【疑問】スレ立てるま ..
219:人間七七四年
18/10/14 07:20:30.98 RJQ9ObFd.net
ヨーロッパ・中国の歴史ドラマや戦国時代の日本の歴史ドラマを
見たりするのですが、日本の戦国時代のレベルって世界から見ると相当レベル低くないですか?
根拠とは、
1.日本の戦は食料の心配がない。戦国時代のドラマで食料の心配を聞いたことがない。
中国やヨーロッパでは、城を攻略しないと兵士は補給にありつけないので、食料の心配をよく聞く。
2.日本は戦でもやたら礼儀
220:やしきたりを重んじる。 中国やヨーロッパは、総大将と一兵卒は対等な頭の立ち位置で話しする。 日本は戦いの最中でも頭の高さを気にする。総大将の前では家来は全て姿勢を低くする。 目上の人間よりも頭が高いことは許されないと考えている。 また使者が外交で書状を渡す時の渡し方も日本はまわりくどい。 その他、トップダウンや家臣との合議制、兵器の違いはありますが、 日本も優れている点があるので、 その点は言いませんが、食料と礼節は特に目立ちましたので書かせていただきました。
221:人間七七四年
18/10/14 07:51:06.10 j/O834fZ.net
大遠征と言うほど長距離の遠征が外国と比べて少ない
あくまで日本国内での戦いが多いので食料を入手する方法が多い
朝鮮出兵では兵站に苦しんでいる
他民族と戦う外国の戦いと国内戦の戦いを比べるのはナンセンス
222:人間七七四年
18/10/14 09:46:44.05 R0mbhTEp.net
普通に長期間・大軍を動員していたら兵站の心配が出てくるのは諸記録にある
秀吉の北条征伐だって裏じゃ兵站の維持にかなり綱渡りでギリギリだったと
ドラマで描かれてないだけ
身分については、ヨーロッパは知らんが中国じゃ身分の上下・序列はめちゃくちゃ厳しいぞ
それは指揮権の問題でもあるしね
結論、ドラマというのは視聴者に受けるように演出・描写するもなんで
それをもとに史実・現実のレベルがどうこう言われてもなあ
223:人間七七四年
18/10/14 10:39:51.18 pInL1ptc.net
>>213
応仁の乱1467年推定1200万石〜慶長3年1598年検地帳1850万石
戦国時代はこの間となります。数字は諸説あるので気になるならお調べください
224:人間七七四年
18/10/14 11:10:26.63 EhKEczZC.net
日本の戦国時代を舞台にしたドラマのレベルが低いって話かと思った
225:人間七七四年
18/10/14 11:35:36.79 pInL1ptc.net
>>215
日本の兵糧事情は現地に食糧の手配を済ませてから軍を動かす逆に優れていたものと言えます。
関東遠征を繰り返していた上杉謙信などはイメージと違って輸送路の確保に非常に気を配ってますし
秀吉や徳川の大規模戦もそうですが致命的な兵糧不足に陥らないように労力をかけて準備して戦争しています
ただし好条件な国内あってのものなので朝鮮では苦戦してます。
礼儀に関しては文化的な面が大きいので優劣はなんとも言えないところがありますが
史実では厳格な身分社会のヨーロッパ、回りくどどさに定評がある中国なのですが
映像作品では省かれてることが多いですね。そういう感想になるのもうなずける気もします
ともかく映像作品は演出8割なので真に受けない方が良いかと
226:人間七七四年
18/10/14 11:42:57.76 BgN2Icvl.net
>>215
>中国やヨーロッパは、総大将と一兵卒は対等な頭の立ち位置で話しする。
何を見たのか知らんがそんなわけないだろ。総大将が一兵卒を話して時間を無駄にしてたら
負けるわ。
227:人間七七四年
18/10/17 21:56:20.50 k51LrVJN.net
駿府城の城跡から豊臣期の金箔瓦出土ってニュースが出たけど、
あの金箔瓦は信長が作らせてたやつじゃないのかな?
凹の部分に金箔貼らせるのは信長の特長だよね
228:人間七七四年
18/10/18 04:50:32.51 T5s6h6UX.net
家康が駿府手に入れた時期的に信長関与は可能性低くないか
229:人間七七四年
18/10/18 16:23:18.64 LWdBJ/LS.net
家康が信長に倣って作った金箔瓦と考えるのが妥当でないかい。その後は徳川も豊臣型になるが
230:人間七七四年
2018/
231:10/18(木) 21:10:02.13 ID:4CrARHLz.net
232:人間七七四年
18/11/01 06:37:46.73 g3Q8I6yM.net
日本の戦(いくさ)は世界で通用すると思いますか?
特に他国を攻めるという点においてです。
233:人間七七四年
18/11/01 12:25:53.54 FtjhOfl+.net
唐入りで無理と証明されています。逆に防衛なら世界中どの国が来ても勝てるでしょう。
234:人間七七四年
18/11/02 20:06:57.43 OmETfOOk.net
すいやせん、敵国を占領した時一般論として
もともと住んでいた人(武将や兵士以外)
をどのように扱うのでしょうか?奴隷にするのでしょうか?
例えば敵国に住んでいた商人や農民が持っている年貢減税とかの権利
があったら保護するのでしょうか?何か文献が残ってますか?
235:人間七七四年
18/11/02 23:12:50.16 CzSJgcY6.net
>>228
基本的にはよほど旧領主と結び付きが強くない限り普通に「領民」として扱われる。
旧領主から特権を得ていた場合、ケースバイケースでは有るが、その新領主の征服過程で
よほど反抗していない限りは、そのまま継承される事が多い。(というか占領者側はそれを餌に服従をせまる)
236:人間七七四年
18/11/02 23:43:19.27 FOdRcqmc.net
年貢減税の特権なんかは他の事業で領主に貢献してる事の対価の場合が多いからね
そのまま利用しようとすると同じように特権も認める事になる
237:人間七七四年
18/11/03 00:34:12.16 zZR2lnEt.net
特権といえば保内だっけかな
偽の綸旨を江戸時代まで利用し続けた商人たちがいたっけね
238:人間七七四年
18/11/03 14:04:21.28 9uUitPhO.net
それは納得できないですね
降伏させた国だから好き放題暴れるのが人間じゃないですか?普通
一兵卒までそこまで理性が働くとは考えにくいのではないでしょうか?
