関ヶ原合戦はどうすれ ..
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2:人間七七四年
17/06/07 00:11:43.35 qnppR9v4.net
俺が隆景の養子になっていたら西軍が勝ってた

3:人間七七四年
17/06/07 00:29:04.13 VmVIlU7B.net
隆景にも選ぶ権利は有るぞ

4:人間七七四年
17/06/07 23:22:10.78 0Cu6OUwZ.net
三成がいなければ西軍が勝てた
三成のせいで負けた

5:人間七七四年
17/06/08 00:15:18.69 NSWiN+mW.net
ワイ「ほ〜ん。長束も長宗我部も広家が邪魔で参戦出来なかったんか。」←wikipediaの各人の記事を見ながら
ワイ「・・・え?」←関ヶ原布陣図を見て

6:人間七七四年
17/06/08 00:30:50.61 zRjTx1bz.net
そりゃ、長束や暗黒寺だけで、池田・浅野に仕掛けても毛利・吉川が
動かなかったり裏切ったりしたら尾張だもん。邪魔、いないがマシ。
長宗我部が空気読まずに突っかかったら面白かったかも。

7:人間七七四年
17/06/08 00:58:08.03 xjhyl//m.net
秀吉死語即秀秋関白就任(秀頼15歳までの繋ぎ)
秀秋の兄弟と浅野加藤福島を関白継承権のある豊臣一門とする
加賀征伐上杉征伐が史実通りとなったら
征東将軍に輝元を任命するとともに高台院を強引に説得し
宇喜多本陣に置き史実通り関ヶ原に挑む
秀秋が死んだら秀秋兄弟浅野加藤福島の
いずれかを繋ぎの関白にさせる

8:人間七七四年
17/06/08 01:18:13.22 NSWiN+mW.net
浅野にまで継承権持たせてしまったら
家康、秀康、秀忠にも持たせなゃ駄目になるだろ

9:人間七七四年
17/06/08 01:33:21.89 xjhyl//m.net
>>8
ならば浅野はなしで

10:人間七七四年
17/06/08 01:48:58.94 0c1blYMu.net
なんで青木一矩は省いの?

11:人間七七四年
17/06/08 01:54:32.21 NSWiN+mW.net
清正は大政所の従姉妹の息子で
正則は秀吉の従兄弟だっけ?
(千姫無しでも)秀頼から見て
 ・義理叔父の家康、秀忠
 ・義兄の秀康
とは武士的にはどっちが近しい親族になるんだろうな?

12:人間七七四年
17/06/08 02:25:47.35 MLnO7dmg.net
秀秋に取らりあえず譲る度量があれば秀次が死んでないっしょ。゚(゚^ω^゚)゚。

13:人間七七四年
17/06/08 03:42:40.90 Uj2eciFP.net
加藤は豊臣を名乗ることも認められてないのに、無理いうな。
豊家は関白になれる、って慣例を秀吉が作ってるんだから、豊家である徳川家は普通に関白になれる。
他の豊家も同様。

14:人間七七四年
17/06/08 08:09:07.31 fYwWJy0Y.net
たまに雑魚にも豊臣名乗らせてるよな
加藤も目がない訳じゃないだろ

15:人間七七四年
17/06/08 12:34:18.08 Gs09lJjV.net
朝鮮出兵時に勝手に豊臣姓自称して謹慎処分喰らってるけどな

16:人間七七四年
17/06/08 15:29:47.33 fRPPP79o.net
吉川が死ねば毛利本隊が動けたよな

17:人間七七四年
17/06/08 16:37:01.49 BB46T000.net
>>16
アホか。輝元からの命令で動かなかったのに

18:人間七七四年
17/06/08 18:11:25.78 rlmDTypD.net
和睦交渉は輝元の承認下での行動だけど、
本戦での不戦自体は広家の独断だぞ。
他ならぬ広家自身がそう言ってる

19:人間七七四年
17/06/08 18:52:47.65 VpXvMdoZ.net
毛利の和睦交渉は安濃津城を攻めたことで御破算になり、
家康の赤坂到着時に事実上の降伏をした

20:人間七七四年
17/06/08 21:21:05.19 v3VdX8SV.net
ほー出典はなに?

21:人間七七四年
17/06/08 21:42:20.05 VpXvMdoZ.net
伊達政宗書状

22:人間七七四年
17/06/08 21:47:35.40 bm+FAH/d.net
八月二十五日付吉川広家宛黒田長政書状では
安濃津城の戦いを知った長政が
縋るように和睦交渉を続けたがっているみたいだけど、
その政宗の手紙って何日付の誰宛?

23:人間七七四年
17/06/08 22:20:51.68 VpXvMdoZ.net
>>22
9月26日頃の片倉景綱宛政宗消息によると、家康は毛利勢を先ず討つつもりで、
大垣の西軍は先鋒に引き続き抑えさせるとある

24:人間七七四年
17/06/08 22:29:36.02 zRjTx1bz.net
9/26の手紙なら関ヶ原の結果を知ってからのもの?

25:人間七七四年
17/06/08 22:40:31.18 VpXvMdoZ.net
>>24
家康が清須に到着した辺り

26:人間七七四年
17/06/08 22:44:17.74 zRjTx1bz.net
それは広家の不戦が輝元の命令だったって話と繋がるのか?

27:人間七七四年
17/06/08 22:47:18.81 VpXvMdoZ.net
和議の話があったとしても、東軍としては安濃津城攻めで御破算になっているということ

28:人間七七四年
17/06/08 23:16:30.51 bMVHXxIQ.net
毛利が総大将を引き受けた時は三成たちが毛利に服従して戦う前提だったのに
三成たちは最初から毛利に従う気がなく毛利の名前と兵力を利用したかっただけ
むしろ毛利の方が自分たちに服従して命令どおりに戦えという態度だったから
裏切られたと感じた毛利が和睦するのは仕方がなかった

29:人間七七四年
17/06/08 23:21:13.91 esvBhml2.net
てるもっチャンは被害者

30:人間七七四年
17/06/08 23:31:57.55 al8b9zqm.net
>>29
いや、輝元が被害者はねえだろう。
関ヶ原の時の行動がかなり怪しいぞ。

31:人間七七四年
17/06/08 23:38:45.17 zRjTx1bz.net
毛利の思惑はわかりにくい。
特に関ヶ原本戦の吉川の行動が広家独断か輝元公認かについては決定だがない。

32:人間七七四年
17/06/09 01:45:18.55 GP3PQQon.net
あんな周辺諸国に出兵しといて被害者はねーだろwww
野心丸出しやんwww

33:人間七七四年
17/06/09 01:46:29.37 M9bALQw9.net
>>30
如何考えても、毛利の実力は120万石なんて物じゃないですからね。
商業権益や諸々の利権が有るし、毛利を温存させた儘で徳川の覇権とか成立しないしさ。
やっぱり野戦で負けた事より、大阪城からあっさり退去した事が徳川の覇権の原因の気が
しますね。

34:人間七七四年
17/06/09 08:01:39.30 h/gg8XfU.net
いろいろ闘ってるのに関ヶ原あとの交渉は本選以上にやる気がない。この辺が広家の独自行動説を信じさせるんたよな。

35:人間七七四年
17/06/09 12:42:55.18 9/rE6cyW.net
家康に戦で負けた秀吉の家臣
家康 > 秀吉 > 家臣
今も昔も身の程知らずはいるもんですなWww

36:人間七七四年
17/06/09 12:51:48.44 1u57hbHW.net
そもそも三成が人望ないから毛利輝元が総大将になったけど
輝元も秀次切腹事件の原因になってるし豊臣恩顧の子飼いには嫌われてたんじゃね?
輝元は吉川広家には人間が出来ていないと言われるし
家康は一応秀吉の義弟だし蔵入地解体して大名に戻してたし人気は段違い
三成と輝元は嫌われ者No1とNo2が揃っただけじゃね

37:人間七七四年
17/06/09 13:44:49.82 GP3PQQon.net
つまり、我が信玄公が最強!
はっきりわかんだね!

