戦国ちょっと悪い話43 ..
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264:人間七七四年
16/02/28 23:44:27.96 /m5uHHqe.net
>>259
いやあれはもうしょうがない。
忠元系水野家5代の忠之が勝手掛老中になってしまったことで、
水野家としては「老中を輩出した」という事実が重く乗っかっている。(それ以前もこの家
幕府の重職についている家格だし)
なので、このまま埋没した場合「先祖の威名を汚した」として、大名連中から物笑いの種に
なってしまう。
綱吉の頃だったか老中になりたいために、譜代大名が柳沢に運動したりとか
そこら辺の苦労話みたいなものもあるしねえ。(それですらなかなかうまくいかないのだが)

265:人間七七四年
16/02/29 10:51:29.31 EDpWGsSr.net
水野の創作文芸信じて、勝成最強!!とか言っちゃうのって、
中学生ぐらいまでにしておきたいよなぁ。

266:人間七七四年
16/02/29 13:56:08.18 mGas1m50.net
最強は本多忠勝だろ三河人なら園児でも知ってるわ

267:人間七七四年
16/02/29 14:07:41.95 xXfunMOA.net
>>266
父上…最強の名乗りは私を倒してからなさいませ

268:人間七七四年
16/02/29 18:06:02.01 2zRB3gVd.net
>>265
でも勝成ファンってギャグセンスあると思う。
ネットで「黒駒合戦で一人で300の首級を上げた」ってのを見て
首供養10回分じゃん!って笑っちゃったもん。

269:人間七七四年
16/02/29 18:34:30.73 UZopRqti.net
>>256
表に出てないのに、お前は何で知ってんの?

270:人間七七四年
16/03/02 16:03:33.41 zQw4wQ1m.net
ブラタモリ見たけど城下町を造るって大変だな
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
参考
URLリンク(www.yonkeiren.jp)

こんなに苦労して城と城下町造っても、会津に転封....
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

271:人間七七四年
16/03/02 17:35:51.92 ybjpJ4JY.net
地味な作業じゃのう

272:人間七七四年
16/03/02 18:14:15.33 8pSP80LN.net
蒲生氏郷「俺のことかと思ったのに」

273:人間七七四年
16/03/02 21:06:02.36 xVGEjDjB.net
残念ながら熱帯雨林は酸素供給なんてしてないぞ

274:人間七七四年
16/03/02 21:11:33.40 ybjpJ4JY.net
お、おう

275:人間七七四年
16/03/03 22:14:31.27 23E5b8t+.net
松永弾正少弼(久秀)は、その嫡子右衛門佐(久通)と共に計った
「織田信長は若年の頃より、小勢を以て大軍を砕き、度々勝利を得たのは、時の運に乗じたのみではない。
武勇も世に超え、智謀も人に優れ、古今に傑出した人なるが故である。
往を以って来を計るに、今後彼の武威はいよいよ四海を覆うだろう。私が危険に逼迫してから屈服しては、
敵にも味方にも侮られてしまい、それから悔いても意味は無い。未だ余裕のある内に降参し、和州多聞城を
明け渡して偏に忠をなせば、きっとその益もあるだろう。」
そう議定し、内々に佐久間右衛門尉信盛に遣いし、この旨を述べると、信盛は早速岐阜に参じて
これを取り次いだ。信長は言った
「松永久秀は武略にも達し、かつ聡明な人物だが、隠れなき佞人である。
己が名利のために計る者は、その威積累する時には、果たして国家を乱すこと、掌を返すより
簡単に行ってしまう。そのような徒者をどうすべきだろうか?」
佐久間は答えた
「それは暗君に仕えての事です。まず御赦免されれば、天下静謐の功も、速やかに成し遂げられるでしょう。」
これに信長も説得され
「ならば汝が、兎にも角にも計らうように。」と信盛に任せた。
これによって降参の義は調い、先ず多聞城を請取、こうして松永父子は元亀4年4月10日に
岐阜に参向し御礼申し上げ、不動国行の刀、薬研藤四郎の脇差など進上した。
こうして多聞城には山岡対馬守を入れ置かれた。
(甫庵信長記)
甫庵信長記より、松永久秀臣従の模様である

276:人間七七四年
16/03/04 10:11:20.67 752mqM54.net
全て甲斐の生臭坊主が悪い

277:人間七七四年
16/03/04 14:20:47.94 1i+wHq0y.net
>>276
人とは欲を生きることじゃ、己の欲に生き生き抜いてこそ見える境地あるかもしれぬ

278:人間七七四年
16/03/05 07:35:27.90 3KJccw/e.net
ある時、徳川家康物語の折、大久保忠世が言った
「奥州一揆(葛西大崎一揆)の時のことです。蒲生氏郷は伊達政宗に謀られ、名生城を攻め懸けましたが、
危うい合戦に打ち勝ったのはまさに武功の大将です」
家康はこれを聞くと
「蒲生氏郷は武勇の士であり、武功とは言いがたい。
おおよそ”功”と言えば、智謀勇あって勝つことを武功と呼ぶ。”功”は”いさお”と読むと、
これは「功績」を意味する。
また”剛”は強きを意味する。氏郷は武剛と呼べるであろうが、謀は不足している。
第一客戦(敵の領内での戦争)の法をわかっていない。
敵国に入るには、郷導を5人も10人も求めて、地理および士民の風俗、粮の有無を案内者に
尋ねた上で働くのが定まった法である。然るに案内者を求めなかったのは智謀の足らざる所である。
これによって不覚を取ったといえる。
氏郷が伊達政宗を唯一の案内者と頼み、彼が申すのを真実としたのは智の不足である。
政宗が味方だからといって、その言葉を真実と受け取るのは愚かなことだ。
勇士の習いとして、人を出し抜き独り功を立てんと思う輩は、偽り、謀を構えること、
その例多い。昔、佐々木高綱は梶原景季の馬の腹帯が伸びていると偽って先に登った。
近くでは九戸城攻めの時、堀尾帯刀が病気と偽り、先陣と定められていた氏郷を出し抜き、
九戸城をただ一人で攻め落として蒲生の手を失わせたという例がある。
そもそも名生を攻める前、政宗に思うところあって氏郷を茶に招いた時、氏郷は政宗の
企みを察し、郎党も含めて用心していた。それなのに政宗の、高清水のほか敵は居ないという
言葉を事実と心得、案内者も求めず名生城を攻め立てたのは、正直に言って全く智謀がない。
兵は偽りの道である。ではあるが、偽りを以って躰とはしない。実を以って躰とし、偽りを
権に用いる。
戦争では虚実の変がある。これを判断できなければ、いざという時、必ず失う物が多くなる。」
この言葉に、一座伺候の者達は皆感心した。
(伊逹秘鑑)

279:人間七七四年
16/03/05 09:59:03.17 6uru3vLx.net
俺が氏郷ならDQNをぶっ殺してラスボスには、こいつが黒幕でした
って事後報告するわ
DQN殺して、咎められるとは到底思えん