「降伏させた国の民の利権はそのままとする、聞かないものは斬に処す」
って読んだことないし
攻め滅ぼして新しい領主になったら新しいことをやりだすもの、
それを既存の民の為そのままにするとはちょっとかんがえづらい
239:人間七七四年
18/11/03 18:25:35.23 y/aNoiQu.net
ああそう
240:人間七七四年
18/11/03 21:41:57.29 zZR2lnEt.net
西上野で信玄が出した制札を無視して寺で乱暴狼藉を働いた連中がおるね
241:人間七七四年
18/11/04 01:10:01.79 M/8CZLxH.net
占領地を滅ぼして自領の領民を連れてきて住まわせるのと
占領地にいる民を手懐けて領民として扱う
後者の方が圧倒的に手間が少ないし時間もかからない
242:人間七七四年
18/11/06 22:22:26.44 AUM9BXhw.net
彼岸島じゃあるまいし人間は成人状態で生えてくるわけじゃないから既存の領民を有効活用した方が効率的やで
因みに彼岸島ですら真面目に考察するときゅうけちゅき共があんなにやりたい放題だと人間居なくなるって言われてる
つまりそういう事だよ
243:人間七七四年
18/11/06 23:40:23.35 y02XLioY.net
そもそも税収に関わるから雑な扱いは出来ない
扱いが悪いと百姓は逃散するからな
国衆同士の争いや一揆の火種になる可能性もある
244:人間七七四年
18/11/11 11:09:45.72 WF+PNqIw.net
そういえば、関ケ原の戦後処分で大名の改易や減封は決まったが、
そこにいる民は旧支配者のやり方をそのまま維持だったの?
税収に関わるから雑な扱いは出来ない んだろ?
245:人間七七四年
18/11/11 15:44:14.95 /29CDnt7.net
>>238
日本に限らない話だけど支配者にとって民はちゃんと税を取れればそれでいい。
旧支配者に恩義を感じていて言うことを聞かないとかならお仕置きせねばならんが
言うことを聞くならそのままだろう。
246:人間七七四年
18/11/11 15:53:09.38 /29CDnt7.net
ただし土佐藩の郷士みたいな例もある。庶民じゃないけど長宗我部家の家来だった者を
山内一豊は自分の家臣より格下の郷士にして差別した。
247:人間七七四年
18/11/11 16:08:47.46 ldUNo1GI.net
>>240
差別した→長宗我部侍で幕末土佐藩の首相吉田東洋
248:人間七七四年
18/11/11 16:20:07.58 SwxjrGYu.net
郷士は郷士やもん。武士にしろってのが無理筋。
山内に仕官できた元々武士階級の者は長宗我部家臣でも普通に上士やってる
249:人間七七四年
18/11/11 16:28:14.95 ldUNo1GI.net
そもそも土佐で郷士階層は振興ブルジョアが身分上昇のため株を購入した例が多く(竜馬の坂本家のように)、
上士よりも経済的に恵まれた層が多かった。
250:人間七七四年
18/11/11 16:32:14.64 /29CDnt7.net
吉田東洋の先祖は長宗我部家臣だったけど上士なんだ。知らなかった。
251:人間七七四年
18/11/12 22:17:04.05 WF6gN686.net
スレリンク(sengoku板)
このスレで女性説主張してるやつは頭おかしいんですかね?
252:人間七七四年
18/11/13 01:49:42.75 Xn8gkxKk.net
見てないけど間違いなくおかしいですね
253:人間七七四年
18/11/19 12:28:55.91 PhxCUfMX.net
石川家成 天文3年(1534年)生まれ 母は家康の生母於大の方の妹
於大の方 享禄元年(1528年)生まれ
あれ?
254:人間七七四年
18/11/19 17:03:24.13 gN2GPSZh.net
まれによくある
255:人間七七四年
18/12/10 17:23:49.09 E6b6SaOY.net
>>171
これって織田信秀の烏帽子親(もしくは後見人)が平手政秀で、偏諱を受けた可能性もあるのでは?
256:人間七七四年
18/12/12 06:44:58.27 MPgR+q3Z.net
山形の紅花栽培のように儲かってた作物って何がありますか?
257:人間七七四年
18/12/12 09:42:14.20 K1RmuX+S.net
越後の青苧、三河の木綿、飛騨信濃の木材、とか
258:人間七七四年
19/01/22 23:19:48.30 79LXxNjK.net
すいやせん、三国志でよくある嘲りの策って戦国で使われておりましたか?
具体的にいうと城からうって出てこない城兵を嘲っておびき出すとか
嘲って伏兵を置いて殲滅する作戦とかですけどどうなんでしょう?
259:人間七七四年
19/01/23 01:07:43.76 JVLmNIA7.net
>>252
大河ドラマ「武田信玄」で橋爪功演じる真田幸隆が砦にこもる敵兵に向かって兵たちに罵しらせるのは
見たけどね。ドラマだけど。多分それは普通に行われていてそれくらいのことで怒って出てくる馬鹿はいないと
思われる。微妙に違うかもしれんが武田信玄の三方ヶ原の戦いはどうだろう。コ川領に攻め入った時に
家康のこもる浜松城をわざとスルーして西に向かうと見せかけて、無視されたと怒った家康が追撃すると
信玄は三方ヶ原に陣を敷いて待っていた。大負けして死にかけた家康は恐怖のあまり脱糞したと言われている。
砦に籠もって出てこない時に少数の兵を囮にして釣り出すのはよ
260:ュあるけどね。
261:人間七七四年
19/01/25 05:32:33.93 ry5zlMKx.net
三方ヶ原の戦いは信玄が袋小路に入ったから家康が勝機とうってでたのでは?
3万 vs 1万ではスルーされても怒らないでしょ。
武士の面目を重んじるから一戦もせずに素通りはまずいとは思ったのかもしれないけど
262:人間七七四年
19/01/25 22:07:15.73 CuuQHrqz.net
徳川vs武田というと、鳥居強右衛門の史実があったな
降伏を勧めろと言って捕まえてた強右衛門を出したら、もうすぐ徳川殿が味方を連れてくるから耐えて待てていうアレ
あれ見ると、やはり城の外から声をかけるのは有効だったのかなって
どうでもいいけど、新城市が強右衛門まみれ(裸磔)なのはどうにかならぬのかなって
確かにすごい漢なのは分かるんだけど、強右衛門本人は恥ずかしいんじゃないのかなって
263:人間七七四年
19/02/02 10:30:40.65 L4Y/buDe.net
大石 内蔵助は戦国武将(特に軍事面)として十分通用しますか?
150人はいた警備体制で47人で討ち入りし、1人も死なせなかったのはすごいです。
討ち入りが用意周到すぎるので、城攻め名人の秀吉から重宝されそうな気がします。
264:人間七七四年
19/02/15 21:12:43.88 Me81GBZ3.net
そいや赤穂は5万石しかないのに塩があるから良いわと言っていたな
石高というのは米ベースでしょ
塩も含めたら実質石高ってもっとあったんだろうな
戦国時代でそういう名産地も含めた実質石高表ってあるのかな?上杉の越後は水産資源と金山を含めると70万石から200万石は行くんじゃね?
だから会津120万石へ行ったのは実質減封処置
265:人間七七四年
19/02/16 23:35:52.89 RFAM8eJX.net
小早川金吾の筑前59万石→岡山55万石も減封なのかどうなのか。実質減封なんだろね。
博多権益を含めれば100万石行ってた可能性あるし。京都に近くなっても半減は痛い。
266:人間七七四年
19/02/17 15:42:56.53 C1JfwroE.net
筑前時代は36万石くらいじゃないの?
