戦国ちょっといい話43 [転載禁止]©2ch.net at SENGOKU
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193:人間七七四年
16/01/15 22:04:06.42 Fbvw596u.net
(清正は)江戸上り下りの船中でも四書の講義を聞いていたそうだ。
或る時、伏見に居た時に、清正は手ずから論語に朱筆で注釈を書き入れていたが、
飼っていた猿がその様子をじっと見ていた。
清正が用事が有って席を外している間に、この猿は筆に朱を付け、
論語にめちゃくちゃに塗り付けて落書きだらけにしてしまった。
(戻って来た清正は)この様子を見ると、
「昔々から猿は見た物を学習するものらしい。
昔、終南山に住む僧侶が失くした袈裟をその山に住む猿が盗み、
その袈裟を身に着けて岩の上で坐禅を組んだ。
彼の他の多くの猿達もその姿を真似て坐禅を組んだ。
その猿は戯れに袈裟を身につけ、ただ人の真似をして坐禅を組んだのだけれども、
その功徳によって仏に成る事が出来たと聞いている。
この猿も悪戯で論語に朱注を付けたのだけれど、
(この功徳によって)少しは聖人の道に叶った行動が出来るように成るだろうか。」
と言って笑ったそうだ。
武勇一辺倒の大将にはこのような事は出来まい。
(続撰清正記)
訳注:終南山=中国陝西省西安市に位置する中国仏教における霊山
有名な「論語猿」の逸話・続撰清正記ver.。
単純に動物好きとも本人の苦悩の反映とも解釈される事が有る逸話だけど
どうやら仏教説話の影響が濃厚な模様。

194:人間七七四年
16/01/17 22:18:58.56 ztzdwhA7.net
天正十三年旧暦十一月二十九日の深夜、近畿・東海・北陸一帯を強い揺れが襲った。
いわゆる天正地震である。
この時の近江長浜城主は山内一豊だった。
水辺の軟弱な地盤に築かれた城は城下町ごと崩壊し、各地で火災が起きて死傷者が多く出た。
折悪しく一豊は京都にいて、城は一豊夫人と家老たちが守っていた。
一豊と夫人の間には「およね」という六歳の一人娘がいて二人はこの子を可愛がっていた。
だが地震は夫人と姫の寝ていた長浜城の御殿をつぶしてしまう。
地震直後に駆けつけてきたのは家老の五藤市左衛門だった。
深夜のことで何も見えなかったが、御殿のあった辺りから声がした。
「市左衛門か?」
一豊夫人の声がする。
市左衛門が「はい」と答えると「およねは?」尋ねられた。
夫人は倒壊した御殿からなんとか抜け出ると闇の中で娘を探していたのだ。
市左衛門は姫は無事ではなかろうと思いつつも夫人を避難させるため
「ご無事でございます」と嘘をいって安全な場所に連れて行った。
そしてすぐに引き返して御殿の屋根を切り破って捜索したところ、
棟木の下から姫が乳母とともに息絶えているのが見つかった。
夫人は覚悟していたもののその嘆きは深かった。
やがて急を聞いた一豊も駆けつけてきた。
かつて矢で頬を貫かれても平然としていたこの男は、変わり果てた娘を前に周囲もはばからず号泣したという。

その後一豊夫人は城下で捨て子を見つけた。
藁のかごに入れられて短刀一振があり、武士の子と思われた。
一豊夫人は哀れに思い、その男児に「拾」と名づけて自ら養育することにした。
のちに拾は家臣の北村十兵衛正雄の子だという噂が耳に入っても気にしなかった。
最初はなくした姫の代わりのつもりもあったが、山内夫妻は実子のように慈しみ育てた。
拾は非常に利発な子で一豊は大層気に入り、一時は養子にしようか思案するほどだった。
拾が十歳になったとき、山内夫妻は拾と相談して彼を妙心寺で修行させることにした。
そのとき夫妻は拾の学費として黄金百枚を用意したという。
拾は学才があり、成長して湘南宗化という学問僧になった。
彼の門下からは山崎闇斎が出、山内忠義も門下に加わった。
土佐藩を学問藩にしたのはこの湘南宗化の功である。

