戦国ちょっと悪い話43 ..
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315:人間七七四年
16/03/13 19:24:19.35 aCW8pZdW.net
中日新聞福井版2月21日
県庁前に秀康が“2人”? 結城会が新設に動く
現在の像「容姿」に異論
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
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江戸時代初期に福井藩の初代藩主を務めた徳川家康の次男、結城秀康(一五七四〜一六〇七年)の騎馬像について、
結城家のゆかりの福井市民らが違和感をもち、新像の設置を模索している。福井城跡である市内の県庁前に立つ
現在の像には子孫関係者からも異論が出ており、インターネット上で「中国風」「日本の美意識がない」と批判
されたのを機に動き始めた。今の像を計画した市側は静観するが、二つの像が並び立つ日が来るかもしれない。 (中場賢一)
馬にまたがり、手綱を持つ姿で、県庁の来訪者を迎える秀康の石像。越前国北ノ庄(現福井市)入りから四百周年を
二〇〇一年に迎えたのを記念し、福井市と、市の歴史や文化を紹介する公益財団法人「歴史のみえるまちづくり協会」が
城跡を管理する県に贈呈し、〇二年に除幕された。
制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。
建立直後から、結城家の家臣の子孫の市民らでつくる「福井結城会」には、秀康の子孫の結城松平家や結城家の関係者から
「イメージに合わない」と異論が届き、撤去するよう要請があった。ネット上では「中国風にデフォルメされている」
「日本独自の美意識が感じられない」と評されている。
会の片岡賢三副会長兼事務局長(67)は「不評や失笑どころか怒りを買っている」と新像を計画。秀康に関する資料を精査し、
銅像制作を手掛ける富山県高岡市の「竹中銅器」に昨年十二月にデザインを発注し、一月に完成した。
その姿は秀康が愛用していた唐冠形兜(とうかんなりかぶと)をかぶり、手には天下三名槍(めいそう)の誉れ高い
「手杵(てぎね)の槍(やり)」が握られている。顔は「ナマズに似ていた」ともされているが、イケメン風にアレンジ。
ただ、片岡さんは「あくまでたたき台」と強調する。

316:人間七七四年
16/03/13 19:44:56.84 mmYKOCFu.net
容姿に異論、ていうからギイに似ているとか鼻が欠けた姿にしていたのかと思いきや

317:人間七七四年
16/03/13 19:53:36.58 Q9hijGnh.net
>>315
>「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」
キックバック?公益財団法人の悪い話…。

318:人間七七四年
16/03/13 20:46:50.74 xNctmjgV.net
>>297家康の本音「キマシタワ〜!これで豊臣も終わり、次は儂のターン( ̄▽ ̄)bニヤリ」

319:人間七七四年
16/03/13 21:14:50.13 /SDAcKHs.net
>>315
>制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
>協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。
態々、浙江省の石像作家に頼むからこんな中華風な像なるんだよな
国内の製作者でも戦国の騎馬武者像を正しく作れる人がどれくらい居るかも分からんのに

320:人間七七四年
16/03/13 23:42:28.69 AcXeEgg+.net
>>315
御手杵を馬上で使える訳無いだろw
関係者に馬鹿しかいねぇwww

321:人間七七四年
16/03/13 23:59:30.17 wbpvzEpq.net
はい草

322:人間七七四年
16/03/14 01:14:31.04 Vz9aN3QN.net
>>320
変に関羽みたいになっとるw

323:人間七七四年
16/03/14 15:55:50.98 X6LOFWbh.net
戦国時代騎馬武将の写真なんてあるわけないし
当時かかれた絵もおもいっきりデフォルメされてるので細部は全くの不明
誰も本当の姿なんて知らないし県庁前とおるほとんどの通行人も興味もないししりたいとも思わないので
わざわざ作り直す必要性もないだろう

324:人間七七四年
16/03/14 17:24:28.52 fT7s1wsQ.net
左手にサイコガン付けようぜ

325:人間七七四年
16/03/14 17:38:31.19 lbTjKK+/.net
ヒューッ!

326:人間七七四年
16/03/14 17:54:03.61 Yc5G3ZeV.net
天正壬午の乱の結果、信州一国は徳川家康に属することになったが、ここで天正11年6月、
真田安房守昌幸は国中を従えんと企て、先ず室賀を討つべしと一門を一手に引き連れ
室賀の館に押し寄せた。
しかしこれに、室賀兵部太夫(正武)は自ら打って出て、篠山において火が出るほど激しく戦い、
互いに多くの郎党が戦死したため、双方ともに引いた。しかし翌日、真田は再び取って返して押し寄せ、
これに室賀より和睦を請うてきたため、これを許して帰国した。
室賀入道は真田に従属したことを無念に思い、翌天正12年6月、高井彦衛門尉を通じて
遠州の徳川家康に訴えた。これに対し家康は、「謀を以って真田を討つべし」との返答を得た。
室我入道はこれに大喜びし、それから上田に見舞いに参ること甚だ頻りとなった。
ある時、上方より囲碁の上手が上田へと参り、これに室我入道は招待された。
室賀は「よき時節なり」と考え、日限を定め、一門の室賀孫右衛門を以って
「来月7日、真田の居城に囲碁に参りますが、この時真田昌幸を討ち取ります。
ですのでご加勢下さるように。」
と、徳川家臣の鳥居氏に申し送った。
ところが、この室賀孫右衛門は内々真田昌幸に通じていたため、その書状を直に上田に持って行き、
その内容を語った。真田昌幸は大いに喜び、孫右衛門を馳走して反した。
一方、室我入道は全てうまく行っていると思い、家の子である桑名八之助、相澤五左衛門尉、
堀田久兵衛などを従えて上田に参ると、昌幸は兼ねて用意してあった通り、書院に招いて
囲碁を始めた。
この時、長野舎人、木村戸右衛門が討ち手に決められており、合図を出すのは禰津宮内太輔、麻利子藤八郎、
長命寺、安楽寺であった。
長野、木村は次の間より太刀を抜き出し、室が入道を無常にも殺した。
室賀の家臣である桑名、相澤、堀田はこの騒ぎを聞くより早く殿中に斬り入り、散々に戦った。
しかし、たとえこの3人が項羽の勇を顕したとしても、多勢に取り巻かれ、最後には生け捕りにされた。
この3人は後には心を変じて真田に仕え、無二の忠を成した。
この時、桑名八之助は深手を負った。
室賀の妻子たちはこのことを聞くと、取るものも取りあえず早々に甲州へと落ちていった。
(加沢記)

327:人間七七四年
16/03/14 20:04:24.99 xlMMQtnb.net
>>323
鎧とかなら残ってるんじゃないのかな

328:人間七七四年
16/03/14 20:36:53.05 Yol0YFF+.net
馬具も馬術書もある

329:人間七七四年
16/03/14 20:58:58.14 egIkNCog.net
中華風にプロレタリア感が加わった何とも言えない石像だなとは思った
まあ結城秀康といえばあの脇立がなきゃって気もするし、どっちもあっていいんじゃないの