267:人間七七四年
19/02/19 13:09:11.29 GDlG+IUx.net
そやね
268:人間七七四年
19/02/22 15:39:10.11 qcCvo4dh.net
ふと疑問に思ったのですが、戦国時代に詳しい人は
例えば、桶狭間の戦いがあった年のヨーロッパの情勢とかのも詳しいのでしょうか?
それとも、あくまで日本の戦国時代に特化した方々ばかりなんでしょうか?
269:人間七七四年
19/02/22 15:45:44.99 daDU+3tH.net
特化
270:人間七七四年
19/02/22 20:55:19.18 e1Wjc5dD.net
歴史は起承転結的に流れで理解するものだから同じ時代のヨーロッパ事情とか理解してるのは相当レベルの高い人だけだよ。
271:人間七七四年
19/02/23 08:45:14.88 E8l5GCro.net
俺が時々考えるのが日本の戦が世界で通用するかという点かな
外国の受け入りで戦に勝ってきたところが大きいから
やっぱり世界では通用しないのではと思っている
272:人間七七四年
19/02/23 08:50:39.04 E8l5GCro.net
でさ、やたら上下関係も厳しいし、礼節も重んじるし、しぐさが回りくどいし
特に、関ケ原で島津が傍観の姿勢をとったのは
石田の家臣の無礼な馬上の物言いが原因だったと言われているから唖然とするわな
元寇でもみられたが、当時の戦国武士は合理的に物事を考える思考がかけている
世界で通用する武将は政宗か信長くらいか
273:人間七七四年
19/02/23 15:05:36.48 nJt/dRHu.net
八十島助左衛門か
274:人間七七四年
19/02/25 21:02:42.01 A0XYEIIQ.net
そうは言っても、島津だってやる気まんまんで石田側に着いたんではなくて
流れでイヤイヤでしょ。
この状況で無礼なことされたら普通怒るわ。
275:人間七七四年
201
276:9/02/26(火) 12:27:17.25 ID:heOkZAlv.net
277:人間七七四年
19/02/26 18:39:57.92 JQBgtYjO.net
せっかくズロースが入ってきたのに普及しなかったのは蒸れるからかな?
278:人間七七四年
19/03/02 22:34:58.87 oFRAnAgq.net
白木屋だっけ?
デパートの火災まではノーパンがデフォだった
279:人間七七四年
19/03/03 08:14:18.99 25ns6yBd.net
ワコールの調べだと秀吉への献上品にパンティがあったらしいね
淀姫が穿いたのか、はたまた秀吉が自身で穿いたのか
280:人間七七四年
19/03/03 16:13:11.52 AVCo3BkM.net
そもそもなぜパンティを持ってきてたのか?
秀吉が要請したのだろうか?
使用中の物を献上したのだろうか?
281:人間七七四年
19/03/04 07:57:00.79 F4ITDOgH.net
>>271
なぜ履いたと思う?
被ったかもしれないぞ
282:人間七七四年
19/03/11 05:00:39.63 Bx77sX17.net
16世紀 ヨーロッパ 下着で検索したらちょうちんブルマが多いな
でも紐パンが城壁から出てきたってのもあるな
やっぱいつの時代の男も小さい下着を着せようとするわな
283:人間七七四年
19/03/12 08:00:36.71 M0McnpNo.net
>>274
むしろ鎧など上に履く物が多い男の方が下着が小さかったのかも
284:人間七七四年
19/03/31 21:29:19.92 z6p8potj.net
ドラマ三国志で曹操が1万の敵を倒すには8000の犠牲が必要だといっておりましたが、
この理論は戦国に通用しますか?
285:人間七七四年
19/04/01 02:04:53.36 VCZJcyRf.net
しません
286:人間七七四年
19/04/04 06:28:53.90 WcqCcjp0.net
しません、ってやってもいないのによく言えるよな
でもさ、同じ強さで同じ武器の10000人と10000人が平地で激突したら
相手を全滅させて勝った方は生き残るのは何人かといえば
曹操のいう2000人説はありうる。
287:人間七七四年
19/04/04 09:26:55.62 d/6aBWHj.net
ありません
288:人間七七四年
19/04/06 21:16:52.02 nxKr7XZy.net
すいやせん、薙刀はなぜ戦国で使われなくなったのでしょうか?また
鎌倉や室町の武士は馬に乗り弓を装備していましたが、
馬に乗る弓を装備していた武士も戦国では見なくなりましたがそれもなぜでしょうか?
289:人間七七四年
19/04/07 09:58:02.13 8udTJEnT.net
鎌倉から室町そして戦国時代の大きな戦闘様式の変化に軍の大規模化、集団化、歩戦化などがあります。
集団戦を行うようになったので薙刀や太刀などの振り回す系の武器は使いづらく突く槍や短い打ち刀がメインになり
開けた所でどちらかに矢が当たるまで撃ち合いながらぐるぐる回る巴戦などもなくなり騎兵は突撃専門兵科になりました
ただしまったく廃れたわけではなくまれに史料には出てきます
290:人間七七四年
19/04/08 17:29:05.72 AGuBiDgA.net
軍の大規模化、集団化、歩戦化って古代中国でも定番だろ
薙刀・大斧・ぐるぐる回りながらの騎乗騎射は主流だったぞ
291:人間七七四年
19/04/08 17:48:43.11 kfbrpRwr.net
日本は城郭の発達で、合戦とはほ城攻めと後巻に限定される状況になったからなあ。
軍団同士の衝突と言うのがレアケース
292:人間七七四年
19/04/08 19:17:11.66 oKKjxgP2.net
>>282
古代中国には薙刀・大斧はありません。
293:人間七七四年
19/04/08 21:39:54.00 PwKV/Drb.net
中国で斧って歩兵の武器で対騎兵用なんだよね
馬の脚をぶったぎる
294:人間七七四年
19/04/11 18:28:27.05 FOoZjfCo.net
価値のある馬をわざわざ殺すかね?
日本の斬馬刀も、馬を斬る目的で使用とかよく言われてるけど
馬すら斬れるor馬ごと斬れる、っていう意味だと思うんだけどな。
295:人間七七四年
19/04/11 21:37:07.43 MS+QbDcP.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
斬馬刀(ざんばとう:中国語: 斬馬刀、満州語:sacimri loho)とは、中国で用いられていた長柄武器、
もしくはその名で通称された大型の刀剣である。
また、近年では創作物の影響で日本刀の一種である「大太刀」がこれと混同される事が多い(後述)。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
基本的には歩兵の武器ではなく、騎馬武者の用いるもので、馬上から馬の走る勢いで斬る武器である。
そのため、実用にあたってはあまり振り回す必要はない。しかし腕力を誇る武士が馬に乗らない白兵戦で
使用する場合もあった。
現代においては大太刀は敵将を馬ごと斬ることができる代物とし、フィクションにおける表現では馬の胴体
または首部と騎乗の武士を一緒に斬る豪快なイメージを描くが、実際にはそのような使い方はなく、長い
リーチを生かして馬と騎乗の武士からの攻撃を避けつつ、騎者を落馬させるか、足を狙って馬をつぶす
ことが主であった。
296:人間七七四年
19/04/21 12:49:45.90 P24qtXFs.net
伊達や毛利や島津や武田とかドラマ見てきたけど全国の戦国大名とか兵士とかがほとんど同じ武具を装備したり戦い方をしていたというのも変じゃない?
