【疑問】スレ立てるま ..
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2:人間七七四年
17/10/27 17:08:51.22 QpXq+nj/.net
スレ立てされてなかったから作っておいたぞ

3:人間七七四年
17/10/27 19:23:53.25 r/c90Omw.net
建て乙です
1540年代で近畿の大阪湾(淀川口)で存在してた城は石山本願寺(後の大阪城)と他に
有岡(伊丹?)城(こっちは1540に存在してた?)と他に何がありましたでしょうか?

4:人間七七四年
17/10/27 20:07:10.85 DIIqD2Av.net
石山の北の方にあった三好政長の居城の榎並城とか

5:人間七七四年
17/10/27 21:11:46.08 dB2dOnH1.net
中嶋城大和田城野田城とか。
大物城はまだ使われてたんだろか

6:人間七七四年
17/10/27 22:03:55.62 XO8adSHP.net
信玄「わしの死を3年隠せ・・・」
間者「信長様!情報によると信玄は死んだようです!」
信長「よし!京都に攻め込むぞ!」
明智「信長も信忠も討ち取ったぞ!さあ共に天下を取ろう!」
細川「首も無いのに何を寝言を・・・」
この差は一体

7:人間七七四年
17/10/27 23:32:16.67 WNcKPeGt.net
>>6
信玄が死ななくても畿内制圧は続けるし謀反が成功してても明智につく気はないというだけ

8:人間七七四年
17/10/29 19:18:21.23 QDw1WMNk.net
1399年頃の応仁以前の勢力図みたいなのが知りたいです。
どこかありませんでしょうか?

9:人間七七四年
17/10/29 19:24:14.62 MSMyOJiu.net
守護大名で画像検索すればいいんでね

10:人間七七四年
17/10/29 20:31:31.38 aPVwBR68.net
室町期の守護大名って結構変遷あるしなあ

11:人間七七四年
17/10/30 12:39:13.09 ldhymq2m.net
歴史小説などを読んでると「人質として嫁ぐ」という表現が出て来ますが
実家と嫁ぎ先が敵対したせいで夫(婚家の人間)に殺されてしまった女性って存在するんでしょうか?
そういう場合は離縁→実家に送り返されるケースがほとんどだと思うのですが
それって果たして人質と言えるの?と疑問に思ったので

12:人間七七四年
17/10/30 17:09:50.07 bLek+8Zh.net
人質と婚姻は明確に違います。両方を兼ねることはありません。

13:人間七七四年
17/10/30 17:13:58.34 bVEVxMsI.net
>>11
「人質みたいなもの」を「人質」と勘違いした描写だねえ

14:人間七七四年
17/10/30 23:24:19.62 r44q4EZr.net
>>12-13
回答有難うございます、やっぱりそうですよね
「実家と戦争になったら私は磔にされますね」みたいなことを言い出す奥方が結構いて
困惑することが多かったのですが安心しました

15:人間七七四年
17/11/06 23:08:42.94 5Igiv7pw.net
合戦の様子が描かれている絵巻?は誰かがその様子を見て描いたもので信憑性のあるものなのですか?聞き伝えで描かれたとかで実際はちょっと違うかったよ、とかあるものなのでしょうか?

16:人間七七四年
17/11/06 23:10:46.02 6Wo1xBuA.net
>>15
その絵巻の成立年によって違う。近い時代の成立ならその分史料姓は高くなるし、遠いと風俗自体異なる場合がある

17:人間七七四年
17/11/06 23:16:09.21 5Igiv7pw.net
>>16
絵巻の成立年!目から鱗でした、そういった背景もあるのですね。ありがとうございます!すっきりしました。また色々調べてみます!

18:人間七七四年
17/11/13 23:29:02.62 K8PANJtm.net
木曽義昌と小山田茂誠
主君裏切って織田家に投降した点では同じなのに雲泥の差なのは何故でしょうか

19:人間七七四年
17/11/14 02:04:34.80 WsnkXE3I.net
小山田信茂じゃなくてか?

20:人間七七四年
17/11/14 08:41:47.37 Z6ps89XY.net
そら事前にちゃんと交渉して条件を合わせたうえで降伏するのと同じにはできんでしょ

21:人間七七四年
17/11/15 21:51:05.59 k4njbTpz.net
戦国時代って大名みたいな大物が正室や側室の部屋に行くときに、取り次ぎとかあったんですか?
行きたいときに勝手に行けると思ってたんですが、取り次ぎの描写がある本があったので

22:人間七七四年
17/11/15 22:01:29.72 scjGhQ2v.net
あったでしょ。大奥みたいなかっちししたもんじゃないだろうけど
とりあえず現代でも急に来られると女性は困るもんだしな

23:人間七七四年
17/11/15 23:58:31.01 k4njbTpz.net
そういえばそうですね
生活が別になってたら、生活リズムも違うだろうし

24:人間七七四年
17/11/18 23:22:12.65 qQEMq9do.net
側室の子供って戦場で戦う必要あるの?
どれだけ命懸けで武勲建てた所で正室の子供が生きてる限り当主になれないのに
逆に言えば正室の子供なら武勲立てなくても当主になれるわけで
それこそ三歳で当主になった三法師とか

25:人間七七四年
17/11/19 00:55:14.12 0R1jYGQn.net
社長になれなければ働く意味ない。って言ってるようなもんやね

26:人間七七四年
17/11/19 03:07:13.45 QWzYBk25.net
臣下から主君になった鍋島氏の例もあるからのう

27:人間七七四年
17/11/21 02:59:43.20 pgrtRQ/e.net
>>24
信忠は公式には正室を持っていないとされているので
三法師は側室腹の庶子
ただ、松姫生母説準拠ならある意味嫡子になるけど

28:人間七七四年
17/11/21 07:27:24.32 DaOjCMHF.net
"生母"じゃなくて"正室"の間違いじゃろ?

29:人間七七四年
17/11/26 14:29:05.09 bCcquCce.net
佐久間親子失脚後の軍団を引き継いだ光秀って
謀反考えちゃうぐらい自陣兵力増えたの?
それとも軍団引き継がなくても謀反出来た?

30:人間七七四年
17/11/29 21:07:29.81 2TiT9Qhq.net
信長って伊勢長島で大量虐殺とかしてるけど、
他の大名は大量虐殺してないの?

31:人間七七四年
17/11/30 00:40:08.51 cLkI/M1p.net
有名なところはたいてい一回は撫で斬りしてるかな

32:人間七七四年
17/11/30 11:57:07.11 6Cb/8M+i.net
他もしているけど信長ほどの回数と規模でやったのはまあ
これ以上となると秀吉くらいじゃね

33:人間七七四年
17/11/30 21:18:41.59 eyYhdK1U.net
えっ、秀吉もなの?
朝鮮とか?

34:人間七七四年
17/12/03 09:03:33.31 EH7nwkuj.net
豊臣秀吉の朝鮮出兵について
・諸大名はいやいや参加した
・むしろ功を得る為に積極的に参加した(もしくは秀吉に出兵を促した)
のどちらが正しいとされているのでしょうか?
ネットの記事などで
「大名たちは秀吉の命令だからいやいや参加した とされているが実際は積極的だったとされる」
みたいな記述を最近目にするのですが、どのページも後半について根拠出典がないので気になっています。
これについて当時の史料などあるのでしょうか?

