【早雲】後北条家総合 ..
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2:人間七七四年
17/04/26 23:19:13.66 YwT+psxA.net
>>1氏乙千代安房守

3:人間七七四年
17/04/27 16:13:30.02 8ou/Gfzc.net
ぬるぽ

4:人間七七四年
17/04/27 17:34:59.80 BTvz5nw9.net
ガッ

5:人間七七四年
17/04/27 20:29:45.32 7xnKlcFl.net
>>2
オマエはメルカトル図法のグリーンランド並に過大評価されてる!
(大阪府 新星OK)
URLリンク(twitter.com)

6:人間七七四年
17/04/29 21:29:17.09 hBzKUkCO.net
地元の備中では伊勢盛定の事績が伊勢長行とされていて誰じゃそれと思ったが
ひょっとして北条早雲の父→鎌倉末裔北条長行→伊勢長行バンジャーイバンジャーイなのか?
狭山藩の吹いた法螺が廻りまわって伝言ゲームに

7:人間七七四年
17/04/29 21:38:18.99 mZ6JQSt9.net
北条家の次男でありながら最初の妻が朝比奈家の誰かもわからない娘だとか

8:人間七七四年
17/04/29 21:45:04.48 hBzKUkCO.net
そもそも朝比奈家が今川家の最有力重臣にも関わらず家系がよくわからんからな

9:人間七七四年
17/04/29 22:13:01.54 hBzKUkCO.net
スレまちがえちゃった
0693人間七七四年2017/04/29(土) 22:11:06.71 ID:hBzKUkCO
頼朝以来の家だから仕方が無いが葛山氏もよくわからんな
氏綱弟の葛山氏広は河東の乱以後も北条についたろうが
次代の氏元は義元重臣だな、つーか義元偏諱でしかも下の字を貰った烏帽子親パターンじゃない?
氏広は追放か殺されちゃった?

10:人間七七四年
17/04/30 06:23:30.14 zhEt4TeB.net
>>9
> 氏広は追放か殺されちゃった?

病死した可能性もあるかと。

11:人間七七四年
17/05/01 11:10:41.40 TBcN24Vr.net
氏邦の子光福丸が秀吉に10万石のお墨付きを与えたって聞くけど本当か?
出典はなんだろう

12:人間七七四年
17/05/01 11:11:33.40 TBcN24Vr.net
すまん、秀吉が光福丸にだった

13:人間七七四年
17/05/03 16:49:21.21 a+XJAbH8.net
いつも当日になってから忘れてたことを思い出すんだよなあ五代祭

14:人間七七四年
17/05/03 21:08:21.60 JJf5/1no.net
別に毎年行くほどの祭りでもなくね?

15:人間七七四年
17/05/07 18:00:22.48 MEnspDl1.net
阿藤快が死んでしまった今小田原市も必死にいろんな俳優役者タレント呼ぶから今年からは前より話題性上がるんじゃないか?
今年は高嶋政伸と相葉雅紀が来たんだろ?
北条早雲 阿藤快
北条氏政 高嶋政伸
この並びが見たかったね〜

16:人間七七四年
17/05/08 09:26:35.59 xrY8+R38.net
>>15
草刈正雄さんも真田昌幸として今年も信州のイベントにやってきた。
大河ドラマはギャラが安いというが、イベント出演料でペイするようだな。

17:人間七七四年
17/05/13 19:32:16.88 FESNNe76.net
箱根関所
山中城出るか?

18:人間七七四年
17/05/13 23:21:28.25 m2QciqkG.net
この前山中城に行ったら結構人いたんだが、三島スカイウォークの影響かね

19:人間七七四年
17/05/14 23:22:25.17 mqSDyJkm.net
今日は寄居で北条まつりだったんだな

20:人間七七四年
17/05/15 00:26:25.36 E8FhZtZe.net
北条に継ぐ関東の次の勢力ってどこ?佐竹?

21:人間七七四年
17/05/15 12:28:07.35 wSZcXqen.net
順番的に上杉、里見、佐竹あたりじゃないの

22:人間七七四年
17/05/15 13:48:06.93 GV24AG8Y.net
時期を区切らんと

23:人間七七四年
17/05/15 22:32:44.66 1mSpxG2j.net
碓氷峠で松井田攻めの陣城発見ですってよ

24:人間七七四年
17/05/16 02:53:59.11 vrbhIri2.net
>>22
1560〜1590あたり

25:人間七七四年
17/05/16 07:31:37.94 e882Fky9.net
これでええんとちゃう?
URLリンク(togetter.com)
ただし迷惑な北風来襲直前であって
ユルい従属だった上野はじめ北関東はほぼ全部失う

26:人間七七四年
17/05/17 02:47:02.03 JyxxYroO.net
謙信来る前は支配地だけで言えば最盛期近い勢力だったんだな

27:人間七七四年
17/05/17 13:58:01.42 pntACPJ4.net
北条家は新九郎盛時の時代から氏直まで他の戦国大名に比べかなり税率低かったようたがそれであの飢えとプチ氷河期だった戦国時代やってけたのか?
関東は肥沃な大地だから大丈夫だったとか?でも相模と伊豆合わせても30万石に満たないんだよね、、、

28:人間七七四年
17/05/17 14:35:09.48 fUIcFRD9.net
北条家が税率が低かった、と言うのも台風とか疫病から来る飢饉があり民自身が十分に食えなかったから等の理由があるらしい。また「じゃ他の大名はどれだけ税を取ってたのか?」と言うと史料不足から分からないって黒田さんの本に書いてあった

29:人間七七四年
17/05/17 17:46:23.94 sH6/X85L.net
黒田氏が「北条は低税率」とか無責任な事を書くとは思えんな
北条の低税率て「北条早雲は伊豆を平定して四公六民の善政を敷いた」とかいう出典不明の講談話が根拠だし
一次史料からは北条は貫高制で一反500文という武田や今川と変わらぬ税額を徴収してた事がはっきりしている

30:人間七七四年
17/05/17 18:11:50.80 bUIONMCS.net
参考までに言うと

関東入りした徳川の武将曰く

前に治めていた北条氏は善策を敷いていたためそれに合わせた税率にしなければならず苦労した(下手に民衆の反感を買い一揆を起こされ、秀吉から目をつけられないため)なんて話があるから
少なくとも徳川家よか税率は低かったものと

31:人間七七四年
17/05/17 18:35:45.39 sH6/X85L.net
>>30
>関東入りした徳川の武将曰く
誰が言ったのか?出典は?

32:人間七七四年
17/05/17 19:12:05.68 pZ0da7ct.net
末期の北条は貨幣経済が崩壊し、税の物納が横行していた。
つまり、まともに税金(銭)を集められなかった訳だ。
これを徳川武将が低税率と勘違いしただけだったりしてw

33:人間七七四年
17/05/17 21:46:25.39 +mhbMzlx.net
銭不足は寧波以降の全国的な現象やん
乾煎りの要因でもある
んで寛永通宝量産した徳川はエロいという話に落ち着く

34:人間七七四年
17/05/17 22:34:35.65 pZ0da7ct.net
全国的な銭不足はあったが、
それは大量の銭運用が不可欠な大規模商業レベルの話。
年貢レベルの銭もなかったのは北条くらいしか。

35:人間七七四年
17/05/17 23:22:48.35 sH6/X85L.net
近年の研究によると戦国時代の関東で流通していた永楽銭の多くは明製でなく関東で密造された物らしい
北条の永高制失敗はこのあたりに理由がありそうだな

36:人間七七四年
17/05/22 07:29:00.66 ATJDJA8h.net
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37:人間七七四年
17/05/28 17:27:31.78 TCAxCOTi.net
>>35
鋳型は見つかったのかねぇ?