鉄砲の伝来があったにせよ
中には全然違う装備であってもおかしくはない
例えば薙刀や斧が主流の戦い方やパルティアのように軽装軽馬による一撃離脱射撃が得意な戦法をもつ大名が1人や2人いてもおかしくない
絶対的にこの戦い方がベストですと
全ての大名に強制するのは無理がありすぎる
297:人間七七四年
19/04/21 20:29:31.46 LSFeRrL7.net
?
298:人間七七四年
19/04/22 18:23:42.74 02/hGHTS.net
いや、全員が全員同じ装備で同じ戦い方はおかしいと・・・
299:人間七七四年
19/04/22 19:20:17.05 LRMSMUK7.net
地域や大名家で微妙には違いましたよ。ただ狭い島国なので異文化並の違いはさすがにありませんが
300:人間七七四年
19/05/13 20:36:42.20 ws85VvZV.net
足利尊氏って九州から京へ攻め上るときに50万の兵力を行軍させたそうですが、
50万ってすごくないですか?戦国時代でこれ以上の行軍はありましたでしょうか?
大谷と三成でも小田原征伐の22万がせいぜいなのに
301:人間七七四年
19/05/14 00:57:22.06 jN/k64nF.net
実数は十分の一以下とお考え下さい
302:人間七七四年
19/05/14 14:41:51.02 vhl1HzAx.net
頼朝は28万の兵力で奥州藤原氏を攻めたから
当時の未開の地への派兵ではこの方がもっとすごい
303:人間七七四年
19/05/16 16:05:48.58 8AryJtGp.net
wikipediaの改易のページで再封って言葉が出てくるんでが現代では無い言葉のよう
304:ナす どういった意味なんでしょうか?
305:人間七七四年
19/05/16 16:18:41.57 bsV9mrKX.net
>>295
漢字の読み通りだよ。
306:人間七七四年
19/05/16 17:19:18.93 ZVLOyVcm.net
封は封建の封で領地を与えるということ。与える領地を封土ともいう。
一度改易した者に再び領地を与えるのが再封。
307:人間七七四年
19/05/16 19:52:57.11 8AryJtGp.net
>>296
わかんねえです
>>297
なるほどありがとう
308:人間七七四年
19/06/06 08:09:09.48 ukPbZgrU.net
武将や公家の名前は訓読みなのに入道したり出家したりすると音読みの名前になるのはなぜ?
309:人間七七四年
19/06/06 10:11:45.44 Z73LzRSh.net
簡単に言えば仏教は中国から入ってきたから
310:人間七七四年
19/06/30 20:04:27.68 bz5Zd1Ep.net
どうしても思い出せないので質問します
暗殺をしようと押し入り、闇の中一緒に行った家臣に間違えて首を切られて重体になった武将って誰でしたっけ?
311:人間七七四年
19/09/28 22:28:54.93 Ly2OKQwj.net
後北条家並の大大名が、早い段階から秀吉に臣従して、全力で媚び売りまくってたら減封とか転封とかされずに済んだのかな?
312:人間七七四年
19/09/28 22:45:23.81 /dBt70ov.net
>>302
毛利並みに早ければ。
313:人間七七四年
19/09/28 22:48:05.44 h/ZK5U/h.net
毛利も国境画定がこじれにこじれたのと、賤ヶ岳の時柴田勝家に通じていたのがバレて秀吉との再戦寸前まで行ってるんだよなあ。
314:人間七七四年
19/09/29 00:33:13.13 myGBEk1N.net
他の所のように北条兄弟で分割くらいはされるだろうけどガチで臣従してれば生き残れただろうな
315:人間七七四年
19/09/29 00:49:39.12 PxRmyyuc.net
北条は善政敷いてたみたいだし、本当に悲しくなる。
何であんなことになってもたんや……。
まあ、そんな北条を滅ぼせる人間だからこそ、天下統一なんて無茶苦茶な事業を達成出来たんだろうな。
316:人間七七四年
19/09/29 00:51:02.22 PxRmyyuc.net
島津も数年早く九州を統一してたら、交渉の余地があったんだろうか?
やっぱり難癖つけて減封?
317:人間七七四年
19/09/29 05:09:03.24 HmNxU1jw.net
統一を急ぐよりもいち早く誼みを通じることが肝要。
318:人間七七四年
19/09/29 13:41:04.59 YUANVrYG.net
>>265
中世ヨーロッパの騎士達も似たようなもの
で世界でも通用するといった人物はヨーロッパでも日本でも少数でしょう
319:人間七七四年
19/09/29 15:25:23.16 2Epa1ffa.net
武将の呼び方について質問です
武将を呼ぶときは仮名だったり官位で呼ぶのが一般的だったそうですが、梅雪や有楽斎みたいな出家した人に対してはどのように呼んでいたのでしょうか
320:人間七七四年
19/10/04 01:56:05.21 KFX9Th4E.net
>>308
北条は信長時代はうまくやろうとしてたよね
321:人間七七四年
19/10/04 02:37:05.09 YX5u5dct.net
>>310
出家しても法印とか官位のある場合はその官名。そうでなければ基本的には法名(出家名)。
また家中では出家して隠居の場合は大殿、あるいは御隠居様など別の呼び方もある。
322:人間七七四年
19/10/04 17:55:32.99 4TVnhn3e.net
>>312
なるほど
返答ありがとうございます
323:人間七七四年
19/10/05 07:50:43.08 zlRsmrn1.net
出家と入道でその辺りの扱いの差とかあるんだっけ?
