戦国ちょっと悪い話44 ..
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岡崎殿御生害之こと併異聞
以前の類焼の後に、蔵書も多く燃えたので所々から本を借りて読んでいる。
その中には『三河記』という本がある。その本には以下の記述がある。
八月〔年号は分からない〕、三郎殿〔神祖の御長子、信康君。岡崎殿と称していた〕が
神君〔原本には家康と書いてある。ここでは憚って改めた。下記も皆同じくした。〕
の御気に違わせられて、御牢人〔牢は浪と改めるべきだ。今は原本に従って改めない。〕
を連れて二俣へ出かけられた。
この子細は、三郎君がわがままで、
宛へ〔宛は恐らく剰えの誤りであろう。あまつさえと読む〕神君の御意見にも従われない。
そのうえ家老の衆さえ、
「勝頼と一緒になられて、野心を企てています」
と申し上げるので、神君はこれらを聞かれると
「親に弓引く事は類例少ない次第だ」
と、服部半蔵に仰せ付けて失いなされた。
三郎殿は
「仰せ置きはなんとも悲しい。親に弓引く事は、ただ両説〔両はおそらく風の誤り。今は原本に従って改めない。〕の事なのに、家老の者が陰口を言うからと親が子を殺すのは、前世の因果と見える。
『我は大敵を滅ぼして天下の主となるべき』、と常に思いかけていたが、
あなたのような親にどうしてか子と生まれ死ぬ事の無念さよ。
二人の息女の事は、絶対に悪くあってはならない。
(『柳営譜略』には、信康君の長女は小笠原兵部大輔秀政室、次女は本多美濃守忠政室)」
と仰せられた。大久保一族その他の人々にも御形見を出し、
「我ゝ(このゝは、おそらく"が"の誤り)後生の事どもは、大樹寺を頼り、よろしく供養してくれ」
と、念仏十篇ばかり唱えながら、腹を十文字に掻き切った。
「服部半蔵! 介錯!」と迫るが、半蔵は
「三代相恩の主君にどうして太刀を当てれましょう。」
と刀を捨て激しく泣き悲しみ倒れ臥した。
「早く早く!」と仰せられるので、遠州住人の天方山城守が、泣く泣く御首を打ち落とした。
御年二十一歳と申すのは〔"は"はおそらく不要〕、花の想いを引き替えて〔"想"、恐らく"姿"の誤り〕、
朝の露と消えられた。
このことを、神君は聞かれて、御涙を流された。
後によくよく聞かれると、ただ偽りを申したため、支えを失われたと
神君の御後悔、御嗔り(いかり)は限りなかった。」
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