【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)48【ダメ工作員】
at OUT
375:底名無し沼さん
18/02/01 06:23:58.93 HYIp01210.net
標高約590m)。昭和8年(1933)に上原伸郎によって建
てられたものである。・馬頭観音2静岡県立富士山麓山の村を抜
けた場所にある。ここはやや道幅が広い、比較的直伸している経
路と、屈曲した経路の2エムゾネつが存在する。前者については明
治以降に木材の切り出し・運搬に使われた木馬道であると推測さ
れる。ここで以前に馬が死んだので、供養のために馬頭観音を建
てたと伝えられている。・2号建物跡平成5年の富士宮市の
376:底名無し沼さん
18/02/01 06:29:08.41 HYIp01210.net
では、中宮八幡堂跡手前でエムゾネ日沢を渡り、50mほど登った
ところに2号建物跡があるとされる。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』では、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、
道の北側にも平らな場所がある」と報告している。平成20年の
調査では平場らしき地形を確エムゾネ認したが、平成5年当時の景
観と著しく異なっており、両者が同一のものか判断できない。写
真建物跡の写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士
宮富士公園線が交差する地点から約60m南に下りた位置にある
。周囲はなだらかな傾斜の天然エムゾネ林で、地面は落葉に覆われ
ている。むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。東西
4m弱・南北6m弱の方形の石列があり、その北東側に小さなく
ぼみを確認した。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、こ
のくぼみを便所跡としている。写エムゾネ真建物跡の写真図建物跡
の図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が交差する
地点から北北東の方角に約600mの位置にある。登山道の西側
には日沢が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺
は天然林で、下草にスズタケが生いエムゾネ茂っている。平場は東
西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組が確認された
。南側中央部には石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、
後世まで木の切り出しなどの休憩小屋エムゾネとして使われていた
可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡から北北東に
約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向き
に傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて
急激に落ち込んでいる。登山道の東側にエムゾネは、東西約12m
、南北約10mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、登
山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜
面にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者か
377:底名無し沼さん
18/02/01 06:34:28.34 HYIp01210.net
伝法で村山三坊が毎年年番で行っていた札エムゾネ打ちや勤行等を
行う富士峯修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、
高所にある洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−る
ことが多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長
7年(1602)に書かれた「富士山持場之エムゾネ事」に記述が
あるが、宝永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言
われている。また、文化13年(1816)〜天保5年(183
4)に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家
のような板葺きの建物があり、登山者の休憩所エムゾネであったこ
とが記されているが、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建
立古帳面写」では「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂
室が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明
となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞エムゾネ穴の存在
を確認した。不動沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、
地上から7mほどの高さの場所にある。洞穴の内部は、高さ2m
、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つこと
のできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがエムゾネかって
いる。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が
多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最奥の向か
って左側については人工的に開削された可能性が残る。写真岩屋
不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしAエムゾネ4須
走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,8
30m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小室社
と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が登山で
きるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花エムゾネ開
耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土地理
院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒壊し、
廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作物は
378:底名無し沼さん
18/02/01 06:40:04.69 HYIp01210.net
、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残っていなエムゾネ
い。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間神社の末社
で、富士あざみラインから南側の脇道を入った自衛隊東富士演習
場内の標高1050m付近にある。演習場内のため、許可なく立
ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名されたがエムゾ
ネ、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られていることから
雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄3年(1690)の
冨士浅間神社の古文書に記述が見られ、成立年代は江戸時代前期
まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって被害を受けたエム
ゾネが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神は大日要命
(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて間口二間、奥行き二
間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていたとされる。古絵図
(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれた場所に描かれ
エムゾネている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってから山頂を目
指したとされる。建物は現存しないが、二重の石組みに囲まれた
建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇
には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石の祠
がエムゾネ建てられ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡
の写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)が
ある。須走口では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在して
いた。下山道は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐
し、エムゾネ登山道南側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須
山口)の「大砂走り」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−8
1−A5吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道
で、本8合目で須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「
大行合エムゾネ」と呼ばれた。ここから上は頂上奥宮の神域で、小
屋を建てることが許されなかったことから、登山道最後の小屋場
として多くの小屋が建てられていた。写真小屋の写真A6北
379:底名無し沼さん
18/02/01 06:45:52.97 HYIp01210.net
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連
遺跡中道エムゾネ往還は甲斐と駿河との交通路のうち、若彦路と河
内路の中間に発達したので「中道」と呼ばた。甲府市から国道3
58号線を経て精進湖赤池交差点より国道139号に入り、静岡
県の富士宮市・富士市に至る道である。こうした交通の要地であ
ることからエムゾネ本栖湖周辺には中道往還に関連する遺跡が複数
確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・浅間大社遺跡
380:底名無し沼さん
18/02/01 06:52:28.35 HYIp01210.net
蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西200mの
範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡として埋蔵文化財
包蔵地となっエムゾネており、遺構や遺物等が発見されている。写
真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館としての大宮
城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた。・神
田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社であ
る。五穀豊穣をエムゾネ祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が
毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄
進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和
35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側
入口に設置されてエムゾネいる。B2山宮浅間神社なしB3村山浅
間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神
社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦
没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模か
ら駿河、甲斐への連エムゾネ絡路であった鎌倉往還が通っていた。
中世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つ
で、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。
また、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地
区が、古くから富士北エムゾネ麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の
要衝として利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B
6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中
湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩
洞穴等については、洞穴エムゾネ本体あるいは富士山の関連として
信仰の対象と位置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等
の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社など
