関ヶ原合戦はどうすれ ..
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55:人間七七四年
16/11/01 23:32:37.37 UslD5KI4.net
そりゃ…ねぇ……
西軍有利な仮を2.3個付け足してようやく5分くらいとかもうダメだろ

56:人間七七四年
16/11/01 23:37:13.18 diUUtgmx.net
関ヶ原までいった段階だとほぼ積みかけ
それ以前の段階ならまだチャンスはあった
具体的に言うと岐阜城の落城前までなら

57:人間七七四年
16/11/01 23:55:46.42 mBg0wVil.net
戦ってるのが宇喜多と石田だけだから

58:人間七七四年
16/11/02 08:15:49.36 gymOnTOG.net
石田も開戦して1時間位で崩壊してるんだから、真面目に戦っていたんだかどうか

59:人間七七四年
16/11/02 11:23:22.90 70eslF71.net
島左近が奮闘してただろ
黒田隊に「かかれー」は黒田の兵士がトラウマになるほど

60:人間七七四年
16/11/02 12:05:08.73 EgVrPGY0.net
やっぱ家康が上杉攻めに行っても華麗にスルーしておくべきだった。
なぜ蜂起したんだか、わからんな。

61:人間七七四年
16/11/02 12:19:35.63 eiKD0ve8.net
バクチでもゲームでもそうなんだけど、素人ほど、なにもしないという選択ができない
だいたいは無謀なギャンブルに出て自爆する

62:人間七七四年
16/11/02 14:03:17.82 gymOnTOG.net
>>55
それ後世の作り話だから

63:人間七七四年
16/11/02 17:18:30.17 de1ejy2T.net
結果論だが豊臣方が家康に対してできる最良の選択肢は油ものを大量に馳走して
胃がんを誘発させるにつきる

64:人間七七四年
16/11/02 17:35:37.70 xa7UOdvz.net
三成ができる最良のことは太閤に殉死

65:人間七七四年
16/11/02 20:20:24.51 NWTSFLI8.net
>>56
前田、上杉と敗れたら、次は宇喜多と毛利の番。

66:人間七七四年
16/11/02 20:22:49.90 NWTSFLI8.net
よって西軍が蜂起するのは当然だろう。

67:人間七七四年
16/11/02 20:34:44.20 M05n1ww8.net
輝っちにそういう危機意識があったなら、関ヶ原後に大坂城明け渡すなんてしない

68:人間七七四年
16/11/02 20:40:17.35 NWTSFLI8.net
あの状況なら明け渡すだろう。
敗残兵かき集めて、淀殿を黙らせて、篭城戦なんて無理。

69:人間七七四年
16/11/02 20:43:15.95 gymOnTOG.net
そも本拠の安芸が兵員不足でほぼ無防備状態と来ている

70:人間七七四年
16/11/02 20:54:11.68 NWTSFLI8.net
>>63
そもそも毛利輝元が大坂城に残った理由わかってる?

71:人間七七四年
16/11/02 21:36:11.07 22r7Fu+9.net
前田は本領安堵されているし、上杉も上洛していればその可能性が高い。
毛利・宇喜田も同じ流れ。
遺言で家康に政務を託したのは秀吉。
それに従えない三成と、豊臣家に義理のない外様大名とが結託した組織が西軍。

72:人間七七四年
16/11/02 21:46:17.69 lHZ2xZ/A.net
要するに三成はただの馬鹿

73:人間七七四年
16/11/03 00:52:14.39 XLcEZQWe.net
輝元は自分の命を賭けてまで家康と戦う気はないけど
奉行に復帰したい三成がやる気満々だったから家康と戦わせたが
上手くいかなかったから逃げた


74:だけだろう



75:人間七七四年
16/11/03 01:22:12.35 hVUy0nky.net
上杉討伐をスルーした後に因縁付けられて負けた場合、領土は縮むが大名としての毛利はそのまま残されるだろうと推測される。
でも関ヶ原の後に籠城して徹底抗戦、それでも負けた場合は輝元の首どころか毛利一門全体が破滅しかねない。
ヘタレではあるが現実的な判断だったんじゃねえかな。

76:人間七七四年
16/11/03 01:38:38.39 CxeCF37T.net
小山評定の際に福島正則が
「秀頼公に弓引くわけにはまいらん」
と、その場で家康を斬り殺していれば西軍の勝率が跳ね上がるな。

77:人間七七四年
16/11/03 02:54:37.93 eovI8Qvo.net
そもそも秀吉が小牧長久手後に家康と一戦交えなかったのが原因
九州平定後に徳川、北条、伊達連合と関ヶ原をやってればよかった
勝てたかはわからんが

78:人間七七四年
16/11/03 03:43:25.85 wkPx7vOG.net
政治的に戦局が拮抗してたから吉川広家や脇坂 朽木 赤座みたいな小物が
キャスティングボードを握ってしまった。
関が原が1日遅ければ元康、秀包、宗茂が間に合っていて、戦局が変わっただろうね。

79:人間七七四年
16/11/03 04:39:28.52 elbF1f2O.net
立花宗茂「輝元のフヌケめ」

80:人間七七四年
16/11/03 05:06:18.31 YOumwCbE.net
小早川秀包「毛利の運命なのです。」

81:人間七七四年
16/11/03 06:31:18.03 TQ3G3Q4r.net
>>72
勝てないまでもどっちも疲弊するのは見えてたからな
秀吉も家康もお互いこれ以上はいけないと自重した
これは英断
もし消耗戦まで言ったら一向衆だのまた暴れ出す
九州は無能ばっかりだから僻地で争うだけなので問題ない

82:人間七七四年
16/11/03 07:54:53.92 lzwblhxy.net
仮に西軍勝ったとして家康が素直に処分に応じるのか。
当時の豊臣が関東征伐する力があるのか。

83:人間七七四年
16/11/03 09:07:33.02 XLcEZQWe.net
>>71
秀頼に弓を引いているのは三成と輝元なのだが

84:人間七七四年
16/11/03 09:24:54.20 0+9CLAtJ.net
ネトウヨかよ

85:人間七七四年
16/11/03 15:53:29.62 /Tjr/nZQ.net
>>77
西軍の勝ち=家康討ち死にor捕縛
家康が逃げおおせたら徹底抗戦は間違いない
関が原で家康が討ち死にした時に秀忠はどうしただろうね

86:人間七七四年
16/11/03 21:07:26.01 BklHTPLm.net
弔い合戦

87:人間七七四年
16/11/03 23:45:35.97 Qsq+ZZ+E.net
吉川広家を殺せ。それで勝てた

88:人間七七四年
16/11/04 01:26:44.09 xINAxFmW.net
それだけじゃ全然たらんわ!

