戦国ちょっと悪い話43 at SENGOKU
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100:人間七七四年
16/02/06 19:28:45.21 vYxxbSP+.net
セクハラパワハラ

101:人間七七四年
16/02/06 20:24:25.19 uEIFzPgd.net
この女中は美人で名高いお玉の方か

102:人間七七四年
16/02/06 20:39:46.22 OlPnY2tG.net
女中がァ千代だったら死んでるだろ成瀬

103:人間七七四年
16/02/06 21:05:46.48 QbI8M+bu.net
そこへ現れる大蔵卿局

104:人間七七四年
16/02/07 11:37:11.36 uIIEMHG4.net
逸話というか書状ネタ
上杉家の家臣、狩野新介秀治。
元々は尼子勝久の家臣だったといい、何がどう流れてきたのか越中神保氏の家臣狩野氏の養子となり、謙信に仕えたらしい。
御館の乱では謙信の馬廻り衆として景勝とともに春日山籠城組の一人だったらしいのだが
この時何をしたのか分からないが景勝に超気に入られる。
謙信時代の重臣達や景勝の直臣衆である上田衆すらも差し置いて万事取り次ぎを任される執政扱いになった。
秀治は景勝より20歳ばかり年上だったということだが清貧で控えめな人となりだったらしく、
なかなか重臣達が言うこと聞かなくて苦労していた青年当主景勝はそんなところが気に入っていたのかもしれない。
兼続が直江の跡取り娘お船の入り婿になると上杉家は秀治と兼続の二大執政状態になる。
秀治はしかし、根なし草である自分が景勝様に大層気に入られ重用されている事態を憂い、嫉妬を呼ぶだろうと考え
春日山に粗末な庵を結んで質素に暮らした。
景勝が秀治には内政も外交も重要な仕事をたくさん任せているので、秀治がそのような粗末な姿では上杉の面子に関わる、
屋敷を受け取れ、せめて兼続と同禄受け取れと再三命じても固辞し続け、ボロ小屋に住み続けた。
上杉家の筆頭家老なのにボロ屋住み(兼続は後輩なので秀治の方が順位上)
ある日、春日山に嵐が来た。
他のきちんと普請された屋敷はなんともなかったようだがお粗末な庵の狩野宅には被害が出たらしく
景勝から「一昨日風にて其元家損し候て、時分と云、造作笑止に候」と書状が届いた。
景勝は他にも秀治に「お前の家マジ狭い」とネタにしているのでもうちょっとマトモな家に住めよ!ということだろう。
なお生活環境悪かったのかはたまた過労かしばらく後に秀治は病死し、景勝は二度と秀治の代わりとなる者を作らなかった。

105:人間七七四年
16/02/07 13:10:44.24 K/Hk/8cI.net
景勝が「笑止に候」と出しても想像できない

106:人間七七四年
16/02/07 13:14:55.43 WI66Vt05.net
三条の大面城を貰ってるみたいだね

107:人間七七四年
16/02/07 13:34:46.02 Kd2+emmN.net
当時の「笑止」って気の毒に思うってことやで

108:人間七七四年
16/02/07 14:40:36.45 K/Hk/8cI.net
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
そうだったのか、前にも自分と同じ勘違いしてた人がいたようだ
確かに「笑いが止まる」だから字面的には気の毒の意味になるな

109:人間七七四年
16/02/07 17:36:57.83 a4eBAu+p.net
昨日風であなたの家が壊れたと聞いたんだけどほんと酷い家ですねぐらいの意味に読んだ
>>106
秀治はほぼ春日山城詰めだったと思われるので
城貰ってもそこでは殆ど暮らしてないかと

110:人間七七四年
16/02/07 21:47:33.00 v2SG8Npp.net
これは明治時代の話になるのだがご容赦を
勝海舟は政敵・小栗上野介忠順について氷川清話の中でこう評していた
「小栗上野介は幕末の一人物だよ。あの人は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にもほぼ通じてしかも誠忠無二の徳川武士で先祖の小栗又一(忠政)によく似ていたよ。
一口にいうとあれは三河武士の長所と短所とを両方備えておったのよ。しかし度量の狭かったのはあの人のためには惜しかった」
当時は小栗又一忠政が誠忠無二の三河武士として高く評価されており子孫の上野介も初代又一に例えられたのは非常な名誉だったかもしれない

111:人間七七四年
16/02/07 21:55:24.17 YvvETfm6.net
>>110
勝海舟はどんな話でも自分を持ち上げる為に他人を使うから大嫌い

112:人間七七四年
16/02/07 22:37:06.32 SGOzzvqe.net
福沢諭吉「せやな」

113:人間七七四年
16/02/07 23:28:07.22 t9+ef2vY.net
小栗さんの子孫は漫画家になったんだよな
昔、ジャンプで連載された
テンテン君の作者がそうらしい

114:人間七七四年
16/02/07 23:35:42.59 t9+ef2vY.net
水野成貞ってかなりのDQNだったらしいな
旗本奴の元祖らしいが
余りにもDQN振りが格好良くて
ある大名家の姫様が惚れて嫁入りしたそうだ
その息子がアレなんだけどね
ちなみに水野成貞が主人公で書かれた小説は
隆慶一郎氏のかぶいて候なんだよね

115:人間七七四年
16/02/08 19:22:35.46 gDL8B/I9.net
>>110
小栗上野介さんものすごい面倒くさそうです

116:人間七七四年
16/02/08 19:33:17.55 SQuCyOuj.net
幕臣で一番めんどくさそうな勝海舟がそれを言うのも面白い。
そういえば、勝海舟を大久保彦左衛門にたとえる人がいるけど、
晩年の境遇はともかく、実績があまりにも違いすぎだろうに…

117:人間七七四年
16/02/08 21:29:47.41 Iwd3FKrA.net
>>116
これどっちのが実績あると見るの?
戦国贔屓だから
戦国時代に武功を上げた彦左の方が実績あると考えたけど

118:人間七七四年
16/02/08 21:39:52.32 ZgTfYKA/.net
局地戦で活躍しただけの人と日本を揺るがしかねない事態を何とかした人とじゃ
流石に勝のほうが実績あると思うけどな

119:人間七七四年
16/02/08 21:40:41.93 wm+Ql6zV.net
そら海舟やろ

120:人間七七四年
16/02/08 21:44:21.48 OlPz/peZ.net
大久保って愚痴日記出したのが功績だろ?
海舟とはラベルが違うと思うが

121:人間七七四年
16/02/08 22:13:29.21 ncGGk0Ei.net
伊藤博文も勝海舟もちょっと前の先祖が農民って所が幕末乱世

122:人間七七四年
16/02/08 22:16:20.27 leHnml7m.net
昨今の幕末史研究では、江戸無血開城も、いわゆる西郷と勝の会談よりも前に決まっていたらしく、勝はどうも、それを自分の手柄に
でっち上げたフシがあるらしいぞw

123:人間七七四年
16/02/08 23:20:32.83 QKtuFps3.net
勝みたいなハッタリ野郎に比べたら小栗の方が有能だな
明治維新で薩長がやろうとした事はみんな
小栗が考えてた事のコピーだから
正直、小栗上野介と河井継之助は生かして欲しかった

