武田勝頼についてPart3 at SENGOKU
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50:人間七七四年
18/04/12 18:31:52.77 yZzTruaH.net
>>38
これ良い逸話だね、自分も知らなかった。
義信にこんな優しい一面があったなんて
自分も勝頼をいじめる兄みたいなイメージもってた

51:人間七七四年
18/04/12 20:02:45.79 A/dHWPmm.net
>>46
まあ、次男は失明、三男は夭逝だからねぇ 長男に家督継がせればなんとかなったのかも

52:人間七七四年
18/04/12 20:22:19.27 5eVmFb2b.net
でも失明した二男の家系が武田家として残ってるよね。
武田信玄の子孫とかいう人が居るけどそうだったと思う。

53:人間七七四年
18/04/12 20:31:09.28 MBGv0VsC.net
どうもよくわからんのだが、失明に限らず病弱だったり障害もちだと家督は継げないのかね?
家にもよるんだろうがこのへんの基準がいまいち判然としない。

54:人間七七四年
18/04/12 20:34:30.49 YX1xNPYS.net
高家武田家も米沢武田家も惜しむらくは他家から養子が入り、信玄の血筋が絶えたことだ
どうやって織田の残党狩りをかいくぐったか、八男信清は春日山まで逃げ延びたから、やっぱ勝頼も北へ逃げたほうが良かったのかな

55:人間七七四年
18/04/12 20:47:01.66 5eVmFb2b.net
信長も知障だと思われて危うく家督を弟に奪われそうになってたしね
謙信や利家は正当な後継者である兄貴から家督奪ったよね

56:人間七七四年
18/04/12 20:52:45.04 +jRlViEs.net
>>51
小早川繁平は眼病だが継いでいる。
病弱でいうなら武田信玄も頑健ではないし、足利義量、徳川家重、家光と継いだ例はたくさんある。
まあ、頑健な弟がいるからあえて次男は選ばなかったのかな?

57:人間七七四年
18/04/12 21:05:09.81 MBGv0VsC.net
>>54
信虎が信玄より弟を可愛がったってのはよく聞くけど、
信玄が体強くなかったからかもしれんな。

58:人間七七四年
18/04/12 21:25:17.94 +jRlViEs.net
>>55
信玄は少なくとも死病は駿河侵攻の前後から発症している。つまり5年前からだから、頑健とは考えにくい。

59:人間七七四年
18/04/12 23:48:54.70 5eVmFb2b.net
戦国時代の家督などは正妻と妾腹には差があるけど
基本的には親と家臣の人気投票でしょ。

60:人間七七四年
18/04/13 01:17:32.10 GSmXiWeF.net
当主が次を継ぐ人を指名しないと揉めるからな
家臣の人気投票だと上杉の二の舞

61:人間七七四年
18/04/13 01:51:08.33 CdasKYlN.net
普通正妻の長男、であと順番だろ?
それができないなら妾腹で
家臣がどうとかじゃねーよ
養子なら難しいが家督なんて順番があるだろ

62:人間七七四年
18/04/13 02:22:43.71 DFMD9dxr.net
>>38
これ本当なら勝頼は義信の武田軍団の中で勇猛果敢な武将として大活躍できたんだろうな
義信が勝頼を疎んじてたってのは新田次郎の書いた武田信玄のイメージそのものなんだよな
信玄が川中島で謙信を追い払ったある意味全盛期でも義信の謀反にそれなりの武将が多数連座してるところを見ても
義信は武田家中で信望があったっぽいし
武田家の末路を知ってる我々からするとこの時点で駿河侵攻して三国同盟崩壊して
織田の大躍進のタイミングで無駄な北条との抗争抱え込んで出遅れるよりは
今川に合力して遠江・三河・美濃で織田・徳川を牽制すべきだったのは明白だしな
あくまで武田家の延命と言う意味ではね

63:人間七七四年
18/04/13 02:24:06.16 0h+uhZ3z.net
>>59
江戸時代ならな
太平の世の後継者と乱世の後継者は分けといた方がいいだろ

64:人間七七四年
18/04/13 02:39:45.38 DFMD9dxr.net
仁科盛信も勇猛果敢な武将のイメージあるから
義信は自分の弟だけで2人も一軍任せられる武将がいる上に
信玄時代からの猛将もいるので案外信玄死んでも困らないかもな
織田が足利義昭奉じて京に上ることも出来なくなるし
三好家は史実通り弱体化するだろうしで歴史がどうなるかわからんな

65:人間七七四年
18/04/13 02:48:28.07 DFMD9dxr.net
本当かどうか知らんが20年くらい前の歴史群像に第四次川中島の新説が載ってて
義信が謙信の罠にかかって突出したせいで武田の陣形が崩れて信繁や諸角が討たれたのではなく
義信がむしろ戦線崩壊を防いだみたいな話だった
これが事実なら信玄の求心力低下と義信への求心力向上で信玄が焦った結果
駿河侵攻で衝突して信玄が義信を粛正したという可能性もあるよな

66:人間七七四年
18/04/13 03:16:28.84 0h+uhZ3z.net
次スレは武田義信についてでいいな

67:人間七七四年
18/04/13 10:30:07.51 0h+uhZ3z.net
一応、聞いておくが
次スレは 「武田勝頼、武田義信、仁科盛信etcについてパート4」でいいよな?

68:人間七七四年
18/04/13 10:38:38.19 QCrkmWz+.net
僧侶になった龍宝や上杉氏食客になった信清も

69:人間七七四年
18/04/13 11:11:29.31 7vQF7cMc.net
>>39
信玄を絶対とする甲陽軍鑑の影響はあるだろうね
義信のことは
小賢しく驕り高ぶりやすい人物。国を亡ぼす4大将の1つに分類できる
(義信事件は)彼自身の傲慢によるもので自己認識とは裏腹にがさつな計画によって身を滅ぼした
因みに勝頼は軍鑑では
国を亡ぼす4大将の1つに分類できる
心は猛々しく、気がはやって、大略弁舌も明らかに物を言う
知恵は人より優れ、何事についても弱気になることを嫌う
しかも常に短期になることもなく、少しも心が狭いこともない
一見するといかにも物静かで奥深く見える
けれども、自負心が強く家老が諫めても弱気なことを言上していると考えるので
家老は10のうち5つを言上するのがやっとであり、その3つも理屈に合わないとと考え取り上げない
談合することは名対象である父親への礼儀として不本意ながら行っているに過ぎない
軍鑑とは別に信長の勝頼評も書いておく
四郎は若輩ではあるが信玄の掟をよく守りかつ表裏も心得た油断のならない敵である。
(謙信が)五畿内への防備を疎かにしてでも彼に対処しなければ精鋭を防ぐことができない
という言い分はもっとものことである(天正2年6月29日謙信宛て信長書状)
(勝頼の首を前にした信長)日本に隠れ無き弓取りであるが不運により、こうなってしまった(三河物語)

70:人間七七四年
18/04/13 11:17:00.35 GSmXiWeF.net
義信が継いでいたら勝頼は武田信繁ポジションで
義信の忠実な一門衆として活躍し
ここまで酷評されなかっただろうな
当主としての才がなかっただけで将としての武勇は優れてるし

71:人間七七四年
18/04/13 11:26:11.74 nkkc62xs.net
>>68
武田が滅亡してもそれこそ史実の仁科盛信ポジションで
意地を見せた武田武士みたいな評価だろうな