330:人間七七四年
16/03/14 23:37:11.54 GrsOdL9+.net
「逮捕されたタレント女医・脇坂英理子は、自称”元華族”のお嬢さま」
URLリンク(zasshi.news.yahoo.co.jp)
江戸時代に入って途中で養子が入ってたっけ、この家

331:人間七七四年
16/03/14 23:58:02.07 9EJeGu8Y.net
>>330
(※追記:3月10日、脇坂安治の末裔=16代当主が、経営する会社のHPで「脇坂英理子容疑者と、弊社社長・脇坂とは一切関係ございません」と声明を発表。脇坂容疑者は、今まで複数のメディアで大名・脇坂家の出だと自称していた)

332:人間七七四年
16/03/15 00:02:05.99 YZC0J5fU.net
脇坂安治がクズ扱いされてて可哀想
脇坂安治は周りを西軍に囲まれていやいやいただけ
本当のクズは事前連絡して無かったのに、流れをみてどさくさ紛れに
裏切った小川、赤座、朽木

333:人間七七四年
16/03/15 00:09:48.70 C+XESIHS.net
脇坂家は江戸時代に堀田家から二度養子をとったんだったか
で幕末最後の当主は藤堂家から、と

334:人間七七四年
16/03/15 00:13:42.74 fCODIKy5.net
バリバリの武功派で武功派のなかでも家康派なのになぜに決戦場に連れて行ったのかレベル

335:人間七七四年
16/03/15 00:48:12.30 eS7+vOIg.net
そんな事一々気にしてたら兵数が激減するので

336:人間七七四年
16/03/15 00:53:38.69 r9VV4Cyo.net
 天下の政もあまり厳しくしますと、我が朝は勇智が鋭い国ですので、役についている者が安心せず、
思いもよらぬ自害をする事も出てくるでしょう。
 権現様が毎度仰せられていたことに、天下の政は『重箱を擦子木で洗う』(細かなことまで詮索しない)
ようにするのがよろしいとのものがあります。
この御上意は末代の亀鑑だとと思われます。
 また何の役であろうと、自分の仕事が済むとすぐに立ち去るように考えている人がございます。
これは先祖からの知行に疵が付かないようにとの心で、
先祖へは奉公の様に聞こえましても、君への不忠かと思われます。
これは上の情は下へ通らず、下の情が上へ通じないことから出てくるのだと思われます。
 そのうえ権現様が御他界されてからわずかな年月しか経っておりませんのに、自然と華麗になっていますので、
私も人もこれを心に忘れないように、上様の御恩を子孫の者どもへ申し聞かせるのでございます。
(本阿弥行状記)
仕事の引継ぎを準備せず放り投げてくる人っているよね(´;ω;`)

337:人間七七四年
16/03/15 01:00:25.82 iW5qRqqm.net
>>332
朽木家は改易されないで生き残ったね
避難してきた将軍義輝匿ったり、信長が困ってるとき助けたり
良い事してきたからかな

338:人間七七四年
16/03/15 02:14:07.84 w/y3/YAv.net
一族に犯罪者が出れば縁を切るのは今も昔も変わらんだろ
豊臣方についた某とかなw

339:人間七七四年
16/03/15 10:28:25.24 4eCAY+2k.net
中華風にリアリィティないというなら各地の駅前とかにある馬上戦国武将像もあれだろ
ポニーサイズの馬に変更しないと・・・

340:人間七七四年
16/03/15 11:56:53.07 NidQDkNs.net
>>332
実際クズだろw
長宗我部なんかきっとまだ恨んでるぞ

341:人間七七四年
16/03/15 13:38:45.21 utlpfOlk.net
>>339
ポニーだって体高150くらいあるの知ってる?

342:人間七七四年
16/03/15 13:42:56.47 vNIvEO5E.net
>>315
たぶん、碌な資料も渡さずに発注したんだろうな。
秀康像の困惑顔は作家の本心を表してるに違いない。

343:人間七七四年
16/03/15 20:11:29.35 iW5qRqqm.net
根岸にある馬の博物館に在来馬とサラブレッドの
骨格標本が展示されてたけど、思ってたほど在来馬は
小さく無かった
ってかサラブレッドが思ってるよりも大きい

344:人間七七四年
16/03/16 10:57:19.82 Mr0glBl3.net
サラでも三冠馬ディープインパクトなんか体高164だで
現代競馬の祖のノーザンダンサーで157、サラの代表的な祖のハイペリオンなんか152だ
いつまでもサラガーサラガーいってるバカは物知らなさすぎだべ

345:人間七七四年
16/03/16 11:50:01.50 E/Z+ByCm.net
そっだらごどいっだっでよ

346:人間七七四年
16/03/16 13:16:21.91 T/2Dqs4v.net
だいたい戦国時代は蹄鉄という概念がなかったんだろ
宣教師が日本の馬は人乗せると少ししか移動できないとかなんとか書いてなかったかな
甲冑装備の武将が馬に乗ってたのかも怪しい

347:人間七七四年
16/03/16 15:11:11.20 kB3DZJB7.net
原種が水辺棲種の西洋馬は蹄が柔らかい蹄鉄必須だが
草原産のモンゴル馬と同種である和馬は蹄が固いので必須ではない
また馬の足裏は第二の心臓として機能してるので本来は余計なものは付けない方が良く
モンゴルでは現代も蹄鉄は付けない

348:人間七七四年
16/03/16 19:50:36.70 AOgP06Dt.net
天正12年の正月上旬のこと。
上州白井長尾の家中には、百人衆と呼ばれる徒歩の侍の集団が有った。
その頃、真田昌幸の家臣であった沼田衆の林太郎左衛門、吉野太郎右衛門、吾妻衆の井上金太夫は、
私曲の事があって沼田を立ち退き白井に属し、白井においてこの百人衆に組み入れられた。
しかし、この3人はどうにかして昌幸に忠節を立て、故郷に立ち返りたいと考えていた。
この3人、談合してその事を昌幸家臣の高橋右馬充に伝えると、右馬充はこれを金子美濃に相談した。
金子美濃は「其方、上田に参り注進すべきだ。」と勧めたため、右馬充は上田に参り、丸山土佐守、
木村戸右衛門を通じて申し上げると、真田昌幸は大喜びした
「神妙のことである!卒爾無きように謀るべし!」
そして高橋右馬充は戸鹿野へと戻った
さて、かの3人は白井において、傍輩の者たちをたぶらかした
「沼田、戸鹿野には有徳(金持ち)の者が多い。夜討ちして金銭を奪い取ろうではないか!」
こうして130人ほどが申し合い、この林、吉野、井上を案内として、戸鹿野へと忍入った。
彼らが侵入し終わると、かねてからの計略通り、橋を外し、彼らを四方より取り巻き、討った。
突然の事に、瞬く間に白井の者達は120人余が討ち取られ、水練の達者の者5,6人だけが助かり、白井へと
逃げ帰った。
この忠節により、高橋右馬充には知行が与えられた。
(加沢記)

