龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ2 at SENGOKU
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550:人間七七四年
16/07/05 23:07:59.93 99KLGlpQ.net
>>546さま
知識がないのでお教えください。
今川胤秋の話で「佐賀」の今川館というのが出てきますが、これは今の佐賀市にあったという意味でしょうか?
今川胤秋は1467年に討ち死だとすると、龍造寺家兼はすでに生まれており、
龍造寺家が佐賀市(周辺)を領有していたのかと思ったのですが、今川と重複しないのでしょうか?

551:人間七七四年
16/07/06 02:15:45.04 a4u1fG92.net
なんか直茂の簒奪って無茶苦茶うまくいったよな。他の家だと隆信の息子
がいかほど馬鹿でも、政家派みたいのが何人かはいて、肥前を真っ二つにして
の内乱ってのがデフォなのに、家臣一同で政家を政務から遠ざけてしまうとか、
政家が馬鹿すぎたのか、直茂が狡猾だったのか?それとも肥前特有の気質なのか?

552:人間七七四年
16/07/06 03:05:45.17 knxRolp3.net
>>551
まあ竜造寺隆信の勢力が急拡大したのって晩年の15年くらいですしね。
肥前の殆どの豪族に取って、別に竜造寺譜代の家臣って訳でも無いしって考えが
有るんでしょう。
それと、竜造寺隆信は旧主の少弐家を滅ぼした当人ですからね。
下剋上した家が息子の代に下剋上されるって良く有る話です。

553:人間七七四年
16/07/06 03:54:25.79 kzql7xOF.net
>>550
今川氏の館は現代で言えば佐賀市鍋島町、昔の呼び方で言えば新庄郷西新庄西分大屋敷
この大屋敷はその後、日向伊東氏の家督争いで敗れ肥前に逃れていた伊東祐郡が譲り受けた
与賀と川副は龍造寺系の一族集団にとって鎌倉以前からの地盤であるので
直接の地頭職でない期間でも郷内には結構な量の不入地分が存在していたと思われる
あと今川氏が新庄に居を構えているというのが重要で、まず与賀郷本庄に対して未開墾地であったから新庄という風な地名なわけだけど
本庄の方は少弐教頼が一時期本拠地にしていた程に少弐の影響力も高く、この少弐の与賀への本拠移転には龍造寺が土地を提供したとされている
また川副は干拓によって時代ごとに南方へ拡張していった地域で、自分達で拡げた土地は永代所有が認められていた
結論として今川氏の与賀・川副郷地頭職は龍造寺党をはじめとする土豪を組み込んでのものではあったものの、開発領主的な側面がかなり強く
また今川が龍造寺の土地を組み込もうとしなかったという話ではないが、それは以前からあった少弐や龍造寺などの影響力を排他的に扱うものでは無かったものではなかったのかと
つまり重複していても重層的支配に矛盾が無い時代だった、ちなみに龍造寺の本家も地頭なので他地域に地頭領がある

554:人間七七四年
16/07/06 06:09:45.55 CbVq2D6J.net
>>553さま
丁寧な解説、ありがとうございました。理解できました。

555:人間七七四年
16/07/06 14:25:54.94 LzsvT5h9.net
>>552
小2が主人とか頭沸いてんのかよ
お前の性癖と一緒にすんな

556:人間七七四年
16/07/06 15:03:53.58 /uQ0Puu0.net
隆信基準だと家督を継いだ時からずっと戦闘状態にある少弐を主君だとはとても思えないだろ
外部からその辺介入する場合に少弐再興を名分として来るのは当前の政治攻勢だろうがね
渋川は途中でみんなアカンと思って名前も出さなくなったのかな

557:人間七七四年
16/07/06 21:00:54.07 knxRolp3.net
>>556
少弐の名は、丁度中央の足利将軍や管領みたいで重いと思うけどね?
実際に庶流家や、なんらかの姻戚関係に有る豪族だらけなんですからね。
大体、何時の間にか鍋島氏が少弐庶流を自称してたりする訳ですし。

558:人間七七四年
16/07/06 23:57:47.11 /uQ0Puu0.net
少弐の影響力は弱くなったと言っても馬鹿にならないのと
隆信が少弐に対して恩を受ける機会が当初からないのは別の話でしょ
少弐と仲直りしよう派も龍造寺の中にもいたけど
その一派はクーデター起こして隆信を追放したのだから

559:人間七七四年
16/07/07 06:18:45.24 icV5mZk/.net
>>551
戦国まっただなかならともかく、
中央政権の意向を無視できない状態だったからね。

560:人間七七四年
16/07/07 06:22:42.22 icV5mZk/.net
>>556
> 隆信基準だと家督を継いだ時からずっと戦闘状態にある少弐を主君だとはとても思えないだろ

思っていなくても、いちおう主筋である以上、表面上だけでも尊重しないわけにもいかない。

561:人間七七四年
16/07/07 08:36:50.54 Dwf5TH3M.net
長曽我部のように何の恩義もないのに尊重できるわけがない。
尊重してた例がありますか?

562:人間七七四年
16/07/07 10:19:38.42 X4MXCsQL.net
>>561
三好長慶だって、親の仇だと思ってる細川管領家を途中まで担いていたやん?
軍事的には勝利して何時でも首が取れる状況でも、将軍も管領もわざと逃がしたりしたじゃん?
元々、細川分家の阿波守護家から養子が入る時に、家老の守護代三好氏も付いて行った訳ですから
先祖代々の恩義を説かれると厳しいですしね。
竜造寺隆信は主君に腹を切らせた訳ですからね。

563:人間七七四年
16/07/07 13:30:17.00 H7XvzEWe.net
龍造寺隆信が担いでいたのは千葉胤連と大内義隆、偏諱はこの二人から受けていて軍事的な援助を受けたのもここぐらい
あくまでこれは龍造寺家の主張だから
先祖の恩に対して龍造寺家は少弐家に報いろと少弐が主張するのも武家社会上は通るね
それと少弐冬尚個人の所業を龍造寺隆信個人が許すかはまた別

564:人間七七四年
16/07/07 15:51:40.88 Dwf5TH3M.net
>>562
それは利用価値があるからな。少弐にはないだろ。そっちの例を出してみろって。ほらほら。

565:人間七七四年
16/07/07 18:23:56.45 H7XvzEWe.net
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大寧寺の変直後は本気でこんな感じだったと思う