324:人間七七四年
19/10/06 13:35:43.32 rJ2Vkq9L.net
>>309 常識に考えて、単一民族の日本と多民族の中国・ヨーロッパだったら
後者が世界に通用するやり方を行ってもおかしくない
元寇でもわかっているだろう
名乗り上げて一騎打ちのつもりが、名乗り上げている最中に殺された鎌倉武士がいかほどか
325:人間七七四年
19/10/06 14:08:01.41 Vlq0gav0.net
元寇警察に連行されるぞ
326:人間七七四年
19/10/06 19:36:57.35 pYD2yDr2.net
多民族でやってれば世界に通用するやり方ってのも無いけどなあ
どうせ石炭使えないくらいの時代なら世界が広すぎて結局破綻するし
327:
19/10/13 23:32:58 4rCX2gPq.net
唐入りもそうだけど明治以降に大陸に築いた日本の要塞は堅城なんだよな
328:人間七七四年
19/11/12 19:06:39.05 zLq3tmrN.net
漫画センゴクで伊勢(北条)は関東では他国から来たよそ者と描かれていたんですが
西国の武家もルーツは東国の場合が多いですがこっちは問題なかったんですか
329:人間七七四年
19/11/15 08:16:48 XA13qr5/.net
田舎は閉鎖的だからね
330:人間七七四年
19/11/15 08:21:31 MBAxU0HP.net
つか西国の主な領主はほぼ全員東国出身だ。「西遷御家人」で調べろ。
ほぼ全員そうなのだからよそ者扱いされるわけがない
331:人間七七四年
19/11/15 10:48:48.03 CUcKWUyH.net
伊勢北条って桓武平氏にしろ中臣伊勢にしろ西国やん?
てか地縁がなければよそから来たんだしよそ者でいいんじゃないの?
332:人間七七四年
19/11/16 10:20:23 ARLz0MZj.net
他国から来たよそ者だから交渉しないみたいな馬鹿対応されなきゃどうでも良いよな
333:人間七七四年
19/11/16 11:23:38 +a1MHxru.net
関東においてはよそ者扱いしてた奴等も最初はよそ者だからな。
源平なら祖先は100%よそ者として関東に来てる。
334:人間七七四年
19/11/16 11:23:38 +a1MHxru.net
関東においてはよそ者扱いしてた奴等も最初はよそ者だからな。
源平なら祖先は100%よそ者として関東に来てる。
335:人間七七四年
19/11/16 13:08:49 /IW6fcKj.net
人類はアフリカで生まれた
つまりみんな余所者
336:人間七七四年
19/11/16 13:34:49 FpsjfDm0.net
そうなんだよな 白人もアジア人も先祖は黒人
科学的に証明されてる アダムもイヴも黒人
337:人間七七四年
19/11/17 22:12:17 7zDErUD+.net
龍造寺・大内・宇喜多あたりは東国武者系じゃない地生えじゃないの?
338:人間七七四年
19/11/17 22:47:23 IDlizdln.net
東国も宇都宮や佐竹のような古い土着の勢力もいれば西国から来た古河公方や堀越公方もいる
ぶっちゃけ実力が全ての戦国時代において家祖はそこまで重要ではない
339:人間七七四年
19/11/18 05:03:44 0I//baC4.net
戦国時代の史料としてよく挙げられる「おあむ物語」の信憑性ってどんなものなんでしょ?
内容に矛盾や裏付けの取れない記述が多くて偽書説もあるなんて話もよく聞きますが
340:人間七七四年
19/11/18 19:17:16 99jKQ5Rh.net
100年後に成立した物だからあてにはなんないよね
341:人間七七四年
19/11/25 12:26:46 RZKQiZrL.net
伊達綱宗以外で
武家(大名でも旗本でも)が
遊郭で働く女を身請けした(しようとした)
エピソードってありますか?
要は太夫みたいな職種から
武家の側室とか妾になった人の資料か
もしくはそうさせようとした武家側の資料ってないのでしょうか?
342:人間七七四年
19/11/25 12:42:25 CD6upPl9.net
>>332
芸州浅野の5代藩主浅野吉長は吉原の遊女二人を身請けして愛妾にしようとしたら、正室節姫が
抗議のために切腹して死んでしまった。驚いた吉長は愛妾二人を遠ざけ、幕府へは急病死と届けて
改易を免れた。
節姫は加賀藩主の娘だ
343:サうだが女性なのに切腹というのが珍しい。姉さん女房で気も強くて嫡男も 産んだから吉長は側室を持つことも許されなかったと言う。四十を過ぎてそろそろ良いんじゃないと 思ったらこんなことになってしまって辛いところだ。
344:人間七七四年
19/11/25 12:52:41 RZKQiZrL.net
>>333
ありがとう!
345:人間七七四年
19/11/30 22:54:27 WfvxKT1c.net
お由羅騒動について調べてるのですが
何故家慶は茶器を送るという手段で斉興に隠居を勧めたのでしょうか
将軍なんだから堂々と隠居を命じる事も出来そうですが
346:人間七七四年
19/11/30 23:27:54 f6sI2SvR.net
ここ戦国板だぞ
347:人間七七四年
19/12/05 07:14:03.71 g5whVjEM.net
ひょんなことから家のルーツに関心が湧き、一家を挙げて昔のことを調べたことがあった。
そしたら室町末期から戦国期にかけて盗賊で財を成した家系だと判明し、家族全員、何とも言えない気分になったもんさ
348:人間七七四年
19/12/05 07:17:56.31 0N8R+1fU.net
それが本当に判明したなら中世社会史における大変な発見なので地元の教育委員会
もしくは大学の史学科に報告する事をお勧めする
349:人間七七四年
19/12/14 08:05:04 C7j94LjK.net
wikiに載っていたんですが、誰か分からなくなったので質問です。
戦国時代に活躍して、確か出奔などした人物です。
江戸時代になり、参勤交代などで静岡県あたりにとある大名?が通り、
声をかけたら上様?等の話になり、身なりからみれば当然知るはずのない話だったので
もしやと年配の配下に聞いたら、彼は〇〇じゃないか?となった。
多分、徳川配下の武士だったと思いますが、ご存知の方いますか?
350:人間七七四年
19/12/14 14:12:18.05 MglHX6hY.net
天野康景か松平(徳川)信康かな
351:人間七七四年
19/12/15 07:53:02 3eDueQbZ.net
>>340
ありがとう
352:人間七七四年
19/12/18 13:37:16 abvFpM+W.net
常備軍のない時代なのにどうして大内政弘・義興親子は長期間領土から離れた京都で暴れまわることができたの?
353:人間七七四年
19/12/21 00:55:23 6OauQq0Y.net
甲陽軍鑑に、史実と異なる内容が一定の割合で記載されているのは何が要因なのかな?
成立時期から考えると、横田尹松とか、初鹿野昌次とか、旧武田家臣、それもそこそこの身分の人間が生きていたのに。
354:人間七七四年
19/12/21 01:13:55 1c6R1sst.net
>>343
冒頭で春日虎綱自身が言ってんじゃん「記憶違いも有る」って。何を読んでいるんだお前は
355:人間七七四年
19/12/21 15:28:28 a8iTDO+y.net
>>342
武士は専業軍人だから
356:人間七七四年
19/12/21 17:14:57 Kj7/HKCV.net
>>343
日記を付けてたわけでもない高坂弾正の昔語りなんだから記憶違いがあるのは当然だろう。
俺だって履歴書書くのに苦労してるぞ。
357:人間七七四年
20/01/27 19:15:43.76 HHl5ESLX.net
東北地方のマタギなどの狩猟民が、熊などの大物狩りに銃を使うようになったのって
大体いつ頃からですか?