38:人間七七四年
17/06/09 13:48:26.88 zqLE8TDI.net
家康にはルーズベルトばりの喝采
輝元にはトランプ級のブーイング
当時はそーいう空気

39:人間七七四年
17/06/09 17:18:26.21 YJO8DqkL.net
内府違いの条々の一文では加賀征伐のことで家康を批難してるけど
そのとき奉行は反対するどころか家康に協力してる立場だしなあ
前田利長は今更家康に文句言うならあのとき味方しろやって思ってそう

40:人間七七四年
17/06/09 20:46:36.91 04euKd9+.net
8月2日付東条紀伊守・上田勘右衛門・三好助兵衛宛細川幽斎書状
「信長御代、大閤様御時、似合之致忠節、至近年御懇候事
已奉対秀頼様、何以可致疎略候哉、此度越中関東へ出陣之段、
 内符世間之為御後見候条、是又奉公罷成処、安外躰、」
8月28日付松井康之・有吉立行宛加藤清正書状
「其城之儀、大友方へ従 秀頼様被遣之由候て、
 差下之由候、上関辺迄被下候由、我等所へ申越候」
どーも細川も加藤も西軍≒豊臣公儀(秀頼の意向)って認識してたっぽいな。
諸大名がその認識の上で徳川に荷担して西軍に勝利したなら今更豊臣家なんて怖くはないわな。
三成の大失態じゃねーか

41:人間七七四年
17/06/09 21:24:12.89 EoOyg+0C.net
今さら何を?当時はみんな同じ認識だろう。正当性とかの問題じゃないって、日本人ならわかるだろう。

42:人間七七四年
17/06/10 00:58:54.55 pEpZwVhQ.net
>>39
でも、実際に加賀征伐やったら、間違い無く呼応して奉行衆が挙兵しそうな気がしますよ?
まあ、木の芽峠を越えるまでは猫を被るでしょうけど?
あの辺りは豊臣系の大名の領地ばかりだし、補給とか大丈夫なんだろうか?

43:人間七七四年
17/06/10 01:01:30.61 dGRjnVIw.net
西軍≒豊臣公儀(秀頼の意向)ではなく
西軍≒これまでの豊臣政権の失敗の責任者という認識だろうな
豊臣政権の都合の悪い部分だけを豊臣家から抽出して切り離し
三成たちに全てを背負わせたのが西軍といえる
だから秀次事件や朝鮮出兵に不満があった大名は全力でその怒りを三成たちにぶつけた

44:人間七七四年
17/06/10 01:45:17.03 A0V5rayP.net
>>43
いやいや
西軍が挙兵後に実施した「細川領の大友への譲渡」を
東軍の清正が、細川側への書状の中で
「大友方へ従 秀頼様被遣之由候(秀頼様より大友に与えた)」
って認識してるんだって。

45:人間七七四年
17/06/10 10:01:50.93 X6+RikcJ.net
違う。
『秀頼様より大友に与えた、との事』
真偽確認が出来ていない、伝聞でしかない。

46:人間七七四年
17/06/10 11:32:57.83 Z1xsGyug.net
違うな。
7歳の秀頼が自主的な政治判断はまだできないってことは周知の事実。
よって「大友に与えた」のは畿内を抑えた西軍首脳なのは明白。
それを「西軍首脳が与えたらしい」ではなく
「秀頼が与えたらしい」って表現している時点で、清正は西軍の公儀性を認めている。
この辺は白峰氏も主張しているな

47:人間七七四年
17/06/10 12:23:54.30 olSUXGzu.net
西軍及びその使者が秀頼の名を前面に立ててるからそう表現するしかないだろな
だから心外だとか「らしい」程度じゃなくて確定的に扱ってればまた別だろうけど

48:人間七七四年
17/06/10 12:49:22.80 JieJhhrA.net
つまり関ヶ原で負けた時点で豊臣は終了しましたってこと?

49:人間七七四年
17/06/10 13:22:42.99 L+EiVY7h.net
>>48
関ヶ原なかったら傀儡政権としてなら存続できたと思うよ

50:人間七七四年
17/06/10 13:26:53.28 lIN0aH0p.net
そもそも九州だと情勢が正確に伝わっているかが怪しい

51:人間七七四年
17/06/10 13:40:03.96 A0V5rayP.net
7月晦日付斎藤利宗(加藤清正家臣)宛松井康之・有吉立行(細川忠興家臣)書状
「越中守身上之儀 秀頼様より曲事ニ被思召候由ニて、
丹後へ隣国衆城請取ニ被差越、御奉行衆より触折紙之写被見置忝存候事」
細川忠興が、秀頼様から曲事に思われて(改易になり)、
丹後隣国の諸大名に対して居城(田辺城)を受け取るよう奉行衆が命じた。
>>46が言うように秀頼自身の判断ではないことは細川方も分かっていただろうけど、
それでも細川改易を「秀頼の思し召しを奉行衆が実行した」と受け取ってるね。
まぁそれでも抗った上に、西軍を潰して改易を無かったことにしてるから
見方によっては豊臣公儀の決定を力でひっくり返したことになる。
>>48の言うとおり関ヶ原後の豊臣家の公儀としての信頼は
義輝暗殺後の室町幕府並に失墜したんじゃ無い?

52:人間七七四年
17/06/10 14:05:22.85 A0V5rayP.net
京都在住の僧侶の日記の「義演准后日記」は
7月20日条で、伏見城での攻防を「秀頼様衆」と「内府衆」の戦闘だと記述している。
同じく、公家の山科言経は自身の日記「言経卿記」の中で
9月27日に家康が大阪城に入り、「内府」と「秀頼卿」が和睦したと記述している。
実際がどうだったかより、公家も僧も諸大名も
「秀頼方と家康方が争って、秀頼方が屈服(和睦)した」と認識した。
そういう世論が形成された、ことが重要だろうな。
そりゃ家康への接し方も、豊臣への認識も関ヶ原前後で大きく変わる。

53:人間七七四年
17/06/10 14:23:16.96 JieJhhrA.net
なんだか知らないうちに天下を盗られたわけではなくて、戦で負けたからなら仕方がないのかな。
城に入る人次第でコロコロ変わる公儀なんて危険極まりないのを、関ヶ原の戦いで皆体験しただろうし。

54:人間七七四年
17/06/10 15:19:36.46 MzBQl32G.net
けど秀頼とその周辺にはそんな認識はなかったんだろ。
その蟠りが大坂の陣まで続くことになる。

55:人間七七四年
17/06/10 16:09:40.90 H6BN7Kge.net
秀頼で豊臣の天下が保てるなら
三法師でも織田の天下を保てたろうよ

56:人間七七四年
17/06/10 17:27:18.95 JnutJoy8.net
結局奉行衆が豊臣政権の権力を濫用していたツケが回って来たってことなのかな。
いやまあ、やりたかった事はわかる。大大名の領地を削って豊臣家及び政権の力を
相対的に高めたかったんだろう。それが政権の安定につながるって理屈も理解できる。
ただ、それは秀吉や秀次、秀頼といった豊臣家自身が行うべきだったと思う。
もしくは執権北条のような政権代行役か。