72:人間七七四年
18/04/13 11:33:09.72 nkkc62xs.net
結果論としては上杉との大規模な軍事衝突は第4次川中島で事実上終わるわけで
その後は今川を助けて西に向かい織田・徳川と戦うのが正解だわな
史実を知っていればね・・・・

73:人間七七四年
18/04/13 11:36:00.58 I+NNTJFk.net
>>70
少なくとも知らなくても同盟破棄はないよ。

74:人間七七四年
18/04/13 11:39:59.19 nkkc62xs.net
まぁ織田と同盟組んだ時点で明らかに三国同盟への裏切りだからなぁ
そこから足踏みした数年で織田は巨大化するし

75:人間七七四年
18/04/13 13:08:41.65 kuUxMhze.net
義信相続の場合は信虎が帰国できるかな
信友信顕ら信玄の弟達の動きも変わりそう

76:人間七七四年
18/04/13 15:00:41.08 Trm7LyuX.net
>>63
孫引きだし史料の信憑性の問題は大いにあるにしても、「川中島五戦記」と「上杉軍記」
「武田三代軍記」に義信の奮戦した模様が記されているみたいだね
前線で一息いれていた謙信の本陣に義信と手勢が突撃して、謙信自身も得物をとって
戦うほどに陣が狼狽させられたとか
後々まで謙信がこれを無念に思い続けてたとも
まあ川中島の合戦って実相が定かじゃない部分もあって判断に難しいとこでもあるけど

77:人間七七四年
18/04/13 18:23:24.33 pHcm3Fh3.net
>>65
いいな、それ
毛利三兄弟ならぬ武田三兄弟
義信早逝の後、今川の血を継ぐ武田の幼君を盛り立てるヒストリー

78:人間七七四年
18/04/13 20:00:07.02 LVEhbgBq.net
そもそも信玄が三方ヶ原で家康を生かしておいたのは、信長との直接対決を
避けるためだ。
単に武田と徳川だけの対決なら勝頼が家康を滅ぼしてもおかしくないが、
信玄亡き後の武田は、徳川がいたからこそ持ったといえる。
徳川がいなければ武田は織田との直接対決となり、すぐに滅ぼされた可能性が高い。

79:人間七七四年
18/04/13 22:12:45.24 5j+lrXns.net
新田次郎氏も罪深いな
冷静に考えれば義信は家中からも人望があって愛妻家で義を重んじる優れた武将
であったことは間違いないのに
信玄を主人公で描く場合はどうしても義信を悪者にしないと小説が面白くなくなるってだけで
義信像を描いたんだろう

80:人間七七四年
18/04/13 22:23:43.69 5j+lrXns.net
だいたい信玄が勝頼を寵愛したってことも、よくわからんわ
ホントに勝頼担ぎたかったら、自分引退してさっさと家督を勝頼に継がせりゃ良かったんだよ
結局信玄は唯一絶対の御山の大将でないと気にくわないという
超傲慢な欲の塊みたいな気持ち悪い武将だったんだろうな

81:人間七七四年
18/04/13 22:34:10.55 CrH6LEK2.net
義信を自刃させた信玄を正当化するためには
義信を貶めるしかないもんなぁ

82:人間七七四年
18/04/13 23:06:40.60 GSmXiWeF.net
信玄は実の親の信虎を追い出してるから
自分もいつか追い出されると猜疑心に囚われたんだろうね
自分が死ぬまで家督も官位も勝頼にやらなかったわけだし

83:人間七七四年
18/04/14 02:54:08.22 PkdfCaWr.net
信玄がもっと早く病床についてたら義信、勝頼、盛信三兄弟を病床に呼び出して
「この3本の矢を見よ」と訓示を出してたのかもな。
そうなると武田家は簡単には滅びなかったろう。

84:人間七七四年
18/04/14 03:25:23.27 HKEQbVzO.net
>>81
信玄にそんな度量あるわけないよ。
信玄は勝頼に内政面での文書をほとんど発給させず、権力を移譲しなかったし。

85:人間七七四年
18/04/14 03:34:10.82 yHXUXAlj.net
勝頼を寵愛してたら強引にでも諏訪宗家を継がせてるわ
高遠諏訪なんて継がせて何する気だよ

86:人間七七四年
18/04/14 03:38:44.30 PkdfCaWr.net
でも信玄も自分の死後、まさか穴山や小山田が武田家を裏切るとは夢にも思わなかったろうな
色々と見通しが甘いよな

87:人間七七四年
18/04/14 08:46:03.20 ZFvnpDPn.net
武田軍団って砂上の楼閣だったんだろうな
義信が自分の立場を脅かすほどの影響力持ち始めてることに気づいて
自分が信虎にやったことを義信がするんじゃないかと怯えだしたんだろう
義信が最終的に謀反をたくらんだのは事実かもしれんが
せざるを得ない状況に追い込んだのが信玄ってことだろうな

88:人間七七四年
18/04/14 10:02:25.07 PkdfCaWr.net
信長も砂上の楼閣、三好も砂上の楼閣だったし
戦国時代はそういう家が多かったんだろうね
無理しないと決して領土は伸びて行かないし足元固める暇がない。

89:人間七七四年
18/04/14 10:12:13.03 m8OaDN4w.net
その点、棟梁が誰であっても御家の地位が変わらない仕組みを作った徳川家康は、やはり偉大だよ

90:人間七七四年
18/04/14 10:13:20.39 PkdfCaWr.net
北条もな

91:人間七七四年
18/04/14 11:38:41.37 HKl3ooaX.net
家康も地震がなければ秀吉に踏みつぶされてただろうけどね

92:人間七七四年
18/04/14 13:01:10.70 Qu64xGxu.net
そもそも徳川が作ったシステムは北条氏のシステムをかなり参照しているので…

93:人間七七四年
18/04/14 14:53:20.47 eoCpjmm4.net
勝頼が官位貰ってないのは上杉&織田と対立してたのが響いた?

94:人間七七四年
18/04/14 16:12:16.13 5pHF1NXd.net
最後は朝敵になってるからなw

95:人間七七四年
18/04/15 01:18:08.68 q2x9Fl6D.net
信玄には義信にさっさと家督を投げて院政するって発想無かったんか
追放された後の信虎の方が潔いという皮肉

96:人間七七四年
18/04/15 02:34:47.33 QZdlCxL9.net
>>93
武家が院政?

97:人間七七四年
18/04/15 03:34:22.38 q2x9Fl6D.net
言葉通りの”治天の君”と受け取られても…
隠居が一部もしくは大半の実権を握ったままでいることは武家でもあるだろう

98:人間七七四年
18/04/15 03:50:08.24 QZdlCxL9.net
>>95
>言葉通りの“治天の君”
ますます武家に使うのはおかしいね^ ^

99:人間七七四年
18/04/15 07:08:25.87 VFWxDU2k.net
うっかり息子に権限与えて、そのせいで親父のように追放されるのが怖かったんだろ

100:人間七七四年
18/04/15 08:35:24.45 uwn1CV4+.net
え、現代語としてもトップを退いた人がそれでも実権握り続けることを院政っていうだろ
とおもったけど今じゃ死語なんかねもう
かつては総理を退いた政治家がそれでも派閥や党内に強い影響力を保持し続けたりとか、
企業の創業者が引退はしたけど実権握って経営に口出しし続けることを院政とかいったものだけど

101:人間七七四年
18/04/15 08:40:54.09 9kYmdQmC.net
いや、院政で正しいよ
イチャモンつけた人が国語力ないだけだよ

102:人間七七四年
18/04/15 08:50:41.23 9kYmdQmC.net
1559年 (39歳)
出家し、信玄を名乗る。
↑この時に義信に家督を譲るべきだったんだよな。
第三次川中島の戦いが終わった後だし
出家したのをきっかけに謙信と和睦する手はあったと思うよ。

103:人間七七四年
18/04/15 09:06:20.79 VwQOVVD+.net
そもそも信玄は義信すら嫡子として本気で扱っていたの? 義信の官位官途が何故か確認できない。勝頼の場合はまだわからないでもないが、なぜ義信に官位を求めてないの?

