO8.net
初代皇帝のカエサルは二代目のアウグストゥスを智者だとは認めても勇者ではないと見抜き
最大のパートナーかつ一生の親友となったアグリッパを授けたものな。
せめて信玄が勝頼の欠点を正確に見抜き、その欠点を補佐する人物を参謀として授けてれば
違う結果になり得たかもしれない。

339:人間七七四年
18/09/27 20:39:30.29 GOBc5eik.net
勝頼は宿将を疎んでたって話はあったが誰とどのように疎んでたってのは信憑性がないし
ただ勝頼自身がナンバー2としてパートナーに置いたのは武田信豊
蒲原城攻めの信玄の書状よると
信玄「勝頼と甥の信豊は思慮が足りないせいか無策にも城へ突撃した。
本当に胆が冷える恐怖を感じたが、不思議な事に軍に勢いがつき敵城を見事に落してきた。」

勝頼と信豊の脳筋タッグコンビ
あかん…

340:人間七七四年
18/09/27 20:40:46.06 7mP/rVEs.net
>>334
信豊って武勇も優れていたんでしょうか?

341:人間七七四年
18/09/27 20:43:34.25 /S7O7NVd.net
脳筋は失敗したらどうせ親父のせいにするw

342:人間七七四年
18/09/27 20:45:34.97 NcCmjS9i.net
むしろ負けて本陣が崩れたとかの時以外その手の個人的武勇の逸話が無い信玄が大名としては珍しい気もする
氏康も元親も信長もその手の突っ込んだ系の逸話あったよね

343:人間七七四年
18/09/27 20:47:36.08 aWfrlWhV.net
>>331
そら勝頼は信長を待ってたんだから当然だ
味方(家臣)への書状なら強気の内容になるわな。「織田が来たので引きたい・・」なんて大名に誰が付いてくんのw
「後詰めが到着したら普通は退く」なんて有り得ない、そんな大名誰が信じるのさ。じゃあ最初からやるなよ
信玄が信長と切って本願寺と結び西上作戦を行ってから、武田が本願寺を救ったことは1度もない
西上作戦は信玄の死で撤退し、本願寺側の浅井朝倉滅亡
翌年は領土拡大にかまけて長島全滅
勝頼としてはもう引くに引けない状況なんだよ
それは信長も同じで、三方々原も高天神も徳川を助けられなかった、もう引けない
だから「援軍」なのに総力挙げて鉄砲隊掻き集める気合の入れよう
勝頼が数を見誤った不覚は否定しないが、それまでの過程まで否定することはない

344:人間七七四年
18/09/27 20:54:55.83 aWfrlWhV.net
武田征伐で激戦だった高遠城攻めで、大将の信忠が自ら突っ込んで落城させた
信長が「慎重にやれよ」と言っていたにもかかわらず
でも戦後はそれを褒めたな
武将は武功を見せてこそ、大名の息子も自らの力見せないと親世代の家臣に示しがつかないだろう
>>334の信玄の書状も最後は「見事に落としてきた」と親バカで締め、信長と同じだな

345:人間七七四年
18/09/27 20:59:46.02 GOBc5eik.net
>>338
>そら勝頼は信長を待ってたんだから当然だ
国力差と兵力差は開きまくってるのに
本当に武田単独で徳川だけじゃなく信長を待って相手にしようとしてたら大うつけだな
君の言う通りだと勝頼は相手の国力も認識できてない戦略の欠片もない脳筋な大うつけになるが?w
さすがに勝頼を馬鹿にしすぎだろw
>>335
武勇はともかく勝頼を最後まで裏切らなかった所だけは誉められる程度

346:人間七七四年
18/09/27 21:06:54.59 /S7O7NVd.net
>>338
ただ強気なだけじゃないんだよなあ
敵陣に突撃すると書いて本当にそうしてるんだから単に味方に鼓舞するためではない内容なんだよなあ
貴方が書いている通り最初からやるなよって失敗してんのは勝頼
引いたら支持を失う、攻めても不利、そんな状況に陥ったのは勝頼の責任だ

347:人間七七四年
18/09/27 21:11:26.36 7mP/rVEs.net
>>341
引いたら本当に支持を失うんでしょうか?
それならば、織田も徳川も毛利も上杉もみんな引いてるから支持を失うはずですが、致命的なダメージを負った例ってありましたか?
仮に引いたことで支持を失ったとしても、主力重臣が健在なら取り返すことも可能ではないんですか?

348:人間七七四年
18/09/27 21:13:06.26 aWfrlWhV.net
>>340
つまり国力差と兵力差のある武田相手に挑発しまくって三方ヶ原では攻めて大敗した家康も大うつけになるな
ついでに家康もバカにするわけだ

349:人間七七四年
18/09/27 21:15:07.51 /S7O7NVd.net
>>341
その通り、引いてどの程度支持失うか分からないし、仮に失ってもあの惨敗よりずっとマシなのは間違いない

350:人間七七四年
18/09/27 21:15:23.35 aWfrlWhV.net
武田信豊は勝頼の下で黒備えで有名だが、晩年の信玄が赤備えの独占を許可する文書が残ってる

351:人間七七四年
18/09/27 21:22:49.21 GOBc5eik.net
>>343
>「後詰めが到着したら普通は退く」なんて有り得ない、そんな大名誰が信じるのさ。じゃあ最初からやるなよ
長篠後の勝頼と徳川はそれで膠着してるんだけどね
家康も勝頼も大敗して学習したんだよ
まあ三方ヶ原の被害は山県や馬場の重臣筆頭含めて悉く討ち取られた長篠よりは軽かったし

