【疑問】スレ立てるま ..
[2ch|▼Menu]
312:人間七七四年
19/09/28 22:45:23.81 /dBt70ov.net
>>302
毛利並みに早ければ。

313:人間七七四年
19/09/28 22:48:05.44 h/ZK5U/h.net
毛利も国境画定がこじれにこじれたのと、賤ヶ岳の時柴田勝家に通じていたのがバレて秀吉との再戦寸前まで行ってるんだよなあ。

314:人間七七四年
19/09/29 00:33:13.13 myGBEk1N.net
他の所のように北条兄弟で分割くらいはされるだろうけどガチで臣従してれば生き残れただろうな

315:人間七七四年
19/09/29 00:49:39.12 PxRmyyuc.net
北条は善政敷いてたみたいだし、本当に悲しくなる。
何であんなことになってもたんや……。
まあ、そんな北条を滅ぼせる人間だからこそ、天下統一なんて無茶苦茶な事業を達成出来たんだろうな。

316:人間七七四年
19/09/29 00:51:02.22 PxRmyyuc.net
島津も数年早く九州を統一してたら、交渉の余地があったんだろうか?
やっぱり難癖つけて減封?

317:人間七七四年
19/09/29 05:09:03.24 HmNxU1jw.net
統一を急ぐよりもいち早く誼みを通じることが肝要。

318:人間七七四年
19/09/29 13:41:04.59 YUANVrYG.net
>>265
中世ヨーロッパの騎士達も似たようなもの
で世界でも通用するといった人物はヨーロッパでも日本でも少数でしょう

319:人間七七四年
19/09/29 15:25:23.16 2Epa1ffa.net
武将の呼び方について質問です
武将を呼ぶときは仮名だったり官位で呼ぶのが一般的だったそうですが、梅雪や有楽斎みたいな出家した人に対してはどのように呼んでいたのでしょうか

320:人間七七四年
19/10/04 01:56:05.21 KFX9Th4E.net
>>308
北条は信長時代はうまくやろうとしてたよね

321:人間七七四年
19/10/04 02:37:05.09 YX5u5dct.net
>>310
出家しても法印とか官位のある場合はその官名。そうでなければ基本的には法名(出家名)。
また家中では出家して隠居の場合は大殿、あるいは御隠居様など別の呼び方もある。

322:人間七七四年
19/10/04 17:55:32.99 4TVnhn3e.net
>>312
なるほど
返答ありがとうございます

323:人間七七四年
19/10/05 07:50:43.08 zlRsmrn1.net
出家と入道でその辺りの扱いの差とかあるんだっけ?

324:人間七七四年
19/10/06 13:35:43.32 rJ2Vkq9L.net
>>309 常識に考えて、単一民族の日本と多民族の中国・ヨーロッパだったら
後者が世界に通用するやり方を行ってもおかしくない
元寇でもわかっているだろう
名乗り上げて一騎打ちのつもりが、名乗り上げている最中に殺された鎌倉武士がいかほどか

325:人間七七四年
19/10/06 14:08:01.41 Vlq0gav0.net
元寇警察に連行されるぞ

326:人間七七四年
19/10/06 19:36:57.35 pYD2yDr2.net
多民族でやってれば世界に通用するやり方ってのも無いけどなあ
どうせ石炭使えないくらいの時代なら世界が広すぎて結局破綻するし

327:
19/10/13 23:32:58 4rCX2gPq.net
唐入りもそうだけど明治以降に大陸に築いた日本の要塞は堅城なんだよな

328:人間七七四年
19/11/12 19:06:39.05 zLq3tmrN.net
漫画センゴクで伊勢(北条)は関東では他国から来たよそ者と描かれていたんですが
西国の武家もルーツは東国の場合が多いですがこっちは問題なかったんですか

329:人間七七四年
19/11/15 08:16:48 XA13qr5/.net
田舎は閉鎖的だからね

330:人間七七四年
19/11/15 08:21:31 MBAxU0HP.net
つか西国の主な領主はほぼ全員東国出身だ。「西遷御家人」で調べろ。
ほぼ全員そうなのだからよそ者扱いされるわけがない

331:人間七七四年
19/11/15 10:48:48.03 CUcKWUyH.net
伊勢北条って桓武平氏にしろ中臣伊勢にしろ西国やん?
てか地縁がなければよそから来たんだしよそ者でいいんじゃないの?

332:人間七七四年
19/11/16 10:20:23 ARLz0MZj.net
他国から来たよそ者だから交渉しないみたいな馬鹿対応されなきゃどうでも良いよな

333:人間七七四年
19/11/16 11:23:38 +a1MHxru.net
関東においてはよそ者扱いしてた奴等も最初はよそ者だからな。
源平なら祖先は100%よそ者として関東に来てる。

334:人間七七四年
19/11/16 11:23:38 +a1MHxru.net
関東においてはよそ者扱いしてた奴等も最初はよそ者だからな。
源平なら祖先は100%よそ者として関東に来てる。

335:人間七七四年
19/11/16 13:08:49 /IW6fcKj.net
人類はアフリカで生まれた
つまりみんな余所者

336:人間七七四年
19/11/16 13:34:49 FpsjfDm0.net
そうなんだよな 白人もアジア人も先祖は黒人
科学的に証明されてる アダムもイヴも黒人

337:人間七七四年
19/11/17 22:12:17 7zDErUD+.net
龍造寺・大内・宇喜多あたりは東国武者系じゃない地生えじゃないの?

338:人間七七四年
19/11/17 22:47:23 IDlizdln.net
東国も宇都宮や佐竹のような古い土着の勢力もいれば西国から来た古河公方や堀越公方もいる
ぶっちゃけ実力が全ての戦国時代において家祖はそこまで重要ではない

339:人間七七四年
19/11/18 05:03:44 0I//baC4.net
戦国時代の史料としてよく挙げられる「おあむ物語」の信憑性ってどんなものなんでしょ?
内容に矛盾や裏付けの取れない記述が多くて偽書説もあるなんて話もよく聞きますが

340:人間七七四年
19/11/18 19:17:16 99jKQ5Rh.net
100年後に成立した物だからあてにはなんないよね

341:人間七七四年
19/11/25 12:26:46 RZKQiZrL.net
伊達綱宗以外で
武家(大名でも旗本でも)が
遊郭で働く女を身請けした(しようとした)
エピソードってありますか?
要は太夫みたいな職種から
武家の側室とか妾になった人の資料か
もしくはそうさせようとした武家側の資料ってないのでしょうか?