38:人間七七四年
17/06/13 20:27:52.40 onczdEEc.net
某サイトより氏照氏邦がそもそも養子だった可能性について考えてみる
考えてみただけだけど
そもそも男だけでも8人兄弟というのが違和感バリバリで
とりあえず2人は養子1人は妾腹ということまではまあ決まりとしたとこで、まだ多い
そもそも2人とも氏政から養子をもらうというのも少々違和感
氏邦に至っては実子がいたのに
大石氏藤田氏双方とも関係系図が混乱してるようだし
傍流のうちの従順な家で才覚を認められた子を猶子としてそれぞれ本家を継がせた
、なんて可能性は無いスかね

39:人間七七四年
17/06/14 23:07:34.70 bmDCWU9I.net
二人の実子の信憑性だよね
氏忠娘の婿なんて孫くらいの年齢だし
系図や後世の史料ではなんとでもいえる

40:人間七七四年
17/06/15 00:56:20.43 T3Pfl8q0.net
早雲が高橋高種、氏綱が綱成を一門格扱いとして迎え入れたように
もっと言ってみれば今川義元が松平元康北条氏規に教育を付けたと言われていたように
氏康にも同じ発想に至ったという可能性を考えてもいいと思うんだよね

更にいうと氏政子もどうも違和感がある
特に黄梅院腹と言われてるのが

41:人間七七四年
17/06/15 00:57:49.84 T3Pfl8q0.net
とりあえず太田源五郎の諱がわからんもんだろうか
無いわけ無いハズなんだが

42:人間七七四年
17/06/15 11:36:13.99 fvG6gDEj.net
>>40
高橋高種は明らかに創作やぞ

43:人間七七四年
17/07/03 23:26:52.14 BNCPsw5F.net
そういえば大昔には景虎(北条三郎)が氏政の従兄弟説あったよな?
あれって結局否定されたでOK?

44:人間七七四年
17/07/03 23:51:32.69 lAaaMgL6.net
従弟説初めて聞いたわ
氏秀と混同されていたのと、一時期宗哲の養子になっていた経緯があるから
それで誤解されてただけじゃないの?

45:人間七七四年
17/07/04 20:49:11.69 KLDnDs05.net
たぶんそれだと思いますね。昔は氏秀と同一視されてましたし。(氏秀は綱成の次男?)
氏秀なら氏政の従兄弟ですし。
天用院(氏康長男)と早川殿(長女)が側室の子説あってこっちは本当に??でした。
長男長女なので正室腹以外ないと思うのに・・。

46:人間七七四年
17/07/05 12:36:49.40 /PGs4wCr.net
紛らわしい上杉さんちの北条さん

47:人間七七四年
17/07/05 18:04:03.09 hke1yAVO.net
>>45
織田信広「せやろか」
ところで新九郎氏親早川殿側室腹説はやる夫氏康スレぐらいでしか見た事無かったんだが
なにかの本でもそういう記述あるの?

48:人間七七四年
17/07/06 18:12:29.03 Gf+y7p0T.net
>>45
信長以外にも蘆名盛氏、佐竹義昭、伊達忠宗、真里谷信応など嫡子でも庶兄がいるケースは多々あるよ

49:人間七七四年
17/07/09 21:07:06.29 Sx9ehYuj.net
鳳翔院殿って通説では氏政継室ってことになってるけど、大宅高橋家過去帳には側室ってはっきり書かれてるらしい

50:人間七七四年
17/07/09 23:29:19.22 xxZ+AzJp.net
今川とははとこ婚にいとこ婚が重なることになるからなあ
あと伊豆相模の太守嫡子の初婚が22って遅くない?

51:人間七七四年
17/07/09 23:44:43.48 ZQ8UOuFG.net
あと去年でた北条氏康の子供たちという本の中には氏邦が瑞渓院の子ではなく母親は
三山氏(綱定の姉か妹)の女性である。とも書かれてるんですよね・・。
これもどこまで信憑性があるのか不明ですが。この本以前は全部瑞渓院の子になってるし。
氏康の息子たちについての本はこれが最新かな?

52:人間七七四年
17/07/20 21:53:08.09 2+K5y2eR.net
養子になって北条を名乗る
通称は上総・常陸・治部
軍装を統一して色備え
高橋家の所伝って玉縄のインスパイア系だよね

53:人間七七四年
17/07/22 09:38:38.45 vWvH7eKC.net
そもそも軍装統一なんてどこから湧いて出た?
源姓福島氏が氏神八幡神を地布黄色の旗指物としてたというだけで

つーかおまいつ

54:人間七七四年
17/07/22 22:24:04.82 tZ/0cGwN.net
そこから五色備えを創作したんでしょ>地黄八幡の旗指物

55:人間七七四年
17/07/23 01:30:01.19 6Q7txkQM.net
無駄なカネと手間をかけなきゃなんない意味がわかんない

56:人間七七四年
17/07/23 07:27:19.67 jKpYzr/o.net
昨日だか一昨日だか信長の新作スレで見たな
郷人は足軽と同じような格好をしろって氏邦が命令してると

57:人間七七四年
17/07/23 10:36:34.15 6Q7txkQM.net
それは正規兵のフリしてろという意味
安価なタール塗料の無い時代に高価な鉱物顔料使ってまで色調統一して得られる効果がわからない
動きが目立つから敵の標的になり易く友軍の作戦遂行のアシストになるのと
あとは敵軍が威圧されてビビってくれればいいなあ、て事?

58:人間七七四年
17/07/26 22:54:28.58 dYVyrtaX.net
何を言ってるのかわからんの俺だけ?

59:人間七七四年
17/07/27 21:00:39.95 KFA0YJM/.net
やっぱり4代会長カリスマ化キャンペーンはあったのではないかと思わざるを得ないwww
司馬だけは資料集めに相応の時間をかけるから出遅れただけで他は完全に在任中
@buqimingri
ひと昔前だと、後北条氏のことを知りたくなった時に、小説では不可能だった記憶がある。
私が興味を持ち始めたのが1979年頃で、既に一通り専門書があった。
一方で、小説は「北条早雲」の下剋上云々話しかなかったから。並べてみると、
なぜか編著・小説が1980〜84年に集中している。
〇1980・北條早雲・早乙女貢
〇1980・小田原北条記・現代語版
〇1981・関八州古戦録・現代語版
〇1984・箱根の坂・司馬遼太郎
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1979年(昭和54年)4月24日、池田大作会長の退任に伴い、第4代会長に就任。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
『若き日の北條早雲』(わかきひのほうじょうそううん)は、テレビ朝日系列の
ゴールデン劇場(毎週木曜日21:00 - 21:54)の枠で、1980年(昭和55年)5月8日から
同年9月18日まで放送されていた時代劇ドラマ。全20話。

