【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)17【ダメ工作員】 at OUT
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300:底名無し沼さん
18/01/19 02:57:50.13 04qHDvx10.net
りの橋が架けられている。春秋の大祭にエムゾネはこの橋を通って
山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵
図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の
絵図には既に描かれているが、大正4年(191エムゾネ5)に石
造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文1
0年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査

301:底名無し沼さん
18/01/19 02:58:30.69 04qHDvx10.net
は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離場へは社エムゾネ
叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし垢離
を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊と
される不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・
護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像が祀られエムゾ
ネている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組
となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時安政四
年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周
囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られエム
ゾネ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
エムゾネ堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富
士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮
守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年
五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。
現エムゾネ在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和2
8年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている
。平エムゾネ成15年の再建に合わせて建てられたものである。・
手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水
舎が設置されている。明治16年(1883)に設置されたもの
である。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くもの
と、大エムゾネ日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・
狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている
。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平

302:底名無し沼さん
18/01/19 03:04:15.03 04qHDvx10.net
護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出
された。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっエムゾネ
ている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎
石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有して
いたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌で
この建物跡を「本地堂」とする記載が確認されており、最終的
に護エムゾネ摩堂かb逍{地堂へ造作bオ直された可能瑞ォがある。写真
護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像
慶長19年(1614)2月に建立された。背銘には、左側の
像は「甲州河内下山住番匠石川清助作」、右−52−側の像は
「大工山城國エムゾネ上原住櫻井三蔵作」と記され、市指定有形文
化財として保護されている。写真随身像全体の写真・狛犬参道
の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7年5月に奉献
されたものである。・御神幸道首標の碑明治以前に行われてい
た「山宮御神幸」におエムゾネける、御神幸道の首標が、池畔に立
てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一月とされ
、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれている。昭
和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見され、現
在地に再建された。・三之宮本エムゾネ殿横西側に、淺間第三御子
神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之
宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神
社」が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が
置かれている。明治の初めまで行われてエムゾネいた山宮御神幸の
際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神
路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている
。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(
1670)の絵図では西側にのみ架けられているエムゾネ。写真橋
全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図

303:底名無し沼さん
18/01/19 03:04:53.68 04qHDvx10.net
叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目エムゾネ通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢
全体が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・
渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河
国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録と
して社殿のエムゾネ存在が確認できるのは、大永4年(1524)
と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6

304:底名無し沼さん
18/01/19 03:05:41.20 04qHDvx10.net
一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的
によっエムゾネて大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・
供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈
願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念
碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ
゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や
浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び
ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの
建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側にエムゾネ規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの
の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施
されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場
から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約エムゾネ34m続いてい
る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ
れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石
垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し
ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定エムゾネ地の北側を通る林道に沿
って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され
ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・
井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋
没し、涸れ井戸となっているエムゾネ。B15白糸ノ滝図以下に示す要
素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩
れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの
である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互
層しているものであエムゾネる。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土
台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ
ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考
えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる

305:底名無し沼さん
18/01/19 03:11:34.68 04qHDvx10.net
す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥
居から参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展
開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶エムゾネ
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二
子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する
。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝
所のエムゾネ基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の
噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部
分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。
そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡
せていたためエムゾネ、この場所で山を遥拝する行為が行われたと
考えられる。写真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模
式図・社叢目通りの幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林
が、約9,780uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹
林に指定されている。エムゾネ・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前
の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御
鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」に
おいて、これに同行した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所
である。−53−・鉾立石籠屋エムゾネをくぐり遥拝所へ続く参道
に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石」
が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位
置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれている。・石段
(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るたエムゾネめの石段が組まれ
ている。現在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと
考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方
形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上
げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築エムゾネ

306:底名無し沼さん
18/01/19 03:12:16.54 04qHDvx10.net
23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面
・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西エムゾネ側に建てられている。・狛犬境内には、社殿
前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前
の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り口
のものは平成1エムゾネ3年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と
刻まれた水盤も置エムゾネかれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンク
リート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコ
ンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)
に奉納されたものでエムゾネある。・石碑鳥居の東側に、郷社とし
て奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社
八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境
内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物である。
B5冨士浅間神社図以エムゾネ下に示す要素が点在している平面図
・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がってい
る。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天
然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1
963)2月19日に静エムゾネ岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.
10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多
い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では
数本しか見当たらないが、エムゾネ境内には10本が生育している
。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然