349:人間七七四年
16/03/16 21:18:51.91 3+IF7VJK.net
全盛期も今も浜崎だが?w
9位.「LOVEppears」   浜崎あゆみ
リリース:2001年4月9日
14位.「AMARANTHUS」   ももいろクローバーZ
リリース:2016年2月17日
15位.「白金の夜明け」   ももいろクローバーZ
リリース:2016年2月17日
URLリンク(itunes.pplepop.com)

350:人間七七四年
16/03/17 10:24:48.53 ozVZcnDf.net
URLリンク(upload.wikimedia.org)
在来馬と鎧武者の再現画像あったぞ

351:人間七七四年
16/03/17 10:59:03.88 6UzlzMVn.net
日本の在来馬 木曽馬みたいなやつ?は半レグアしか歩けなかったと宣教師は報告してるね

352:人間七七四年
16/03/17 14:01:48.19 wDC9oqoH.net
まぁ仮にさその報告が正しいとしようよ
レグアも仮に6kmとしよう
半レグアってんだから3kmしか歩けないって話だ
そんな動物を乗物や動力にするバカが居ると思うか?
たった3kmのために飼育して3kmのために鞍とか馬具つくるバカがいたと思うか?
それがわからなくてしたり顔で「報告してるね」などと書いてしまう真のバカは
オレオレ詐欺にすら引っかかる素晴らしい能力があると思う

353:人間七七四年
16/03/17 14:13:03.10 1RgEfUuQ.net
>>352
後半は言い過ぎだが、まあその通りだな

354:人間七七四年
16/03/17 14:17:40.96 1YBUArYE.net
そもそも3km走れれば十分じゃね

355:人間七七四年
16/03/17 14:25:11.44 PwD/CDv5.net
バテレンの報告だしな
それを迂闊に信じるほうがバカなのであって351本人はバカじゃないだろ、いわば釣り
そんなことも分からない352は池沼

356:人間七七四年
16/03/17 14:51:06.34 wDC9oqoH.net
>>355
顔真っ赤だぞ>>351
これだけ書かれたら池沼でもわかったか

357:人間七七四年
16/03/17 14:56:11.60 wDC9oqoH.net
>>354
現代人ですら時速5kmで歩いてる
3kmなら40分くらいだ
一人ならまだ使いみちもあるかも知れん
軍隊で千人単位で行動するのに3km歩いたら使えなくなる巨大なゴミを
連れて行く趣味人がいたのかな?

358:人間七七四年
16/03/17 15:05:43.00 1RgEfUuQ.net
1日の軍の動きが記録されていてる信憑性が高い資料とグーグルマップを見比べてみるといいかもね、大返しなんかの特別なのは除いて

359:人間七七四年
16/03/17 15:09:04.27 1YBUArYE.net
半レグアしか持たないのは馬草履であって馬自体じゃないってマジレスは要らん流れだと思って

360:人間七七四年
16/03/17 16:47:55.75 PwD/CDv5.net
>>356
顔真っ赤にして連投している池沼w
そんなに悔しかったのか?惨めやのう

361:人間七七四年
16/03/17 17:50:00.07 wDC9oqoH.net
次から木曽馬くん改めバテレンくんと呼んであげようw

362:人間七七四年
16/03/17 18:30:36.78 SqIOMTiN.net
>>351
宣教師って具体的には誰の報告?
原文訳を見てみたい

363:人間七七四年
16/03/17 18:32:01.16 3yaiYwEC.net
友達いなそう(小並感)

364:人間七七四年
16/03/17 18:35:57.61 SqIOMTiN.net
近藤好和氏なんかはこの大きさはアジアの馬の特質であり日本の馬はその中でも標準サイズと
言っているね
日本の馬と同サイズの中国の軍馬やユーラシアを征した蒙古馬なんかも
数キロで歩けなくなるのかな?

近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。

365:人間七七四年
16/03/17 18:40:38.29 SqIOMTiN.net
半レグアってのは何キロくらいになるんだっけ?
URLリンク(www.marvellouswings.com)
> 和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、
と誤解されていますが、約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく
走り続けられることを確めました。

366:人間七七四年
16/03/17 19:36:44.80 3yaiYwEC.net
わかってると思うけど ID:SqIOMTiNじゃないからね

367:人間七七四年
16/03/17 19:46:01.90 9Qv7iut3.net
ID:wDC9oqoHだろ

368:人間七七四年
16/03/17 20:10:09.50 E19qjm7b.net
サラとアラブの血が混じったアングロアラブでもポニーサイズになるのもいる
↓の馬は体高146センチで日本でいえば南部馬の平均よりやや大きい程度の
ポニーになるが小柄な印象だろうか
アラブ馬視察
URLリンク(yohcan.a.la9.jp)
>マゼッタ、マゼ、賢双、賢双の2、達の父親です。
体高は146センチと小ぶりだが子馬は大きいのが多い。

369:人間七七四年
16/03/17 21:55:53.90 8yUpp46g.net
在来馬でひとくくりに語ってるけど木曽馬と南部馬でも全然大きさ違う
南部馬は最高級のブランド

370:人間七七四年
16/03/18 13:04:24.83 L4Gc8Te7.net
>>366
バテレン君まだやってたのかwww
おっちゃんそんなに悔しかったの?

371:人間七七四年
16/03/18 13:15:42.23 L4Gc8Te7.net
バテレン君みたいなちょっとアレがアレレな人でもわかる説明があったよ^^
URLリンク(note.chiebukuro.yahoo.co.jp)
> 日本在来馬の馬格についてよくポニーサイズと言われますが、これは動物園や観光牧場で目にするシェトランドポニーなどと混同され、誤解される事も多いようです。
>特に日本在来馬を騎馬戦に堪えないと論じた歴史家の鈴木眞哉氏などはそのように感じます。
蒙古馬なんかでも一晩中走れるからね
半レグアなんてまじめに報告してた500年前の宣教師レベルの残念な頭だと理解できないかも?
これで理解できたらいい加減木曽馬ガー木曽馬ガーってバカの一つ覚えはやめようなw

あとこのページでサラが時速60kmって書かれてるけど
賞味その速度で走れる距離は知れてるからな
騎馬武者背負ったらそれこそ「半レグア程度」じゃないかなw
半レグアくんわかったかー?

372:人間七七四年
16/03/18 14:08:11.57 +6yoYLyb.net
URLリンク(www.sukumizu.tv)

373:人間七七四年
16/03/18 14:22:22.03 eq4YuDat.net
この流れまだ続くの

374:人間七七四年
16/03/18 15:26:08.68 JSDXJhF6.net
フロイスの日本覚書にわらぐつが半グレアしかもたなかったと記述してるやつじゃないの

375:人間七七四年
16/03/18 16:45:32.98 exV8nKBg.net
必死になってるアスペがいるけど何で発狂してるの?