566:人間七七四年
16/07/07 18:25:07.86 f3+R9/p0.net
むしろ少弐の方が与賀に迎えてもらった恩があったとか聞いた

567:人間七七四年
16/07/07 18:56:53.95 H7XvzEWe.net
水ヶ江龍造寺は少弐から新恩として千町歩を本家と別に貰って
そこから少弐と直接主従関係になっていったからそこはおあいこ
報恩奉仕が成立しなくなったのは少弐が龍造寺を粛清したからとしか言えない
後は少弐が滅ぶまで敵対関係

568:人間七七四年
16/07/07 18:59:48.84 Vg4zqYpr.net
蒲池家の呪い

569:人間七七四年
16/07/07 19:24:42.27 H7XvzEWe.net
蒲池にしてもそれぞれ思惑があって結んだ盟によって大友領を侵犯した後に
仲違いした結果の籠城戦だから一概にどっちが悪いというものでも無いね
龍造寺隆信が個人的に恩があったのは蒲池鑑盛で蒲池鎮並の方では無いから
鑑盛を結果的に見殺したのは隆信と鎮並の判断によってだ

570:人間七七四年
16/07/07 20:34:14.53 f3+R9/p0.net
恩人殺しの方は深町さんの方が業が深いと思う
隆信もこっちは悔恨した

571:人間七七四年
16/07/08 06:16:41.95 v6i3QfJ9.net
隆信が少弐冬尚を滅ぼした理由は政治的な問題よりも軍事的な問題を解決する方に比重があった
鉄布峠での敗戦を隆信なりに分析して、少弐派の扇の要である少弐冬尚をまず叩かないと山岳に篭った神代勝利打倒は困難
少なくとも龍造寺の直轄兵力だけでは攻略不可能という結論を出したと見られ
それまで動員が掛からなかった旧少弐派の小田や犬塚も動員した冬尚攻めを行った

572:人間七七四年
16/07/08 14:45:28.18 lTB88R8t.net
心理作戦ですね

573:人間七七四年
16/07/08 19:17:53.38 fa9bsjJf.net
やっぱし、九州では太宰少弐の名は重かったんかね。
島津だって、分家が本家の守護家を乗っ取ってるけど家名は継いでるしね。
安易に旧主に腹を切らせた祟りが息子に行った感じですね。
普通に、わざと逃がすで駄目だったんだろうか?

574:人間七七四年
16/07/08 20:54:09.66 Xw9CQoX5.net
雨が降る度に生えてくる筍のように謀反が絶えまなく続くだろうよ

575:人間七七四年
16/07/08 22:45:49.57 DIQ/qk1r.net
隆信が筑後から再起を図ったときに、どうして少弐派の19城将は団結しなかったんかな

576:人間七七四年
16/07/08 23:00:27.08 Y0A1Wvp3.net
山本七平のいう所の多重権力構造をもって肥前の特殊性を説明すると
東肥前の場合は武家間の多重権力構造が成立しており
室町初期から数えると渋川、今川、千葉、少弐が権力として並立し
更に西肥前も含めると松浦党や有馬等も同時に存在
更に九州近郊も含める外部権力としては大内、大友といった有力大名
更に大枠で足利幕府が存在する状態にあった
また同氏の提唱する下剋上的秩序『下が上に向かって実質的な権力を行使することであっても
下が上を打倒して、自らが上になることではない。従って、下は上に向かって権力を行使しうるために、
あくまでも上下の関係を下が維持しようとする一面をもつ関係」
この下剋上秩序における反乱『上がその下剋上的秩序に従わない場合』に起こる下の反乱事例が少弐と龍造寺の関係に該当する
龍造寺隆信の場合は終生この反乱に身を投じた様な人物であり、彼はよく下剋上大名という言葉で説明されるが
下剋上的秩序に対する謀反人、あるいは反逆者や革命家とでも呼んだ方がこの場合適切だ
なので下剋上的秩序に「まつろわぬもの」である龍造寺隆信に対して自業自得、祟り、恨みや怨念といった類の言霊が付くのはある種当然といえる
またマックスウェーバー的な解説をすると少弐氏が伝統的支配、龍造寺隆信がカリスマ的支配、鍋島氏が合法的支配に該当すると思われる

577:人間七七四年
16/07/09 02:19:13.44 XQ8fSMXw.net
>>575
神代勝利 佐賀郡在番の自兵を使って抗戦するが隆信勢に敗退、八戸宗暘を連れて山内へ撤退
高木鑑房 飯盛城の戦いで隆信勢に敗退し居城に篭るが降伏、翌年前田家定の下へ身を寄せようとしたが家定に討たれる
高木胤秀 居城を隆信勢に囲まれ降伏
小田政光 佐賀城回復後の隆信勢に攻められ降伏、後に長者林の戦いで神代・江上勢と戦い戦死
八戸宗暘 高木勢と共に隆信勢を迎え撃つが敗れる神代勝利と合流し山内へ撤退
江上武種 勢福寺城に篭り隆信勢を迎え撃つが落城、自身は脱出して城原城へ撤退
横岳資誠 少弐冬尚の守りとして動かず
馬場鑑周 同上
筑紫惟門 小原の叛乱への同調を大友から疑われ動けず
姉川惟安 佐賀城に隆信が入るとこれに臣従
本告頼景 小田政光救援として親族の義景を派遣するが隆信勢に討たれる、後に長者林の戦いで戦死
宗尚夏   詳細不明だが横岳・馬場と同様の行動であったと思われる
藤崎盛義 同上
出雲氏忠 同上
犬塚尚重 小田政光救援に出撃するが隆信勢に敗退、領地を追われるが後に隆信の妹婿となり復帰
犬塚鎮尚 尚重と共に政光救援に出て敗退、領地を追われるが大友の援助で復帰
犬塚鎮直 佐賀城に隆信が入るとこれに臣従
綾部鎮幸 隆信の勢福寺城攻めの後これに臣従
朝日宗資 詳細不明だが鎮幸と行動を共にしたか

578:人間七七四年
16/07/09 04:23:59.79 eJxSWiJb.net
>>574
織田信長だって、別に足利恩顧でも無いのに足利義昭をわざと逃がしてるじゃん。
尾張守護の斯波氏の当主も追放に留めてるしね。
後に津川姓に変えて帰服してますし、やっぱり主君殺しの悪名は大きいんじゃないかね?