89:人間七七四年
16/11/04 05:07:26.26 DGN3rsAA.net
吉川広家を八つ裂きにしろ!
そうしたら毛利と長宗我部2万5千の兵が動く

90:人間七七四年
16/11/04 09:24:42.89 IKlw/1+s.net
>>72
秀吉の頭が完全に唐入りに向いてたのがそもそもの元凶
国内戦でこれ以上時間と資源を消耗したくなかったから家康は懐柔するに他になかった
やはり唐入りが全ての失敗の元だな。外征よりも国内の平定を優先させていれば長期政権も十分に可能だった。

91:人間七七四年
16/11/04 09:33:24.64 hY9fPzAx.net
吉川が独断で内通したわけじゃないから一人殺したところでどうにもならんぞ
福原広俊・宍戸元続・益田元祥・熊谷元直といった重臣が軒並み内通しているので秀元は動けんよ

92:人間七七四年
16/11/04 16:17:23.00 JJCE5gqc.net
秀元も吉川に騙されたのかどうか

93:人間七七四年
16/11/04 19:55:11.29 0luuod7u.net
東軍が岐阜城を攻めるくらいの時に


94: 西軍合わせて勝負を挑めば勝てたんじゃないか? 家康が疑心暗鬼でまだ江戸にいる時に 三成もまさか岐阜城が1日で落ちると想定してなかったらしいし



95:人間七七四年
16/11/04 20:51:06.74 JJCE5gqc.net
東軍が岐阜城攻撃してるときの西軍がどれだけいたかって話よ

96:人間七七四年
16/11/05 05:51:41.34 KP7cdBiH.net
大津城組が合流していれば勝てた

97:人間七七四年
16/11/05 07:11:38.42 MTJIX3hu.net
開戦からして負けてんだよ西は

98:人間七七四年
16/11/05 15:00:36.76 oKU1ttqU.net
案外、勝てるチャンスはあったよ
ことごとく無駄にしてしまったが
一番の失敗は特に手をださんでもいいとこに手を出して
本命の濃尾地域を速攻で抑えることができなかったこと
西軍主力がもっと早くに美濃入りしてれば五分の展開もありえた

99:人間七七四年
16/11/05 15:47:42.75 Hk38lNPe.net
上杉佐竹との連係が良かったり
伊達が裏切ったり
色々な事象も考慮出来たな

100:人間七七四年
16/11/05 15:51:05.94 izTzNZfl.net
>>92
チャンスを逃すとかそれ以前に開戦しちゃダメだって。
大谷とかが進言してるように家康は暗殺、その他の五大老は調略しておとす
三成のようなのが武力でなんとかしようとするなんて無謀もいいとこ
秀頼を旗印に上杉、毛利、宇喜多を後ろ盾にして家康を暗殺、時期をしっかりあわせて同時に江戸を包囲、これくらいのことはやらんと。

101:人間七七四年
16/11/05 17:50:55.20 MZdlSXSu.net
小早川が裏切らないだけで関が原合戦単体は勝つ目があったのだからノーチャンスってことは無い
裏切りと日和見を計算に入れて死地に飛び込むって家康にとっても危険な賭けだったよ

102:人間七七四年
16/11/05 17:52:34.13 MZdlSXSu.net
>>94
家康にとって太閤に負けなかった実績は大きかったと思う
普通に考えたら治部ごときに負けるわけないって思うもの

103:人間七七四年
16/11/05 18:02:16.39 SejClt3S.net
多数派工作で負けたのを、戦争で取り戻そうってのは負けるやつの考えっぽいな

104:人間七七四年
16/11/05 19:01:09.37 DycB0paz.net
関ヶ原の陣形が大統領選勢力図に似ててなんとも・・・
スッカスカの西軍がヒラリー優位の州とどうしても重なってしまう。
数の上では一応有利ってことになってるのに一目見てやばいかなってところも。

105:人間七七四年
16/11/05 19:57:18.78 mAG8qBSR.net
>>96
その点では関ヶ原の内容に関しては家康にとってはおおいに不満が残る結果だったろうな
なにせ徳川軍ほとんど戦ってねえ
嫡男は遅参するし四男は総大将の息子でなかったら処罰もんの抜け駆けするし
小牧長久手のときの強い徳川のイメージが実は徳川たいして強くなくね?と
メッキ剥がされるのに十分な内容だったからなあ。
毛利や上杉と徹底的にやりあうことがなかったのもこれ以上長引けば長引くほど
徳川の弱さを諸大名に晒すことになるんで早めに切りあげるしかなかった
だいたい小牧長久手の後に石川数正引き抜かれてそれまでの軍法廃棄せざる得なかったし
その頃の武将たちは軒並み年寄りになってるし関東行ってからはもうろくに実戦もしてないからね
九州や朝鮮で揉まれた豊臣子飼い連中とは武力の質に関しちゃだいぶ差がついてたのよ

106:人間七七四年
16/11/05 21:03:32.17 Jwj/O9Bh.net
輝元が本気になれば勝てたのに
すべては輝元のリーダー力不足が原因だわ

107:人間七七四年
16/11/05 21:24:24.34 ruyENevk.net
>>98
トラン


108:プが東軍ってのもかなり違うものを感じるけどね



109:人間七七四年
16/11/05 21:25:10.88 iwgS1w+Q.net
まさか戦いが短期で終わるなんて誰も予想してないし畿内を優先的に抑える方針に間違いはないでしょ。
岐阜が即ぽちゃったのは致命的だけど。

110:人間七七四年
16/11/05 21:25:41.92 ruyENevk.net
>>100
そうか?毛利の本軍はそんな強いイメージもない
テルモトひとりが奮闘して勝てるわけもなし

111:人間七七四年
16/11/05 21:51:50.75 m/Vj+749.net
南宮山を退去した毛利軍が大坂へ向かうに当たっては堀尾軍が道案内をし、東軍は道や時間をずらして大坂へ移動し、毛利軍と追撃や交戦はしなかった
東軍が毛利軍と対戦する余裕がなかったのである

112:人間七七四年
16/11/05 22:50:36.58 l1zypzkz.net
余裕も何も毛利は東軍と戦わずに大坂を退去することが決まっているのに対戦も何もないだろw

113:人間七七四年
16/11/05 23:11:35.89 t4kXBL+9.net
まず佐和山攻めないと

114:人間七七四年
16/11/06 00:34:53.48 mCLww+QF.net
福原広俊・益田元祥・熊谷元直は主張を通す政治力も、軍事力も微弱。
実質的な権限を持っていた東軍派は、吉川広家一人と言っていい。
これを排除しなかったのが毛利家の敗因というのは合っている。

115:人間七七四年
16/11/06 08:43:38.71 qQvuma8T.net
毛利家の敗因は輝元のような無能を廃嫡しないで当主にしていたことだろ
元就の子や孫など大勢いるのだから
元就が死んだ時に無能輝元を当主にする必要などまったくなかった
輝元を排除しなかったのが毛利家の最大の敗因ということは間違いない

116:人間七七四年
16/11/06 09:05:36.65 mCLww+QF.net
毛利輝元は泣き言をいいつつも部下を信頼し最後まで頑張るいいリーダーだよ。

117:人間七七四年
16/11/06 09:41:43.51 ODJbuGFE.net
精神や知的レベルでの障害があるわけでもなく、なにより右馬頭元就の嫡孫である輝元を外す正当の理由もないだろう。
輝元は秀元の領地宛行問題を解決したり、ある程度の政治能力もあるわけだが、最後は知らぬ顔をして逃げようとするところが、
部下の顰蹙と徳川方の侮りを買い、中国の覇者というべき立場から、山陰の一隅に転落する羽目になったのである

118:人間七七四年
16/11/06 12:29:16.88 9C/t8rfk.net
テルモトは無能かもしれんがあれを外すと家中がもめるよな
あくまでタカモトの嫡男だし