124:人間七七四年
16/02/08 23:48:57.97 wm+Ql6zV.net
そろそろ板違い

125:人間七七四年
16/02/09 09:39:37.05 jY5+LRJV.net
水野成貞は旗本奴の元祖である。

126:人間七七四年
16/02/09 09:48:17.59 9/TruwmO.net
慶長19年5月22日、天台宗の面々が登営し南殿に出御した時、南光坊天海がこんな事を言った
「最近、比叡山の八王子三ノ宮で珍事がありました。それは先ず、学林坊の奴である次郎を天狗がさらって
行方知れずとなった事件から始まりました。
10日ばかり過ぎて、この次郎は帰ってきてこう云いました
『私はこれまでの間、当山の大天狗、次郎坊の使者として、愛宕山の太郎坊、鞍馬山の大僧正、
彦山の豊前坊、大山の伯耆坊、上野の妙義法印、彼ら何れにも叡山に参るべき旨を振れ回りました。』
このように大天狗たちが叡山に登る旨を聞いた人々は、皆不思議に思い、そこからかの三ノ宮に参詣してみると、
天にわかに曇り、激しい風雨が巻き起こったかと思えば、大霰まで降ってきました。
そしてあの次郎が三ノ宮の社殿の棟に飛び上がり、しかしそのまま落ちると、軒端にて起き上がり、
足を上げて立ちました。
その他天狗の眷属たち大勢が、社の上にて様々に不思議な事をし、扇を以って歌舞を行うのを人々は目撃しました。
また三ノ宮の扉を、これは普通は2,30人で持ち上げるような物ですが、その扉2枚ずつを回し投げました。
それなのに、この扉にはいささかの傷もなかった。
また、虚空より大礫を数多打っていたそうです。」
そのように云々したという。
(玉露叢)

127:人間七七四年
16/02/09 11:21:07.72 RFhGQd0T.net
昔の人は大嘘つきが多いね

128:人間七七四年
16/02/09 22:36:23.52 eFlTnkWy.net
知恵伊豆のユーモア
承応から万治年間(1652-1659)にかけて長崎奉行を勤めた甲斐庄正述の妻は松平信綱の従姉妹(姪とも)であった。
そんな関係で、信綱と正述は親しかったので、二人はよく会っていたのだが、ある日の信綱邸での饗応で正述はふと思った。
「今出てきた芹焼き(芹を酢に煎じたもの)は焼いていないのに『焼き』というのはおかしくないか?『芹煎』とか言うべきだろう。」
それを聞いた信綱、
「焼いていないものを『焼き』というのが不審と言うが、あなた自身にもそんな不審なものがあるではないか。」
「??」
「あなたの頭の月代(さかやき)は誰が焼いているのですか?」
ここで正述、
「なるほど、自分にも焼かないのに焼くというところがあるのに、そこには思いが至りませんでした。」と納得。一同大笑い。
(御役人代々記)
いい話でも悪い話でもなさそうだけど、とりあえずこっちに。

ちなみに正述の孫の大森時長も長崎奉行として赴任し、享保の飢饉時に長崎の住民を飢餓から守ったということで非常に人気があるらしい。
(鈴木康子「長崎奉行 等身大の官僚群像」)

129:人間七七四年
16/02/10 00:20:03.96 /thGEHa4.net
宮崎県五ヶ瀬に伝わるお話。
400年程前高千穂の三田井家落城の際、逃げてきた侍が五ヶ瀬の内の口の甲斐繁左衛門の家に
「助けてくれ」と駆け込みました。
繁左衛門は屋根裏の桶の中に侍を隠します。
しばらくすると、追っ手が繁左衛門の家にやって来ました。
「この家に落ち武者が来たはずだ」
しかし繁左衛門は
「その者なら、いましがた、あちらの方向に走っていきました。うそだと思うなら家中をさがしなさるがよい」
と答えました。繁左衛門があまりにきっぱりと言うので、追っ手の兵はあきらめてその家を出て行きました。
その後侍は礼を言い山道を再び逃げますが、近くまで追っ手が迫っていたので息をひそめ隠れました。
しかしその時、腰に差していた「蛍丸」という刀がまさしく蛍のように光り、気付いた追っ手に討たれてしまいます。
哀れに思った村人たちは、侍を手厚く葬り、祠を建てその霊を慰めたといわれています。
その祠が恵良八幡神社の始まりといわれ、また繁左衛門の子孫宅には侍をかくまった「半切桶」や「はしご」が現存しており、
この物語が語りつがれています。
(ひむか神話街道 第三十一話恵良八幡の伝説 など)
ゲームで有名になった「蛍丸」とは別の刀のお話。

130:人間七七四年
16/02/10 23:08:11.40 VGSnZblL.net
>>127
     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__////

131:人間七七四年
16/02/11 20:40:33.17 OisiZXid.net
黒田長政って何でDQN四天王に入らなかったの?
あいつもかなりのDQNじゃん

132:人間七七四年
16/02/11 21:57:57.22 0zTEJwB4.net
>>131
他がインパクトあるからね

133:人間七七四年
16/02/11 23:50:39.84 l6JxuLw5.net
長政は面倒くさい家臣や面倒くさい父ちゃんにいじられてるイメージが強いから。
蒲生氏郷や徳川家康にもDQNエピはあるけど、他のエピの方がイメージ強いからDQN扱いされない

134:人間七七四年
16/02/12 00:43:09.75 wDI9j80A.net
長政にもNADEGIRIかSATSURIKUエピがないと。

135:人間七七四年
16/02/12 07:29:39.812371 f6D0TWI/.net
>>133
政宗さんは?

136:人間七七四年
16/02/12 08:33:48.734385 eFaqP0+d.net
筆頭DQNやないか

137:人間七七四年
16/02/12 16:36:12.69 VEMSwmHY.net
謙信なんかリアルの方だと人質殺した記録なんかほぼなくて
人質として差し出されながら城の女中に手を出しまくるアホに激おこっても
「あの馬鹿家に戻せ!」で済ませてるし
子供なら自らおぶってあやしているレベルだけど
関東メイン軍記物出展だとヒャッハー世紀末覇王だぜ

138:人間七七四年
16/02/12 16:49:00.59 DjL5l7TL.net
だれか翻訳してくれ

139:人間七七四年
16/02/12 17:40:12.72 XNHIrd4W.net
>>138
ぼくはれきしにくわしいんだぞ!

140:人間七七四年
16/02/12 20:33:55.21 ipPusG3l.net
謙信さま、love

141:人間七七四年
16/02/12 20:54:42.90 eFaqP0+d.net
愛で直江が落ちてくる

142:人間七七四年
16/02/12 21:05:05.25 lsyw4TMR.net
上杉謙信の鬼(北条)退治
キジ(小田フェニックス氏治)
イヌ(太田ワンワン資正)
サル(超豪華スペシャルゲスト。誰かな!?)

143:人間七七四年
16/02/12 21:06:50.20 MfFfnU4C.net
面白いと思ってるのかね

144:人間七七四年
16/02/12 22:31:23.33 ZmIvG3Ym.net
宇都宮じゃねーの?

145:人間七七四年
16/02/13 05:07:24.29 PBLqqo5q.net
関東で猿…猿か…ん〜
日光猿軍団?
東照宮の三猿?

146:人間七七四年
16/02/13 08:49:26.64 EomKwQib.net
武田信玄じゃね?猿之助だったし。

147:人間七七四年
16/02/13 14:22:09.52 xyVxXPOO.net
小田、太田レベルじゃないと釣り合いがとれないじゃん

148:人間七七四年
16/02/13 16:18:21.31 X1fvI47v.net
そもそも北条が鬼ってありえんから
関東をたびたび荒しにくる長尾が鬼だから

149:人間七七四年
16/02/13 16:42:16.76 xyVxXPOO.net
上杉から関東を奪った悪党なのに?