57:人間七七四年
17/06/10 17:30:05.72 X6+RikcJ.net
>>0046
違わない。
まず、文法的に訳を誤っている。
『之由候』は、〜という事です、と訳します。

58:人間七七四年
17/06/10 18:20:21.37 Z6lRU/d3.net
↑断定ではなく、伝聞ね。

59:人間七七四年
17/06/10 19:35:56.07 QqYCKMJl.net
その訳でも清正が西軍の公儀性を
容認していることには違わないけどね

60:人間七七四年
17/06/10 21:27:04.52 Z6lRU/d3.net
なぜ容認することになるのか全く意味不明。
『7歳の秀頼が自主的な政治判断はまだできないってことが周知の事実』なら、
『大友に秀頼様が与えたとの事ですよ(そんなわけねーじゃん、7歳なのにww)』としか訳せませんが)

61:人間七七四年
17/06/10 21:45:30.22 K3UBQq6a.net
その文は白峰氏の論文でも引用されてるね。
「「其城」(=木付城)のことは、秀頼様より大友義統へ与えたので、大友義統は
上関(周防)辺りまで下ってきた、との報告があった、というものである。
この記載からは、木付城が秀頼から大友義統へ正式に与えられたことがわかる。」
加えて、8月19日付島津義弘書状を元に
「8月には西日本の諸大名の大規模な軍事動員可能になっており、
このことは諸大名(九州・四国・中国など西国の諸大名)から
石田・毛利連合政権が承認されていたことを示している。」と論じているね。

62:人間七七四年
17/06/10 21:55:10.39 Z6lRU/d3.net
白峰どうでもいいから、原文あげて正しく訳してみてよ。

63:人間七七四年
17/06/10 22:21:40.47 K3UBQq6a.net
??
原文なら>>40にあるじゃん。
漢字読めないの?

64:人間七七四年
17/06/10 22:32:10.96 Yj2zLgFT.net
どうでもいいことだが、白峰「氏」って書き方に嫌な思い出が

65:人間七七四年
17/06/10 22:37:16.21 dGRjnVIw.net
>>46
でも大友は如水に倒されたし
細川は領地明け渡し拒否で幽斉が篭城抗戦したし
その加藤も東軍に付いて西軍の小西領を攻撃していたよな
東軍本隊にいなかった連中でさえ公儀として認めていたはずの西軍に平然と逆らっていた
よく豊臣恩顧は三成個人を憎んでいただけで豊臣に逆らうつもりはなかったと主張する奴がいるけど
これを見ると大嘘であることが分かる
公儀たる豊臣に従う意思がなかったのは明白だろうね
秀吉もそうなることが分かっていたからこそ諸大名を抑える力を保つために家康を招聘したわけだけど
肝心の三成たちが理解しておらず、自分が豊臣の名前を振りかざせば全員服従して当たり前という妄想に囚われていた

66:人間七七四年
17/06/10 22:44:00.66 Z6lRU/d3.net
>>63
それ全文じゃないでしょ?

67:人間七七四年
17/06/10 22:46:16.59 Z6lRU/d3.net
>>65
だから豊臣恩顧は西軍を公儀と認めてないんだよ。
単純な話。

68:人間七七四年
17/06/10 22:47:29.83 MzBQl32G.net
三成や官房系の人間にありがちな間違い。
公的な指示には従うのが当然、聞き入れなければ処分するのパターン。
清正とか現場職は公儀を認めていないのではなくて実権層に反発している。
三成や現官房職が消えれば公儀に従う気でいるので反逆のつもりはない。

69:人間七七四年
17/06/10 23:09:41.28 h9fq5QWT.net
>>65
豊臣に従う意思がなかったのかは分からんが
ここで偶に話題に上がる
秀頼の関ヶ原出陣で東軍寝返り続出→西軍大勝利
は期待薄だろうな

70:人間七七四年
17/06/11 01:24:16.69 fhSwaZqP.net
そりゃまた違う。
秀頼に直接弓を弾くのは流石に反逆だ。
権力の受け皿も無い時期に家康でもそれは避けるだろう。

71:人間七七四年
17/06/11 01:27:35.45 E8+puDSV.net
>>67
もっと露骨な意味なんじゃないのかな?
秀頼公が俺の領地守ってくれるって思えないし...だと思うよ。
東海道の豊臣恩顧大名が、籠城抗戦せず徳川に付いたんも同じ意味だと思うしね。
秀頼公に忠義建てして籠城したとして、援軍間に合うの?最終的に西軍勝利でも俺は
確実に死ぬじゃん...だと思う。
逆に言うと、大阪から本気の援軍が来るって分かれば動揺すると思います。

72:人間七七四年
17/06/11 01:29:42.36 uZVX8ENi.net
立花宗茂がいたら勝てたな

73:人間七七四年
17/06/11 02:06:41.71 v4zop1Ak.net
先に弁当さえ食べてればなー

74:人間七七四年
17/06/11 02:11:17.50 ORPVBZM5.net
三成達の、秀頼を前面に出して自身の正統性を主張する方針は全くもって正しいし、
実際にそれはほぼ完璧に成功して、貴賎都鄙に周知できた。
しかしその状態で負けてしまったことで、
「秀頼が家康に屈した」と貴賎都鄙に周知する結果になってしまった訳か。
儘ならないもんだな。
なんつーかナイスアシスト

75:人間七七四年
17/06/11 02:41:16.64 hYsGpcu7.net
>>71
それにしても5万石程度の小大名なら万の軍勢に力押しされたら開城降伏しかないだろうけどね。

76:人間七七四年
17/06/11 09:01:26.23 kzyTwkah.net
>>71
豊臣恩顧が徳川家に敵対する理由が全くない。
・そもそ忠誠の対象である秀吉は、家康に政務を託しており、家康を政権中核から排除する動きが全くない。
・豊臣家と徳川家は縁戚関係にあり、将来における秀頼・千姫の婚姻は最強の結び付き。
・秀吉死後の豊臣も同様。徳川家と敵対していた証跡は全くない。
・豊臣家は三成の挙兵を謀反認定しており、家康に鎮圧を依頼している。
つまり、豊臣家と徳川家が完全に良好な関係にある中で、謀反人と外様大名のクーデター連合に味方する理由など全く存在しない。

77:人間七七四年
17/06/11 09:27:49.28 OLbyc9ek.net
みんな家康の真意もそんな家康に従うと後に裏切り者と謗られることもわかってたよ
それでも目先の生やお門違いの憎悪に走った馬鹿な奴らの集まりが東軍

78:人間七七四年
17/06/11 09:39:24.35 kzyTwkah.net
>>77
豊臣恩顧が徳川家に敵対する理由が全くない。
・そもそ忠誠の対象である秀吉は、家康に政務を託しており、家康を政権中核から排除する動きが全くない。
・豊臣家と徳川家は縁戚関係にあり、将来における秀頼・千姫の婚姻は最強の結び付き。
・秀吉死後の豊臣も同様。徳川家と敵対していた証跡は全くない。
・豊臣家は三成の挙兵を謀反認定しており、家康に鎮圧を依頼している。

79:人間七七四年
17/06/11 09:41:15.59 p9TJRSy9.net
いや、現実を理解せず自分本位な妄想に取りつかれて
破滅したのが西軍ってだけだろう。