119:人間七七四年
16/11/06 16:28:54.84 oWw7WGcg.net
家中の統率考えるなら輝元が最善の選択肢だわな
個人として優秀か否かよりも家が割れないことの方が大事

120:人間七七四年
16/11/06 17:05:13.03 tWri5IxV.net
上杉と交戦したとの確報があってからの挙兵でも良かった気もするが
その時期になると小早川や島津や鍋島なんかは東軍の勢力圏内に去っているだろうし微妙だな

121:人間七七四年
16/11/06 17:21:20.71 aIB6exOa.net
隆元が生きていたら西軍に加わっただろうか

122:人間七七四年
16/11/06 17:36:39.43 e1ajrhtV.net
関ヶ原の40年近く前に死んだ人をifにされても・・

123:人間七七四年
16/11/06 19:17:34.29 9U0nollq.net
つうか弟ふたりすら鬼籍に入ってる年代まで普通は生きてないだろう

124:人間七七四年
16/11/06 19:37:29.92 XGrZuLk+.net
>>110
>部下の顰蹙と徳川方の侮りを買い
一番毛利家全員の顰蹙をかったのは吉川広家。
しかも吉川広家の失敗を追及すると、家康が怒るからまともに処罰すら出来ない。
こんな滅茶苦茶な状況で、広家を他の家臣から保護し、またでかい顔をさせず、
お家騒動も穏便に裁き、毛利家を雄藩として残した当主の力量は相当なもんだよ。

125:人間七七四年
16/11/06 20:22:27.79 e1ajrhtV.net
石高


126:4分の1にする力量に感服



127:人間七七四年
16/11/06 20:48:57.16 tWri5IxV.net
>>117
しかし吉川の岩国藩は幕末まで陪臣扱いのままという虐めを受ける
幕府からは微妙ながら藩として認められているのにね

128:人間七七四年
16/11/06 22:18:39.27 QD4K9P5s.net
家中の統率考えるなら輝元が最善の選択

129:人間七七四年
16/11/06 22:41:37.09 qQvuma8T.net
吉川広家はもっと野心を持つべきだったな
家康と組んで無能輝元を追い出して俺が毛利を乗っ取ってやるくらいの気概があれば
吉川広家こそ元就の血を真に受け継いだ者だと評価されていただろうに

130:人間七七四年
16/11/06 22:50:01.32 e1ajrhtV.net
そんな人間だったら後々改易の憂き目に遭ったろうね
輝元の無能さがある意味存続に最適だったのであって統率あるとかちゃんちゃらおかしいです

131:人間七七四年
16/11/06 23:34:38.67 OTCsIUjf.net
100万石の太守としては役不足

132:人間七七四年
16/11/06 23:47:10.10 nV5XqwOL.net
>>118
無能な部下吉川一人の軍事的失敗と外交的失敗のせいで、上杉景勝以上の行動力と統治実績を叩き出しているのに、
統率能力が皆無とレッテルを貼られてしまう可哀想な輝元w

133:人間七七四年
16/11/07 00:09:58.29 C2LXPidW.net
無能な部下に軍事権と外交権握られる事が統率能力皆無ってわかれよ

134:人間七七四年
16/11/07 00:57:38.79 EcsIFVpb.net
戦国5大裏切り者って誰よ?戦場での裏切り者限定
5位:小山田信茂
織田軍との戦いの最中、勝頼の入領を阻み見事武田家を滅ぼした。
戦果:武田家滅亡
4位:赤松政祐
細川・三好軍との天下分け目の戦いの最中、細川・浦上軍を奇襲し死屍累々を実現させた。
戦果:細川高国自害、浦上家衰退、松田家衰退、薬師寺家衰退
3位:前田利家
羽柴軍との天下分け目の戦いの最中、絶妙の際に戦線離脱し見事、柴田勝家を自刃させた。
戦果:織田信孝自害、柴田家滅亡、佐久間家滅亡
2位:小早川秀秋
東軍との天下分け目の戦いの最中、松尾山から西軍本陣を急襲した。
戦果:宇喜多家滅亡、石田家滅亡、小西家滅亡、、
1位:吉川広家
東軍との天下分け目の戦いの最中、僅か3千の兵で毛利・長宗我部・安国寺・長束合計2万5千の兵を押さえ込み大幅加増を認められた。
戦果:西軍壊滅、不戦軍:長宗我部家滅亡、長束家滅亡、安国寺家滅亡、毛利家滅亡寸前、小早川本家滅亡、

135:人間七七四年
16/11/07 17:53:18.27 IAXZ0rdm.net
>>108
毛利は元就正室の子いがいは格下扱いの上に吉川・小早川も所詮他所の家の人だから
秀元を養子にしたのは秀秋押しつけ回避のための緊急措置だから

136:人間七七四年
16/11/07 17:56:22.05 IAXZ0rdm.net
>>126
小早川家滅亡まで広家のせいにするのはさすがに酷
まあ西軍勝利だったら秀秋が早死にしても豊臣に帰っても秀包や毛利一族の誰かが入っただろうから間接的にはそうであるが

137:人間七七四年
16/11/07 18:13:26.26 utdteWj/.net
関ヶ原の戦い「本当の裏切り者」は誰なのか? 
URLリンク(zasshi.news.yahoo.co.jp)
毛利輝元(もうり てるもと)の家臣「吉川広家(きっかわ ひろいえ)」です。
彼の父、吉川元春は毛利元就(もとなり)の次男で、吉川家の養子となり家督を継いだため、両家は同族関係にありました。
吉川広家は一族の中で年長かつ実力者でもあったため、当時「実質的」に毛利家を取りまとめる「中心人物」でした。
石田三成は合戦の途中で何


138:度も広家に「督戦」を促す使者を派遣しますが、「いま弁当の準備をしている」と言ったという 「吉川の空弁当」のエピソードも残っています。 この結果が家康本陣のさらなる「前進」につながり、ついには「東軍有利!」と思った小早川秀秋に「裏切り」を決断させたわけです。 他にも広家は、西軍の総大将にかつがれていた毛利輝元を関ヶ原に出陣させずに大坂城に留め置くなど、「明らかな西軍への妨害工作」も行いました。 こうした一連の動向は、同族である小早川秀秋の裏切りを決断させた要因となったことはまず間違いありません。



139:人間七七四年
16/11/07 19:13:03.58 9P5aySdp.net
そういうことだ。毛利家は吉川小早川以外にも、穂井田、二宮などあちこちに養子を送っている。

140:人間七七四年
16/11/07 21:11:52.88 VJdsvBOc.net
>>126
小山田は戦場で裏切っていない
小早川は決戦前日に松尾新城を乗っ取った時点で東軍なので戦場で裏切っていない
吉川はずっと以前から家康に内通しているし戦場では傍観したのみで裏切っていない

141:人間七七四年
16/11/07 21:14:33.95 D5y8nAI1.net
豊臣秀次が生きている

駒姫が生きている

最上家と上杉家が豊臣軍

家康の上杉討伐起こらず

関ヶ原の合戦も起こらない

142:人間七七四年
16/11/07 21:28:58.36 UKZxWWSx.net
かなりどうでもいいことだが
>>130
確かに毛利はあちこちに養子を送っているが、穂井田と二宮はそれとは違うケースだと思う。

143:人間七七四年
16/11/07 22:50:03.10 4xhmwZNb.net
前田利家と吉川広家は、裏切り業界のツートップ!