150:人間七七四年
16/02/13 18:07:45.43 28r1XeST.net
他国の凶徒
しっかしつまらん流れやな

151:人間七七四年
16/02/14 23:15:52.08 gOAKlHCV.net
水野家って何気にDQNの巣窟だな
勝成の長男一族以外みなDQN
特に三男一族が酷過ぎる

152:人間七七四年
16/02/15 12:00:49.33 bOA+vfct.net
上杉謙信が越中に出陣していた頃、春日山城は留守役として甥の景勝(この頃はまだ喜平次顕景と名乗っていた)に守らせ
謙信の筆頭家老山吉豊守を年若い甥っ子に補佐役として付けていた。
しかし武田信玄が謙信の留守中に信濃から春日山に攻めいるつもりであると噂を聞いた謙信は酷く心配し
春日山城へ書状を何度もしたためた。
「喜平次へ
心のこもった再報が届いてとても嬉しかったです。
細かな気遣いが本当に心に染み入りました。
それに比べて、豊守は私がこんなに心配しているというのに、一度も手紙を寄越さないんですよ。
喜平次は何度も連絡をくれるので、本当にありがたく思います」
この書状を見た喜平次は慌てて豊守に書状を書かせたらしく
この後謙信から「喜平次のおかげで豊守から手紙が来たよ!ありがとう!」という書状が届いている。

153:人間七七四年
16/02/15 14:12:22.47 CF6lY/QG.net
上杉謙信オカン説がはかどるな

154:人間七七四年
16/02/15 14:55:44.45 ff+fCwcY.net
>>152
かわいいw

155:人間七七四年
16/02/15 15:20:22.31 8kGl8Ch8.net
軍神謙信返信に安心

156:人間七七四年
16/02/15 15:30:29.28 ByMwmBOM.net
恋文かよ

157:人間七七四年
16/02/15 16:01:54.84 2IrJApji.net
言い難い事は子供を使って言わせる。まさにどっかのオカン

158:人間七七四年
16/02/15 20:48:23.95 jVA8ZplL.net
謙信のいい話やん。ほっこりした。

159:人間七七四年
16/02/15 21:41:20.10 ztZFu36T.net
伊達政宗は大阪の陣で後ろから神保さんに銃撃しました

160:人間七七四年
16/02/16 00:34:21.48 lkeFR4n3.net
補佐役で喜平次と一緒に在城してるのに
謙信に喜平次宛で愚痴を書かれた山吉豊守の決まりの悪い話かな思って

161:人間七七四年
16/02/16 09:19:07.26 /JyidBrr.net
このスレもそうだが
水野一族に対する評価が低いぞ
水野一族ほど一族揃って皆DQNな一族は少ないぞ
間接的には超勝ち組な一族だから評価が低いのか?

162:人間七七四年
16/02/16 09:25:31.73 GKn4rhpC.net
昔からネット界には水野を異様に持ち上げる一派が居てみんなうんざりしてるだけだよ

163:人間七七四年
16/02/16 14:35:49.24 ZNRGt3ln.net
教科書に載るくらい有名なのいるからいいじゃん

164:人間七七四年
16/02/16 14:38:06.42 ISKtEFxg.net
1564年、エムベロル公方(足利義輝)は日本を支配し、宮廷を都に有していた。しかしその時、
1万2千の逆徒はエムベロルに対し厳粛なる同盟を作りて反逆を謀り、最初の着手として都を襲い、
宮殿の四ヶ所に火を放った。公方は不慮の襲撃にあって、適応な防御手段を講ずることが出来ず、
自ら剣を抜いて大胆なる突撃をし、ただ200人を従えて血路を開かんと試みた。しかし衆寡敵せず、
敗れて数ヶ所を負傷し殺され、従臣もまた全て寸断された。
こうして反逆者は宮中に乱入し、公方の母および娘を見つけ出して惨殺した。
一人妻女は寺院の僧舎に隠れていたが、たちまち発見され、これもまた罪人として斬られた。
斯くの如くにして彼らは王族を完全に滅亡させ、ただ公方の弟のみを残した。これは彼が僧籍に在ったが
故である。反逆者たちは事件の後、この弟に対し安心を得るために、宗教上の契約を以って彼を拘束した。
しかし彼は、その契約後逃亡し、密かにロカの君主和田殿(Vatadono)の元に走った。和田殿は彼を
丁寧に待遇し、尾張(Bonari)の王信長に援助を乞わんことを勧めた。
信長は之を容れて6万の軍を戦場に出し、公方の殺害者と相対した。殺害者たちは抵抗し得ざるを見て
降伏し、首魁たる扇動者は罰せられた。
信長は血統において最も近い公方の弟を立てず、自ら都の都市および城の絶対的君主となった。
焼けた宮殿を再建するとしてその完成を急ぎ、費用と労力とを厭わず、土工を使用すること日に
1万5千人に及んだ。彼は抜刀を携えて此方彼方を巡視し、これがため何人も懈怠、又は時間を
徒消することは出来なかった。彼は、軍前通りかかった婦人の覆面を上げたと言って一人の木工の首を
刎ねたこともあった。
信長は威風堂々として短日月の間に30の王国を征服し、我が治下に立たしめ、継いでまた公方を廃して
エムベロルの冠を己が頭に頂いた。その後彼は、同じ王冠をヅボにおける彼の新たな肖像の頭に加え、
以って生存中に神として礼拝せされんとした。この目的のために、彼は彼に阿諛追従する宮廷の官人、
および市内の佞者を欠かすことが出来なかった。後者は彼の虚栄心を長ぜしめ、彼が細心、卓抜の行為、勇気に
よって斯くの如き驚嘆すべき事業を成し、斯くの如き多くの勝利を得たる上は、今の行為は正当にして
また栄誉であると自覚するに至ったのである。
しかし他人は、この虚栄の空想と傲慢なる企画を忌むこと甚だしかった。彼らは多くの君主で善行ある者に対し、
その死後これを神として祀ることには慣れていたので、このために彼を忌むことはなかったが、
彼の望む所は甚だ高く、生存中、すなわち人間が弱点に陥りやすい時において神となり、同時に人たらんとし、
特に霊界に在って永久に祝福される者にのみ捧ぐべき供物と犠牲を受けんとするのは、神聖を冒涜するものであり、
彼らが言うには
『人々は斯くの如く残虐、破約、偽誓をなせるものを神とすることを欲しない。例えば、いかなる国が
彼の君主たる面目、警言、寛仁を信頼して彼に降伏することがあっても、彼は攻撃の手を緩めず、これを略取し、
しかも暴力を以って侵入したかのように無慈悲にその国人を屠るのが常であるのを憎んでいる。』
信長を怨める者の中、最も甚だしいのは明智(Aquechi)王であった。
彼は大胆にして勇気ある君主であったが、信長の冒涜的傲慢を見て平然安堵する所を得なかった。
信長は多くの寵遇を明智に加え、彼を丹後の王となし、自己の全軍の大将としたが、宗教の名誉、並びに
正常なる神の真の礼拝が危機に瀕することを見るや、彼は信長の全軍をして彼に変心、反対せしめ、
1582年6月20日に都に進軍した。
こうして信長は不測に襲撃させられたが、自己の軍勢を以って囲まれた事でもあり脱走を企てる方法がなく、
敵の追跡を破り都に近い森林の中で殺された。
この森は以後、”エムベロルの血の森”の名を得るに至った。
(モンタヌス日本誌)
永禄の変から本能寺の変まで、モンタヌス日本史の記事である。

165:人間七七四年
16/02/16 15:31:44.57 hr/xwwVX.net
>>161
茶坊主斬ったり、町奴と張り合ったりオラついた逸話だけで
高評価もらえる程世の中甘く無い。

166:人間七七四年
16/02/16 16:09:51.32 il9ecMq6.net
>>164
本能寺から逃げて都の外れの森林で殺されたとは面白い
歴史秘話ですね

167:人間七七四年
16/02/16 16:18:37.32 ZNRGt3ln.net
朝倉義景「ウチに公方の弟なんてこなかったよ?」

168:人間七七四年
16/02/16 19:47:40.59 pzhOD786.net
>>162
DQNだけど野生的な魅力に溢れてるからね

169:人間七七四年
16/02/16 22:17:57.90 1KdjBj4R.net
血乃森蒼紫

170:人間七七四年
16/02/17 06:11:25.68 7sCp75Ni.net
>>164
エムベロルって何?
エンペラー?