280:人間七七四年
16/03/05 10:31:57.42 rfLBdCmG.net
何、このゲーム脳

281:人間七七四年
16/03/05 11:24:16.14 RMpi+8RN.net
>>278 一行にまとめると「政宗を信用するとか、バカなの?死ぬの?」ってことか。

282:人間七七四年
16/03/05 11:51:18.60 2PJRhSNT.net
家康は甲斐で一揆を扇動して、河尻秀隆を殺してるから
大崎葛西で一揆を扇動した政宗の心理も良く分かった事だろう
工場長は優秀なんだけど順風満帆な人生のせいで、悪人に対応する
スキルが不足している気がする

283:人間七七四年
16/03/05 14:17:51.74 ZeMm1oSb.net
上手いこと言うね

284:人間七七四年
16/03/05 21:46:17.24 vA0aQVHO.net
信長の野望で水野勝成がやっと評価されたらしいな

285:人間七七四年
16/03/07 17:15:06.26 kS/hBmPc.net
織田信長の元へ、鏡屋の宗白という者を、村井長門守(貞勝)が召し連れ、彼は手鏡を献上して
御礼申し上げた。
信長はこの手鏡を取り上げると言った
「たいへん明白に映る鏡だ。願わくば心の善悪も見ることの出来る鏡はないものだろうか?
世の癖として、諸侯太夫、寵臣たちは、良くも悪くも皆適切な発言をする。しかしこれによって
主君たる者は却って心を暗まされてしまう事、日々月々にいや増しているが、行いの悪しきを
諫むる者は居ない。
だからこそきちんとした諫臣を得なければ、政道の実利は聞こえてこなく成るものなのだ。」
そんな事を語りながらふと鏡の裏を見ると、そこには『天下一』と銘してあった。
信長の機嫌はたちまち悪化した
「去年の春、どこぞの鏡屋が献じた物にも『天下一』と銘じてあった。天下一はただ一人あってこその、
一号にてあるべきだ!それが二人もあるのは濫りというものではないか!
これは偏に長門守の不明より起こったことであるが、汝の不明は私の不明である!」
そう、殊の外ショックを受けたようであった。(事の外にぞ痛み思召し給ひける。)
(甫庵信長記)

286:人間七七四年
16/03/07 17:26:02.55 3as9S0BN.net
オンリーワンて意味だろ

287:人間七七四年
16/03/07 22:10:39.31 Zknb0aiq.net
そもそも、信長が色んなものに天下一って評価を与えてるんじゃなかったっけ?
自分が関係ないところで「天下一」を使ってることに起こったんじゃないか?

288:人間七七四年
16/03/08 10:24:08.55 42/aHoLr.net
おこなの?

289:人間七七四年
16/03/09 03:13:53.82 kDB78OH7.net
URLリンク(i.imgur.com)

290:人間七七四年
16/03/09 07:08:15.44 1bNIM6x/.net
誰これ?ブスしかいない

291:人間七七四年
16/03/09 22:03:39.93 GlMZAr4d.net
ヤフーニュースから
URLリンク(pbs.twimg.com)
みんなだったらどこ座りたい?
※なお森長可の人間無骨は二つ隣りの席まで届くものとする

292:人間七七四年
16/03/09 22:38:37.40 pIU/YpjM.net
>>291
15かな

293:人間七七四年
16/03/10 21:45:32.61 C5sK8azt.net
>>291
元ネタはこれかな?
スレリンク(sengoku板:294番)

294:人間七七四年
16/03/11 10:16:15.46 axDp3R6T.net
>>291
少なくとも5の席の机の上には花瓶と花が置いてあるのはわかる

295:人間七七四年
16/03/11 13:54:35.08 P+Fw5RO8.net
>>285
信長が政道とか言っても説得力ないよね 悪逆無道で滅ぼされたんだから

296:人間七七四年
16/03/11 14:40:54.41 8yyrruOc.net
>>291
小野木公郷助命問題で忠興と揉めた直政と
ガラシャが隣ってのが上手いね。
とりあえず教科書忘れたガラシャに机くっつけてあげる直政と
それを歯ぎしりして見ている忠興の図は想像できた。

297:人間七七四年
16/03/11 19:00:42.70 cGLcVCWY.net
天正19年、愛息鶴松を失った豊臣秀吉は、10月19日、諸大名、奉行たちを尽く集め、
朝鮮への出兵を宣言した
「先ず朝鮮を征して、従えばこれに先登させて進むべし。従わずば尽く攻め平らげ、
そのまま大明国に攻め入ろう。何の難しいこともない。各々、どう思うか!?」
諸大名は驚愕した。みな、秀吉は愛子を失い、嘆きのあまり狂気したのだと思い、
口を閉じて答える者はいなかった。
徳川家康は上座に居たが、彼はこう思っていた。我々は連年の軍旅に疲れ、去年に成ってようやく
一息ついたというのに、またもや兵を三韓に出せば、人民がどれだけ困窮するか言葉にもしがたい。
そして秀吉の言葉が聞こえなかったかのように、何も答えなかった。
秀吉は家康が答える様子がないのを見て、憤怒の表情になり、歯を食いしばり拳を握った。
その時、毛利輝元、前田利家、上杉景勝などが、その気色に恐れ口々にいった
「甚だ然るべき、誠に神功皇后以来の大事業です!武将と呼ばれるほどの人物の中で、兵威を
異朝に輝かせるのは、秀吉公にあらずして誰が及ぶでしょうか!」
このように阿ると、秀吉はたちまち喜びを表情に表し、すぐに九鬼嘉隆に命じて、伊勢の浦にて
巨大な艦船数百艘を作るよう命じた。その中で最も巨大なものは日本丸と号した。また中国四国九州の
諸大名は、秀吉の命に従い戦船を調え粮米を集め、兵を動員した。このように、当座の狂言とばかり
思われたものが、終に実際の出来事となり、大小名に至るまで興を覚ます思いをした。
こうして御前伺候の者たちが退出する中、浅野長政一人、見舞いと称して徳川家康の屋敷を訪ねた。
長政は聞いた
「今日の、秀吉公が韓朝を攻めるという話をどう思うか?」
「…名を末代に留めようとする者は、これを是とするだろうか?はっきり言えば、全く益のない企てである。
仮に三韓を攻めて日本に従わせたとしても、それから得られる利益はない。みな日本の費えになってしまう
だろう。
また、大明を日本の国力で従わせることが出来るとは思いもよらない。年月を経ても大明は雌伏するだろう。
10年も20年も戦えば、日本は兵力が尽きて、却って異国に奪われてしまう。
また大明を攻めてその兵を撤退させる時、大明の国王が、どうしてそれをそのまま置いておくだろうか?
彼らを見捨てることは出来ないのだから、撤退させるためにさらに軍を派遣しなければならない。
そうなれば日本の民はさらに疲弊し、亡国となるだろう。
あの時私は、秀吉公が怒ってその仔細を問うて来たなら、叶わぬまでも問答して押し止めようと思っていた。
ところが輝元たちが秀吉公に阿って非を是とした。忠臣の法ではないよ。
秀吉公は愛子に別れ、狂してああいう心が出たのだろうが、3年5年も過ぎずに後悔するだろう。
去年、北条が滅んでようやく静謐と成ったのに、今また朝鮮への企てを成す。是非を論ずるまでもない。
おおよそ、天下の主は万民の父母である。天下は一人の天下ではない。それなのに我意にまかせ名利を
貪り、民を苦しめる。本人は果報によって安穏に居られるかもしれないが、子孫は覚束ないだろう。
惜しいかな、秀吉公は、士を恵み民を慈しめば武運長久であるのに。」
長政はこれを聞くと言った「願わくば、秀吉公を諭していただけないだろうか?」
しかし家康
「皆が一同揃って然るべからずと諌めれば、もしかすれば説得することも出来ただろう。
だが、私一人が何度言っても、承服するような性格ではないだろう?
曲がった言葉を出す者は、また人の言葉も曲げて入るという。言わぬほうがマシだ。」
これに長政も「その通りだ」と答え、夜になって帰っていった。
(伊逹秘鑑)