144:人間七七四年
16/11/08 00:56:22.40 PUVNLMCl.net
>>132
秀次事件で秀頼は多くの敵を作ったからね。
それでも押し切るなら仕方がないが、秀次の義兄(正室の兄)の池田輝政一族は
根絶やしにしておくべきだったね。あまりにも危険すぎる。

145:人間七七四年
16/11/08 01:53:25.32 gYaeUHaU.net
佐竹が江戸に攻め上ってれば面白いんだがな

146:人間七七四年
16/11/08 05:41:26.22 qHviEzC2.net
単独でそんなん無謀でしかない

147:人間七七四年
16/11/08 06:09:38.66 w+wIbgKj.net
>>131
ほんそれ
西軍は裏切りにあったから負けた、みたいに思いこみたい判官贔屓の連中が作り上げた敗戦の言い訳だよね
西軍は無謀な開戦をし、そして統率がとれておらず、采配も稚拙だったから負けるべくして負けた
そんだけの話

148:人間七七四年
16/11/08 08:44:28.89 IQkfUTiA.net
関ケ原で勝つなら、家康暗殺を実行に移すべきだった。近江水口とかで。

149:人間七七四年
16/11/08 20:08:21.40 zcIk5b92.net
>>131
小山田「戦場で裏切っていない。戦も武田家も既に終わっていた!」
小早川「戦場で裏切っていない。合戦の前日の布陣の時だから問題無し!」
吉川「戦場で裏切っていない。ずっと以前から家康に内通してたし、戦場で戦っていないもん!」


ここまで行くと、反転して潔い連中に見えるwww

150:人間七七四年
16/11/08 20:12:13.39 1zhoimr7.net
西軍なんて無かったんや

151:人間七七四年
16/11/08 20:31:48.69 5MTvefb7.net
>>140
真ん中以外は裏切りが遅すぎたせいで咎められたけどな
小山田は滅亡、吉川は大名からただの領主に転落

152:人間七七四年
16/11/08 20:41:45.45 qHviEzC2.net
前田は100万石ですよ

153:人間七七四年
16/11/08 21:55:03.11 nbDC4xgm.net
>>142
吉川のケースは輝元がガチ首謀者だったことが大阪入城後に発覚しただけや。
証拠書類その他隠滅する甲斐性が輝元になかったのがあかん。

154:人間七七四年
16/11/08 22:08:44.26 gVZ/5Tcf.net
大坂城西の丸に家康が残した留守


155: 佐野綱正を追い出し、毛利輝元殿、秀就殿が入られました



156:人間七七四年
16/11/08 23:02:54.18 CCDy1qVE.net
宇喜多騒動がなかったら
関ヶ原に3万ぐらいは出兵できてたわ

157:人間七七四年
16/11/09 00:22:39.00 wAkLknn/.net
>>142
吉川は裏切りが高評価されて2ヶ国37万石の大幅加増だよ。

158:人間七七四年
16/11/09 00:28:13.93 wAkLknn/.net
ていうか131や138は渾身のギャグだったのか?w

159:人間七七四年
16/11/09 01:58:43.80 Z16Zv4B8.net
だから裏切ってない
最初から東軍についてた

160:人間七七四年
16/11/09 04:37:50.82 pI0eaB2l.net
>>146
宇喜多騒動は必然
元々内紛の種が撒かれていた上に秀吉の死やその後の複雑な政局が加わってタガが外れた
ぶっちゃけ秀家さん監督不十分で減封下手すりゃ改易ものっスよ

161:人間七七四年
16/11/09 11:22:50.73 4YUIbElD.net
一門に準ずる扱い受けていなかったら家康、吉継の仲介あっても領地召し上げの上切腹ぐらいの騒動だったらしいな。
そもそもなんで揉めたか知らんけどw

162:人間七七四年
16/11/09 13:06:33.44 tt7HcI1A.net
宇喜多は元々、直家があの手この手で成り上がった家でついてる家臣団も
利権につられて集まったような連中なのでほとんど秀吉の息子と言ってもいい育ちの
秀家なんぞ自分たちの利権を害する邪魔者でしかない。
そこへ秀家が嫁の実家の前田家から来た連中厚遇するもんだから余計に拗れる。

163:人間七七四年
16/11/09 13:31:17.17 MtmorpDH.net
>>152
なんか豊臣家みたいだな
創業者が死んだ後家臣団が割れたのも似てるわ

164:人間七七四年
16/11/09 13:56:15.24 d5z2JC/I.net
宇喜多家は備前美作播磨の豪族たちが、権益を保全するために宇喜多を盟主として集った連立政権のようなものであり、
軍役も統一的基準に基づかずまちまちであったから、そこをどうにかする必要があった。
やるなら差出検知でなく、直に大名が実施する検地でないと意味がない
豊臣秀吉存命中に政権の力を借りて検地に着手するか、豪族たちの在地権益からの強制的な切断をはかる転封を行うかしかなかったが、
秀吉死亡後に取り掛かっても、遅かった

165:人間七七四年
16/11/09 14:06:27.25 l9btVu2d.net
結束できた家臣は良い家臣、割れた家中は悪い家臣
と言いたいところだが主筋がふがいないなら他をたてたくもなる
なのでもめたのは全部当主の責任

166:人間七七四年
16/11/09 15:52:04.83 pI0eaB2l.net
関ヶ原での宇喜多軍は、その兵数に見合うだけの上級指揮官が圧倒的に足りない
本来は対浦上や織田毛利戦から朝鮮陣まで潜り抜けた歴戦の兵、でもその実力を半分も出せなかったのではないか

167:人間七七四年
16/11/09 15:55:01.39 O9GSlnuP.net
まぁけど西軍は頑張ったよな。結構な確率で上杉・石田の乱レベルになっててもおかしくなかったものを天下分け目まで持っていった。

168:人間七七四年
16/11/09 17:44:18.44 l9btVu2d.net
上杉と毛利が参戦してたからな
それがなければホントに三成大谷の乱だったわ
ただ、天下分け目の関ケ原はちょっと誇大表現すぎるかも

169:人間七七四年
16/11/09 17:51:31.50 2tH3tXRs.net
戦場で小西隊は弱かったって言われてるけど本当なん?