171:人間七七四年
16/02/17 07:25:42.08 YUNgAg2D.net
ポルトガル語のエンペラーだったかと

172:人間七七四年
16/02/17 21:53:44.65 1ckoV6Tq.net
>>164
”エムベロルの血の森”
やだカッコイイ

173:人間七七四年
16/02/18 14:33:35.30 oCLoILm4.net
これのまとめ管理人は盗作ゲームのネタばっかRTしてんじゃねーよ
2ちゃんでネタ拾ってんなら刀の悪評くらい知ってんだろ
水増し目的の複アカ推奨とかありえねーわ

174:人間七七四年
16/02/18 16:53:07.51 gfgaEMBE.net
死せるエムベロル(織田信長)の妻の弟なる柴田殿(Xibatodono)は、信長の遺族中、最も近い
親類であったが、羽柴藤吉郎の行為を快からず思い、力を極めて彼に抵抗した。ここにおいて、
藤吉郎は柴田殿を滅ぼさんとその居城を囲んだ。
柴田殿は突然攻撃を受け、免れる事ができないのを知り、将士を尽く集めて言った
「卿等は予の窮境をしらん。予は残虐なる暴王に屈せんよりは、むしろ自殺せんとす。
予の願う所は、予が死したる後は卿等が予を火葬するにあたり、不人情なる叛乱者をして
誇らしめるべき何者をも残さざるように成してほしいという事である。
卿等は生命を保たんがために如何なる談合を成すも可なり。」
しかし万座の者達は、柴田殿の決心を賞賛し、みな柴田殿の例に倣わんと決心した。
柴田殿は彼らの忠義に感じ、この世の別れとして宴をおこない、食卓上には様々な肴を具え、
ある限りの楽器を鳴らし、彼らの好む茶、および酒を飲み交わし、かくて饗応も静まるころ、
彼らは起きて各種の燃焼物を部屋に満たし、これに火を放つと、焔煙は屋を貫いた。
ここにおいて、残酷なる饗宴が始まり、柴田殿は先ず妻子、僕婢を刺殺し、あるいは重傷を負わせると、
彼の諸将もこれに倣って同様に親族従者を殺した。次に彼らはこれらの死骸を火中に投じ、その上に立ちながら
切腹して果てた。
時に藤吉郎は、城中に火災が起こったのを見て、偶然の失火だと思い好機を逸してはならないと
総攻撃を命じたが、門といい城壁といい何らの戦備も抵抗もなく、ただ未だ焼け終わらない
数個の死骸を見たのみであった。
藤吉郎は柴田殿の城を陥れて都に帰るや、最初の名の藤吉郎のみならず羽柴の名も改めて、
関白殿、すなわち日本の最上卿と称し、1594年以降は太閤様と名乗った。すなわち大エムベロルの事である。
(モンタヌス日本誌)
モンタヌス日本史より、柴田勝家の最期についての記述である。

175:人間七七四年
16/02/19 01:32:13.30 nyJqeplz.net
英林塚の鳴動
越前朝倉氏が栄華を誇った夢の跡である一乗谷朝倉氏遺跡。代々の当主の住居であった
朝倉氏館跡の南東の高台に一つの塚がある。人呼んで「英林塚」、戦国大名朝倉氏の祖で
ある朝倉孝景の墓である。英林塚とは孝景の戒名「一乗寺殿英林宗雄居士」に由来する。
この塚は、昔から越前国に災いが起きる前触れに不気味に鳴動するという言い伝えがあった。
あたかも雷鳴、あるいは大砲の轟くような音がしたという。
現在では、「夜、塚の近くに行くと、『おぉ〜…』って男の叫ぶ声が聞こえるんですぅ」なんて言う
怪談話も登場している。言い伝えが進化・変化を遂げたものだろう。
ところが、朝倉義景治世下の永禄12年(1569年)に記されたとされる『朝倉家伝記』では、
まるで上田秋成の「吉備津の釜」(雨月物語)じゃないが、「英林塚が鳴動したら国家安泰!」
と現代まで残る言い伝えとまるっきり逆のことが書かれている。御家が滅びるとこんなことになるのか。
時代により吉凶がまるで逆となってしまう英林孝景さんのお墓の悪いお話。

(きっと、義景さん切腹、ヒャッハー大暴れ、一揆皆殺しの頃、毎日鳴ってたんだよ、それで…)

176:人間七七四年
16/02/19 02:02:33.64 bcM3R0Aa.net
どうしてこうなった...
吾妻鏡を読んで、配流された身から天下を獲った頼朝に自分を重ねる竹千代君
URLリンク(i.imgur.com)
吾妻鏡を読んで、頼朝に情けをかけたのが悪いと秀頼を殺す神君家康
URLリンク(i.imgur.com)

177:人間七七四年
16/02/19 02:30:01.96 Vdr6MGkx.net
うむいつも通りのヒストリアで安心した

178:人間七七四年
16/02/19 02:37:15.50 QBxVywqO.net
全て板尾が悪い

179:人間七七四年
16/02/19 05:56:54.94 ObbaCpIo.net
 東照宮の御近習の某、ある時茶宇の袴を着ていたのを、君が尋ねられたので
「唐から新たに渡りましたので受け取りました。」
と申し上げると、君は大いに怒られなさった。
「そち達が我らも知らぬものを着るのは甚だ奢りである。」
と、さっそく退役を仰せ付けられたという。
(本阿弥行状記)

180:人間七七四年
16/02/19 07:44:05.07 QBxVywqO.net
器のちいせえ奴w

181:人間七七四年
16/02/19 08:53:39.29 7LoAwQos.net
>>175
そういや初代孝景と義景の墓はちゃんとあるのに、中3代の墓ってどこにあるのか知らんなあ。

182:人間七七四年
16/02/19 12:06:46.75 tq5yGm1d.net
名前が同じ人の墓は1つで間に合わせているとか

183:人間七七四年
16/02/19 15:58:41.47 wkcWwOeQ.net
助けて!えーりん!