60:人間七七四年
17/07/27 21:04:42.00 KFA0YJM/.net
これは御不興かっちゃうよね
仮にゴニョゴニョされても仕方ないよね

61:人間七七四年
17/07/28 07:12:49.09 AesAg7rQ.net
箱根の坂
スレリンク(sengoku板)l50
>『箱根の坂』(はこねのさか)は、司馬遼太郎の歴史小説。戦国大名のさきがけとなり、戦国時代の口火を切った北条早雲の生涯を描く。
>1982年(昭和57年)6月から1983年(昭和58年)12月まで『読売新聞』紙上で連載された。
>また本作に先立つ随筆でも、訓令を発布して民をよく撫育し領民達に慕われたその人物について、
>「政治の基礎に民政をすえた日本最初の政治家」と評している。

62:人間七七四年
17/07/28 08:10:24.91 MG8QKmAd.net
早雲が口火を切るまでもなく関東は荒れてたよな

63:人間七七四年
17/08/01 19:57:45.80 gBqMJjN/.net
というか、室町時代を通じて関東がまともに平和だった時代の方が少ない気がする。
そもそも当時の幕府が全国を統制できるわけではないのだから仕方ないのだろうけど。

64:人間七七四年
17/08/01 21:57:52.14 bGdql5+a.net
関東公方が率先して荒らしてるんだもんなあ

65:人間七七四年
17/08/01 22:14:17.08 dEuErYM6.net
北条浩
創価学会第4代会長

66:人間七七四年
17/08/02 07:34:51.69 4OVcaFgz.net
京都から遠い→統制しにくい→じゃあ将軍に次ぐ強い権限と立場の鎌倉公方をつくりそいつにまとめさせよう→鎌倉公方が反乱
→仕方ないから鎌倉公方の部下の管領に反乱鎮圧の手伝いを→反乱鎮圧→その部下のが強くなって謀反→謀反鎮圧→管領家内部が分裂して闘争
だいたいこんな感じかな?

67:人間七七四年
17/08/02 18:41:50.66 ciih2Yrh.net
いや鎌倉幕府→鎌倉府→鎌倉公方
これ大事
将門から頼朝ときて幕府、北条はさんで足利兄弟、兄尊氏が京都で弟直義が鎌倉、
南北朝時代突入、鎌倉は尊氏の子に移り尊氏派だった畠山氏高氏と直義派だった
上杉が争い、上杉が勝って尊氏の子と上杉が関東を収めるがねじれ国会化。
中央よりの上杉と鎌倉圏を大事にする公方が争う(それでも上杉は公方を大事に
してたけど)あとは扇谷や道灌ときて
早雲、謙信、秀吉、徳川とせわしなくずっと争った……将門からなんかずっとだな
それだけ関東の独立性はうまーなんだろうな

68:人間七七四年
17/08/02 21:06:16.01 4OVcaFgz.net
そもそも両上杉家の争いがない状態なら早雲が伊豆から先に進む事はなかったのだろうか?

69:人間七七四年
17/08/02 21:12:44.81 8c7v+bVy.net
そもそも伊豆の地侍はなにしてたん?
清水や富永、、、

70:人間七七四年
17/08/02 22:37:13.27 4OVcaFgz.net
1)今川の支援を受けた伊勢に対抗するほどの力がなかった。
2)既に調略されていた。
3)堀越公方自体が邪魔だった。
というところでは?

71:人間七七四年
17/08/03 00:03:38.60 Uy3ZREsX.net
>>67
もう少し読みやすくしてくれると助かる

72:人間七七四年
17/08/03 19:11:52.08 NwKUR0t9.net
伊豆は地形的に逃げ場がないからなあ。
地の利を得にくい戦いになる。

73:人間七七四年
17/08/04 15:23:41.31 noic/V+X.net
島を伝って逃げればおk

74:人間七七四年
17/08/04 15:32:54.06 gfJrJgac.net
>>73
それはリスク高すぎ。

75:人間七七四年
17/08/04 19:29:26.15 SqTzMjpi.net
伊豆は水軍を運用する連中ばかりだろう
陸の土地にはあまり固執しなかったんじゃないか?
大して米もとれないし

76:人間七七四年
17/08/04 20:37:30.18 WZ1M1OZ+.net
そもそもで言えば伊豆が反発する理由もないんじゃない?
扇谷と堀越は仲悪いけど、政治的争いに近いし(渋川が扇谷を中央に告げ口)
言いたいのはみんな争ってるけど、重要なのは中央(今川、堀越、早雲、山内、扇谷)
VS成氏なんじゃないか?理由としては武蔵の豊島も大石も扇谷が西から流れてきても
普通に領地を分けてる(まぁ豊島はそのあと反発したけど)
だから伊豆まではすんなり早雲は後ろ盾があっていけた。
そこからは扇谷の道灌殺害で内がゴタゴタしたときに
大森が扇谷から離れたことが決めてだったんじゃないか?
道灌自体は今川領のゴタゴタのことしかり渋川のことで上洛しかりとにかく走り回って
中央組をうまくまとめてたと思う。で「当方滅亡」で早雲が一気に躍進してしまったと。

77:人間七七四年
17/08/04 21:33:20.74 CwNfjHq4.net
>>74
かなりリスクはあるんだろうけど
頼朝公も相模湾を横断して逃げて無かったっけ?
茶々丸も伊豆南部に逃げてそこから武蔵まで海で逃げた説もあるから
いざとなったら使う手段ではあるんだろう。

78:人間七七四年
17/08/07 19:51:28.62 P7cqGDu8.net
堀越公方が伊豆にとどまらざるを得なかったのは古河公方も上杉氏も反対したからで、
そうなると上杉氏が揉めてなければやはり伊勢氏は伊豆で止まっていたはず。

79:人間七七四年
17/08/07 20:02:19.69 18wLIx64.net
両上杉が争っていなければ援軍を要請されることも、どさくさで小田原城を手に入れることも無かったろうしな。

80:人間七七四年
17/08/07 23:38:33.73 RMqjGXh6.net
ここは北条のスレだから少しずれて申し訳ないんだけど、
やっぱりこういう流れでいつも思うのが、なぜ急に扇谷はここまで調子をこけたのかって
思っちゃう。どうしても一番初めに学んだ感覚が抜けなくて、「あれ?上杉って山内、
犬懸、宅間じゃなかったっけ?」って。持朝で少し地位が上がったけど、
補佐補佐でやってきたのに急に「堀越さん?それに山内?あんまり好きじゃないっす」
みたいになってるのがビビる。普通は道灌、道灌父のおかげってなるんだろうけど、
(道灌大好きだけど)個人的には景仲が混乱に乗じて上杉、公方を越えて
関東を手中に収めようとしてたんじゃないか、関東がここまで荒れたすべての黒幕は
景仲じゃないかと思うんだけど、みんなはどう思う?

81:人間七七四年
17/08/08 00:41:40.57 8SqAI6oP.net
堀越公方と扇谷が和解できたのは持朝の長年の功績が幕府に評価されてたからだっぺ?