170:人間七七四年
16/11/09 18:17:33.25 EW3SmIIm.net
小西は会津征伐に従軍しようとしたら家康に大坂残留を命じられて、
石田のクーデター勃発後なし崩し的に取り込まれただけ
最初からやる気


171:オ、兵数は多くても主だった武将は本国にいる だから関ヶ原でも弱小寄せ集め部隊如きに敗れた



172:人間七七四年
16/11/09 18:19:52.57 tPs7rCjT.net
>>159
朝鮮の役含めて豊臣家臣団内だと小西はほぼ最強クラスの部隊。
ただ朝鮮の役で小西一族と有名な家臣複数が戦死。
関ヶ原時点だと備えの大将はほぼ入れ替わっていたものと思われ。
その大将達の力量は不明だけどかなり奮戦し東軍の最初の突撃を押し留めたのはほとんど小西隊だった模様。

173:人間七七四年
16/11/09 18:48:24.29 e6LbFjOi.net
一次史料には小西隊は島津と同じく少数であったという記述あり
また石田隊の後備だったというものもあるのかな

174:人間七七四年
16/11/09 19:21:53.09 f7GVjmBW.net
小西は朝鮮で疲弊してる。なんとか数は揃えたけど数だけ。
小西の地元の宇土城は根刮ぎ動員して2,000〜2,500関ヶ原に6,000
宇土城は加藤が島津を警戒して力攻めしないから落城しなかっただけ(湿地帯で攻めにくいということもあった)

175:人間七七四年
16/11/09 19:59:49.92 b4+d4x08.net
小西が戦で弱かった、それは事実かもしれん
ただ、領国経営ってのは兵隊育てるだけじゃねえと思うんだ
まあなにからなにまでやれる武家も居たけどね

176:人間七七四年
16/11/10 00:28:10.22 w4CIA5fo.net
>>160
小西は普段から三成と仲良いんじゃなかったのか?
TVや歴史小説とかだと大抵そうだけど
朝鮮征伐でも清正と先陣を争ったし武断派らとは仲悪いと思ってたが

177:人間七七四年
16/11/10 00:32:08.79 d4u7OnSN.net
>>160
どっかのスレで関ヶ原で最も貧乏くじを引いたのが小西って言われてた

178:人間七七四年
16/11/10 00:47:27.45 fEcFGTYX.net
>>165
清正と朝鮮の役で揉めた。
三成とは兵站、外交の面で協力関係にあった。
秀吉には取り立ててもらった恩はあるがかなりの無理難題も現実的に解決して恩は返した。
領内の統治が上手くいかず危うく改易のところを家康の仲介で助けられた。
上杉討伐の軍に加わるつもりで出てきたら三成の挙兵が起きた。
周りはどうもみんな三成方。
うーんと迷いながら西軍に参加。
隊が大崩れするまで東軍正面と激闘。
敗走し捕縛され刑死。
能力は間違いなくあったし実績に関しても他の大名から一目置かれるものの出自は薬売り。
大変だよ。

179:人間七七四年
16/11/10 01:12:36.19 w4CIA5fo.net
>>167
清正に「薬問屋の倅が」って言われてたりしたんだよな
家康に留守居役にされたのは
気に入られてなかったか三成側だと思われてたのかもしれないな

180:人間七七四年
16/11/10 09:58:10.77 Gu9XxV+h.net
秀頼が大坂城を出て途中まででも進軍していれば、勝てたかもな
三成では無理に決まっておる

181:人間七七四年
16/11/10 10:26:04.63 ECv7Y9P9.net
小早川1万5千が裏切ったとして西軍が勝てる見込みはあるのかね?
秀忠部隊に精鋭がいるとはいえ、家康の3万には勝てないと思うんだが
吉川も寝返らないだろうし

182:人間七七四年
16/11/10 10:43:15.46 9STP4tO+.net
とどめの意味で脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保を寝返らせたのだろ
しかし赤座は除封改易にされ、のちに前田家に再就職が叶うも、謎の溺死を遂げている

183:人間七七四年
16/11/10 11:29:06.05 kLVy99qq.net
最低でも毛利の連中が動いてくれないと話にならんね
あと秀信の岐阜城守りたいところ


184:。 秀頼が出るなら東軍に大義名分がなくなるから 西軍勝ちで確定だけど、淀が三成討伐を家康に依頼する安定の馬鹿だから 西軍としての秀頼出陣は絶望的



185:人間七七四年
16/11/10 11:55:39.93 7c8FCEhf.net
大坂陣ですら城の外に出てこない秀頼にそのifはこじつけレベル

186:人間七七四年
16/11/10 12:24:22.54 ws8w3cJO.net
家康と旭姫、秀忠と江、秀頼と千姫といった縁組で
豊臣家と結びついた徳川家に秀頼を庇護してもらおうというのが淀というか秀吉の構想なんだから
関が原の時点では淀に家康を排除しようという考えはないだろうね

187:人間七七四年
16/11/10 14:01:03.85 W9ZdziTA.net
石田は中央政界に復帰したいという私利私欲でクーデーターを起こしたわけで、
淀がリスクを犯してまでもそれに協力する理由はない
近江閥や文治派が云々なんてのも小説で三成は淀と縁が遠かったのもマイナスだな

188:人間七七四年
16/11/10 14:10:49.04 9STP4tO+.net
クーデーター

189:人間七七四年
16/11/10 15:10:39.33 n0Sl8Pj3.net
クデーターが正解

190:人間七七四年
16/11/10 18:09:14.47 e9KSSu/h.net
食う、出た〜

191:人間七七四年
16/11/10 20:47:04.73 giztkTdA.net
>>175
首謀者は宇喜多秀家だろ。っていうか、本当の首謀者って一次史料で、確定できてるのか?

192:人間七七四年
16/11/10 21:03:07.02 zvh3SC5T.net
三成が貧乏くじでもひかされたってか?
まあそれだけ三成なんぞに首謀者なんてやれっこないって評価なのは納得するけどな
違うにしろなんにしろ西軍には顔になれるだけの人物がいない

193:人間七七四年
16/11/10 21:25:01.98 cMvSAgRO.net
真田昌幸が主導者になっていれば、、、

194:人間七七四年
16/11/10 23:03:31.73 y0KXKJwL.net
>>180
それは勘違いじゃないかな。
五大老のうち3人が西軍なんだけど。

195:人間七七四年
16/11/11 17:34:02.79 Nd60Jokt.net
>>182
遠方の上杉や大阪城から出てこなかった毛利はともかく本戦で顔になるべき宇喜多が全軍の指揮をとってた様子が無いのだけど

196:人間七七四年
16/11/11 19:46:22.44 yZxpxr+l.net
石治少、大刑少、小摂、島津維新に備前中納言が加われば、苦戦は必定

197:人間七七四年
16/11/11 20:51:40.72 fgw+PqkL.net
毛利の後ろに布陣してる
長宗我部6600と長束1500を三成の近くに布陣させることはできなかったのか?
二人とも戦う気があったのにもったいないなぁ

198:人間七七四年
16/11/11 21:42:39.87 jHvIsZRi.net
>>185
桃配山付近から東軍が迂回できないようにあそこ配置。
むしろ吉川が万が一戦場で東軍として動いたら三成本陣は完全に包囲された状態になる。
吉川が家康に接近していたのは周知だっただろうからむしろ安国寺、長宗我部は吉川が妙な動きをしたらそれを背後から突く役目も副次的にあったかと。

199:人間七七四年
16/11/11 21:55:09.21 YSWczRl0.net
なんというかいつ布陣したかという話なんだが
うーんすごいなここ

200:人間七七四年
16/11/11 22:11:40.39 BwFtxH6I.net
>>186
吉川は安濃津城攻略戦で戦功を挙げて信頼され、西軍内や毛利内で東軍と言う認識は無い。
そもそもたった3千程度の吉川を安国寺や長宗我部が警戒する意味が無い。
根拠の無い憶測。

201:人間七七四年
16/11/11 22:22:38.32 mXaYRYvT.net
>>181
なにかの間違いで表裏比興の者・真田昌幸が西軍主導者になっていたら、速攻で家康に内通するんじゃなかろうか
>>185
長宗我部盛親は会津討伐に従軍するはずだったのがトラブルに巻き込まれただけ
豊臣政権で唯一親しい


