戦国ちょっと悪い話43 ..
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637:人間七七四年
16/05/20 23:16:15.99 PZ8kAf93.net
人物叢書『最上義光』巻末年表の慶長五年九月二十日に「お東、留守政景に早く出陣するようせつく」とある。
では具体的にはどのようにせついていたのだろうか? 
書状の文面からうかがえる。
「こちらに来て下さって本当にうれしいです!
 大変なことになっているから、ともかく一刻も早く山形に来て下さい。
義光父子もあなたを待っています!
とにかく早く早く、急いで急いで、本当にすぐに来てくださいね!
(九月十九日午前六時頃)」
「昨日はお返事ありがとう。
数を揃えてから山形入りするそうだけど、今日は戦闘になりそうだから、人数揃い次第山形に来て欲しいんです。
最上父子にも何か意見を言ってあげてください。
義光は相手にも都合がある等と口では申しておりますが、
ともかく早く来て欲しいんですよね。
全員揃わなくても、あとから来る部隊は誰かに任せてもよいのでは?
急いで来るなら、義光のあなたへの好感度もアップすることでしょう。
ともかく急いでください。今日の昼前には来て下さい。
一刻も早く来てください。
一戦交えたあとで遅れて来るのでは、あなたのためにもならないと思いますよ。
ともかく早く!(九月二十日午前四時頃)
「今日、使者は送ったけどお手紙遅れなくてごめんなさいね。
あなたの宿舎も窮屈で退屈ではありませんか。
こんな緊急事態で義光父子も何のお構いもできなくて、ごめんなさい。
でも、あなたと私は親しいんだし、義光の前だからって遠慮しなくていいんですよ。
義康はまだ若いから失礼があったらごめんなさい、
私はあなたと義康の間をとりもつから安心してください。
何かご意見ありませんか? 
そういえばあなたのご家族、元気にしていますか?
息子さんもきっと大きくなったでしょうね。様子を聞きたいものです」
さらには上杉撤退後。
「帰陣されるって聞きました。決着はついたから、帰るのもありですよね。
でもまだ籠城している残党がいることですし、まだ一戦ありそうでして。
だから、ちゃんと決着がつくまで戦って欲しいんですよね。
それから帰っても遅くはないでしょ。
義光も内心はそう思っています。
私にそう相談してきましたからね。
でも、あなたにとどまって欲しいというのはあくまで私が考えていることです。
政宗のおかげで最上が助かったことは天下に知れ渡っていますから。
だからこそもうちょっと最後まで見守ってもらえたらな、って。
遠くに行ってしまったら援軍を頼んでも仕方ないって、義光も言うんです。
もう三〜五日ですから、留まってください。
そうやって落ち着くまで滞在した方が政宗の評価もアップすると思います」
さらにはお東侍女・小宰相からもこんな手紙が。
「政宗(原文でも呼び捨て)が会津に向かうからあなたも早々に戻るそうですが、どういう理由かお聞かせいただけますか。
山形は敵が撤退したといえども、まだ近隣には残党がいます。
あげくには忍びやゲリラ部隊を使って活動させているとも聞きます。
まだ最上勢は少なく、城の奪還もできず、劣勢の中敵をくいとめている状態です。
最上家は滅亡の危機にあると、ここに伝えさせていただきます」

こうした必死の要請を受け、政景はその後も山形に滞在し、
最上家は危機を脱した。
それにしても、政宗からは深入りするなと釘を刺され、
一方でお東からこんな手紙が毎日のように届く政景の気持ちを想像すると、
胃が痛くなるかもしれない、ちょっと悪い話なのか。
それとも必死で手紙を書くお東のちょっといい話なのか? 迷うところ。


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