82:人間七七四年
17/08/08 12:16:49.84 4RX2F1Zl.net
憲実が変人だったのが混乱の元凶
なにがやりたかったんだ

83:人間七七四年
17/08/08 17:51:07.43 AGevgUye.net
まあ結果論だが
北条という混乱極まる坂東をまとめる人間が出たことは本当にラッキーだと思うよ

あのまま両上杉が戦い続けてたら武蔵や相模はどうなってたか、、、せっかくの大穀倉地帯なのに人は逃げ田畑は荒れ、、、まさに不毛地帯になってきたたろうな

84:人間七七四年
17/08/08 17:54:05.64 lFrbAD/v.net
ひょっとすると家康が入るまでの関東って石高詐欺の荒野だったんじゃね?
越後一国にボッコボコにされてたんだからさ 

85:人間七七四年
17/08/08 18:38:50.69 AGevgUye.net
それはないだろう
北条が5万の大軍を動員したのも下野や上総を攻撃する際には武蔵を拠点にしてんだからな
つまりそれだけ兵を養う兵站線を確保してたって事だし、、、もし相模や武蔵から米とれなきゃ氏康時代の北条の石高は10万石以下だぜ

86:人間七七四年
17/08/08 21:57:04.36 xjDdTpft.net
>>80
両上杉や公方家の話は北条氏が勢力拡大した原因なんだから別にいいと思う。
ただ長尾景仲黒幕説はどうなんだろう。
自分か将軍になろうとしたり、関東独立を目指した公方家や関東制覇を狙った北条氏に比べると
あくまでも上杉家内での勢力拡大を狙っただけな気がする。

87:人間七七四年
17/08/08 22:05:38.49 987AnSoB.net
すでに上杉内で地位も名声も得ているのだから勢力拡大というより家宰として、やるべき事をやっているだけな気も。
まあ成氏暗殺を企んだりは行き過ぎかもしれんが。

88:人間七七四年
17/08/08 23:04:53.17 xjDdTpft.net
>>成氏暗殺
そもそも公方自体がおとなしくしてりゃ関東が平和だった気がする。

89:人間七七四年
17/08/08 23:27:41.74 4RX2F1Zl.net
基氏流に拘らにゃならんかったのか

90:人間七七四年
17/08/09 01:04:34.48 AHSEgKKE.net
まず上にも書いたけど、「公方が暴れなきゃ」っていうのは「少し違う」と思う。
目線の問題だから完全には違くはないけどさ。
幕府を鎌倉で起こしたときに関東の名家が中枢に入り込んでる、
それで中央で出世するところもあれば関東に残るところもある。
その後、鎌倉府という関東システムができあがってるわけだから公方がひとりで暴れる
わけじゃない、庶流は養子として名家に行ってるし相互システムだからね。
だからあっちについたこっちについたって話なんだから。
まぁそれはさておき>>82>>87なんだけど根拠もないから妄想の域なんだけど
違和感はやっぱりあるでしょ?憲実は変で清方はすぐ亡くなり、
憲忠のときに成氏襲撃、その横、または中心に景仲がいる、
憲忠なんて家臣の動きを把握してないぐらいに。
さらに景仲の意向で扇谷と太田家が躍進してる。
太田家なんて、山内大石から武蔵守護代奪ってるしさ。
まぁ「家宰として、やるべき事をやっているだけ」に落ち着くのは同意なんだけどね。
なにか歴史が抜け落ちてる気もするんだよね。

91:人間七七四年
17/08/09 02:33:28.08 v1OJMv9m.net
憲実って事績だけを見れば流れ管領とか書かれるポジジションだよね

92:人間七七四年
17/08/09 18:51:38.70 b00AGadD.net
清方の死は謎だなあ
病死にしても何で記録が残っていないのか

93:人間七七四年
17/08/09 20:19:32.55 6X/TV5Fn.net
北条の領民は女子供含めて全員弓が使えて
足軽は槍足軽も弓矢さえあれば即弓足軽として機能してたって北条の記録をまとめたような本で読んだんだが
誰か知ってる人居ない?

94:人間七七四年
17/08/17 07:35:10.03 N8xMkLDs.net
何がしたかったでいえば上杉定正もなんだかなあのレベルな気がする。
まあ有力すぎる家臣は危険だというのはわかるけど。

95:人間七七四年
17/08/18 21:31:14.15 R1pwnL3O.net
前スレで出ていた北条太平記買ったんだけど、
早川殿が氏綱の娘、氏康の妹みたいな系図になってないかこれ?

96:人間七七四年
17/08/20 11:56:39.16 3cyaKPfV.net
>>95 なってますよね・・。Amazonのレビーにも書かれてたけど・・。

97:人間七七四年
17/08/21 07:35:01.15 d5w3oHi/.net
>>95
確かに書いてあった・・・。
わりと取っつきやすい本なので、そういうところを直してもう少し女性も増やして欲しいなあ。
黄梅院とか勝頼婦人の話とか結構ネタがありそうなんだけど。

98:人間七七四年
17/08/22 01:12:55.00 6HhVA79c.net
ネタははっちゃけてるけど一応史実に基づいた本だし史料が少ない女性は出しにくいのかな
それとも単に原作者が戦国期の女性に興味ないのか

99:人間七七四年
17/08/24 07:38:35.13 zXlVo3Kw.net
女性陣も小弓公方や今川、武田、太田に嫁入りして北条の
勢力拡大の一翼を担っているのになあ。

100:人間七七四年
17/08/30 21:20:48.22 sR6g+tqj.net
先週久しぶりに3か月ぶりの小田原城に行ったんだが再建されてから100万人突破したらしいし
平日なのに混んでたから人気あってうれしいが・・北条グッズなさすぎ・。三つ鱗のペンダントとか出たら
10万までなら買うんだけどな・・。

101:人間七七四年
17/09/04 19:37:51.20 0abb2wTZ.net
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

102:人間七七四年
17/09/12 02:02:20.47 6C62tfm1.net
北条氏政の前期花押が舅の武田信玄の影響受けてるってのはよく言われるけども
それを言うなら上杉景虎末期のほうがよっぽど武田様式に思える
あれ見てると景虎が武田に預けられてたという講談話が実話に思えてくるんだけど

103:人間七七四年
17/09/12 11:56:58.68 NmQ4TNr4.net
武田へ人質として預けられていたのは氏秀の方じゃなかった?

104:人間七七四年
17/09/12 19:33:29.66 6C62tfm1.net
軍記・講談でも三郎と呼ばれてたから孫二郎のほうの氏秀は関係無いよ?

105:人間七七四年
17/09/20 21:45:14.88 EFLq/s/Q.net
氏康嫡男の実名が氏親だっていう説
氏親は外祖父であり当時の今川当主・義元の父の名だよね
考えてみれば氏照も大概な命名だけど
氏綱は義元と家督を争った異母兄を擁立した福島氏の遺児を婿養子にして北条の名字を与え
氏康は義元の父の名前を嫡男に名付ける
綱成は三国同盟以前とはいえとても友好関係にあるようには見えない

106:人間七七四年
17/09/20 23:56:14.90 uDr7DwZE.net
今月16日?(19日からしか売ってなかったけど)に出た「北条氏康 関東に王道楽土を築いた男」
の中にははっきりと新九郎氏親とかかれてます。幼名は異母弟と同じ西堂丸で15で元服した際
氏親になってその一年後死亡するまで嫡男扱いだったから瑞渓院の子説で書かれてます。
最近北条本出てるけどこの流れで大河来ないかな?大河見たいというよりそれによって大量に出る
北条本が欲しいだけだけど・・。

107:人間七七四年
17/09/21 15:48:47.14 xSJutgg4.net
そもそも北川殿が伊勢貞親の義娘(妹婿の娘)であることを考えれば
今川に「親」の字を持ち込んだと見なせるわけで
北条側で使っても特に問題は無いな
むしろ嫡男に西童丸という抹香臭い幼名ってどうよ?
もともと病弱だったんやろか

108:人間七七四年
17/09/23 21:26:24.66 Xr8VeV+c.net
御一家の今川家に、氏親元服の10年以上前に死んだ政所執事の養父の名前をね

109:人間七七四年
17/09/24 01:57:54.77 NpvexGz7.net
先代義忠が遠江を巡って孤立して死んだからな
中央政界とのコネクションアピールに使えるもんはなんでも使うだろう

110:人間七七四年
17/09/24 19:23:52.35 k0Wabs3N.net
小田原北条氏2代目当主である北条氏綱は、なぜ父の使っていた伊勢姓から北条姓に改めたのでしょうか?
また、氏綱は韮山城や興国寺城を本拠としていませんが、これにはどういった理由が考えられるのでしょうか?