376:人間七七四年
16/03/18 16:59:03.01 VVUR5ajM.net
薬が切れたんでしょ
保護者はちゃんと面倒見とけよな

377:人間七七四年
16/03/18 20:23:36.79 q+d6RhPZ.net
ちょうど今NHKBSで在来馬の実験やってるな

378:人間七七四年
16/03/19 05:04:58.12 ZJZgB71Y.net
馬がダメなら鹿に乗ればいいじゃない
どちらも4つ足!ってどっかの名将が言ってた

379:人間七七四年
16/03/19 09:16:48.89 yCZ4HppW.net
番組見たけど、鎧が重くてお馬さんは動けませんでした
パネルの紙をめくる音だけでもびくっとして動けなかったし
コメンテーターの先生とスタジオの結論としては、馬も人も日頃から訓練してないと
源平時代みたいな動きは無理ってことに

380:人間七七四年
16/03/19 23:11:31.28 tWYe0WnB.net
 運上の事で色々願います者が次第に出てくるでしょうが、古来から無かった事は御取り上げないことがよろしいかと思われます。
とにかく国々では昔から何事にも古掟等があるでしょう。甲州一分は今をもって信玄公の御代の通りにその国限りで使われており、
国の掟も信玄公の御定めの通り権現様はお聞き届け、そのように治めなされたといいます。
以上のように考えますと、新法は当分便利でも良い事は無いと思われます。
(本阿弥行状記)
甲斐では他国との貿易に金を頼らざるをえないので、
信玄は持ち出し禁止にせざるを得なかったのでしょうね

381:人間七七四年
16/03/20 12:21:35.70 swix58Wt.net
なんか雰囲気悪いスレだなあ

382:人間七七四年
16/03/20 13:41:35.91 iW0m8qN2.net
そりゃ、ちょっと悪い話だからな

383:人間七七四年
16/03/20 14:28:06.76 J1E8YcY8.net
バテレンに論破された坊主のごとく余程悔しかったとみえるな
ほんと見苦しいねえ

384:人間七七四年
16/03/20 14:30:23.31 F0/pHG2I.net
鈴木信者いいかげんにしろ
スレタイを声出して読んでみろ

385:人間七七四年
16/03/20 15:45:59.67 jqPquz/P.net
この荒れようだと 「性格かなり悪い話43」 に見える

386:人間七七四年
16/03/20 16:36:06.85 iJ9fL99B.net
>>378
馬が駄目だから牛に乗ったでござる(某傾奇者)

387:人間七七四年
16/03/20 16:54:13.65 7Dvgp6Gq.net
ちょっと煽るともう発狂wやはり血は争えないかw

388:人間七七四年
16/03/20 18:14:24.22 cwST3XPD.net
鈴木氏の説をとなえると発狂する人が戦国板にはわんさかいるな

389:人間七七四年
16/03/20 18:19:54.67 iTLUFB/X.net
この流れまだ続くの

390:人間七七四年
16/03/20 19:33:39.78 kxzzr+WE.net
>>388
ID:wDC9oqoH
代表例ですねw

391:人間七七四年
16/03/20 19:36:18.11 DHCePC7L.net
訓練してない馬で検証って何の意味があるんだろう
訓練された馬なら騎馬武者載せて半レグア()以上駆けていけるのは>>365にある通りだが

392:人間七七四年
16/03/20 20:20:32.30 F0/pHG2I.net
鈴木信者(ひとり)
飛行機飛ばしまくりでスレ荒らし
「鈴木信者のちょっと頭の悪いスレ43」

393:人間七七四年
16/03/20 20:24:19.57 BXYQTkpo.net
病人の収監スレに成り果てたか

394:人間七七四年
16/03/20 21:15:52.83 iW0m8qN2.net
鈴木信者ってなんなん?

395:人間七七四年
16/03/20 21:21:14.63 F0/pHG2I.net
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
スレリンク(history板)
・戦国時代の馬はポニー程度
・日本刀はほぼ役にたたない飾り
ずっとこれを連呼してる

396:人間七七四年
16/03/20 21:35:54.13 28PC8Ciw.net
伊達政宗がある夜、原田左馬助、片倉小十郎、茂庭石見が伺候したおり、小田原で初めて豊臣秀吉に
謁見した時のことを物語した
「私は兼ねてからこう考えていた。秀吉に謁見してもさほど恐れることはない、と。
しかしあの時、私は彼の、関白の位階に恐れ、そして凡下よりあのような雲上の高官へと昇った程の
勇武に、自然の威厳を感じ、心ならずも低頭した。
その時、私が感じた恐ろしさは、類ないものであった。」
(伊逹秘鑑)
伊達政宗が初めて秀吉に謁見た時の感想である。

397:人間七七四年
16/03/20 22:17:16.61 iW0m8qN2.net
>>395
ポニーはともかく日本刀が飾りはうそくせえな。

398:人間七七四年
16/03/20 22:29:18.59 iTLUFB/X.net
次の逸話来ててもまだやんのか、
わかっててやってる自演荒らしなんだろうけどさ

399:人間七七四年
16/03/21 00:11:41.04 WI2DWjOe.net
 都の近所の丹波丹後などを見受けましたところ、山を開いて山畑を造り、水の便の良い所は畑年貢で米も作っている様子でございます。
それゆえ山津波と申すことが近年所々にあると承っております。
 その様子は山に木を無くしましたので、大雨等がとどまる所が少なくなり急に流れます。
すると、いくつかの川がつかえまして、水損と申すことが出てきました。
もちろん常に水がない川の者は新田を願い出、だんだんと新田が増えることでしょう。
両方が利益の追求に走ることで、かえって上等の田が損してしまうことになるかと思われます。
 きっと近国に限らず、皆このような類が数か所で発生していると思われます。
(本阿弥行状記)

400:人間七七四年
16/03/21 02:50:01.47 CTRuR/43.net
戦国時代は、集落の近辺は禿山ばかりだったはずだしなぁ

401:人間七七四年
16/03/21 07:36:20.97 YeOWXXly.net
>>400
燃料から資材として森林を使いまくっていたもんな
禿げ山だらけなんだよな
今の時代のほうが森林としては豊か

402:人間七七四年
16/03/21 09:45:43.45 3uzQrhf5.net
           |
            |  彡⌒ミ
           \ (´・ω・`)また髪の話してる
             (|   |)::::
              (γ /:::::::
               し \:::
                  \

403:人間七七四年
16/03/21 10:54:37.96 gb6tx5ZK.net
昔はヒノキの大木なんてそこら中に林立してたんだろうね

404:人間七七四年
16/03/21 11:17:12.46 497TVpTj.net
昔つっても大昔ならな

405:人間七七四年
16/03/21 16:33:21.41 gWI1KZhW.net
集落の近辺がみんな禿山ってありえるのか?
それなら集落維持できなさそうだが

406:人間七七四年
16/03/21 16:34:41.67 XdFMeAZt.net
京都がマツタケの名産地になったのは木材の需要が多い為
殆どの山が禿山になってしまい、その後アカマツしか生えなかったから

407:人間七七四年
16/03/21 19:27:17.85 vepE1UGe.net
木曾とかはどうなんだろ
もともと制限かけて守ってきたのかな?