184:人間七七四年
16/02/19 21:59:32.75 2fmnXVf9.net
それより両エムベロル(豊臣秀吉・秀次)は、その随行全員とともに、日本最大の諸侯である
飛弾殿(Fidandono 蒲生氏郷?)の宴に招かれたが、これもまた善美を尽くしたもので、
皿を覆っている金箔だけでも4千クラウンを要し、酒宴の費えはこれよりも遥かに多額を要した。
どういう事かといえば、エムベロルに対して飲む酒盃の数は九献にして、第一杯には献品として
1万クラウンを要し、第二杯より暫時上がって、最期には一杯目の倍、2万クラウンとなる。
故に饗宴費はほとんど計算することすら出来ない。エムベロルの覚え目出度からんためには、その費用を
惜しむことなど出来ないのだ。
翌日、太閤様はまた、八州の太守ギエタゾ(Gietazo 徳川家康?)の邸に赴き、飛弾殿のそれにも劣らない
饗宴に臨んだ。
(モンタヌス日本誌)
蒲生氏郷が、秀吉の御成りを受けた饗宴の模様。しかし、ギエタゾ…?

185:人間七七四年
16/02/19 22:15:09.13 EWxuNQyH.net
ポルトガル語なら
giはジ、もし最後のoがなければzはスに近くなるから
ジエタスにはなるか
や行の発音はたしかなかったからこのあたりが曖昧になるんだろう
前のレスを見ても「山口」を「アマングチウム」とか書いてたし

186:人間七七四年
16/02/20 02:44:55.17 jvV7FCmr.net
水野忠胤の悲劇
三河水野藩藩主である水野忠胤が
遠江浜松藩主松平忠頼を自宅招いて茶会を開いていたが、
忠胤の与力である久米佐平次と服部半八郎の両名が囲碁の
勝敗をめぐって口論となり、刃傷事件に発展した。
この争いを見て忠頼は両名の仲裁に入ったのだが、
逆に仲裁に切れた佐平次が、よりによって忠頼を殺害してしまった。
佐平次は忠胤によって切り捨てられたが
その事件によって忠胤は切腹を命じられ水野藩は改易になった。
ちなみに長男の勝信(織田信長の孫)はこの後に
徳川忠長に仕えた
(妙蓮寺旧記)

187:人間七七四年
16/02/20 08:39:46.73 T0tcXj2W.net
ジエタス→いえやす にはなるか
でも家康を家康って呼ぶ人はいないよなあ
トクガワヌスとかにならんのか

188:人間七七四年
16/02/20 09:54:31.55 KZwAhx2/.net
水野藩って聞いた事がないなと思ってググッてみたら
どこにあったかもわからないらしい w

189:人間七七四年
16/02/20 09:56:52.54 fZRPebE5.net
>>186
忠胤が切腹する理由はなんやねん
実在はともかく気になる

190:人間七七四年
16/02/20 10:05:31.20 fgf6N03W.net
それまでも不手際あったらしいからスリーアウト的な改易かね

191:人間七七四年
16/02/20 11:13:36.47 +HWr++cl.net
>>187
当時の家康くらい高位になると「徳川」と書かかれたりすることの方が少ないよ
諱を書かれることについて「政宗」がよくネタにされるけど、書状なんかで「家康」
と書かれてる事がかなり多い。
ある程度のビッグネームには多い現象なんだよね。
もちろん当人への書状の宛名に使われるのは「江戸大納言」等だけどね。

192:人間七七四年
16/02/20 11:24:45.82 fgf6N03W.net
歴史上の人物は諱OK、雲の上の人も諱OK
宛名での諱を名指しも場合によっては一周回って厚礼になったりする場合もあるから複雑

193:人間七七四年
16/02/20 12:06:40.75 6H2FGaXT.net
>>189
部下同士の争いで部下が大名を殺したんだから十分な理由だよ
全く与り知らないところならいざ知らず

194:人間七七四年
16/02/20 16:32:33.76 nxqo7cq6.net
「鮎貝宗信謀反事件の真相」
天正十五年十月、伊達政宗は鮎貝一族に警戒を募らせていた。
当時の史料から読み取れる動向はまとめるとだいたいこんな感じである。
政宗「あいつらは伊達家中でも力を持っているし、最上領に近いしな。
あいつらが将来的に伊達・最上の境目にいる国衆をまとめて反抗したら相当ウザい。
何か理由つけて、境目の領地奪って伊達に完全に組み込まないとな」
そんな折、鮎貝父子間の仲が悪いと知った政宗は、これにかこつけ介入。
自ら出陣すると鮎貝城を攻め、数百人を討ち取った。
城は一日も持ちこたえられず落ち、鮎貝宗信は行方不明になった。
これにて一件落着と政宗は米沢に帰還した。
なお、当時最上義光は庄内侵攻で手一杯であり、本件には一切関与していない。
義光が動けないからこそ、最上領に近い鮎貝城を攻めたとも解釈できるのではないか。
これが伊達家公式記録『貞山公治家記』によればこうなる。
宗重「嫡子宗信は父である私と仲が悪く、最上義光から謀反をすすめられています。
私は止めたのですが、バカ息子は聞き入れなくて! 殿、なんとかしてください」
政宗「って宗重が言うから仕方なく出馬。最上も加勢するかもしれないし、他にもそそのかしているかも。
うちの家臣をそそのかすなんて義光はなんて卑怯なんだ!」
この記録が、世間では通説となっている。
が、繰り返すが、当時の史料を調べると最上義光は庄内で手一杯であり、本件には一切関与していない。大事なことなので二度書くが、最上義光は関与していない。
政宗の思惑を、最上義光のせいにしてごまかす、そもそも鮎貝宗信は謀反すらしていなかったという伊達家のちょっと悪い話。
(出典:大沢慶尋「再検証 鮎貝宗信謀反事件」)

195:人間七七四年
16/02/20 17:31:11.87 D1hnpXG6.net
諱呼びは「大名の中でも有名人枠」みたいな扱いじゃね
名字も領地も官職も書かないけど皆知ってるよねポジション
政宗と景勝が特に諱でほいほい出てくるせいか
北国でその傾向が特に強いんじゃないかって話は見たことがある

196:人間七七四年
16/02/20 19:02:19.32 RDZArt37.net
>>194
背後の心配をしなくていいように手を打っていたともとれるが

197:人間七七四年
16/02/20 19:22:50.76 z59eWpfo.net
仮に義光に唆されたなら、失敗後に匿ったりしてない気がする

198:人間七七四年
16/02/20 21:01:53.13 1/ck4STB.net
「みなさん、本物の政宗でございますよ」
「偽物がいたら見てみたいんですけどね」
じゃねえよなあ

199:人間七七四年
16/02/21 08:59:56.55 lPFOqztD.net
>>197
給料回復のために匿うなんて普通にあると思うが

200:人間七七四年
16/02/21 12:56:58.54 F0kGDLfv.net
>>194
逸話スレに書く内容なのかなぁコレ

201:人間七七四年
16/02/21 14:27:00.42 ou0lTV7q.net
>>195
佐竹家老梅津政景の日記で、義宣と親しい景勝が普通に日記上で諱で登場するんだが
景勝が亡くなって定勝に代替わりすると普通に「上杉弾正少弼」に表記が変わるので
身分の上下などでは表せない個人に対する敬意や親しみなんかが
諱表記で表現されるんだろうって研究がある

202:人間七七四年
16/02/21 17:59:48.90 BiwxmhRL.net
斎藤龍興の家臣である、西美濃三人衆と呼ばれた氏家常陸介(直元)、稲葉伊予守(良通)、
伊賀伊賀守(安藤守就)がある時会合し、伊賀守は言った
「今の斎藤龍興の所業を見るに、日を追いつきを経るに従って、諌めを行い国家の為よろしき人と言うほどの
人物には、皆出仕を停止させ、阿諛追従する者ほど威名盛んである。不順、これより甚だしい物はない。
このようにして滅んでいった国々は、指を折っても数えきれない。
一方、織田信長は仁義の道を行われ、武勇智謀、最も優れている。この人を頼んで武功に励み、
奮功した家臣たちを撫育しようではないか!」