35:人間七七四年
17/12/03 18:31:08.93 oaLfCx1Z.net
どっちも居た。

36:人間七七四年
17/12/03 19:19:27.34 EH7nwkuj.net
その史料は例えばどういったものでしょうか?

37:人間七七四年
17/12/05 12:03:54.39 o1cUdOyX.net
守護大名ってよく家臣とか戦国大名に傀儡にされてるイメージなんだけどなんで追放されたり滅ぼされたりしないの?
周りからそれを理由に攻められるから?

38:人間七七四年
17/12/05 13:32:37.56 5f0DB9RH.net
支配の正当性にできるから
昨日まで同僚だったヤツがいきなり主君になるとか実力主義でもなかなか受け入れられん
だけど「主君の命令でお前の上司になった」ならなんとか折り合いもつけられる
もちろんそういう建前が必要ないと思えば追放もする
斎藤道三は主君土岐頼芸を追放したが国人の反発にあって再び受け入れることになった
時期尚早だったわけだ
後に信長は守護斯波氏を擁立して尾張を征服したが、用済みになった斯波氏は追放
しかし尾張国内にこのことで反信長の動きはなかった

39:人間七七四年
17/12/08 00:14:18.89 hP745pmo.net
なぜ島津は宇喜多秀家を匿うという危険極まりない事をしたのですか
自家が追求をかわすだけでも厳しい状況なのに

40:人間七七四年
17/12/08 01:09:52.68 ARQG7h+l.net
身もふたもない言い方をすれば当時の島津は今後の方針をめぐって派閥争い全開で収拾がつかず
方針が定まらないゆえ秀家の身柄も棚上げされたまま時が過ぎて結果的に匿った形になっただけという

41:人間七七四年
17/12/09 10:44:33.61 SuvafBkJ.net
合戦中の本陣の警備はどうなってるの?

42:人間七七四年
17/12/12 09:56:50.39 WM+2TnnG.net
戦国時代の
堺の町 尾張国の津島の町の人口が知りたいです
1540年代と1550あたりです
どうかよろしくお願いします。

43:人間七七四年
17/12/17 21:06:37.20 GbSuawNi.net
この頃の手紙って、普通は漢字ばっかで女性に出す場合が
かなメインなの?
かなと漢字まじりの手紙もあるよね?

44:人間七七四年
17/12/17 21:21:28.51 sgPd+I3e.net
公文書は漢文だけどそれ以外は仮名交じりじゃないかな。

45:人間七七四年
17/12/17 22:46:31.38 GbSuawNi.net
そうなんだ
漢文が公式なんだね

46:人間七七四年
17/12/20 13:11:50.36 0hM16wN6.net
城作るのってどれ位金かかるんだろ?
勿論、規模にもよるし大阪城や江戸城、安土城みたいな巨城じゃないので・・・
現代人の感覚だとさっぱりわからない。

47:人間七七四年
17/12/20 22:13:04.42 LwV/j/Am.net
>>46
真田昌幸が上田合戦で徳川の攻撃を防いだ上田城を築く時に、国人領主の真田だけでは
資金が足りなくて「上杉の南下を防ぐため」と称して徳川から資金援助を受けた。

48:人間七七四年
17/12/21 09:35:19.35 o3r3NeXw.net
>>46
城つくりなら公共事業の一つで賦役ですね
基本、労役だからタダだったはずです(労働で払う税?ってイメージ)
武士から商人に依頼して
人夫を集めた場合なら短期〜長期で50文〜500文だったとか

49:人間七七四年
17/12/21 10:41:06.78 r9OMuO1H.net
>>48
労役だったんですか?そうだったのか・・・
ありがとうございます。

50:人間七七四年
17/12/21 21:53:26.56 JJ6l4xH1.net
信長って目に見えないものは信じない系だったけど、
そしたら墓参りもしなかったの?

51:人間七七四年
17/12/21 22:49:35.25 OAt/RP1H.net
>>50
そもそも目に見えないものは信じない系だったわけではない

52:人間七七四年
17/12/22 21:44:24.61 EW0n3pyy.net
じゃあお墓参りは行ったの?

53:人間七七四年
17/12/22 22:04:53.10 ELLfysoX.net
平手の爺やの菩提を弔うため政秀寺を作ってるし墓参りくらいはしたんじゃないの

54:人間七七四年
17/12/22 22:34:51.03 GRKSb7m8.net
>>52
歴史武将は記述ってものが少ないし、信長に関しては
信長公記を始め一次資料はあってもやはり少ない。
墓参りに行ったかどうかまでは記述が無い。

55:人間七七四年
17/12/23 08:17:03.74 y5fKeTcR.net
本能寺の変くらいの時点の公家で一番序列が上な人と一番発言力が大きかった人は誰ですか?

56:人間七七四年
17/12/23 13:48:37.14 7ud2rn42.net
関白の近衛前久

57:人間七七四年
17/12/26 16:02:27.69 y84tS9Lt.net
石山合戦で本願寺が立ち退いた後、信長はその跡地を何に使ったんですか?
伽藍とかみんななくなりましたよね
本当は寺町ごと使うつもりだったんでしょ?

58:人間七七四年
17/12/26 16:17:25.55 h6Peu/7Q.net
使う予定が本願寺退去直後に放火で全焼で放置

59:人間七七四年
17/12/26 21:34:53.78 y84tS9Lt.net
>>58
早い回答ありがとうございます
放置!もったいない
場所としては交易にもってこいの所だったらしいのに

60:人間七七四年
17/12/27 09:39:10.43 D5umT9um.net
佐久間信盛「俺のせいに…なるの?」

61:人間七七四年
18/02/11 22:16:05.29 0zpy2yAHU
映画とかで剣さばきのすごい殺陣で人を倒していくシーンをみるけどアレは演出じゃなくて
戦国時代とかでも実際にああいった感じで戦ったりしてたのでしょうか。だとすればすごい技術じゃ
ないですか?日本人の戦闘能力は高かったってことですよね?