111:人間七七四年
17/09/25 01:14:56.25 apDuxWKs.net
そいや天正17年北条氏直一字書出状って助五郎殿としか書いてないのよね
ひょっとしてその時点では氏盛でなかった可能性あるのかしら
氏盛て傍系の実名としては重い感じがするので
宗家継ぐこととなって初めて名乗った可能性ないのかと氏親から連想した

112:人間七七四年
17/09/26 22:47:36.71 qjHaKBX6.net
北条改名は大義名分の為でしたっけ?鎌倉を支配下に置いてるから北条性名乗っても問題ないし。
伊勢も中央ではかなり権威ある名前だけど関東ではほぼ知られてない名前だから関東管領の上杉と
戦うための大義名分として鎌倉幕府の執権であった北条の名を名乗ったと・・

113:人間七七四年
17/09/27 07:01:51.28 tTKzY94S.net
何で問題ないんだ
鎌倉支配したら北条名乗れるなんて決まりはないし

114:人間七七四年
17/09/27 08:38:06.05 QLeGQ+K3.net
いつから北条になったのか、なんで北条になったのかの記録も明白に残してないし多少の後ろめたさはあったんじゃね?

115:人間七七四年
17/10/01 15:40:25.07 Xn6IRXlw.net
当時の関東は田舎で、よそ者はみんなでイジメてたんだろうなあ

116:人間七七四年
17/10/01 17:50:50.15 MohVAnq4.net
当時日本の中枢だった京が一番陰湿な虐めをしていたのだから田舎かどうかは関係あるまい

117:人間七七四年
17/10/02 09:38:07.03 O3X6hPpz.net
在庁官人出の大内さんのわるぐちは禁止

118:人間七七四年
17/10/09 08:42:26.09 tQ93QHCH.net
>>106
大河で後北条五代や長宗我部三代やってほしいんだが、なかなかやってくれないなあ。

119:人間七七四年
17/10/09 08:45:49.89 tQ93QHCH.net
>>110
当時の韮山城や興国寺城の軍事的な防御力がイマイチ不安だったのか?
それとも領土を統治するため(内政のため)には、地理的な条件が良くないと判断したのか?

120:人間七七四年
17/10/09 08:48:33.74 tQ93QHCH.net
>>100
小田原城には以前は象さんもいたが、死んじゃって寂しくなった。

121:人間七七四年
17/10/21 01:30:45.13 Jz9Oya1j.net
>>118
貿易港として駿河湾より相模湾の方が都合がよかったからとか?わからん

122:人間七七四年
17/10/21 06:21:36.14 1TRTMJ3J.net
そら関東制覇を目指すのに、いちいち箱根を越えなきゃならない韮山とかじゃ不便でそ。

123:人間七七四年
17/10/21 07:21:00.02 IW8yzWtC.net
>>122
それはそうだな。

124:人間七七四年
17/10/24 03:21:06.33 hU1B11iP.net
関東制覇目指すというより今川以外を相手にすると関東に進むしかなかったんじゃ…

125:人間七七四年
17/10/24 11:48:14.98 sb+ynC2h.net
北条を名乗った時点で関東の支配を目的としていた事は間違いない
後にも織田とのやりとりで関東を分国支配したいとはっきり言っているし

126:人間七七四年
17/10/24 12:02:13.85 JQ7N9HBi.net
三国同盟を結んでる時点で明らかじゃないか

127:人間七七四年
17/11/06 00:01:01.76 VZIW6xJF.net
URLリンク(twitter.com)
>ドラマで万千代が知行一万石まで出世したとのことです!
狭山藩再封時の石高と同じか

128:人間七七四年
17/12/14 20:39:55.19 RD6cfXA/.net
北条氏康の妻 瑞渓院: 政略結婚からみる戦国大名
URLリンク(www.heibonsha.co.jp)
アマゾンだと18日発売になってるけどどっちが正しいんだ

129:人間七七四年
17/12/27 13:09:44.19 Z721SHW7.net
これはキタぞキタキタ
新九郎、奔る!:ゆうきまさみの新連載は歴史マンガ 「月刊!スピリッツ」で伊勢新九郎を描く
URLリンク(mantan-web.jp)
以前から後北条関係にイイネしてたからね

130:人間七七四年
17/12/27 17:33:04.80 6bALbXgC.net
やあ、これは楽しみじゃないか。

131:人間七七四年
17/12/29 00:42:59.30 1A/6SqB3.net
これであとは東村が相越同盟まで描いてくれたら言うこと無いんだが
たぶん第4次川中島までなんだろうなあ・・・

132:人間七七四年
17/12/29 01:13:00.28 1A/6SqB3.net
ゆうきまさみがくじびき将軍ネタをツイートしてる
どうやら新作早雲をやるにあたって伊勢貞国あたりから始めるっぽいな
世代的には箱根の坂(備中伊勢出身説を採り容れつつも素浪人立志伝的展開)の影響受けてるとおもうんだけど
今やるにはやはり室町政体をバックボーンにしてくる気もするし
編集サイドとしてもこのビックウェイブには乗ってくるハズ、営業的に

133:人間七七四年
17/12/29 08:01:35.42 /8mGGKm/.net
>>131
なんのことかと思ったけど『雪花の虎』って作品のこと?

134:人間七七四年
17/12/30 03:32:09.05 LrkSz6H5.net
せやな
雪花の虎は結局海音寺ベースに帰ってきそうな悪寒
やっぱり宇佐見が出張ってきたし
武田よりも先代、先々代からの因果のある山内、北条のほうが話が映えるだろうになあ
同盟期の同陣に巡る駆け引きも物語性が出せるし

135:人間七七四年
17/12/30 03:50:40.15 LrkSz6H5.net
福井あしびはちょっと先取りしすぎたね

136:人間七七四年
18/01/04 21:10:30.36 NpmbSUq+.net
野望大志の北条家はどうだった?