80:人間七七四年
17/06/11 11:18:54.22 ORPVBZM5.net
細川なんて妻殺された上、一方的に改易処分だからな
西軍に味方できる訳ない

81:人間七七四年
17/06/11 11:20:44.37 rPoxFz+Z.net
西軍が公儀で家康は逆賊でもいいけれど、それだと豊臣のアホさ加減がより上昇するんだよね。
逆賊に負けて天下持ってかれた挙句、何もせずに結局滅ぼされましたとか笑いものでしかないよね。

82:人間七七四年
17/06/11 11:51:47.67 fhSwaZqP.net
笑いものでいいだろ。実際結果を得られなかったのだから。
三成に乗っても敗北、徳川に任せても簒奪。ここに至る経緯がバカすぎた。
しかし1600年当時、すべて石田と奉行集が悪くて、豊臣と徳川に全く軋轢がないみたいな意見には違和感あるな。

83:人間七七四年
17/06/11 11:58:33.09 PLa7gQQ7.net
家康は秀頼を抱きかかえて威張り散らしたことはないし
独自に人質を取ったことはあっても大坂にいる豊臣の人質に手を出したことはない
戦をする時も事前に豊臣家に報告していたし
三成たちと折り合いが悪いだけで1600年時点では別に豊臣家と問題を起こしていない
むしろ三成ら奉行衆の方が豊臣の名前や権威を濫用して好き勝手をやっていた
秀吉に重用された時代の記憶をいつまでも引きずって自分たちが何でも好き勝手に出来ると勘違いしていた

84:人間七七四年
17/06/11 12:23:48.30 kzyTwkah.net
>>82
実際、豊臣家が徳川家に対し非難批判、不平不満を示した形跡が全くないんだから仕方ない。
むしろ頼りにしているのが明らか。

85:人間七七四年
17/06/11 12:43:24.33 wUBr2qfo.net
>>84
「豊臣家」の定義がどこにあるのか明確にしないと駄目じゃね?
秀頼が意思表示できない訳で、秀頼に近い人物が誰かを支持しても、
そいつが勝手に言ったこと
っで、ばっさり斬られる可能性もあるし
まぁ、豊臣家の執政権は家康にあるけど。

86:人間七七四年
17/06/11 12:58:46.60 fhSwaZqP.net
この頃の判断主体がない豊臣家の反応だけじゃね。
問題がなかったんじゃなく件の婚姻問題や加増問題を豊臣家として問題認識する能力に欠けていたんだろう。
言わば認知症の痴呆老人の言ってることを親族と介護人が別の解釈してるようなもの。
文句がないから問題が無い訳じゃない。

87:人間七七四年
17/06/11 13:24:29.75 TRXRwj9H.net
ならまず奉行が毛利と結託して家康を政権から追い出そうとしたことを問題視しないと
あれで家康の危機感に火がついた

88:人間七七四年
17/06/11 13:31:06.10 fhSwaZqP.net
それはちょっと違うんじゃない?
状況を問題視できない豊臣家が問題という話で奉行VS徳川というともう色々軋轢があって、
どっちが悪いとかお互いの言い分がある。

89:人間七七四年
17/06/11 13:41:28.27 JuP6/hja.net
筆頭大老だから
秀吉に託されたのだから

90:人間七七四年
17/06/11 13:41:47.62 0yZd7ucs.net
ようするに規模のでかいお家騒動て理解でいいのか

91:人間七七四年
17/06/11 13:42:56.80 TRXRwj9H.net
秀吉の遺志は家康と利家の二頭体制で秀頼成人までの間を持たせることで
高齢の2人の跡継ぎまでわざわざ遺言で指名している
それを奉行の判断で解体しようと動いていること自体が問題

92:人間七七四年
17/06/11 13:50:22.56 fhSwaZqP.net
必要に応じて体制も臨機に見直すのが官房系の仕事だろう。勿論それが適切だったとは一概に言えないが。
最近でも既存の経営層の判断を正せずに倒れた企業は多い。
筆頭家老だから何やってもいい訳じゃない。奉行にも言えることだね。

93:人間七七四年
17/06/11 13:56:11.68 TRXRwj9H.net
現代で言えば選挙によって選ばれた内閣の指示なくして官僚が独自の判断で体制を変革しようとしたら大問題だぞ
秀吉が遺言で定めた体制が長年運用したきた結果問題が出てきたというならともかく
秀吉の死後即座に変更する必要があるなら、秀吉が死ぬ前にやっとけよという話

94:人間七七四年
17/06/11 14:07:45.58 ORPVBZM5.net
少なくとも奉行衆と毛利が結託して
徳川派、前田派、石田派の三つ巴の状況は
秀吉の想定外だろうしな

95:人間七七四年
17/06/11 14:21:36.66 kzyTwkah.net
>>85
>>84において豊臣家が指すものは、@秀吉存命中なら秀吉
A秀吉死後なら秀頼、幼少ゆえ後見たる淀殿
これ以外が家康と対立しようと、豊臣家の意思足り得ない。

96:人間七七四年
17/06/11 14:55:42.69 0yZd7ucs.net
利家死後の前田家って派閥できるほどの家なのか

97:人間七七四年
17/06/11 15:10:33.69 Edt0BD9u.net
前田派は相当大きかったはず。問題は利長があまりにも迂闊だった事。
利家は生前、利長に「上方からしばらく離れるな」といってたらしいのだが
利長、あっさり国元に帰ってしまった。で、案の定前田征伐の騒動が起きてしまった。
正直、(罠にはめられたとしても)何やってんだとしか思えん。

98:人間七七四年
17/06/11 15:16:35.26 MClyt75o.net
三成襲撃事件では秀家も利長に倣ってほぼ静観だし、
利長謀反疑惑事件時にも清正の上洛を懸念して
態々牽制の軍が派遣される程度には一大派閥として認識されていた

99:人間七七四年
17/06/11 15:17:54.49 MClyt75o.net
そう言えば秀家の寵臣も元前田家臣だっけ
宇喜多騒動の原因になったやつ

100:人間七七四年
17/06/11 16:16:24.56 fhSwaZqP.net
前田派っていうか利家個人の声望だわな。
諸将も、徳川と奉行で対立があれば「迷ったら中道」で利家を重んじることになる。
ただ前田家自体はどうも大したことない。

101:人間七七四年
17/06/11 16:37:22.45 VNNstXel.net
徳川派、前田派、石田派のきっちりした三つ巴ではなく
大きなくくりで武功派(大)があってその武功派の中に前田派と徳川派があったわけで
利家生前でも徳川と石田がもめると前田派も徳川屋敷に護衛のため集まっていた。
利家死去で武功派(大)の第一人者が家康のみになりさらに利長が徳川に従った時点で前田派は徳川派に完全合併

102:人間七七四年
17/06/11 17:52:39.71 fhSwaZqP.net
自民党の派閥と民進党のグループみたいなもんか

103:人間七七四年
17/06/11 18:05:43.41 db5rpJzE.net
武断派、文治派ってカテゴリー分けもどうなんだろうね。
島津や小西、大谷、佐竹みたいな奴らもいるし、
一昔前の近江派vs 尾張派みたいに拡大視しすぎな気がする。
そう言う対立があったことは事実かも知れないが、
政争の主体として捉えるには過大評価しすぎじゃね?