104:人間七七四年
18/04/15 09:09:04.62 9kYmdQmC.net
武田義信の烏帽子親って将軍の足利義輝じゃなかった?
官位なかったっけ?

105:人間七七四年
18/04/15 09:12:06.51 9kYmdQmC.net
ググったら武田義信は準三管領の待遇を受けたとされてるけど
正式な官位というわけではないみたいね。
この時期は幕府も混乱してて義信によくしてくれた将軍も部下に殺されるんだっけ
悪意があって義信に官位をやらなかったわけではないと思う

106:人間七七四年
18/04/15 10:08:04.50 9kYmdQmC.net
血筋から言えば甲斐源氏と駿河源氏の血を受け継いでる義信は将軍や公方になっても
おかしくない血筋だし将軍としても力を持った有力な足利家の外戚として大いに期待はしてたと思うよ。
将軍が「義」の一字を与えてくれたのも将軍家と縁の深い今川家の嫁をもらったからであって
まさか将軍が仲立ちしてる今川家に牙をむいて突然襲おうなんて無礼な真似をするとは思ってなかっただろうね。
今川に対する裏切りというより将軍家に対する裏切り行為だし。

107:人間七七四年
18/04/15 10:55:20.19 8PWPrBmF.net
>>55
信玄は病弱だから信繁をと信虎は思ってたけど重臣たちが信玄を担ぎ上げて信虎を追放したんだろうね。
甲斐は戦ばかりで国人衆も嫌だったのかも

108:人間七七四年
18/04/15 10:57:45.46 8PWPrBmF.net
義信の内政はどうなんやろ?
内乱であれた甲斐を纏めていけたんやろか?武田の集権化は義信だとできたんだろうか?そのへんも踏まえないと

109:人間七七四年
18/04/15 11:27:57.72 oUMPQ8Bh.net
まぁ子供に付けた家臣が代替わりで権勢ふるって老臣と揉めるのは
どこの国でも日常茶飯事
勝頼の側近も元信玄の側近との確執が伝えられてるし
結局義信事件も信玄側近による讒言だったかもしれんな

110:人間七七四年
18/04/15 11:47:25.21 QZdlCxL9.net
>>99
言葉の意味として間違ってるのに使われる言い回しだから正しいとかw
役不足やすべからくなんかも文脈から意味が通じてればセーフとか思ってそうw

111:人間七七四年
18/04/15 11:48:19.88 9kYmdQmC.net
>>108
言葉の意味としても正しいよ。

112:人間七七四年
18/04/15 11:51:17.34 9kYmdQmC.net
国語辞典によると
現職を引退した人が、なお実権を握っていること。「会


113:長が院政をしく」 ↑パーフェクトに正しい。国語辞典を否定するチョンは日本を去れ



114:人間七七四年
18/04/15 11:53:21.26 SE9MVHVv.net
>>108
まず辞書を引いてから
同じ言葉でも歴史用語としてのそれと現代語として成立しているそれで使い分けてくれ
歴史用語に限らず、専門用語と一般的に使われる語で意味・用法にズレというか異なるようになるのは
言語として普通のことなんだが
ちなみにあなたがいっている役不足云々はそれ以前に誤用の問題

115:人間七七四年
18/04/15 11:53:47.45 0kvjPI0n.net
行動が行き当たりばったりなんだけど、なまじ現場対応が優れてるもんだから問題が表面化しにくかったんだろう
家督問題も駿河侵攻も織田との開戦も、いずれも致命傷に近い問題だと思うんだけど、信玄本人はどうにか凌げていた
でもそのツケは次世代にまとめてまわってきてしまった

116:人間七七四年
18/04/15 11:55:02.05 viTQ+WmR.net
西脇総生の本に出てたが、義輝の仲介で上杉との調停が成立したのに、信玄はあっさり約束を破って北信濃に侵攻、当然義輝激怒で謙信サイドに付いてしまう、信玄は反省の態度を示すためにここで頭を丸めたんじゃないかという話。
だから武田は幕府からの心証は物凄く悪いと思われる

117:人間七七四年
18/04/15 11:55:42.54 9kYmdQmC.net
>>112
そうだよね。
次こそ上杉謙信と決着をつけてやる!そうだそのために今川義元の娘を義信の嫁にしてやれ!
え、義元が死んだの?じゃあ義元の娘を離縁させて今川家を滅ぼしてやれ!
↑さすがにコレはヒドスギル

118:人間七七四年
18/04/15 11:58:44.65 +imOQ+BH.net
甲斐を纏めるには他国に侵攻して
略奪なり領地獲得なりで国人豪族に利益をもたらす必要がある。
勝頼は長篠以降、侵攻できる力が無くなって家臣に見切りをつけられた。
義信の内政手腕は未知数だが、信長膨張前に上手い事氏真を丸め込んで
松平・三河に攻め込めれば家中を纏められるんじゃないかな?

119:人間七七四年
18/04/15 12:03:13.58 9kYmdQmC.net
諏訪処分も雑というか酷かった
信玄「高遠頼継よ。諏訪頼重討伐に加担してくれたら諏訪を丸ごと与えよう」
信玄「あれ嘘な。やっぱり東半分は俺が貰うや」
信玄「諏訪頼重どの。私の義理の兄弟ではないか。降伏してくれたら悪いようにはしない」
信玄「あれ嘘な。やっぱりおまえ切腹だわ」
まるで安倍ちゃんじゃねえか。これじゃ信頼ポイントゼロよ

120:人間七七四年
18/04/15 12:03:54.53 LgFH+iTN.net
信玄が家督を嗣いだ際は南に今川、東に北条という大勢力がすでに盤居していて、信濃の痩せた土地でしのぎを削る小さい豪族どもしか相手に出来なかった。
しかも20年掛かっている。こうなると、おとなしく甲斐・信濃を地盤として守り続けるしかないという結論になる
結局欲をかいて西を目指した時点は武田は詰んでいた

121:人間七七四年
18/04/15 12:04:53.31 0kvjPI0n.net
>>114
そういう行動を見ていると信玄は死病より先に傲慢という病気にかかっていたんじゃないかとね
信玄は同時代から神格化されていたというから、祭り上げられ過ぎて、ちょっと精神の均衡を欠いているところがあったんじゃないかな

122:人間七七四年
18/04/15 12:08:08.51 9kYmdQmC.net
頼重を殺す事は無かったと思うよ。
幽閉しておくだけで高遠頼継や信濃の諸豪族に対しても
諏訪の国主は頼重どので、諏訪の治政は頼重どのから一任された信玄が行い申す
これに反対する者は逆賊じゃ。ということで
よりスムーズに信濃全土を掌握できたろうし。