最近読んだ歴史小説が、九戸政実の乱を扱ったものだったのですが、
その中に火縄銃で熊狩りをする猟師のグループが出てきて、ちょっと疑問に思ったので・・・
358:人間七七四年
20/01/27 19:24:34.06 evGfP5sX.net
マタギはわからんが、日本において鉄砲は武士よりも猟師の方に先
359:に広まったという説は有る
360:人間七七四年
20/01/27 22:18:43 gebDCx1Y.net
URLリンク(i.imgur.com)
361:人間七七四年
20/01/27 22:36:45 HHl5ESLX.net
>>348
ありがとうございます。そんな説もあるんですね
362:人間七七四年
20/01/27 23:33:31.97 D8p31t3/.net
北信愛が鉄砲隊を率いてクーデターを起こしたり、南部晴政率いる手勢に襲撃された
南部信直が鉄砲で晴政を撃退したとあるように鉄砲そのものはかなり早い時期に東北まで伝わっていた模様
363:人間七七四年
20/01/28 00:56:57.47 br8dgvzl.net
>>351
ありがとうございます。あり得なくもない、って感じなんですかね
364:人間七七四年
20/02/06 03:10:43 RjJ9tOG4.net
その鉄砲はいわゆる、火縄銃、なのかな。
365:人間七七四年
20/02/06 18:52:13 ArCv6vdm.net
年代的にそうでしょ
366:人間七七四年
20/02/07 19:49:05 hxEcr/65.net
あの家伝はだいじょうぶなの?
367:人間七七四年
20/03/07 10:31:56 pjQ3J6RD.net
14,5年前に本屋で買って読んだ学研の漫画の大坂冬の陣(正式タイトル不明 画像検索してもパッとわからず)で
大坂冬の陣の際に幕府軍の陣中で怪しい兵士が捕まり取り調べたところ豊臣家から藤堂高虎への手紙があり
「この度は前々からの約束通り大御所と将軍(家康と秀忠)をおびき寄せてくれてありがとうございます(現代訳)」とあり
徳川陣中で騒ぎになったが家康が「これは豊臣の策略だろう」と動じずに藤堂陣営に引き渡し
漫画では藤堂高虎が怒ってその兵士の指を切り落とし目をつぶしたうえでそこらに解放した というエピソードがありました。
漫画の欄外の脚注で出典元の史料が紹介されていた記憶があるので実際?のエピソードだと思うのですが
ご存じの方いたらお願いします。(ひょっとしたらその史料も江戸以降の軍記物みたいなのかもしれませんが)
368:人間七七四年
20/03/07 15:23:55 sPdE3E6w.net
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
ちょっと前に見たなと思って探したら細部は違うが同様の話があった。
369:人間七七四年
20/03/07 16:53:16.74 pjQ3J6RD.net
たぶんこれですね ありがとうございました
370:人間七七四年
20/03/21 06:24:19.52 NNgI4YWg.net
歴史小説でプロに依頼したキャラの挿絵を記載するのは駄目ですか?
371:人間七七四年
20/03/21 20:25:29 NNgI4YWg.net
歴史小説でプロに依頼したキャラの挿絵を記載するのは駄目ですか?
372:人間七七四年
20/04/08 07:20:31 5rGiDWEM.net
保守
373:人間七七四年
20/04/08 11:58:54.55 IxQnRAmE.net
保守
374:人間七七四年
20/04/15 23:38:47 +Omd5ZUo.net
戦国時代に合戦で用いられた日本の馬の多くはポニーサイズみたいな話がありますが
戦国時代以前や江戸時代に書かれた絵巻物や錦絵なんかを見ても
そこそこ立派な馬体のサイズで書かれたりしていませんか?
やっぱり上級武士などが乗る馬に関しては立派な外国産馬が用いられたとかって事はないでしょうか?
375:人間七七四年
20/04/16 00:08:11 QmZHYKKA.net
そもそもポニーサイズはけっこうデカい。ポニーと聞いてポニーの中でも小さいシェトランドポニーとかのミニポニーを思い浮かべるからちっちぇーと思うだけ。
そしてサラブレッドらの現代馬から見ればたしかに小さいが、歴史的にはチンギスハンのモンゴル騎兵や中世西洋の騎士も日本馬と同様にポニーサイズだから別にちいさ
376:ゥない
377:人間七七四年
20/04/16 20:05:12 5dxY1XS5.net
>>363
肩の高さが147cm以下がポニーの定義ね
つまり自分の胸から肩の辺りに馬の背中があるわけだけど、それを小さいと思うかどうか
現存する日本の在来馬の体高は100-135cmくらいで、鎌倉期前後の出土した馬の遺骸からの推定体高は120から130cmくらいだったかな?
それと宇治拾遺物語や吾妻鏡には140cmを超える馬の記述もあるそうな
続日本紀には新羅からの輸入馬だと思われるけれども150cm(wikiだと五尺五寸(165cm)も国会図書館で確認すると高五尺と記述されてる)の馬が献上されたと記述されてる
378:人間七七四年
20/04/16 22:33:02 EJfKzYkP.net
>>363
源平合戦のひよどり越えの逆落としの時に畠山重忠は愛馬を背負って下りたとされているのにそんなデカいわけないだろう。
379:人間七七四年
20/04/19 12:23:02 PqjNzczU.net
なぜこの板は、極論をぶつけあってケンカしてばかりなんですか?
380:人間七七四年
20/04/22 10:13:49.09 mtJF+Ya4.net
戦国時代の日本人は江戸期に比べればそんなに低くなかった説あったな
江戸期だけ極端に低いとも
381:人間七七四年
20/04/22 12:09:30 mtJF+Ya4.net
秀頼はかなり体格が良く、太平楽という大型の馬に乗っていたらしく
大坂城の発掘調査でも比較的大きな馬の骨が出た
皆ポニーサイズの馬に乗っていたわけでなく、体格に適した馬に乗っていたが正解だろう
人間にも体格の差があるのと同じく、動物全般にも勿論体格の差があるんだから
382:人間七七四年
20/04/22 16:05:50 BbcKP5hn.net
>>369
その大きな馬が秀頼が乗ってた馬
というのはどうしてわかるの?
383:人間七七四年
20/05/02 06:14:40 aGDi3HJ8.net
愛知には名古屋城 岐阜には岐阜城という具合にとても有名な城がありますけど
三重県ってなにか有名なお城ありますか?