408:人間七七四年
16/03/22 00:12:44.84 L2q8UnZ2.net
東海道53次の絵の背景はほどんど山に木がないのは実際そうだったからという話があるくらいだし
薪や家の木材としての消費量は凄かったんだろうな

409:人間七七四年
16/03/22 00:47:22.61 d6BmmApU.net
北朝鮮は燃料で伐採→山崩れで大惨事を未だにやってる

410:人間七七四年
16/03/22 06:37:23.96 RhZdWany.net
山の斜面にソーラーパネル並べて全滅させた画像思い出したw
ジャップもチョンと同じ思考だから安心しろよ

411:人間七七四年
16/03/22 07:14:08.35 MDylwIZJ.net
>>410
ニホンゴ上手デスネ

412:人間七七四年
16/03/22 08:34:24.41 v5R4mDdh.net
早く貴方も帰化するといいよ
一旦受け入れてもらえさえすればどうとでもなるから

413:人間七七四年
16/03/22 10:06:45.18 Sv+Wg9UP.net
白河の、結城七郎藤原義親は、かつて暦応(1338-1342)の頃、南朝の勅によって、国司北畠顕家卿の
要請に従い、奥州より攻め上り伊勢国にて死んだ結城上野入道道忠(宗広)から十代あまりの末裔である。
であるが、義親の一族である中島上野介という者は、義親へこう諫言した
「豊臣秀吉公が鎮西南海北陸に威を振るわれている事は、ここ5,6年の間に耳に触れてきたことです。
殊に、今度は坂東一の首長である北条の一族も間もなく滅亡するだろうと、世間もはっきりと取りざた
しております。ですから、直ぐに小田原に参向あって、秀吉公の味方に属せば、まさに当家中興の先表になると
考えております。」
しかし義親
「私もそうは思っているのだが、家が貧しいため行程の旅費、土産の品も沙汰しがたく、徒に日を移して
しまっているのだ。」
上野介
「今度のことはお家の大事なのですから、旅費・土産は家中の面々に課役をかけ調達すべきです。
先ず、土産の品は、秀吉公も小田原まで遠路の陣中なのですから、米ニ百俵を献上すれば然る可きと
考えます。その内の百俵は私が調達します。残りの百俵を、家中にて調達して下さい。
しかし、もし遠方への旅程を苦労に思われるのでしたら、恐れながら私が代官と成って秀吉公の
もとに向かい、宜しく申し上げます。」
こう言われても、白河義親は結局はこれに同意しなかった。
彼は奸佞の近習たちを集め「この事どう思うか?」と評議させた。
面々は兵粮運送の課役を厭い、言葉巧みに申し上げた
「今の乱世に諸民は疲弊しています。その上に白米ニ百俵の課役運送の人夫の費えは、民にとっても莫大な
ものになります。
また、あの中島上野介は、普通の人間以上に利口で弁舌の立つ人物ですから、彼が代官と成って秀吉公の
御前に出れば、何を言い出すか解ったものではありません。」
等々讒言したことに、白河義親も同意し使者すら送らなかった事こそ、運の尽きであった。
その後秀吉公が会津に下向した際、義親は御迎えに出たものの、彼は許されず領地は没収され、その地は
伊勢の住人である関右兵衛に与えられた。
この後、白河義親は城西の金勝寺という禅寺に密かに居住したが、関右兵衛はこれに遣いを立て伝えた
『そこでは下郎の推参もおぼつきません。ひとまず何処へなりともお退きされますように。
こう申すのも痛わしい事ですが、公儀を恐れ、このように申し入れているのです。』
義親は
「私もそう思っているのだが、暫く住居を求めている間にこの様に引き延ばしてしまった。
追っ付け立ち退くであろう。」
そう返答し、やがて那須の内湯元という所に移っていった。
後には伊達の一族の由縁があったため、仙台の門下に降った。
(伊逹秘鑑)

414:人間七七四年
16/03/22 10:25:05.84 mr3hUf0x.net
秀吉の脇坂へのお手紙も材木がああ本数がああ産地がああ早く送れええだからねw
どんだけ木に飢えてたことか

415:人間七七四年
16/03/22 21:57:40.20 3dUL2Xni.net
そういえば戦国時代かどうかは知らないけど日本昔話の「箸蔵山の赤い火」というので
箸蔵山ってのは神聖だから入ってはいけない、となっていたのに
ある百姓が落ちている木を薪として売ったところ大儲け
そのうち落ちている木だけじゃなく立っている木もどんどん切って売ったため大富豪となり
山の麓に大きな屋敷をつくった
しかしある雨の日、箸蔵山から石がとんできて何者かの轟くような声が聞こえたとおもったら
山崩れが起きて屋敷は潰れてしまいましたとさ
こうして「やはり箸蔵山には神が住んでいる」とそれからは誰も木を取ろうとはしませんでした
てのがあったが、こういう教訓話で伐採を禁じてたんだろうか

416:人間七七四年
16/03/23 01:09:40.50 iBFEBss3.net
 御大名方へ銀主と申す者達が御館入を務め、金銀の御借入れの事などを近年承っています事は甚だあってはならないことです。
万石取は町人風情の金銀を御借入れなくても、なさりようで毎年準備金を残すことができると思われます。
このような事等は誠に役人が物事を自らの仕事を済ますとすぐに立ち去るように取り扱うために起こるのであり、
この事情により御借入することが出てくるのであると思われます。
 銀主と申して館入を務めることは、秀吉公の御代から始まりましたことだそうで、
その余毒がただ今でも行われてきたことは、あってはならない事と思われます。
(本阿弥行状記)
天下一統により需要が増えたので借金しなければならなくなったのでは?
後、本阿弥家のある京阪では銀で、江戸では金なのですね

417:人間七七四年
16/03/23 01:48:20.33 OqS4BgTD.net
>>67
”羽柴長吉は太閤の小姓、比類なき美少年也。太閤、或時、人なき所にて近く召す。日頃男色を好み給はぬに故に、
人々皆奇特の思ひをなす。太閤問ひ給ふは、『汝が姉か妹ありや』と。長吉顔色好き故也。”(老人雑話)
この話の羽柴長吉って、当時秀吉の養子だった池田長吉のことなんだよね
もし姉妹を紹介してたら、見目の悪い天球院が

418:人間七七四年
16/03/23 18:05:18.90 69exh12o.net
賞の隠れたるはこれを探り、罰の顕れたるはこれを押さえる事こそ、名将の為す所である。
天下泰平の時代でさえ、人の心を疑い、善悪の偽説が往々に流言すること、これ世の常である。
いわんや戦国の人心、昨日は今日に替り、明日は今日に変ずる。これ乱世の常である。
おおよそ兵家において、その時によって虚偽を謀るのは一時の変であり、あえて不信不実の沙汰には
及ばない。ただ、君を欺き親を欺く徒のみその罪逃れる所なかった。
天下一定しない内は、諸侯互いにこれを謀ること、これは乱世の覇将たるもの専らすることであるので、
その事績においては虚実紛々である。
伊達政宗が豊臣秀吉の糾明によって私戦の伝評を立てられ、太閤の機嫌を損ね、首尾は他に異なる
ほどであったのに、合戦粉骨で得た地である仙道会津を召し上げられ、蒲生氏郷に与えられた事、
時の盛衰とは言いながら、時日も経ない眼前の賞罰に、伊達家の家臣たちは或いは怨み、或いは憤る者
多かったため、政宗自身の心中もああだろうと推察した者たちが言い広めたのだろうか、
ただ誰となく、このような話が唱えられた
『今度の奥郡発向を幸いに、大崎・葛西・南部の端々の者共一揆の結成を勧め、不日に蜂起すれば、
蒲生氏郷は兵を発してこれを制するであろう。その時政宗もかねてよりの先鋒であるから、出陣するも
一揆と密通して、時所を計り、土地の案内を知らない氏郷を引き入れ、包囲して討ち果たせ、
その後に自ら一揆を鎮めれば、氏郷は不運に滅亡したということに落ち着き、一揆を鎮めた功は
政宗に帰され、その賞として再び会津仙道を得る。その陰謀は実に巧みである。
見ていよ、不日に奥郡に一揆が起こるであろう。』
この話はここかしこにて囁かれ、会津仙道においては只事ではなく、この流言のみ飛び交っていた。
(伊逹秘鑑)
秀吉の奥州仕置の後の、風聞についてのお話。