579:人間七七四年
16/07/09 10:00:55.60 7a6K6sqA.net
要は少弐を傀儡にしちゃえばよかったのにという話でしょ
それを千葉も包括した状態でやろうとした(少なくとも馬場頼周がそう感じた)のが家兼親子だったのよ
鍋島彦法師丸が千葉胤連の養子になったのはこの一環
この政治体制の結果が龍造寺一族の大量粛清まで発展した

580:人間七七四年
16/07/09 16:26:40.72 I2t0EApV.net
>>576
> 更に大枠で足利幕府が存在する状態にあった

龍造寺氏と幕府や朝廷の関係というのは考えたことなかったな。
献金して官位もらったりはしていたんだっけ?

581:人間七七四年
16/07/09 16:29:47.72 I2t0EApV.net
>>579
> 要は少弐を傀儡にしちゃえばよかったのにという話でしょ

カイライにしたとしても、足利義昭みたいにちょこまか動きまわられたら困るってのはあったかも。
もっとも少弐さんにそういうキメ細かい政治力があったかというと、おそらくなかったと思うが。

582:人間七七四年
16/07/09 18:37:42.48 7a6K6sqA.net
>足利義昭みたいにちょこまか動きまわられたら
少弐冬尚には前科があるから、実行犯は馬場頼周という事になってるけど
龍造寺隆信としては冬尚を放置しておいた場合にまた外患誘致をやらないという確証がもてず
粛清の一件は親族一同の生存の危機だったんだから
やらなきゃやられると親族からの突き上げもあった筈

583:人間七七四年
16/07/09 20:18:39.33 ujHbGg1n.net
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584:人間七七四年
16/07/09 23:52:32.49 Tw72sWUz.net
隆信死後龍造寺から権力が移譲した鍋島直茂が千葉の養子で少弐庶流というも当時家中ではそれなりに意味があったのかも

585:人間七七四年
16/07/10 01:58:19.26 FLei2dje.net
言いだしっぺの勝茂も信じていないような『鍋島氏が実は少弐庶流』説の家中統制上の意味は限定的
鍋島家の正統性を外でアピールするには都合がよいから横岳鍋島家の系図をひっぱり出してみせたのだろう
三支藩を設立する為の権威づけにはなっているが、ここから龍造寺の正統性を相対化する意味はあったか
本藩―三支藩―親類―親類同格(龍造寺四家)―家老の関係や
三支藩の本藩に含まれるが大名として幕府公認という在り方も、それまでの肥前における権力の複雑な構造を考えれば自然であったと感じる
むしろ「龍造寺家」対「龍造寺家に組み込まれた個々の旧権力」という正統性の対立軸が本来存在した所を
「鍋島家」対「龍造寺家」という構造にすり替える事で旧権力側の存在感を打ち消したのには意図的なものがある

586:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
16/07/10 15:57:36.19 t70hQvZ/.net
>>585
> 三支藩の本藩に含まれるが大名として幕府公認という在り方

これは鍋島さんのほうから幕府に頼んだのか?
それとも幕府の方で
「肥前が政情不安になるのはまずい」
という判断があったからなのか?

587:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
16/07/10 17:15:22.32 FLei2dje.net
幕府が慣例として直参扱いしていたものを鍋島光茂がこの三藩は陪臣であるとして申し立てて
三支藩の二重被官を制度的に確定させたから、頼んだのは光茂になるね
その後も何度か佐賀藩と三支藩のいざこざを幕府が調停する事になっていくけど
だいたい佐賀藩側の言い分が通るから、幕府が政情の不安定化を望んでいないというのもあっただろう
何より四藩分の参勤交代に長崎警護と相応の負担はし続けているから文句も無いだろうし

588:人間七七四年
16/07/10 23:25:17.04 AnDtrLf3.net
基本、肥前だけじゃ無くて、九州は国人の連合政権みたいな感じなんじゃないのかね?
少弐だろうと竜造寺だろうと鍋島だろうとね。
考えると竜造寺家の為に命を賭ける義理は無いですよね。
一代前まで対等だったと思ってる訳ですから。

589:人間七七四年
16/07/11 12:01:12.42 IJV6mjPG.net
連合的になったのは江戸時代以降の話でそれ以前の政体を説明するのにはそぐわないと思う
連合政権というより複合政権とでも言うべきで、複合内にいるものは対等関係が成立していない
力関係が対等ではないのが明白だから

590:人間七七四年
16/07/11 14:15:28.39 /C3AncH0.net
複合政権(笑)

591:人間七七四年
16/07/11 14:41:55.66 XO83lDau.net
天正二年隆信公御一家及御家中幕下之衆知行附
御一家御家中(国侍分)知行総計37,475町
知行上位10氏族
御一家3,999町
大村氏2,000町
小河氏1,496町
鍋島氏1,460町
犬塚氏1,390町
石井氏1,170町
西郷氏1,000町
馬場氏900町
嬉野氏860町
高木氏715町

592:人間七七四年
16/07/11 16:14:01.67 8x2hcyq3.net
>>588
竜造寺家の為に命を賭ける義理は無いかもしれないが
いちおうの「顔をたてる」程度の義理はあったと思う。

593:人間七七四年
16/07/11 16:17:22.70 8x2hcyq3.net
>>589
常陸国の江戸氏とか真壁氏は、戦国時代には事実上の半独立勢力であったが
それでも戦場に出れば佐竹氏の指揮下に入っていたらしいな。
そんな感じだろうか。

594:人間七七四年
16/07/11 16:24:14.29 XO83lDau.net
御家中のうち知行上位者
江上又四郎(家種)700町 備考:幼少
犬塚三郎右衛門尉(家広)620町 備考:幼少
空閑三河守(光家)600町
龍造寺七郎左衛門(家晴)570町
犬塚弾正忠(盛家)570町 備考:筑後配流中
鍋島左衛門大夫(信昌)530町
鍋島豊前守(信房)510町
小河大炊佐500町
小河玄蕃允500町
土肥出雲守(家実)500町
馬場筑後守(鑑周)500町
嬉野陸奥守(通益)500町
神代刑部大輔(長良)500町

595:人間七七四年
16/07/11 17:27:53.24 XO83lDau.net
龍造寺播磨守(家親)500町を入れ忘れたので
300町より上の残り3名も追記
鹿江宮内少輔400町
綾部備前守(鎮幸)390町
副島長門守(光家)380町

596:人間七七四年
16/07/11 19:01:33.17 IJV6mjPG.net
>>593
連合や同盟というよりは関係が近く土着の宗教勢力も取り込んでいて上下関係の区別はついているのだから
複合権門体制とでも呼んだ方が適切なんじゃないのかと