352:人間七七四年
18/09/27 21:24:41.21 qqOIiWL0.net
我らが脳筋軍といえばやはり膳城素肌攻め

353:人間七七四年
18/09/27 21:25:32.39 7mP/rVEs.net
長篠は死にすぎですよね。
いくら正面突撃に失敗して弱って撤退するところを追撃されて大被害を受けた、と言っても、山県か内藤、馬場のうち、ひとりくらいは生き延びられなかったのか、と思います。

354:人間七七四年
18/09/27 21:38:42.92 aWfrlWhV.net
>>346
膠着は長かったが、最後は詰めの城に囲まれた高天神を救わなかった勝頼が支持喪ったな
三方ヶ原は真冬の夕方という珍しい合戦、決着付いたときは真っ暗だからな、被害にも差が出るだろう
それでも側近中心にだいぶ死んでる、いきていたら徳川の世で出世したのもいた・・かもしれない

355:人間七七四年
18/09/27 21:47:19.72 GOBc5eik.net
>>349
家康も勝頼も大敗後は学習して決定打がない場合は迂闊に決戦を挑まなくなったからね
ただ勝頼は北条を敵に回すというアホなことをしたからな
2方面から攻められてその度に戦費がどんどん嵩み疲弊していき
もうどうしようもない状態に陥って織田に泣きつこうとしたが
長篠で大敗して弱体化し、徳川北条の二方面で攻められて疲弊した武田なんかと和睦するわけがなく
高天神城は見捨てるという最悪の決断をしたのも勝頼

356:人間七七四年
18/09/27 21:51:38.41 7mP/rVEs.net
>>350
でも高天神城を後詰しても救えたんでしょうか?
周りは付け城だらけ。徳川の包囲は厚い。
長篠前の武田軍なら蹴散らせたかもしれませんが、長篠後の武田軍の戦力では後詰しても敗戦しそうな感じがします。

357:人間七七四年
18/09/27 22:02:19.38 GOBc5eik.net
>>351
救えなくても援軍に行くことに意味があるんだけどね
小領主や家臣は君主に守ってもらう代わりに軍役や普請を請け負っている
君主が家臣を守るということは義務であり、それを放棄することは
家臣&小領主は君主に守ってもらえないのに軍役や普請を課せられるとただ働きも同然だから裏切る
勝頼が家臣を見捨て敵である信長のご機嫌伺いしかしなかったら家臣はどう思うかって話だね

358:人間七七四年
18/09/28 07:02:51.23 Y/Hde8vu.net
高天神城は、掛川攻略が夢物語となった後、包囲される前に戦線を縮小整理すべき立地。純軍事的には。
撤退したらしたで、政治的には駿遠の国人は武田に失望するだろうけど、本国全域で不信買うよりマシ。

359:人間七七四年
18/09/28 07:54:48.88 BsDEmFUr.net
勝頼時代の武田家って甲州法度は破られまくってたんじゃないかと思う
半沢直樹の大和田常務じゃないが、「部下の手柄は上司のモノ!上司の失敗は部下の責任!」
みたいな風潮で、勝頼も支持を失っていったんじゃないの?

360:人間七七四年
18/09/28 07:57:19.20 85y5uIms.net
現代日本社会がまさにそんな感じだな
日本も甲州崩れの様にきっかけひとつで一気に亡ぶのか

361:人間七七四年
18/09/28 09:02:16.90 bNYqOSku.net
織田・徳川&木曾「武田に百倍返しだ!」

362:人間七七四年
18/09/28 09:44:59.53 v1Bu1KQ/.net
仮に長篠で勝利していたなら、武田の天下はあったのだろうか。

363:人間七七四年
18/09/28 09:48:43.49 Il2WAnRn.net
景勝は領土譲渡しまくっても直江津港などの重要な商業地さえ取られなければ
致命的になることはないと分かっていて重要ではない領土を交渉材料にどんどん使ったからな
信長の織田家も商業地を根城にしてたから損得の判断が早い
信玄は商業港を求めて駿河侵攻は正解だったけど北条と徳川の係争地になっていたから
商人とかも争いに巻き込まれるのを恐れてあまり近寄らなかったんだろうね

364:人間七七四年
18/09/28 11:18:46.17 MSWCQi6D.net
>>357 信長・家康の両方を戦死させれば、なら。

365:人間七七四年
18/09/28 11:44:02.34 xiIRrA+T.net
>>345
武田家の赤備えって山県の他に小幡と浅利もそうだったと思うけど、
そいつらで独占しなさいって事?

366:人間七七四年
18/09/28 11:46:51.53 Xwo3T94e.net
信長の強さというのは不敗の強さじゃないんだよね
負けても負けても撤退しても撤退しても
必ず息を吹き返し倍返しする強さだから。
息を吹き返せる根っこには重商主義により万全な経済力を持ってた事にある。
武田家はその真逆だよね。

367:人間七七四年
18/09/28 12:33:46.31 +beoQY6h.net
武田は負け方が下手過ぎる
砥石崩れや川中島、設楽原など大きな戦で重臣がバタバタ死んでく
謙信は生涯通して一門や重臣はほとんど戦死させてないし、信長や家康も絶体絶命の危機と言われる金ヶ崎や天王寺、三方ヶ原などでも人材を損なうような負け方はしてない

368:人間七七四年
18/09/28 13:06:25.35 9HDrmZnc.net
そこから見ると武田の強さは前線指揮官の優秀さであって言われているほどの兵自体の強さはではないのかもね
優秀な武将が前線で督戦するからこそ強いんだけど、いったん敗勢になると質の損害が厳しくなり再起が厳しいものになる

369:人間七七四年
18/09/28 14:05:51.22 06Z2W/NF.net
>>361
重商主義って何かやってたっけ?