419:人間七七四年
16/03/24 00:20:02.39 qtiUgdxf.net
石田三成について伝わる話によると、太閤秀吉の寵臣である石田治部少輔三成は近江国石田村の地士、
佐五右衛門という者の子であったという。この佐五右衛門は久しくこの土地に住んでおり、村邑の長と
称していた。

この妻が解任し一子を儲けた。佐吉と名付けられ、両親から限りなく寵愛された。
弱冠に及んで智計群を越え、器量もまた類いなかった。父母の喜びはさらに増したが、その家貧しく、
育て難かったため近隣の真言宗の寺に扈従として預けた。
ある時、羽柴秀吉がこの寺に参詣した折、佐吉が容貌艶やかで、立ち振舞も勝れていたのを見ると、
秀吉は彼を召して、夜には閨を同じくし、玉枕を並べた。
それより次第に立身し、二十万石の大名と成ったのだという。
(伊逹秘鑑)
珍しい、石田三成が秀吉の寵童だったという記述である。

420:人間七七四年
16/03/24 13:44:06.56 HBQcswxs.net
正澄が完全に無視されてるな

421:人間七七四年
16/03/24 22:22:56.31 hbwHPgnY.net
ちょっと訳しきれなかった所あるからあやふやだけどご勘弁

毛利隆元のお風呂マナー講座 〜主人と一緒の時〜
一、目上の方とご一緒する時は、下にむしろを敷いてはいけません。
一、風呂の湯殿に入る時は、自分の垢をきれいに掻き落としてからむしろを敷きます。
  主人が上がったら、いつまでも湯殿の中に残っていないで上り殿へ上がりなさい。
  本当に上がる時もちゃんと上り殿にいて、主人が帰った後は小風呂に入りなさい。
一、元結やさくすは小者に言って取ってもらいないさい、自分で取り寄せるんじゃない。
  湯殿の衆が上り殿に出てきたのに、小者達を上り殿に上げずにいたらこういう用がこなせません。
  前もって小者を上げておくこと。

当時の風呂も裸の付き合いとか言いながら、
会社の慰安旅行みたいに色々気を遣わなきゃいけないとこあったんだろうなーと
悲哀を感じたので悪い話で。
こんなマナーをメモに残しておくなんて、お兄ちゃん何かあったの……?

422:人間七七四年
16/03/24 22:29:41.72 gM8E/NV1.net
蒸し風呂とはいえあまりそこいらにあるものじゃないから、
使用方法に慣れてなかった人が多かったんじゃあるまいか

423:人間七七四年
16/03/24 22:43:06.27 VMlfcDmH.net
さくすって何?

424:人間七七四年
16/03/24 23:11:11.56 o+FjbNAE.net
さくすでググったらスクラマサクスって剣が出てきました

425:421
16/03/24 23:14:41.69 SiAtBDJm.net
>>423
すまん、自分もさくす分らんかった
元結と一緒に書かれてるから身の回りの品なんだろうとは思うんだが

426:人間七七四年
16/03/25 11:13:55.44 OLtmf2Ma.net
サクスもだけど、元結ってなんでしょうか?

427:人間七七四年
16/03/25 11:59:42.46 ZcUwe5A0.net
サクス…ザ・シンプソンズでリサが吹いてるやつだろ

428:人間七七四年
16/03/25 12:03:06.67 tbZyYa43.net
文七元結という人情噺でしったが髷を縛る紐

429:人間七七四年
16/03/25 13:25:17.28 10Tr2RE8.net
髷を結う紐だから、それに関係する物じゃないかな?
櫛とか椿かなにかの植物油とか、あるいは酢かもしれん

430:人間七七四年
16/03/25 23:38:53.66 EHKpoSn5.net
戦国時代のお侍のお風呂って、普段は
小物や近習と入って世話してもらったりするんかね?

昔の偉い人のお風呂ってーと、なんかよく
薄着一枚の女の人に世話してもらうみたいな
ピンク気味の接待と直結してそーなイメージがあるんだがw

431:人間七七四年
16/03/25 23:41:47.34 RsgRIGxx.net
蒲生氏郷「風呂は主人が焚くもの」

432:人間七七四年
16/03/25 23:50:22.81 10Tr2RE8.net
その人によるんじゃないのか?
男好きな奴だっているし

433:人間七七四年
16/03/26 00:22:19.25 uE+/Jy3t.net
細川政元「女じゃ刺客が来た時あてにならないから小姓の方が良いだろ」

434:人間七七四年
16/03/26 00:44:22.84 EmgUfXaA.net
風呂には木刀があれば大丈夫

435:人間七七四年
16/03/26 01:00:08.86 jRU1UnJO.net
竹光持って風呂入ろう

436:人間七七四年
16/03/26 01:19:29.02 zhcQj6Rq.net
風呂で刺客に襲われて死ぬのは嫌だな
源義朝とか太田道灌とか最期がみっともないからいまいち評価されてない

437:人間七七四年
16/03/26 02:07:41.44 B+a2Nk0M.net
風呂で小姓とイチャイチャしてるところを刺し殺されたんだっけ?

438:人間七七四年
16/03/26 03:15:25.75 hU6z037w.net
>>433
家康「主人とよく似た女を使って、いざってときに影武者にすればいいじゃない」

439:人間七七四年
16/03/26 04:40:26.45 3Pwn/aoY.net
式神でいいじゃん

440:人間七七四年
16/03/26 05:29:49.44 kKXYlWLB.net
源義朝の暗殺の話読んだ時おもったのは周囲に警戒してる手下いなかったんかね?
だったな

441:人間七七四年
16/03/26 07:49:44.86 I2IpVs83.net
剛毅な人ほど大胆に振る舞うからね
用心は臆病者のすること

442:人間七七四年
16/03/26 07:56:58.47 enf1COfj.net
>>436
確かに信長の最期が風呂で襲われて
「是非もなし!」
だったら大河ドラマとか無理そう。

443:人間七七四年
16/03/26 09:12:22.51 UjQLVa6U.net
世の中には厠で死んじゃった人だっているんですよ!