597:人間七七四年
16/07/11 21:02:41.08 XO83lDau.net
>>591
まずこれは一次史料ではないのと、史料内で追記されていた数字はほぼ無視
例外として土肥出雲守は50町であったのを時期を考慮して追記の500町とした
なお追記を加味するとまず冒頭から江上又四郎は1700町
波多善次郎(後藤家信)が1300町となり天正八年の隆信公幕下着到とも一致する

598:人間七七四年
16/07/11 22:57:56.93 XO83lDau.net
>>594
小河大炊佐500町 信俊
小河玄蕃允500町 信貞
しかし土肥出雲については天正6年の鎮賢への家督相続時点で納富常陸介(賢景)100町と共に500町へ加増されたと見た方がいいか
二人とも加増は段階的に行われたのち三老職についたとみるべきか

599:人間七七四年
16/07/12 07:51:57.57 hUBa+HKC.net
隆信が家督相続の時に継承したのは川副郷の千町と小津郷の八十町

600:人間七七四年
16/07/12 22:31:44.75 B+8x570+.net
天正2年付とされるものでは松浦郡・彼杵郡・高来郡いわゆる西肥前の知行高があまり把握されておらず
天正8年で把握されているものとの差分を考慮しても、その時点における肥前国内の耕地面積は4.6万〜4.8万町歩前後だったと推測される
ただ「国衆」の知行となると天正8年では5.2万町程になる
こうしてみると隆信の弟二人、信周と長信が家老並みの知行になるのは遅い時期であり
家晴や鍋島兄弟より知行的には劣位だった期間が長い

601:人間七七四年
16/07/12 23:13:50.18 toR9SZ93.net
信周と家就が筑前豊前方面だったとして長信は何してたの?

602:人間七七四年
16/07/12 23:39:28.62 B+8x570+.net
肥前統一前
信周:後方予備、外交窓口
家就:隆信の執政家老の一人
長信:松浦方面担当、物資管理
肥前統一後
信周:政家の執政家老の一人、豊前方面担当
家就:政家の執政家老の一人
長信:全体の後方・補給担当
家就は隆信・政家の旗本頭的な役割でどこかの担当というのは確認されていない
筑前方面は江上・執行や倉町、空閑、副島辺りの担当

603:人間七七四年
16/07/13 00:14:04.29 RwOldxhu.net
天正2年だと藤津・彼杵・高来郡の攻略はこれからだが、すでに嬉野、大村、西郷氏が
幕下に加わっているな

604:人間七七四年
16/07/13 00:58:57.93 5vspypoV.net
天正初年頃から大村は平戸・後藤および西郷・深堀連合に攻められているので
大村純忠はその時期に龍造寺へ起請文を出して状況の打開を図っている
西郷純堯は純忠より前に起請文を出しているが、純忠と同じような意図があったと思う
天正期に入ってから肥前の国衆が龍造寺へ起請文を提出する量が劇的に増えているが
平戸・後藤や後は鶴田等の一部上松浦党が参加する同盟体は龍造寺にまだ起請文は出さず、大友との書状のやり取りがある
これには西肥前で何とか龍造寺の攻勢を凌いでいた横岳氏や馬場氏の一部も連携していた

605:人間七七四年
16/07/13 01:16:25.32 krJyCS/A.net
>>602
詳しくありがとう。

606:人間七七四年
16/07/13 07:17:06.07 moFMMz1t.net
>>600
大体、一町歩が10石換算で良いのかね?
他の資料でも、江戸初期で肥前の石高が50万石くらいみたいだし?

607:人間七七四年
16/07/13 10:34:45.80 e+ZeQ7Fa.net
基本的にその認識でいいよ
九州の場合は鉢植え大名以外の既存領主は太閤検地の基準を使っていないし
太閤検地をやると反あたり基準値が増えるので石高は高く出る

608:人間七七四年
16/07/15 07:29:33.66 9EdAUTXC.net
1580年夏(4月〜5月上旬?)
臼杵新介鎮富・小佐井鑑直が手勢を率い筑前入り、戸次道雪・高橋紹雲と評定後安楽平城へ入り城の修復を始める
大友勢が筑前の龍造寺方の城へ攻撃を仕掛けるという風聞が立つ
1580年5月下旬 
龍造寺信周、下松浦・杵島の軍勢を率い早良郡に陣を敷く
龍造寺隆信・小河信友・納富賢景、筑紫・秋月・原田・波多・草野に動員を掛け自身も出陣、神代長良・曲淵房資を案内とし筑前の内本名村に着陣
龍造寺長信・龍造寺康房、波多親、草野鎮永と合流し原田信種と共に怡土志摩の境に着陣
江上家種、三根・神埼の軍勢を率い筑前内野の城に加わる
鍋島信生、筑後の軍勢を率い岩門に着陣、秋月種実等が合流
龍造寺勢が岩屋・宝満・立花・荒平楽の大友方各城の分断を計画、四万三千の軍勢を分け
二万余で龍造寺康房を大将、小河信友・納富賢景を副将とし安楽平城を攻める 注;残りの二万は岩屋・宝満・立花山を包囲か
安楽平の断崖をよじ登り弓鉄砲を射かけるも効果薄く、隆信が遠攻に切り替えさせる
1580年6月下旬
小河信友・納富賢景の陣に執行種兼が入り「内談を極め」る軍議
1580年7月7日
小河・納富・執行の三名が先頭に立ち荒楽平城の断崖を一息で登り切り軍勢が城壁に張り付く
城兵は激しく抵抗したが不意の事だったので対応が遅れ大城戸が突破され城内で乱戦に、双方死傷者多数
遠攻していた龍造寺勢が続々城内へ侵入、空閑可清が小佐井鑑直を捕縛、城中を龍造寺勢が焼き討ちしだすと臼杵新介は降伏した
1580年7月上旬
龍造寺隆信は立花山城へ兵を進めるが筑紫広門の仲介で戸次道雪と和議が成立

609:人間七七四年
16/07/15 22:14:46.05 BiW5bWgc.net
臼杵新助鎮富ってのは新助鎮広の親族かね
福岡市史なんかだと親助親連とか出てくるけど