342:人間七七四年
19/11/25 12:42:25 CD6upPl9.net
>>332
芸州浅野の5代藩主浅野吉長は吉原の遊女二人を身請けして愛妾にしようとしたら、正室節姫が
抗議のために切腹して死んでしまった。驚いた吉長は愛妾二人を遠ざけ、幕府へは急病死と届けて
改易を免れた。

節姫は加賀藩主の娘だ


343:サうだが女性なのに切腹というのが珍しい。姉さん女房で気も強くて嫡男も 産んだから吉長は側室を持つことも許されなかったと言う。四十を過ぎてそろそろ良いんじゃないと 思ったらこんなことになってしまって辛いところだ。



344:人間七七四年
19/11/25 12:52:41 RZKQiZrL.net
>>333
ありがとう!

345:人間七七四年
19/11/30 22:54:27 WfvxKT1c.net
お由羅騒動について調べてるのですが
何故家慶は茶器を送るという手段で斉興に隠居を勧めたのでしょうか
将軍なんだから堂々と隠居を命じる事も出来そうですが

346:人間七七四年
19/11/30 23:27:54 f6sI2SvR.net
ここ戦国板だぞ

347:人間七七四年
19/12/05 07:14:03.71 g5whVjEM.net
ひょんなことから家のルーツに関心が湧き、一家を挙げて昔のことを調べたことがあった。
そしたら室町末期から戦国期にかけて盗賊で財を成した家系だと判明し、家族全員、何とも言えない気分になったもんさ

348:人間七七四年
19/12/05 07:17:56.31 0N8R+1fU.net
それが本当に判明したなら中世社会史における大変な発見なので地元の教育委員会
もしくは大学の史学科に報告する事をお勧めする

349:人間七七四年
19/12/14 08:05:04 C7j94LjK.net
wikiに載っていたんですが、誰か分からなくなったので質問です。

戦国時代に活躍して、確か出奔などした人物です。
江戸時代になり、参勤交代などで静岡県あたりにとある大名?が通り、
声をかけたら上様?等の話になり、身なりからみれば当然知るはずのない話だったので
もしやと年配の配下に聞いたら、彼は〇〇じゃないか?となった。
多分、徳川配下の武士だったと思いますが、ご存知の方いますか?

350:人間七七四年
19/12/14 14:12:18.05 MglHX6hY.net
天野康景か松平(徳川)信康かな

351:人間七七四年
19/12/15 07:53:02 3eDueQbZ.net
>>340
ありがとう

352:人間七七四年
19/12/18 13:37:16 abvFpM+W.net
常備軍のない時代なのにどうして大内政弘・義興親子は長期間領土から離れた京都で暴れまわることができたの?

353:人間七七四年
19/12/21 00:55:23 6OauQq0Y.net
甲陽軍鑑に、史実と異なる内容が一定の割合で記載されているのは何が要因なのかな?
成立時期から考えると、横田尹松とか、初鹿野昌次とか、旧武田家臣、それもそこそこの身分の人間が生きていたのに。

354:人間七七四年
19/12/21 01:13:55 1c6R1sst.net
>>343
冒頭で春日虎綱自身が言ってんじゃん「記憶違いも有る」って。何を読んでいるんだお前は

355:人間七七四年
19/12/21 15:28:28 a8iTDO+y.net
>>342
武士は専業軍人だから

356:人間七七四年
19/12/21 17:14:57 Kj7/HKCV.net
>>343
日記を付けてたわけでもない高坂弾正の昔語りなんだから記憶違いがあるのは当然だろう。
俺だって履歴書書くのに苦労してるぞ。

357:人間七七四年
20/01/27 19:15:43.76 HHl5ESLX.net
東北地方のマタギなどの狩猟民が、熊などの大物狩りに銃を使うようになったのって
大体いつ頃からですか?
最近読んだ歴史小説が、九戸政実の乱を扱ったものだったのですが、
その中に火縄銃で熊狩りをする猟師のグループが出てきて、ちょっと疑問に思ったので・・・

358:人間七七四年
20/01/27 19:24:34.06 evGfP5sX.net
マタギはわからんが、日本において鉄砲は武士よりも猟師の方に先


359:に広まったという説は有る



360:人間七七四年
20/01/27 22:18:43 gebDCx1Y.net
URLリンク(i.imgur.com)

361:人間七七四年
20/01/27 22:36:45 HHl5ESLX.net
>>348
ありがとうございます。そんな説もあるんですね

362:人間七七四年
20/01/27 23:33:31.97 D8p31t3/.net
北信愛が鉄砲隊を率いてクーデターを起こしたり、南部晴政率いる手勢に襲撃された
南部信直が鉄砲で晴政を撃退したとあるように鉄砲そのものはかなり早い時期に東北まで伝わっていた模様

363:人間七七四年
20/01/28 00:56:57.47 br8dgvzl.net
>>351
ありがとうございます。あり得なくもない、って感じなんですかね

364:人間七七四年
20/02/06 03:10:43 RjJ9tOG4.net
その鉄砲はいわゆる、火縄銃、なのかな。

365:人間七七四年
20/02/06 18:52:13 ArCv6vdm.net
年代的にそうでしょ

366:人間七七四年
20/02/07 19:49:05 hxEcr/65.net
あの家伝はだいじょうぶなの?

367:人間七七四年
20/03/07 10:31:56 pjQ3J6RD.net
14,5年前に本屋で買って読んだ学研の漫画の大坂冬の陣(正式タイトル不明 画像検索してもパッとわからず)で

大坂冬の陣の際に幕府軍の陣中で怪しい兵士が捕まり取り調べたところ豊臣家から藤堂高虎への手紙があり
「この度は前々からの約束通り大御所と将軍(家康と秀忠)をおびき寄せてくれてありがとうございます(現代訳)」とあり
徳川陣中で騒ぎになったが家康が「これは豊臣の策略だろう」と動じずに藤堂陣営に引き渡し
漫画では藤堂高虎が怒ってその兵士の指を切り落とし目をつぶしたうえでそこらに解放した というエピソードがありました。

漫画の欄外の脚注で出典元の史料が紹介されていた記憶があるので実際?のエピソードだと思うのですが
ご存じの方いたらお願いします。(ひょっとしたらその史料も江戸以降の軍記物みたいなのかもしれませんが)

368:人間七七四年
20/03/07 15:23:55 sPdE3E6w.net
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

ちょっと前に見たなと思って探したら細部は違うが同様の話があった。

369:人間七七四年
20/03/07 16:53:16.74 pjQ3J6RD.net
たぶんこれですね ありがとうございました

370:人間七七四年
20/03/21 06:24:19.52 NNgI4YWg.net
歴史小説でプロに依頼したキャラの挿絵を記載するのは駄目ですか?