123:人間七七四年
18/04/15 12:11:06.64 LgFH+iTN.net
志賀城攻めの際に生き残りを売り払ったことも敵を結束させる結果をもたらした

124:人間七七四年
18/04/15 12:13:13.42 +imOQ+BH.net
信玄、あちこちで恨み買いすぎやろ
そら子供は苦労するわ

125:人間七七四年
18/04/15 12:17:21.54 9kYmdQmC.net
村上などあっさり滅ぼせると思ったんだろうけど
彼に二連敗した事で信濃侵略が猛烈に時間かかる結果になったわけだしな
積極的に敵に回す必要は無かったのに。
普通に「頼重どのを主と仰ぐ事に不満を持つものはおるか?おらんのか?居たら義弟の信玄が代わりに成敗いたす」で
ほとんどの信濃の豪族に不戦勝して配下に納める事ができたろうに。
村上義清だって大義名分があり信濃の諸豪族の支持を集めた信玄だったら
徹底して逆らおうなんて思わなかったろうし。

126:人間七七四年
18/04/15 12:19:34.50 LpxxwKJb.net
信長が勝頼の講和要求も受け付けなかったのは信玄の裏切りに対する怒りだしなあ

127:人間七七四年
18/04/15 12:21:03.01 LgFH+iTN.net
御坊勝長を返却すれば誠意が伝わると思ったのかね

128:人間七七四年
18/04/15 12:23:56.53 9kYmdQmC.net
岸田も安倍ちゃんの跡は継ぎたくないんだってよ。
今、モリカケ問題で安倍の代わりに岸田総理が誕生しても
安倍に対する恨みを岸田が代わりに一身に受け
引き継ぐ任期も半年しかないので、半年後には100%新しい総理に政権を奪われるし。
勝頼もできたら岸田みたいに武田家の棟梁の地位なんか引き継ぎたくなかったろうな。
絵に描いたような貧乏くじだし。

129:人間七七四年
18/04/15 12:25:56.31 +imOQ+BH.net
まぁ武田をボコボコにするまでは信長は講和なんぞする気は無かっただろうな
だが、勝頼裏切った事に怒って小山田を処刑してるから勝頼を殺す気までは無かったかもしれん
あれで一応娘婿だし信長は身内に甘いし

130:人間七七四年
18/04/15 12:27:17.75 9kYmdQmC.net
いや、武田狩りは徹底したじゃん
勝頼の弟たちや甥っ子たちまで徹底して山狩りして懸賞金かけて
惨殺しまくったし。勝頼を殺さない可能性など1%もない。

131:人間七七四年
18/04/15 12:30:48.36 SGHhmydf.net
織田信長のせいで嫡孫の織田秀信は高野山でイジメにあい
短い生涯になったという悲しい話もあるから恨みは消えないんだろうな

132:人間七七四年
18/04/15 12:34:03.03 9kYmdQmC.net
快川和尚なんて天皇陛下も師事した国師なのに
信玄にお世話になりやがったというだけの理由で炙り焼きの刑だしな。
武田と所縁のあるものは全て惨殺するというのは絶対的な命令だったよね。

133:人間七七四年
18/04/15 12:38:32.12 NnAa0QI/.net
皆あまっちょろい
この時代
覇道でないと生き残れんのだよ
諏訪と平和的に?今川と同盟を維持したまま?
そんな悠長なことしていて結局寝首かかれた武将がどれほど多いか
この時代頭角を現したのは皆サイコパス
強欲で頭のおかしい奴じゃないとダメだったのさ
信長のおつやの方に対する仕打ち、比叡山虐殺
信玄の生首3千を城郭に並べるという常軌を逸した行動
これらは理にかなっていた

134:人間七七四年
18/04/15 12:42:52.10 9kYmdQmC.net
>>130
信長の中身がおまいだったら
足利義昭と斯波義統を真っ先にぶっ殺してたろうな。
甘いとか辛いとかじゃなくて「利用価値」があるか無いかだし。
諏訪頼重は足利義昭並の利用価値があった。
殺したのは無思慮すぎた。

135:人間七七四年
18/04/15 12:48:10.05 2YQOmUUP.net
>>112
それは謙信も一緒だよなぁ
戦略の失敗を戦術でカバーするという芸術で


136:ごまかせてたけど



137:人間七七四年
18/04/15 12:50:34.10 NnAa0QI/.net
>>131
諏訪頼重を利用して成功したかどうかは謎だな
ぶっ殺したからこそ信濃平定できたとは考えないのか?
信玄は怖い奴だと思わせたからこそ、その後の戦いを有利に持って行くことが出来たんだよ

138:人間七七四年
18/04/15 12:51:16.46 2YQOmUUP.net
結論としては武田義信が武田を継いでれば
諏訪勝頼は信濃先方衆として大活躍してた
でOK?

139:人間七七四年
18/04/15 12:52:19.77 9kYmdQmC.net
ぶっ殺したおかげで信濃を平定できなかったんじゃないの?
奥信濃って勝頼の代じゃなかった?
完全に武田家の領土となったのは。

140:人間七七四年
18/04/15 12:56:17.76 NnAa0QI/.net
善光寺平を武田領にしたということは奥信濃を納めたに等しいよ
後もっと北は山ばっか

141:人間七七四年
18/04/15 12:57:40.83 0kvjPI0n.net
>>131
信玄は自分が重臣たちの傀儡として実父を追放するかたちで国主になったから、諏訪頼重のような自分に代わって誰かに立てられる可能性が僅かでもある人物は生かしておきたくなかったんじゃないかな

142:人間七七四年
18/04/15 12:59:00.06 9kYmdQmC.net
劉備はうまくやったよな
もし劉章を殺してたら蜀の豪族たちの反乱はいつまでも収まらなかったと思うよ。
完全に全ての豪族が劉備の下に馳せ参じて安定化してから荊州に動座させたろ。
というかそれがオーソドックスな乗っ取りの仕方だと思うが。わざわざ先主の旧臣を敵に回す事はない。

143:人間七七四年
18/04/15 13:03:40.12 9kYmdQmC.net
荊州を乗っ取ったときも劉gを生かしておいて
劉備「おまえら劉g様に従え!」と大義名分に掲げて荊州征伐を着々と進めた。
完全に支配下に治めた時点で劉gには病死(忖度死)してもらった。
徐州を乗っ取った時に劉備は乗っ取りマニュアルを完全に習得したんだと思うよ。
その後の人生での乗っ取り術がいずれも素晴らしかった。

144:人間七七四年
18/04/15 13:09:24.08 9kYmdQmC.net
信長は北畠親子の扱いが上手かったよな。
もう徹底して利用した。長島の戦いの時も北畠親子に船を集めさせたり
北畠家の家臣たちを徹底してコキ使いまくった。
そして利用価値が薄れてきたら「おまえら死ね」とあっさり殺して
信雄に全権握らせてたろ。

145:人間七七四年
18/04/15 13:10:40.72 0kvjPI0n.net
劉備は乗っ取りのプロみたいな人だよね

146:人間七七四年
18/04/15 13:11:31.76 NnAa0QI/.net
まあ恨みかったという事実は認めるよ
だから滅びるのも早かった
信長もそう
結局家康が納めたのも納得
ところでゴタゴタの信濃を良くまとめたのが秋山信友だと思うのだが
三方原の時も信濃衆をつれて別働隊で行動している
おつやの方と急に結婚とか
岩村城もかなり粘ったし
高坂正信なんて甲陽軍鑑描いたってだけで武田四天王名乗ってるけど
本来高坂じゃなく秋山が四天王だろって

147:人間七七四年
18/04/15 13:16:10.14 9kYmdQmC.net
信玄がもう少しスマートだったら氏真の方から「今川家の家督を義兄弟の義信どのにお譲りいたす」と言わせてただろうね。
上杉家の家督を受け継いだ謙信の方が一歩上手だった。

148:人間七七四年
18/04/15 16:51:07.93 dqUcVPTJ.net
天下一苗字って家督継がせられるのか?