444:人間七七四年
16/03/26 09:56:20.80 nqotctmz.net
>>442
イケメン俳優に湯船からザバーッと立ち上がらして裸で仁王立ちしたあとに是非もなし!なんかかっこいいw

445:人間七七四年
16/03/26 10:41:07.94 HD0VYwLt.net
信長「昔より 主人を討つ身の 風呂なれば 報いを待てや 日向惟任」
と言って斃れる信長か

446:人間七七四年
16/03/26 13:14:58.35 kiw4woY8.net
十河「馬から落ちて死ぬよりはマシ」

447:人間七七四年
16/03/26 15:13:32.43 tBtQgp7s.net
佐竹義重「源氏として頼朝公に倣っただけだから・・・」

448:人間七七四年
16/03/26 15:24:58.02 taSdLLLC.net
頼朝の死といえば、「東鑑」に頼朝の死亡あたりの年の記事がないもんだから
「頼朝にとって不名誉な死だったため、頼朝を崇拝していた権現様が削ったのだ」
と語られていたけど、択捉島に「日本の領土」という碑を立てた近藤重蔵が
「戦国末期の時点の写本でも欠落しているため、江戸に入って削られたものではない」
と考証したという話があるな
権現様が頼朝、東鑑を参考にしてたというのは有名だったんだな。

449:人間七七四年
16/03/26 23:16:31.64 y6nwLLrA.net
 秀吉公の御代から知行は四ツ物成(年貢が四割)になりまして、甚だ御禄のものが払底しております。
なにとぞ他のなされかたもあるのではないかと思われます。
 また公家方は三十石取といった御身上は、はてさて、恐れながら気の毒だと思われます。
多くの商人達の十人に九人は、公家方と申すと鬼神のように心得て掛売もしない。
なにとぞなされようがあってほしい事と思われます。
今は関白殿下を始めとして、揚名の官(名ばかりの官職)でして政に関与なさることはなく、
明け暮れ歌を詠み、香車風流ばかりを弄びなさっています。
きわめて小禄の公家衆は歌も詠まず、おおかた無理に飲むことで酒をたしなみ、身軽いので密かに勝負事の場所へ入り込まれています。
あるいは貧しい売女のような者に恥とも思わず馴れ通って、果てにはその売女を本妻にされる類も内内に聞いております。
 これは貧しいから起こることで、なんとも気の毒でございます。
なにとぞ全公家衆のもとへ三万石ばかり贈られれば、お行儀も直せるのではないでしょうか。
かつ禁裏様の御守護も重くなるのではないのでしょうか。
(本阿弥行状記)
全ての公家に三万石はきついでしょうねえ

450:人間七七四年
16/03/26 23:29:32.27 tBtQgp7s.net
合計で三万石ってことでしょうね

451:人間七七四年
16/03/27 02:28:56.27 IdgiLpGz.net
ああ、そうですね
公家の数を約130家としますと、一家に約230石ぐらいとなりますね

452:人間七七四年
16/03/27 07:56:29.16 vQfV29B3.net
実力で成り上がった秀吉は利用する価値もない泡沫公家なんか大嫌いだろw

453:人間七七四年
16/03/27 09:03:00.89 edYvsl2/.net
これ猪熊事件の頃の話じゃないのか

454:人間七七四年
16/03/27 09:18:58.21 pZZ2/1xg.net
織豊以前はもっと困窮してたろ

455:人間七七四年
16/03/27 09:33:37.01 7Jein4zk.net
この後に和子入内で秀忠が増やしてやってるんだよね

456:人間七七四年
16/03/27 09:35:50.11 U/uXeUMx.net
関白も政治に関与してないって事から
徳川幕府成立後の話なんでは。
秀吉公の〜ってのは予防線としての前置きみたいなもんだと思う。

457:人間七七四年
16/03/27 11:31:47.93 9X1WzsL8.net
4割と定まってるならそれ以上多額の税をかけるわけにもいかないということか
貧乏をこじらせてやることといったら飲む、打つ、買うってのは確かに哀れなんだよなあ
逆に戦乱で京都から亡命してた頃のほうがいい暮らしができてた人もいるんじゃないか

458:人間七七四年
16/03/27 11:59:36.91 Qwl0utdK.net
公家領は武士に対しては存在する軍役・賦役が無く、税収がまるまる懐に入るので実は武士より恵まれていた面がある

459:人間七七四年
16/03/27 13:17:44.94 9X1WzsL8.net
>>458
あー、言われてみればそれもそうか
でも同額面の武家の知行の数倍相当だとしても決して高くはないのでは

460:人間七七四年
16/03/27 13:29:35.72 7Jein4zk.net
亡命出来るくらいの公家は手に職持ってるからそれなりでは
亡命時代の日記みても今度は小姓に六韜講義しろって言われためんどくさとかいってたり
やっぱそれなりに大変そうやでw

461:人間七七四年
16/03/27 13:42:50.81 9X1WzsL8.net
>>460
確かにそれもそうだ

462:人間七七四年
16/03/27 18:00:19.13 4Aczxb8v.net
>多くの商人達の十人に九人は、公家方と申すと鬼神のように心得て掛売もしない。
どういう意味だろうと思ったら、ローンで買わせてくれないってことか。
金を返してくれない存在と商人たちが思ってたってことで。

463:人間七七四年
16/03/27 19:03:16.74 eo7a1+Z9.net
>>448
全く関係無いけどロシアの標識引っこ抜いて
大日本恵土呂府の標識建てた事は内緒な

464:人間七七四年
16/03/27 19:33:31.92 L8xTmexW.net
もっと関係ないけど、日本に「大」ってつけるようになったのっていつ頃?
戦国の頃はまだついてなかったような

465:人間七七四年
16/03/27 19:56:18.88 DDvpgp/d.net
大和だって「大」がついているわけで
独立国とか中華の皇帝に従わず独自の皇帝を持つという意思表示の一環では

466:人間七七四年
16/03/27 21:53:16.39 /od626cG.net
>>462
ローンじゃなくて現金払いかどうかって事。
クレジットカードに近いけど、集金するのがクレジット会社じゃなくて
商店自身がやらないといけないので、踏み倒す危険性が高い人は
掛け売りを断られてしまう。

467:人間七七四年
16/03/27 23:00:42.57 bRpg+Au9.net
なお細川家…

468:人間七七四年
16/03/27 23:45:07.53 4Aczxb8v.net
武家は武器で脅して踏み倒していたけど
公家はどういう理由で踏み倒し得たんだろ・・・

469:人間七七四年
16/03/27 23:49:49.56 4Aczxb8v.net
あー、公家は武家と違って一度不渡りを起こしたら二度と貸してもらえないんだ。
自分で解決した。武家が刀で脅すのは二度目ですね。