371:人間七七四年
20/03/21 20:25:29 NNgI4YWg.net
歴史小説でプロに依頼したキャラの挿絵を記載するのは駄目ですか?

372:人間七七四年
20/04/08 07:20:31 5rGiDWEM.net
保守

373:人間七七四年
20/04/08 11:58:54.55 IxQnRAmE.net
保守

374:人間七七四年
20/04/15 23:38:47 +Omd5ZUo.net
戦国時代に合戦で用いられた日本の馬の多くはポニーサイズみたいな話がありますが
戦国時代以前や江戸時代に書かれた絵巻物や錦絵なんかを見ても
そこそこ立派な馬体のサイズで書かれたりしていませんか?
やっぱり上級武士などが乗る馬に関しては立派な外国産馬が用いられたとかって事はないでしょうか?

375:人間七七四年
20/04/16 00:08:11 QmZHYKKA.net
そもそもポニーサイズはけっこうデカい。ポニーと聞いてポニーの中でも小さいシェトランドポニーとかのミニポニーを思い浮かべるからちっちぇーと思うだけ。
そしてサラブレッドらの現代馬から見ればたしかに小さいが、歴史的にはチンギスハンのモンゴル騎兵や中世西洋の騎士も日本馬と同様にポニーサイズだから別にちいさ


376:ゥない



377:人間七七四年
20/04/16 20:05:12 5dxY1XS5.net
>>363
肩の高さが147cm以下がポニーの定義ね
つまり自分の胸から肩の辺りに馬の背中があるわけだけど、それを小さいと思うかどうか
現存する日本の在来馬の体高は100-135cmくらいで、鎌倉期前後の出土した馬の遺骸からの推定体高は120から130cmくらいだったかな?
それと宇治拾遺物語や吾妻鏡には140cmを超える馬の記述もあるそうな
続日本紀には新羅からの輸入馬だと思われるけれども150cm(wikiだと五尺五寸(165cm)も国会図書館で確認すると高五尺と記述されてる)の馬が献上されたと記述されてる

378:人間七七四年
20/04/16 22:33:02 EJfKzYkP.net
>>363
源平合戦のひよどり越えの逆落としの時に畠山重忠は愛馬を背負って下りたとされているのにそんなデカいわけないだろう。

379:人間七七四年
20/04/19 12:23:02 PqjNzczU.net
なぜこの板は、極論をぶつけあってケンカしてばかりなんですか?

380:人間七七四年
20/04/22 10:13:49.09 mtJF+Ya4.net
戦国時代の日本人は江戸期に比べればそんなに低くなかった説あったな
江戸期だけ極端に低いとも

381:人間七七四年
20/04/22 12:09:30 mtJF+Ya4.net
秀頼はかなり体格が良く、太平楽という大型の馬に乗っていたらしく
大坂城の発掘調査でも比較的大きな馬の骨が出た
皆ポニーサイズの馬に乗っていたわけでなく、体格に適した馬に乗っていたが正解だろう
人間にも体格の差があるのと同じく、動物全般にも勿論体格の差があるんだから

382:人間七七四年
20/04/22 16:05:50 BbcKP5hn.net
>>369
その大きな馬が秀頼が乗ってた馬
というのはどうしてわかるの?

383:人間七七四年
20/05/02 06:14:40 aGDi3HJ8.net
愛知には名古屋城 岐阜には岐阜城という具合にとても有名な城がありますけど
三重県ってなにか有名なお城ありますか?

384:人間七七四年
20/05/02 10:42:21 Bg+v4bst.net
大河内城とか

385:人間七七四年
20/05/02 11:00:01 aGDi3HJ8.net
ありがとうございました

386:人間七七四年
20/05/02 13:00:00 Bg+v4bst.net
あと伊賀上野城や伊勢亀山城や津城とか巨城は無いがそこそこ有名な城は多い

387:人間七七四年
20/05/20 06:18:55 seoSzvaD.net
つかぬ質問いいでしょうか
「木綿の育成に干鰯を肥料として用いると良い」という知識があるかと思います
それに関して、以下2つの疑問があります

Q1 : 本当に干鰯は木綿に効果的なのか
調べる限り、木綿はそこまで肥料を必要とせず、むしろ与えすぎはダメという内容を見かける
では干鰯は何の意味があるのか
或いは肥料が必要でないのは現代に限る話なのか

Q2 : この知識はいつ形成されたのか
簡単に調べた限り、日本以外で綿花に魚肥を用いた記録は、明・朝鮮等でも見かけられなかった
しかし日本では木綿育成の初期(1500+α年頃)から鰯との関係が見られる
この知識がいつ形成されたか示唆する研究等はないか

あまり戦国時代ぽくなくて申し訳ない

388:人間七七四年
20/05/20 12:36:39 c+8gMEjA.net
低栄養下でも生育する植物に植え付け前に入れる原肥として肥料三大元素のひとつの窒素成分を与えすぎると
幹や葉っぱばかりもりもり伸びて肝心の花がなかなかつかない「徒長」ちゅう現象が起こる
与えすぎはダメというのはこれの事だと思うが、原肥程々で花や実が付いてから追肥マシマシにすることで回避できる
現代でも


389:使われる魚粉肥料は有機肥料の中では即効性に優れるのでよく追肥に使われるから同じように追肥に使ったんじゃないかな また低栄養下でも生育するといっても木綿は商品作物なのでコストをかければ品質が良くなり競争力が出るので金肥使うのは別におかしくない と家庭菜園が趣味の素人考えだとこうなった



390:人間七七四年
20/05/20 15:24:57 leh1OEDm.net
ググっていて8年前の2012年度第9回都市環境デザインセミナーでの講演内容に近代の綿作のことが語られてるのを見つけた
その中で、天保4年に書かれた大蔵永常の“綿圃要務”という書物が綿栽培の手引き書と書かれているから、それを読み込めば何かわかるかもね

391:人間七七四年
20/05/20 15:55:28 seoSzvaD.net
>>376
色々勉強になります
参考にして調べた所、6月中旬と7月中旬頃に追肥をすると良い、みたいな記述を見つけれました
即効性よりは緩効性的な記述もあり、まだ分からない所はありますが、
理解が進みました、ありがとうございます

>>377
調べて読んでみたいと思います
ありがとうございます

392:人間七七四年
20/06/18 12:06:31 7j7vS2oW.net
ムガル、オスマン、ロシア、イングランド、フランスといった戦国時代と同時期の大国は、
日本についてどういう認識だったの?
逆に戦国大名はそれらの国に対してどの程度の知識があったの?