104:人間七七四年
17/06/11 19:38:33.80 nZqVLFmS.net
妙な色づけせずに単純に主流派と反主流派でいいと思うわ

105:人間七七四年
17/06/11 23:46:51.03 E8+puDSV.net
>>97
確か、噂では前田家の兵力は限界で25000だから大阪に8000、国元に16000置いて
少しずつ入れ替えろでしたっけ?
この話を素直に聞いてれば、加賀征伐なんて不可能臭いんだよね。
今だに秀頼の傅役なのは確かだし、それなりの兵力で大阪に陣取ってる相手に
何が出来るのって話だしね。
>>99
確か、利家の実の娘かつ秀吉の養女の豪姫の付き人だった人ですよね。

106:人間七七四年
17/06/12 22:55:16.19 qiFT6P1Y.net
前田利長に器量と野心があれば第三勢力化して面白かったかもな

107:人間七七四年
17/06/13 00:39:28.68 OScceICp.net
そういうのが出てこないようにするために、秀吉は豊臣家と実力最強の徳川家を結び付けようとしたわけ。
案の定、政権に復帰したい三成とヒャッハー外様大名達がつるんで謀反を起こしましたとさ。

108:人間七七四年
17/06/13 06:28:14.21 SMBtZDl7.net
大名同士の婚姻を勝手に行ってはならないとする秀吉の遺言を破った家康がどう考えても悪い
それを正そうとした三成は学級委員長みたいに正しいのだが、悲しいかな嫌われ者
利長はヘタレだし景勝は最上なんか攻めるし輝元は動かないし小早川秀秋は裏切るし武断派は家康についてるし泣きたくなるわ
関ヶ原後の改易で、豊臣秀頼が222万国から65万国まで一気に減らされるとは思わなかったのか加藤福島は
小早川が裏切らないで毛利が本気出してくれないと戦にならん

109:人間七七四年
17/06/13 06:42:12.58 MmifZVpN.net
>利長はヘタレだし
加賀征伐未遂の時に率先して追い詰めておいてその言いぐさは無いわー
今更利長が三成に味方する理由無いし、前田党の加藤も然りだろうな

110:人間七七四年
17/06/13 06:44:05.28 /DZGJn9c.net
>大名同士の婚姻を〜
太閤遺言にそんな文は書かれてない

111:人間七七四年
17/06/13 06:44:37.63 LD6TfeVd.net
万国
| |  |  |  | | |
| |  し  レ  | | |
| | ∩___∩ |J |
|J |ノ\  、_ヽし |
し / ●゛ ●|  し
 |U (_●_) ミ
 彡、  |∪| |
`/  ∩ノ⊃ ヽ
( \ ノ_ノ | |
ヽ “ /  | |
 \/ ̄ ̄ ̄ ノ
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

112:人間七七四年
17/06/13 06:59:03.18 s5V2k6zo.net
利長は、江戸で人質になってるおまつ様を見捨てることはできないだろう
戦国時代とはいえ、人質を見殺しにできるタイプとできないタイプがいると思う
しょせん人間は何時代でもいっしょ 母を見殺しにするなんて普通できん

113:人間七七四年
17/06/13 07:14:27.81 Pi+DzYUO.net
毛利は本気出して西国制圧しようとしてただろうが
時間さえあれば、西国の東軍領地を席巻して、不敗態勢が築けたはず
勝手に関ヶ原で決戦して、勝手に負けた三成が悪い

114:人間七七四年
17/06/13 08:09:37.16 O4JP/LWg.net
家康は悪くない説は世間では少数派だからな

115:人間七七四年
17/06/13 08:33:27.41 xOxVFVTR.net
慰安婦強制連行や南京大虐殺の否定が少数なのと同じだな。
嘘が一人歩きしている。

116:人間七七四年
17/06/13 08:35:52.49 F1NSyMvW.net
そりゃ家康が無実って主張するやつなんて皆無だろ
三成も大概だってだけで

117:人間七七四年
17/06/13 13:17:29.71 AJIW/6nS.net
そら一般人は大阪の陣みた後だと三成が正義に見えるし

118:人間七七四年
17/06/13 13:39:28.15 iAnwCHwg.net
見えるんじゃなくてなったんだよ
関ヶ原までの状況だけで強引に三成に悪人評をつけようとしても無駄
大坂をもって三成の人生は正義に満ちたものと結論が出た
そんな三成の力にならなかった奴は擁護不可能

119:人間七七四年
17/06/13 13:48:41.27 NoUxWxZo.net
現代政治権力闘争に近いものを探すと田中派の最終期かな。
家康こと竹下登が経世会を作り天下を取った。
三成は二階堂であくまでも角栄第一で消えて行った。
いつの時代も利にさとい奴を集めて過半数制したもんが勝つ。
好感度ゼロでも勝ったものが歴史を作ってしまうのも事実なのでしょうがない。

120:人間七七四年
17/06/13 15:01:13.75 nQeZWnFr.net
>>118
だから前田潰しに協力して
徳川一強体制作りを手伝った三成が
正義面してもちゃんちやらおかしいって
加藤福島と同じことやってるんだから

121:人間七七四年
17/06/13 15:29:13.00 SMBtZDl7.net
前田は利長が利家の遺言守らなかったのが悪いわ
母親人質に差し出すとかチキンすぎる

122:人間七七四年
17/06/13 17:24:51.60 X3XI5795.net
織田を骨抜きにした豊臣が
どの口で徳川の悪口を言うのか

123:人間七七四年
17/06/13 19:31:42.73 xOxVFVTR.net
>>120
そもそも徳川一強体制に構築示したのは他でもない、秀吉だがな。

124:人間七七四年
17/06/13 20:07:05.86 n+oRzfA9.net
現存する秀吉の遺言を見る限りだと何事も家康と利家に相談するよう書かれていたり
仕事のやり方とか取り組む姿勢だとか指示されてるあたり
秀吉はむしろ奉行衆の専行を危惧してるかのようにも読めるよな
後世の結果から見た偏見かもしれんが

125:人間七七四年
17/06/13 22:12:09.72 FhRM5I4L.net
朝鮮での失敗があるからな。でも家康を善人と思い過ぎたかな

126:人間七七四年
17/06/13 22:30:15.77 E7AIBA/6.net
大坂の陣での結末を見れば家康擁護は出来ない。あれで三成を忠義の家臣としてしまった。

127:人間七七四年
17/06/13 22:41:24.98 GG7bwFY/.net
それは原爆投下されたから東条英機を忠君愛国の臣とするくらいの無茶苦茶な本末転倒だろ

128:人間七七四年
17/06/13 23:02:19.94 j0uYUwB8.net
そもそも大阪の陣はどう考えても秀頼の自業自得。自殺と言ってもいいくらいだ

129:人間七七四年
17/06/13 23:12:06.38 ElNpJzE5.net
流石に三成が忠臣は煽りかネタで言ってるだけだろ

130:人間七七四年
17/06/14 00:04:25.59 iMc5/3XT.net
原爆と東条は類似案件じゃないだろ

131:人間七七四年
17/06/14 00:52:46.06 8qcuZMG8.net
>>124
それは、家康に勝手な事させない為の牽制なんでは?
合議制の中に封じ込めるって事なんだろうしね、幾ら徳川が強大でも会議の席では
一人なんだしね。
千姫の話って、家康の孫娘を人質に取ったって事だろうに、平気で見殺しにする家康は
怖いよね。
前田利長は多分母親を捨てる事は出来なかっただろう事を考えると怖いよね。
天下を取る人は、妻も長男も孫娘も即答で見捨てられんと無理なんやね。