370:人間七七四年
18/09/28 14:23:56.73 Xwo3T94e.net
>>364
・楽市楽座
・流通拠点の直轄化(大津・草津・堺)
・撰銭令
・関所撤廃
・城下町を次々と建設
ぶっちゃけると自由主義と市場インフラ整備だよね。

371:人間七七四年
18/09/28 14:28:13.58 v1Bu1KQ/.net
>>365
ついでに道路整備も。

372:人間七七四年
18/09/28 14:45:38.22 Xwo3T94e.net
信玄も軍道(棒道)や烽火台はしきりと築き軍馬を神速で
自国領内を縦横無尽にできるようにはしたけど
いわゆる流通を重視した商道を次々作らなかったのが不思議なんだよね。
流通用の大八車専用道や馬車道で諏訪湖、富士川、天竜川、長良川間を
縦横無尽に繋げば凄い事になった気がするんだが。。。

373:人間七七四年
18/09/28 14:57:13.65 06Z2W/NF.net
>>365
織田研究者(谷口、池上)曰く楽市楽座は斎藤時代からの継続、代官はただのカツアゲが基本、撰銭令はうまくいかなかった、関所撤廃も限定的だろ
鉄砲弾薬の面では経済的に効果はあったろうが、人命や兵粮は商業は関係ない時代に負けてもやり直しがきくとは経済を過大評価では

374:人間七七四年
18/09/28 15:13:28.81 C5oQqEXM.net
信長も結局は大商人の特権を保護する古いやり方だしな

375:人間七七四年
18/09/28 15:17:33.35 Xwo3T94e.net
イギリスやオランダやフランスも大商人に特権を認め
東インド会社から金を吸い取る方式じゃなかったっけ?

376:人間七七四年
18/09/28 15:23:00.56 Xwo3T94e.net
景気を循環させる手段の一つに戦争というものがあるけど(現在のアメリカがそれ)
公共事業も重要。信長がしきりと転都を繰り返したのは一つには都は敵国に近い場所
もしくは国に中心にあるべきという思想があったからだろうけど、もう一つの面では
大規模な公共事業そのもので国の経済を活性化させる効果も見込んでたのではなかろうか。
それによって新たな大都市誕生により新しいマーケットが産まれるので
それを商人に与える事で建設費用もまかなえるわけだし。

377:人間七七四年
18/09/28 15:33:35.59 Xwo3T94e.net
安土城、長浜城、坂本城、大溝城を琵琶湖湖畔にダイヤモンド状に配置したのも
琵琶湖畔を一つの強大なネットワーク化して、ここに巨大経済圏を
作ろうとしたものかと思える。 信玄だったらそういう事をしただろうか?
なんとなくだけどしなかっただろうなと思う。 諏訪湖ー天竜川の流通をさほど重視してなかったから。

378:人間七七四年
18/09/28 16:31:37.15 aTxgzSLV.net
単純に大阪取れないからとりあえず安土を本拠地にしただけでしょ
無論経済拠点としての安土は優秀だし、尾張美濃伊勢から近いのもポイントだが、天下が治ればやっぱ大阪行ったと思う

379:人間七七四年
18/09/28 16:32:01.86 v1Bu1KQ/.net
信玄や勝頼はせっかく駿河を


380:ァ圧してるのに、なぜ有効活用しなかったんだろうか?



381:人間七七四年
18/09/28 16:40:18.89 Xwo3T94e.net
>>374
被支配地の住民に恨まれまくってるから上手く活用できなかったのでは?
それこそ氏真など信玄が傀儡とすべき人材だったのに家康如きに奪われ馬鹿みたいな話だよ。
信玄「家康をやっつけてそなたを遠江の領主に戻してあげる」とでも嘘ついて氏真を
自分の部下としてゴリゴリこき使うのがむしろ普通の手段だったろうに。

382:人間七七四年
18/09/28 16:46:11.88 9HDrmZnc.net
ひょっとして…信玄て過大評価なんじゃあ…

383:人間七七四年
18/09/28 16:55:21.04 v1Bu1KQ/.net
>>376
少なくとも、統治のやり方は支配地の事情を完全無視してるのが多い。
織田や毛利、北条みたいに養子や傀儡を使わないし。

384:人間七七四年
18/09/28 16:59:32.87 aTxgzSLV.net
活用しなかった×
活用する時間がなかった◯
大体1570年に駿河を統一、安定させたが三河への野心丸出しで2年後には三河侵攻して死亡
更に勝頼も拡張主義で更にその2年後には長篠の戦い
これからは出資して将来の増益を狙うよりも、今の収益を取るしか無くなる
4年丸々駿河を中心に活動していればまぁワンチャンあったかもしれんが、駿河焼き払ってるし、金がかかるやろうなぁ

385:人間七七四年
18/09/28 17:11:50.66 En963y2Z.net
葛山さんは?

386:人間七七四年
18/09/28 17:12:45.46 Xwo3T94e.net
武田統治から400年たった今でも長野県での信玄の評判は良くないものな。
被支配地だからという理由以上に信玄の統治が酷かったからだと思うよ。
大阪人なんて太閤秀吉大好きだし熊本人は清正、浜松は家康が好きでしょ。

387:人間七七四年
18/09/28 17:17:46.13 v1Bu1KQ/.net
>>380
長野と山梨にとって、武田信玄は神でしょ?