384:人間七七四年
20/05/02 10:42:21 Bg+v4bst.net
大河内城とか
385:人間七七四年
20/05/02 11:00:01 aGDi3HJ8.net
ありがとうございました
386:人間七七四年
20/05/02 13:00:00 Bg+v4bst.net
あと伊賀上野城や伊勢亀山城や津城とか巨城は無いがそこそこ有名な城は多い
387:人間七七四年
20/05/20 06:18:55 seoSzvaD.net
つかぬ質問いいでしょうか
「木綿の育成に干鰯を肥料として用いると良い」という知識があるかと思います
それに関して、以下2つの疑問があります
Q1 : 本当に干鰯は木綿に効果的なのか
調べる限り、木綿はそこまで肥料を必要とせず、むしろ与えすぎはダメという内容を見かける
では干鰯は何の意味があるのか
或いは肥料が必要でないのは現代に限る話なのか
Q2 : この知識はいつ形成されたのか
簡単に調べた限り、日本以外で綿花に魚肥を用いた記録は、明・朝鮮等でも見かけられなかった
しかし日本では木綿育成の初期(1500+α年頃)から鰯との関係が見られる
この知識がいつ形成されたか示唆する研究等はないか
あまり戦国時代ぽくなくて申し訳ない
388:人間七七四年
20/05/20 12:36:39 c+8gMEjA.net
低栄養下でも生育する植物に植え付け前に入れる原肥として肥料三大元素のひとつの窒素成分を与えすぎると
幹や葉っぱばかりもりもり伸びて肝心の花がなかなかつかない「徒長」ちゅう現象が起こる
与えすぎはダメというのはこれの事だと思うが、原肥程々で花や実が付いてから追肥マシマシにすることで回避できる
現代でも
389:使われる魚粉肥料は有機肥料の中では即効性に優れるのでよく追肥に使われるから同じように追肥に使ったんじゃないかな また低栄養下でも生育するといっても木綿は商品作物なのでコストをかければ品質が良くなり競争力が出るので金肥使うのは別におかしくない と家庭菜園が趣味の素人考えだとこうなった
390:人間七七四年
20/05/20 15:24:57 leh1OEDm.net
ググっていて8年前の2012年度第9回都市環境デザインセミナーでの講演内容に近代の綿作のことが語られてるのを見つけた
その中で、天保4年に書かれた大蔵永常の“綿圃要務”という書物が綿栽培の手引き書と書かれているから、それを読み込めば何かわかるかもね
391:人間七七四年
20/05/20 15:55:28 seoSzvaD.net
>>376
色々勉強になります
参考にして調べた所、6月中旬と7月中旬頃に追肥をすると良い、みたいな記述を見つけれました
即効性よりは緩効性的な記述もあり、まだ分からない所はありますが、
理解が進みました、ありがとうございます
>>377
調べて読んでみたいと思います
ありがとうございます
392:人間七七四年
20/06/18 12:06:31 7j7vS2oW.net
ムガル、オスマン、ロシア、イングランド、フランスといった戦国時代と同時期の大国は、
日本についてどういう認識だったの?
逆に戦国大名はそれらの国に対してどの程度の知識があったの?
393:人間七七四年
20/07/12 12:20:09 agw7Jx5P.net
戦国時代は戦争の孤児をどう扱ったのでしょうか?
何か文献残ってますか?
394:人間七七四年
20/07/12 12:42:18 sltLXVWR.net
東南アジア日本人町は正に棄民だろう
395:人間七七四年
20/07/12 21:36:07 YuCCG5t1.net
>>380
親戚が面倒見た
396:人間七七四年
20/07/25 16:42:17 5gno886p.net
関ヶ原の戦い後、なんで毛利はごっそり所領削られたのに、島津は本領安堵だったんですか?
397:人間七七四年
20/07/25 16:59:32 +Vd4E3Uo.net
毛利は腰砕けになっていたのに対して島津は僻地にあり、しかも戦う姿勢を見せていた。そうだよカムランさん、気合いの問題なんだよ
398:人間七七四年
20/07/25 21:42:37 TknqDfWf.net
島津本国は義弘からの援軍要請も輝元からの参加要請もガン無視の完全中立でもっといえば消極的東軍ともいえるわけでそりゃ安堵で何もおかしくない。
さらにどうでもいい僻地だし
399:人間七七四年
20/07/26 13:58:37.03 XgI7k4Zi.net
最近の説だと義弘は積極的西軍じゃなかった?
400:人間七七四年
20/07/26 14:10:36.12 MjolL4On.net
島津兵庫入道惟新は、兄(義久)、息子(忠恒)との家中実権を巡る三者三すくみの争いの中にあり、西軍に積極的に参加して勝利することで、家中の発言力回復を狙っていたというのが近時の説である。
401:人間七七四年
20/07/26 14:42:17 oK4JzHbX.net
義弘を当主に含めるのは幕末になってからのことで、実際は義久から忠恒に直接引き継がれてる
戦後島津が特におとがめなしだったのも、仮に最初から積極的に西軍に加担してたとしても部下の暴走で片付けられたからで、もし義弘が実際に当主になっていれば減封か改易は免れてなかっただろうよ
義弘は、義久が九州征伐以降も秀吉に反抗的で本来なら処分されるところを当時取次を務めていた三成に救われてるし、それもあって西軍についたんじゃねーの
402:人間七七四年
20/07/26 14:46:42 RiqSza9s.net
というか名実ともに総大将だった毛利が減封で
403:済んでいることのほうが凄いんだよ 吉川の行動も輝元の命令だろうしね
404:人間七七四年
20/07/26 16:41:16.33 rGq0G5kv.net
関ヶ原から戦後にかけての毛利・島津の外交・お家事情について詳しい書籍ないですかね?
みなさん、よくご存知なので自分も勉強したいです。
405:人間七七四年
20/07/26 17:05:15 MjolL4On.net
それだったら、光成準治「関ヶ原前夜 - 西軍大名たちの戦い」をお薦めする。古文書を基礎に綿密な考証をしており、しかも現代誤訳を付しているから古文が苦手でも大丈夫。値段も高くない
406:人間七七四年
20/07/26 18:57:15 ueEoO8sv.net
それまじ名著。一冊だけ進めるならそれになるな
407:人間七七四年
20/07/26 19:20:32 ueEoO8sv.net
あとは「島津義弘の賭け」山本博文とかもおススメ。
大名としての島津家のしょぼさが分かり幻想を打ち砕くのちょうどいい
408:人間七七四年
20/07/29 13:46:07 D/tYIpMV.net
毛利について詳しく知りたい場合は光成準治氏の『毛利輝元:西国の儀任せ置かるの由候』がいいな。
最初の段階では「毛利輝元再評価」を意気込んでる感じだが、最後の方に成ると輝元に色々うんざりしている感があっていい
409:人間七七四年
20/08/01 05:03:19.01 +wT0vNMwI
東美濃の岩村城城代?のおつやの方は何で裏切ったのか判らん
城の明け渡しなり逃亡なり碌に交渉しないで敵武将と婚姻し子供を引き渡すとか・・・
ノブの面目を思いっ切り潰してるんだけど
410:人間七七四年
20/08/03 22:30:46 vfjIZ3qb.net
兵農分離て自衛隊は米軍式で出来たけど帝国陸軍なんか農民徴兵して集めただけで。
農家するもの居なくなって食料にも事欠く始末だろ、
411:人間七七四年
20/08/04 02:19:52 Uy3KwZat.net
そもそも武士と農民は最初から分離している。「農兵」なんてごく特殊な場合以外存在しない。農民への賦役は輸送などの非戦闘員としてのもので、兵士として徴収されては居ない
412:人間七七四年
20/08/04 11:28:55 kzof4qOy.net
半分軍役で払って半分年貢で払う軍役衆ってのもいるけどな
413:人間七七四年
20/08/04 22:18:58 eUZR6RyC.net
軍役衆って侍やん
414:人間七七四年
20/08/05 12:57:17 xTFyCXSv.net
すいやせん
外国の歴史ドラマ見てますが捕虜の処遇に困り殺すことが結構あるようですが
戦国は捕虜はどうしたのでしょうか?