132:人間七七四年
17/06/14 01:02:00.36 iMc5/3XT.net
前田も勝てる見込みがあれば母親見捨てるだろ
勝てないから戦わなかっただけ

133:人間七七四年
17/06/14 01:53:59.68 Exz0AxdP.net
家康は豊臣を滅ぼした。
だから先んじて家康を撃退しようとした三成は忠義の家臣
米国は日本を壊滅させた。
だから先んじて米国を撃退しようとした東條英機は忠君愛国の臣
確かに同レベルの主張だな。
信者が「あそこで立ち上がらなければ、そのままやられていた」
と主張するところも似ている

134:人間七七四年
17/06/14 03:19:56.07 CKT6a8hL.net
家康とトルーマンを同様の存在とするガイジがいるとはな
あまりのバカぶりに開いた口もふさがらんよ
「国家安康」に値する事件が太平洋戦争に存在するかね?
原爆に値する超兵器が大阪の陣に存在したかね?
小牧長久手とイラク戦争を同一視するほどの脳みそだな

135:人間七七四年
17/06/14 03:50:36.74 i0T70AQO.net
横レスだけど、
ハル・ノート=死ね!だから結構きついよ?
しかしハル・ノートはしっかり内容確認しとくべきだったなー和訳失敗してそう

136:人間七七四年
17/06/14 04:27:59.00 PY+W8pd5.net
>>134
言っておくが「国家安康」の顛末は豊臣側の不手際だからな?

137:人間七七四年
17/06/14 04:37:26.51 rYJq59yO.net
>>134
読解力ない奴だな。ガイジかお前。
>>133はことの経緯を無視して結果からの逆算で
「三成は忠臣」などと宣う輩を揶揄しているだけだろ
誰も家康=トルーマンなんて言ってないのに
何ヒートアップしてんだか

138:人間七七四年
17/06/14 05:37:13.60 vaQ/ytr+.net
この流れ前スレにも近いものがあったな。
前スレだと三成は二・二六事件を起こした皇道派若手将校みたいなものだって
言っていた人がいた。自分もそう思う。
彼らは昭和維新を断行しようとしたが昭和帝は激怒して鎮圧を命じ、
彼らが排除しようとした統制派によって壊滅した。
なお、統制派の連中は後に日本を破滅と泥沼の戦争へと導いたが
だからといって若手将校が正しかったとはならない。

139:人間七七四年
17/06/14 06:28:36.28 PIb0PSUT.net
>>131
大老・奉行による合議制は、秀吉死後の決め事。
秀吉企図は、家康・利家のツートップ。
しかも家康>利家。政務を託されたのは家康。
実力差がある10人の合議が機能する訳がない事は、秀吉自身が一番理解している。

140:人間七七四年
17/06/14 07:37:49.69 PY+W8pd5.net
秀吉の遺言で名指し順が、家康→利家→秀忠→利長→秀家→景勝→輝元だったり、
秀忠・利長・秀家・景勝・輝元は五人とも従三位権中納言でこの時点で既に同格だったり、
家康・利家だけ五大老とは別枠で五奉行と起請文をやり取りしてたり、
五大老が徳川前田両頭体制と言うべき状態だったのは事実。
一方で、断罪権は五奉行の領分と遺言に明記してあったり、
家康が提出した起請文にも
「知行に関する訴えは利家が取り次ぎ、家康は取り次げない」と明記してあったり、
家康が完全に上位者だったかというとそれも疑問。
割と役割分担で分権されてたんじゃ無いかな?
専横者が発生しないように、徳川・前田・奉行衆で権力分割
→主導権争いの延長で3者が派閥化して対立激化
→紆余曲折を経て、前田屈服+奉行衆消滅(物理的)で秀吉遺言体制崩壊
→江戸幕府誕生
って感じだったり。

141:人間七七四年
17/06/14 10:02:05.02 wAx8dtpL.net
秀頼は命を長らえる方法はあったのに
自ら徹底抗戦を選んだ

142:人間七七四年
17/06/14 10:22:12.07 797i4OQ9.net
>>138
正しいよ。立ち上がったのに潰された人間から見て「ほら見ろ」ということがあったならそれは否定の否定、すなわち肯定を意味する。

143:人間七七四年
17/06/14 11:17:21.03 JZ5DYzKa.net
調べれば調べる程徳川&東軍は凄いよなあ
もし西軍が勝った世界で「東軍が勝つには」のif考えた時
・会津征伐に従軍したほとんどの大名が従う
・即攻で木曽川越えて岐阜城落とす
・敵の大将が皆に嫌われる
・敵がやる気ない
・敵が内通しまくる
こんなif案出したら徹底的に否定されそう

144:人間七七四年
17/06/14 13:27:39.97 j/nD380W.net
さらに徳川の主力が参加してないというすごさ
家康の行軍すら異常に遅かった

145:人間七七四年
17/06/14 15:03:23.87 0f/ZR1SM.net
>>142
財政界を排除した天皇親政を謳う
時代錯誤の皇道派が正しいわけないだろ。
対象を直視せずに明後日の方向を見て評価しようとするから
そんな無茶苦茶な結論を言い出す

146:人間七七四年
17/06/14 17:44:14.64 8qcuZMG8.net
>>140
こういう場合、一番乗っ取りに近くて危険なのが後見人と傅役ですからね。
次席大老を傅役って立場にしてる時点で家康を警戒してるとしか思えないですし。
大体、徳川が勝手な事をした場合に止められる奴がいるの?って事でしょうしね。
前田の立場は、明らかに家康が勝手な事した場合に傅役の権威を利用して討てって
事だと思います。
だもんで、利長がへたれて母親を人質に出した時点で秀吉の構想は崩壊でしょうね。
家康が何と言おうと、大阪城に居すわっとけば家康も何も出来んでしょう。

147:人間七七四年
17/06/14 18:02:13.25 tNIh7MfX.net
>>146
傅役は言われてる程、重要な職では無い
少なくとも後見役である家康よりは明確に劣る

148:人間七七四年
17/06/14 18:17:35.02 qG0fNKWT.net
>>146
家康の縁辺事件の時も圧倒的有利だった利家が先に折れて
徳川邸を訪問してるし、
公家の日記に「事件発生の翌日には殆ど解決した」と書かれるくらいに
徹底抗戦を避けてさっさと鎮静化させてる
利長云々以前に利家存命の時から
前田に徳川と対立する意志はない

149:人間七七四年
17/06/14 20:03:50.42 5so3w4kp.net
利家がこういう選択したのって要は
家康の行動に問題がなかった証明だとおもうんだけどね自分は。
少なくとも諸大名総出で大騒ぎするほどの問題じゃなかったんじゃないかと。
後世の連中が無駄に話を大きくしただけじゃないのかと。

150:人間七七四年
17/06/14 20:17:41.54 EH11+dVg.net
>>146
徳川が勝手な事をした場合に止められる奴がいないから、徳川を取込むわけよ。
五大老のうち4人(もしくは過半数)が外様大名の中で、織田豊臣系大名を統括する役割が前田なわけ。
徳川+前田で秀頼を支え、豊臣政権は盤石と考えるのが普通。
前田を徳川への対抗のため、という考えは組織論がわかってない人。

151:人間七七四年
17/06/14 21:06:09.99 rYJq59yO.net
まぁ四大老五奉行で徳川を止められるなら
乗っ取りの危険を冒して政権中核で実権を与える必要は無いわな。
実権を与えず名誉職に据えとけばいい。
徳川は信用出来ない。
じゃあ上杉と毛利は徳川より信用出来るかというと
それも微妙だろう。
前田も賤ヶ岳でサッサと長いものに巻かれた「実績」があるし、
宇喜多は本人は兎も角、勢力として信頼が置けるかは微妙。
結局五大老五奉行を徳川監視体制だけが目的と見るには
面子も構造も中途半端なんだよな

152:人間七七四年
17/06/15 00:06:37.67 hXeQEiSD.net
ですます調でしゃしゃり出てくるのはいっつももっともらしいこと言ってはたちまち
論破されてて笑えるな

153:人間七七四年
17/06/15 09:34:20.66 AVMSexlP.net
墨俣からたった20kmのところに関ヶ原があるのほんと感慨深いな
って太閤立志伝5で思った

154:人間七七四年
17/06/15 14:48:44.68 m17nF7cr.net
このスレのどこで誰が誰を論破してるの?