388:人間七七四年
18/09/28 17:21:29.21 Xwo3T94e.net
>>381
佐久では信玄は普通に嫌われてる
上田市は武田信玄と真田丸で二度大河の舞台になったけど
圧倒的に真田贔屓。
長野市周辺は信玄と謙信の二人で一対の観光資源っぽい
諏訪とか松本とか飯田とかその他の地方でも信玄贔屓というのは聞いた事がない。
山梨県ではまさに信玄=神だけど。

389:人間七七四年
18/09/28 17:25:57.65 Xwo3T94e.net
大月市あたりでは小山田信茂復権の声が大きいようだけど。
彼等に言わせると小山田家と武田家はそもそも対等合併で家臣ではないのだから
裏切ったという事実そのものがない。むしろ織田軍が攻めて来た時に
自ら甲府に出頭して斬首される事によって郡内の庶民を戦火から救ってくれた「神」だと言ってる。

390:人間七七四年
18/09/28 19:33:01.01 Qsl8ymFQ.net
>>367
戦国時代じゃ馬車は無いし
大八車だってあったかどうか

391:人間七七四年
18/09/28 19:35:19.10 n8kezfop.net
>>367
>>374
金が無いから。以上

392:人間七七四年
18/09/28 19:36:17.40 Il2WAnRn.net
>>375
氏真なんて北条に行くからな
氏康死んだ後に北条から追い出されて元君主としてのプライドも無く
徳川の配下になって親の仇の信長に蹴鞠を披露しに行くなんて今川滅ぶ前は誰も思わんでしょ
信玄にしても今川シンパだった義信事件もあるしで抱えたくないだろうね

393:人間七七四年
18/09/28 23:19:40.98 XRRjwDlt.net
>>274
ってことは今でも川中島でドンパチやっている訳か

それは嫌だ

394:人間七七四年
18/09/28 23:32:06.63 85y5uIms.net
>>386
氏真の凄い所は生き残る為なら恥も外聞も知らねーよって
完璧に割り切ってる所だよな
武田より遥かに名門なのに
勝頼も氏真を見習っていれば・・・

395:戦い
18/09/29 00:33:58.22 kE7WuHrt.net
勝頼は焦り過ぎた
亀のように守りを固くしていたら本能寺
があって、明智と織田勢を挟み撃ちにする
ことも出来た。
思わず機会を逃したとしても賤ヶ岳のたたか
いで、柴田と信孝と羽柴を挟み撃ちに
すれば良い。
正面から特攻隊のごとく信長に向かって
いく愚かさ・・・

396:人間七七四年
18/09/29 01:10:51.58 DTUSdPjp.net
また本能寺頼みかよw

397:人間七七四年
18/09/29 01:14:01.09 o7lxmMqB.net
高血圧だから突然死とかあるだろ
謙信は現にそうだった

398:人間七七四年
18/09/29 02:06:24.31 jfZidbvb.net
>>388
信長は蹴鞠も好きだったらしいな

399:人間七七四年
18/09/29 04:59:28.48 3LWKGnoL.net
>>376
過大気味だがそれでも勝頼なんかに比べたら武田信玄は遥かに優秀じゃん
織田攻めるタイミングもあれしかないしやり方は汚いが戦国大名らしいことをしてるわけだしな
仮に病死なかったら多分織田徳川側から和睦がきて浜松と東美濃は切り取れただろうし
織田に勝てたか?と言われたら財力国力違いすぎて無理な話だがな

400:人間七七四年
18/09/29 05:47:09.55 Si+nt5Jk.net
>>391
信長は運動(乗馬、弓矢)も結構していたみたいだからな。こればかりはわからないな。

401:人間七七四年
18/09/29 06:14:04.17 u4pnHHFB.net
>>393
織田を攻めるタイミングは遅すぎるし
浜松城を落とせなかったのに切り取れる訳無いだろう
勝頼を貶めて信玄を上げたいんだろうが勝頼も信玄も大差はない
むしろドンガメな信玄の作戦行動ではノブサマに通用しないと看過し
神出鬼没な機動作戦に切り替えた勝頼の方が優秀
>>394
ノブサマは若い頃に蹴鞠を齧ったらしいけど上達しなくて嫌になって止めちまったらしいよ
後に蹴鞠の達人を呼び寄せて氏真を持て成す訳だけど本人は参加しなかったらしいし

402:人間七七四年
18/09/29 06:24:45.47 Si+nt5Jk.net
>>395
勝頼の場合は、絶対に信玄時代の連年の遠征による疲弊のツケもあると思う。信玄最後の出陣、あれだけ大規模にやって切り取れたのが大したことの無い山間部。収支が合わない。

403:人間七七四年
18/09/29 06:37:21.32 c5e8Aa3B.net
>>395
>神出鬼没な機動作戦に切り替えた勝頼の方が優秀
神出鬼没な機動作戦に切り替えたのに長篠で捕捉されてコテンパンにされた勝頼w
>>396
軍を起こす度に金が掛かるんだから
徳川と北条に二方面から攻められて得られる物が何もない防衛戦を連発した方が戦費は桁違いに掛かるよ

404:人間七七四年
18/09/29 08:04:22.34 nGQ0sCQe.net
>>366
それ大事だよな
信長は街道に今でいう「植樹」を命じてて、行きかう人が木陰で休めるようにしたり
一定間隔で宿所や茶屋を設けたりさせてる
今でいうパーキングエリアみたいなことをすでにやってる
>>373
本願寺が退居した後、信長はすぐに石山御坊後に城を築く構想を明かしてるからね
秀吉は信長の構想を受け継いだだけだし

405:人間七七四年
18/09/29 13:33:55.16 s0TDj4/k.net
>>393
勝頼と比べて上というのはどう思うべきなのかな
勝頼よりマシていう程度ならたいしたことは無いってことでよろしいか?