307:底名無し沼さん
18/01/19 03:13:03.21 04qHDvx10.net
層の境目にエムゾネはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー
)が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった
際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する
。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り
返エムゾネしていると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平
均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量
の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積

308:底名無し沼さん
18/01/19 03:17:38.47 04qHDvx10.net
る。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土して
いるため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もしく
は後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図
石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリーエムゾネ
ト製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられた
ものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付
けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うこと
を目的として築造されたと推定される施設である。南北約15
.2エムゾネm、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の
溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向
に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司
席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供僧席が
設けられていエムゾネる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石
鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(1
931)に建立されたものである。・参道石鳥居から籠屋まで
参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在
している平面図・元村エムゾネ山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧
期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で
、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は標高が高
く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する
。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東エムゾネ側に「竜頭ヶ池」と呼ばれ
る湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた。ま
たこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側
から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた
要因の一つである。・御神木(イチョウエムゾネ、大スギ)[イチ
ョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念
物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m
、枝張り東西19m南北14mで、樹勢よく乳状下垂

309:底名無し沼さん
18/01/19 03:18:18.15 04qHDvx10.net
指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.
75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別
名をオオヤマザクラと称するエムゾネヤマザクラの北方型で、静岡
県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平
成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。こ
の根上り群は約150年生のモエムゾネミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながら
モミが成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりに
なったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成
18年8月24日に小山町の文化エムゾネ財(建造物)に指定され
た。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部
材は享保年間(1716〜36)のものが今なお使用されている
。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結しエムゾネた権現造である。拝殿
は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残した流
造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間
の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁
間2間の両下造。本殿が三間社流造、エムゾネ向拝1間、屋根は全
て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面・楼門二
階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。
北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永
噴火により社殿とともに大破しており、エムゾネ現在のものは明和
4年(1767)随神が寄贈された当時に再建されたものと考え
られる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺
き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としてい
る。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩のエムゾネ石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」と刻まれてい

310:底名無し沼さん
18/01/19 03:19:01.77 04qHDvx10.net
に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上部の溶岩エムゾネ流
はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくなった時点で自
然崩落す


311:る。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考 えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退 を早める一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年エムゾネに約2セン チメートルの割合で北側に後退しているという計算もある。音止の 滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−6 2−を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩 流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約エムゾネ20メートル、長さ 約120メートルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水 が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となったものであ る。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積 物があり、上部に透水性のある白エムゾネ糸溶岩流があると考えられて いる。富士山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不 透水層との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、 両層が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間か ら水が湧出している様子エムゾネが確認できる。写真滝の写真(音止の 滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ 、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面で は、白糸の滝同エムゾネ様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸 の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼 ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもので あり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また、ここ には「エムゾネ駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名前の ついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白糸の滝 の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内には、メヤ ブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士講「白



312:底名無し沼さん
18/01/19 03:24:18.77 04qHDvx10.net
達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端エムゾネに針を刺
して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の
信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られて
いたといわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和
31年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間エムゾネ
神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で
最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17.5m

313:底名無し沼さん
18/01/19 03:25:01.24 04qHDvx10.net
33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛
犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が
置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富
士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く
富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰
の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く
の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑
群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を
契機に、北麓でも浅間神社が建てられることになエムゾネったが、
その神社である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた
宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿エムゾネなどの
建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性がある。建立目的は富士山の
噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1エムゾネ69
7年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「三国第
一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図
社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在してい
る平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉エムゾネ田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に
祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現
在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿エムゾネ
も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行や登