393:人間七七四年
20/07/12 12:20:09 agw7Jx5P.net
戦国時代は戦争の孤児をどう扱ったのでしょうか?
何か文献残ってますか?

394:人間七七四年
20/07/12 12:42:18 sltLXVWR.net
東南アジア日本人町は正に棄民だろう

395:人間七七四年
20/07/12 21:36:07 YuCCG5t1.net
>>380
親戚が面倒見た

396:人間七七四年
20/07/25 16:42:17 5gno886p.net
関ヶ原の戦い後、なんで毛利はごっそり所領削られたのに、島津は本領安堵だったんですか?

397:人間七七四年
20/07/25 16:59:32 +Vd4E3Uo.net
毛利は腰砕けになっていたのに対して島津は僻地にあり、しかも戦う姿勢を見せていた。そうだよカムランさん、気合いの問題なんだよ

398:人間七七四年
20/07/25 21:42:37 TknqDfWf.net
島津本国は義弘からの援軍要請も輝元からの参加要請もガン無視の完全中立でもっといえば消極的東軍ともいえるわけでそりゃ安堵で何もおかしくない。
さらにどうでもいい僻地だし

399:人間七七四年
20/07/26 13:58:37.03 XgI7k4Zi.net
最近の説だと義弘は積極的西軍じゃなかった?

400:人間七七四年
20/07/26 14:10:36.12 MjolL4On.net
島津兵庫入道惟新は、兄(義久)、息子(忠恒)との家中実権を巡る三者三すくみの争いの中にあり、西軍に積極的に参加して勝利することで、家中の発言力回復を狙っていたというのが近時の説である。

401:人間七七四年
20/07/26 14:42:17 oK4JzHbX.net
義弘を当主に含めるのは幕末になってからのことで、実際は義久から忠恒に直接引き継がれてる
戦後島津が特におとがめなしだったのも、仮に最初から積極的に西軍に加担してたとしても部下の暴走で片付けられたからで、もし義弘が実際に当主になっていれば減封か改易は免れてなかっただろうよ

義弘は、義久が九州征伐以降も秀吉に反抗的で本来なら処分されるところを当時取次を務めていた三成に救われてるし、それもあって西軍についたんじゃねーの

402:人間七七四年
20/07/26 14:46:42 RiqSza9s.net
というか名実ともに総大将だった毛利が減封で


403:済んでいることのほうが凄いんだよ 吉川の行動も輝元の命令だろうしね



404:人間七七四年
20/07/26 16:41:16.33 rGq0G5kv.net
関ヶ原から戦後にかけての毛利・島津の外交・お家事情について詳しい書籍ないですかね?
みなさん、よくご存知なので自分も勉強したいです。

405:人間七七四年
20/07/26 17:05:15 MjolL4On.net
それだったら、光成準治「関ヶ原前夜 - 西軍大名たちの戦い」をお薦めする。古文書を基礎に綿密な考証をしており、しかも現代誤訳を付しているから古文が苦手でも大丈夫。値段も高くない

406:人間七七四年
20/07/26 18:57:15 ueEoO8sv.net
それまじ名著。一冊だけ進めるならそれになるな

407:人間七七四年
20/07/26 19:20:32 ueEoO8sv.net
あとは「島津義弘の賭け」山本博文とかもおススメ。
大名としての島津家のしょぼさが分かり幻想を打ち砕くのちょうどいい

408:人間七七四年
20/07/29 13:46:07 D/tYIpMV.net
毛利について詳しく知りたい場合は光成準治氏の『毛利輝元:西国の儀任せ置かるの由候』がいいな。
最初の段階では「毛利輝元再評価」を意気込んでる感じだが、最後の方に成ると輝元に色々うんざりしている感があっていい

409:人間七七四年
20/08/01 05:03:19.01 +wT0vNMwI
東美濃の岩村城城代?のおつやの方は何で裏切ったのか判らん
城の明け渡しなり逃亡なり碌に交渉しないで敵武将と婚姻し子供を引き渡すとか・・・

ノブの面目を思いっ切り潰してるんだけど

410:人間七七四年
20/08/03 22:30:46 vfjIZ3qb.net
兵農分離て自衛隊は米軍式で出来たけど帝国陸軍なんか農民徴兵して集めただけで。
農家するもの居なくなって食料にも事欠く始末だろ、

411:人間七七四年
20/08/04 02:19:52 Uy3KwZat.net
そもそも武士と農民は最初から分離している。「農兵」なんてごく特殊な場合以外存在しない。農民への賦役は輸送などの非戦闘員としてのもので、兵士として徴収されては居ない

412:人間七七四年
20/08/04 11:28:55 kzof4qOy.net
半分軍役で払って半分年貢で払う軍役衆ってのもいるけどな

413:人間七七四年
20/08/04 22:18:58 eUZR6RyC.net
軍役衆って侍やん

414:人間七七四年
20/08/05 12:57:17 xTFyCXSv.net
すいやせん
外国の歴史ドラマ見てますが捕虜の処遇に困り殺すことが結構あるようですが
戦国は捕虜はどうしたのでしょうか?
奴隷として売るだけでしょうか?

415:人間七七四年
20/08/06 18:26:17.82 7rFSjoH8.net
戦国時代にパイズリってあったんでしょうか?

416:人間七七四年
20/08/06 18:50:07.26 R/RiIQk5.net
人類がおっぱいを性的アイコンと見るように成るのは近代に入ってから。アメリカ発祥とされる

417:人間七七四年
20/08/18 07:53:15 fkfzO/MH.net
戦国に切捨て御免ってあったんですか?