137:人間七七四年
18/01/08 03:27:59.16 CdQeLMvk.net
ゆうき新九郎が月末から
んで権兵衛も小田原がそろそろっぽいな
宮下は陳腐な雑魚描写はしない、きっとしない、しないんじゃないかなあ、ちっと覚悟はしておけ

138:人間七七四年
18/01/11 02:09:54.13 zilSxVct.net
任天堂=豊臣秀吉
コロプラ=北条氏政

139:人間七七四年
18/01/11 10:44:46.86 IsZn4oN4.net
外交ミスで滅亡ダサッ

140:人間七七四年
18/01/11 12:15:31.45 GJhBbwhC.net
大蔵卿局のことはそろそろ許してやれよ

141:人間七七四年
18/01/11 12:19:26.18 Y+zKDIGR.net
何で北条は織田や豊臣に蔑まれ嫌われたのだろうね
他の大国より従順な態度をとっていたのに
土下座外交が逆に癇に障ったのだろうか

142:人間七七四年
18/01/11 12:53:57.31 Z0YT+NiO.net
「石橋を叩いて渡らない」慎重さが合わなかったんでは
トロすぎる人を見るとイラッとする感じで

143:人間七七四年
18/01/11 13:20:33.89 2aX8POEP.net
平山優

144:人間七七四年
18/01/11 16:24:53.44 8it9KG8u.net
ぶっちゃけ「こいつになら勝てる」て思われてたんじゃね?
北条って戦はあまり強くないし周囲に抵抗勢力も多いし

145:人間七七四年
18/01/11 16:42:51.79 CSR+aoJa.net
さすがに恭順するから関東くれって要求に無理があった
信長にしてみれば何の関わりもない北条に関東をくれてやる理由なんてないし
まして武田を滅ぼして余裕が出来てきてからは尚更北条を生かしておく理由がなくなった
しかも南関東が本領と言うのがまた中央政権からすると目障りだったのだろう
南関東は幕府を開くにあたって重要な土地だから自分が将軍になるなら押さえる必要があるし
将軍になるつもりがなくても他勢力に押さえられると幕府を開く名分を与えかねないので直轄にするか信頼できる配下を置きたいと考えるだろう

146:人間七七四年
18/01/11 17:03:42.54 o2V0r4+h.net
南関東が重要なら秀吉も家康を関東に追いやったりしないんじゃね?
鎌倉は一度焼け野原になって鎌倉公方も関東管領も不在で政治的な機能は失われていたし

147:人間七七四年
18/01/11 17:53:18.27 iUYOO+6d.net
天皇の身柄を抑えている勢力を差し置いて幕府を開けるはずがない。

148:人間七七四年
18/01/11 19:45:59.55 Sp6vrWzy.net
武田滅亡後に価値が無くなったってか甲州征伐とかも北条の協力がいらんほど楽勝だった
武田の後に北条ボコる手間が省けてラッキーってなもんなので北条は新入りの子分みたいな扱い

149:人間七七四年
18/01/11 21:34:52.62 GJhBbwhC.net
まあ北畠や長宗我部にもやったようにてきとーに難癖付けただろうね

150:人間七七四年
18/01/11 22:17:28.28 CSR+aoJa.net
>>146
秀吉は別物だね
日本すら捨ててインドまで行こうと思っていたくらいだから
東日本などには全く興味がなかったようだ

151:人間七七四年
18/01/11 22:50:15.96 GJhBbwhC.net
統治能力無かったから常に臨戦態勢を作り出す必要があった説が最近のお気に入り

152:人間七七四年
18/01/11 23:15:39.81 v1LfiZqa.net
常に仮想敵をつくることによって結束力を高めるやり方かw

153:人間七七四年
18/01/11 23:16:48.44 Sp6vrWzy.net
北条に協力を仰がない余裕っぷりといい甲州征伐って信忠に花持たせるためのイベントよね
恭順後北条を潰す気があったとまでは思わんけど先に通じてた反北条勢の面子もあるし関東支配は難しいね

154:人間七七四年
18/01/11 23:22:11.24 GJhBbwhC.net
関白頃しちゃったせいで軍政下に置かないとガバナンスを維持できなくなっちゃった

155:人間七七四年
18/01/12 08:34:08.60 6V8/HhW7.net
その書き方、まさかこんなところにまで豊臣vs徳川を持ち込む気なんかえ?

156:人間七七四年
18/01/12 11:49:54.11 D4jakTb5.net
>>153
少なくとも信長は初めから北条を潰す気だったと思う
北条はひたすら婚姻関係を望んでいたけど信長は完全に無視していたし、一益の関東統治も北条の意向に反するものであった
更に対北条戦を匂わせるような書状も出している
そして決定的なものは朝廷からの将軍職就任の打診だ
これは織田側から朝廷に言わせたものだと言うのが通説だけど、いずれにせよ内容が北条にとって極めて深刻
将軍職就任の条件が「前例に基づいて関東を支配する事」であったからだ
これはもう将軍職がどうこうより北条討伐の大義名分を得るものであったとしか思えない

157:人間七七四年
18/01/12 13:29:30.69 FDuP3C6S.net
それ上野に一益置いた時点で完了してない?
北条は自称関東官僚から関東のその他大勢に

158:人間七七四年
18/01/13 08:02:22.00 r28jGtYy.net
舐められてたってより目的の為に力持てないように調整されてた感じなのね

159:人間七七四年
18/01/13 10:40:43.49 wwtLAz8M.net
織田に関しては例を見ないくらい徹底的に足蹴にされていたよ
敵対してくるように虐げていたと考えて間違いないというか、むしろそれ以外に考えられない

160:人間七七四年
18/01/13 11:11:36.25 sASAtO0A.net
織田と同盟して領国保全→滅ぼされるかもという危機感から本能寺の変で離反
この流れで豊織政権に対する不信感が芽生え後に交戦派や臣従派に別れてまとまらなくなる
実際に信長や秀吉がどこまで考えてたかは不明だがやっぱり関東は特別な場所なのか

161:人間七七四年
18/01/13 11:56:55.51 jUnXUHHv.net
本能寺なければ、先ず越後を制圧。関東反北条派だけでなく奥羽諸将も織田に恭順するだろうから、北条は風前之灯だな。

162:人間七七四年
18/01/13 12:16:41.92 sASAtO0A.net
>>159
まあ本能寺&小田原討伐を経た後世に執筆or編纂された資料も多いので遡って色々書かれるのはしょうがないw
織田も北条もそれほど詳しくないけど個人的にはまだどうするか細かいことは決めてないという印象

163:人間七七四年
18/01/13 16:27:36.29 h8G+un2Z.net
滅ぼされるかもっていうより単純に領土拡大とか関東官僚うんぬんとかもあるか
まあ行動一つとってみても色々要因があるだろうしよく分かんないな
というか関東は難しくてことよく分かんないわw
最近北条にも興味出てきたから勉強したいんだけど難しいw

164:人間七七四年
18/01/13 20:46:19.60 ifl8tUm5.net
織田と佐竹、織田と里見は多少なりとも音信あったんだっけ?
北条攻める時には利用価値ありそうだが。

165:人間七七四年
18/01/13 21:03:51.41 7oQwsIA7.net
ここ3日ほど結構書き込んだけどほとんど知識無いので間違ってたら色々スマンw

166:人間七七四年
18/01/13 22:46:22.18 xoJNP4DO.net
>>164 滅亡前夜の武田勝頼が、対北条で同盟した佐竹に、織田との講和仲介を依頼してる。織田が「今頃?ざけんな!」で取り合わなかったけど。

167:人間七七四年
18/01/13 23:08:12.00 ISSwZWF6.net
>>164
千葉だと信長と通じようとした当主が父親や実権を握っていた重臣の原に軟禁されたあとに追放されてるね
まあ、実在したかわからん名前だけの人だけど、江戸時代に千葉氏再興運動をしていた人間はその人の子孫を称してたっけ

168:人間七七四年
18/01/13 23:35:18.61 yYQ2x4fy.net
>>164
佐竹には常陸介の官職を送っている

169:人間七七四年
18/01/14 00:38:22.97 2U6CD5lT.net
伊勢新九郎漫画はいつから始まるんだっけ
どのあたりまで描くのかな

170:人間七七四年
18/01/14 01:15:27.77 RUbf7rta.net
今月27日発売分より
掲載誌には新九郎クリアファイル付属の名目で
立ち読み避け措置がとられますw
まあ初回くらいまずは買おう

171:人間七七四年
18/01/14 08:02:58.17 6bTu0/y7.net
ゆうきまさみの作風だとストーリー展開が物凄く遅くなりそうだけど、どこからどこまでを描くのだろう。

172:人間七七四年
18/01/14 08:32:35.30 wSrO2D7I.net
後藤隊長はいつ出てきますか?