314:底名無し沼さん
18/01/19 03:25:46.00 04qHDvx10.net
゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川
角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行
ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の
滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資エムゾネ料には
、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。
指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記
されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の
滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白エムゾネ糸の滝の、数多
の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写
真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある
。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸の滝と音止の滝
の勝景とともに、見事な富士山が望まエムゾネれる。写真展望の写真・
富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼
朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の
名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも
ので、兄弟が仇討ちの相−6エムゾネ3−談をしている間は水音を止め
たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の
折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑
「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝
滝つぼ右岸には白糸エムゾネの滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名
勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。B眺望C三保
松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清
水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線
に沿い、南エムゾネ北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す
る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地
又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維
持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松
林エムゾネには、300年を経た老木から幼令木が約54,0

315:底名無し沼さん
18/01/19 03:30:21.39 04qHDvx10.net
1m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞があ
る。案内板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはお
よそエムゾネ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高
直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジ
イ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹された
ヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されている。
・浅間神社社エムゾネ殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって
境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命
、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴
(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿
は大正2年(1913エムゾネ)に改築されたものだが、幣殿と拝
殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造
に建替えられている。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(
興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)に、末代
上人の流れをくむ頼尊が村山にエムゾネ興法寺を開いたと伝えられ
ている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山
の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部材の状
況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられる
が、外壁は波鉄板板張りに変えられていエムゾネる。桁行5間・梁
間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面
と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図
社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道
者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.エムゾネ5m、奥
行き約4mの長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を
敷きつめ周囲は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離
場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で
落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修エムゾネ
行のときの主尊とされる不動明王の石像が安置されて

316:底名無し沼さん
18/01/19 03:31:02.87 04qHDvx10.net
た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、
土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ
ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御
室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭
神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708
)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の

317:底名無し沼さん
18/01/19 03:31:46.58 04qHDvx10.net
幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地
区境界@特別規制A地区真崎灯台の内


318:海側の第2種規制地区との境 界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(エムゾネ松 が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地 区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣 参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を 形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎エムゾネ灯台と建設 省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種 規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は 、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、 字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第エムゾネ2種規制地区との境 界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する 道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区 との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制 地区真崎付近第3種規制地区とのエムゾネ境界は、市道本村海岸58号 線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを 参照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕 著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形 構成資産の土地には、山エムゾネ並み、湧水や富士山及び側火山の噴火 等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ 、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ る。ア富士山山体及び登山道A富士山−64−・テフラ噴火の際、 山頂火口から粘エムゾネ性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し 多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩 れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、 富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2, 200エムゾネm付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ 約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万



319:底名無し沼さん
18/01/19 03:36:18.14 04qHDvx10.net
真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明
王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5
.3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石
にはエムゾネ、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4年(185
7)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石
組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思
われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−
護摩壇裏手のエムゾネ一段高くなったところに末代上人を祀る大棟
梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令により廃され
、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったと
ころに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大己貴命)」と
して祀られた。現在はエムゾネ「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集
落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉再建冨士
大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成
15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途
中に、石鳥居が建てられているエムゾネ。昭和28年(1953)
に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守社
)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年
の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)
村山浅間神社へと続く参道入口の左側にエムゾネ、手水舎が設置さ
れている。明治16年(1883)に設置されたものである。
・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大
日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5
年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されてエムゾネいる。B
4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢
樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体
が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜エ

320:底名無し沼さん
18/01/19 03:36:57.77 04qHDvx10.net
ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に
よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から
明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは
9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な
どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。
内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ
の時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真
図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士
講徒エムゾネの案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼
宿坊である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住
宅などエムゾネがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入
り形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設さ
れたものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型
」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住エムゾネ宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、
富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあ
るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的な
御師住宅にエムゾネ比して独自の構成を有している。写真主屋等の
写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背
面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷

321:底名無し沼さん
18/01/19 03:37:42.42 04qHDvx10.net
・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩
れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ
゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山
口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは
、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡
と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差するエムゾネ。2,
015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のよ