202:G帽子親の増田長盛が家康に内通しているぐらいなので長宗我部もやる気はないぞ



203:人間七七四年
16/11/11 22:45:25.87 BwFtxH6I.net
>>189
どう見ても後付け設定だな。
増田長盛が長宗我部盛親に自分の東軍への内通を漏らしていたという
ありえない過程に基づく憶測。

204:人間七七四年
16/11/11 22:45:56.27 BwFtxH6I.net
ありえない仮定

205:人間七七四年
16/11/11 22:59:30.20 asWFLgK0.net
毛利・吉川の南宮山での陣地が異様に高所なんだよな。秀元は若いが朝鮮陣で経験もあるし意味を知らないとは思えない。
弁当宰相なんて逸話残してるけどあれも吉川に押し付けるための方便で、秀元も1枚噛んでそう

206:人間七七四年
16/11/11 23:26:06.91 fgw+PqkL.net
>>189
長宗我部が西軍になった経緯はわかるんだが
負けたら所領失って改易だから
本人は仕方ないから西軍として戦するかと割り切ってたと思うけどな

207:人間七七四年
16/11/12 08:18:22.27 0pKBUmpj.net
>>190
増田が家康に内通していたのは史料で確認されてたかと。
それを長宗我部に漏らしていたかは知らんが。

208:人間七七四年
16/11/12 08:46:30.17 yLe3FjgJ.net
それ史料批判されてるな

209:人間七七四年
16/11/12 09:28:13.58 cnIR8SwX.net
宇喜多秀家の備前領支配確立は、豊臣秀吉在世中、遅くとも石田三成失脚までには完了させるべきだったが、
後ろ楯になった秀吉死後や石田奉行失脚後も継続したのは不味かった
なお、明石全登宛書状に、家康は宇喜多秀家嫡子秀高を女婿となし、ゆくゆく取り立てる、と言った内容が見受けられる。

210:人間七七四年
16/11/12 10:13:53.68 1/eQpnJl.net
>>192
後年の吉川広家と毛利秀元の仲の悪さを見る限り、それは無さそう
大坂城に撤退した秀元は立花宗茂と共に徹底抗戦を呼びかけたらしいしな

211:人間七七四年
16/11/12 11:54:10.92 BPKSSzao.net
後年は後年でしょう、関ヶ原直後に秀元が広家と揉めたわけではない
秀元は性格がキツいのか、広家に限らず毛利家重臣とは色々ある

212:人間七七四年
16/11/12 12:41:28.70 cnIR8SwX.net
広家も回りがダメだと言ってるのに小笠原家養子行きに拘ったり、浅野長政ともめたり色々問題児だけどな

213:人間七七四年
16/11/12 12:49:32.29 BPKSSzao.net
浅野長政さんも色々問題児ですな
それはともかく
2人とも問題ある性格なら、南宮山に陣取ってる時点で2人が揉めてるエピソードの1つくらいあってもいいはず

214:人間七七四年
16/11/12 22:20:52.68 J9hH0PL0.net
>>198
秀元が揉めていたのは吉川派だった重臣だろ?仕方が無い。
あと南宮山にいた時点では、まだ同格じゃなくて、
秀元が明確に上で大将なんだから揉めたら広家が処罰される。

215:人間七七四年
16/11/13 00:26:06.04 9S/Ta6qO.net
大将といっても秀元は若年のお飾りだからな
それに東軍との講和は吉川が一人で勝手にやったことではなく
その場にいた毛利重臣たちが連名で書状を送り実施されたもの
それを秀元がひっくり返すことは不可能だよ

216:人間七七四年
16/11/13 00:39:18.56 UG9MF6DJ.net
秀元は朝鮮でも活躍して幼少の頃から元就の再来として期待されてて有能だったらしいから
戦ぶりを見たかったがな

217:人間七七四年
16/11/13 04:45:40.00 625qjSmS.net
秀元擁護のための脚色、その極みだと思ってる<お飾り論
まあお飾りなら>>197の大坂での徹底抗戦言うた話も眉唾物だが

218:人間七七四年
16/11/13 06:28:09.68 gWAir8iG.net
テルモトは放置か

219:人間七七四年
16/11/13 10:48:04.92 jY6HJtx9.net
毛利秀元は広家を信頼してたんだと思う。

220:人間七七四年
16/11/13 11:27:14.24 9S/Ta6qO.net
秀元から見れば広家は家臣というより年上の従兄にあたるうえに
秀元自身も輝元の


221:実子が生まれたことで毛利の継承権を喪失している弱い立場だから 名目上は名代であっても秀元が広家に一方的に命令できるかと言われたら無理だろう 広家から毛利家臣団と一緒に東軍と講和したと伝えられたら 秀元の意思がどうであれその場で秀元が取り消すことなどできるわけがない 唯一の方法は大坂に戻って輝元に訴えて取り消してもらうことだが 一緒に訴えてくれる相手が毛利部外者の立花くらいしかいないのでは成功するはずもない



222:人間七七四年
16/11/13 11:56:52.11 9K4N9PzM.net
輝元の実子が生まれたことで毛利の継承権を喪失したという事実と、
それでも秀元が総大将に任命されているということは、
毛利輝元やら主戦派の毛利家臣団が、旧0跡継ぎの秀元に負い目があり、
尊重していたということでもある。
関が原の時点では秀元は、育ちも立場も吉川広家とは隔絶した差があったが、
吉川広家が徳川家康に内通し勝利したため、2人の立場は対等になり、政争を繰広げた。

223:人間七七四年
16/11/13 12:27:53.49 qaoHFPwp.net
意味不明

224:人間七七四年
16/11/13 12:29:58.17 DTLRHgmJ.net
>>208
適齢期の大将がいなくて代わりに勤めた。
秀頼誕生の前の秀次のように。

225:人間七七四年
16/11/13 13:19:46.64 9S/Ta6qO.net
>>208
主戦派の毛利家臣団なんて勢力が秀元を尊重していたはずのに
大坂での篭城を一緒に訴えてくれたのが毛利家臣でもなんでもない立花しかない
要するにそんな勢力など存在しなかったし
秀元に自分の意志を押し通せるような派閥を作る政治力もなかった
(年齢を考えたらそんな政治力などなくて当たり前だから秀元が悪いわけではないけどね)
秀元も広家も同じ元就の傍流の孫であり育ちも立場も変わらない
秀元がもっと先に生まれていたら自分の意を通す派閥を毛利家内部に作れたかもしれないし
広家がもっと後に生まれていたら輝元の養子になっていたかもしれない
そんな小さい差がたまたま関ヶ原で大きく取り上げられる羽目になっただけ

226:人間七七四年
16/11/13 20:47:17.96 BhoHTt6B.net
毛利秀元
天正7年(1579年)誕生
天正20年(1592年)豊臣秀吉に継嗣と認められる
文禄2年(1593年)文禄の役に参戦
文禄4年(1595年)世嗣を辞退
慶長3年(1598年)の毛利軍3万を率いて右軍の総大将となる
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに大将として布陣
吉川広家
永禄4年(1561年)吉川元春の三男として誕生

227:人間七七四年
16/11/13 21:21:06.47 9S/Ta6qO.net
秀元が穂井田元清の息子であることを知らないのか意図的に隠そうとしているのか

228:人間七七四年
16/11/13 22:46:14.69 zbGHkn/6.net
隠すまでも無いと思うが。それより吉川広家は全然功績無いのだろうか?