610:人間七七四年
16/07/16 16:47:24.61 Y1sJesh1.net
臼杵新助を名乗る誰かは多分居たが主将は年齢的にみても小佐井鑑直の方
あと荒平開城した後の空閑光家宛て書状に小佐井の名が出てくるらしいから
これも推測でしかないけど信生は秋月勢と共同で筑前大友五城の連絡線を絶つ作戦を行っていた筈で
何もしていなかった訳ではないけど戦功が分かり辛いから
北肥戦史では鍋島信生を仲介して臼杵が降伏したという文を挿入したかったのではないだろうか

611:人間七七四年
16/07/19 11:05:35.17 6FA1xNDi.net
臼杵鎮続が耳川で戦死せずに再度筑前へ赴任したとしてある書籍もあるけど
この場合は落城後の鎮続がどうなったのかが分からない

612:人間七七四年
16/07/19 23:16:50.35 VOxJsCNb.net
筑前攻略の功労者は空閑光家 執行種兼 副島光家 小田増光

613:人間七七四年
16/07/20 01:07:53.95 nrDBAOsL.net
信長の野望 創造PK
         統率 武勇 知略 政治
龍造寺 信周  58  55  56  58
龍造寺 長信  55  56  55  62
龍造寺 家就  59  57  48  55
龍造寺 家晴 57  59  53  48

悪くはないけど良くもなく、平凡すぎて後方の生産国を任せるぐらいしか
仕事がない人たち

614:人間七七四年
16/07/20 01:54:20.52 1IU9EZkP.net
龍造寺一門の能力値は端から放り投げてるよね

615:人間七七四年
16/07/20 06:12:05.70 6j3AZtIr.net
家晴が出たのは評価したい。家種、家信はどうなの?正家には期待してない。

616:人間七七四年
16/07/20 11:14:17.34 LUpIL1Zv.net
創造の江上家種の扱いで確信したけどコーエーは龍造寺が主体的になっている関連史料を参考にしていない
していたとしても葉隠を絡めた何か(思想書、武士道書、経営書、小説...etc)ばかり
それと毛利の軍記からみた龍造寺とか、島津の軍記からみた龍造寺とかいったわずかな文量から断片に読み取れる印象上の産物が
五人いる脳筋四天王と万能の鍋島様に象徴される信長の野望版龍造寺というキャラクター性を作っている
そのキャラクター性から逸れるようなのは無個性キャラクターに設定するしかない、よく分からないから

617:人間七七四年
16/07/20 12:12:59.19 069ras4c.net
どんな感じの扱いなの?

618:人間七七四年
16/07/20 12:28:56.78 /hSzTfxo.net
でも、大友氏とかもそうだけど、九州って国人や土豪の勢力が強くて大名の
蔵入り地が非常に少ないよね。
貿易に熱心だったのも、それだけ蔵入り地が少ないからなのかって思うくらいだし?
当事者はそれが当然ってるんだろうけど、敗者に対する扱いも甘いよな。

619:人間七七四年
16/07/20 13:28:12.56 LUpIL1Zv.net
>>617
>>613に合わせると
         統率 武勇 知略 政治
江上 家種   78  74  6   17
四天王の6人目みたいな

620:人間七七四年
16/07/20 14:34:41.76 069ras4c.net
こりゃさすがにひっくいなあ

621:人間七七四年
16/07/20 14:46:35.09 gRVcPMnJ.net
>>616
まあ初期の頃は正家の生年を1563年にしてたからなあw
おいらは中学生のころからその間違いに気づいてたけど出版社自体がアホだからもうどうしようもなかったね
改善したのはネットが普及してからだっけ?でもこれも初期の頃は出版物の転載やったなw

622:人間七七四年
16/07/20 15:05:46.67 gRVcPMnJ.net
すみません、うろ覚えでした。1563ではなく1566でしたね。
肥陽軍記巻之二、龍公被通毛利元就事を読むと、弘治二年に男子御出生にて御悦浅からず、長法師君と号し奉った。とあります。
一体どこで1566年にすり変わったのでしょうね。

623:人間七七四年
16/07/20 16:41:39.37 LJ6AQYFM.net
>>620
パワーアップキットを使えば高くできるのではないか?

624:人間七七四年
16/07/20 16:49:10.29 s9bigVDj.net
コーエーは昔から九州だと島津推しだからな
対抗馬で大友はそこそこ数値高いけど龍造寺はいつも適当

625:人間七七四年
16/07/20 17:52:24.24 W/5+xgzA.net
>>622
すり変わっていると言えば戦国立志伝で追加された茂里と茂賢の生没年が逆になってるから
列伝には兄茂里と弟茂賢とハッキリ書いてあるのに、弟の方が先に登場して早世するという怪奇現象が起こる

626:人間七七四年
16/07/21 07:32:13.26 RKYhWoom.net
>>618
隆信の場合だと家臣・被官の領地替えを何かにつけて頻繁にやって、名目上は家臣某・被官某の知行地だが
実質は隆信から送られてきた代官が年貢や譜役の管理をするという形態をとって
名目上の知行主に死亡等の自体があった場合でようやく無主地状態の土地を当座の大名蔵入地にしていた

627:人間七七四年
16/07/21 08:55:16.91 KgVWuB/2.net
>>618
>敗者に対する扱いも甘いよな。

これはそれなりの合理的な理由があったはず。

628:人間七七四年
16/07/21 20:27:58.63 tRRLLiAb.net
敗者に甘いというのは具体的に何よ

629:人間七七四年
16/07/21 21:01:25.03 9EHqUbAH.net
宗教上の理由とか

630:人間七七四年
16/07/22 19:11:33.25 PYnA8cCO.net
戦争状態を外交で決着しようとしたら選択肢としては当然敗者に対する寛容さをみせるというのも普通にありえるだろう
そういう温情措置を提案する人間は敵対者に伝手があるからそう言うのだろうけど
あと敵味方と勝敗の入れ替わりが激しいご時世なのだから色々利害関係が交錯して結果的に戦争終結は尻切れトンボな状態になる場合が多い

631:人間七七四年
16/07/23 02:09:17.44 4m4o9ua5.net
守山城址に行ったら「天正十七年に有馬に夜襲されて滅んだ」とか書かれていたけど、これ惣無事令違反じゃないの?
秀吉の許可とったのか?