322:底名無し沼さん
18/01/19 03:43:05.43 04qHDvx10.net
・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に
駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の
記録として社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524
)と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(
18エムゾネ23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図
社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を
納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内に
は、社殿前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されてい
る。社殿前のエムゾネ一対は平成12年に、参道脇の一対は平成1
3年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建て
られている。登り口のものは平成13年に、階段を登ったとこ
ろにあるものは、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に
奉納されたものであるエムゾネ。・手水舎石段に至る参道の脇と、
社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そば
には、文政7−56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参
道鳥居から10mほどは石畳が敷かれ、その後社殿の位置する
高台へ登るためにコンクリートエムゾネ製の階段が続いている。・
鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられ
ている。昭和41年(1966)に奉納されたものである。・
石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたことを示す碑
が建てられている。・古宮神社八坂大神エムゾネ、八幡大神、愛鷹
大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中に
あり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以
下に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社殿周
囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参エムゾネ道南側の
部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大
樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1963)2月1
9日に静岡県の天然記念物に指定された。根回り約6

323:底名無し沼さん
18/01/19 03:43:44.00 04qHDvx10.net
11.8m、エムゾネ奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建
つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋
をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設がみら
れるほか保存がエムゾネよく、富士講御師の住宅としての形態を、
屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家
の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現
状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面図富士
山周辺の湖を巡っエムゾネて修行する内八海巡りが多くの富士講徒
によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形
(湖水)などがあるエムゾネ。写真山中湖の写真B10河口湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行
する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地
でもあり、多くの芸術エムゾネ作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している
平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それ
ぞれに八大竜王を祀る冨エムゾネ士信仰に関わる巡拝地(霊場)で
あった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在して
いる平面図船津胎内樹型は、1673年に


324:x士講の指導者である 村上光清により発見され、エムゾネ富士講の開祖である長谷川角行 が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普 遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている 地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内



325:底名無し沼さん
18/01/19 03:44:29.53 04qHDvx10.net
になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右
岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形
をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩エムゾネを繰り返し多量
に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に
富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰
り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登
山道二合目から三合目にかけて見られエムゾネる古富士火山からの泥流
堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など
様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の
北側、西側、南側は御坂基盤エムゾネ層により構成されているが、東側
新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が
分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水
底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破
砕溶岩)また本栖湖エムゾネ畔のボーリング調査において43mより上
位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山
の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩
主体の富士山起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B
1富士山本エムゾネ宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ
れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1
670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい
る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河
川エムゾネなどの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素
となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土
地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる
重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間エムゾネ神
社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがあ

326:底名無し沼さん
18/01/19 03:50:01.85 04qHDvx10.net
り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北エムゾネ
23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木
で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか
見当たらないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマ
ザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された
。樹エムゾネ齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75
m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5

327:底名無し沼さん
18/01/19 03:50:42.52 04qHDvx10.net
承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に
所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ
ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、
そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した
あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの
であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見
され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神
誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無
事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名
付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し
ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整
備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価
値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空
間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴
火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本
穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の
胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と
して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本
穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である
木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流
人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5
,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端


328:部近くに位置 している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴 出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる 溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶



329:底名無し沼さん
18/01/19 03:51:27.16 04qHDvx10.net
須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水
が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。エムゾネB6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路
)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ
ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、エムゾネ立体的)等B13吉
田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域
を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出
物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−6
6−構成資産の土地には丘陵や河エムゾネ川などの自然地形が見られ、
構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある
。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも
のがある。ウ眺望C三保エムゾネ松原なしA森林、植栽樹木構成資産の
土地には、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び
青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢
林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山
標高3,300エムゾネm付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育
している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部
分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の
垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・
モミなエムゾネどの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが
、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに
は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい
る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ
゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界
(2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯
から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエ

330:底名無し沼さん
18/01/19 03:55:51.21 04qHDvx10.net
をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南
限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3
年5月1日にエムゾネ小山町の天然記念物に指定された。樹齢約3
00年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m
。この根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しなが
らモミが成長したためエムゾネ、根が爪を立てた状態で生育し、根
上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。
・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造物)に指
定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(
1718)に再建された。そのエムゾネ後蟻害や老朽化により改修
したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが今な
お使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権現造
である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の
遺構を残した流造りとなっている。−5エムゾネ7−構造は、拝殿
が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風
付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、
向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真
図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層のエムゾネ周囲に高
欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随
神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破し
ており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された
当時に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間エムゾネ
一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に
組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入
口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束に
は「不二山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納
されエムゾネた。・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る