奴隷として売るだけでしょうか?
415:人間七七四年
20/08/06 18:26:17.82 7rFSjoH8.net
戦国時代にパイズリってあったんでしょうか?
416:人間七七四年
20/08/06 18:50:07.26 R/RiIQk5.net
人類がおっぱいを性的アイコンと見るように成るのは近代に入ってから。アメリカ発祥とされる
417:人間七七四年
20/08/18 07:53:15 fkfzO/MH.net
戦国に切捨て御免ってあったんですか?
418:人間七七四年
20/08/18 19:55:07 NhHxzQDx.net
戦国でいう手討なのでそりゃもう普通にありましたよ
419:人間七七四年
20/08/22 22:49:11.15 WvgiGa8L.net
ほう、切捨て御免は江戸時代で御定書で認められた無礼に対する武士の殺人特権だが、
江戸時代に比べて士農工商の区分が薄い戦国では誰が誰を斬り捨てて捨ていい特権
になっていたとでも?占領軍の略奪を妨害して斬られるのは斬り捨て御免にはならんぞ
420:人間七七四年
20/08/23 00:39:21 cj6DY8oA.net
>>405
> 江戸時代に比べて士農工商の区分が薄い戦国では
先ずこの辺をもう一回
421:ラ強し直してから出直せ
422:人間七七四年
20/08/23 09:18:21 tShJDVxP.net
>>406
出直す必要はないけど?
無礼に対する武士or某階級の殺人の特権が認められていたソースを出してもらえれば
済む話だと思うけど?
で、どこの勢力でどういう決まりで認められてたの?
423:人間七七四年
20/08/23 21:51:43 Ta4/Y8ew.net
茶坊主切った信長とか?
424:人間七七四年
20/08/23 23:35:44.08 cj6DY8oA.net
>>407
身分差の事を指摘してるのに解ってないのか。
425:人間七七四年
20/08/25 10:22:02.94 MDENfraY.net
>>409
質問している文面を読めないのか。
まあわからんのだからしょうがないか。
426:人間七七四年
20/09/01 01:13:41 fD2F5Wr4.net
細川藤孝夫人の麝香ってえらく洒落た名前だと思うんですけど本名なんですか?
それとも後世に付けられた愛称?
427:人間七七四年
20/09/02 19:38:40 oSaBCihY.net
毛利が尼子義久を拉致・軟禁したのはなぜですか
わりと他に類例がない珍しい処置ですよね
428:人間七七四年
20/09/22 23:55:39.23 75Kf9Rtn.net
1万越えるような大軍は大きな川をどうやって渡ってたんだ?
大量に船用意してたのか?
429:人間七七四年
20/09/23 12:13:16.10 BWWDYY4m.net
舟橋を作るの
430:人間七七四年
20/09/23 13:51:45.17 n0G2KhL0.net
そりゃ銀英伝の主張(ヤンやユリアンの主張)が
上手く行ってる専制政治よりも、上手く行ってない民主政治のほうがマシ
だもの
431:人間七七四年
20/09/24 09:34:41.06 mX0GhiAu.net
>>412
尼子旧臣の懐柔のため。尼子旧臣の地侍にお金配ったり毛利の懐柔策はちょっと特殊ですね。効果的ではなかったですが
432:人間七七四年
20/10/03 17:45:19.53 lx1AslBB.net
馬に乗って弓を持った武士がいてそこまで危険がないところまで戻ってきた場合ずっと手に弓を持ってるのは辛いと思うんですけどこういう場合、弓を引っ掛けるところとかあったんですか?
433:人間七七四年
20/10/03 17:57:14.64 u85emsHQ.net
鞍に付ける弓を入れる袋(筒)がありますし
中間という戦場まで付いてくる雑用係が居るので預けたりもします。
434:人間七七四年
20/10/20 11:58:03.89 U2TZ2PYr.net
武田信玄の駿河侵攻の大義名分ってなんですか?
435:人間七七四年
20/10/20 12:05:58.41 k32NA8p8.net
秀吉が上杉謙信の墓の前で「所詮、田舎大名よ」と言ったらしいですが(本当かどうかは知りません)
自分は武田信玄も所詮、田舎大名だと思います
生涯働きに働いて、一体何カ国を切り取りましたか?
436:人間七七四年
20/12/29 13:01:22.34 YLgUm1mo.net
側室の産んだ長男が、正室の産んだ次男を差し置いて
家督を継ぐことはありますか?
信長の三男は織田家の序列が叔父さんより下の4番目扱いだったと聞いたのですが
母の出自が卑しいとそこまで酷い扱いになるのでしょうか
蛇足ですが
うちの近くに織田有楽斎の長男の陣屋がありましたが
側室の子だから分家にされて、子なしで断然してます
437:人間七七四年
20/12/29 13:16:45.00 YLgUm1mo.net
伊達政宗の長男が分家になったのは庶子なのが理由ではなく
大坂城に差し出された人質で豊臣と近かったから、と書いてた本がありました
豊臣の世が続けばこの長男が本家の後継ぎの可能性あったのでしょうか
438:人間七七四年
20/12/29 16:00:16.86 uFdEBDpF.net
>>421
>母の出自が卑しいとそこまで酷い扱いになるのでしょうか
wikipediaによると毛利元就の扱いはこんな感じ
439:。 「元就の正室の子である毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の3人の兄達が元就から大切にされたのに対して、 元清を始めとする側室の子達は、父から「虫けらなるような子どもたち」と表現されている。しかし粗略に扱われた わけではなく、「もしこのなかでかしこく成人するものがあったならば、隆元・元春・隆景は哀れんで、いずれの遠境 などにでもおいてほしい」とも依頼している。一方で「たいては、まぬけで無力なものだろうから、その時はどのように されてもかまわない」とも述べており、そこには正室の子と側室の子を明確に分ける元就の配慮が読み取れる」
440:人間七七四年
20/12/29 20:34:44.19 sqZwx04j.net
まるで顔も体格も似ていない秀頼が秀吉の子ではないって説は聞いたことあるけど、
鶴丸にも似たような説ありますか?
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