298:人間七七四年
16/03/11 19:10:28.83 IF10bqjj.net
>>297
家康が反対しても潰されるだけだろうしなぁ…。
五大老全員反対してれば秀吉も内乱で負けると思って止めるかも?

299:人間七七四年
16/03/11 19:54:37.49 vSo0yAL7.net
>>297
プロバイダ臭い話だなぁ…
まぁ戦前のジャップに聞かせてやりたくはあるな

300:人間七七四年
16/03/11 21:41:13.17 qQZv496K.net
プ、プロバイダ・・・

301:人間七七四年
16/03/11 22:30:03.85 hLsw5c9k.net
プロの売女(バイタ)といえばあれか

302:人間七七四年
16/03/11 23:23:51.80 QmcX+9hA.net
ご・・五大老
今の時代に五大老っすか

303:人間七七四年
16/03/12 01:20:28.36 UuO6uAQQ.net
プロバイダ?

304:人間七七四年
16/03/12 02:20:14.43 8i4G8LAa.net
お、OCNとか?

305:人間七七四年
16/03/12 10:35:48.14 Hphtd2wu.net
                                              ヾ~ソゝ
                       >゛<                     ,.ゝ゛く
                      // ヽ\        ,.-―-、        (   )
        /|    /|         < / ハ >、`>       (_,,.......,,_)       ヽ_ソノ
       | .|   / .|          `'`..'┃'         \V/        ノソゝ
      /(,...).lノ /          _,,....,,_┃        _,,....,,_┃      ,(_)、....,,,┃
     _(‘ー‐'ノヽノ―、       ///ハ ヽ        ///ハ ヽ      `()'ハヽヽ
  _∧ソ゚Д゚ィ^’l '´  ヽ  _∧∠/二ヽっl    _∧∠/二ヽっl   _∧∠二ヽっ l
 (_・ |7(・_・ ヽ ヽ ー | (_・ |/(・_・ ヽ=ヽ  (_・ |/(・_・ ヽ=ヽ (_・ |/(・_・ ヽ=ヽ
    |\Ю ⊂)|√ヽヽ,/    |\Ю ⊂),√ヽ   |\Ю ⊂),√ヽ   |\Ю ⊂),√ヽ
   (   ̄ ~∪ )^)ノー‐'    (   ̄ ~∪ )^)ノ   (   ̄ ~∪ )^)ノ  (   ̄ ~∪ )^)ノ
    ||` || ( | ( |        ||` || ( | ( |      ||` || ( | ( |      ||` || ( | ( |
    '~ ~ '~ '~         '~ ~ '~ '~      '~ ~ '~ '~      '~ ~ '~ '~
    '~ ~ '~ '~         '~ ~ '~ '~          '~ ~ '~ '~       '~ ~ '~ '~
   桜井左吉       糟谷助右衛門     平野権平     加藤孫六
プロバイダ臭い話だなぁ…         プロパティ臭い話だなぁ…
           プロパンガス臭い話だなぁ…        プロパガンダ臭い話だなぁ…

正解は誰?

306:人間七七四年
16/03/12 17:32:37.08 mQ0JMx2g.net
 昔々、建部宗右衛門正遠という戦国武将がいました。
正遠は領内に重税を課し、領民からは悪評でした。
一揆が起きても全く聞く耳を持たず、武力で弾圧し、
さらなる重税を課すほどでした。
 ある時、そんな正遠の前に美少女が現われました。
彼女は領内の百姓の娘でした。
正遠はすっかり少女に一目惚れしました。
そんな正遠に彼女は言いました。
「領民を苦しめるのは、お止めなさい」と。
正遠は、「それならば、私の妾になるのなら、
その願いを聞いてやろう」と言いました。
そして、2人は結婚し、すぐに子供ができました。
正遠は子供に、「我が家は正が通字だから正の字と、
妾の名前の貴恵(きえ)から恵の字で、名前は正恵
(まさやす)と名付けよう」と言いました。
しかし、これには貴恵も猛反対しました。
「あなたの家の通字の正の字と、私の家の通字の氏の字で、
正氏(まさうじ)にしなさい」と言いました。
既に貴恵に逆らえない状況になっていた正遠は、
それをすんなり承諾しました。
領内から一揆がすっかり無くなり、税金も殆ど課さず、
領民に対するいじめも無くなりました。
 ある日、突然、貴恵と正氏が家を出ていきました。
驚愕した正遠は城を留守にし、妻子を探しに向かいました。
主をなくした城では、「隣国から敵が向かっている」と大騒ぎになりました。
それは建部家の長年の敵である、今川佐渡守近氏の軍勢でした。
近氏は正遠の城を包囲しました。主がいなく、また、
これまで減税して武力に補強していなかった城はすぐに陥落しました。
建部の城に近氏が入城しました。なんと、そこには貴恵と正氏も一緒でした。
実は貴恵は近氏の妾で、正氏は近氏の実子でした。
こうして、正遠がいなくなった建部の城は、今川の城となり、
領内に重税を課しました。領民は一揆を起こしましたが、すぐに鎮圧。
正遠の首を持ってきて、仕官しようとした領民も現われましたが、
それも無視しました。
こうして、近氏と貴恵と正氏は幸せに暮らしましたとさ。

307:人間七七四年
16/03/12 17:54:02.73 5hIwlm3z.net
建部正遠可哀想

308:人間七七四年
16/03/12 17:55:50.96 5hIwlm3z.net
俺の子供の名前、正恵にするわ。

309:人間七七四年
16/03/12 18:54:34.74 gTxoU8K6.net
創作?