632:人間七七四年
16/07/23 02:27:24.89 wBCMQ+NH.net
尾張の守山しか思い浮かばん

633:人間七七四年
16/07/23 05:47:59.59 irTxPZPF.net
肥前守山城でぐぐればOK

634:人間七七四年
16/07/23 07:22:51.75 WUlhQMJc.net
・沖田畷合戦で龍造寺家が敗退した後は有馬・島津の逆侵攻を受け島原半島の各城主達は降伏するか、所領を維持出来なくなり逃走or討たれた
・有馬家が岡本大八事件で改易された
・島原の乱で住民層に大量の入れ替わりがあった
という事で島原半島は史料の散逸機会が多いから前後関係が錯綜しているのかと思う
あくまで龍造寺・佐賀藩側の視点からみると守山城が有馬晴信に攻められた時期はいずれかの場合
・神代貴茂の抵抗と同時期である沖田畷合戦後、天正12年4月前後から天正15年豊臣秀吉の九州侵攻まで
・西郷信尚の反乱と同時期である肥後国人一揆中、天正15年10月前後
天正17年まで国人一揆騒動の余波が続いていたのかもしれないので完全には否定しないが蓋然性は低い

635:人間七七四年
16/07/24 21:30:14.51 GILBxNbA.net
天正14年末からの龍造寺と島津の肥後表における抗争がどんな媒体でも丸ごと無視されるから
この時期の島津は豊臣が来たらただ逃げるだけで弱いなんて言われる羽目になって
隈部と甲斐が何故あの様に怒って大一揆を引き起こしたのかが本当の所で理解して貰えていない

636:人間七七四年
16/07/25 06:57:16.82 YZI37pjk.net
>>635
信長と島津の関係も、それほど注目されないね。
島津は信長を怒らせないように配慮はしていたみたいだが。

637:人間七七四年
16/07/26 09:51:58.15 npdrIBs0.net
島津・龍造寺に対する豊臣の態度「滅ぼされないだけ有難く思え」
大友に対する豊臣の態度「助けてやったのだから有難く思え」

638:人間七七四年
16/07/26 19:24:02.97 lVPhrKiA.net
          【ロシア】   CIAクーデター失敗wwwゲスウヨ歯軋りwww(笑)   【ゴミリカ】

【トルコの外務大臣:ロシアのプーチン大統領とロシア政府高官に対して、クーデターに際して完全かつ無条件の支援をしてくれたことを感謝】
米国へ亡命しているイスラム教指導者、ギュレン師がクーデター計画に関与したとの見方を示し、米国に同師の身柄引き渡しを要求している。
トルコ当局は、米兵約1500人を駐留させている南部のインジルリク空軍基地を閉鎖した。これを受け、米軍施設は自家発電で対応しているという。
URLリンク(sputniknews.com)

慶応の学生です。
大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。

実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。
今回の三宅洋平の得票に戻るが0時00分現在で東京都合計で18万8千票である。
区部合計では、13万票 そのうち千代田区では、たったの1千票。
港区では5千500票 新宿区では6千500票、文京区では4千票 台東区では3,500票 墨田区では4千票 品川区では7,569票 目黒区では10,000票 
大田区では12,000票 世田谷区では20,000票 渋谷区では8,000票 中野区では8千票 杉並区では1万7千票、北区では4,500票 板橋区では1500票 
練馬区では1万2千票 葛飾区では500票、江戸川区では5,000票 八王子市では6,000票、立川市では2500票 武蔵野市では3,500票 三鷹市では4,500票 と続く。
豊島区ではなんとゼロ票 中央区ではゼロ票。江東区ではゼロ票、荒川区ではゼロ票 足立区ではゼロ票 通常、こんなことは考えられない。

639:人間七七四年
16/07/26 20:41:21.06 hPo5c6W7.net
hh

640:人間七七四年
16/07/29 18:38:18.15 g5MYcjGB.net
天正14年12月24日
羽柴秀吉、毛利輝元(「毛利右馬頭」)へ九州征伐に先立ち全7ヶ条の「条々」を発す。
宇喜多秀家(「羽柴八郎」)・羽柴秀長(「中納言」)らの出陣予定と秋月種実(「秋月」)・龍造寺政家(「龍造寺」)は
「殿下御下知次第」になったことと龍造寺政家(「龍造寺」)の筑後国方面に於ける戦勝に触れ羽柴秀吉(「関白殿」)の出馬
以前は軽率な動向を戒め、今度の豊後国で「若輩之奴原」が羽柴秀吉(「殿下」)の「御置目」に違反し「不届動仕越度を取」
ったので仙石秀久(「仙石権兵衛尉」)へ「跡職闕所」を命令し讃岐国の件は尾藤知宣(「尾藤左衛門尉」)を「奉行」に任命
することなどを通達。そして羽柴秀吉出馬に備える防御態勢を調えるよう命令し、島津氏との境界にある要害の守備の徹底、
島津氏に対する軽挙を戒めるなどの指令を下す。〔「毛利家文書」B‐951〕
この「殿下御下知次第」は毛利が既に秋月と龍造寺を調略済みだとしているのか
それとも秋月と龍造寺は秀吉の気分一つでどうにでもなるという事なのか

641:人間七七四年
16/07/29 19:47:34.65 mSIk7VSW.net
秋月と龍造寺はお味方だよーと毛利に知らせたってことじゃないかい?

642:人間七七四年
16/07/29 20:17:45.61 g5MYcjGB.net
そういえばこの時期なら恵利暢尭が秀吉方と交渉していただろうから、この時点で秋月龍造寺どちらも秀吉方が味方認識していたという事もありうるのか
いや双方ともどちらかと言えば味方ではない(少なくともこの書状以前の認識では敵だろう)という先入観があったから
秋月と龍造寺の処分は秀吉的には保留中というニュアンスが強いものと思っていた

643:人間七七四年
16/07/30 21:44:46.33 x5G5MEaN.net
隆信が死んだ事でそのあと最も得したのは秋月種実だろう
沖田畷のあとで龍造寺と大友が勝手に争いだし疲弊した所で急速に種実の影響力が増し
豊薩合戦なんて言っても実質の仕掛け人は種実みたいなものだし
大友がちゃぶ台返しみたいな外交をとらなければ種実は大友相手に戦略上圧倒していた
島津が豊後占領するあたりで物資欠乏して力つきるのは計算していたのではないだろうか

644:人間七七四年
16/07/30 22:29:25.72 tOWTH/E4.net
守備に徹すればいいのに戦を仕掛けた四国勢w

645:人間七七四年
16/07/31 09:27:03.77 xQnTUMEm.net
四国勢視点だと島津勢が豊日方面へ戦力を次々に投入している事実が目前にあったし
大友勢と四国勢の間で情報共有が不十分だったのは明らかではあるので
島津方が肥筑の戦線維持を放棄してまで無理やり捻出した戦力による攻勢だと四国勢が見抜いたのかどうか