406:人間七七四年
18/09/29 13:44:30.02 Si+nt5Jk.net
武田信玄も勝頼も、なぜ平野部に領土を拡大しようとしなかったんだろうな。確かに危険もあるが、得られるものも少なくないのに。

407:人間七七四年
18/09/29 14:43:09.26 +o96vBhD.net
>>400
川中島や駿河は平野部

408:人間七七四年
18/09/29 14:48:49.97 Si+nt5Jk.net
>>401
そうだけど、徳川家康攻めでなぜ山間部にこだわったのかなあ? 掛川や吉田を落としたら徳川を追い詰められたのに。

409:人間七七四年
18/09/29 14:57:36.78 +o96vBhD.net
>>402
それはそうだよね。
本当は平野部を攻めたかったけど守りが堅くて難しかっただけじゃないの?

410:人間七七四年
18/09/29 15:14:22.72 c5e8Aa3B.net
>>402
掛川城は氏真を保護した朝比奈泰朝が籠城して
家康が半年近く囲っても落ちなくて講和でやっと開城させたからな
落ちないと信長の援軍が確実に来ちゃうから攻めにくかったんだろうな

411:人間七七四年
18/09/29 15:23:50.09 augvYxeq.net
徳川の重要拠点に攻撃仕掛けたら織田の大規模な武田への攻勢を招くからやろ
だから朝倉が動けるまでは田舎で震えてるしかない
浅井
秀吉や勝家が小谷城下に単軍で進撃してくる(撃退はした)、朝倉勢と協力して秀吉勢と戦うも敗北するほど弱体化
朝倉
サボタージュ、寝返りが頻繁
再三の織田の決戦要請を拒否し、ただ小谷に援軍を送って傍観
たまに攻撃を仕掛けるも返り討ちにあう程弱体化
長島本願寺
あてにすらしてない

412:人間七七四年
18/09/29 15:28:33.32 N2HuPMo1.net
>>383
郡内で小山田を慕う人は見ても神まで言ってる人見たことないなあ…
ただ、後年武田が島流しからの赦免だの戻ってきてからの生活だの
あれこれと内藤がやってくれた背景には小山田の娘の存在が大きいんで
小山田の行為そのものは非難されたとしてもこれで十分に手打ちになってると
思う自分から見ると小山田がーとギャーギャー言う奴は理解できんな

413:人間七七四年
18/09/29 16:00:27.46 /WgSLSOY.net
>>406
小山田信茂の扱いって、織田方でいうと阿閉貞征あたりでok?
武田二十四将の一人というが、山県や高坂の様なドラマチックなんかエピソードは無い、というか最期くらいかな。阿閉も浅井方の国人領主の中では有力者だった。
地元の名士とは思うが、復権という言葉を使うのは大袈裟なイメージが…地元の人、ゴメンなさい。

414:人間七七四年
18/09/29 17:25:49.88 mse/5/SO.net
篤司さんってノブヤボだと何であんなに弱いの?
一応有力豪族でしょ?

415:人間七七四年
18/09/29 17:41:08.08 vf5NEEXl.net
強烈な個性がないから

416:人間七七四年
18/09/29 17:46:40.83 RBe2PidT.net
>>408
弱くはない。知略は高いから計略要員で割り切ろう。

417:人間七七四年
18/09/29 17:48:27.24 RBe2PidT.net
それ言うなら、勝頼を統率武力以外もっと上げてくれ。初期の頃は知勇兼備なのに。今では見る影もない。政治、知略は壊滅的だし。

418:人間七七四年
18/09/29 17:49:13.78 dE92cw+P.net
>>408
京極高次とか武田元明とか
本能寺で明智に便乗した奴は評価辛目

419:人間七七四年
18/09/29 18:18:43.14 rrkCbsmr.net
>>411
政治は現に悪かったから

420:人間七七四年
18/09/30 04:05:57.85 t3wElzKG.net
小山田と阿閉は立場全然違うだろ

421:人間七七四年
18/09/30 09:44:52.03 7CtkHotS.net
勝頼の代は小山田はただの家臣

422:人間七七四年
18/09/30 09:52:07.72 HI/UmdKT.net
小山田を同盟とか言われてもな。
外交権は完全に武田に取り上げられてるし、今川が松平を取り込んだのと同じで、武田に取り込まれたようなものではないの?

423:人間七七四年
18/09/30 11:23:32.55 HI/UmdKT.net
>>412
そいつら本能寺以外でも大したことないし。
高次は大津城があるけど、まあ、それだけ。

424:人間七七四年
18/09/30 12:17:16.82 zJYk/oA/.net
>>401
信玄晩年〜勝頼期にかけて武田の対清須同盟戦略は、作戦線がバラバラ過ぎる。
遠江を東から削るか(最優先目標は掛川)、家康を浜松で殺すか、三河湾に出て
徳川領を分断するか、東濃で信長に早期決戦を強いるか。どれもやらなかった。

425:人間七七四年
18/09/30 12:17:32.52 vt3Uc8hz.net
阿閉はどうかと思うけど、織田家と水野家くらいの関係の方がまだわからんでもない

426:人間七七四年
18/09/30 12:41:40.06 HI/UmdKT.net
>>418
一番安全なのは掛川戦かな?
高天神城落としたら孤立するし、織田の援軍も遠いから時間がかかるし。
効果的なのは三河に出て徳川領分断。吉田城さえ落としたら可能になる。
浜松攻めは内通者でもいないと難しいし、家康を確実にやれるか疑問だから良くないかと。