331:底名無し沼さん
18/01/19 03:56:30.01 04qHDvx10.net
穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千
日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶
岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け
た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端
が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か
ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱

332:底名無し沼さん
18/01/19 03:57:13.39 04qHDvx10.net
広葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わエムゾネり、標
高1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植物
森林限界である標高2,400m付近から


333:上で、植物の垂直分布で は高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にかけ ていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサエムゾネキモメンヅル、 ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分 の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近) 付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)にあたり、林床に はササ類が密生している。幕岩上部(エムゾネ標高1,680m付近) 付近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなど が多くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近く なるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したス コリアが厚く堆積しているたエムゾネめ、須山口登山道付近の森林限界 は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道 2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分 布で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア ザミなどが、まばらエムゾネに分布する。A4須走口登山道・木山部分 の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000 m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツ ガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、 他の登山道エムゾネよりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると 高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミな どが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高1600m付近よ り下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんど がエムゾネアカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然 林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている 。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在 するのもこの地域である。標高1600mから2500m付エム



334:底名無し沼さん
18/01/19 04:01:42.64 04qHDvx10.net
入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両
側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士
講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された
記念碑が多くエムゾネ残されている。多くは、数多く富士登山が成
就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証とした
もので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てら
れている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B
6河口浅間神社図以下エムゾネに示す要素が点在している平面図河
口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機
に、北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社
である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行
事を行っており、歴史的背景とエムゾネ相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建
造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性があエムゾネる。建立目的は富
士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火という
ことに対する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1
697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「
三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされエムゾネる。写真
社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要
素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀
初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ
、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあるエムゾネ
。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、9
58年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二
合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている
。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位

335:底名無し沼さん
18/01/19 04:02:22.26 04qHDvx10.net
全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい
る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生
)人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため
、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭
和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建
材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等
は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者
が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が
刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文
4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分
類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑
供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人
の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3
種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61
−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社
社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている
。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ
の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも
のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み
が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ
ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34
m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の
石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道
跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム
ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出さ

336:底名無し沼さん
18/01/19 04:03:08.00 04qHDvx10.net
までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソ
の森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところに
は、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高2500m付
近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されエムゾネない。植物
はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼
ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術
的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾

337:底名無し沼さん
18/01/19 04:08:27.90 04qHDvx10.net
れるエムゾネ二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体と
なって機能してきた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素とし
ては、信仰拠点である二合目や本殿などがある。・吉田口二合
目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御
室浅間神社はエムゾネ木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかで
ないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが
最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には
浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一として
広く知られていた。冨エムゾネ士修験の信仰拠点は南口の村山であ
るが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者
堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐
国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築様
式の神社建物に再建されたことエムゾネが棟札から明らかにされて
いる。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋
根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも彫刻
を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当
初のものを良く残しており、建築年代のエムゾネ確実なこの時期の
遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿
の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒
の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面エムゾネして引き
込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家
住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り
形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建エムゾネ
設されたものであることが判明している。また、主屋は「平面
座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立さ
れる以前の御師住宅として最古の部類の建築物である

338:底名無し沼さん
18/01/19 04:09:06.39 04qHDvx10.net
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている
。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富
士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ
り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状
礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので
ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に
ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白
糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を
繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この
多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物
を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな
った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し
続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食
に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ
滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると
いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同
様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい
る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の
滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡

339:底名無し沼さん
18/01/19 04:09:53.12 04qHDvx10.net
ミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・エムゾネフジアザミ・ムラサ
キモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙
げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘
陵を構成する社叢林・境内林などエムゾネのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。−68−B2山宮浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内に
おいて植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資
産の土地には、丘陵を構エムゾネ成する社叢林・境内林などのほか、敷
地内において植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社
構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、
敷地内において植栽された樹木等が存在している。B5須走浅間神
社構成資産の土エムゾネ地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などの
ほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人
穴富士エムゾネ講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木
等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の
自然林や植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植エムソ
゙ネ栽及び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした
建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示
施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在して
いる。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山エムゾネにおけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識
等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山における標識
類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整
備が進められている。A2大宮・村山口登山道エムゾネ富士山


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