470:人間七七四年
16/03/28 03:32:00.26 kKHIffK9.net
???「借金?そんなもんは一揆起こせばチャラになるから怖くねーぜ!」

471:人間七七四年
16/03/28 20:01:43.88 V/JoKbcb.net
>>417
天球院の肖像画が残っているが普通に美人さんだよ

472:人間七七四年
16/03/28 21:18:00.92 DemqXdSQ.net
北条討伐により、豊臣秀吉は小田原城を攻め立てたものの、小田原は音に聞こえた名城であり、
落城する様子は見えなかった。秀吉は小早川隆景を召して言った
「この城を数ヶ月攻めているが、未だに陥落しない。この上は総攻めにしようと思っているが、
お主はどう考える?」
隆景答えて
「総攻めと命ぜられましたら、即座に攻め落とす事でしょう。ただし、味方も多くの死傷者が出るでしょう。
私の父である毛利元就は、数か国を乗っ取った者でありますが、父は城を囲んで弱らせる時は、
城中を割る謀を巡らせました。この時、仮に我らと語らった者共が、我々に同心しなかったとしても、
語らったという事実は漏れ聞こえ、城内の者達にに疑心暗鬼を生じさせ、程なく落城におよび、
人も損ないません。
殊更、この小田原城は大軍が立て篭もっていますから、必ず人心を統制することは出来ません。
籠城において人が多すぎるのは保ち難いものであると聞き及んでいます。
御計略によって、程なく落城させることが出来るでしょう。」
秀吉はこれを聞くと「兼ねて聞いていたことに増して、毛利元就とは謀略深厚な人物であることだ。」と
感心した。
そうして秀頼は富田将監を召し
「汝は北条氏政の老臣、松田尾張守と親しいのだから、これこれの通り松田に申し伝えよ。」
富田は松田に遣いを立て、『御味方に属せば伊豆相模両国を与える。』と密かに伝えた。
松田はたちまち心を変じ、味方する旨を返事し、嫡子新六郎、次男左馬助を呼び寄せ斯くと語った。
しかし次男左馬助は思う仔細有り、密々に主君氏政・氏直にこの事訴えた。
氏政は大いに驚き、松田を誅殺した。しかしこれにより隆景が考えた通り、城中の諸将兵士、
軽卒に至るまで、各々が疑心を持つようになり、城中騒乱して、今や諸軍の心は個々に立ち隔たる
有様と成った。
このように成っては防戦を遂げることも出来そうになく、城を保つことは難しい事態と追い込まれたため、
氏政・氏直父子は独夫の義勢も尽き果て、是非なく剃髪して秀吉の軍門に下った。
これによって関八州は併呑され、小田原に滞留し残党を征した。
(伊逹秘鑑)

473:人間七七四年
16/03/28 21:23:21.47 JZcHoAiY.net
本阿弥「親や兄を裏切るなら松田憲秀が誅殺された時点で自害しろよ」

474:人間七七四年
16/03/29 01:10:47.44 30ED7ZkZ.net
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
しかしまとめの逸話と大河を比較するといろいろ面白いな
加沢記の室賀や信幸や昌幸の娘の話とか、↑の春日信達の話とか
天地人とか江では比較する気にもならなかったけど

475:人間七七四年
16/03/29 13:49:51.82 ERoemA1V.net
大河見てないから分からねえ
どう違うのか教えてくれると有り難い

476:人間七七四年
16/03/29 19:07:39.68 ldznlRBE.net
>>472
まとめのほうで読んでて気がついたけど、中段で秀頼が富田将監を召してる

477:人間七七四年
16/03/30 00:34:23.46 6rIyf3Q2.net
 諸国に銀札と申す事があります。この事について思いもよらぬ刑罪の人が出てきています。
国々に銀札の替わりに銭を拵える事をお許しなされたら、日本国中でゆとりが生じ、万民がありがたがることができると思われます。
 ただしこの一事で承っております事に、秀吉公の御賢慮により
「随分色々と臨時の事を申しつけて、とにかく払底させることが天下太平の基」
と仰せられましたことは、一応その利が無いわけではありませんが、国々の困窮が甚だしくなり下々に響き総じて日本国の
弱みとなるかと思われます。民は国の元と承っております。
 秀吉公はあまつさえ千枚分銅とやら申して、黄金を数限りなく貯えられましたという。
秀頼公の御代で新たにお召し抱えた大名小名へ金子で知行を下されましたと聞いておりますが、
いかほどの名城でも日本国中の大名小名を敵にしましては、千枚分銅もだた当座逃れの事でついに落城しました。
 なにとぞ諸国で銭を鋳る事をお許しなされて、その下地の鉄を粗末にしないようにしたいことです。
鍋銭(寛永通宝鉄銭)では悪だくみの者が似せまして、銀札の偽札と同じようになるでしょう。
 ならびに銭の相場も下がるのではないかと思われます。とにかく金銀ともに相場と申すことなく、
銀六十目で金一両、銀十五匁で銭一貫文にしたいことです。
(本阿弥行状記)
札のほうが銭より手頃でいいのにね

478:人間七七四年
16/03/30 17:51:43.46 8Xmg7lP3.net
名古屋城天守閣の復元、竹中工務店案を採用 総事業費500億円
URLリンク(www.nikkei.com)
URLリンク(www.fnn-news.com)
URLリンク(www.sankei.com)
うーん…
どうしたものか

479:人間七七四年
16/03/30 18:29:34.45 YbXYRxtz.net
アメリカに請求すべき

480:人間七七四年
16/03/30 19:14:19.92 XQdkBBbY.net
織田の普請奉行が竹中工務店の創業者か
いっそ一夜城を

481:人間七七四年
16/03/30 19:49:12.66 5Y+KrJkh.net
公務員の給与カットするなら許す

482:人間七七四年
16/03/30 20:56:56.94 jnB2xSGc.net
>>478
あそこは市長も県知事もコスプレしょっちゅう披露してるような
それはそうと木造ではあるもののエレベーターを付けるのか
なんとなくいいんだか悪いんだかわからねえ
まあ鉄筋天守自体に価値が出てしまう前にやらないと木造再建できない気もする

483:人間七七四年
16/03/30 23:03:21.28 cMn3eGOe.net
犬山城の方を大事にしたら良いのに
江戸城の話はどうなったんだろう

484:人間七七四年
16/03/31 05:18:15.10 D7dfEllj.net
武田家滅亡の後、織田信長は武田の分国への仕置をなし、関東の管領として滝川左近将監一益を
上野国群馬郡厩橋の城に移した。武蔵・上野の旧武田分国の武士は残らずこれに出仕した。
真田昌幸は信州、上州両国に領地が在ったため、厩橋にも出仕した。
滝川一益は厩橋城で昌幸と対面した時、こう声をかけた
「あなたは承った所によると、以前は武藤喜兵衛と名乗っていたそうだ。しかし今回、つつがなく
武田が没落した以上は、鐵(かね)兵衛殿と呼ぶべきかな?」
そう、座興として言ったそうである。(喜兵衛を音が似ている金兵衛とかけた駄洒落である。)
その頃沼田の城は甲州の乱によって北条殿に横領され、藤田信吉は越後に浪人していた。
そこで一益は沼田の城に甥の滝川義太夫を城代として入れた。
一益は国中より人質をとったが、真田からの人質はなかった。これは真田信幸の姉が、人質として
安土に遣わされたためである。
(加沢記)


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