418:人間七七四年
20/08/18 19:55:07 NhHxzQDx.net
戦国でいう手討なのでそりゃもう普通にありましたよ

419:人間七七四年
20/08/22 22:49:11.15 WvgiGa8L.net
ほう、切捨て御免は江戸時代で御定書で認められた無礼に対する武士の殺人特権だが、
江戸時代に比べて士農工商の区分が薄い戦国では誰が誰を斬り捨てて捨ていい特権
になっていたとでも?占領軍の略奪を妨害して斬られるのは斬り捨て御免にはならんぞ

420:人間七七四年
20/08/23 00:39:21 cj6DY8oA.net
>>405
> 江戸時代に比べて士農工商の区分が薄い戦国では
先ずこの辺をもう一回


421:ラ強し直してから出直せ



422:人間七七四年
20/08/23 09:18:21 tShJDVxP.net
>>406
出直す必要はないけど?
無礼に対する武士or某階級の殺人の特権が認められていたソースを出してもらえれば
済む話だと思うけど?
で、どこの勢力でどういう決まりで認められてたの?

423:人間七七四年
20/08/23 21:51:43 Ta4/Y8ew.net
茶坊主切った信長とか?

424:人間七七四年
20/08/23 23:35:44.08 cj6DY8oA.net
>>407
身分差の事を指摘してるのに解ってないのか。

425:人間七七四年
20/08/25 10:22:02.94 MDENfraY.net
>>409
質問している文面を読めないのか。
まあわからんのだからしょうがないか。

426:人間七七四年
20/09/01 01:13:41 fD2F5Wr4.net
細川藤孝夫人の麝香ってえらく洒落た名前だと思うんですけど本名なんですか?
それとも後世に付けられた愛称?

427:人間七七四年
20/09/02 19:38:40 oSaBCihY.net
毛利が尼子義久を拉致・軟禁したのはなぜですか
わりと他に類例がない珍しい処置ですよね

428:人間七七四年
20/09/22 23:55:39.23 75Kf9Rtn.net
1万越えるような大軍は大きな川をどうやって渡ってたんだ?
大量に船用意してたのか?

429:人間七七四年
20/09/23 12:13:16.10 BWWDYY4m.net
舟橋を作るの

430:人間七七四年
20/09/23 13:51:45.17 n0G2KhL0.net
そりゃ銀英伝の主張(ヤンやユリアンの主張)が
上手く行ってる専制政治よりも、上手く行ってない民主政治のほうがマシ
だもの

431:人間七七四年
20/09/24 09:34:41.06 mX0GhiAu.net
>>412
尼子旧臣の懐柔のため。尼子旧臣の地侍にお金配ったり毛利の懐柔策はちょっと特殊ですね。効果的ではなかったですが

432:人間七七四年
20/10/03 17:45:19.53 lx1AslBB.net
馬に乗って弓を持った武士がいてそこまで危険がないところまで戻ってきた場合ずっと手に弓を持ってるのは辛いと思うんですけどこういう場合、弓を引っ掛けるところとかあったんですか?

433:人間七七四年
20/10/03 17:57:14.64 u85emsHQ.net
鞍に付ける弓を入れる袋(筒)がありますし
中間という戦場まで付いてくる雑用係が居るので預けたりもします。

434:人間七七四年
20/10/20 11:58:03.89 U2TZ2PYr.net
武田信玄の駿河侵攻の大義名分ってなんですか?

435:人間七七四年
20/10/20 12:05:58.41 k32NA8p8.net
秀吉が上杉謙信の墓の前で「所詮、田舎大名よ」と言ったらしいですが(本当かどうかは知りません)
自分は武田信玄も所詮、田舎大名だと思います
生涯働きに働いて、一体何カ国を切り取りましたか?

436:人間七七四年
20/12/29 13:01:22.34 YLgUm1mo.net
側室の産んだ長男が、正室の産んだ次男を差し置いて
家督を継ぐことはありますか?
信長の三男は織田家の序列が叔父さんより下の4番目扱いだったと聞いたのですが
母の出自が卑しいとそこまで酷い扱いになるのでしょうか
蛇足ですが
うちの近くに織田有楽斎の長男の陣屋がありましたが
側室の子だから分家にされて、子なしで断然してます

437:人間七七四年
20/12/29 13:16:45.00 YLgUm1mo.net
伊達政宗の長男が分家になったのは庶子なのが理由ではなく
大坂城に差し出された人質で豊臣と近かったから、と書いてた本がありました
豊臣の世が続けばこの長男が本家の後継ぎの可能性あったのでしょうか

438:人間七七四年
20/12/29 16:00:16.86 uFdEBDpF.net
>>421
>母の出自が卑しいとそこまで酷い扱いになるのでしょうか
wikipediaによると毛利元就の扱いはこんな感じ


439:。 「元就の正室の子である毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の3人の兄達が元就から大切にされたのに対して、 元清を始めとする側室の子達は、父から「虫けらなるような子どもたち」と表現されている。しかし粗略に扱われた わけではなく、「もしこのなかでかしこく成人するものがあったならば、隆元・元春・隆景は哀れんで、いずれの遠境 などにでもおいてほしい」とも依頼している。一方で「たいては、まぬけで無力なものだろうから、その時はどのように されてもかまわない」とも述べており、そこには正室の子と側室の子を明確に分ける元就の配慮が読み取れる」



440:人間七七四年
20/12/29 20:34:44.19 sqZwx04j.net
まるで顔も体格も似ていない秀頼が秀吉の子ではないって説は聞いたことあるけど、
鶴丸にも似たような説ありますか?

441:人間七七四年
20/12/30 17:43:11.34 pLPpcx7o.net
>>423
ありがとうございます
元就のコメント随分酷いですね
でも本人にも周りにもはっきり立場を知らしめることで
お家騒動を防ぐ狙いもあるのかな、と思いはじめました

442:人間七七四年
20/12/31 07:11:09.12 sseGTKWG.net
>>383
そりゃあ、花押付きの文書くれるまで上洛せずに、戦うって姿勢見せたからだよ。
福島正則の甘言に騙されて、簡単に大阪城退去した毛利輝元とは違う。
幾ら家康でも、花押付きの文書無視して取り潰しは危険だからさ。

443:人間七七四年
21/01/01 00:17:55.63 y8nNXN/S.net
>>425
時期的にも、妾腹の子供たちは正室が死んだ後に生まれてますし。年齢的にも50超えてますし既に
成人した「当時基準」正室の息子とは全然立場違うってことです。
少しでも危険って思われたら兄達に殺されかねないのですから、こう言うしかないのかなと。
元就は史実では74まで生きてますが、普通に考えれば50過ぎの子供が成人するまで
生きてる可能性は低い。

444:人間七七四年
21/01/02 23:48:10.16 88bmQEPb.net
>>424
鶴丸って鶴松のことか?
数え3歳で死んだのに親に似てるも似てないもないだろ

445:人間七七四年
21/01/07 15:41:50.29 A+qx8d+Y.net
すみません。
滅んだ国人とか浪人などに落ちぶれた一家に
没落する前からの家臣や侍女が仕えている描写がありますが
自分が野良仕事してるのに、家臣に給料は払えたんですか?
それともタダ働きですか?