229:人間七七四年
16/11/13 23:56:41.23 625qjSmS.net
20歳超えてるのに年齢どうたらとか、今のゆとり感覚で語られてもね
理由が稚拙すぎ、若いからお飾りって言っておけば楽だもんな

230:人間七七四年
16/11/14 00:39:17.55 j6Gl7Yo9.net
経歴見れば育ちも立場も全く違うことが一目瞭然だな

231:人間七七四年
16/11/14 00:49:54.69 cPLpHkD8.net
秀元は幼少の頃から有能で秀吉にも随分気に入られてたらしいな

232:人間七七四年
16/11/14 06:12:42.07 i/Pu/eeW.net
みんな毛利大好きだな

233:人間七七四年
16/11/14 20:50:30.40 lAim/HTp.net
秀元は豊臣における秀次と同じ立場だな。
ただ世継ぎが生まれてさっと身を引いたのがよかった。
もっとも、輝元から、どうせ俺の息子も大したことないから
あんた引き続き毛利の当主やってくれよとか懇願されてたらしいが。

234:人間七七四年
16/11/14 21:04:55.36 lyYNYLLQ.net
毛利も上杉も三成ら奉行衆と親しかったことは事実だとしても、毛利は伊予、讃岐、阿波、豊後の東軍大名領への侵略が第一


235:だったし、 上杉は伊達、最上領を併合し、奥羽越佐の覇者たる地位を確立してから佐竹と語らって江戸を衝くことが考えられた しかし、最上軍に手こずったうえ、佐竹は親子で意見が割れていて身動きを取らなかったから、この戦略は失態した つまり、秀吉在世時に、奉行衆に大封を与えて自力で大軍を動員できるふうにしとかないと無理だったとわかる



236:人間七七四年
16/11/14 23:26:06.29 zUllzjgV.net
毛利は元就が子だくさんだったわりに隆元が早死にしたから嫡流の権力が弱い
逆に傍流の方が「俺たちが未熟な輝元を導いて毛利を守ってやろう」という意識が強くなった
だから輝元が安国寺にそそのかされて西軍についても、輝元様の命じるままに戦いますなどとはならない
「俺たちに相談せず何を勝手に決めているんだ、未熟な輝元の代わりに俺たちが毛利を守ってやろう」という考えに行く
だから南宮山にいる毛利家臣団の大半は自分が裏切っているなどという発想すらなかった
結果論から関ヶ原だけ騒がれているが、本能寺後の秀吉との講和も家臣側の主導で輝元の事後承認という点では同じ
だから吉川もいつも通りの行動をしている感覚だった

237:人間七七四年
16/11/15 17:12:54.78 jze+sIlA.net
>>221
対内的にはそれでよくても対外的にもそれで通用すると思ってたのなら吉川は愚か
吉川大幅加増、毛利家取りつぶしの当初の家康の対応は当然 毛利家の家名を残したいなら広家が名乗れくらいの気分だろう
西軍の大将として大坂城に陣取って何もしてないとかありえないしな

238:人間七七四年
16/11/15 18:19:24.24 v8XkET/o.net
慶応レイプ事件の撮影係並みには有罪。

239:人間七七四年
16/11/15 19:23:43.00 r/WqaWsM.net
出雲富田12万石から長門、周防に「加増」になったとしよう。
余程図太くないと小早川秀秋みたいになるぞw

240:人間七七四年
16/11/15 19:31:31.45 jze+sIlA.net
>>224
もしそれで後継は広正でも秀就でも吉川殿のご自由にと言われたらどうしただろう

241:人間七七四年
16/11/15 20:38:43.18 WFpylA7E.net
取り潰しの口実になるだけ。
>>221
ずっと小早川隆景が仕切っていたのだからそれは無い。
跡を継いだ小早川秀包が力を持てていれば、吉川広家の痴策も防げたんだけどな。

242:人間七七四年
16/11/15 21:12:42.93 pDR/9Ost.net
秀包って名前が包茎っぽくてね

243:人間七七四年
16/11/15 21:25:11.26 WFpylA7E.net
秀吉が名付けたのか?

244:人間七七四年
16/11/15 22:41:50.16 r/WqaWsM.net
秀元、秀就と使用されたので、秀広がまだ使用可能だったが、秀包とされた。
毛利秀包、小早川秀包のどちらなのか、良くわからない

245:人間七七四年
16/11/16 00:10:40.13 iCoa7hql.net
>>226
つまり力を持てなかった小早川秀包が無能な間抜けだったということ
吉川広家も輝元・秀包・秀元の見掛け倒しな能力の低さは誰よりも知っていたわけだし
こういったお荷物を抱えながらも講和に持ち込んだことは評価されるべきだろう

246:人間七七四年
16/11/16 00:10:48.13 CKfVmGT0.net
小早川秀包と末次元康兄弟は積極的だったな
この2人が戦後まもなく、ほぼ同時期に亡くなってるのは興味深い
秀元はやりやすくなったろうね

247:人間七七四年
16/11/16 02:23:42.99 ZDbhAEII.net
親族多すぎの毛利と違って、上杉景勝は後継者が殆どいないのな
しいて挙げれば、畠山義真だけか

248:人間七七四年
16/11/16 17:11:53.89 0GOL5qPK.net
三成が夜襲を受け入れていればよかった
生真面目な性格が災いした

249:人間七七四年
16/11/16 17:21:10.55 eAtKlkWl.net
>>229
その3


250:人では名乗りは秀包が一番先なのだが



251:人間七七四年
16/11/16 17:37:30.75 ohXkYBnF.net
うるせー!
いちいち口答えするな!
雑魚が!

252:人間七七四年
16/11/16 18:22:00.98 HAWMx8Kj.net
>>233
だから夜襲は後世の創作だと何度言えば……

253:人間七七四年
16/11/16 18:54:01.96 0GOL5qPK.net
>>236
じゃ当時の西軍では夜襲案はまったく考える武将がいなかったのか?
一人くらいはいるだろ

254:人間七七四年
16/11/16 19:01:24.75 eAtKlkWl.net
西軍は戦意がなあ
負けたら改易or大幅減封って危機感をみんな持ってたのだろうか
東軍は三成憎しという動機のある奴が結構いるけど

255:人間七七四年
16/11/16 19:01:50.59 wPBoPjVj.net
横から申し訳ないけど夜襲したとしてどの程度効果あったと思う?
大規模に兵を動かすとバレてしまうだろうし

256:人間七七四年
16/11/16 19:09:16.64 eAtKlkWl.net
>>239
下手したら内通者に密告されて迎え撃たれる

257:人間七七四年
16/11/16 19:27:20.13 H73GYjzS.net
夜襲は無理
結局その後大垣から関ケ原へ転身したのを直ぐに気が付かれて、東軍に追尾されている。
その際西軍最後尾と東軍の先鋒が接触しているほどなので
かなり直ぐに気が付かれているという事

258:人間七七四年
16/11/16 19:38:19.46 AJIRp0I4.net
>>241
内通者というほどでなくても城や拠点にからの奇襲ってあまり例がないみたいだからな。
理由は奇襲のために拠点出た時点で察知されるからなんだろう。
事前に打ち合わせて城に立て籠もっている兵はそのまま籠城、城外の味方に横槍入れてもらってからの出撃が奇襲の基本だけどその話をまとめる指揮者がいないっていう。
この時点で籠城からの奇襲は選択肢になりえない。
仮に大坂城に立て籠もったとしても、城外の遊軍動かす報連相の要になる人間いないと立て籠もる軍とそれを見守る遊軍になるだけ。
東軍は総大将家康が指揮するのがハッキリしているんで、多少福島らが突出しようが最終的に家康の命通り動く。
秀忠はそれに振り回され遅参もしたけど西軍と比べると東軍は命令系統がハッキリしていて戦略を立てるのも変更するのもスムーズだったと言えるかな。

259:人間七七四年
16/11/16 19:44:12.35 wPBoPjVj.net
拠点は当然監視してますよね
やれたとしてもハラスメント攻撃か

260:人間七七四年
16/11/16 19:51:48.23 0GOL5qPK.net
夜襲で成功したのって河越夜戦くらいか?