427:人間七七四年
18/09/30 13:07:15.40 8vcCeX5P.net
二俣城を落とすのに二ヶ月掛かってるし
三方ヶ原の戦いの後にも信玄の病状が悪化してるしで
浜松城は落とすのは無理だったろうな
掛川城も堅城だから避けたんだろうけど

428:人間七七四年
18/09/30 13:32:14.84 HzqpZz95.net
>>419
武田と小山田の関係は、織田と水野、浅井と阿閉や磯野の関係に近いか
尚、小山田信茂と阿閉貞征については、裏切り者としての悪評、最期は捕縛されて刑死、以外の共通点は思い当たらない

429:人間七七四年
18/09/30 13:36:46.14 xcYx6TxR.net
掛川は徳川が周りに付け城築いて包囲して、そこから半年かけてようやく開城させた城だから

430:人間七七四年
18/09/30 15:18:14.10 QeEVsT/2.net
勝頼ももうちょっと重臣たちに頭を低くして、「お願いします、協力してください」って言う度量があればなぁ
信玄でも落とせなかった高天神城を落とすとか、当てつけみたいなことするから、家臣たちからの
心象はやっぱ悪かっただろうね
自分の力を見せつけるために「俺が俺が」って前に出過ぎたね

431:人間七七四年
18/09/30 15:46:58.73 HI/UmdKT.net
>>424
ある意味、武田の当主に向いてなかった男かな?
伊達輝宗みたいな温厚な人物だったら、どうだったかな?

432:人間七七四年
18/09/30 17:24:23.82 4K6v1GoJ.net
馬場や山県ら有力家臣たちと勝頼は対立していなかったと仮定する
対織田・徳川戦は家中の支持するところであったから継続され、
高天神城も家中の支持の元で攻略された
長篠も武田家中のふわっとした楽観主義によって開戦され、
彼らが軒並み死んでしまったことで勝頼は家中を改革するための
権力基盤を失った

433:人間七七四年
18/09/30 17:33:30.46 Z+ucx+m5.net
同じだろ
温厚だろうが聖人君子だろうが、激オコの信長が敵であることには変わらないんだから
晩年にやらかしちゃった信玄を奉るために、武田の滅亡の全責任を勝頼個人の資質に求めているだけで、膨張を続ける経済大国をとめる有効な手段が無い以上、誰がなにをどうしようと結末は変わらんよ

434:人間七七四年
18/09/30 17:34:26.55 HI/UmdKT.net
>>426
楽観主義って。
仮に陣城が無い正面からの野戦でも


435:A2万以上の兵力差を覆して勝利した前例なんかありますかね?



436:人間七七四年
18/09/30 17:48:37.74 1xDffX2s.net
>>427
とは言え景勝は生き残ったからなー
本能寺があったとは言えお隣さんが同じ状況から引っ繰り返した以上
勝頼の風当たりが強くなるのは仕方ないんじゃね?

437:人間七七四年
18/09/30 18:04:02.26 7CtkHotS.net
家康も秀吉相手に生き残ってるからなー

438:人間七七四年
18/09/30 18:19:35.05 1xDffX2s.net
勝頼は同情の余地は多々あるし、無能では無かったが
勢力整理が進む戦国末期に生き残れるだけの力量が足りなかった
今のところ、これが今の勝頼像かな

439:人間七七四年
18/09/30 18:46:04.57 8vcCeX5P.net
同情の余地?無能じゃない?
武田を自ら滅ぼした勝頼の七つの失策
・長篠の戦い
 勝頼が信長&家康を甘く見て設楽原に進軍したために大敗
 退却もしくは、信長公記にも書いてある通り、川を渡って設楽原に進軍しなければ
 こんな悲惨なことにはならなかった

・第三次信長包囲網時に勝頼は何もしない
 信長が動けないうちに徳川と一対一で総力戦で勝てれば信長との和睦も見えた
 (長篠で戦わずに第三次信長包囲網時に攻めれば徳川に余裕で勝てた)

・御館の乱の介入失敗
 景虎を支援し、内乱を長引かせて上杉を疲弊させれば
 北条と同盟継続して上杉が敵に回っても内乱でボロボロのため驚異にならなかった

・北条との同盟破綻
 景虎が死んでもすぐに上杉と義絶して攻めるスタンスを見せれば
 北条との同盟を継続できた可能性もある
 (北条と敵対して関東進出を目指さずに上杉攻めれば内乱で疲弊してるために簡単に取れた)

・立場も分からず織田と和睦を模索
 織田側からしたら長篠の大敗後の武田と和睦するメリットが一つもない
 メリットも提示できずに織田と和睦できると思った勝頼の外交力の無さ
・高天神城を見捨てた
 家臣を守るという大名の一番重要な信頼関係を放棄したために離反が相次ぐ

・防戦一方になったために新府城建設
 軍役とともに家臣や領民の重い負担になったために民心さえ離れて
 甲州征伐時には織田に助力を申し出る領民さえ現れた

440:人間七七四年
18/09/30 18:48:33.44 t3wElzKG.net
景勝が生き残ったのは本能寺の変があったから、それに尽きる
勝頼が先に攻撃のターゲットになっただけだ
光秀様々だ

441:人間七七四年
18/09/30 18:58:59.52 4rFZ63KN.net
>>432
うわー、的確だ。
信玄から勝頼への権力移譲については?