62:人間七七四年
18/02/14 01:56:09.66 4KZk5bt+.net
当たり前のように広まってる信長(織田一族)美形説の根拠って何なんでしょう?
信長公記に弟の秀孝が美男だったという記述がありますが
それ以外にも信長やその血族の容貌を褒める記録があったりするんでしょうか

63:人間七七四年
18/02/14 05:40:35.43 ShRScBrH.net
>>62
お市の方の容姿は色々記述あるな。浅井長政も同盟するなら嫁にくれって言ったし。
秀吉も側室にしようと画策してたろ?お市の娘も美人が揃ってる。後は信長の娘で
蒲生氏郷に嫁いだ冬姫だっけか?美人だったらしいぞ。秀吉が蒲生死んだ後に狙った事でも知れる。

64:人間七七四年
18/02/14 10:14:49.99 5XmhZdWY.net
それが「美人だから」なのか「大勢力に帰属するための手駒」として必要だったのかは
一次資料からはほとんどわからんけどな

65:人間七七四年
18/02/14 10:24:45.01 wQVmlPDV.net
文禄・慶長の役に西日本の弱兵を派兵したのはどうして?
精強な東日本の兵なら違った結果になったはず

66:人間七七四年
18/02/14 11:19:26.61 NVUC46zM.net
>>62
信憑性のある史料じゃ秀孝くらいだね
>>65
地理的に朝鮮に近い順から出兵だったから

67:人間七七四年
18/02/14 14:12:44.76 wQVmlPDV.net
>>66
ありがとう
防人みたいに東日本から集めればよかったのにな

68:人間七七四年
18/02/14 17:06:22.54 Tzt0DPU/.net
まず西日本の兵が弱兵って思ったのはなんで?
普通に東武士の方が糞田舎侍なんだけど

69:人間七七四年
18/02/14 17:38:38.89 0Tj/FGBb.net
田舎武者の方が凶暴に決まってるだろ。

70:人間七七四年
18/02/14 18:04:59.62 NVUC46zM.net
薩摩強兵がビビる坂東武者やでな。まぁ朝鮮征伐失敗はそういうレベルの失敗じゃないけど

71:人間七七四年
18/02/14 19:17:04.64 AjGW+LvI.net
そもそも近世の中頃くらいまで、九州兵は弱兵だと考えられていたらしい。九州征伐でもボロ負けしてたしな

72:人間七七四年
18/02/14 20:54:52.89 0Tj/FGBb.net
平安時代の九州は13歳の鎮西八郎源為朝に平定されたからなぁ。その少し前に為朝の長兄源義朝は
関東に下り鎌倉などに地盤を築くとともに坂東仕込みの荒っぽいやり方を身につけて上洛し保元の乱で
都人を震え上がらせるのだった。

73:人間七七四年
18/02/14 21:43:47.41 4KZk5bt+.net
>>63>>64>>66
ありがとうございます
やっぱり秀孝のこと以外はないんですね

74:人間七七四年
18/02/14 23:56:42.24 Tzt0DPU/.net
>>71
誰が考えてたの?もしかしてお前か?
北条征伐で坂東武士もぼろ負けしとるやないか

75:人間七七四年
18/02/16 00:19:04.44 LJ10BERv.net
兵質は知らんけど装備で言ったら当時はもう南蛮交易のせいで
西高東低じゃなかったのかね
東国での火縄の普及はだいぶ遅れていたし購入ルートも限られるから
揃えるのが大変。
そもそも九州〜朝鮮でも兵站維持が困難だったのに
わざわざ東北から九州まで兵を大動員したら兵站構築と兵糧消費が半端なくなる
近いとこから兵を出すのは当たり前の話だろ

76:人間七七四年
18/02/16 03:44:39.11 zMC4TykR.net
>>71
九州兵は強いぞ?豊臣の九州征伐で島津が惨敗したのはちゃんと原因がある。
島津は6万の兵を動員したらしいが、当然その6万の大半は薩摩兵ではなく占領した国の兵だ。
島津に恨みこそあれ命がけで戦おうなんて兵は居ないからだ。
彼らにしてみれば豊臣軍は解放軍にも見えただろう。

77:人間七七四年
18/02/16 03:51:28.58 zMC4TykR.net
本土兵で強いと言えば、やはり武田の甲州兵と上杉の越後兵だろう。
彼等の強さは田舎だからというより、信玄や謙信に絶対の信頼を置き
尚且つ自分らの勇猛さに自信があったからだろう。
天下を制した織田兵が強かったかと言うと、美濃兵は強かったようだが
他はそうでもない。戦慣れは他の追従を許さなかっただろうがね。
あと鉄砲の数が多かった。
天下取るのに兵の強さは必須ではないっつー事だな。

78:人間七七四年
18/02/17 01:37:37.58 wUYlxRrV.net
この時代の人って、歯磨きどうしてたんですか?
虫歯だらけ?

79:人間七七四年
18/02/17 01:53:29.29 fP2qLxrl.net
上流階級はお歯黒の殺菌作用で虫歯無し
下々は歯磨き用の楊枝

80:人間七七四年
18/02/17 03:33:23.19 KxQ+intV.net
>>78
塩で歯茎こするんだよ

81:人間七七四年
18/02/17 21:17:29.68 wUYlxRrV.net
>>79-80
マジすか!
お歯黒そんな効能あったんだ
塩で歯磨きは今でもやる人いますよね
昔のやり方が今でも残ってるんだなぁ

82:人間七七四年
18/02/17 22:36:17.68 8WJEkUyL.net
塩磨きは結構昔からの演出で時代劇等でも見るから
割とポピュラーだったんじゃ?
まあ、塩を毎日使える身分ならって話なんだろうけど

83:人間七七四年
18/02/18 23:51:50.58 TMA5GkUF.net
塩も貴重ですもんね
やっぱ庶民はほとんど楊枝なのかな
虫歯できたら抜くしかないのか…

84:人間七七四年
18/02/20 12:13:10.59 F6oBtoag.net
URLリンク(www.fukagawa.or.jp)
「歯を磨く」という文化は結構昔からあったらしい。
ただ塩を用いるなどして広く一般に普及してみんながやりはじめたのは江戸期らしいよ

85:人間七七四年
18/02/20 12:15:28.68 F6oBtoag.net
ついでに質問。前も聞いたんだけど
波多野や赤井みたいな丹波国人専門のスレってある?
ないなら立てて情報を集めたいんだがスレ立て規制で立てれないんだ
誰か「【波多野秀治】丹波国人について語ろう【赤井直正】」みたいな
スレ立ててくれない?
似たような該当スレがあるならいいんだけどさ、見当たらないから

86:人間七七四年
18/02/20 16:05:07.46 FSzv0a1a.net
無いなら立てれば。前も言ったけど

87:人間七七四年
18/02/20 21:04:43.04 F6oBtoag.net
スレ立て規制中なんだってばよ

88:人間七七四年
18/02/20 21:12:27.63 xQqDZoyM.net
テンプレ作ってくれ

89:人間七七四年
18/02/21 15:47:03.64 qXImg5BK.net
【波多野秀治】丹波国人について語ろう【赤井直正】
丹波国の大名・国人・城郭・歴史など
戦国時代の丹波国について総合的に語るスレです
↑こんな感じでお願い

90:人間七七四年
18/02/21 17:21:17.84 /bzqzgOz.net
>>89
【波多野秀治】丹波国人について語ろう【赤井直正】
スレリンク(sengoku板)
立てたよ。
あとは宜しく。

91:人間七七四年
18/02/22 11:18:55.16 XKQ5AnGS.net
おつ、立てたら軌道に乗るまでネタフリや情報提供しないと廃れるだけやで

92:秘密!!
18/03/01 19:10:37.77 pES3vDgSZ
「秘密」を告白します!!

ネットを使って、みなさんに「真実」を告白します!!
「安倍総理」の正体は・・・「ユダヤのスパイ」なのです!!
「安倍総理」も「小泉元総理」も「竹中平蔵」も
「ユダヤの洗脳」」をうけた「ユダヤのスパイ」です!
「ユダヤ人」たちは、ヨーロッパ・アメリカ・日本を完全に支配するために
「ユダヤのスパイ」を世界中に送り込んでいるのです!)