310:人間七七四年
16/03/12 19:00:39.20 y5ta8Keg.net
創作だな

311:人間七七四年
16/03/12 22:13:44.06 mQ0JMx2g.net
戦国武将・建部宗右衛門政遠公
 昔々、建部宗右衛門政遠という戦国武将がいました。
政遠は領内に重税を課し、領民からは悪評でした。
一揆が起きても全く聞く耳を持たず、武力で弾圧し、さらなる重税を課すほどでした。
 ある時、そんな政遠の前に、美少女が現われました。
彼女は領内の百姓の娘でした。
政遠はすっかり少女に一目惚れしました。
そんな政遠に彼女は言いました。
「領民を苦しめるのは、お止めなさい」と。
政遠は、「それならば、私の妾になるのなら、その願いを聞いてやろう」と言いました。
そして、2人は結婚し、すぐに子供ができました。
政遠は子供に、「我が家は『政』が通字だから『政』の字と、妾の名前の貴恵(キエ)から『恵』の字を取って、名前は政恵(まさやす)と名付けよう」と言いました。
しかし、これには貴恵も猛反対しました。
「あなたの家の通字の『政』の字と、私の家の通字の『胤』の字で、政胤(まさたね)にしなさい」と言いました。
既に貴恵に逆らえない状況になっていた政遠は、それをすんなり承諾しました。
領内から一揆がすっかり無くなり、税金も殆ど課さず、領民に対するいじめも無くなりました。
 ある日、突然、貴恵と政胤が家を出ていきました。
驚愕した政遠は城を留守にし、妻子を探しに向かいました。
主をなくした城では、家臣たちが「隣国から敵が向かっている」と大騒ぎになりました。
それは建部家の長年の敵である、椎名越後守親胤の軍勢でした。
親胤は、家臣の阿部平八郎と斎藤与五左衛門に命令し、政遠の城を包囲しました。
山名与三郎と南部七郎兵衛ら、政遠の家臣らも必死に抵抗しましたが、主がいなく、また、これまで減税して武力を補強していなかった城は、すぐに陥落しました。
政遠の城に親胤が入城しました。
なんと、そこには貴恵と政胤も一緒でした。
実は貴恵は親胤の妾で、政胤は親胤の実子でした。
こうして、政遠がいなくなった建部家の城は、椎名家の城となり、領内に重税を課しました。
領民は一揆を起こしましたが、すぐに鎮圧。
政遠の首を持ってきて、仕官しようとした領民も現われましたが、それも無視されました。
こうして、親胤と貴恵と政胤は幸せに暮らしましたとさ。

312:人間七七四年
16/03/13 00:43:33.66 Dlmlh6PJ.net
戦国武将・建部宗右衛門政遠公
 駿河国の戦国大名・今川氏の家臣、遠江国の戦国武将・井伊氏の家臣・建部宗右衛門政遠は、領民に重税を課し武力を補強していました。
そのため領民は困窮を極めていました。
反対に建部氏の家臣らは贅沢を極めていました。
政遠は武力を極めることで、今川氏や井伊氏らの家臣の中で力をつけようと企てており、領内の政治のことには無関心でした。
ですから領民が声を上げても、政遠の耳には全く届きませんでした。
主がこの様なありさまなので、政遠の家臣らは腐敗堕落していきました。
領民に因縁をつけては、その場で刀を抜き領民を刺し殺したり。
領内の民家に強盗しては、良さそうな娘を強姦して拉致して監禁したりしていました。
この状況に異議を唱えた家臣もいました。
それが山名与三郎と南部七郎兵衛ら戦国武将です。
素行の悪い家臣らを捕まえては、その場で首を切り落としたりしました。
仲間が山名らに斬られたのをみた他の家臣らは、喧嘩を売られたと政遠の所に訴えに行きました。
政遠は山名らを罪人としました。
山名と南部らは濡れ衣だと訴えました。
しかし、政遠は領民に優しい山名らよりも、民家を強盗して得た金品や、拉致して嬲った後の女を分け与えてくれる家臣らを優遇しました。
山名と南部らはどうしようもできません。
そんなときでした。
隣国の赤佐源太夫直孝が、政遠の領内の酷さを噂に聞き、偵察しに来ました。
領内の現状をみた直孝は酷く憤りを感じました。
すぐに政遠を呼びつけ叱咤しました。
しかし、政遠は逆に直孝に恨みを持つようになりました。
政遠は家臣らの腐敗堕落を利用して、さらに領民を苦しめました。
領民には既に抵抗する気力もありません。
領内には女もいなければ、食べ物もなく、餓死者であふれていました。
そうこうしているうちに、領民の人口は1/10にまで減少。
しかし、家臣らの子孫だけは増えていきました。
人口が減り、領民から搾取できなくなった政遠は、武力も低下して、望み通りにいかなくなっていきました。
そんなときです。
山名と南部らが檻から脱出し、隣国の赤佐氏の領内に逃げ込みました。
そして、赤佐氏の軍勢は建部氏の領内に向かいました。
政遠や腐敗堕落した家臣らには、武力もありませんでした。
直孝は、家臣の阿部平八郎と斎藤与五左衛門らに指示し、建部氏の城を包囲させ、すぐに陥落しました。
腐敗堕落した家臣らは、一族共々全員が斬首されました。
政遠は、自らの元の家臣である山名与三郎と南部七郎兵衛らの下役として、赤佐氏の家臣に取り込みました。
建部氏の腐敗堕落した家臣ら一族を斬首したこともあり、家臣らの子孫ばかりだった領内の人口も、さらに減っていた状況でした。
しかし、直孝は、政遠の旧領を山名与三郎と南部七郎兵衛らに治めさせ、彼らに領内の復旧を任せました。
こうして、領内には、山名与三郎と南部七郎兵衛の子孫だけが増えましたとさ。

313:人間七七四年
16/03/13 01:39:22.08 Dlmlh6PJ.net
戦国武将・建部宗右衛門政遠公
 時は戦国、六角氏が治める近江国に、宗次郎という百姓のせがれがいました。
宗次郎は本を読むことが好きで、仕事をしながら勤勉に励みました。
ある時、近辺を治める、六角氏の家臣・後藤越後守祐豊が、宗次郎の前を通り過ぎました。
宗次郎は祐豊に仕官を望みました。
祐豊は、宗次郎の勤勉さにひかれ、彼を家臣としました。
その後、宗次郎は、建部宗右衛門と名乗り、建部朝臣政遠という名前を持ちました。
政遠は祐豊の家臣として、300石を拝領しました。
その後、政遠は戦で次々と戦功を得てきました。
政遠は、祐豊の家臣の中でも、次第に頭角を現すようになります。
政遠のことは、祐豊の主である六角氏にもとどろく様になりました。
その後、政遠は、祐豊の下役として、六角氏の家臣となり、10000石を拝領するに到りました。
そして政遠は、今の地位に安住してしまい、幸せに暮らしましたとさ。