149:人間七七四年
18/04/15 16:54:18.31 Yctt7cCs.net
>>144
うーん。氏輝が死んで子供いないから弟に継がせようとした。近親なら可能かもね。ただ、義信は武田の正当後継者なのに今川継がせるはないよ。武田は誰が継ぐの?

150:人間七七四年
18/04/15 17:17:36.49 9kYmdQmC.net
家康は上手かったよね。
氏真殿に駿河はお返し申すと言っといて
信長に却下されたという理由で氏真を手元に置いて
氏真の旧臣をそっくりいただいた。
同じ様な事は秀吉が宇喜多家に対してやってるし
義元も松平家(徳川家)に対してやった。

151:人間七七四年
18/04/15 17:30:14.87 DozWexAW.net
諏訪は頼重はさっさと処分したが寅王丸はちゃんと利用してる。

152:人間七七四年
18/04/15 17:32:28.31 9kYmdQmC.net
利用できた割には信濃の豪族全員敵に回ってなかった?
それってちゃんと利用できてるの?

153:人間七七四年
18/04/15 17:37:31.10 Yctt7cCs.net
>>147
利用しきれていない。
高遠潰したら寅は行方不明(恐らく殺害)になっている。

154:人間七七四年
18/04/15 17:52:05.22 LgFH+iTN.net
問題は広いだけで痩せた信濃の平定に時間と損害をかなり費やしていることなんですよ

155:人間七七四年
18/04/15 18:04:06.10 9kYmdQmC.net
早い段階で甲斐、信濃、飛騨の三ヵ国平定できたら頼重に諏訪湖一帯を返還しても少しも惜しくないしな。
諏訪の軍事的価値というのは信濃のどこに行くのでも諏訪経由だというだけで
信濃の領国より広い範囲を支配下に治めたら諏訪の軍事的価値は下がる。
岐阜城みたいなものだ。

156:人間七七四年
18/04/15 18:38:40.61 DozWexAW.net
>>148
寅王丸を利用してる段階では諏訪の遺臣は武田に従っているし、
信濃の豪族は敵になっていない。
>>149
利用しきれてはいないな、利用しつくしたと思って処分したら時期尚早だった。

157:人間七七四年
18/04/15 18:57:04.19 AHxoUpSB.net
諏訪なんぞに価値ないわ

158:人間七七四年
18/04/15 18:58:52.45 9kYmdQmC.net
信濃の豪族たちの大半が諏訪家と血縁という事に意味があるんでしょ。

159:人間七七四年
18/04/15 19:35:50.60 Yctt7cCs.net
武田は傀儡使うのが下手すぎ。

160:人間七七四年
18/04/15 19:52:24.31 9kYmdQmC.net
秀吉は傀儡を使うのが天才的だったよね
竹中半兵衛を手中に収めたおかげで親戚の安藤やら美濃侍を手下の如く動かし
京極家やら淀君を手にして近江侍も手下の如く動かし
小寺官兵衛や宇喜多秀家を傀儡にして播磨侍を自分の部下のようにしてしまい
秀勝や信雄や秀信を傀儡にして信孝ぶっ殺したり織田家の家臣の大半を自分の手下にしていき
天皇を傀儡にしてその権威で天下の隅々まで自分の支配下に置いたわけだから。
うっかり半兵衛殺したり秀家殺したりしてたら絶対に豊臣家はできてなかった。

161:人間七七四年
18/04/15 20:01:50.43 9kYmdQmC.net
信長が「小寺官兵衛の息子を殺せ」と命じても
羽柴家の命運を賭けて守ったのは
単なる君臣愛ではなく、そこで小寺親子を冷たく切り離して殺されたら
播磨侍が秀吉の元から離脱する事を酷く恐れたと思う。

162:人間七七四年
18/04/15 20:04:45.65 LgFH+iTN.net
結局、傀儡を仕立てるメリットは分かっていたが、きるタイミングに誤算だらけだったいうわけか

163:人間七七四年
18/04/15 21:31:09.66 +imOQ+BH.net
こういう視点で見るとやっぱり三傑には信玄は逆立ちしても勝てないと分かる

164:人間七七四年
18/04/15 21:47:17.58 9kYmdQmC.net
善光寺の時は村上たち北信濃の豪族が住職連れて謙信の下へ去った事を
信玄は悔やみきれないほど後悔してるんだよね。
それで残った宝物を甲斐に持ち帰り甲斐善光寺を作ったり色々一生懸命やった
ほぼ無意味だったけど。
早い段階で善光寺を懐柔して寺領を与えて武田家の傀儡として用いるべきだった
そうなると容易に北信は信玄の支配下になって謙信に付け入る隙など与えずに済んだ。

165:人間七七四年
18/04/16 03:00:20.59 Fsfa6PV+.net
勝頼関係ないだろそれ

166:人間七七四年
18/04/16 07:03:00.00 mbF4qlcI.net
勝頼と景勝が我先にと信長に和睦をお願いしていた頃は、ものすごい緊迫感が伝わってくる
あの時点では詰み状態だったのかな
滅亡間近になるまで上野方面には勢力拡大し続けたのも不思議だね

167:人間七七四年
18/04/16 10:15:29.50 uVBiGAbO.net
戦線縮小とか戦術的撤退という概念が勝頼には無かったし
よく考えると信玄にも信虎にも無かったよな。
戦国大名ってそういう


168:烽フなのかもしれないが 滅びるべくして滅んだよね。



169:人間七七四年
18/04/16 12:23:21.42 UEyoFdde.net
>>163
手間暇かけて軍を起こして、負けてないのに自発的撤退とか、占領地からの撤収とかは、結構ハードルが高い。
明確な見通しだけでなく、強固な権力基盤と経済的余裕がなけれ出来ない贅沢。

170:人間七七四年
18/04/16 12:32:09.12 wtq7Ydp2.net
日本軍も占領地広げるだけ広げて
後は玉砕させて時間稼ぎに使ってたし
一気に戦線縮小してなんてことは結局できなかった

171:人間七七四年
18/04/16 13:03:55.10 IUJfKtvj.net
滅亡前は駿河遠江の方ではジリジリ後退していたけど、
北関東では北条氏を圧倒し優勢だったんだよね
木曽の裏切りで全て狂った感じなのかな
そこから急速に追い詰められていくから
でも予見してなかったわけでもないんだよね

172:人間七七四年
18/04/16 13:09:16.02 D4h9dlTH.net
君主に必要なのは外交力だと思うよ
景勝は領土を譲渡して勝頼と和睦に漕ぎ着けてるし
それが勝頼には致命傷になったんだけど
ちゃんと秀吉と同盟して100万石以上になってるし
関ヶ原で減封されるけど大乱の切っ掛けの首謀者だから
処刑や改易されるのが普通なのに減封で済むという
勝頼は景勝みたいに分が悪くなったら速攻で降伏で土下座しに行くべきだったね

173:人間七七四年
18/04/16 15:44:23.29 VrLfIPvK.net
167
和睦しようと使者送っても相手にしてくれず、織田と仲がいい佐竹に仲介頼んでも相手にしてくれず、人質返しても相手にしてくれなかったのに打つ手ないよ。
信長は武田許す気なんてサラサラないよ。

174:人間七七四年
18/04/16 16:21:10.34 d5VpOt/q.net
>>168
一度、信長側が1577年に勝頼に和睦申し入れて、勝頼のほうが拒否している。それから3年後に今度は勝頼のほうから和睦申し入れて相手にされると思うの?