〇ユダヤの計画
「全人類に数字をつけて、コンピューターで全人類を支配する」
「日本人をユダヤの奴隷(どれい)にする」(労働者ハケン法)
(労働者ハケン法の文章をつくったのはユダヤ人です!!)
「日本人の知的レベルを下げる」(ネットゲーム・SNS)
「サラリーマンに「過重労働」においこみ、自殺者を増やし淘汰する」
「マスコミに「ユダヤのスパイ」を、大量に送り込み、
テレビを使って、国民を洗脳する」(ユダヤを批判しないマスコミ)
「竹中平蔵のような、あやしげな経済学者を世界各国に送り込み、
「経済」をコントロールし、労働者を奴隷化する!!」
「憲法9条を改悪して、日本人とイスラム教徒を戦わせ、殺し合いをさせる」

私は、「自分の言葉」に命をかける!!この言葉は「真実」だ!!!!
今、「安倍総理」は、「サラリーマン」や「労働者」を完全に奴隷化しようと
たくらんでいます!!ユダヤのスパイ」にだまされるな!!
「ユダヤ」 「計画」   「検索」してください!!
                    ユダヤの陰謀を暴露する軍師

93:人間七七四年
18/03/01 22:12:23.43 4Bq3k30d.net
信長って義昭を追放したあと、なんで義昭を幽閉とかしなかったの?
義昭が御内書ばらまいて面倒なことになってたんだから、
幽閉して外と連絡取れないようにすればよかったのに
外聞を気にしたの?

94:人間七七四年
18/03/02 11:21:24.74 lfGG4CRN.net
そう、外聞を気にした。
傍若無人なイメージがあるが実像はかなり世論を気にする為政者やでな信長

95:91
18/03/02 21:32:15.26 A8a9Ei0y.net
やっぱりそうなんだ
ありがとう
こっそり幽閉しちゃえば良かったのに

96:人間七七四年
18/03/02 22:00:14.96 WUVogz6g.net
義昭の息子を後釜にするつもりだったから義昭は要らなかったって説もあったような

97:人間七七四年
18/03/03 22:59:54.96 RLg7MceM.net
そういえば義尋だっけ?
義昭の息子はその後寺に入れられて出家したよね?
人質に取ってすぐに寺に入れちゃったの?

98:人間七七四年
18/03/03 23:20:17.40 3gUQqM5+.net
>>97
すぐじゃねえ。1年位義尋立ててなんとかしようとしてたけど、それじゃどうにもならんって感じで
信長自身が天下人になる方向性に変わる

99:人間七七四年
18/03/04 01:04:50.88 YuR+5SKV.net
>>98
そうだったのか!
将軍の息子を利用しない手はないよね
じゃあ本当は義昭と対立しなければ、二人でやっていくつもりだったとか?
それとも外聞気にして、とりあえず息子を将軍にして置いておくかと思ったかな

100:人間七七四年
18/03/09 05:13:56.09 TCXhu6tZ.net
義尋のwikiに記述あるけど
信長は義尋を義昭の後釜に据えて、名目だけの傀儡として使う用意があり
毛利などにもそう通達している。
実権は与えずとも室町幕府を滅ぼした、という事実ができると
(歴史の教科書ではそう教えるけど「事実上」であって信長は足利幕府を消そうとはしていない)
反信長勢力に「幕府を滅ぼした逆賊」って名目を与えてしまうわけで
あくまで義昭個人を追放しただけで、その息子に幕府の座は与えるって建前を使いたかったんでしょ
ただ義尋が10歳の頃に信長は本能寺で死んじゃって
その辺うやむやになっただけ

101:人間七七四年
18/03/09 05:14:40.95 TCXhu6tZ.net
秀吉と三法師の関係性みたいなもんだよ

102:人間七七四年
18/03/10 04:34:49.08 eqcGFcpH.net
江戸幕府でも足利氏直系は割と特別扱いやね、喜連川藩とか。

103:人間七七四年
18/03/12 00:15:28.73 hT8N8Tg8.net
>>100
>毛利などにもそう通達している。
それは知らなかった
その辺気を遣いまくりだね
信長が死んだあとに義尋や義昭は将軍に戻れなかったんだね
秀吉が関白になったから?

104:人間七七四年
18/03/16 00:23:35.72 FbHVCt1k.net
安土桃山時代において、公家は一つの連合としてまとまって動いていたのでしょうか?それとも、各自やりたいようにやっていたのでしょうか?

105:人間七七四年
18/03/16 00:36:29.40 rTzswePX.net
朝廷自体が困窮でそれどころでなく、
年間200ほどあった宮廷行事を一説にはなんと5つに減らして開店休業状態
仕事の無くなった公家はそれぞれ日本中を金策に奔走しててまとまるだの動くだの以前の問題

106:人間七七四年
18/03/16 14:10:00.35 1zkZqmdS.net
武田の国力が大内義興に勝るってまじですか?

107:人間七七四年
18/03/17 00:22:22.93 T32ftBbt.net
>>103
義尋は信長死後に出家しちゃった(させられたの方が適切か)し
義昭も秀吉が関白になった頃はもう老境だし
後を次ぐ人物がいなかったから義昭の死をもってして
名実ともに室町は滅んだとするべき。本来は。
>>106
どっちも最盛期と衰退期で版図が違うからいつの時代を言ってるのかによる

108:人間七七四年
18/03/17 23:41:38.47 Td3hWhUq.net
>>102
いやいや傍流の傍流もいいところの喜連川を遇して
義栄系義昭系が冷遇受けているから真逆
継嗣がなかった義昭系はともかく義栄系なんて嫡流なのに明治になっても酷い扱いだぞ

109:人間七七四年
18/03/18 00:03:23.05 4WKc0lBa.net
>>108
三好に担がれ、没落して逼塞したあとは蜂須賀に冷遇されたんだっけか?
で、挙げ句には紀州家を頼ろうとしたけど失敗
維新後には藩籍が無いので士分としても認められずに平民に
義輝の遺児とされてる系統(尾池)はいまも続いているのかな?

110:人間七七四年
18/04/04 23:49:51.56 5w3My9ho.net
戦国時代の日本語はある程度共通だったのでしょうか?
光秀が信長に雇われたのは、軍師よりも通訳だと聞いたことがありますが
各地で意思疎通で難しかったような文献が残ったりしてますか?
日本語がバラバラで敵国の密書が読めないこともあったのではないですか?