314:人間七七四年
16/03/13 05:23:41.44 J76LvMUu.net
この年、天正19年は改元して、文禄元年となった。
諸国の軍兵は豊臣秀吉の命を受け、筑紫に赴き、朝鮮に入る準備をした。
12月28日、近江中納言豊臣秀次は関白に任じられ、天下の政治を掌握した。
そして秀吉は太閤と称した。
秀次はこの日参内し、日本中の大小名の内在京しているものは、尽くこれに供奉した。
その行列は予め定められ、1番に蒲生氏郷、2番に伊達政宗、3番が山形(最上)出羽守義光であった。
ところがこの事に対し、蒲生氏郷が秀吉に訴え出た
「山形は源氏の末裔であり、また伊達政宗に対して母方の伯父であります。それなのに義光が
政宗の跡に立つのは本意に非ずと、出羽守は頻りに嘆いています。」
秀吉はこれを聞くと
「誠に私の過ちである。山形は源氏、政宗は藤原氏。山形は伯父、政宗は甥である。
また山形は忠節人、政宗は降参人であるので、山形を先にするのが道理である。」
こうして義光が政宗の先に立つことに決まった。
義光は大いに喜び、蒲生氏郷に対し
「天下に面目を立てることが出来ました。一生この恩は忘れません。もし会津に一乱有れば、
必ず義光が救いに参ります。」
その証人として、息子の駿河守を人質として会津まで送ったが、氏郷はこれを丁重に送り返した。
さて、伊達政宗は、これに間に合うよう年内に上洛していたのに、その甲斐もなく義光が
行列の2番に立つことになった。政宗はこの顛末を聞くと、蒲生氏郷を憎むこと骨髄に至るほどであった。
蒲生氏郷と伊達政宗の関係が、水と火の如くであることを、秀吉はよく知っていた。
だからこそわざと隣同士においてその境を守らせたのである。
(伊逹秘鑑)
蒲生氏郷と伊達政宗の悪関係、実は秀吉が煽っていた、というお話

315:人間七七四年
16/03/13 19:24:19.35 aCW8pZdW.net
中日新聞福井版2月21日
県庁前に秀康が“2人”? 結城会が新設に動く
現在の像「容姿」に異論
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
江戸時代初期に福井藩の初代藩主を務めた徳川家康の次男、結城秀康(一五七四〜一六〇七年)の騎馬像について、
結城家のゆかりの福井市民らが違和感をもち、新像の設置を模索している。福井城跡である市内の県庁前に立つ
現在の像には子孫関係者からも異論が出ており、インターネット上で「中国風」「日本の美意識がない」と批判
されたのを機に動き始めた。今の像を計画した市側は静観するが、二つの像が並び立つ日が来るかもしれない。 (中場賢一)
馬にまたがり、手綱を持つ姿で、県庁の来訪者を迎える秀康の石像。越前国北ノ庄(現福井市)入りから四百周年を
二〇〇一年に迎えたのを記念し、福井市と、市の歴史や文化を紹介する公益財団法人「歴史のみえるまちづくり協会」が
城跡を管理する県に贈呈し、〇二年に除幕された。
制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。
建立直後から、結城家の家臣の子孫の市民らでつくる「福井結城会」には、秀康の子孫の結城松平家や結城家の関係者から
「イメージに合わない」と異論が届き、撤去するよう要請があった。ネット上では「中国風にデフォルメされている」
「日本独自の美意識が感じられない」と評されている。
会の片岡賢三副会長兼事務局長(67)は「不評や失笑どころか怒りを買っている」と新像を計画。秀康に関する資料を精査し、
銅像制作を手掛ける富山県高岡市の「竹中銅器」に昨年十二月にデザインを発注し、一月に完成した。
その姿は秀康が愛用していた唐冠形兜(とうかんなりかぶと)をかぶり、手には天下三名槍(めいそう)の誉れ高い
「手杵(てぎね)の槍(やり)」が握られている。顔は「ナマズに似ていた」ともされているが、イケメン風にアレンジ。
ただ、片岡さんは「あくまでたたき台」と強調する。

316:人間七七四年
16/03/13 19:44:56.84 mmYKOCFu.net
容姿に異論、ていうからギイに似ているとか鼻が欠けた姿にしていたのかと思いきや

317:人間七七四年
16/03/13 19:53:36.58 Q9hijGnh.net
>>315
>「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」
キックバック?公益財団法人の悪い話…。

318:人間七七四年
16/03/13 20:46:50.74 xNctmjgV.net
>>297家康の本音「キマシタワ〜!これで豊臣も終わり、次は儂のターン( ̄▽ ̄)bニヤリ」

319:人間七七四年
16/03/13 21:14:50.13 /SDAcKHs.net
>>315
>制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
>協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。
態々、浙江省の石像作家に頼むからこんな中華風な像なるんだよな
国内の製作者でも戦国の騎馬武者像を正しく作れる人がどれくらい居るかも分からんのに

320:人間七七四年
16/03/13 23:42:28.69 AcXeEgg+.net
>>315
御手杵を馬上で使える訳無いだろw
関係者に馬鹿しかいねぇwww

321:人間七七四年
16/03/13 23:59:30.17 wbpvzEpq.net
はい草

322:人間七七四年
16/03/14 01:14:31.04 Vz9aN3QN.net
>>320
変に関羽みたいになっとるw

323:人間七七四年
16/03/14 15:55:50.98 X6LOFWbh.net
戦国時代騎馬武将の写真なんてあるわけないし
当時かかれた絵もおもいっきりデフォルメされてるので細部は全くの不明
誰も本当の姿なんて知らないし県庁前とおるほとんどの通行人も興味もないししりたいとも思わないので
わざわざ作り直す必要性もないだろう

324:人間七七四年
16/03/14 17:24:28.52 fT7s1wsQ.net
左手にサイコガン付けようぜ

325:人間七七四年
16/03/14 17:38:31.19 lbTjKK+/.net
ヒューッ!

326:人間七七四年
16/03/14 17:54:03.61 Yc5G3ZeV.net
天正壬午の乱の結果、信州一国は徳川家康に属することになったが、ここで天正11年6月、
真田安房守昌幸は国中を従えんと企て、先ず室賀を討つべしと一門を一手に引き連れ
室賀の館に押し寄せた。
しかしこれに、室賀兵部太夫(正武)は自ら打って出て、篠山において火が出るほど激しく戦い、
互いに多くの郎党が戦死したため、双方ともに引いた。しかし翌日、真田は再び取って返して押し寄せ、
これに室賀より和睦を請うてきたため、これを許して帰国した。
室賀入道は真田に従属したことを無念に思い、翌天正12年6月、高井彦衛門尉を通じて
遠州の徳川家康に訴えた。これに対し家康は、「謀を以って真田を討つべし」との返答を得た。
室我入道はこれに大喜びし、それから上田に見舞いに参ること甚だ頻りとなった。
ある時、上方より囲碁の上手が上田へと参り、これに室我入道は招待された。
室賀は「よき時節なり」と考え、日限を定め、一門の室賀孫右衛門を以って
「来月7日、真田の居城に囲碁に参りますが、この時真田昌幸を討ち取ります。
ですのでご加勢下さるように。」
と、徳川家臣の鳥居氏に申し送った。
ところが、この室賀孫右衛門は内々真田昌幸に通じていたため、その書状を直に上田に持って行き、
その内容を語った。真田昌幸は大いに喜び、孫右衛門を馳走して反した。
一方、室我入道は全てうまく行っていると思い、家の子である桑名八之助、相澤五左衛門尉、
堀田久兵衛などを従えて上田に参ると、昌幸は兼ねて用意してあった通り、書院に招いて
囲碁を始めた。
この時、長野舎人、木村戸右衛門が討ち手に決められており、合図を出すのは禰津宮内太輔、麻利子藤八郎、
長命寺、安楽寺であった。
長野、木村は次の間より太刀を抜き出し、室が入道を無常にも殺した。
室賀の家臣である桑名、相澤、堀田はこの騒ぎを聞くより早く殿中に斬り入り、散々に戦った。
しかし、たとえこの3人が項羽の勇を顕したとしても、多勢に取り巻かれ、最後には生け捕りにされた。
この3人は後には心を変じて真田に仕え、無二の忠を成した。
この時、桑名八之助は深手を負った。
室賀の妻子たちはこのことを聞くと、取るものも取りあえず早々に甲州へと落ちていった。
(加沢記)