155:人間七七四年
17/06/15 15:27:58.28 eZRAjBLf.net
論破という言葉を最近覚えたんだろ
使ってみたいだけ

156:人間七七四年
17/06/15 15:58:36.54 X5WdJ4CW.net
「ろんは」と「ろんぱ」どっち使う?
俺は前者なんだけど

157:人間七七四年
17/06/15 21:55:38.02 3yOXX0rj.net
長束は12万石で1500人てやる気ないだろ。家近くなんだから4000人は連れて来いよ。

158:人間七七四年
17/06/15 22:04:03.51 lJEPn3wb.net
長束正家は五万石で千人

159:人間七七四年
17/06/15 22:06:05.54 lJEPn3wb.net
間違えました、無視して下さい

160:人間七七四年
17/06/15 22:08:10.51 LwpwscvK.net
>>157
関ヶ原に参加してるだけ増田よりマシだろ。

161:人間七七四年
17/06/15 22:41:36.81 AJRd6cU/.net
そもそも三成以外の奉行は戦に負けても自分達は大丈夫と思ってそう

162:人間七七四年
17/06/15 23:02:14.32 3yOXX0rj.net
増田長盛が10000人連れてきてれば展開は違ったろうな。
盛次や渡辺了もいるし石田家の島、蒲生、宇喜多家の明石みたいな活躍で東軍は潰走を強いられる。

163:人間七七四年
17/06/15 23:03:12.89 B56uFfJO.net
しねーから

164:人間七七四年
17/06/16 00:01:10.56 Zu/PpEkc.net
島左近の過大評価は異常
あいつ真っ先に討ち死にしただけだし
あんな猪武者より調略や小早川の内通を阻止できる謀略家がいれば…

165:人間七七四年
17/06/16 02:45:44.16 lfJpNkKX.net
そんな策謀家いたら三成の決起を死んでも止めるんじゃね?

166:人間七七四年
17/06/16 04:50:59.97 ctPjduM9.net
>>164
仕方無いですよ、島左近の評価って徳川幕府が石田三成を謀反人認定した余波みたいな物
だと思いますから。
兎も角、天下を狙った大悪人認定されてるから下手に褒めると首が飛びかねないしね。
でも大阪夏の陣の結果が結果だから、どうしても同情が集まる訳です。
そうだ、三成の家老なら問題ないよね?ってのが真相だと思います。

167:人間七七四年
17/06/16 08:12:49.11 BWSksa3N.net
そこは目的と理想ありきだから

168:人間七七四年
17/06/16 11:11:05.45 0iEqLORL.net
もしも上杉討伐戦で徳川軍がまさかの大敗してその後に西軍発起という行程だったら、、、、?

169:人間七七四年
17/06/16 11:26:11.87 Qq9K1yTy.net
>>168
まず大敗が有り得ない
意外に長引くパターンはあるかも
ただ、その時は無理矢理西軍にした連中は東軍に合流しちゃう

170:人間七七四年
17/06/16 11:45:39.90 yujeD8jJ.net
>>166
君、小説家にならない?

171:人間七七四年
17/06/16 12:18:19.31 E5LWc1hU.net
前田慶次郎が無双して上杉軍を勝たすかも知れないぢゃない!!!!

172:人間七七四年
17/06/16 12:52:15.37 Zu/PpEkc.net
最上の志村けんと鮭なんとかに上杉軍は無双されましたな

173:人間七七四年
17/06/16 14:00:34.55 BIxlC3Pc.net
上泉主水の救援も失敗してるしな

174:人間七七四年
17/06/16 14:19:19.20 xiFYbSgV.net
三成挙兵がなければ上杉滅亡だろ
徳川がますます大きく強くなる
上杉の次は宇喜多かな

175:人間七七四年
17/06/16 14:37:08.13 BIxlC3Pc.net
上杉滅亡を目の当たりにして
同じように逆らうほど宇喜多も毛利も馬鹿じゃ無いだろ
前田のようにさっさと人質出して屈服して本領安堵して貰うさ

176:人間七七四年
17/06/16 14:43:54.96 BIxlC3Pc.net
元就が良い父親だったのは妙玖との子供に対してだけだよな

177:人間七七四年
17/06/16 14:44:49.34 BIxlC3Pc.net

やっちまった

178:人間七七四年
17/06/16 18:36:21.20 hUw9CUu8.net
結局あの状態なら上杉も宇喜多も毛利もいずれ鳥潰しされる可能性はある。大大名の決起は仕方ない。

179:人間七七四年
17/06/16 19:22:13.28 dVqllbPw.net
だから前田は潰されていないとw

180:人間七七四年
17/06/16 19:54:56.46 WmmpxMaP.net
上杉降伏、毛利、宇喜多も人質を差し出す
で、この後家康はどうやって豊臣を潰すの?

181:人間七七四年
17/06/16 19:59:08.88 ebPKM7zU.net
徳川は250万石のまま。
関ヶ原負け組も、所領そのまま。
豊臣家を潰せる要素が見当たらない。
三成の不忠ぶりが際立つな。

182:人間七七四年
17/06/16 20:29:21.07 89345+FN.net
よく家康嫌いが
「上杉の後は宇喜多も毛利もみんな潰される!(だから決起は仕方ない)」
とか言うが、家康ってそんな過激派かねえ?
石田三成は奉行は辞職したけど領地は一切減らされてないし、
前田は征伐が未遂に終わったとはいえ領地も役職もそのまま。
宇喜多も騒動起こしたのに処分は家臣数名の追放のみ。同じ騒動起こした蒲生に比べると処分が極めて軽い。
上杉も征伐軍が動いたとはいえ滅亡までやるとは思えない。史実の関ヶ原の後でさえ、減封処分なのに。
むしろ西軍の方がはるかに過激に見えるぞ。
毛利は瀬戸内周辺に兵を出しまくるし、上杉は最上領制圧しようとするし。
細川は改易処分されそうになるし。

183:人間七七四年
17/06/16 21:24:59.21 g7QSA1Bv.net
福島も加藤もとりつぶしにしてるくせによく言うよ
大阪の陣の外堀ばかりか内堀まで埋めるとか、そこまでしなくてももう完全にワンサイドゲームなのにやることがセコすぎるんだよ

184:人間七七四年
17/06/16 21:30:27.03 URT9aMg4.net
正則は傲慢だったし
清正亡きあとの加藤家には藤堂を派遣して政治を後見させている
セコいとか、戦争なのに平和ボケ発想だな