442:人間七七四年
18/09/30 19:19:05.15 woMJ2LHM.net
>>428
岩村と三方原と高天神と明智での勝利、地形による隠蔽を利用した
織田の示弱戦術で、重臣含めて自信≒驕りがあったんじゃないか。
「重臣から浮いた勝頼」像は、信玄神格化のための作為が大きそう。

443:人間七七四年
18/09/30 20:25:17.43 VtAu40ww.net
景勝はあきらかに玉砕覚悟してたし景勝が優れていたから生き残ったら訳じゃない(対織田戦は)
長篠の戦いは駿河方面を受け持つ山縣、副将とも呼ばれる内藤、侍大将の馬場が反対していて、
それでも勝頼が強攻策に出たならもっとこっ酷く叩かれてるか、資料が残っているはず

444:人間七七四年
18/09/30 20:35:55.56 7CtkHotS.net
>>436
甲陽軍鑑はじめ、もうこっ酷く叩かれてるでしょ

445:人間七七四年
18/09/30 21:30:50.82 5kweWgDJ.net
軍鑑は近年再評価されてるけど、>>435が指摘してるように勝頼sage、信玄遺臣ageという観点で
後世の脚色が為されている可能性が高い。

446:人間七七四年
18/09/30 22:48:56.43 t3wElzKG.net
勝頼評価に際して軍艦を持ち出てはいけないよね

447:人間七七四年
18/09/30 22:52:13.35 Z+ucx+m5.net
>>429
本能寺が無くても生き残っていたというのなら景勝と比べて勝頼は無能と評価しても話の筋道はとおるけど、
上杉の生き残りの最大要因である本能寺の変を「あったとはいえ」で片付けられてはどんな屁理屈だって成り立つよ
勝頼は大名としての業績には数々の問題点があるけど、武田滅亡の原因を彼の個人的資質に求め過ぎるのは間違いだと言っているんであって、その理由が先代の信玄の過ちから目をそらす為に行われた意図的なものだと指摘してんの

448:人間七七四年
18/09/30 22:57:56.60 Z+ucx+m5.net
>>430
後の天下人なら生き残れたから勝頼が全て悪いってか?
すまんがそれ笑わそうとして言ってんの?
せめて勝頼の代わりに誰々だったら生き残れていたか言ってくれ。天下人クラスじゃなきゃ無能なら、この世のほとんどの人が無能だろ
それともきみらはそういう意味で勝頼が無能だったから武田は滅びたと言ってんの?
それなら同意するよ

449:人間七七四年
18/09/30 23:03:03.66 7CtkHotS.net
>>441
家康が生き延びたから勝頼が馬鹿なんて言ってないよ
戦力差があるから誰がやっても駄目とか言う輩がいるから書いただけで
ちゃんと流れ読もうよ

450:人間七七四年
18/09/30 23:20:27.83 /JpDdkvE.net
本能寺的なクーデタによる織田政権崩壊が無いか、2年くらい遅れてたら
「景勝が春日山で自害したのは、謙信が信長に喧嘩売った後で急死した時に
もう命運が詰んでた」とか、どこかで聞いたようなこと言われてただろう。

451:人間七七四年
18/10/01 00:22:59.80 VINN/Ngr.net
景勝は御館の乱の内乱に加え、織田、北条、武田の三方面から攻められ
武田みたいにあっという間に滅ぼされる危険があった所から
領土譲渡で武田を懐柔し、武田と北条とを戦わせて北条との隣接地域を無くし
当面の相手は織田だけだったので本能寺の変まで耐えられた

勝頼はと言うと長篠の大敗から北条との手切れで作らないで良い敵を作り、
徳川北条の二方面から攻められ、最後は織田も加わりあっという間に滅ぼされた違いがある
外交戦略の能力の差だね
勝頼が無能すぎた

452:人間七七四年
18/10/01 01:04:45.22 HEXIQmCC.net
勝頼評価にあえて軍鑑使うならば
高坂ブレーンにめっちゃ恨まれていたであろうということかな

453:人間七七四年
18/10/01 01:29:55.16 GQfg6E02.net
景勝は本能寺時点で西から魚津を落とした勝家が、南からは長可が妙高を越えて春日山近辺まで迫っていた
本能寺がなければ景勝が無能の一言で片付けられたのは間違いない

454:人間七七四年
18/10/01 04:09:06.71 D8/Di0Pn.net
>>446
御館の乱の論功行賞の不公平さも非難されるべきだよね。
勝利の後、自分の子飼いの上田衆ばかりに恩賞出して、国人領主の武功は無視してるし。
新発田が反乱起こしたのも当然なんだよ、散々追い使って新発田家の本領安堵「つまり新恩加増は
ゼロ」のみってふざけた事してる。
これでは、分家の上田長尾の乗っ取りって解釈も嘘では無いし。
まあ、越後に攻め込まれてたら簡単に崩壊したかも。

455:人間七七四年
18/10/01 04:19:59.52 19lkrm7Z.net
>>444
単純に信長が征伐する順番が武田→上杉なだけ。武田が近いから、それだけ。
上杉が本能寺の変まで持ったのは、先に武田が餌食になってくれたおかげ。
信長は武田滅ぼした次は毛利に目を向けたし、てか上杉なんて眼中になかったかも。
信長が西日本に目を向けてる間に柴田・森・滝川そして新発田や芦名から攻め込まれ滅んでいたかもね。

456:人間七七四年
18/10/01 06:44:13.71 VINN/Ngr.net
>>448
その織田に一軍預けられてる勝家に攻められて
北条と同盟国の武田も敵に回って攻められる可能性もあったのに
外交力で乗り切ったのをなぜか無視するんだよな
アホな勝頼は北条を敵に回して敵を作って徳川北条の二方面から攻められて疲弊したから狙われただけで