327:人間七七四年
16/03/14 20:04:24.99 xlMMQtnb.net
>>323
鎧とかなら残ってるんじゃないのかな

328:人間七七四年
16/03/14 20:36:53.05 Yol0YFF+.net
馬具も馬術書もある

329:人間七七四年
16/03/14 20:58:58.14 egIkNCog.net
中華風にプロレタリア感が加わった何とも言えない石像だなとは思った
まあ結城秀康といえばあの脇立がなきゃって気もするし、どっちもあっていいんじゃないの

330:人間七七四年
16/03/14 23:37:11.54 GrsOdL9+.net
「逮捕されたタレント女医・脇坂英理子は、自称”元華族”のお嬢さま」
URLリンク(zasshi.news.yahoo.co.jp)
江戸時代に入って途中で養子が入ってたっけ、この家

331:人間七七四年
16/03/14 23:58:02.07 9EJeGu8Y.net
>>330
(※追記:3月10日、脇坂安治の末裔=16代当主が、経営する会社のHPで「脇坂英理子容疑者と、弊社社長・脇坂とは一切関係ございません」と声明を発表。脇坂容疑者は、今まで複数のメディアで大名・脇坂家の出だと自称していた)

332:人間七七四年
16/03/15 00:02:05.99 YZC0J5fU.net
脇坂安治がクズ扱いされてて可哀想
脇坂安治は周りを西軍に囲まれていやいやいただけ
本当のクズは事前連絡して無かったのに、流れをみてどさくさ紛れに
裏切った小川、赤座、朽木

333:人間七七四年
16/03/15 00:09:48.70 C+XESIHS.net
脇坂家は江戸時代に堀田家から二度養子をとったんだったか
で幕末最後の当主は藤堂家から、と

334:人間七七四年
16/03/15 00:13:42.74 fCODIKy5.net
バリバリの武功派で武功派のなかでも家康派なのになぜに決戦場に連れて行ったのかレベル

335:人間七七四年
16/03/15 00:48:12.30 eS7+vOIg.net
そんな事一々気にしてたら兵数が激減するので

336:人間七七四年
16/03/15 00:53:38.69 r9VV4Cyo.net
 天下の政もあまり厳しくしますと、我が朝は勇智が鋭い国ですので、役についている者が安心せず、
思いもよらぬ自害をする事も出てくるでしょう。
 権現様が毎度仰せられていたことに、天下の政は『重箱を擦子木で洗う』(細かなことまで詮索しない)
ようにするのがよろしいとのものがあります。
この御上意は末代の亀鑑だとと思われます。
 また何の役であろうと、自分の仕事が済むとすぐに立ち去るように考えている人がございます。
これは先祖からの知行に疵が付かないようにとの心で、
先祖へは奉公の様に聞こえましても、君への不忠かと思われます。
これは上の情は下へ通らず、下の情が上へ通じないことから出てくるのだと思われます。
 そのうえ権現様が御他界されてからわずかな年月しか経っておりませんのに、自然と華麗になっていますので、
私も人もこれを心に忘れないように、上様の御恩を子孫の者どもへ申し聞かせるのでございます。
(本阿弥行状記)
仕事の引継ぎを準備せず放り投げてくる人っているよね(´;ω;`)

337:人間七七四年
16/03/15 01:00:25.82 iW5qRqqm.net
>>332
朽木家は改易されないで生き残ったね
避難してきた将軍義輝匿ったり、信長が困ってるとき助けたり
良い事してきたからかな

338:人間七七四年
16/03/15 02:14:07.84 w/y3/YAv.net
一族に犯罪者が出れば縁を切るのは今も昔も変わらんだろ
豊臣方についた某とかなw

339:人間七七四年
16/03/15 10:28:25.24 4eCAY+2k.net
中華風にリアリィティないというなら各地の駅前とかにある馬上戦国武将像もあれだろ
ポニーサイズの馬に変更しないと・・・

340:人間七七四年
16/03/15 11:56:53.07 NidQDkNs.net
>>332
実際クズだろw
長宗我部なんかきっとまだ恨んでるぞ

341:人間七七四年
16/03/15 13:38:45.21 utlpfOlk.net
>>339
ポニーだって体高150くらいあるの知ってる?

342:人間七七四年
16/03/15 13:42:56.47 vNIvEO5E.net
>>315
たぶん、碌な資料も渡さずに発注したんだろうな。
秀康像の困惑顔は作家の本心を表してるに違いない。

343:人間七七四年
16/03/15 20:11:29.35 iW5qRqqm.net
根岸にある馬の博物館に在来馬とサラブレッドの
骨格標本が展示されてたけど、思ってたほど在来馬は
小さく無かった
ってかサラブレッドが思ってるよりも大きい

344:人間七七四年
16/03/16 10:57:19.82 Mr0glBl3.net
サラでも三冠馬ディープインパクトなんか体高164だで
現代競馬の祖のノーザンダンサーで157、サラの代表的な祖のハイペリオンなんか152だ
いつまでもサラガーサラガーいってるバカは物知らなさすぎだべ

345:人間七七四年
16/03/16 11:50:01.50 E/Z+ByCm.net
そっだらごどいっだっでよ

346:人間七七四年
16/03/16 13:16:21.91 T/2Dqs4v.net
だいたい戦国時代は蹄鉄という概念がなかったんだろ
宣教師が日本の馬は人乗せると少ししか移動できないとかなんとか書いてなかったかな
甲冑装備の武将が馬に乗ってたのかも怪しい

347:人間七七四年
16/03/16 15:11:11.20 kB3DZJB7.net
原種が水辺棲種の西洋馬は蹄が柔らかい蹄鉄必須だが
草原産のモンゴル馬と同種である和馬は蹄が固いので必須ではない
また馬の足裏は第二の心臓として機能してるので本来は余計なものは付けない方が良く
モンゴルでは現代も蹄鉄は付けない