173:人間七七四年
18/01/15 23:58:47.78 530XE9vA.net
氏邦って元服が遅すぎると以前から指摘されていたけど、生年に新説が出ていて、
氏邦とその家臣が、信玄焼きで失われた秩父郡法養寺薬師堂を再建したときに奉納した、
十二神将のうちの申の神の足ほぞ部に「天正十三年 乙酉八月五日旦那安房守 氏邦本命」と
書かれていて、本命は生まれた年の干支を意味するので、従来から言われてきている
天文10年でも、堀尾古記の同13年でもなく、同17戌申年生まれが妥当ってことらしい
この説に則れば、幼名乙千代丸が最後に確認できるのが15歳、実名氏邦の初見も17歳と、
一般的な元服時期と整合する
また、氏邦の地位が最初氏規より低かったのも単に弟だったからということになる
氏照が氏邦を毛嫌いしてたのもなんとなく分かるような気がしたわ

174:人間七七四年
18/01/17 00:47:23.89 IVnyZBrP.net
>>161>>159
俺もそう思う
上野半国は取り上げられたようなものだし、下野も小山氏への領土返還を強要させられてた
実質的に領土削減されてる
北条が神流川であれだけ迅速に行動できたのは織田(滝川)を仮想敵と認知していたからだろう

175:人間七七四年
18/01/17 01:48:31.53 nRJ5MUXX.net
新九郎漫画展開遅くてもいいから死ぬとこまで描いてほしいな
氏綱が地味に楽しみ

176:人間七七四年
18/01/18 16:44:38.21 ss3hPZPT.net
>氏照が氏邦を毛嫌いしてたのもなんとなく分かるような気がしたわ
そこにやってきた次男藤菊丸氏規説

177:人間七七四年
18/01/18 22:09:04.01 G3Po+EhJ.net
>>173
十二神将像って面白いんだな

178:人間七七四年
18/01/23 11:10:35.00 /B/JNT6o.net
氏政は慎重で決断が遅く合戦も強くないけど
その分粘り強く領土を広げていくイメージ

179:人間七七四年
18/01/23 20:52:45.20 mrCmIEUE.net
氏邦が異腹で3兄弟よりだいぶ年少てなると地位が高い気がするね
母が京下りだったりするのかな

180:人間七七四年
18/01/23 22:25:14.74 Al1dNiz1.net
>>173
氏照と氏邦って不仲だったの?

181:人間七七四年
18/01/25 23:26:41.62 RRPrFKkQ.net
今川氏(祖父は中御門宣胤)との嫡庶・長幼をひっくり返す生母って何処の出だろう
北条氏人数覚書(毛利家文書)
氏直
北条十郎
氏政
北条陸奥守
同安房守
同美濃守
同左衛門助
同右衛門佐
〈氏直いとこ〉同左衛門大夫
〈又いとこ〉筥根寄斎
松田尾張入道父子
(以下略)

182:人間七七四年
18/01/27 13:41:27.19 eNHSVecn.net
>>144
>ぶっちゃけ「こいつになら勝てる」て思われてたんじゃね?
>北条って戦はあまり強くないし周囲に抵抗勢力も多いし

それでどうやって領地広げたの?

183:人間七七四年
18/01/27 14:25:44.28 Oszfp9Jy.net
【東大】 試験用のトレーニングばかり  ≪カンニング学校≫  一般教養が身につかない奴 【京大】
スレリンク(liveplus板)

184:人間七七四年
18/01/27 16:51:15.41 ayHfrXtr.net
>>182
強い敵には無理せず引き下がって勝てる相手をジワジワ味方にしていった

185:人間七七四年
18/01/28 09:25:12.19 x6d/UaA8.net
>>175
とりあえず読んでみた。少年期から書くみたいだが
小説とかではあまり出てこない兄の貞興が出てきて
期待が持てるのかな
次回以降、文正の政変を取り上げるみたいだけど

186:人間七七四年
18/01/28 12:25:15.90 w750HUeq.net
>>182
氏政の代になると外交で騙して領地を乗っ取る作戦が多いな

187:人間七七四年
18/01/29 19:40:30.56 O9VyhgOV.net
ゆうきまさみの漫画、茶々丸が掘越公方でなく鎌倉公方になっていたけど当時は掘越公方って呼び方はされていなかったってこと?
あと、なんかアイスラッガーが出てきた。

188:人間七七四年
18/02/01 21:31:58.67 SrESc+3o.net
北条氏政
乾坤を截破し太虚に帰す
黒田 基樹 著
2018年02月刊行予定
URLリンク(www.minervashobo.co.jp)

189:人間七七四年
18/02/02 00:27:06.74 MEggql0V.net
ワッチョイスレにレスしたくないけど
こっちに書いても嫌味だしなあ

190:人間七七四年
18/02/02 22:32:53.56 GLt9FuOu.net
>>187
第三者からすれば区別のためにも堀越公方や古河公方と呼ぶけど、本人たちにとっては自分が正当という意味もこめて「鎌倉公方」なんじゃないの?
wikipediaレベルの知識しかない知ったかだけど

191:人間七七四年
18/02/03 23:55:39.05 AHhwQ5ht.net
鎌倉殿って呼ぶとスマート

192:人間七七四年
18/02/06 18:51:52.48 B3ZS+RxW.net
北条の末裔で著名な人物って大岡越前以外に誰かいる?

193:人間七七四年
18/02/06 19:13:14.14 KJ0yX/6g.net
北条浩

194:人間七七四年
18/02/07 11:41:03.23 ACO4XqWu.net
>>192
外祖父の北条氏重は保科からの養子みたいだし妻も杉原長房の娘ってことは、北条の血そのものは繋がってないのかな?