175:人間七七四年
18/04/16 16:21:58.28 DoOLdrY4.net
外交力うんぬんと言っても相手のあることだしね

176:人間七七四年
18/04/16 16:23:36.40 D4h9dlTH.net
>>168
和睦というのは対等条件の時に申し入れる物
勝頼はまだ対等に交渉できると思ってたら勘違いだ
降伏して臣従の申し出をしないとダメ

177:人間七七四年
18/04/16 16:33:27.69 DoOLdrY4.net
問題はそれをいつやるか
早すぎると家臣や親族に殺されかねないし、遅いと史実エンドが待っている
いつならやれる?

178:人間七七四年
18/04/16 16:40:59.13 wtq7Ydp2.net
>>169
あの時点で和睦した場合体よく対上杉の防波堤にされるのは明白だからなw
足利将軍の講和要請もあったし
まぁそういう織田に不利な時じゃないと講和なんて成立しないのも確かだけどさ
ここで講和してたら上杉謙信が史実通りに死ぬとは限らないし
2年前に長篠で主力失った武田に上杉謙信を川中島で撃退できるとは到底思えない

179:人間七七四年
18/04/16 17:09:56.70 D4h9dlTH.net
木曽の裏切りあたりから穴山やその他も調略されてるし
降伏しても全員から反対されないだろう

180:人間七七四年
18/04/16 18:26:39.95 UEyoFdde.net
上杉の場合、運が良いことに、交渉相手は秀吉。
しかも、秀吉が柴田と手切れした時は佐々を釘付け。
徳川と対峙していた時は、真田に援軍出して徳川と戦っている。
足蹴にされることはないだろう。
関ヶ原については、実際に干戈を交えた島津が片付いていないことの他、何故か家康次男の結城秀康が仲介してくれている。
秀康の果し状を袖にしたのにね(これはフィクションかもしれないが)。

181:人間七七四年
18/04/16 18:44:48.68 tf9u8ig9.net
>>169
ああ、それね。
甲陽軍鑑にしか書かれてない例の奴だろ。
2ちゃんじゃ2000年ごろには織田方の記録もしくは織田方の武将の手紙、記録に一切記述が無くてガセなのが確定してる。

182:人間七七四年
18/04/16 19:18:18.69 tf9u8ig9.net
>>171
それだと勝頼じゃなくて信玄のせいになるね。
信玄死んで勝頼が引き継いだらいきなり織田に降伏なんてしたら殺されはしなくても重臣からふるぼっこ食らい廃嫡される未来しかない。

183:人間七七四年
18/04/16 19:20:35.78 tf9u8ig9.net
>>173
織田が勝頼に和睦申し込んだなんて事実は無いよ。
その時歴史が動いたでもそれやってたけどソースが甲陽軍鑑にしかない。

184:人間七七四年
18/04/16 19:32:24.04 tf9u8ig9.net
>>169の平山優氏の武田氏滅亡の401ページにあるけど引用はやはり甲陽軍鑑って書いてるね。
織田方のソースは一切なし。
武田周辺勢力の資料も調べまくって照らし合わせてる平山優氏でも甲陽軍鑑からしか発見できなかったからまずガセだな。

185:人間七七四年
18/04/16 19:38:49.74 D4h9dlTH.net
>>177
>>174

186:人間七七四年
18/04/16 20:13:04.22 yBCWJAq3.net
手取り側の戦いが11月3日でこのまま加賀から越前に攻め込んでも冬になるタイミングだったのがなぁ
信長はなんだかんだ言って悪運が強い
最後はあっさり死ぬけどw

187:人間七七四年
18/04/17 01:46:05.06 aQ6rQMlZ.net
>>139
劉gは自然死な気がするけどなあ?だって、他に曹操に降伏した劉表の息子も居るじゃん。
呉が、荊州を返還しろのごたごたも死後の話だし。
あの時点で殺害する利点よりも害が大きい気がする。
>>149
時期的に考えると諏訪夫人を妾にした時期だよね。
親父を殺し、実家を滅亡させた男の妾に成るくらいなら、当時の武家の女性なら自害しそうですが?
これさあ、弟を人質にして自分の物にしたって事だよ。
そんで、諏訪夫人に子供が出来た時期に弟が行方不明だから用済みの人質殺害かも?
信玄って、確かに才能有るけど異常に冷酷で残忍なんだよね?
何か、今の信玄伝説って家康の宣伝が原因では?

188:人間七七四年
18/04/17 01:48:37.08 2Muk/MZ6.net
>>182
諏訪夫人の年齢考えてあげてよ。
たかだか12、3歳の少女に自害とか可哀想。

189:人間七七四年
18/04/17 01:55:59.22 EOmwN9YS.net
まぁ裏切ったのは諏訪頼重だし諏訪滅亡で信玄批判するのは酷じゃね?

190:人間七七四年
18/04/17 01:58:07.96 ip+2UbGd.net
>>182
淀君も自害してないし

191:人間七七四年
18/04/17 01:59:28.23 ip+2UbGd.net
>>184
いや、俺は残酷論を取らない。
下剋上の当時は残酷なのは別に悪い事ではない。
単に傀儡の利用の仕方を知らない無能だなと思うだけで。

192:人間七七四年
18/04/17 02:06:51.15 ip+2UbGd.net
その無能さは勝頼にも受け継がれてる
裏切られるたびに人質を殺す事が勝頼の唯一の仕事になってるじゃん。
鳥居脛衛門にごちゃごちゃ余計な事をくっちゃべらせるし頭悪いんじゃね?

193:人間七七四年
18/04/17 02:14:46.69 2Muk/MZ6.net
>>184
裏切ったのは武田信玄だぞ。
たぶん諏訪関係の史書にあるのを真に受けてるんだろうが、何で諏訪が山内上杉と和睦したから武田が同盟破棄と見て裏切りと見なすんだ?
さらに、武田信玄は佐久に出兵と見せかけて、諏訪領を通過する許可を得ながら、いきなり矛を諏訪に向けた。だから諏訪頼重は抵抗らしい抵抗ができずに降伏した。
さらに降伏した際に助命する約束しながら半月で切腹させる。
武田信玄が批判されるのは当たり前。

194:人間七七四年
18/04/17 03:27:41.12 iQIxhF8a.net
荒野を走る トラックの列
行政がゆがんで
真っ赤に燃える

195:人間七七四年
18/04/17 06:33:51.28 2Muk/MZ6.net
>>187
というか、鳥居をあっぱれな忠臣と許して解放してやったら、勝頼に対する周りの評価も変わっただろうな。鳥居がくっちゃべって怒りのあまり殺すとか狭量すぎ。