348:人間七七四年
16/03/16 19:50:36.70 AOgP06Dt.net
天正12年の正月上旬のこと。
上州白井長尾の家中には、百人衆と呼ばれる徒歩の侍の集団が有った。
その頃、真田昌幸の家臣であった沼田衆の林太郎左衛門、吉野太郎右衛門、吾妻衆の井上金太夫は、
私曲の事があって沼田を立ち退き白井に属し、白井においてこの百人衆に組み入れられた。
しかし、この3人はどうにかして昌幸に忠節を立て、故郷に立ち返りたいと考えていた。
この3人、談合してその事を昌幸家臣の高橋右馬充に伝えると、右馬充はこれを金子美濃に相談した。
金子美濃は「其方、上田に参り注進すべきだ。」と勧めたため、右馬充は上田に参り、丸山土佐守、
木村戸右衛門を通じて申し上げると、真田昌幸は大喜びした
「神妙のことである!卒爾無きように謀るべし!」
そして高橋右馬充は戸鹿野へと戻った
さて、かの3人は白井において、傍輩の者たちをたぶらかした
「沼田、戸鹿野には有徳(金持ち)の者が多い。夜討ちして金銭を奪い取ろうではないか!」
こうして130人ほどが申し合い、この林、吉野、井上を案内として、戸鹿野へと忍入った。
彼らが侵入し終わると、かねてからの計略通り、橋を外し、彼らを四方より取り巻き、討った。
突然の事に、瞬く間に白井の者達は120人余が討ち取られ、水練の達者の者5,6人だけが助かり、白井へと
逃げ帰った。
この忠節により、高橋右馬充には知行が与えられた。
(加沢記)

349:人間七七四年
16/03/16 21:18:51.91 3+IF7VJK.net
全盛期も今も浜崎だが?w
9位.「LOVEppears」   浜崎あゆみ
リリース:2001年4月9日
14位.「AMARANTHUS」   ももいろクローバーZ
リリース:2016年2月17日
15位.「白金の夜明け」   ももいろクローバーZ
リリース:2016年2月17日
URLリンク(itunes.pplepop.com)

350:人間七七四年
16/03/17 10:24:48.53 ozVZcnDf.net
URLリンク(upload.wikimedia.org)
在来馬と鎧武者の再現画像あったぞ

351:人間七七四年
16/03/17 10:59:03.88 6UzlzMVn.net
日本の在来馬 木曽馬みたいなやつ?は半レグアしか歩けなかったと宣教師は報告してるね

352:人間七七四年
16/03/17 14:01:48.19 wDC9oqoH.net
まぁ仮にさその報告が正しいとしようよ
レグアも仮に6kmとしよう
半レグアってんだから3kmしか歩けないって話だ
そんな動物を乗物や動力にするバカが居ると思うか?
たった3kmのために飼育して3kmのために鞍とか馬具つくるバカがいたと思うか?
それがわからなくてしたり顔で「報告してるね」などと書いてしまう真のバカは
オレオレ詐欺にすら引っかかる素晴らしい能力があると思う

353:人間七七四年
16/03/17 14:13:03.10 1RgEfUuQ.net
>>352
後半は言い過ぎだが、まあその通りだな

354:人間七七四年
16/03/17 14:17:40.96 1YBUArYE.net
そもそも3km走れれば十分じゃね

355:人間七七四年
16/03/17 14:25:11.44 PwD/CDv5.net
バテレンの報告だしな
それを迂闊に信じるほうがバカなのであって351本人はバカじゃないだろ、いわば釣り
そんなことも分からない352は池沼

356:人間七七四年
16/03/17 14:51:06.34 wDC9oqoH.net
>>355
顔真っ赤だぞ>>351
これだけ書かれたら池沼でもわかったか

357:人間七七四年
16/03/17 14:56:11.60 wDC9oqoH.net
>>354
現代人ですら時速5kmで歩いてる
3kmなら40分くらいだ
一人ならまだ使いみちもあるかも知れん
軍隊で千人単位で行動するのに3km歩いたら使えなくなる巨大なゴミを
連れて行く趣味人がいたのかな?

358:人間七七四年
16/03/17 15:05:43.00 1RgEfUuQ.net
1日の軍の動きが記録されていてる信憑性が高い資料とグーグルマップを見比べてみるといいかもね、大返しなんかの特別なのは除いて

359:人間七七四年
16/03/17 15:09:04.27 1YBUArYE.net
半レグアしか持たないのは馬草履であって馬自体じゃないってマジレスは要らん流れだと思って

360:人間七七四年
16/03/17 16:47:55.75 PwD/CDv5.net
>>356
顔真っ赤にして連投している池沼w
そんなに悔しかったのか?惨めやのう

361:人間七七四年
16/03/17 17:50:00.07 wDC9oqoH.net
次から木曽馬くん改めバテレンくんと呼んであげようw

362:人間七七四年
16/03/17 18:30:36.78 SqIOMTiN.net
>>351
宣教師って具体的には誰の報告?
原文訳を見てみたい

363:人間七七四年
16/03/17 18:32:01.16 3yaiYwEC.net
友達いなそう(小並感)

364:人間七七四年
16/03/17 18:35:57.61 SqIOMTiN.net
近藤好和氏なんかはこの大きさはアジアの馬の特質であり日本の馬はその中でも標準サイズと
言っているね
日本の馬と同サイズの中国の軍馬やユーラシアを征した蒙古馬なんかも
数キロで歩けなくなるのかな?

近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。

365:人間七七四年
16/03/17 18:40:38.29 SqIOMTiN.net
半レグアってのは何キロくらいになるんだっけ?
URLリンク(www.marvellouswings.com)
> 和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、
と誤解されていますが、約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく
走り続けられることを確めました。

366:人間七七四年
16/03/17 19:36:44.80 3yaiYwEC.net
わかってると思うけど ID:SqIOMTiNじゃないからね

367:人間七七四年
16/03/17 19:46:01.90 9Qv7iut3.net
ID:wDC9oqoHだろ

368:人間七七四年
16/03/17 20:10:09.50 E19qjm7b.net
サラとアラブの血が混じったアングロアラブでもポニーサイズになるのもいる
↓の馬は体高146センチで日本でいえば南部馬の平均よりやや大きい程度の
ポニーになるが小柄な印象だろうか
アラブ馬視察
URLリンク(yohcan.a.la9.jp)
>マゼッタ、マゼ、賢双、賢双の2、達の父親です。
体高は146センチと小ぶりだが子馬は大きいのが多い。

369:人間七七四年
16/03/17 21:55:53.90 8yUpp46g.net
在来馬でひとくくりに語ってるけど木曽馬と南部馬でも全然大きさ違う
南部馬は最高級のブランド

370:人間七七四年
16/03/18 13:04:24.83 L4Gc8Te7.net
>>366
バテレン君まだやってたのかwww
おっちゃんそんなに悔しかったの?

371:人間七七四年
16/03/18 13:15:42.23 L4Gc8Te7.net
バテレン君みたいなちょっとアレがアレレな人でもわかる説明があったよ^^
URLリンク(note.chiebukuro.yahoo.co.jp)
> 日本在来馬の馬格についてよくポニーサイズと言われますが、これは動物園や観光牧場で目にするシェトランドポニーなどと混同され、誤解される事も多いようです。
>特に日本在来馬を騎馬戦に堪えないと論じた歴史家の鈴木眞哉氏などはそのように感じます。
蒙古馬なんかでも一晩中走れるからね
半レグアなんてまじめに報告してた500年前の宣教師レベルの残念な頭だと理解できないかも?
これで理解できたらいい加減木曽馬ガー木曽馬ガーってバカの一つ覚えはやめようなw

あとこのページでサラが時速60kmって書かれてるけど
賞味その速度で走れる距離は知れてるからな
騎馬武者背負ったらそれこそ「半レグア程度」じゃないかなw
半レグアくんわかったかー?