446:人間七七四年
21/01/07 16:30:30.87 m6fEmU02.net
>>429
タダ働きどころか逆に家来に食わせてもらってる状態です。

447:人間七七四年
21/01/07 19:17:23.15 Rq64ggON.net
>>430
ほえ〜、すごいですね。
忠誠心?
それにしてもすごい。

448:人間七七四年
21/01/07 22:09:44.77 lJAskkEb.net
主君が配下の人間に自分の娘を嫁がせるってどういう意図の政略結婚なんでしょうか

449:人間七七四年
21/01/08 17:04:10.37 3st+//Lh.net
>>432
俺とお前は同じ船に乗ってんだから俺を裏切るなよ。

450:人間七七四年
21/01/08 17:08:57.18 Ve91bGh0.net
まあ家臣と言っても一門かそうでないかでかなり違うが、
一門ではない家臣の場合、主君側に家臣の家格を一門格に引き上げたいとか、
或いはその家臣の持つ勢力を主君の権力の中に取り込み一体化を図りたいとか、
まあケースバイケースではあるな

451:人間七七四年
21/01/08 2


452:2:20:54.80 ID:h1+a66fb.net



453:人間七七四年
21/01/23 02:10:02.80 75GzPO1g.net
>>429
春秋戦国時代の故事でいう、奇貨居くべし ってやつだな
先行投資として養ってる、扱い。

454:人間七七四年
21/01/23 02:33:38.25 75GzPO1g.net
>>421
戦国大名ってのは、基本的には、自分自身の権威だけで家中を束ねることはできていない
高貴な貴族の娘を正室とすることで家臣が持ち合わせていない高貴さを得るとか、
近隣大名の娘を正室にして、その権威を借りるとか、
有力な家臣の娘を正室にしてその家臣の支持を取り付けるとか、
大名として自立する上で必要な力の一部を当主ではなくて正室が持ってて、両者の支え合いによって存立してるような側面がある
正室と側室の違いは、地盤の強弱といっていいだろう
側室の子が跡を継ぐ場合は、基本的には、正室の子に準じた親子関係を結ぶ。猶子になるんだよ
そもそも、奥向きってのがひとつの組織として確立されてることが多い
正室は「奥」の中で社長の地位にいる。側室たちは当主の配下ではなくて正室の配下になる。任免権を持つのは当主ではなく正室。
まあ、よほど特殊な事情があれば主従関係が難しくなることもあるかもしれないが。

455:人間七七四年
21/01/23 12:41:32.72 n4uDoOl3.net
「プレジール福島」1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務 昭和62年うまれ)は怖い住民。井本寛(いもとかん)の壁ドンが横行、住んだら絶対ダメ!そんなマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、トランクルームとしても役立たない下水臭いマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、安かろう悪かろうがモットーの商都が運営する賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27),
夜中笑い出す怖い入居者が多数入居中、鉄筋つくりなので響く騒音、そして嫌がらせの横行。
性器ヘルペスの異常性癖者が1002号室の井本寛(近畿日本コンサルタンツ勤務)の賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、、
賃料を下げても空室率が上昇中、貧乏人とトラブルメーカーの井本寛をはじめとするクズのたまり場の「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、下水臭い室内は商都のメンテナンス不足の証拠,
入居時に前の入居者の陰毛が散乱した状態で引き渡す清掃料金ぼったくりの商都が運営する「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、住んだら絶対ダメ!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27) ,空室率上昇中!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 井本廉 井本もも 井本梅香(杉並区成田東1-11-6-102) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛の持病 性器ヘルペス ソープで感染 井本寛(いもとかん)のペニスに毎日大江橋クリニックで処方された軟膏を塗る生活
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 柳 恒太郎(豊中市北緑2−1−18−1115) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 船越 明生(門真市上島町6−12) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 東 利則(茨木市小川町9−211) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 田岡 亜弥(横浜市都筑区牛久保東1−26−43) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 西口 昌宏(岸和田市八幡町10−15) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 飯尾 義弘(神戸市灘区八幡町4-9-27) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 葉山 大樹 葉山 真里 葉山 結里奈(東成区深江北3−15−14) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 立花 直輝 立花 智美 立花 和美 (住吉区山之内1−17−13) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か?? 33

456:人間七七四年
21/01/23 13:33:05.64 75GzPO1g.net
>>406
多くの人を納得させるだけの理由を提示できなければ御免にならないからなあ
免にならなければたいてい、実行者は厳罰を受けた

457:人間七七四年
21/01/23 14:22:58.59 bp8cnCdc.net
加藤図書助の末裔て江戸時代以降出てこないけどどうなったんだろう

458:人間七七四年
21/01/28 06:11:03.26 Di+pt2oh.net
>>439
400人間七七四年2020/08/18(火) 07:53:15.13ID:fkfzO/MH
戦国に切捨て御免ってあったんですか?
401人間七七四年2020/08/18(火) 19:55:07.91ID:NhHxzQDx
戦国でいう手討なのでそりゃもう普通にありましたよ
↑この回答が間違いってことか
このスレってちょっと昔はいい回答してもらってたんだけど
最近は誠意がまったく感じられなくなった
久々にきたら突っ込みがあったからうれしかったわ

459:人間七七四年
21/01/28 20:09:55.51 yfVumzni.net
攻城戦とかの話ですが、城壁の前に大きな溝を作ったりすれば
重い雲梯や破城鎚は溝を超える事が出来ないと思うんですがそれをしないのはなぜでしょう?
(映画とかでそういうのをほとんどみないので)
勿論、溝を掛ける橋を用意されれば超えられるけど、道を制限できるし有効かと思うのですが。
溝に油や杭を埋めておけば人にも効果あるし

460:人間七七四年
21/01/28 20:36:52.50 fA/AcwiP.net
>>441
御免はないが、切り捨てるやつならたくさんいた
人をさらって売り飛ばすなんて日常茶飯事だしな
だが、敵対陣営の人間に対する不法行為は咎められなくても、同胞、味方陣営の者に対する不法行為は罰が重かったよ
見せしめ的に武士の方を処罰する事例も少なくないぐらいに。

461:人間七七四年
21/01/28 20:37:22.31 7jy9Apya.net
ちょっと意味が分からない。堀に囲まれてるお城って見たことないかな?
なんか中国辺りの城を想定してる感じがする

462:人間七七四年
21/01/28 20:39:39.72 7jy9Apya.net
>>441
切捨て御免って無礼打ちでしょ?山ほどあったんじゃない?