111:人間七七四年
18/04/05 10:01:23.78 A4gP44Ju.net
方言は意思疎通が難しいレベルでしたが、
候文といわれる書き言葉は同一だったのでそれで意思疎通出来ていたと言われています。

112:人間七七四年
18/04/05 11:36:20.17 iaHuYmpe.net
幕末でも漢文を使って筆談したなんて話があるな

113:人間七七四年
18/04/05 22:32:33.65 fWgA+gNG.net
>>111 - 110
有難うございます

114:人間七七四年
18/04/05 23:09:28.26 43mPnejP.net
>>112
幕末には、少なくとも中級以上の武士は江戸弁を共通語にしてた

115:人間七七四年
18/04/06 01:11:38.55 XL1t2vfc.net
藩主は代々江戸生まれ江戸育ち。藩士も数年に一度は江戸勤務やでな

116:人間七七四年
18/04/06 01:34:32.58 1clq2oIO.net
いわゆる江戸弁は落語で聞くようなベランメェ調の下町言葉で武士は使わない。
そういう時に武士が使うのは謡本の候言葉であるとここに書いてある。
勝海舟はベランメェ調の江戸弁で喋ってたとも書いてあるけど。
URLリンク(www.fukuoka-pu.ac.jp)

117:人間七七四年
18/04/06 08:10:47.97 W54/8fVs.net
秀次が作らせた謡抄は無駄じゃなかったんだな

118:人間七七四年
18/05/13 18:38:54.07 M2xoZlkd.net
河尻秀隆が甲斐国主になった時について
織田政権の中では結構なエリートであり
次世代当主の補佐でもあった河尻さん。
武田滅亡後の甲斐・諏訪という一番統治が難しいとこを
宛てがわれるあたり、かなり信長に買われていた人物だと思うのですが
他の国持ちとか軍団長クラスって
必ず目付とか与力とかって形で織田からの補佐武将と
在地の有力土豪とかが新しく家臣団に入るじゃないですか。
なのに、彼が甲斐に入った際にサポートで織田の誰それが入ったとか
在地の有力な旧武田家臣が支配下に入ったとか
そういう話が全く出てこず、本能寺ではまるで1人で孤軍奮闘して
死んだかのような扱いになってる。
必ず彼と一緒に闘って死んだ織田家臣や、在地土豪
あるいは見捨てて逃げた連中がいるのに全然名前がでてこない
滝川が神流川で戦った際ですら
逃げた連中・共に戦った連中(元々北条支配下だった在地土豪)の動向が
わかるのに河尻さんの場合は何にもない
このあたりについて誰か知りませんか?
甲斐に入った河尻さんに従った人物(織田の与力でも在地土豪でも)
→森長可・毛利長秀←こいつらは厳密には違うでしょ?

119:人間七七四年
18/05/13 20:58:56.18 /cHPqge0.net
軍団長クラスの信忠に付けられた目付とか与力とか滝川河尻森毛利やろ在地土豪は木曾など
(滝川は関東管領代として軍団長クラスに格上げ)
その下の階層の河尻秀隆にも縮小版の似た組織はあっただろうけどマイナーやで郷土史レベルを調べないとわからんやろな

120:人間七七四年
18/05/14 11:00:47.13 nDQ1NgDT.net
森や毛利とは違って
甲斐+諏訪って領地が与力や目付ってレベルじゃないと思うんですけど
甲斐を与えられた時点でもう軍団長候補でしょ?
河尻>森・毛利→在地土豪らって感じで
信忠軍団からはもう独立してる
変後に際し、徳川がまあ歴史書消したんだろうけど
河尻傘下で戦った連中もいれば、逃げたり、土豪一揆側に回ったりって
いろいろあったと思うんだけど滝川の神流川ほど
土豪勢力の動きがなんにもわからないのが不思議だなって

121:人間七七四年
18/05/14 21:26:34.04 +s1JoDqT.net
甲斐って小国やでな。うち河内地方は穴山領やし

122:人間七七四年
18/05/22 15:49:57.47 OF8p2Xxb.net
安土城って安土桃山時代のいつまで存在したんだろう?

123:人間七七四年
18/05/22 16:01:30.33 9QCF/bSV.net
1582年の本能寺の変で焼失。
その後、館が立てられ1584年まで秀信が滞在したが翌1585年廃城

124:人間七七四年
18/05/23 03:18:09.81 EBCCaPbv.net
焼失したのは天守と本丸だけね
秀信は二の丸に滞在してた
1585年に廃城になって近場にできた八幡城に
石垣やらなんやら根こそぎ資材は持って行かれた

125:人間七七四年
18/06/02 20:27:04.85 aE0zfShP.net
話に割り込みすみません。わたくしの湯飲みは「戦国日本地図」→URLリンク(shop.r10s.jp)
というものなのですが、「尾張」の区域内(「伊勢」との境付近)に名称が書いていない区域があります。
この区域の名称は何というのですか?

126:人間七七四年
18/06/02 20:29:56.16 yz


127:+Mal9U.net



128:人間七七四年
18/06/02 22:52:42.71 OeUJnTQH.net
三浦半島が武蔵にあるのだが

129:人間七七四年
18/06/03 19:27:05.73 zvrV0RFT.net
熱田・桑名のショートカット(七里の渡し)っぽいな
というわけで「伊勢湾」か

130:人間七七四年
18/06/04 07:25:17.76 NO6jxq/0.net
大坂冬の陣は豊臣側(又は徳川側)
大坂夏の陣はその逆サイドから参戦したみたいな大名家や武将っていますか?
戦いの途中で寝返って逆側についたみたいなパターンではなく
戦いの間は一貫してどちらか一方の側にのみついて戦ったパターンで教えてください

131:人間七七四年
18/06/04 08:39:53.71 cTaA+7cI.net
増田盛次

132:人間七七四年
18/06/05 08:48:37.82 14ThaQS2.net
>>130
おお…一人ではあるが豊臣恩顧の動きを見せた武将もいたんですね
増田の家は政治能力に長けた人物ばかりなのかと思っていたんですが
こんな気骨のある武将もいたんですね。回答ありがとうございました

133:人間七七四年
18/06/05 19:07:06.55 t47cUGzY.net
この差って何ですか?★1
スレリンク(livetbs板)

134:人間七七四年
18/06/06 10:07:26.00 cN3ebqmU.net
>>129
関ヶ原東軍→大坂の陣西軍(その逆も)
ならいくらでもいるけど
冬の陣と夏の陣で東西変わるってのは
全然見つからんかった
さすがにそこまで行くともうどっちにつくかハッキリしてるからなあ

135:人間七七四年
18/07/01 02:27:05.38 gBkZ5ScR.net
戦国時代に山の尾根に城壁を建てた近代要塞のような城があった記憶があるんですが思い出せません。
確かに北条氏の領国だったような。

136:人間七七四年
18/07/05 19:17:37.06 QZXckiKZ.net
戦国時代って行軍時の備蓄食料や携行食料って
一万人の部隊だったら何を食わせてたの?
行軍時は1日あたりのカロリーは4000キロカロリーは欲しいだろ?そんなに食糧持って行けたり倉庫に保管できてたの?

137:人間七七四年
18/07/05 21:11:57.38 hCaMZ1Aq.net
米食ってた。
10日分ほど小荷駄隊に運搬させて同行させてた。
ゆく先々で商人に兵糧を集めさせて補給
補給路である商道の確保は最優先させてた。

138:人間七七四年
18/07/05 23:19:24.66 QZXckiKZ.net
何万人分もコメ集められたの?
連絡員とかも拠点に残ることもあるし
各宿場町の食糧無くなりそう

139:人間七七四年
18/07/05 23:54:35.78 hCaMZ1Aq.net
小田原や大坂では十万以上が一斉に集まったから一時的な物資難にはなった。

140:人間七七四年
18/07/06 22:14:34.28 qZMhFL8P.net
そこまで規模のでかい合戦は戦国後期の信長末期・秀吉・家康江戸幕府開幕後とかでしょ
その頃になれば街道整備や兵站もそれなりにスムーズになってただろうし
それまではせいぜい集まって数千対数千の戦いで
まれでしょ、そんな大合戦。

141:人間七七四年
18/07/07 00:15:52.31 7bBtdZ6X.net
>>139
川中島は?