の設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例であ
る。・信仰的意味を付されエムゾネた地形・空間B13吉田胎内樹
型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴
381:底名無し沼さん
18/02/01 06:58:31.28 HYIp01210.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
緊急・救急施設富士山は、高山であり気候も急変することか
382:底名無し沼さん
18/02/01 07:04:56.39 HYIp01210.net
登山客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂
、富士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登
山道8合目)が設けられている。写真救急施エムゾネ設の写真・救
急搬送・荷物搬送区域登山道にほぼ並行して、救急用・緊急用避
難道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送に
はブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・
注意看板等が設置されている。・県道180号エムゾネ線富士宮富
士公園線浅間大社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富
士公園線」が、村山口登山道跡と2箇所で交差している。交差す
る地点は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5q進んだ地点と
、高鉢山駐車場から約700m下った地点であるエムゾネが、道路
沿いには特別な表示等はない。また、この道路は富士山スカイラ
イン、富士宮口登山道を経て6合目から旧村山口登山道と合流し
、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5合目駐
車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線エムゾネに沿っ
て東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近で交
差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・附属施設450台
収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設として、レス
トハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シエムゾネーズ
ンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、広告旗
、バス停留所などがある。・林道富士山麓には多くの林道があり
、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道と交差する
。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋が建エムゾネて
られている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7合9勺)
、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ出館(7合
目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)がある。山小屋
周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が設置されエムゾネ
ている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、2合8
383:底名無し沼さん
18/02/01 07:10:29.50 HYIp01210.net
に、気象庁の避難小屋が建てられている。富士山頂測候所に勤務
する職員用の施設であったが、測候所廃止に伴い現在は使用され
ていない。・救急搬送・荷物搬送区域登山道の南西側に、救エムゾ
ネ急用・緊急用避難道としての役割を持つ道路等の施設が設けら
れている。搬送にはブルドーザーが使われる。歩道との交差部に
は、進入禁止柵・注意看板等が設置されている。・下山道(大砂
走)登山道の南西側に、下山道(大砂走り)がある。標高約3
384:底名無し沼さん
18/02/01 23:51:48.10 GqEb5GQ7F.net
age
385:底名無し沼さん
18/02/02 22:10:34.87 o6EqzirY0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
386:底名無し沼さん
18/02/02 22:10:56.51 o6EqzirY0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
387:底名無し沼さん
18/02/02 22:11:16.47 o6EqzirY0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
388:底名無し沼さん
18/02/02 22:12:31.71 o6EqzirY0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
389:底名無し沼さん
18/02/02 22:12:50.41 o6EqzirY0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
390:底名無し沼さん
18/02/02 22:13:37.22 o6EqzirY0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
391:底名無し沼さん
18/02/02 22:16:15.66 o6EqzirY0.net
文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西200mの
範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡として埋蔵文化財
包蔵地となっエムゾネており、遺構や遺物等が発見されている。写
真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館としての大宮
城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた。・神
田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社であ
る。五穀豊穣をエムゾネ祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が
毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄
進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和
35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側
入口に設置されてエムゾネいる。B2山宮浅間神社なしB3村山浅
間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神
社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦
没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模か
ら駿河、甲斐への連エムゾネ絡路であった鎌倉往還が通っていた。
392:r> 中世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つ で、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。 また、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地 区が、古くから富士北エムゾネ麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の 要衝として利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B 6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中 湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩 洞穴等については、洞穴エムゾネ本体あるいは富士山の関連として 信仰の対象と位置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等 の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社など の設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例であ る。・信仰的意味を付されエムゾネた地形・空間B13吉田胎内樹
393:底名無し沼さん
18/02/02 22:16:34.96 o6EqzirY0.net
文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西200mの
範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡として埋蔵文化財
包蔵地となっエムゾネており、遺構や遺物等が発見されている。写
真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館としての大宮
城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた。・神
田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社であ
る。五穀豊穣をエムゾネ祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が
毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄
進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和
35年(1960)に奉納された大籠2基が、第2駐車場南側
入口に設置されてエムゾネいる。B2山宮浅間神社なしB3村山浅
間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神
社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦
没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模か
ら駿河、甲斐への連エムゾネ絡路であった鎌倉往還が通っていた。
中世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つ
で、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。
また、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地
区が、古くから富士北エムゾネ麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の
要衝として利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B
6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中
湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩
洞穴等については、洞穴エムゾネ本体あるいは富士山の関連として
信仰の対象と位置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等
の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社など
の設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例であ
る。・信仰的意味を付されエムゾネた地形・空間B13吉田胎内樹
394:底名無し沼さん
18/02/02 22:17:24.21 o6EqzirY0.net
文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西200mの
範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡として埋蔵文化財
包蔵地となっエムゾネており、遺構や遺物等が発見されている。写
真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館としての大宮
城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた。・神
田宮第2駐車場ら100mほど南にある水田を備えた神社であ
る。五穀豊穣をエムゾネ祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が
毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄
35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側
間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神
社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦
没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模か
ら駿河、甲斐への連エムゾネ絡路であった鎌倉往還が通っていた。
の設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例であ
る。・信仰的意味を付されエムゾネた地形・空間B13吉田胎内樹
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