372:人間七七四年
16/03/18 14:08:11.57 +6yoYLyb.net
URLリンク(www.sukumizu.tv)

373:人間七七四年
16/03/18 14:22:22.03 eq4YuDat.net
この流れまだ続くの

374:人間七七四年
16/03/18 15:26:08.68 JSDXJhF6.net
フロイスの日本覚書にわらぐつが半グレアしかもたなかったと記述してるやつじゃないの

375:人間七七四年
16/03/18 16:45:32.98 exV8nKBg.net
必死になってるアスペがいるけど何で発狂してるの?

376:人間七七四年
16/03/18 16:59:03.01 VVUR5ajM.net
薬が切れたんでしょ
保護者はちゃんと面倒見とけよな

377:人間七七四年
16/03/18 20:23:36.79 q+d6RhPZ.net
ちょうど今NHKBSで在来馬の実験やってるな

378:人間七七四年
16/03/19 05:04:58.12 ZJZgB71Y.net
馬がダメなら鹿に乗ればいいじゃない
どちらも4つ足!ってどっかの名将が言ってた

379:人間七七四年
16/03/19 09:16:48.89 yCZ4HppW.net
番組見たけど、鎧が重くてお馬さんは動けませんでした
パネルの紙をめくる音だけでもびくっとして動けなかったし
コメンテーターの先生とスタジオの結論としては、馬も人も日頃から訓練してないと
源平時代みたいな動きは無理ってことに

380:人間七七四年
16/03/19 23:11:31.28 tWYe0WnB.net
 運上の事で色々願います者が次第に出てくるでしょうが、古来から無かった事は御取り上げないことがよろしいかと思われます。
とにかく国々では昔から何事にも古掟等があるでしょう。甲州一分は今をもって信玄公の御代の通りにその国限りで使われており、
国の掟も信玄公の御定めの通り権現様はお聞き届け、そのように治めなされたといいます。
以上のように考えますと、新法は当分便利でも良い事は無いと思われます。
(本阿弥行状記)
甲斐では他国との貿易に金を頼らざるをえないので、
信玄は持ち出し禁止にせざるを得なかったのでしょうね

381:人間七七四年
16/03/20 12:21:35.70 swix58Wt.net
なんか雰囲気悪いスレだなあ

382:人間七七四年
16/03/20 13:41:35.91 iW0m8qN2.net
そりゃ、ちょっと悪い話だからな

383:人間七七四年
16/03/20 14:28:06.76 J1E8YcY8.net
バテレンに論破された坊主のごとく余程悔しかったとみえるな
ほんと見苦しいねえ

384:人間七七四年
16/03/20 14:30:23.31 F0/pHG2I.net
鈴木信者いいかげんにしろ
スレタイを声出して読んでみろ

385:人間七七四年
16/03/20 15:45:59.67 jqPquz/P.net
この荒れようだと 「性格かなり悪い話43」 に見える

386:人間七七四年
16/03/20 16:36:06.85 iJ9fL99B.net
>>378
馬が駄目だから牛に乗ったでござる(某傾奇者)

387:人間七七四年
16/03/20 16:54:13.65 7Dvgp6Gq.net
ちょっと煽るともう発狂wやはり血は争えないかw

388:人間七七四年
16/03/20 18:14:24.22 cwST3XPD.net
鈴木氏の説をとなえると発狂する人が戦国板にはわんさかいるな

389:人間七七四年
16/03/20 18:19:54.67 iTLUFB/X.net
この流れまだ続くの

390:人間七七四年
16/03/20 19:33:39.78 kxzzr+WE.net
>>388
ID:wDC9oqoH
代表例ですねw

391:人間七七四年
16/03/20 19:36:18.11 DHCePC7L.net
訓練してない馬で検証って何の意味があるんだろう
訓練された馬なら騎馬武者載せて半レグア()以上駆けていけるのは>>365にある通りだが

392:人間七七四年
16/03/20 20:20:32.30 F0/pHG2I.net
鈴木信者(ひとり)
飛行機飛ばしまくりでスレ荒らし
「鈴木信者のちょっと頭の悪いスレ43」

393:人間七七四年
16/03/20 20:24:19.57 BXYQTkpo.net
病人の収監スレに成り果てたか

394:人間七七四年
16/03/20 21:15:52.83 iW0m8qN2.net
鈴木信者ってなんなん?

395:人間七七四年
16/03/20 21:21:14.63 F0/pHG2I.net
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
スレリンク(history板)
・戦国時代の馬はポニー程度
・日本刀はほぼ役にたたない飾り
ずっとこれを連呼してる

396:人間七七四年
16/03/20 21:35:54.13 28PC8Ciw.net
伊達政宗がある夜、原田左馬助、片倉小十郎、茂庭石見が伺候したおり、小田原で初めて豊臣秀吉に
謁見した時のことを物語した
「私は兼ねてからこう考えていた。秀吉に謁見してもさほど恐れることはない、と。
しかしあの時、私は彼の、関白の位階に恐れ、そして凡下よりあのような雲上の高官へと昇った程の
勇武に、自然の威厳を感じ、心ならずも低頭した。
その時、私が感じた恐ろしさは、類ないものであった。」
(伊逹秘鑑)
伊達政宗が初めて秀吉に謁見た時の感想である。

397:人間七七四年
16/03/20 22:17:16.61 iW0m8qN2.net
>>395
ポニーはともかく日本刀が飾りはうそくせえな。

398:人間七七四年
16/03/20 22:29:18.59 iTLUFB/X.net
次の逸話来ててもまだやんのか、
わかっててやってる自演荒らしなんだろうけどさ

399:人間七七四年
16/03/21 00:11:41.04 WI2DWjOe.net
 都の近所の丹波丹後などを見受けましたところ、山を開いて山畑を造り、水の便の良い所は畑年貢で米も作っている様子でございます。
それゆえ山津波と申すことが近年所々にあると承っております。
 その様子は山に木を無くしましたので、大雨等がとどまる所が少なくなり急に流れます。
すると、いくつかの川がつかえまして、水損と申すことが出てきました。
もちろん常に水がない川の者は新田を願い出、だんだんと新田が増えることでしょう。
両方が利益の追求に走ることで、かえって上等の田が損してしまうことになるかと思われます。
 きっと近国に限らず、皆このような類が数か所で発生していると思われます。
(本阿弥行状記)

400:人間七七四年
16/03/21 02:50:01.47 CTRuR/43.net
戦国時代は、集落の近辺は禿山ばかりだったはずだしなぁ

401:人間七七四年
16/03/21 07:36:20.97 YeOWXXly.net
>>400
燃料から資材として森林を使いまくっていたもんな
禿げ山だらけなんだよな
今の時代のほうが森林としては豊か

402:人間七七四年
16/03/21 09:45:43.45 3uzQrhf5.net
           |
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