646:人間七七四年
16/07/31 21:14:40.28 DwpuXQ+7.net
天正14年9月における龍造寺の行動を見ると
まず直轄領化を進めていた筑後・肥後北部・筑前西部の安定化ないし島津方についた当該地域国人勢力の排除を優先目標にしていたようで
それがある程度落ち着いた10月に秀吉へ人質を出した

647:人間七七四年
16/08/01 16:18:35.91 /rs+m9TI.net
龍造寺が肥後に攻め入ったのは9/13の事で、その時龍造寺方についたのは甲斐・阿蘇・相良と
あとはおそらく隈部、名和に隈本・木山周辺で百姓一揆を起こしていた集団
西海道の本筋沿いは八代辺りまで制圧したことになるか
ただ家の性質上、阿蘇と相良は家全体が龍造寺に味方していたというのは考えにくい

648:人間七七四年
16/08/03 14:56:26.33 j645Ff8g.net
秀吉の方針では秀吉本隊が来るまで島津の挑発に乗らず堅守しろという事なんだけど
龍造寺の場合は島津方を挑発し続けて後詰決戦を誘っていたのでないかという行動をとっている
それの究めつけが岩屋城への再攻撃
しかしこれを受けて兵を起こすと島津義久の政治的主張が前提から崩されるので
龍造寺の攻勢は放置して大友攻撃に全力を挙げることになった、と見る

649:人間七七四年
16/08/03 23:35:44.26 8xEU9uXS/
島津には人質送ってないのか

650:人間七七四年
16/08/05 00:27:40.25 1ZDJwYYC.net
>>646
政家が人質として出した公宗ァ尼と以登は同一女性だろか

651:人間七七四年
16/08/05 02:20:31.77 pZ6xVra4.net
生母なのかな

652:人間七七四年
16/08/05 05:47:47.22 g4ciX7MN.net
はい隆信妻の名です

653:人間七七四年
16/08/07 07:47:44.59 qMwNuu0Q.net
>>648
この時の兵力はどの程度なの?

654:人間七七四年
16/08/07 18:50:10.58 A3PnezSm.net
島津が4万で龍造寺2万余、遠征軍を組織して派遣できているのはここ二つ
秋月も毛利立花勢の圧力を解決出来るなら1万弱は出せる。逆にいうとこれが無理なので自領付近に行動が制限されている
大友は豊後の全兵合わせれば1万は超えてるけど各領主の手勢が個別に戦う以上の事は出来ていない
あとは立花、平戸、有馬あたりは二千弱出してる
他の国人はちょっと分からない
どちらにしろ参考程度の記録

655:人間七七四年
16/08/09 01:03:57.34 rXcfMvGd.net
旧記雑録の天正14年9月27日付け島津義久書状で
秀吉からの通告に返事が出せない理由に
・鎌田政年の怠慢
・肥筑表での戦闘激化
この二つを挙げているが、これは土肥家実が行った肥猪から大田黒辺りまでの『相働き』に
関の構築まで含まれていて、それが特に効いているんじゃないかと思う
率直に言うと龍造寺が島津方に対して交通・情報封鎖を行っていた傍証になる
同書状内で義久が秀吉宛てに筑紫広門討伐の正当性を訴えているが
時期的に広門は勝尾城を9月27日以前に奪還している筈で、書状が届くころには更に今さらな話題になっているわけだけど
義久が様々な意味と多重の思惑から秀吉にハッタリかましているというのは勿論のことで
当時情報がどれだけ錯綜していたかは更に検証する必要が当然あるが
広門の動静を龍造寺による情報封鎖のせいで把握できていなかった可能性はある事を指摘したい

656:人間七七四年
16/08/14 17:10:22.29 lcICdEXw.net
岩屋城の戦いは凶賊であるところの高橋紹雲一党を征伐することに寄せ手の名分があったという事を確認しておきたい

657:人間七七四年
16/08/15 08:07:11.90 yAjNZO+I.net
そういう確認はできないww

658:人間七七四年
16/08/15 11:14:51.05 ZosXhPUk.net
島津義久が筑前攻めをするにあたって静謐を乱している凶賊と暗に指定したのは
直前まで方々を荒らしまわっていた戸次道雪の親族と高橋紹雲なんですよ
それに一味した筑紫広門を捕らえた事は正当だと秀吉に>>655の書状で主張しているわけ
それで今回の筑前騒乱の主謀者である道雪と紹雲がどちらも死亡したので
島津としては九州守護を自称するところの一定の面目は立てた、という事にして筑前から軍勢を撤退させたのだろうと

659:人間七七四年
16/08/15 22:25:57.13 uEON4npP.net
筑紫広門は久留米の合戦で龍造寺勢が道雪軍に負かされたのみて大友側についた

660:人間七七四年
16/08/15 22:58:36.92 uEON4npP.net
そのあとの道雪軍は別に柳川城に攻城戦を仕掛けたわけではなくて
筑後平野部拠点への焼き討ちと襲撃が主な活動
更なる国人の離反者を狙っての事だろうけど

661:人間七七四年
16/08/16 16:03:27.45 mRXKURZZ.net
親戚に乗っ取られたのは織田家と被る

662:人間七七四年
16/08/16 18:25:34.28 zlfeCfJP.net
九州征伐の結果として龍造寺は所領をガッツリ豊臣にもっていかれて家臣団の知行を大幅圧縮する事になったから
誰か責任とらなきゃ収まりがつかなかったのかもな

663:人間七七四年
16/08/16 19:18:43.38 K817dqYO.net
そうはいっても減らされたのは耳川以降に急拡大した領地だし
柳川の代わりに諫早切り取り許可出されて西肥前にも深堀神代があって
酷く減らされたようにも見えないかな

664:人間七七四年
16/08/16 20:33:26.40 zlfeCfJP.net
龍造寺というより隆信は知行地の付け替えを頻繁にやりながら拡大政策を続けている大名であり
何かにつけて理由を見つけては国人地侍層の知行地を、大体は減封して肥前のどこかに移して
その旧領には龍造寺の一門譜代なり古参家臣が入るという体制をとっていたわけで
支配に組み込んだ武家を家臣団に編入し続ける事を前提にしていた
であるから拡大地域を奪われるというのは譜代や古参等の知行地消失を意味しており
残った肥前側の知行地を無闇に分割するのも故地を失った上に多数派である新規家臣の手前いきなり手をつけるのは難しく、こうして古参の知行地は圧縮(上地)された
極端なものでは一石知行というのもあるけど、こうして行き場を失った譜代や古参が後で手明鑓になっていく