463:人間七七四年
21/01/28 20:45:40.94 fA/AcwiP.net
斬り捨て御免ってのは、条件が限定されているとはいえ、切り捨てが法的に認められているってこと、免状だ
そのような制度は戦国時代にはないだろ、不法行為としての切り捨てが横行してるだけ

464:人間七七四年
21/01/28 23:18:51.63 Z+0v5B6m.net
>>442
ここは戦国時代の板なのでそれで答えると土塁の前には当然堀がある。

465:人間七七四年
21/01/28 23:35:08.84 2uFx99Lj.net
>>442
映画で見ないのは製作費の都合でしょう。
単にそれっぽい絵面を仕立てただけの創作物と現実を混同してはいけませんよ。

466:人間七七四年
21/01/28 23:39:23.08 opTrY6+x.net
実際の城はもっと簡易的だったり、入りにくさに特化してるもんな。堀の中にある単なる掘立て小屋みたいなのもザラなんじゃね?

467:人間七七四年
21/01/29 07:17:33.02 /C10JlKp.net
>>446 そうそう 普通にありましたってわけわからんかったです。

468:人間七七四年
21/01/29 15:07:16.69 MZrSxr+n.net
>>442
そもそも、日本の城攻めで破城槌や雲梯などの大型攻城兵器を使った事例がないのではないか
使われる見込みがない兵器に対する対抗策は、普通は作らないのではないか

469:人間七七四年
21/01/29 16:14:10.01 U5U6ajPB.net
前田利常時代に登用した家臣って政治的意図なんかね?成瀬吉正→徳川重臣の弟、松平大弍→十八松平?、品川左門→公家(大納言)


470:の三男 幕府の血縁関係者を嫁に入れるのはよくある事だけど、幕府朝廷関係の人間を重臣に登用って相当レアケースなのにあんまりその辺研究されて無いんでよく分からん。



471:人間七七四年
21/01/29 16:50:25.34 HUfj7tO4.net
山城だとそういう車輪つけて動かすような巨大兵器とか運用のしようがないしねえ

472:人間七七四年
21/02/07 22:05:18.25 Fns5OabQ.net
家臣の木曽衆が木曽義利から離反した経緯がイマイチ分からん、家康からもお咎め無しだったし不思議。

473:人間七七四年
21/02/13 14:00:06.02 PBEuzZZu.net
殿(しんがり)の生存率ってどのくらいなんでしょうか

474:人間七七四年
21/02/13 14:05:19.62 AS76j+Ni.net
>>455
そもそも「殿」の行われた合戦の総数も解らないから計算のしようがない。

475:人間七七四年
21/02/13 15:06:18.13 PrqUTBff.net
>>449
戦国時代の途中までは、城を明け渡して退却したり、城どころか中の軍勢、城主まで明け渡して(つまり寝返って)終わる戦いが多くて、殿軍とかいないしなあ

476:人間七七四年
21/02/13 15:50:18.31 1P5mYoDy.net
戦国時代の戦の大半が攻城戦
野戦は数えられるくらいしかない
その野戦の大半もお互いが睨み合って小競り合いして両軍退くことが多い
その退却時に城に守備兵を置くことは殿軍と同じ意味だが、交戦はしないことが多い
野戦で追撃して殿軍が交戦するような退却戦は稀

477:人間七七四年
21/02/13 16:01:58.51 h1KHQYme.net
大野戦は少ないが一次史料上は小競り合いなのか名もなき野戦がかなりある

478:人間七七四年
21/02/13 16:20:11.34 AS76j+Ni.net
>>458
「殿」は別に野戦だけじゃなく、攻城戦でそれを果たせず撤退の際も行われる。
いわゆる「金ヶ崎の退き口」も、基本的にはそういう殿だ。

479:人間七七四年
21/02/13 16:29:53.00 oxheI0QK.net
>>459
いわゆる睨み合いだけの牽制だな
決戦に至る戦は本当に稀だからな
>>460
城に籠ったら攻城戦だからな
野戦の追撃なんて稀

480:人間七七四年
21/03/19 16:50:09.80 sHnNCBjb.net
南北朝の統一と時期を同じくして
土岐氏、山名氏、大内氏等の大勢力が次々と足利義満の策略にハメられ
誅伐を受けて勢力を減衰させられてきた歴史がありますが
後南朝を後援して幕府に反旗を翻した北畠氏が大規模な追討を受けなかったのは何故ですか?
北畠氏と幕府との和議が成った後でも官位を授かったりと
比較的丁重に扱われてきたように見えるのですが
伊勢国司という存在はそれほどまでにアンタッチャブルな存在だったのでしょうか

481:人間七七四年
21/03/19 18:03:47.69 561gD9iY.net
> 土岐氏、山名氏、大内氏等の大勢力が次々と足利義満の策略にハメられ
そもそもそれらも個々に経緯が事なり、義満の策謀と結論付けるのは非常に乱暴。
また彼らもその後も普通に存続しているし。

482:人間七七四年
21/03/19 18:18:29.69 sHnNCBjb.net
>>463
南北朝統一後の大勢力粛清の経緯に関しては
将軍主導や勢力内での対立が原因であって理由はさまざまであるという事は充分、承知しており
レス内容を簡潔にするために策略という単語を用いたまでです
知りたいのは北畠氏の幕府側から見た立ち位置的な事や時代の情勢などを知りたいのです