457:人間七七四年
18/10/01 07:07:28.30 wjHhpDXr.net
もはや勝頼を親の仇みたいに憎んでる様にしか見えん

458:人間七七四年
18/10/01 07:34:32.88 VINN/Ngr.net
勝頼のやらかしは>>432で挙げられてるのに
事実を言ったら親の仇w

459:人間七七四年
18/10/01 07:58:00.97 XCWu5Mys.net
不必要に働き者すぎたんだよな。
無気力で凡庸な人物でもいずれ滅びたろうけど
ここまで性急に滅びなかった気がする。

460:人間七七四年
18/10/01 08:07:01.54 VOK0HlsB.net
>>432
おれは高天神城を見捨てたことと、北条との同盟破綻が原因だと思うな
まあ同盟破綻は外交音痴で言い逃れできないが
高天神城の件は何が何でも助けに行く気構えだけは絶対に見せるべきだったと思うわ
あの信長ですら「天王寺砦の戦い」の時に、まともに兵力が集められない中、わずか3000の兵を率いて
明智光秀、佐久間信栄の救援に向かってるし
ここを落とされることの事の重大さを分かってたからこその命がけの救援だったし
信長自身も一向宗の鉄砲の銃弾喰らって負傷するほどの危機だったが
何とか力押しで撃退したからな
やっぱ主君はこうでなければ

461:人間七七四年
18/10/01 08:28:57.05 7O8jDWFQ.net
>>453
生きてたから「さすが主君はこうでなきゃ」て言うだけで死んでたら「なんという無能。主君の資格無し」て言うんだろ
結果から見たら失敗したやつが底抜けの馬鹿に見えるのは当たり前だ
もし高天神を勝頼が助けに行っていたとしたら結果的に武田は滅亡せずに済むか?
そんなことないだろ。滅びた理由から高天神が無くなり誰も語らなくなるだけで、結果は別段変わらず勝頼は無能って言われてるよ
ましてやそこで討ち死にでもしてたら「さすがは大将。主君はこうでなきゃ!」て誉めそやすか?
な、滅亡の本質はそんなとこじゃないんだよ
織田信長という手に負えない敵とうかつに開戦してしまったこと
にもかかわらず織田に何のダメージも与えずに病死してしまったこと
後継ぎに勝頼というきみらの言う無能な不適格者しか遺せなかったこと
この3つが武田滅亡の主原因で、それは晩年の信玄の判断の誤りに根本があるんだよ

462:人間七七四年
18/10/01 08:30:55.42 JBPCzVC9.net
信玄がもう少し長生きしていたなら、勝頼には薔薇色の将来が、あったのかな?

463:人間七七四年
18/10/01 08:42:04.77 LWDcFOWa.net
武田本領の絶対防衛線でもない高天神は早めに破却して駿河に退けば良かった。
岩村を見れば、「抵抗戦をしばらくやった後で名誉ある開城」を信長が許さないと
予測して然るべき。
日本軍みたいに、いったん掴んだ土地は増援できないのに撤退させない性格だったのか?

464:人間七七四年
18/10/01 08:43:15.50 wjHhpDXr.net
つうか信玄が義信を殺しさえしなければ勝頼にはバラ色の人生が待っていた

465:人間七七四年
18/10/01 08:51:40.29 wjHhpDXr.net
結局のところ信玄は八幡原で大損害出した責任を取るみたいな形で隠居して
義信に家督を譲っとけば良かったんだよ
当時信玄は40で隠居しても不思議はない年齢
義信の下でなら勝頼は伊那衆を率いる猛将として輝けていただろう

466:人間七七四年
18/10/01 08:52:14.88 stJqnByA.net
>>454
そもそも高天神に行けなかったのは北条と手切れになったからで……

467:人間七七四年
18/10/01 10:55:23.90 XCWu5Mys.net
家臣は勇猛果敢であるべきだが主君は臆病な部分も残しておかなきゃいけない。
一か八を主君が頻繁にすべきではない。

468:人間七七四年
18/10/01 10:57:52.87 XCWu5Mys.net
勝頼に張良のような軍師と蕭何のような内政のスペシャリストを信玄が補佐につけておけば
武田家は生き残れたろうが。。。

469:人間七七四年
18/10/01 11:06:40.71 XCWu5Mys.net
景勝がラッキーだったのはやはり補佐役に直江兼続が居たからかと思う。
居なかったら勝頼よりショボく景虎にあっさり討ち取られるか
そもそも御館の乱すら起こさず景虎の部下として景勝は仕えてたかもしれない。

470:人間七七四年
18/10/01 11:45:21.58 zymMWpXq.net
真田がそのポジションだったけど一門衆に引っ張られた印象

471:人間七七四年
18/10/01 11:50:54.20 giPVBd88.net
>>458
大河ドラマ『武田信玄』では逆に、謙信の偽装退却に釣られて叱られた義信が
謀叛に踏み切る展開にしてたな。
義信事件を聞いた勝頼はどんな気持ちだったかな?「俺の時代キタコレ!」か
重責や家中不和に悩んだのか。

472:人間七七四年
18/10/01 12:16:38.89 VINN/Ngr.net
>>456
勝頼は領土欲が強すぎたから景勝の餌に食らい付いて身を滅ぼした
本来なら北条との同盟堅守して景虎支援で景勝を攻めるのが筋だったし
勝頼の領土欲での不義理で信玄期からの北条との同盟破綻させてるんだよな


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