142:人間七七四年
18/07/07 04:24:41.05 9LQVHrOB.net
川中島も全て万単位でやってたわけじゃない
1番規模のでかかった4次ですら1万数千同士(当然盛られてる数)でしかない
合戦は全て殿様持ち出しではなく
近隣の土豪や浪人、御家再興組とか手弁当で参加するやつもいるわけで
その兵糧全てを上杉や武田が出してるわけではない

143:人間七七四年
18/07/07 13:13:10.73 7bBtdZ6X.net
>>141
豪族の人達は持ち出して参戦して自領が戦場になって引き分けなら踏んだり蹴ったりだな
戦国時代後半のロジスティックを知りたい
海運と陸運のバランスとか航路とか
荷車の発展とか。
車軸作れる国家は優秀な技術者いると思えるけど
日本は戦国時代に作れてたのかな?

144:人間七七四年
18/07/07 13:36:14.14 j3Rns3Bk.net
車輪は上り坂や悪路じゃ逆に足手まといだから戦国時代には不要
街道整備された江戸時代では運搬能力高すぎて兵員輸送に使われると困るから禁止に

145:人間七七四年
18/07/07 13:53:52.39 7bBtdZ6X.net
何その今の日本に受け継がれてる変な理由で改善案潰す文化は。

146:人間七七四年
18/07/07 21:49:48.52 zp+l6O9g.net
とりあえずここで聞けと言われました
「御陣女郎の雇い方」
「大きな町での兵の雇い方」
「↑の際の武器防具は?」
「西洋の『酒保商人』みたいなのは戦国日本になかったの?」
ちょっとここら辺詳しい人どうか詳しくご教授願いたい。

147:人間七七四年
18/07/07 22:17:32.56 j3Rns3Bk.net
「御陣女郎の雇い方」
勝手に付いてくる
「大きな町での兵の雇い方」
雇わない。陣借りの浪人なら募集したりするが身元請負人が必要
「↑の際の武器防具は?」
浪人は本人持ち
「西洋の『酒保商人』みたいなのは戦国日本になかったの?」
御用商人。彼らのために商道の確保は最優先させてた。

148:人間七七四年
18/07/07 22:26:44.94 bt7h+Hhu.net
家康に仕えた茶屋四郎二郎とか有名だよな。

149:人間七七四年
18/07/08 04:13:41.18 bELb4SvO.net
政商か
利休って家業のほうはどうだったんだろうな

150:人間七七四年
18/08/09 18:37:51.20 +LQmxfX/.net
戦場での寝返りって配下の兵士にはどうやって指示したんですか?
例えば明智光秀の配下の兵士がいきなり大ボスの信長を攻撃しろ!って言われてすぐにはい!わかりました!ってなる?
普通、なんで?って戸惑ってスムーズに進まないと思うんですけど。

151:人間七七四年
18/08/09 19:15:09.13 TkwMRqC4.net
銃剣装着!突撃準備!
>>149「なんで?死ぬじゃん」

152:人間七七四年
18/08/09 19:23:41.18 9xCzd8kr.net
そうですね。関ヶ原の合戦で小早川秀秋が東軍に寝返って大谷吉継の陣に襲いかかると命令した時は
鉄砲頭の松野重元が「そんなこと出来るかっ!」と戦線離脱してます。重元は戦後、忠義者として田中吉政に
召し抱えられました。
でも重臣にはあらかじめ根回ししておくし一般の兵士は命令に従うだけです。従わない者は切るとか言われたら
従うしかありません。松野重元は秀吉子飼いで忠義者だから話さなかったんでしょうね。

153:人間七七四年
18/08/09 20:58:07.39 oyzwFCnt.net
ありがとうございました!
指揮権ある人だけ抑えておけば末端は言われるがまま動くしかないですもんね。
ご丁寧にありがとうございます。すっきりしました。

154:人間七七四年
18/08/10 11:26:54.84 CQFeS8vJ.net
>>152
信長を頂点(社長)として末端の兵士まで家臣(直属の社員)というワンマン経営なわけではなく
光秀は株式会社織田家の京都支社の社長であり
そこの子飼いや、支社の社員はその地盤に根付いた権益や忠義を尽くす理由があるので
必ずしも信長に忠義を示す必要はない
京都支社は独立します、ってなればついていく社員もいれば、離脱する社員もいる
そういった意味で光秀はそれなりのカ


155:潟Xマがあり、ついていく実利もあり 支配してまもない地域の地侍も離反しない人徳があったんやろな 信雄・信孝なんかは支配歴の浅い土豪はみんな離反したわけだから



156:人間七七四年
18/08/11 08:24:38.32 twCtXKYN.net
よく犯罪者が外国に逃げて手も足も出せないことを現在でも聞きますが、
戦国時代は他の国に逃げた犯罪者をどうやって裁いたのでしょうか?
日本本州で国が複数あったのは戦国時代が代表的だと思いますので聞かせて頂きました
人相書きが貼れるのは国内だけですよね?
また野党集団がヒットアンドアウェイで村を襲い、相手国に逃げ込めば
やりたい放題じゃないですか?相手国の大名に討伐を依頼した資料とか残ったりしてますか?

157:人間七七四年
18/08/11 10:11:22.63 DZ3iUKEC.net
基本的には手も足も出ないです。
ただ国境付近の領主は敵方の大名ともお付き合いがあるので国境線跨げば即安全とはいかないと思われます
また当時の村は地侍を中心とした武装集団であり正当な理由があれば犯罪者とっ捕まえて即決裁判で自分たちで処刑できる
自検断権を持っていたので犯罪自体が命がけでありやりたい放題とはいきません。

158:人間七七四年
18/08/11 10:39:43.20 twCtXKYN.net
>>155 なるほど、そもそも論として自力救済を原則禁止している現代とは違いますね
ご回答有難うございました。

159:人間七七四年
18/08/17 22:22:46.70 CDDfoEAY.net
小田原の陣では西国の水軍が多数小田原にまで動員されましたが
戦後彼らはどうやって本拠地に帰ったのでしょうか?
小田原に行くだけなら海流に乗るだけなので難しくはないと思いますが
太平洋の海流に逆らっての帰還は昔の技術力で本当に可能だったのでしょうか?

160:人間七七四年
18/08/17 22:40:11.36 zTq73hK9.net
帆の付いた帆船なので普通に帰れます。

161:人間七七四年
18/08/17 22:48:43.73 RDZJJvMF.net
安宅船みたいな軍艦でも?帆が小さいと思うのですが

162:人間七七四年
18/08/17 22:57:37.36 zTq73hK9.net
十分大きいと思いますが?