483:人間七七四年
21/03/19 20:59:23.12 aMLSVYby.net
だいたいの場合、降伏したら領地削減とか公職の降格なり


484:剥奪だけで勢力としての存続は許すのが当時の慣例だし 北畠も降伏したから許された



485:人間七七四年
21/03/21 14:24:45.52 mv8tpDgh.net
北畠満雅が将軍義持の時と義教の時と2回挙兵して幕府軍に攻められてるじゃないか
最終的に満雅が戦死して、北畠家は領土割譲して降伏したのに
「大規模な追討を受けなかった」はないだろ

486:人間七七四年
21/03/21 21:55:53.89 eKcA44l4.net
南北朝統一期に発生した各種の乱の際には治罰の御判御教書でもって大規模な追討令が出されたり
守護国の大幅削減や守護職を宗家から傍流に切り替えが行われる等、幕府主導の強権が多々、見受けられます
当主・満雅が討死した後に幕府寄りの立場にあった北畠一門衆の重鎮・木造氏を引き立てて北畠宗家の力を弱める事をせず
土岐氏や一色氏に割譲された郡は半年もしないうちに北畠宗家へと返還されています
幕府の要職にあった土岐・山名・大内の乱終結後とは対応にかなりの温度差がある事の理由を知りたいのです
(伊勢国司という立場を尊重しての対応なのか当時の伊勢・大和情勢が関係して北畠氏追討を諦めたのか等)
これ等の恩情対応の結果が次期当主・教具を以って嘉吉の乱に加担した血縁関係にある赤松氏の一味を誅殺する事で
幕府への恭順の道を示す姿勢を明確にし、乱の終結から12年後に若年の当主であった教具は国司就任、将軍からの一字拝領等、官職の授与等
室町幕府の要職を任される立場へと順調にステップアップする事となりその後の北畠氏の親幕府路線が続く事となります
南朝の雄の一つでもあった北畠氏と幕府との関わり方が大きく変わったターニングポイントには何か特別な事情があったのか?という点に興味があるのです

487:人間七七四年
21/03/22 01:33:49.79 l4bdJLMH.net
当時の幕府が有力守護たちの合議を軸に動いてて、将軍でも合議で決まったことを反古にできなかった、従わざるを得なかったことが重要なのではないかと
叛乱鎮圧後に幕府内の派閥抗争で幕府方針が変わって赦免されるのはいつものことでした

488:人間七七四年
21/03/22 22:50:06.23 G6gVNyy5.net
そこまで核心を突いたピンポイントの答えは流石にこのスレでも貰えないよ
三重県の郷土資料館の学会員でさえ答えられないかもしれない
おそらく>>468が言ってる事だったり後南朝の残党を刺激しない為に
苛烈な戦後処理は避けたとかありがちな感じの複数の要因でもって
北畠氏は生かされたんだろうと取り敢えず結論付けて納得するほかない

489:人間七七四年
21/03/23 12:09:39.18 BmTiHutd.net
敵対した奴は許すべきでない、殲滅しよう、と考えるのは中世にはレアケースで、戦国時代ごろから増えてくる発想
滅ぼすのはコストが高いので、戦費の不足する中世にはたいてい避けられた

490:人間七七四年
21/03/23 21:34:29.07 mryxaud6.net
古い時代からの名族で室町幕府や鎌倉府主導で滅ぼされたと言えば小山氏とか後の結城氏とか


491: まさか鎌倉公方が暴走して相手を滅亡まで追い込むとは周囲も思ってはいなかったようで まさか、やっちゃったよ…オイ…😓みたいな雰囲気になったw 結局、元の支配層を望む声が高まって支流の血縁者を立てて復活させるけど まあ確かに北畠に対する幕府からの措置は他の家に比べてちょっと甘目ではあるね 時期的には大塔合戦で信濃国が揺らいでた頃か



492:人間七七四年
21/03/24 13:22:25.10 dbQdT8G+.net
他にも仁木、細川、畠山、吉良の嫡流が追討を受けるなりして相次いで没落してるしなんかあったんだろうとは思う

493:人間七七四年
21/03/24 14:58:15.91 0ytyTjY3.net
似たようなことが続いていた、からといって、根拠なしに
「方針としてそういうものがあった」と考えるのは危険

494:人間七七四年
21/03/24 23:58:28.48 nEgJ+jPK.net
そう考えるのは危険とかいちいちいらん事は書かんでええねん
おもんないやつやわホンマ

495:人間七七四年
21/03/25 00:43:16.06 Ef2X2fmA.net
ある大名を滅ぼしたいと思っても、実際に軍をもってるのは幕府ではなく大名たちなので、
討伐に賛同する大名が多数派となるようにうまく説得できないと討伐できないのが普通
特に京都の幕府は関与する大名が多くて世論誘導が難しく、滅亡まで追い詰めるのは困難だったんではないかな
鎌倉府は関与する大名の人数が少ないので、むしろやりやすかったから、いくつかの大名の滅亡までいったのかも

496:人間七七四年
21/03/25 22:57:52.43 6n6Xfnc8.net
北畠への処分がやや甘いのどうしてって質問に対して
滅亡させないのは当時としては普通の事ってのは答えになってないな。
聞いてる側が北畠が族滅されなかったのどうしてって聞いてるならまだしも

497:人間七七四年
21/03/28 21:56:41.19 FFjVrlgl.net
信長って斯波や今川滅ぼして幕府に怒られなかったんですか?

498:人間七七四年
21/03/28 22:03:13.31 /9pzu89U.net
>>477
滅ぼしてないやろ

499:人間七七四年
21/03/29 09:17:57.12 Q4h841lw.net
三好に京から追い出されてるような幕府に尾張の一大名を怒る余裕なんてないよ

500:人間七七四年
21/03/29 12:08:14.08 AQ04hQcV.net
>>477
斯波の領地3ヶ国のうち、本領ともいえる越前は応仁の乱のときの論功で幕府が朝倉氏に与えちゃってるし、遠江も今川が支配して斯波を追い出したことを追認して今川に守護職を与えた
最後に残った尾張を信長がとったところで幕府がとがめることなどあり得ないし、実際、放置した

501:人間七七四年
21/03/29 12:18:49.20 AQ04hQcV.net
今川を滅ぼしたのは武田と徳川であって信長じゃないな
斯波については、守護代によるクーデタに乗じて信長が対抗上、斯波義銀を傀儡として擁立したのち、何らかの対立があって追放、のちに改名して信長の部下になった模様
追放の際に幕府からとがめられたりはしてないと思われる


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

469日前に更新/260 KB
担当:undef