195:人間七七四年
16/01/20 03:18:16.12 8QvfyOqv.net
ある日のことだが、かつて豊臣秀吉は数多の金銀の蟹を作らせ、それを
庭の泉水、あるいはそのほとりに放って楽しみとした。
しばらくすると秀吉は、「見飽きた」と思って、近習の者に、「何ぞ一用を
言い出した者にはこれを与えよう」と、言った。
これに皆々は大いに喜び、「臣はこれを紙押さえにします!」とか、「臣は
金の茶釜の蓋さえもないので、せめてこれをその蓋のつまみにします!」
とか、あるいは何と言い、こうと言い、各々1個ずつを賜った。
その中で曽呂利新左衛門がどのように乞うたかというと、「臣は人の相撲は
既に見飽きたので、この蟹を集めて相撲を致さんと存じます」とのことだった。
これに秀吉は、「相撲となれば5個や10個ではその興も薄かろう。ことごとく
持って行くがよい」と言って、残りの蟹を全て新左衛門に与えたということだ。
その頓才は実に驚くべきものであり、また感ずべきものである。
―『常山紀談(異本に拠る)』

196:人間七七四年
16/01/20 06:43:37.38 nFk5QTFx.net
>>195
曽呂利新左衛門のエピソードを聞くと
とんちが利くと言うより、秀吉の喜ぶ事を熟知しているって気がする

197:人間七七四年
16/01/20 07:06:27.14 BQ9uWYM5.net
正体が幽斎様だとしても驚かない

198:人間七七四年
16/01/20 07:06:58.43 /uw8fHcl.net
うん、周りからはすげー嫌われてそうなイメージ

199:人間七七四年
16/01/20 08:13:07.91 1vfJMcPu.net
秀吉の逸話の中でしか語られないからやっぱそういう人物だったんだろうな

200:人間七七四年
16/01/20 16:55:15.78 yZOpTE7P.net
劉邦、朱元璋なんかも最後の方は猜疑心の塊みたいになってたし
独裁者というのは、自分の政権を誰かが転覆させるんじゃないかという
強迫観念に必ず襲われるからな
曽呂利みたいな道化がいなかったら、秀次事件以上の粛清の嵐が発生していた
だろう。
つまり、曽呂利は家康の大恩人。

201:人間七七四年
16/01/20 18:17:50.86 /uw8fHcl.net
それはあるかもね
独裁者というか基盤地盤を持たずに成り上がった人間は怖いんだろね
自分みたいな奴が現れたらと思うと

202:人間七七四年
16/01/20 18:32:23.99 tl6YVjYO.net
>>200
家康が豊臣家を徹底的に抹殺したのも同じ理由だったんだろうな

203:人間七七四年
16/01/20 19:59:12.56 zvCPSfLJ.net
秀忠でさえ色々な大名を潰しにかかってたよな

204:人間七七四年
16/01/20 20:18:35.18 6ktvD0p2.net
まぁ、清盛なんかは情けをかけた結果があれだったし

205:人間七七四年
16/01/20 20:25:30.92 ZjOTw8Px.net
創作なんかだと家康は豊臣に寛大で秀忠が潰したがってるよね

206:人間七七四年
16/01/20 20:28:04.45 /uw8fHcl.net
それ原哲夫だろw

207:人間七七四年
16/01/20 20:32:51.06 ry+NMqZj.net
つか史実でも家康は決して豊臣を滅ぼそうとはしてないんだよなあ。
大坂の陣の後でも、秀頼の男系を処刑しただけだし。

208:人間七七四年
16/01/20 21:51:54.97 WF3cKGfg.net
そもそもやる気満々で浪人囲いまくってんだから
それを見逃したら頭沸いてるとしか

209:人間七七四年
16/01/20 23:00:26.07 DnMYjG3n.net
秀頼さまが、媚びて生きるより、戦って滅びる思考だったのもあるんじゃないの?

210:人間七七四年
16/01/20 23:20:07.79 xVgyn3Zo.net
死ぬなら独りで死ねよ
巻き添えになった家臣はたまったものではない

211:人間七七四年
16/01/20 23:43:50.44 S5kACRif.net
それでもついていったんだろ。

212:人間七七四年
16/01/20 23:58:32.17 /uw8fHcl.net
せめて出陣してればな

213:人間七七四年
16/01/21 00:25:03.68 39WG4Oxb.net
家康の愛読書が吾妻鏡な時点で、何をしても秀頼は死ぬ運命だった


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