195:人間七七四年
18/02/07 12:49:03.19 JYbwmgZX.net
血縁はないね
宗家も玉縄家も血統的には断絶している

196:人間七七四年
18/02/07 20:23:55.81 wE7aTIgF.net
>>194
一瞬篠原長房に見えた

197:人間七七四年
18/02/07 21:58:03.37 Gr1ZdUJk.net
吉良義央の母が早川殿の孫娘
なので上杉綱憲や鷹山とかも氏康の女系の子孫にあたる

198:人間七七四年
18/02/08 21:45:34.56 y0oE8AxD.net
氏邦を氏規の兄にしてる系図は信憑性が低いってことか

199:人間七七四年
18/02/10 23:45:01.92 ZG5QHHGP.net
正室から生まれた3歳上の氏規より上に置かれたけど
庶腹かもしれない氏照よりは下に置かれた
氏照は義氏室と同腹だったりしたのかな

200:人間七七四年
18/02/11 22:29:29.11 8cVSWEPS.net
新九郎
女子 今川氏真(1538〜1614)室 1554年婚姻
氏政 母は今川氏
女子 北条氏繁室
女子 千葉親胤(1541〜1557)室
氏照 1558年氏康と共に足利義氏の元服式に参列
女子 足利義氏(1543〜)室
氏規 1545〜
女子 太田氏資室 1560年婚約
氏邦 1548〜
女子 1564〜 母は松田氏 武田勝頼室
氏規も庶腹だった可能性ってないのかな

201:人間七七四年
18/02/12 00:52:30.65 21cAu35n.net
>>200
氏規は言継卿記に「大方(寿桂尼)の孫」と記されてるから正室の子
今川氏真室は言継が人形を贈ってることから当時かなり幼かったことが推定され(実際の子供の出生からも)、氏規の妹説の方が有力

202:人間七七四年
18/02/12 09:28:54.12 LRe5sgsq.net
氏康の子については黒田氏の瑞渓院が分かりやすかったかな
それより今川義元が庶出の可能性があり、嫡出の娘で
河東の乱等で義元に含むところがある瑞渓院が
自分の長男に実父と同じ諱の氏親を三男に
同腹兄の兄と同じ音の読みの氏照と名付けた事に言及してて
面白かった

203:人間七七四年
18/02/12 10:05:26.99 zlO99uwC.net
早雲もちょっと結婚が遅いが、あれはやっぱり嫡男じゃなかったから婚姻する余裕がなかったのかな
幕府が混乱してて縁談どころじゃなかったのかもだが

204:人間七七四年
18/02/12 15:40:34.84 Y6X21tbN.net
>>200>>201
そういえば、氏規が小田原じゃなくて国境近くの韮山に籠ってたってのがずっと引っ掛かってたわ
元亀2年の本しやうつほね(瑞渓院殿)書状には、うちまささま、うちてるさま、うちさねさま、五郎殿、
六郎殿、太郎殿、四郎殿と書かれてるんだけど、嫡出子のはずの氏規が様付けじゃないってのも
違和感あるんだよね
言継卿記に出てくる「大方の孫相州北条次男也」は、氏規が一時期今川義元養嗣子として、
嫡男氏真に継ぐ扱いを受けていた経緯があるので、そのことを指してるのだと思うよ
というわけで狭山藩が自藩の権威づけに藩祖を嫡出子とでっち上げた可能性も微レ存

205:人間七七四年
18/02/12 20:40:30.21 lDpDkvlK.net
>>202
この説だと氏照は嫡出次男だから、氏規に氏邦の下座になる理由があったことになるね
氏規が今川の人質だったのは江戸時代の史料に出てくる話らしいし
「大方之孫〈相州北条次男〉」も氏規じゃなくて氏照か氏邦のことかも?

206:人間七七四年
18/02/13 09:04:43.37 j6yoDiuL.net
将軍と被ってしまったためにそのままでは偏諱できなくなって
音だけ残して字だけ替えるってのはよくあるんですかね?
それで気になるのが謎の北条氏能
以前は朝比奈泰能関係だと思ってたけど気になってくるのが
武田義信さん
そうです今更絶滅寸前の三郎景虎甲斐入質論者ですw
そういや謀反連座で自刃した穴山弟が信「よし」だったね

207:人間七七四年
18/02/13 09:21:32.83 j6yoDiuL.net
>六郎殿、太郎殿
そういや氏邦よりも氏忠のほうが先かよ
氏堯氏忠親子説も1度見直した方がいいのか?

208:人間七七四年
18/02/13 10:07:17.99 c+Ifd43B.net
出生順に並べているだけだと思うよ
例外として氏真が氏照の下に置かれてるけど、父義元が妾腹だとすれば説明がつく

209:人間七七四年
18/02/13 20:25:10.88 ibdSDlt4.net
>>205
氏規が今川の人質になる少し前に氏照が大石家の養子(のちに北条家に復帰)になってるから
氏規が氏政に次いで次男扱いされるようになったって話もあるね
>>207
氏忠は養子だけど氏堯の家督継承者の地位にあったので、単なる庶子だった氏邦より
上位だった可能性があるらしい
ただ氏邦の名は天正十年の頃には氏忠の上に天正十四年の頃には氏規の上にきているみたいだ
そんな措置が出来るのは当時の北条の最高権力者である氏政くらいだろうから
どんな意図と手段を持ってそんな事したのか、序列の変更というのは案外難しいからな
なにしろ今まで下見みていた相手やその家臣が自分や自分の家臣のうえにくるわけだし

210:人間七七四年
18/02/13 23:20:29.19 89y9BhGe.net
『言継卿記』の大方之孫・北条次男が氏照で、氏規生母の身分が低かったと仮定すると
1556〜57年にかけて駿府に逗留していたのは氏照
逗留の理由は小田原を離れて滝山へ行く前に祖母の元を訪ねたものか
1556年に駿府で行われた祝言は今川家臣との婚儀ではなく大石氏との縁組を祝ったもの
氏照・氏邦が武蔵の有力国衆への婿養子に選ばれたのは嫡出だったため
出生順は氏政・氏照・氏規・氏邦だが序列は氏政・氏照・氏邦・氏規とされた
氏規の正室が他家からではなく綱成女なのは庶出の氏規との結束を固めるため
わりと無理がないような

211:人間七七四年
18/02/14 23:07:38.04 LpMuxoT5.net
氏規の受領成りが氏照・氏邦と同時じゃないのも疑問だった
1572年 上総入道(綱成 58歳)、左衛門大夫(氏繁 37歳頃)
1574年頃 治部少輔(氏秀)
1576〜77年頃 陸奥守(氏照)、安房守(氏邦 29歳頃)、左衛門佐(氏忠)、左馬助(氏規 32歳頃)
1578年 常陸守(氏繁 43歳頃 病による隠居)、左衛門大夫(氏舜 20歳前後)
1580〜81年頃 美濃守(氏規 35歳頃)
1583年頃 左衛門大夫(氏勝 25歳頃 兄の死に伴なう家督)

212:人間七七四年
18/02/17 19:06:09.64 xFzRMHdA.net
年少の頃の名前順だと氏邦は氏規や氏忠の下だからなぁ

213:人間七七四年
18/02/18 21:46:03.72 T8IUzWPl.net
手元の2015年以降の刊行物見ると、いずれも宗哲三男長順の名前が消えてるけどどういうこと?
当時の史料には出てこないからとか?

214:人間七七四年
18/02/21 13:04:17.44 Pe2NFhQs.net
北条氏秀の没年は諸説あって、永禄3年説は正木時茂書状にある
沼田之城被攻落、為始北条孫次郎者数百人被討補
の一文を根拠としているけど、綱成弟の綱房の仮名も同じ孫二郎なんだよな
永禄3年に戦死したのは綱房の方で、氏秀は叔父綱房の後を継ぎ、
天正11年6月2日に没したと考えられないだろうか


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