しかし氏家は
「承った話は、何れも至当であり、これに異議を唱えるものではない。しかしながら一度も
諫言に及ばずしてこのような事をするのは、ただ自分の身を立てようとするだけで、義に非ず。
先ず諫書を上げて、もし用いられなかった時は、そのようにしようではないか。」
こうして彼らは諫書を作り、龍興に差し上げた
一、君たる道を真の儒者に能く問われて、行いを然るべくされますように。
一、近習に侍っている執権たちは、国家の為には鴆毒です。急ぎ薬言の臣を用いられますように。
一、幽悪を察し、微善を試み、お心持ち至誠に、賞罰を行われますように。

このように諌めたが、阿諛する家臣たちは、却って之を取り消させるように讒言したので、
翌年になって三人衆は信長に使者を出し、味方に参る由を申し上げると、信長も「願う所の幸い、
天の与えるところである。」と、村井民部丞、島田所助の二人を派遣し能く語らしめた。
永禄七年八月朔日、信長は三河に攻め込む旨を触れ、小牧山に勢揃いした所で、三河には一言も触れず
「美濃国において然るべきこと有るぞ!進めや!」と宣言し、出陣し、瑞龍寺山へと駆け上がった。
この突然の軍勢の出現に、稲葉山城の者たち慌て騒いで「こは何者ぞ、敵か味方か?」と怪しむほどであった。
信長は片端より火をかけ、即座に裸城にした。このような所に三人衆もはせ参り、臣従を許したお礼を申し上げ
「この城攻めも苦労すると思っていましたが、このように何の問題もなく押し詰められた事、誠に御名誉です」
と申し上げた。
その日は強風が吹き雨も降りだしたので、翌日諸方の手分けをして、鹿垣を二重三重に結い廻し、
「一人も漏らすな」と下知した。
城内は、兵糧の支度もなく逃げ入ったものだから、早くも以ての外に弱り、「命を助けて頂ければ
城を明け渡します。」と様々に詫び言を申してきた。
信長は家臣を呼び集め、どうすべきかを尋ねた所、
「先ず龍興の一命を助けられ、この城を請取あって、国々太平の功を励ますことこそ宜しいかと思います。」
と、人々一致したため、信長も之に同意し稲葉山城を受け取り、龍興を退去させた。
こうして信長の武威は、飛竜が天に上がるがごとくであった。
(甫庵信長記)
まあ実際に稲葉山城を退去した永禄八年でも、まだ17歳なんですけどね龍興。

203:人間七七四年
16/02/21 20:51:34.09 sic6Ivqj.net
小田原陣の際、北条家第一の大名松田尾張守父子、氏政へ逆心し敵の勢を城中へ引き入れるという企てが会った。
この時、松田の末子左馬助は一向に合点しないので、父子は申し合わせて一間へ押し込んで、いよいよ逆心を取り急ごうとした。
ところが、左馬助は具足櫃に入って忍んで本城へ参り、父兄の逆意を申し上げたので松田父子は早速罪に処せられた。
 その後小田原落城の後、氏直と高野山へ登られたときも、この左馬助は付き添って忠を尽くされたという。
 惜しむらくは父兄への孝道が欠けていること、大いに玉に疵である。
父兄が罪に処せられましたときにすぐさま腹をも切ったら、忠孝二つとも全うできたものを残念な事である。
父は子のためにかくし、子は父のためにかくすという聖人の示された言は今更である。
(本阿弥行状記)
忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず

204:人間七七四年
16/02/21 21:23:58.99 MU5FSvyb.net
黒官「あれ、わしが秀吉の命令に背いて、
長男を殺して末子を助命した、て話は」

205:人間七七四年
16/02/21 21:32:00.19 fw1BDPma.net
城井一族を騙して皆殺しにしてるから、北条も適当に嘘ついて開城させたんだと思う

206:人間七七四年
16/02/22 06:10:51.84 8tZiaW+w.net
>>186
似たような話を関が原の時(前夜?)あったような気がするんだが
重い打線

207:人間七七四年
16/02/22 07:35:04.13 0hhC4clU.net
水野忠胤の父親の水野忠重が関ヶ原直前に堀尾吉晴や加賀井重望と三人で飲んでたら、
なぜか加賀井重望が水野忠重を殺害して、堀尾吉晴にも傷を負わせ、
堀尾吉晴に返り討ちにあった、て話では?
(徳川実記だと、加賀井重望は石田三成の刺客だったそうだが真偽は不明)

208:人間七七四年
16/02/22 09:19:05.90 8tZiaW+w.net
おーそれだ!

209:人間七七四年
16/02/22 10:48:42.25 5wqhA/F9.net
命がけの日々を送っていると
PTSDでおかしいやつらがそこら中に発生するんだね

210:人間七七四年
16/02/22 11:41:27.73 esA0ZeQ1.net
親兄弟が死んでる森長可のことですね

211:人間七七四年
16/02/22 11:47:11.23 0LMYINhw.net
政宗の父親や弟も悲劇的な最期を遂げてるから政宗がああなったのか

212:人間七七四年
16/02/22 11:59:23.35 SDvQUnR0.net
>>211
政宗の弟は政宗自身が殺したんだがな

213:人間七七四年
16/02/22 18:32:22.20 GQLxreIm.net
二本松義継「輝宗の死因は銃撃ですよね?」

214:人間七七四年
16/02/22 20:56:04.71 +cazqg1Z.net
>>201
親疎や経緯はありそうだけど、定勝は景勝に比べて官位などが
恐ろしくグレードダウンしてるから比較対象としてどうなんでしょう?

215:人間七七四年
16/02/22 22:17:26.49 pY+DLWFU.net
 北条三代目の氏康公は御子の氏政公と御昼食の時、氏政公が飯へ汁を二度かけて召し上げられたのを氏康公はご覧名さなれ、
 「後に関八州は氏政が世で亡ぶだろう。わずか飯椀の中に汁を入れるということさえ、一度だけで行う加減がわかっていない。
そのようなひととなりではどうやって八ヶ国の人々の目利きをすることができようか」
と御落涙したという。
 その言葉の通り氏政公の御代で滅びました。厳密にいうと氏政公は滅びなさったときは御隠居で、氏政公の御子氏直公の御代で亡びましたということだが、
彼はひどいうつけ者であり、氏政公はその愚昧の氏直公へ御相続させられましたことから、汁かけ飯での氏康公のお目利きは神のごとしだと思われます。
 冷泉家は北条執権のころ無二の懇情でしたが、その後君の御憎しみがつよく遠流となられ、
程経て帰洛の後に、家の掟で武家と縁組等を無くし、今でもその通りであります。
先代の掟をこのように守りなされることは甚だ感心します。
 その他の公家方は時節につれてなされたように思われます。
心ある堂上方はこのことを恥と申されたという。清貧と申す事はとかくならぬ事と思われます。
(本阿弥行状記)

216:人間七七四年
16/02/22 22:27:17.81 +ttG42F8.net
本阿弥光悦の時にこの話が広まっていたとは驚き

217:人間七七四年
16/02/23 01:45:53.87 nRXKJORI.net
氏政暗愚説っていうか、まぁ時流を読み間違えたのはそうなんだろけど
だからって汁かけ飯ごときで暗愚判定されるとは、氏政も草葉の蔭で泣いてるんじゃないかな…
もうちょっとこう…あるだろ