163:人間七七四年
18/08/17 23:25:26.83 WmUGpOcn.net
成る程。ありがとうございます

164:人間七七四年
18/08/18 15:03:36.91 +qgvTZe0.net
中世の地理感覚は現代と比べてかなり劣っていたと思います。
どうやって的確にその場所にいけたのでしょうか?
現代でもスマホや方位磁石を失えば近所でも誤認するでしょう
青森に行くつもりでも実は山口だったこともあったのでは?
手ぶらじゃ今でも起きてもおかしくはないですよね?
また味方や同盟国の城を間違えて攻撃するような失態はあったのではないでしょうか?ドイツ軍がイギリスを攻めたときイギリス軍は標識を曲げてかく乱戦法を行い、
米軍がドイツを攻めたときでも標識を逆にしてかく乱を狙いました。

165:人間七七四年
18/08/18 15:04:25.22 +qgvTZe0.net
中世の地理感覚は現代と比べてかなり劣っていたと思います。
どうやって的確にその場所にいけたのでしょうか?
現代でもスマホや方位磁石を失えば近所でも誤認するでしょう
青森に行くつもりでも実は山口だったこともあったのでは?
手ぶらじゃ今でも起きてもおかしくはないですよね?
また味方や同盟国の城を間違えて攻撃するような失態はあったのではないでしょうか?ドイツ軍がイギリスを攻めたときイギリス軍は標識を曲げてかく乱戦法を行い、
米軍がドイツを攻めたときでも標識を逆にしてかく乱を狙いました。

166:人間七七四年
18/08/18 16:17:46.20 De1P0BLb.net
家の中でネットばかり見ていると山口と青森を間違える事もあるかもしれませんが
お外では太陽も月もお星さまも輝いて我々を導いてくれるので大丈夫です

167:人間七七四年
18/08/18 16:58:01.24 +qgvTZe0.net
>>163 すみません、2度書き込んでました

168:人間七七四年
18/08/18 17:02:38.46 4kl1YBUz.net
地元の人間が道案内に付くので大丈夫です。

169:人間七七四年
18/08/18 22:33:01.47 we5iXBAF.net
>>163
津軽為信のように青森から小田原まで行けた例もありますので無問題です
敵対してた南部や安東の妨害を避けながら秀吉の下を目指す為に神君伊賀越


170:えより長い道程を わずか数十人程度まで供廻りを減らし見事に秀吉に謁見するゴールを決めました



171:人間七七四年
18/08/18 23:31:39.89 lVQpmX2Z.net
そういえば佐々成政の沙羅沙羅越えも方向間違っててもおかしくないよね
小説では山の道案内がいたけど

172:人間七七四年
18/08/19 00:38:30.44 CyY3b4UF.net
ガイド無しで山に入ったら死ぬからな。

173:人間七七四年
18/08/19 11:22:37.71 P4Kd5LaR.net
道案内人って地元の人なら相手の領主と仲いいよな
相手の領主からすると道案内人さえ買収しておけば
よそものの軍隊の行軍を操作できるわけか

174:人間七七四年
18/08/19 22:24:19.92 1qtJQlx0.net
平手政秀って主君織田信秀の秀の字を下にしてるけどこれってアリ?

175:人間七七四年
18/08/19 22:57:42.86 ST6ZxoJH.net
>>171
その場合、秀は偏諱ではないと考えた方が正しいように思うが

176:人間七七四年
18/08/19 23:22:24.44 CyY3b4UF.net
偏諱じゃなくても気にして逆にしたり他の名前にしたりする人もいるけど
気にしないでそのままの人もいる。

177:人間七七四年
18/08/19 23:38:30.59 wxB++cdL.net
経秀-政秀-久秀-汎秀
ということなので秀は平手家の通字と思われ。
普通は遠慮して使わないものだけど信秀が気を使って許したんだろう

178:人間七七四年
18/08/19 23:57:23.50 1qtJQlx0.net
みなさん、ありがとうございます

179:人間七七四年
18/08/26 04:21:32.84 cYnlqPsa.net
大阪城内に片桐、大野、織田と共に江原なる人物が屋敷を与えられているのですが
この人物は何者ですか?
聞いた事がありませんし、検索しても出てきません。

180:人間七七四年
18/08/26 10:58:18.50 jMtpcdfa.net
元宇喜多家臣と思われてる江原高次じゃないの?
親族とみられる江原親次は直家の娘婿で宇喜多家では1万石を貰っていた
ちなみに高次は天王寺岡山の戦いで行方不明になってる

181:人間七七四年
18/08/26 16:03:12.41 cYnlqPsa.net
返答ありがとうございます。

182:人間七七四年
18/08/26 18:29:49.23 hgUbElnD.net
京橋口馬出に屋敷のあった江原与右衛門の事かな。確かに聞いたことのない人物やね
なんとなく屋敷の場所的に鉄砲頭つとめてた木下与右衛門延重の別名な気がする

183:人間七七四年
18/08/26 23:42:42.91 RhXSjGlJ.net
詳細が分からなくて申し訳ないのですが
"ある武将が、戦の前に援軍を頼んだんだけど、大将とご飯食べたら嬉しくてポロポロこぼしたもんだから、こんな人の援護しても仕方ないって帰っちゃって、戦に負けた。だからきれいに食べないといけない。"
という話をされたことがあるのですが、調べても詳しいことは出てこず、ただの作り話だったのか気になっています。心当たりある方いませんか?

184:人間七七四年
18/08/27 21:15:18.22 KUrNvxLO.net
戦国よりだいぶ前の話なのですが平安時代の貴族が仕事に就くのはだいたい何歳の頃だったのでしょうか?スレチでしたら誘導していただけるとありがたいです

185:人間七七四年
18/08/27 22:28:49.81 pJFPWIno.net
>>181
日本史板の方が適切でしょう。
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
スレリンク(history板)

186:人間七七四年
18/08/27 23:49:17.27 KUrNvxLO.net
>>182
ありがとうございますそちらで再度質問をさせていただきます

187:人間七七四年
18/09/16 17:41:56.14 ISQC2mVb.net
戦国時代年貢を納めるとき農民が米ではなく現金か別の作物で納めるのは
可能だったんですか?