196:人間七七四年
18/04/17 08:21:35.31 ip+2UbGd.net
秀吉だったら心の動揺を隠して「あっぱれな忠臣よ。褒美をやるから城へ帰れ!これで我らがここに留まる意味は無くなった。ものどもすぐに荷物をまとめよ
信長たちが来る前に帰国するぞ」くらいは言っただろうな。
実際、小牧・長久手の戦いに負けた時「さすが徳川殿、あっぱれな名将よ。森長可が死んだって?
良い狂犬駆除ができたわ(←本当に言った)ワシは先に信雄を討ってくるからおまえらここで休んでおれ」と
士気を下げずに局面を打開した。

197:人間七七四年
18/04/17 09:00:00.17 VijYUqPa.net
同感だな。今更喋った内容を覆せないわけだから

198:人間七七四年
18/04/17 09:16:34.26 2ihgExQ+.net
敵兵「勝頼の言うことは聞かない方が絶賛してくれるらしいぜ!」

199:人間七七四年
18/04/17 09:36:37.32 Nnp+whpl.net
勝頼は楚の荘王の故事なんて知らなかったか
よりによって後漢の馬超に倣ってしまって
漢籍読み漁ってたろう信玄ならどうしたか

200:人間七七四年
18/04/17 12:25:54.10 0TVBU46l.net
武田信玄・勝頼の座右の銘
兵は詭道なり
裏切り者には死を
・・・武田に限ったことじゃないはずなんだが、そういうイメージなんだよな。
お気の毒というか、お疲れ様というか。

201:人間七七四年
18/04/17 13:30:36.21 uq5dfLJ1.net
長篠で撤退して兵力温存しても結局どこかで信長と戦う訳で
長篠みたいな一方的な敗戦にならなくてもジリジリ削られて最後は滅亡でしょ
まぁ第二次信長包囲網の時に主力が残ってれば北の上杉、南の武田が西進すると
信長としては相当苦しいだろうね
徳川が攻撃されても信長本人が出陣できない可能性もある
信長じゃなく信忠が美濃・尾張の3万程度で徳川の後詰したら
信忠の性格だと勝頼と大して変わらんから正面から激突しそうだね
こうなると部隊指揮官の質が大きいから武田軍でも十分やれただろう

202:人間七七四年
18/04/17 16:51:12.53 c5Lv9YF6.net
先に長篠城を取ればどうだったんだろ
信長は救援の名分なくなって帰ったかな

203:人間七七四年
18/04/17 18:12:28.39 Q+U+CfCR.net
>>196
まあ信長と戦ってた敵でも生き残った家はたくさんあるんだからどう転んだからはわからんよ。
>>197
帰っただろうね。手取川でも謙信に七尾城を先に取られたら上杉の倍の勢力があるのに
逃げ帰ってたしw

204:人間七七四年
18/04/17 18:14:52.03 17ej6zh1.net
武田が長篠城だけ取って良しとするかどうかだな。
迂闊に織田軍が引き上げて、勝頼が次にどこかの攻略にかかったらダメだし。
にらみ合いと駆け引き位はあるんでない。
もしかすると野戦に至るかも。

205:人間七七四年
18/04/17 20:59:42.69 F50yDay+.net
勝頼さんは人質斬りゃいいと思ってるな
龍若丸斬って北関東戦線泥沼にしちまった人を他山の石にすべきだった
ああ木曽さんちは斬ったんじゃなくて丸焼きにしたんでしたっけ(惨い

206:人間七七四年
18/04/17 21:18:32.86 7ib4ToQy.net
信長側は大軍だけど、信長は短期決戦ばかりで長期戦は稀だから防御に徹していればあるいは
織田の勢力がかつての室町殿以上になった時点で、武田上杉北条の政治的ポジションが重要じゃなくなってしまったんだよな
武田上杉の存在意義は関東勢力への押さえだったけど、当時の関東勢力はバラバラの群雄割拠

207:人間七七四年
18/04/17 21:31:04.02 ip+2UbGd.net
防衛網を築こうとか緩衝地帯を設けようという概念自体を持ってないし勝頼はダメだろ

208:人間七七四年
18/04/17 22:30:26.64 w9GVxp6A.net
信長は決戦に持ち込むまでの長期戦に耐えられるのがすごいんだと思うが

209:人間七七四年
18/04/18 00:07:48.04 MFZniv7C.net
国境地帯に関門や罠を多数設けて防御するのが基本だけど
最悪、織田の軍勢が押し入った際の逃げ道は最初から確保すべきだった。
迷わず千曲川を下って景勝の領内に行けば余裕で東北へ落ちのびる事はできたし
どうしても甲斐を離れたくないなら南アルプスの早川沿いにでも10キロ間隔で秘密キャンプを用意しておけば
絶対に信長軍は探知できなかった。
行った事があれば分かるけどビンラディンレベルじゃなくて本当に探索は無理。

210:人間七七四年
18/04/18 00:16:33.03 Ec4i3WfN.net
実際に八男・武田信清は春日山への離脱に成功

211:人間七七四年
18/04/18 00:21:15.20 hDXaTBqz.net
だから武田は戦う相手、領土拡大は西しかないんだよ
あの段階で北条上杉と戦争するとか時間の無駄
織田が勢力を拡大し続けているんだから長篠を回避したところで状況は悪化しているのは変わらない
まず戦国時代ってのをよく考えた方がいい
どこもめちゃくちゃな戦争をして総力戦をやっていて停滞は死を意味する時代
戦国末期はどこの大名も相当苦しい経営状態なんだよ
戦争がない平和な平成でも不景気で経済が回らない、戦国時代なんて戦争で人間が死にまくっている
余裕があるわけがないんだよ。このまま戦乱が続けば日本が消滅するほど終わる

212:人間七七四年
18/04/18 00:21:30.86 MFZniv7C.net
小田さんを見習ってさっさと城捨てて潜伏しておけば
本能寺の変で潜伏先から出てきて旧臣に激を飛ばしさっさと甲斐を取り戻して大名復帰できたろうに

213:人間七七四年
18/04/18 00:24:37.38 MFZniv7C.net
勝頼が目端の利く人間なら最初から長篠からの撤退路に罠を設けて置き
信長たちを引き込み、最初から三河北西部に潜伏させておいた別動隊に背後を脅かさせ
袋のネズミにしたろうに。

214:人間七七四年
18/04/18 00:26:42.71 BmcNI0cj.net
いや西への拡大が長篠で不可能になったから東に向かっただけだぞw

215:人間七七四年
18/04/18 00:29:49.28 Ec4i3WfN.net
上野や三島あたりで暴れても仕方ないじゃないですか

216:人間七七四年
18/04/18 00:33:56.72 68QXDWCR.net
>>208
敵に優位にあると思わせて突出を強いる。
陣の崩れたところを上手く突く。
三増峠とかな。
信長がひっかかったかどうかは分からんが。

217:人間七七四年
18/04/18 00:36:34.10 rRGiHZhI.net
>>204
東北へ落ち延びるってよくあるけど、東北のどこへ落ち延びるの?