218:人間七七四年
16/02/23 09:35:44.71 WdzuTFCx.net
☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。

219:人間七七四年
16/02/23 16:51:20.67 drP4ghCp.net
2度目に薬味も入れとけばこうもこき下ろされずに済んだハズ

220:人間七七四年
16/02/23 20:56:52.37 xvX4Nzda.net
氏政と黄梅院の話とか、夫に尽くす早川殿、北条夫人をみると
北条家が戦国時代を生き残るのは難しかった気がする

221:人間七七四年
16/02/23 22:31:33.07 4Krux0rQ.net
早いうちに同盟を結び後々臣従すれば生き残れただろう
しかしながらどこの大大名も猿ごときなどと侮って過小評価してるからなw
魔王くらいインパクトないと畏怖しないんだね

222:人間七七四年
16/02/24 11:03:12.07 GZz9U8JJ.net
ぶっちゃけ東国組で速攻秀吉と手を結んだのは
勝家との確執って理由があった(勝家の対抗馬なら誰でも良かった)上杉くらいですし

223:人間七七四年
16/02/24 11:43:00.97 GDc0Jsbf.net
上杉毛利は勝ち組、徳川についた奴は負け組

224:人間七七四年
16/02/24 11:43:57.09 OZ8/vebl.net
西国だってそうだわ。毛利は秀吉と勝家を両天秤にかけてて、賤ヶ岳合戦のあと秀吉から糾弾されてる。

225:人間七七四年
16/02/24 11:59:32.29 lg3xEMyk.net
北条まで本領安堵なんかしちゃったら与える土地が全く無くなるからな
北条が生き残るには秀吉が西より東から統一してなきゃ無理だな

226:人間七七四年
16/02/24 14:22:15.78 GDc0Jsbf.net
そもそも抵抗してる時点で詰んでるよ
本拠地を攻められて降服じゃあ相模伊豆安堵も危うい
やるなら野戦して降服しないと

227:人間七七四年
16/02/24 18:25:33.36 yQOMArRR.net
小牧長久手の時にラスボスと同盟結んで背後から徳川を攻撃する事以外、
北条が生き残る道は無かった
それ以外にラスボスに恩売るタイミング無かったし

228:人間七七四年
16/02/24 19:54:52.15 6Blzu3C3.net
北条は大領で本領安堵は難しいという説はよく聞くが、実際どうかな?
状況は違うが家康は5か国安堵してもらっているし、毛利・上杉もそう。
家康入府以前に関東なんて大して開けてないし、九州征伐前後の時期、
北条から腰を折って来たら秀吉も受け入れたのでは?

229:人間七七四年
16/02/24 20:26:16.51 kmCFO9Qi.net
かろうじて河内狭山藩主として残ってるからま、多少はね?

230:人間七七四年
16/02/25 14:45:44.31 TxbN0KVY.net
バカは黙って三国志板に行ってこいよ

231:人間七七四年
16/02/25 17:47:51.90 O9n+VizP.net
>>228
その時は受け入れるが、後々徳川と両天秤に掛けられてどちらかが潰されてた気はする
そうなるとより大身で色々と火種を抱えやすいほうが・・・

232:人間七七四年
16/02/25 19:04:08.22 EPBFhMLJ.net
東国の大大名で徳川と上杉は仲悪いから睨み合わせておけるけど、
北条は徳川と仲良さそうだし、両家で連合したらラスボス相手でも
抗しえるので、北条が関東制覇したままの状態で残ることは難しそう。
もっともラスボスには大陸制覇の野望があるから、北条があっさり
降伏する分、前倒しで唐入りし、うまく大陸に大領土を拡張できたら、
徳川、北条が大大名でもあまり気にしないだろが。

233:人間七七四年
16/02/25 19:07:39.55 VV52jl0m.net
>>222
青森勢も秀吉よいしょしてたような
うろ覚えだけど

234:人間七七四年
16/02/25 22:50:02.06 rYsnAXrG.net
(関ヶ原の結果)内府様(徳川家康)は日本全国の君主となるに至ったが、他の君主のように
勝利の後に暴虐を行うことはなかった。彼は捕虜となった敵に対して穏和の手段をとったが、ただ
3人だけは許さなかった。閣員(奉行衆)の軍を率いて彼に反抗した近江の王・治部少輔(石田三成)、
肥後半国の王・ツノカミ殿(小西摂津守行長)、毛利殿が顧問としていた安国寺(Ancocugis 恵瓊)である。
彼らは甲斐守(Cainecanis 黒田長政か?)に捕らえられ、初めはその身分に応じた待遇を受けたが、
程なく大阪に幽閉され、死刑を宣告された。彼らは大阪において痩せ馬に乗せられ、市内を引き廻れたる後、
荷車を以って都に送られた。彼らの周囲には市民が群集して、貴人の不幸を憐れむ者もあり、また之を
罵る者も有り、治部少輔は第一の車に在り、安国寺はこれに次ぎ、ツノカミ殿は最後にあった。
ラッパ手が各人の前に行き、彼らは謀反人なるを以って恥ずべき死刑に処せられることを声高に叫んだ。
この時、ツノカミ殿はいささかも勇気を失わなかったが、他の二人は無罪を陳じて、当局者の処置に対し
愁訴した。
彼らが刑場に近づくと、近隣の仏教僧が数人やってきて彼らに説教を行い、かつ、全ての罪悪を
浄める為の、多くの笑うべき儀式を行ったが、これは死後、不潔な精神を有さずして阿弥陀の前に
出るためであった。これによって処刑者はいささかの慰安を得て、永久の生に確信を持ったようであった。
ところが、ツノカミ殿は頑として僧の説教を拒み、あくまでキリスト教徒たる態度を示した。
刑台に上がる時、高僧が来た。彼は通常は外出せず、ただ高貴な人が悩むときにおいて顔を出すのみであった。
彼は多数の日本僧を伴い、手には釈迦の聖典を携えていた。
彼は様々な呪文を唱え、また作法を行った後、治部少輔と安国寺が死せんとする時、聖典を取り出して
これに接吻させた。しかしツノカミ殿はこの高僧を罵り、己がキリスト教徒であることを公言した。
そして帯の間から、キリストとマリアの小さな絵を取り出した。これは皇帝チャールズ5世
(神聖ローマ皇帝カール5世)の同胞、ポルトガル国の女王(王女?)カザリン(キャサリン)がエスイト教徒
(イエズス会)の手を経て彼に贈ったものである。
ツノカミ殿はこの絵を両手に捧げ、これを熟視して祈祷をなし、首を差し伸べて剣手の刀を待った。
剣手は3度にてこれを刎首した。他の2名も同様に処刑され、その死骸は焼かれた。
ツノカミ殿の死骸はエスイト教徒の手に渡り、都において、良き屍衣によって覆われ、ローマ教会の儀式によって
埋葬された。
(モンタヌス日本誌)

235:人間七七四年
16/02/25 23:57:07.10 PgRWsO7d.net
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
半分は既出のような