188:人間七七四年
18/09/16 17:56:20.92 BFVsBUOo.net
>>184
支配している大名や時期によるけど銭による支払いは可能
というかそもそも銭納だったのが、撰銭やらなんやらで通過価値が混乱して「現物納入でもしゃーない」となったのが戦国期

189:人間七七四年
18/09/16 19:10:58.83 ISQC2mVb.net
>>185
ありがとうございます

190:人間七七四年
18/09/22 21:16:50.12 zxfdwt4I.net
島津歳久は永禄6年(1563年)に吉田城主となったという件について旧記雑録で調べてみたがそれを示す史料が見つからなかった
それどころか永禄5年の北原兼正討伐で歳久が吉田の兵を率いていたというような史料があった
これってどういうことなんだろう
それから歳久が永禄6年に吉田城主となったことを示す史料があるなら教えてほしい

191:人間七七四年
18/09/22 22:22:57.41 B/SsNTzn.net
>>184
八丈島のような離島は魚(及びそこからできる魚醤や加工品など)なんかで収めてたって見た

192:人間七七四年
18/10/05 18:32:52.58 amDGugaE.net
戦国時代くらいの椿油のおおよその価格がわかりませんか?
ググったり資料漁ったりしたけど見当たらなくて気になってます
少し見つけられた資料によると胡麻油より一般的だったとのことでしたが肝心の価格はわかりませんでした

193:人間七七四年
18/10/06 10:20:40.06 Qlfumlxc.net
油の価格ならいろいろ出てくるが椿油限定だと探すの大変だな

194:人間七七四年
18/10/06 12:44:51.30 VZ2NgxT1.net
>>190
寺社に椿油が何樽ほど寄進されたって記録はわりと見つけたんですけど本当にさっぱりです
大山崎等の油座の史料は一通り当たったんですけどほぼ胡麻油等の椿油以外でした
ならは胡麻油程度と推定しても良いか悪いかの判断すら難しくて…

195:人間七七四年
18/10/07 12:10:24.54 BKp8Ok7f.net
俺が子供の頃読んだ関ヶ原の本は家康が佐和山を攻めると噂を流して三成を関ヶ原に誘い出した
ってのが主流だったけど、今は小早川の東軍合流を牽制しながら味方に付けるために西軍が関ヶ原に移動した
っであってる?

196:人間七七四年
18/10/07 20:45:30.46 ghrjJdsb.net
そやね。まだ固まっては無いけど

197:人間七七四年
18/10/09 22:58:12.02 DKUNQzJs.net
信長は兵農分離だっけ?してたけど、自分が動かす分以外も徹底したのかな
例えば柴田勝家の兵とか

198:人間七七四年
18/10/09 23:17:52.44 2O9edsh6.net
信長の兵農分離は旗本だけ。

199:人間七七四年
18/10/10 00:18:24.97 ehhp7pll.net
兵農分離ってのはものすごく難しい問題だからなあ

200:人間七七四年
18/10/10 05:08:33.39 35C0sJ8M.net
戦国期に兵農分離なんてものはそもそも存在していない

201:人間七七四年
18/10/10 13:06:29.46 6lpQ+53M.net
大谷吉継って結局何年生まれなのか
1565年が最近有力な説なんだっけ

202:人間七七四年
18/10/10 21:57:20.94 fYzoT/bQ.net
有力な家臣を大名の拠点に移住させるのは何処の大名家もやってるからなあ
それを兵農分離と言うかは議論が別れるところ

203:人間七七四年
18/10/10 23:40:29.11 ZjfsMRqA.net
兵農分離してなくはなかったけど、そこまで大規模でもなかったってことかな

204:人間七七四年
18/10/11 00:22:09.61 DnnVud2J.net
>>200
つかそもそも「兵(武士)」と「農民」は武士の発生した時代から分離していた。農民に「軍役」は無く、軍隊に加わる場合も人夫としてで戦闘員ではない


205:。 家臣を在地から引き離し城下に集住させる。という意味なら戦国初期に既に大内氏などが行っており、中期以降はむしろ一般的で、 戦国最末期に成っても旗本すら満足に集住させられなかった織田氏はその分野では「遅れていた」といえる



206:人間七七四年
18/10/11 01:04:09.75 /hLNDnNO.net
江戸時代になり平和な世の中になって兵力不足解消のためや軍功上げたりで侍成りする機会がなくなり身分の固定化が進んだ結果、兵と農が分離したように見える時代になったという所か

207:人間七七四年
18/10/11 01:23:23.71 vDMhNUCO.net
兵農分離は論者によって定義が違うから説明がめんどくさい

208:人間七七四年
18/10/11 17:13:07.33 Ba1xL6nm.net
俺の中では半農半士を城下に集住させたくらいの認識
それこそ馬回りクラスに限定した兵農分離というか

209:人間七七四年
18/10/11 23:28:32.49 O8/QYnrX.net
>兵農分離は論者によって定義が違うから説明がめんどくさい
そうなんだ
ただ戦に専念できるかどうかなのかと思ってた
武田信玄なんかは農期気にしながら戦ったりしてるけど、あれはみんな戦闘員じゃなくて人夫だったの?

210:人間七七四年
18/10/12 12:10:17.36 y0Mdfo9M.net
信玄も普通に一年中戦っているし主力は足軽(傭兵)だよ

211:人間七七四年
18/10/12 14:51:02.03 yWzaTLmb.net
「兵農分離」は何かというと兵と農の分離で身分の分離固定政策なんですね
簡単に言えば武士は武士で農民は農民という江戸時代の身分制度のことであり
城下定住、専業軍人化、傭兵(契約軍人)、刀狩りなどは一部あるいは過程なんですが
これを定義として語る人が多くややこしくなってるのが現状で
江戸時代の身分制度だから戦国期に兵農分離は無いと乱暴に言っちゃうめんどくさい人も出てきたり
専業軍人や傭兵の語彙のイメージだけで常備軍だ農繁期でも出兵できたとか
近代軍制にまで飛躍させた論調が主流だった時代もあってやっぱりめんどくさいんですね
そして僅か10レスちょいで勘違いのほとんどが出てきてるから2chでの説明はさらにめんどくさいというw

212:人間七七四年
18/10/12 20:53:47.33 y0Mdfo9M.net
んなこと言ってもどの大名も農繁期関係なしに何時でも戦っているじゃん

213:人間七七四年
18/10/12 21:24:05.60 yWzaTLmb.net
そうだよ兵農分離と農繁期出兵は関係ないからね

214:人間七七四年
18/10/12 22:04:10.20 b1m9QGCZ.net
>>207
さらに言えば江戸時代に「身分固定政策」は無かったのである

215:人間七七四年
18/10/12 22:11:02.28 yWzaTLmb.net
それも一部の例を出して全否定するめんどくさい系やね

216:人間七七四年
18/10/13 07:23:14.07 PdG+Kg7q.net
惣や農村でも専ら軍役を担う傭兵を抱えていたらしいからな。彼らは今で言うフリーターみたいな存在
ただ飯の代わりに村人の代役として戦場に赴いていた

217:人間七七四年
18/10/13 22:45:21.20 JA8u2oLq.net
当時の日本って石高合計でどれくらいあったのでしょうか?
江戸時代で2200万石だったそうですが、戦国もそんなものでしょうか?

218:人間七七四年
18/10/13 23:45:37.71 RRCifczT.net
ひとくちに江戸や戦国といっても、応仁の乱頃と江戸末期じゃ耕地面積に
3倍くらい差があったはず

219:人間七七四年
18/10/14 07:20:30.98 RJQ9ObFd.net
ヨーロッパ・中国の歴史ドラマや戦国時代の日本の歴史ドラマを
見たりするのですが、日本の戦国時代のレベルって世界から見ると相当レベル低くないですか?
根拠とは、
1.日本の戦は食料の心配がない。戦国時代のドラマで食料の心配を聞いたことがない。
中国やヨーロッパでは、城を攻略しないと兵士は補給にありつけないので、食料の心配をよく聞く。
2.日本は戦でもやたら礼儀



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