218:人間七七四年
18/04/18 00:38:36.61 rRGiHZhI.net
>>208
それやるなら兵力差がありすぎて無理でしょ。
せいぜい差が1万まで。

219:人間七七四年
18/04/18 00:40:30.72 BmcNI0cj.net
とりあえず上杉に逃げ込んで勝頼は景勝と一緒に討ち死にして
信勝は東北へ逃がすパターンかなぁ
もちろん本能寺的なのが起きれば勝頼は混乱する甲信を制圧するだろうね

220:人間七七四年
18/04/18 00:47:32.05


221:68QXDWCR.net



222:人間七七四年
18/04/18 01:00:48.02 hDXaTBqz.net
武田は領内の交通網を整備していて大量の馬を使って物資の運搬、兵の移動スピード高めていた
普通の大名は通路を整備せずに自然の要害で防衛に徹していた
武田の強さは兵の行軍の速さだった。敵より早く移動して先手をうって、移動時間の短縮で軍費の節約にもなった。
つまり攻撃は最大の防御、信玄時代は攻められることがなかった。
これが武田の弱点でもあって、甲州征伐で武田が一ヶ月程度であっさり滅亡したのは、この影響だと考えられる。

223:人間七七四年
18/04/18 01:10:18.02 68QXDWCR.net
織田家もそうだよな。
大返しは街道整備の賜物

224:人間七七四年
18/04/18 01:35:50.25 BmcNI0cj.net
武田の場合は西は木曽福島城と飯田城で敵を防いでる間に
武田の後詰部隊が救援する前提だからこの二つがあっさり開城したら
もう効果的な防御が成り立たない
そんな大事な場所に裏切るような奴置くなって話だがw

225:人間七七四年
18/04/18 03:48:00.30 gyNNdwxL.net
同族の佐竹さんの下に駆け込んで
あっさりと信長の下に送られる
しゃよなら

226:人間七七四年
18/04/18 06:09:12.45 uXYXLN48.net
源氏らしい最後だな
義経と同じ運命よ

227:人間七七四年
18/04/18 06:24:10.95 LEsNWXiQ.net
勝頼と義経とじゃ全てにおいて格が違うっしょ

228:人間七七四年
18/04/18 08:06:50.30 /x2n1AJD.net
>>221
いや似ている。
戦術は強いけど戦略や政治的なものが全くない。

229:人間七七四年
18/04/18 10:34:09.67 92iNbXIU.net
戦術レベルの強さがまず比較にならんわ
勝頼の戦術の実績をよく見直してみな
実際大したことないから(笑)

230:人間七七四年
18/04/18 10:47:26.68 Exqv7ivS.net
義経は小勢で天下人の平家を連戦連勝で滅ぼしたからなあ
歴史を変えた人
勝頼が長篠で勝っていれば義経の名前を出してもいいレベル

231:人間七七四年
18/04/18 12:19:37.10 AzPCUIJj.net
>>220
足利義昭「・・・」
南部信直「・・・」
六角義賢「・・・」 宇多源氏だが

232:人間七七四年
18/04/18 13:33:37.26 hDXaTBqz.net
でもな源平って両軍合わせて1万から5000の規模だよ
せいぜい義経が動かした兵の数は数千、数が少ないから戦術がものを言う
戦国は槍とか鉄砲で武器が進化して、単騎の戦争から数のゴリ押し戦いに変わっている
万以上の規模の戦争でどこまで戦術が機能したのか
今みたいに無線がない時代、大軍を動かすのは難しいよ
兵は半農だし
しかも平氏は朝廷が中に入っているから殆どやる気なかったしね

233:人間七七四年
18/04/18 16:16:28.88 spOFcLQ4.net
難しいなりに工夫し、達成したのが秀吉なりだと思うんだけどなあ。
小田原役なんて20万だし。

234:人間七七四年
18/04/18 18:06:34.30 n0nnnnXS.net
義経だって頼朝の威光あっての活躍じゃん、国を統治したこともない匹夫やで。
頼朝を敵に回してからは逃げに逃げて東北まで、そこで殺される始末w

235:人間七七四年
18/04/18 18:39:16.74 Gvy3dzFV.net
義経は戦術に関しては未曾有の天才だからね
そもそも大名じゃないし
バランス型?の勝頼と比較すること自体おかしい

236:人間七七四年
18/04/18 18:57:39.43 MFZniv7C.net
勝頼もまさか自分の武勇があの義経と比べられるなんて夢にも思ってないんじゃね?
あまりにも格が違いすぎる。
せいぜい朝倉宗滴とか朝比奈泰朝あたりと比べられれば本人も満足すると思うが。

237:人間七七四年
18/04/18 19:11:52.61 5wbgS5vn.net
>>228
頼朝の威光と、梶原景時ら本隊が後巻きだったからねえ
長篠の戦いに例えると、酒井隊の働き
天下の名声を博したのは、鳶ヶ巣を急襲したら、信実でなく勝頼が居たようなもの

238:人間七七四年
18/04/18 20:02:55.54 4sBVB6M7.net
戦術の能力に関しては義経はかなりあった
勝頼はかなり微妙
そして勝頼は当主に必要な戦略&外交力は全くなかった

239:人間七七四年
18/04/18 20:32:36.19 9eVVgXar.net
義経は当時の戦の禁じ手やりまくったって印象
壇ノ浦の戦いで船の漕ぎ手殺しまくったよね

240:人間七七四年
18/04/18 20:45:28.52 0eM5fAp/.net
勝頼がハッキリ負けたのは長篠くらいか
家康は勝頼と直接対決を徹底的に避けたし
その長篠が致命的だったけどな
でもどんな名将も手痛い敗北を期してから強くなっているものだが
時代が終局に向かっていて、そのときの敗北だったので致命的過ぎたな
結局何から何まで運が悪いよ、勝頼は

241:人間七七四年
18/04/18 20:58:43.88 4sBVB6M7.net
家康は徹底的に避けたというより戦力の劣る状態で総力戦をしなかった
勝頼は逆に総力戦をしてしまったという

242:人間七七四年
18/04/18 21:03:35.02 NrJfYhoK.net
範頼が本隊を率いて勝利を決めたのであって
義経はただの霍乱部隊だけど
これすら他人の武功を義経に仮託しているが

243:人間七七四年
18/04/18 21:20:53.03 gyNNdwxL.net
武田って決戦主義だよね
勝つとき瞬殺
負けるときは大負け
六、七分の勝ちが十分の勝ちとはなんだったのか

244:人間七七四年
18/04/18 21:42:46.61 FAtjbw9d.net
義経はなんであんなに強かったんだろうな
個人の才能だけで測れない感じがする
当時だと、京都育ちというのが効いてるのかね
戦国時代は実戦の機会が多いからガンガン戦術が変化してるから別物になっちゃうが

245:人間七七四年
18/04/18 21:53:18.49 9eVVgXar.net
>>238
当時の武将がやりたがらなかった禁じ手を連発したからだよ
名より実をとったって事なんだろうけど
当時の義経は相当の不人気武将だった
今の義経人気は後世につくられたものだよ

246:人間七七四年
18/04/18 22:05:31.69 ntTuuItA.net
京都って言うより鞍馬な。
修験者とかに囲まれた独特の環境だったんだろう。

247:人間七七四年
18/04/18 22:30:13.42 WMP6Nd7o.net
一騎打ちが主流の鎌倉幕府軍を
集団戦法で撃破した蒙古軍みたいなもんだな義経は

248:人間七七四年
18/04/18 22:36:31.87 0eM5fAp/.net
>>239
だよなあ
不意打ちに奇襲とか
当時の正々堂々たる鎌倉武士からすれば、卑怯者もいいとこ

249:人間七七四年
18/04/18 22:38:21.77 0eM5fAp/.net
ああ、平安武士か


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