236:人間七七四年
16/02/26 10:19:24.41 flISSs7M.net
でも寺や神社に祀られるんでしょ

237:人間七七四年
16/02/26 14:38:32.53 wJbS32Th.net
高野山で逢いましょう

238:人間七七四年
16/02/26 14:59:51.90 BOOoXAE2.net
島原の役の時、真田信之が細川忠利にこう言った
「今回、板倉内膳正重昌が討ち死にした事で、敵を急ぎ踏み潰すためにあなた方を
遣わされるようですが、ただし、手間取って思ったようには成らないでしょう。
そのように心得ておくべきです。
私が昔、忍城の成田氏を攻めた時のことです、
軍勢は勇まず、下知を聞こうとしませんでした。帰陣した後、私は父の安房守(昌幸)に言いました
『あのような腰抜けばかりを選んで私に付けられたので、今度の合戦で勇まないのです。』
安房守は怒って申しました
『若輩者が!何を不智な事をいうか!?それはお前が、去年合戦で後れを取ったためだ。
一度後れては3年失せぬものである!』
今度の島原も、内膳正は討ち死にし、軍勢は損害を受け、みな恐怖心を持っているでしょうから、
軍勢は勇もうとしないでしょう。であれば、手間取ります。
その分別をして、ご出陣すべきです。」
(名将言行録)

239:人間七七四年
16/02/26 15:29:09.86 wJbS32Th.net
そりゃあ総大将がアレですから

240:人間七七四年
16/02/26 16:05:21.65 linV+D2a.net
>>238
小童!ではないのか。

241:人間七七四年
16/02/26 17:55:57.98 DxkpIThN.net
去年合戦で遅れをとった、て名胡桃城取られたこと?
信幸に責任あったっけ

242:人間七七四年
16/02/26 18:23:49.08 rVEZlCrD.net
沼田の責任者だからだろ

243:人間七七四年
16/02/26 18:34:42.29 vERWSTmf.net
そのお陰で北条攻めの名分が出来たのに…

244:人間七七四年
16/02/26 18:46:04.34 Wke8w9Jz.net
天正の末、参州水野和泉守の嫡男、水野六左衛門は
太閤秀吉公の扈従であったが、相撲の諍いによって傍輩を殺して出奔した。
秀吉公大いに怒って、諸国を尋ね求めてこれを殺さんとした。
六左衛門は勇敢身に備えたる人であったので、九州へ下向し
姓名を改め、所々の戦闘に参加し功があった。
名が既に顕れたので、ここも逃げ去り、糧食も尽き、身も塞がってしまったので
漢の韓信が釣りを垂れる苦しみであった。
美作国へ往き、安藤という百姓の聟(むこ)となった。
しかし農作を勤めず、朝夕川に臨んで網釣を事とし
山へ登って禽獣を狩ってばかりいた。
安藤、これを見て「汝は我跡を相続する者ではあらず」と大いに怒り、追い出した。
恥辱と思ったのだろうか、刀を抜き刺殺し、ここをも走り去り、三村紀伊守を頼った。
(西国太平記)

245:人間七七四年
16/02/27 10:38:18.43 r+I6p6vK.net
>>244
毎度お馴染みの水野さん

246:人間七七四年
16/02/27 10:42:43.56 mTZkIgw9.net
どの話でもだいたい大筋の流れ同じだからやっぱり本当にDQNだったのだろう

247:人間七七四年
16/02/27 12:16:09.29 fqUtjaJs.net
>>242
その時沼田は小田原に割譲済だけど?

248:人間七七四年
16/02/27 12:27:16.72 nDdVzJi9.net
つ名胡桃

249:人間七七四年
16/02/27 14:14:58.07 4EbOraoe.net
>>244
水野「ヒャッハーッ!血だ!血を寄こせ!」
各地でこれだもんな

250:人間七七四年
16/02/27 20:42:54.44 Qr2b1qrj.net
それが中国大陸で娘娘を強姦して廻った日帝軍人に引き継がれるわけですね
旧家にある銃剣で若い娘娘を突き刺してる曾祖父の古写真を見るたび日本人である自分を呪いたくなります

251:人間七七四年
16/02/27 20:46:55.21 XgP8Ra7H.net
釣れますか

252:人間七七四年
16/02/27 23:34:13.73 D76wOlY2.net
250はパンチョッパリニカ?

253:人間七七四年
16/02/28 00:26:07.39 +mnejghW.net
>>244
水野勝成は今で言うADHDっぽい。
衝動性や他人への共感性の欠如や
自伝での虚言癖等、当てはまる要素が多い。
ADHDは適性に合った職や環境に出会うと改善するが
勝成の場合、家督を継いで小藩を治める、というのがそれだったんだろう。

254:人間七七四年
16/02/28 06:02:43.25 8i+MnqKv.net
>>253
それ言いだすと、鎌倉時代以降〜元禄期までの武士はADHDだらけだぞ。
毎日人を殺さないと気が晴れないとか、生首を飾ってないと機嫌が悪いとか、悪口から周囲を巻き込んで殺し合いとかごろごろしてる。

255:人間七七四年
16/02/28 07:02:41.61 5s/MLQ/I.net
当時はそれが仕事だから

256:人間七七四年
16/02/28 07:53:29.36 MPqumkkl.net
>>244
これでも水野一族ではまともの方なんだよな
勝成さん以外の水野一族の方々も
表に出てないだけで勝成さん以上の無茶ぶりをやらかしてるし
三河では勝成さんクラスのDQNが当たり前だから
たまたま勝成さんは奉公構えで全国を彷徨ったから目立っただけだから
ただこの狂気な水野一族の血脈から天下人が出て来たから
ある意味勝ち組何だが

257:人間七七四年
16/02/28 09:00:58.75 xgbWrhES.net
それが当たり前なら、勝成を始めとする水野一族を
無理に持ち上げなくてもいいような気がするんだけど。
どうしても高く評価されないといかんのか?

258:人間七七四年
16/02/28 10:02:18.56 LfsNoNs8.net
それでも島津軍法みたいなのは基地だと思う
おかげで島津軍の通ったあとの九州各県は兵だけでなく
片っ端から村人殺されペンペン草も生えない大虐殺だらけで
薩摩以外からはいまだに嫌われてる
まあ黒田とかも好かれてないが

259:人間七七四年
16/02/28 13:48:59.74 sDx5l1XY.net
水野一族は変わり者が多いからな
天保の改革で有名な水野忠邦なんか
老中になりたいが為に実質20万石以上ある
唐津藩を捨てて6万石程度の浜松藩に転封したぐらいだからな

260:人間七七四年
16/02/28 15:03:20.59 RTpfv5yA.net
松平の血で中和出来たんだろうか?
でも諸々のエピソード聴くと短気なところは受け継いでるな

261:人間七七四年
16/02/28 15:06:43.79 iethBXAo.net
まさか本気で言ってないよね

262:人間七七四年
16/02/28 22:05:47.55 cPzbsdgc.net
やっぱ水野一族も面倒くさい三河武士なんだな

263:人間七七四年
16/02/28 23:37:23.34 FsKlazUS.net
お前らと一緒だな

264:人間七七四年
16/02/28 23:44:27.96 /m5uHHqe.net
>>259
いやあれはもうしょうがない。
忠元系水野家5代の忠之が勝手掛老中になってしまったことで、
水野家としては「老中を輩出した」という事実が重く乗っかっている。(それ以前もこの家
幕府の重職についている家格だし)
なので、このまま埋没した場合「先祖の威名を汚した」として、大名連中から物笑いの種に
なってしまう。
綱吉の頃だったか老中になりたいために、譜代大名が柳沢に運動したりとか
そこら辺の苦労話みたいなものもあるしねえ。(それですらなかなかうまくいかないのだが)


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