665:人間七七四年
16/08/17 01:17:49.99 5mZpHeOH.net
拡大し続けないと家臣団を統率出来ないというのも織田家と被る

666:人間七七四年
16/08/17 03:13:11.23 Qd0sMjuM.net
>>665
織田とは違わなくないかね?
江戸初期の藩主の蔵入り地が約6万石とかだから、地付きの国人や土豪は殆ど
取り潰し出来て無いと思うしね。
この方法だから勢力の急拡大が出来たんだろうけど、弱体化すると統制が
取れないよね。

667:人間七七四年
16/08/17 13:07:11.05 0fxkuR3m.net
筑紫広門の処世術は凄いな。
少弐→大友→竜造寺→島津→大友→豊臣

668:人間七七四年
16/08/17 13:30:38.70 qEsBWn6B.net
真田もびっくりだわ

669:人間七七四年
16/08/17 17:34:36.00 9BgpEjtX.net
弱虫だから仕方ないよねw

670:人間七七四年
16/08/17 19:16:06.59 JECD0yPm.net
>>666
勝茂の初期蔵入地が少ないのは九州国割以後に出来た直茂+勝茂の分しか鍋島当主家、佐賀本藩が自由にできる所領が無かったからで
龍造寺宗家の所領問題とも近いけど根本は別のところ
それで藩政初期の残りの所領は大半が水ヶ江龍造寺一門の知行なのだから、佐賀本藩にとり崩せていない地付勢力は龍造寺という事になる
水ヶ江龍造寺一門の所領も最初から大きいわけではなくて
拡大していくのは政家(鎮賢)が家督相続して以降、1576年頃からの話
隆信が自分の出身である水ヶ江龍造寺の影響力を増大させて、村中宗家や他門閥の影響力排除を狙って行ったのだろうが
水ヶ江龍造寺の所領は天正年間中ことある毎に増加している
秀吉侵入以後で龍造寺の勢力が肥前に限定された後も、水ヶ江龍造寺系の知行地は額面上の数字をほぼ変えずに残り
新参の家臣の大部分は水ヶ江龍造寺系の下に一旦組み込まれて、古参家臣団は鍋島と政家の下に入った
この図式が豊臣政権中の龍造寺家中の対立構造
弱体化ないし縮小出来ていない龍造寺以外の有力土豪として龍造寺の元屋形様である小城の千葉党が存在するけど
こちらは鍋島与党側にいて勝茂期には小城藩として再編分派していく

671:人間七七四年
16/08/17 19:47:21.60 JECD0yPm.net
あとは背振の方の神代と波多かな、龍造寺の下に残った中で家中組織外に置かれた有力な被官でいうと
神代は鍋島から養子が行っていたからそのまま佐賀藩政に同化していったが
波多の方は龍造寺の嫁が入っているとはいえ当主の波多親が有馬の人間だったというの大きいか、分離したまま改易された

672:人間七七四年
16/08/18 14:18:16.01 FHnLp+Xw.net
>>667
結論からいうと筑紫広門が島津氏に従っていた事は一度も無いけど島津側は従えた事にしていた、というのが勝尾城攻め以前の状況
というのも龍造寺が島津と和睦する時の条件に『被官の重複を認めないから配下との関係を切れ』というのがあるんだけど
龍造寺だけにこれを言っても守るわけが無いので龍造寺被官と思われる勢力に書状を送って『龍造寺は島津に従ったから今からあなたは島津配下』という通告を出し
これを主たる理由に挙げて九州は全域島津の管理下に入ったという事にした
この通告にも律義に従った家と、無視か曖昧なままにした家があって筑紫の場合は後者
しかも龍造寺の弱体が明白になると高橋との関係強化へすぐ乗り出している

673:人間七七四年
16/08/18 14:48:58.74 Wrx47xtZ.net
[BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊

674:人間七七四年
16/08/19 16:44:48.64 JY5NN1bk.net
幕末の鍋島軍が戦国時代にタイムスリップしたら天下統一出来る?

675:人間七七四年
16/08/19 18:03:48.98 8hUIA+MP.net
今山の戦いを再現してくんないかな?ドラマでもいいから?

676:人間七七四年
16/08/19 19:00:34.61 CAGmHJGt.net
>>675
NHKが正月ドラマで「大友宗麟」を放送したことがあった。
龍造寺とか長宗我部とか宗とかも単発ドラマやってほしい。

677:人間七七四年
16/08/19 19:13:33.71 8qznLuvN.net
>>674
未来知識持ったライフルカノンのお侍集団だったら
京を制圧さえしてしまえば後はどうとでも大義名分でっち上げられるわ

678:人間七七四年
16/08/20 00:01:55.74 XqEja6Qw.net
>>676
宗麟だと、キリスト教とか嫁と険悪だったとか雷神様とか面白げなエピソードが
有るけども?
竜造寺隆信だと、主家の粛清で一族が全滅に近い打撃とか義理の娘婿を騙し討ち
したとか恩人の蒲池を滅ぼしたとかドロドロのエピソードしかないもんなあ。
面白いドラマを作るのが無理臭いんだよな。

679:人間七七四年
16/08/20 06:26:30.76 aAgZA5Y/.net
天文15年(1546年)、家兼は蒲池鑑盛の援助を受けて挙兵し、馬場
頼周を討って龍造寺氏を再興するが、その一年後に家兼は高齢と病
のために死去した。家兼は円月の器量を見抜いて、還俗して
水ヶ江龍造寺氏を継ぐようにと遺言を残した。
それに従って翌年、円月は還俗して胤信を名乗り、水ヶ江龍造
寺氏の家督を継ぐことになった。しかし隆信が水ヶ江家の家督を
相続するに及んでは一族・老臣らの意見は割れた。そこで八幡宮に
詣でて籤を三度引き神意を問うたが、籤は三度とも隆信を選んだた
め、家督相続が決定したという。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
            ↑
家兼が遺言したのに、
なぜ反対する一族・老臣が何人もいたのだろう?

680:人間七七四年
16/08/20 06:30:11.75 aAgZA5Y/.net
>>678
慶ぎん尼=龍造寺後家の生涯は面白い。


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