261:人間七七四年
16/11/16 20:02:49.69 1Jc47h33.net
戦局を決めるような大規模な夜襲があったどうかは不明なんだよね

262:人間七七四年
16/11/16 22:23:41.56 H73GYjzS.net
>>244
当時は夜に電灯なんかない上、道もまともでないから、
地元でない限り軍動かすにはリスクが大きすぎるだろう
地元で道に迷ったTY家の譜代もいるくらいだし

263:人間七七四年
16/11/18 00:30:11.37 8xWXpGXe.net
夜襲って朝駆けも広義では含むんじゃないの?
夜間に移動、朝奇襲な訳だし
敵に気付かれない様に移動しようと思ったら自然現象に頼るしかない

264:人間七七四年
16/11/18 07:00:28.16 8xWXpGXe.net
酷いアスペやな

265:人間七七四年
16/11/18 07:22:51.26 78TUtYfm.net
大津城組が合流していたら西軍は裏切りも起こらず勝っていた

266:人間七七四年
16/11/18 07:29:50.26 aFCJiHps.net
石田三成に総大将ヅラをさせないこと。
まだ総大将ヅラするなら大谷吉継のほうがよかったわ。

267:人間七七四年
16/11/18 15:39:37.85 zQZMx0sa.net
>>微妙というか言葉遊びになるかもだけど、朝駈けは 奇 襲

268:人間七七四年
16/11/18 16:09:


269:02.03 ID:4jw6xUL+.net



270:人間七七四年
16/11/18 18:23:03.23 0TTRRTym.net
>>252
第四回川中島も夜襲と言えば夜襲 失敗したけど
あれだって拠点(海津城)を監視されてて見抜かれたわけだしね

271:人間七七四年
16/11/19 15:51:42.35 SdADiVnS.net
川越は相手が盛大に篝火を焚いてくれてたからなあ

272:人間七七四年
16/11/19 19:44:05.61 //NcyHuJ.net
>>249
大津組が合流していたら関ヶ原は起こらなかった

273:人間七七四年
16/11/20 12:15:50.47 +hGn8bL9.net
三成が西洋から輸入した大筒はけっこう効いてたらしいな
大筒を10倍くらい揃えれば勝てたんじゃないか?

274:人間七七四年
16/11/20 12:47:49.45 XpKuvHVj.net
>>256
そんなものは無い
精々、国友で製造した大筒

275:人間七七四年
16/11/20 12:53:07.90 Quz/R1tG.net
しかも炸裂しない轟音と鉄の玉が飛んでくるだけのお粗末大砲
初見はびびるかもしれんけど実害はあまりにも少ない

276:人間七七四年
16/11/20 15:50:17.09 U0sRlN4h.net
>>258
野戦で大砲にそんなに効果ないことにはまったく異論ないんだけど、こうやって書いているのを見てしまうと大坂の陣スレの大砲平気丸を思い出しちゃうなあ。

277:人間七七四年
16/11/20 17:03:40.42 4U0tSoe/.net
>>257
なぜか今ロシアにある大友宗麟の持ってたとされる大砲が日本で鋳造されたものだったらしいが
大友家以外にどの程度鋳造技術が広まってたんだろうな

278:人間七七四年
16/11/20 17:17:13.90 8RpDiXMe.net
作ろうとして作りました。
さて打ってみました。
砲身内で破裂しました。
作った人死にました。
終わりってのは結構ありそう。

279:人間七七四年
16/11/20 18:05:22.91 Qzu1Fxm4.net
野砲は当たれば問答無用で敵をミンチに出来るんだから火縄銃よりよほど士気に与える衝撃力は高いよ

280:人間七七四年
16/11/20 21:45:36.59 BQMl6UZu.net
なにより音でけえよな

281:人間七七四年
16/11/20 21:50:24.04 OTNhASjP.net
野戦では巨大な大砲の弾を用意出来る数に限りがある
火縄銃の弾よりも遥かに少ない数しか用意できない
そして弾がなくなれば単なる置物に成り下がる

282:人間七七四年
16/11/20 22:43:19.40 /ijFZj3G.net
石ころ詰めて撃ってもええんやで

283:人間七七四年
16/11/20 22:57:36.61 4U0tSoe/.net
慶長の頃出てきた大鉄砲なんかも弾の規格が違うから補給に苦労してたらしいな
大鉄砲を使う毛利高政のために、なぜか立花宗茂が弾薬の発注を堺の商人に手配したって
書状が残ってたりするけど、これは慶長の役の時のかな

284:人間七七四年
16/11/21 00:54:39.00 gujCXDAb.net
大砲は作るのも運用するのも大変だから代わりに投石器で織部を投げようぜ

285:人間七七四年
16/11/22 00:19:21.73 usxXjWJD.net
関ヶ原の前の利家VS家康の時に戦に持ち込めてれば勝てたかな?
この時に勝負してればいい勝負だった


286:じゃないか もちろん利家が長生きするって前提だが 徳川邸に参集した大名 福島正則、黒田孝高・黒田長政父子、池田輝政、蜂須賀家政、藤堂高虎、山内一豊、有馬則頼・有馬豊氏父子、京極高次・京極高知兄弟、 脇坂安治、伊達政宗、新庄直頼・新庄直忠兄弟、大谷吉継、森忠政、堀秀治、金森長近、最上義光、田中吉政など。 前田邸に参集した大名 毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、加藤清正、織田秀信、織田秀雄、増田長盛、細川忠興、加藤嘉明、浅野幸長、長束正家、前田玄以、 佐竹義宣、小西行長、長宗我部盛親、立花宗茂、鍋島直茂、有馬晴信、松浦鎮信など。



287:人間七七四年
16/11/22 12:04:19.38 P+58eK5X.net
なんともいえん

288:人間七七四年
16/11/22 17:09:36.51 x6kaEqP9.net
>>268
利家が健康体だったら勝てただろうな
利家の病状を考慮して徳川に付いた奴はいるだろうから

289:人間七七四年
16/11/22 17:26:03.73 OOCN1dYT.net
黒田、池田、藤堂、山内とか家康にベッタリな豊臣武将と違って
福島がこの時家康の元に参陣したのは
よほど三成が嫌いだったってことかな
三成とは同じ陣営で戦いたくないっていう

290:人間七七四年
16/11/22 17:37:24.38 wQ3JqnyR.net
福島正則は養子の正之と家康の養女の婚姻で咎められてるほうだから


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