185:人間七七四年
17/06/16 21:45:43.30 Us0vHHct.net
現代日本にこびりついてる不満点の根源がどこにあって、そうならなかった方法を追究すると「三成がトップになって豊臣の世が続けば良かった」なんだよ

186:人間七七四年
17/06/16 21:51:15.89 2W8ONK95.net
>>183
大坂の陣の和睦条件は堀をすべて埋める事なんだが…
まあ内堀は豊臣家が埋める事になってたけど、諸大名が手伝ってあげたらしい。
理由はさっさと埋めて和睦の条件がきちんと履行されたか確認しないと
諸大名がいつまでも帰れないかららしいが。要するに無駄な遠征費用の削減だな。
江戸時代になってからはいかに上手に徳川と政治的につきあっていくかが問われる。
ぶっちゃけ福島も加藤もその辺がへたくそすぎる。
関ヶ原で西軍についたって丹羽や立花のように大名に復帰できるやつもいるし、
豊臣子飼でも蜂須賀や脇坂のように江戸時代を生き抜くやつもいる。
木下家定の家系なんか豊臣姓を江戸時代の間名乗り続けてるのに問題なく存続している。
加藤や福島だけ取り上げて徳川に非があるかのように言うのはおかしいね。

187:人間七七四年
17/06/16 22:01:59.08 hUw9CUu8.net
後日潰せるようになれば潰す。計画的で過激やん。西軍の毛利の軍事行動と比べてどうする。

188:人間七七四年
17/06/16 22:04:18.82 2W8ONK95.net
>>185
三成がトップって事は豊臣秀頼が石田三成の家来になるって事だな。
まあ君が三成かっこいいって思ってるだけで豊臣なんかその為の踏み台に過ぎない
って思ってるのはよくわかったよ。
どうせ誤解だの理解が足りないだのほざくんだろうけどもう書き込みから
そういうのが透けて見えるんだよ。
お前みたいな奴がいるから西軍支持する気が失せるんだ。

189:人間七七四年
17/06/16 22:06:08.39 +MRtBR7e.net
>>182
普通に過激派だろw
家康は無断婚姻などがばれて失脚寸前だったのに、利家のとりなしで救ってもらったのに、
利家が死んだら、前田家に暗殺疑惑とかつけて、前田と姻戚関係の細川などにも人質要求。
石田にしても襲われた石田は本来は被害者であり、武断派こそ処罰しないといけないのに石田を処分するおかしさ。
宇喜多にしても家臣の処罰は秀家の権限なのに、勝手に宇喜多の家臣を引き抜く暴挙を行う。
上杉にしても移設したんだから築城するのは当たり前なのにそれをとがめて征伐とかいいだす。
毛利や宇喜多が危機感持つのは当たり前。

190:人間七七四年
17/06/16 22:15:35.03 hUw9CUu8.net
家康をネタに煽ってるだけ

191:人間七七四年
17/06/16 23:41:06.01 njVV7jxa.net
つまらんよな

192:人間七七四年
17/06/16 23:54:40.02 +MRtBR7e.net
>>144
ていうか徳川軍が参加してたら負けてるよ。
豊臣家の武闘派同士の戦いに徳川が参加しても邪魔になるだけ。
それは島津に蹴散らされたり、大阪の陣で浪人に蹴散らされたのをみても明らか。
半島で戦っていた歴戦の猛者には勝てない。
武田と戦っていた時代の徳川なら戦力になっただろうけどな。

193:人間七七四年
17/06/17 00:43:45.44 DQtJnZ+J.net
フィクションの話をされても困るんだよなぁ。。。

194:人間七七四年
17/06/17 01:53:47.33 tCvFQKuj.net
>>189
>>勝手に宇喜多の家臣を引き抜く暴挙を行う
んなことやってない。徳川は宇喜多を出奔してフリーになった奴を雇っただけ
三成が島左近や蒲生郷舎を雇ったのと同じ事。
そもそも戸川も花房も家康に仕えたのは関ヶ原の後。
「引き抜き」とか言いがかりも甚だしいわ。
つーか宇喜多騒動は秀家が悪いわ。
家中の暴発抑えきれずに、よりによって大坂城下でドンパチ始めた挙げ句、
大谷吉継と榊原康政が調停してもどうにもならないとか、
家康が直接裁断する以外どんな解決方法があったって言うんだ?
秀家が自力で解決するまで、大坂城下の混乱を放っておけとでも?

195:人間七七四年
17/06/17 02:02:02.80 6KpAjeW6.net
蒲生騒動以上の大騒動起こして減封一切無しとか、
家康に感謝してもいいレベルだしなぁ

196:人間七七四年
17/06/17 02:03:48.60 a2Sg9sHZ.net
家康が何もしなければ秀家が処断して終わり。
大阪城下を荒らしているのは戸川らだからな。犯罪者を庇ったのは家康。
つか戸川も花房も普通に東軍として参加してるがな。
また島や蒲生は主君にたてついて重臣暗殺とか企てたわけじゃないからな。

197:人間七七四年
17/06/17 02:19:33.22 a2Sg9sHZ.net
そもそも大老である宇喜多を裁く権限など家康にはない。
重臣暗殺して大阪屋敷に立てこもっている犯罪者を処断するのは秀家の権限だ。
それを家康が邪魔をした、むしろ家康とグルであったと言われてもおかしくはないわな。
彼らが担いでいた忠家の息子は東軍についてたしな。
もっとも大阪の後で豊臣恩顧なので、やはり改易にされたがね。

198:人間七七四年
17/06/17 02:31:34.75 tCvFQKuj.net
中村次郎兵衛が襲撃されて宇喜多騒動が勃発したのが慶長5年1月5日。
家康の裁定にそった処分を奉行衆(+大谷)が下したのが5月12日。
4ヶ月間もの間、「秀家が処断」出来なかったから、奉行衆の決定で家康が「裁断」したの。
処分執行の実体の主体は奉行衆だ。
だから花房正成は増田の預かりで関ヶ原が終わるまで高野山蟄居だろ?
あと戸川は関ヶ原時は加藤嘉明に陣借りで家康に雇われてたわけじゃ無いし、
花房正成はそもそも参戦していない。
東軍に付いた「花房」は花房職秀で、宇喜多騒動とは無関係。
>>むしろ家康とグルであったと言われてもおかしくはないわな
おかしすぎるだろ

199:人間七七四年
17/06/17 03:28:48.26 1xGrXtBV.net
>>197
あの時点で武力鎮圧してたら、大阪での市街戦だから普通に減封か改易され
かねないんですよね。
それに異議を挟めば家康は喜んで討伐軍だしそうだし。
家康は、そのつもりでニヤニヤして待ってたら自分の所に仲裁のお願いでΣ(・□・;)...
だったんじゃないかなwwwwwww
普通に首謀者臭い奴にお願いって、20代にしては分別有ると思う。

200:人間七七四年
17/06/17 03:38:46.69 6Lo8B6cz.net
徹底抗戦を主張する秀家を
豊臣の裁定に従うよう説得したのは大谷吉継だけどな

201:人間七七四年
17/06/17 06:50:09.20 jKWSflqi.net
>>199
分別ある奴はそもそも騒動なんて失態起こさんよ。
そうなる前に手をうって適切な処理を行える奴を分別があるという。

202:人間七七四年
17/06/17 07:25:51.46 AZX2aqaw.net
>>198
国元にいたら軍が派遣されて鎮圧されている。
大阪で家康を頼って調停していたから長期化しただけ。
>>199
誰がするんだそんな決定。
秀家の嫁は秀吉の養女になった前田家の娘。


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